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Archive for 9月, 2013

風立ちぬ

10 9月

宮崎監督はもう一作品作るのでは
  福井へ出たついでに、宮崎駿監督の『風立ちぬ』を見た。絵はきれいだし、表現力もある作品だった。テーマは難しい。と言うよりも、実在した人物をモデルにしているだけに、難しいところもあったのではないか。

  宮崎監督には、これで終わらずにもう人作品作ってもらいたいと思う。アニメの可能性は無限。何をどう描くかが問題。監督が、一から十までやるのではなく、スタッフを活用してもっと作品を作ってもらいたいと思う。

 超短編のアニメを作ってみたい気がするが、そんな甘いものではなかろう。創作とか表現することは素晴らしい仕事だと思う。事を為すのは人であることが分かる。

  モノを生かすのも人である。モノを作るのも人である。人を育てるのも人である。「マンパワー」に無限の可能性があると思う。無理だろうが、自分も何かを作ってみたい気がした。

(日記 福井へ出た。病院へ行き、午後12時半に映画『風立ちぬ』を見た。表現力のある作品だった。内容は論評しがたい部分もあった。でお楽しかった。その後、ショッピングセンターへ寄り帰宅。帰宅してから、鹿谷のおばさん達の銭太鼓のカラオケ作り。既存の曲なので、CDを聞きながら、カラオケを作るのだ。楽譜は歌の部分しかない。前奏や間奏はCDを聞きながら楽譜におこすのだ。かなり時間のいる作業だ。まだまだ完成しないだろう。)

 
 

「おもてなし」の心

09 9月

なくなりつつある奉仕の心
  最近つくづく思うことがある。それは奉仕の心がなくなりつつあることだ。何か活動に参加しなければならないことがあると、「なぜそんなことをしなければならないのか」、「そんなことをしたら前例になるのでは」という声を聞く。

  それが奉仕的な活動であってもそうだ。昨日のオリンピック開催地決定の際、日本の滝川クリステルさんが、日本的なことをフランス語で強調され、そのなかで「お・も・て・な・し」と言っておられたのが印象に残った。

  しかし、東京には、地域で支え合う組織が残っているのであろうか。「婦人会」は、「青年団」は。「消防団」等が機能しているのだろうか。それともそんなものは行政が引き受けているのだろうか。

  何か事があると、任意で参加するボランティアで対応しているのだろうか。既存の組織が生きているのだろうか。我が勝山を見ても、連合婦人会、各町の婦人会は消滅し、各集落の婦人会もほとんどがなくなってしまっている。

  同じように青年会などの組織もなくなってしまった。壮年会もほとんど有名無実になっている。面倒だと思うことは、たとえそれが奉仕的な活動であっても不平不満の種になっている。

  そして次代は、超高齢化社会に向かっている。人と人の関わりや、思いやり、おもてなしの心をなくして、晩年は、人間としての尊厳を守れるのだろうか。これも時代の流れか。

  既存の組織は、義務的な当番的組織になり、形骸化しているように思えてならない。その一方で役をつかんだら離さない人も少なくない。世の中はどこへ向かっていくのだろうか。地域は、本来のよさを失い崩壊し始めているように思う。

勉強の締めくくりはいつも孫の歌で終わる。今日は「リトルワールド」を歌ってくれた。

勉強の締めくくりはいつも孫の歌で終わる。今日は「リトルワールド」を歌ってくれた。

(日記 午前中は、鹿谷で銭太鼓の指導。おばさん達は意気盛んである。今月中旬にある慰問活動に向けて練習に熱が入っている。午後1時半過ぎから、猪野瀬地区のまちづくりについてAさんと午後5時頃まで話し合う。猪野瀬地区の活性化も簡単ではない。午後6時半に久々に家内とウオーキング。オリンピックや国体に向けて健康作りと言いたいところだが、いつまで続くやら。午後7時半より横浜の孫と『爺ちゃん勉強』。楽しかった。)

 
 

東京オリンピック

08 9月

決定の瞬間
   午前5時頃目が覚めた。イヤホンをつないで枕元のラジオをスイッチオン。その時点では、東京とイスタンブールで決戦投票だという。あれ?最有力と言われたのマドリードはどうなったのだろうか。

  しばらくすると、決戦投票の結果が出た。午前5時20分、「東京!」という声が聞こえた。ついに2020年のオリンピックは東京に決定した。うれしい限りだ。

 その後、起きてテレビを見るとオリンピックの東京決定のニュース一色だった。東京に決まって先ずは一安心。その後、いろんな人が東京決定の経緯を話していた。

 積極的理由と消極的理由を述べるコメンテーターがいた。積極的理由は「オールジャパン」で取り組んだことだろう。これは誰もが認めることだ。前回の失敗を生かして、本気で招致活動に取り組んでいたのだ。

