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Archive for 5月, 2013

獣害

31 5月

過疎化する山村と鳥獣害
  地方のまちはどこも少子高齢化が進んでいる。市街地も、周辺の農村部もこの傾向は変わらない。特に、山際に接している地区では、少子高齢化が進むと同時に、鳥獣害に悩まされている。

大型のねずみ取りにかかったハクビシン。

  山間部では野菜や米を作ろうと思うと、猪の害を防ぐために何らかの対策を取らなければならない。今のところ、我が地区では山間部の田んぼには電気柵で周囲を囲んでいる。

 田んぼを接する隣の平泉寺地区では、電気柵では効果がないのだろうか、鋼管の柱を立て金網を張っている。田んぼを檻で囲っているようなものだ。いずれは我が村もそうしなければならないだろう。

 獣害と言えば、カモシカも木の皮を剥ぎ、木々の若芽を食べ、樹木に大きな被害を与えている。場所によっては、杉の木さえも枯れ始めている。また、イチゴやスイカやトマトをかじりにハクビシンなども来るという。

 隣家のKさんは、今年に入ってハクビシンを3匹捕まえたという。その話を聞いていたので、「今度、ハクビシンを捕まえたら連絡して」と頼んでおいた。早速、昨日電話がかかってきた。

  Kさんの田んぼの作業場へ行くと、大型のねずみ取りの中に捕まえたハクビシンが入っていた。何とか出ようとして、かごの中を動き回っている。時々、こちらをにらんでうなり声をあげている。前足の指を器用に動かして金網をつかんだりしている。

顔をよく見ると、とても愛くるしい。彼らも生きるために餌を探しているのであろうが、人間から見れば非常に腹立たしい存在だ。

  Kさんによれば、イチゴを両手でつかんで食べ、ヘタ(萼:がく)は捨ててしまうそうだ。人間がイチゴを食べるのと同じだ。イチゴを栽培している者にとっては全く腹立たしい。瓜や西瓜も同様の被害に遭っている。

  しかし、ハクビシンの顔を見ているとなかなか愛嬌があり、かわいい。帰宅して家内に写真を見せたら、「親が帰りを待っているかもしれんね」という。そう言われてみると、もしも、捕まったハクビシンが親だったら、子供達が帰りを待っているかもしれない。

  そんなことを考えると少し気の毒な気がする。しかし、放っておけば、農作物をどんどん食べ尽くすから始末が悪い。少子高齢化が進むと、こうした鳥獣が今よりももっともっと増えるだろう。

  それに、最近鳥獣害対策についての講演がありそこで聞いた話だが、嶺南地方に多い猿が今奥越地方へ進出中だと言う。今でも、奥越地方に猿がいるが、これがどんどん増えたら生活に多大な影響を与えるだろう。鳥獣との共存がこれからの大きな課題になりそうだ。

竹プランター作りに使う竹を準備した。加工は区民の民さんにやってもらうつもり。

(日記 朝一に里芋の畑の除草。その後、ショウガの芽出しのための黒マルチを外した。ショウガはなかなか芽が出ない。ようやく、小さな芽が2本見えただけだ。午前9時から青竹のプランターを作るための材料を揃えた。そして、大工のYさんに両端を切ってもらった。明後日の運動会の後、竹プランターを完成させて花を植えるからだ。午後1時半から勝山市森林組合連絡協議会の総会に参加。林業はほとんど生業にはならないことを知らされた。木を切ったら、儲かるどころか出費がかさむのが現状だ。日本の森林を維持するためには、莫大な資金を投入しなければならない。農業以上に持続不可能だ。今や外材と集積材(薄い板を合わせて作った柱など)で杉の木などは金にならないらしい。悲しいことだ。帰宅してから新たな紙芝居の絵描き。保育紙芝居だ。夕食後、家内と二人でウオーキング。気持ちがよかった。)

 
 

『食べ処 かじかの里山 殿下』でバイキング

30 5月

豊富な田舎料理
  昨日、知人のTさんから電話がかかってきた。「殿下の郷土料理レストランへ行かんか」ということだった。まちづくりの参考になるだろうということで同意した。

沢山の食べ物が並んだバイキングレストラン『食べ処かじかの里山殿下』。

  そして、今日午前9時半、公民館へ集まり5人で越前海岸近くの殿下へ向かった。1時間ほどで、『食べ処かじかの里山殿下』へ到着した。このレストランは「高齢者等活性化センター」の中に設けられていた。