  スピーチの内容も表現力も群を抜いていたのだ。やはり前回の経験が生かされているのだろう。そういう意味では、失敗は次の成功の鍵かも知れない。

  消極的理由としては、2024年のオリンピックを狙うフランスの存在だという。2020年のオリンピックがスペインに決まると、フランス開催が危ぶまれるというのだ。しかし、これも日本にとっては追い風だったのだろう。

  勝負には時の運というものがあるのだろう。運も実力うちという人がいるが、これも実力のうちだろう。何はともあれ、オリンピックの東京開催が決定した。

  2020年が東京で開催されると決まった以上は日本選手の活躍を期待したい。何となく、国民にわくわく感が広がる。そこで自分とオリンピックをどう結びつけるかを考えてみた。

 健康な身体を維持するために、わずかでも運動しなければならないというのが私の正直な気持ちだ。5年後の平成30年には福井国体、7年後の2020年には東京オリンピックが開催される。

 これからの5年間・7年間は、健康優先の生活をしなければと思う。そして、選手の応援をしたい。無理せずに健康体を作ることが、私のオリンピックまでのアクションだと思う。

親父バンドの一日練習。よくも飽きずに一日続けたものだ。(私のスタジオで)。

親父バンドの一日練習。よくも飽きずに一日続けたものだ。(私のスタジオで)。

(日記 早朝、ライブで2020年のオリンピックが東京に決定したことを知る。その後、私のミニスタジオで『親父バンド』のメンバーが練習。今年、私は演奏会には参加しないが、時々練習を見た。みんなが練習している間に、『かたせ瓦版』の編集作業をした。午後6時過ぎにバンドの練習は終わった。)

 
 

祭りは地域の総合力

07 9月

いかに盛り上げるか村祭り
  今日は、各種団体の代表二人と村の役員の合同会議。主なテーマは秋祭りについてだ。各種団体がどのように祭りに取り組むかが問題だ。

 私の希望は、次代を担う子どもたちが“待ちに待った”祭りにしたいということだ。そのためには、各種団体がたとえこれまでの演し物でも模擬店でも心を込めて取り組むことだと思う。

  例えば、婦人会は祭り当日忙しいという。当日忙しければ、祭り前日までに「何かできることはないか」を真剣に考えてみてほしい。その気になれば、そんなに時間をかけなくてもできることがあるのではないだろうか。

  できない理由は誰にでも思いつく。忙しい当日何もできなくてもそれは仕方がないことだが、忙しくない日に何かできることはないかを考えてみてほしい。

  今のところ、舞台では『各種団体によるのど自慢』があり、小中学生女子による『浦安の舞』、中学生男子による『獅子舞』、銭太鼓保存会による『片瀬豊年ばやし』、そして、最後に抽選会があるのだ。

  また、青年会、子供会などによる模擬店もある。私も、個人的に何かできることはないかを考えてみたい。何とか祭りを盛り上げたいという気持ちがあればできることはいくらでもあるように思う。

  祭りを盛り上げることで、区民の皆さんにとって一番簡単なことは、祭りを見に来て下さることだ。そのためにも、見に来てよかったと言える祭りにしたいと思う。

  それが、地域の力だと思っている。必要なものは“もてなしの心”だ。もてなしの心があれば、それは祭りに来た人たちに伝わると信じている。

(日記 午前9時半より2時間みっちりと『子ども太鼓の練習』。施設へ慰問に行くための練習だ。子どもも結構真剣だった。午後は、少し昼寝。その後、区の『各種団体合同会議』の資料作り。午後7時半より、会議。主なテーマは『秋祭り』についてだった。挨拶運動を盛り上げましょうとも提案した。)

 
 

村の子ども達と区民の関わり

06 9月

いつの間にかいなくなる子ども達
  村の子ども達は、生まれてるすぐに保育園へ預けられることになる。そして、小学校入学。家族が働いている場合には放課後は児童館(または児童センター)。

 中学校になると、学校で授業を受け遅くまで部活動。高校時代もよく似た生活スタイル。村の子ども同士が関わるのは、小学校の子供会ぐらいのものだろうか。

 高校を卒業をすると、大学または就職などで市外、または県外へ出て行く場合が多い。就職しても多くは福井方面で勤めるために、朝早く出て行って夜遅く帰るために区民との接触は非常に少ない。

手に入れることができた『浦安の舞の衣装』

手に入れることができた『浦安の舞の衣装』

 女子の場合には、いつのまにか結婚してしまってどこの誰だか分からないうちに村を去ってしまう。たまに里帰りをしても、地域の人と接することは皆無だろう。

  昔は、祭りなどの村の行事、報恩講などの家庭の行事、種々のお寺の行事、四季折々の村での農作業、……などがあって、大人と顔を合わせる機会は多かった。

  子どもの側から見ても、大人の顔や名前が一致している場合が多かった。しかし、今は車社会になり、多くの行事は廃止されたり、簡素化されて区民と子どもの接点は激減してしまった。

  今の、子ども達はほとんどの大人の名前を知らないだろう。大人も同様に子どもを見てもどこの子どもか分からないだろう。このように、子どもたちと区民の接点はどんどんなくなっていくのだ。

  村の祭りを重視し、女の子達にも、『浦安の舞』を舞ってもらって祭りを盛り上げると共に、村でのよき思い出を作ってもらいたい。それと同時に、大人達にはどこの誰かを知ってもらいたい。

 そんな気持ちで、祭りの充実を目指して3年になる。今年は、『浦安の舞』の衣装も、宝くじの補助金で手に入れることができた。中学男子の有志が『獅子舞』を舞ってくれることになっている。

 みんなで子ども達の活躍に関心を持ち、村の子ども達を暖かく見守っていきたいものである。生活スタイルの変わった今こそこうした方面に力を入れていきたいものだ。

順調に育っている我が家の里芋(左)とショウガ(右)

順調に育っている我が家の里芋(左)とショウガ(右)

(日記 午前中、『浦安の舞』の衣装や小物に「宝くじ」のマークを取り付け、写真に写した。午後は、畑を耕し、大根を植える場所を作った。家庭菜園作業の後、里芋とショウガの出来具合を見た。まあまあのできだった。)

 
 

郷土芸能

05 9月

宝くじの支援を得て
  片瀬伝統の銭太鼓を新たなものにして3年。自前の楽器や祭りの備品の購入のために、宝くじの補助金を申請して採用された。今日は、購入した備品のうち、浦安の舞の衣装と獅子舞に宝くじのマークを取り付けた。

宝くじの補助金で購入した獅子頭。中学生が演ずることになっている。

宝くじの補助金で購入した獅子頭。中学生が演ずることになっている。

 これまでも、三味線や笛、太鼓などに宝くじのマークを取り付けたし、放送機器にもマークを取り付けた。今日は、獅子舞と浦安の舞の衣装や備品にマークを取り付けて、写真を撮った。かなりの時間を要した。

 これらの備品を有効に活用して、地域作りや郷土芸能の振興、地区の『農事組合法人かたせ』の農産物の宣伝活動に活用したいものだ。

(日記 午前中は、宝くじの補助金で購入した備品にシールを付けてデジカメで写真を撮った。午後は、三室太鼓の新曲の楽譜作り。その後、久々に音楽ソフトを活用してデキシーランド

三室太鼓の大人の部の練習。いつもより時間をかけて新曲を練習した。

三室太鼓の大人の部の練習。いつもより時間をかけて新曲を練習した。

ジャズの研究。ごご6時半より横浜の孫の『爺ちゃん勉強』。午後8時より遅羽公民館で三室太鼓の子どもと大人の太鼓をそれぞれ指導。今日は新曲の練習のためいつもより長く練習した。)

 
 

ハワイアンギター

04 9月

バイトで買ったハワイアンギター
   今から、約52年前、大学に入学。バンドをやりたいと寮の仲間とメンバーを募集していた頃、一級先輩の工学部の連中が軽音楽同好会を作るという。

ハワイアンバンドのデモンストレーション。

ハワイアンバンドのデモンストレーション。

  そこで、私たちも加わることにした。私はドラムでレギュラー。しかし、ドラムは一人で演奏するには適していない。そこで、当時流行っていたハワイアンギターをやってみようと決めた。

  当時は、ハワイアンバンドがいくつもあった。また、ハワイアンバンド系で流行歌を歌うグループもたくさんあった。和田弘とマヒナスターズやバッキ-白片とアロハハワイアンズ、大橋節夫とハニーアイランダースなどを思い出す。

  また、こうしたハワイアンと共にウェスタンバンドも流行っていた。これらに共通していたのはスティールギター(ハワイアンギター)だ。私もその独特の音に魅せられた。

  アルバイトをしてハワイアンギターを手に入れた。そして、ドラムの合間に弾いて楽しんでいた。学校を卒業しても、少しの間はこのギターを弾いていたが、その後、きっぱりと弾くのを止めていた。