 午前11時からということだったが、少し早めに始めてくれた。30種類ほどのメニューが並んでいた。バイキング方式なので自由に食べればよいのだ。値段はそばと味噌汁(呉汁)もついて800円だった。

  このレストランは、十数人の女性で運営されているそうだ。そして、毎日、7、8人が交代で午前11時頃から午後2時半まで昼食を提供することになっているのだ。

  これだけの種類の食べ物を自由に食べて800円は本当に安いと思う。我々の他にも次々と客が訪れていた。料理の後、50円でコーヒー(そば湯入り)をいただいた。

美味しそうな料理の数々。

 ここの呉汁は、大豆の粉を味噌で熱湯で溶いたものだ。私の集落では、呉汁は茹でた大豆をミキサーでひき、これに味噌を加えて煮るのだ。そして、沸騰する前にいただくのだ。所変われば品変わるということだろう。

  帰りの車の中や、公民館へ着いた後も、「もしも猪野瀬でこうしたことをやるとしたらどうなるだろうか」と話し合った。意見の一致を見るところは「報恩講料理」だろう。うまくやれば見劣りはしないのではなかろうか。

 参加者は、実際に現地を見ただけに、まちづくりについて熱く燃えていた。果たしてアクションに繋がるだろうか。試験的にでもやってみたい気がした。楽しい一日だった。

(日記 午前9時半より、猪野瀬地区のまちづくり関係の者5人が、福井市の殿下地区のバイキングレストランへ視察に出かけた。往復の車中いろいろまちづくりについて話し合うことができたし、帰ってからも公民館で視察についての感想を述べ合った。行動に繋がればと思う。)

あまりにも沢山のメニューで全部食べることができなかった。

 
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雨もまた良し

29 5月

梅雨近し
  今日は、小雨。こんな日は室内でできることに集中できる。朝食後、家内と今日の作業目標を決めた。午前中は、居間の模様替え。冬から夏への模様替えだ。いつもはゴールデンウイーク後にする作業だが今日まで延びていたのだ。

  最近使っていなかったこたつを片づけ、床に敷いてあった絨毯を巻き上げ、オットマンつきのいすを並べた。作業は午前中で終わり。午後は、自由時間。

  先ず図書館へ出かけ、本を借りた。教育関係の記事の載っている雑誌2冊、親鸞聖人関係4冊、新たな紙芝居の絵の資料にする図鑑などを2冊、歴史の本を2冊借りた。

  帰宅して、幼児用紙芝居の動物の絵を描いた。その後、幼児が知っているキャラクターの絵も描いた。一昨日制作を依頼された『奥越前はげっしょ鯖物語』の絵も描かなければならない。保育用紙芝居の絵も描きたい。

  当分の間は、人前で話すための補助的なものとしての紙芝居制作が続く。他に、私も所属する『かっちゃま児童文学会』のために童話を書かなければならない。

  いずれも創作活動だ。定職を持たない私は今、『晴耕雨パソ』で毎日を送っている。今日のように雨が降ると落ち着いて、ラジオやテレビを聴きながら(見るのではない)、創作活動ができる。雨の日は本当に気持ちが落ち着く。創作日和だ。

  もう少し時間ができたら、書きかけの小説(もどき)を完成させたい。『トマト』というタイトルだ。筑波科学万博の頃は1本のトマトから10,000個の実を実らすことができたが、今は、1本の苗で20,000個近くのトマトを実らすことができるらしい。

 トマトでさえも、成長の阻害用件を除去すれば無限の可能性があるのだ。人間に取っての阻害用件は何だろうか。少しでもそれを取り除けば、無限の可能性を発揮できると信じたい。

 しかし現実には、必ず一人一人の可能性を伸ばしているようには思えない。大人の指導も、時には子どもたちの「考える機会を奪っている」場合が少なくないからだ。そんなところを、書きたいのだが。

(日記 朝一に区の用事で市役所へ行く。帰宅して居間の模様替え。午後は図書館で資料を借り、紙芝居制作作業。午後7時半より横浜の孫に『爺ちゃん勉強』。これは私にとっては楽しみの一つだ。)

 
 

ムービングゴール

28 5月

外交戦略
  最近の政治や外交における種々のニュースを聞いていると、簡単には解決しないなあと思ってしまう。そんな中で、某評論家の言った「ムービングゴール」なる言葉に納得した。