みんなで基本練習。五つの基本動作を練習した。

みんなで基本練習。五つの基本動作を練習した。

  それが、2年前の大学軽音楽部のOB会演奏会で再びバンドを作ってこのギターを弾くようになった。そのうちに、いつかは、フラダンスチームと共に、ハワイアンソングを演奏してみたいと思うようになった。

  そして、昨年、それが実現した。時々はやってみたいと思う。今日も、野向公民館のフラダンス教室を引き受けたからだ。引き受けてみて、思ったことだが、少し後悔している。

  エーエム図最初にハワイアンギターのデモンストレーション。次に、私のハワイアンギター、家内の歌で4人の女性(太鼓メンバー)がフラダンスを踊ってくれた。その後、フラの基本動作の練習。何とか終わった。

 民謡を指導するようにはいかない。アシスタントが不可欠だった。太鼓の4人のメンバーに感謝したい。彼女たちのおかげで野向でのフラ教室は無事終わった。

みんなでフラの基本動作の練習。参加した皆さんは楽しそうだった。

みんなでフラの基本動作の練習。参加した皆さんは楽しそうだった。

(日記 午前中は、フラダンス教室の教材作り。午後は、ハワイアンギターの演習。午後4時過ぎに、野向公民館へ出向いてアンプなどの設定。午後7時寄り野向公民館で『フラダンス教室』。4人のアシスタントのおかげで無事終わった。)

 
 

雨もまたよし

03 9月

創作日和
  最近、雨が続いている。時々晴れるが、時々雨も降る。従って、家庭菜園作業はできない。そこでできることと言えば、パソコンに向かっての創作作業だ。

  晴れると、農家の人間は、何となく落ち着かないのだ。晴れているのに室内にいると、何をやっていても何となく罪悪感を感じてしまう。これは、百姓の人間の性なんだろう。

  そんなわけで、ここ数日は、心置きなくパソコン作業ができる。まさに“雨もまたよし”という気分だ。しかし、これは雨による災害が発生していないからだ。

  ここ最近、雨による災害が全国各地で相次いでいる。日本は、温帯から亜熱帯になったのではという意見を聞いたことがある。世界的な工業化の影響で地球温暖化が進んだのだろうか。

 異常気象という言い方があるが、こう異常気象が続くと「異常」と考えるよりもこれが普通なんだと考えて対処した方が良さそうだ。変な時代になったものだ。

 冬も、創作には適しているが、雪が多いと、安閑としてはいられない。玄関や車庫周りの除雪、屋根の雪おろしが待っているからだ。やはり、適度に雨の降る季節の方がよい。

(日記 午前中は、映像編集。午後は、親鸞聖人のアニメがあるというので、家内と二人で福祉健康センター『すこやか』へ出かけた。紙芝居作りには参考になった。帰宅してからも、DVDの編集作業。午後5時半から太鼓のメンバーのSさんに頼んで明日のフラダンス教室の事前練習。基本動作を確認した。)

 
 

二つの体操

02 9月

健康維持のために
  健康維持のためには、二つの体操が必要だと思っている。一つは身体の体操でもう一つは頭(脳)の体操だ。二つを同時に鍛えるには、音楽に合わせて踊ることがよいと思っている。

 そんなわけで、私は、盆踊りの復活をこれまで考えてきたし、これからも考えていきたいと思っている。音楽に合わせて踊るといっても、年齢によっていろんな種類の踊りがあるだろう。

  ジャズダンス、ヒップホップダンス、リズムダンス、エアロビクス、フラダンス、ヨサコイ、民謡、日本舞踊等様々なものがあろう。音楽に合わせて身体を動かすということは、心身にかなりの負荷がかかるだろう。

昨年、市営プールで披露したフラダンス。

昨年、市営プールで披露したフラダンス。

  この負荷が、身体と頭(脳)の体操になるのだと思う。そんなことを考えていたら、野向のNさんから、「誰かフラダンスを教えてくれる人はないか」と電話。

  金さえ出せば、指導者は県内にはいくらでもいると思う。しかし、どういうわけか、私が引き受けることになった。もちろん、私一人では教えきれないので、太鼓の若いメンバー(女性)の力を借りることにした。

  協力してもらえるのでありがたい。これまで、二度ばかり人前でバンド付きのフラダンスを披露したことがある。まだまだ十分ではないが、健康作りの役に立つ程度のことはできるだろう。

 最初の、デモンストレーションは明後日、公民館で行う。私は、先ず、フラダンスのデモンストレーションと教材作りだ。踊りの方は女性にまかせて、私はハワイアンギターを弾くつもりだ。

  といっても、久しぶりにハワイアンギターを弾くので、少しは練習しなければならない。50年前にアルバイトで買ったギターを今も使っている。今日は、事務所でカラオケを使って練習した。

事務所でハワイアンギターの練習。

事務所でハワイアンギターの練習。

  果たして、野向地区にフラダンスをやってみたいという希望者はいるのだろうか。とにかく明後日実演をしてみて、その後、どのように公民館で教室を開くかだ。

  変なことを引き受けてしまったなあと少し後悔している。しかし、健康に役立つことだけは、自信を持って言えると思う。高齢化社会には、「踊ることは、生きること」に近いと思っている。

(日記 区の事務処理。書類を書いて市役所で向かった。その後、歯医者へ行った。歯は悪くなってもよくはならない。歯医者へ通う時間もモッタイナイ。これは自業自得か。午後は、ハワイアンのカラオケ作り。午後3時過ぎに、事務所で家内とハワイアンソングの練習。バンドまでは大袈裟なので、今回は、歌とハワイアンギターとフラダンスは生で、後はバンドカラオケを使うつもりだ。午後7時半から、横浜の孫の『爺ちゃん勉強』。その後、『八重の桜』のビデオを見る。健康忙しい一日だった。)

 
 

だまし絵展『フシギフシギノクニ』

01 9月

「さあ、出かけよう!錯視さがしの旅!」
  朝、新聞を見ていたら、子ども歴史文化館の特別展『フシギフシギノクニ』は今日が最終日だという。一度見たいと思っていたので、昼食後、家内と二人で福井へ向かった。

見る方向によって、床に滝があるように見えるだまし絵。福井の孫達も、楽しんでいたようだった。

見る方向によって、床に滝があるように見えるだまし絵。福井の孫達も、楽しんでいたようだった。

  さすが、最終日。駐車場は車で一杯。500m離れた福井市保健センターで駐車しなければならないという。それなら、福井の娘の家族も誘っていこうということで、二人の孫と一緒に、再度、子ども歴史文化館へ。

  三国港の突堤などを設計したオランダ人技師エッセルの生誕170年にちなみ、その息子で、だまし絵で有名な画家エッシャーの作品も展示してあるのだ。

  館内へ入ると熱気むんむん。たくさんの親子が見に来ていた。見る方向によっていろんな見え方がしたり、見ル方向によってあるモノが消えたり、実際とは違うように見えたりするのだ。

  また、同じ色でも周りの状況によって違う色に見えたり、同じ大きさのモノが異なり大きさに見えたり、平行線がそうでないように見えたりするのだ。

 よく『百聞は一見にしかず』と言われるが、人間が見ているモノも正確なようで、実は心理的な影響を受けて、実際とは異なって見えるのだ。それが、錯視であるのだ。

 錯視を楽しむのはよいが、それによって生活に悪影響を及ぼす場合はよくないので気をつけなければならない。いろんなモノの設計に、これらを上手く生かす場合、危険を避けるために配慮しなければならない場合があるのだ。

  例えば、高速道路の場合だが、長い下りの後、平地が続くと、その平地が登りのように見えるらしい。そのため、ドライバーは平地を登りと勘違いしてアクセルを踏むことになる。

  平地を登りと勘違いしてアクセルと踏めば、異常な速さで車が走行することになり、危険だ。もっと言えば、長い急な下りの後、緩い下りになっても、その緩い下りは登りに見えるのだという。危険な走行になる。

  今日の子ども歴史文化館は、錯視を楽しむのだ。人間の目は、周囲に影響されて実際とは異なって見えるから不思議だ。私も一度実験したいと思っていることがある。

 地面に絵を描いて、ある地点から見ると立体に見える絵だ。是非とも実験してみたいと思う。紙に絵を描いて、子どもたちの前で実験しても面白いかも知れない。是非ともやってみたい。

(日記 午前中、役員会の案内作りや区の事務処理。デキシーランドジャズの楽譜が入手できたので、編曲練習のために、その一部をパソコンのソフトで入力してみた。楽しかった。昼食後、福井の孫達を誘って子ども歴史文化館へ特別展『フシギフシギノクニ』を見に行く。前々から、実験してみたいと思っていたことを是非とも実現してみたい。その後、福井で孫達と早めの夕食。結構疲れた一日だった。)