  例えば、サッカーなでどゴール(ポスト)を動かしたら、いつになってもシュートできず試合が終わらない。日本は今いくつかの問題を抱えている。そして、周辺国はそれらの問題の解決を迫っている。

   その評論家によれば、「実は解決を迫っているように見せかけて、本当は解決を望んでいない」というものだ。そうすれば永久に日本をたたけるからだという。自国に何か問題が発生したら、未解決の問題を持ち出して日本をたたけばよいからだ。

 「ムービングゴール」は、「ゴールを動かしてシュートさせない」とも言えるし、「ゴールを動かすのではなくゴールを隠してしまってシュートできないようにしている」ともとれる。

 外交に於いては、日本の常識を頭に置くと、解決を誤ってしまう。対立した結論を用意して相手を論破するディベート(アメリカなどでは子供の頃から行う)では、正しいか正しくないかではなく、いかに相手を打ち負かすかで勝敗が決まるのだ。

 こうした面では、日本はお人好しであまり強くない。常に責められっぱなしでは情けない。かといって武力を背景に強く出るわけにも行かない。順風満帆で出発した総理も今苦境に立たされている。

 よほどの外交戦略を練らないと、常に責められ続けるのではなかろうか。国の舵取りは本当に難しい。橋下市長も今、自分の発言で苦労している。一度発した言葉は元へは戻らない。弁解しようにも説得しようにも、簡単にはいかない。

(日記 朝から風が強い。午前中、家庭菜園へ行き、トマトとトウモロコシの支柱の補強。午後は、もっぱら紙芝居の絵描き。ようやく、『親鸞聖人物語』の最後の絵を描き上げた。丸々5ヶ月かかった。これから、校正して脚本を書き、最後の仕上げをしなければならない。次の作品が待っているので急ぎたい。)

 
 

花の咲くまちづくり

27 5月

端材で作ったプランターに福井国体の花「マリーゴールドとサルビア」を植える家内。(於:片瀬集会場前広場)

平成25年度『四季折々の花の咲くまちづくり事業』始まる

  雪解けの3月以来、集会場や各家庭の道路沿いで綺麗な花を咲かせてくれたパンジーも最近くたびれてきた感じがする。しかし、ナデシコは今も綺麗に咲き続けている。

  思えば、昨年暮れに色とりどりのパンジーや色合いの違うナデシコを区民の皆さんに配り、それぞれ育てていただいた。私は、自宅と集会場にある手製の木製プランターなどに同様の花を植えて家内と共に世話をしてきた。

  今度は、夏から秋に向けての花を植え替える季節がやって来た。次の日曜日の区民運動会終了後に、竹製のプランターを作ったり、花を配ったりして今年の我が村の花作り運動を開始するつもりだ。

  午後1時から区の役員のYさんと山へ竹取りに出かけた。次の休みに手製のプランターを作る材料だ。約二間の長さの竹を十数本運んだ。当日は竹プランターを作り、そこに花を植えて持ち帰って貰うつもりだ。

  今日は、一足早く、集会場のプランターの花の植え替えを行った。今日植えたのは、ベコニア、日々草、そして福井国体の花と言われるサルビアとマリーゴールドなどだ。昨年作った竹やコア(端材)の手製プランターに植えた。

  今日から、花との新たな関係が始まる。今は1日に1回だが、そのうちに1日2回の水やらが始まる。狭いプランターの中での生活だから、花も大変だろう。それでも、綺麗な花を咲かせて応えてくれるのがうれしい。

『爺ちゃん勉強』の後、練習中のピアノを私達に聞かせてくれる横浜の孫。

(日記 午前中は、家の周囲の生け垣の剪定。午後は、プランター作りのための竹切り。軽トラで竹を集会場まで運んだ。その後、家内といっしょに集会場の花の植え替え。午後7時半より横浜の孫の『爺ちゃん勉強』。勉強の後、歌を歌ってくれた。最後には、ピアノも聞かせてくれた。少しずつ上手になるようだ。家内は、2度目のイチゴジャム作り。)

 
 

越前大仏『開創二十六周年大祭』に参加して

26 5月

思い出すこと
  「片瀬に日本一の大仏ができるんにゃと」という話を聞いたのは、今から30年あまり前だったと思う。その後決定すると村は騒然。門前町で土産店を始める優先権は田畑を提供した片瀬区民にあったからだ。

越前大仏住職の山川老大師の法話。

 直接自分で店を始める人、店の権利を取って仲間で店を始める人、権利を取りそれを譲渡とする人などいろいろだった。そして落慶。あふれかえる参拝客。そして閑古鳥が鳴く寂しさ。いろいろありながら、26年が経過した。

  一方、私は「越前大仏落慶を機に何か子どもたちに郷土芸能を作りたい」と考え、小学校低学年を集めて『越前勝山春駒太鼓』を創設した。私の創設した春駒太鼓は、もうすぐ28年を迎えることになる。

  メンバーは何代か変わったが、今も続いている。親子太鼓と、若者による太鼓だ。今年は、太鼓にも少し力を入れたいと思っている。また、越前大仏門前町の活性化にも何度かチャレンジしたが、ここ3~4年は手を引いている。忘れたわけではないが。

  大祭法要の後、山川宗玄老大師の法話があった。そして、精進料理による昼食。日本各地からいろんな方々が法要に参加していた。近くにある大仏だけに、落ち着いた宗教施設として地域で存在感を発揮していただきたいと願う。

  昼食会場では、越前大仏の木村監院さんともお会いできた。以前にはしょっちゅう顔を合わせていただけに、懐かしかった。最後に、木村監院さんの謝辞があった。その中で「人生悔いなしと言えるような一生を終えたい」と言う話があった。

  この部分は全くそうだと思った。「いつでもできること」、「今しかできないこと」を区分けして、後者に力を入れたい。少しずつやりたいことができない年齢になっていくのだから。いろいろ考えることのある日だった。

婦人会による公園清掃。これで、来週は気持ちよく区民運動会ができる。

(日記 午前6時より婦人会による公園の草取り。私も少しだけ草刈り機で応援。午前9時より『越前大仏開創二十六周年大祭』に片瀬区長として参列。午後は、家庭菜園で、エンドウに鳥害防止のネットを張ったり、キュウリの支柱にネットを張ったりした。途中で、知り合いが来て『半夏生鯖』の紙芝居を作ってほしいと頼まれた。帰宅して、短時間だけ、完成間近の紙芝居の絵を描いた。)

 
 

退職者N君のこと

25 5月

三ヶ月のヨット旅行
  今日は、「爺ちゃんバンド」の練習日。ひと頃は、「おじさんバンド」と言っていたが、孫がいるのでおじさんを通り過ぎて爺ちゃんになってしまったからだ。

  今日は、私の事務所に8人のメンバーが集まってきた。福井2人、坂井市3人、石川県2人、大野市1人、そして私の計9人だ。楽器で言えば、トランペット、トロンボーン、フルート、ギター、バンジョー、ドラム、ベース、ウクレレなどだ。

山頂でもてなしのオカリナ演奏。気持ちがよかった。

  その中に、石川県のN君がいる。彼は、退職以来、連日農業に励んでいる。大規模農業を行っている会社で働いているのだ。アルバイトとも言えるかもしれない。彼は退職者としては、一番ハードな仕事をしているかもしれない。

  彼は、数多くの楽器や音響機器を持ち、我がバンドではなくてはならない人だ。その彼が、突然「3ヶ月間、友達と3人で日本海をヨットで旅行するのバンドを休む」と言い出した。「えっ?ヨットもやるのか」とみんな驚いた。

  というのは、彼は音楽の他にも日本画をやっているからだ。彼の話によると、韓国へも寄港するらしい。宿には泊まらず、全てヨットの中らしい。できれば日本から韓国へのヨットレースにも出たいとのことだった。

  退職した今だからこそ出来るという旅行だという。私には、ヨット旅行というよりも、大冒険に思えてしまう。しかし、仲間3人はいずれもヨットを操縦する1級の資格を持っているとのことだ。

山頂で一休み。おにぎりや豚汁をいただいた。

  私よりも若いが、その行動力には驚くと共に、大きな刺激を受けた。旅行中にも電話をくれるという。航海の安全を祈りたい。それにしても、やることがでかい。まさに大冒険に思えてしまう。全長8m程の小さなヨットらしい。

(日記 午前9時半、オカリナのメンバーと共に私の事務所を出発して、大師山山頂へ向かう。今日は、我が猪野瀬地区が主催する『自然観察会』だ。大師山の自然を観察しながら山頂へ向かうのだ。山頂では、豚汁とおにぎりを振る舞う。下から運んだトイレまで設置してあるのだ。私の役目は、参加者を音楽でもてなすのだ。猪野瀬地区でオカリナを練習している5人が『花は咲く』など7曲を繰り返し演奏してもてなした。快晴の山頂でとても気持ちがよかった。その後帰宅。午後は『爺ちゃんバンド』の練習。午後6時過ぎまで熱心に練習した。午後7時半より、スカイプによる横浜の孫の『爺ちゃん勉強』。勉強の後、1歳の孫とのふれあい。色々あった一日だった。)

山頂でもてなしの豚汁を準備する食生活改善推進員のみなさん。

 

スカイプで横浜の孫と少しずつ顔見知りになっていく。「じいじ」「ばあば」と言えるようになった。

 
 

童話

24 5月

創作の楽しさ
  目の前のテレビで『ごんぎつね』などの作者・新美南吉についての番組が放映されている。作家と言われる人は、「うまく童話を書くなあ」と感心してしまう。特に、短く上手な作品を書く人は素晴らしい。私には絶対できないのでうらやましい。 

  書くことを含めて、創作活動は素晴らしいと思う。無から何かを産み出す作業は尊いと思う。私も童話や歌を作っているが、なかなか満足する作品は作れない。それでも、創作して完成した瞬間は充実感がある。

   しかしこの頃、何となく忙しくて創作どころではない。童話を書いてみたいし、それを紙芝居にして子供の前で演じてみたい。拙い作品でも喜んでくれる子供の顔を見ると作ってよかったと思う。

  いつも思うが、何を作品にするかが問題だ。普段から考えていないとなかなかいいアイディアが浮かばない。この頃は若い頃に比べると創作に時間がかかるように思う。作り出したら、今も若い頃も変わらないが、出だしが大きく異なるように思う。

  時々、アイディアが浮かぶが、それをすぐに書き留めておかないと、しばらくしてからでは思い出せない。いつでも、メモ帳を持っていないと不安だ。小型のノートを何冊も持っていていろいろ書き留めているが、時にはノートのある場所さえ忘れてしまうこともある。

 人生のかなりの時間をモノ探しに費やしているように思われる。今は、東北に繋がる新しい歌を作ってみたいと思って、あれこれ考えているがなかなかいいアイディアが浮かばない。年に2曲を目標に焦らずに創作活動に励みたい。

明日の戦没者慰霊祭の準備のために勝山・猪野瀬両地区の区長と遺族の方々が集まって、招魂社の清掃や準備を行った。

(日記 午前中は、カラオケの楽譜作り。午後1時半より明日の『勝山・猪野瀬地区戦没者慰霊祭』の準備のために、長山公園へ出かけた。しばらく作業をして帰宅。その後、久々に紙芝居の絵描き。後2枚になった。早く完成させてお年寄りの前で演じてみたい。といっても、私もその年寄りだが。)

 
 

スタンフォード大学

23 5月

シリコンバレーを支える
  自民党参議院候補者・滝波宏文勝山後援会の発会式があった。区長という立場で参加した。会場はJA勝山支所の研修センター。会の始まる前にトイレでばったりと滝波氏と会った。

  少しだけスタンフォード大学について立ち話。その後、会が始まって滝波氏の挨拶。冒頭で「さきほどスタンフォード大学について質問を受けました。……」と話ながら、挨拶が始まった。

 後援会発会式は、短時間で終わった。その後質問になった。最初に市長が質問した。「司会者がスタンフォード大学について質問してもいいですよ。」といったので私が質問。

 10年ほど前だろうか、NHK特集で『世紀を超えて』という番組をやっていた。シリコンバレーで創業する若者や、それを支援するスタンフォード大学、エンジェルと言われる投資家などについて放映されていた。

 何よりも、若い人たちがのびのびと起業する環境が素晴らしいと思った。パソコン大手のヒューレットアンドパッカードをはじめとして、グーグル、アップルなどそうそうたる会社がこの地で生まれたのだ。
 
 とても感動した。そこで、当時、番組の全てを文字化して、動画から静止画を切り取り、簡単な冊子を作った。そして、周囲の者に配った。

  いつかは、シリコンバレーやスタンフォード大学を取材してみたいと思っていた。ところが、今回立候補した滝波氏はスタンフォード大学へ留学し、同大学の客員研究員でもあるということを知った。

  また、2月頃配られた滝波氏の後援会パンフレットには、
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 企業のガッツ回復
 ●創業活動(イノベーション)に向け、これまでにない規模・方法で公的リスクマネーを供給
  :「日本版シリコンバレー」の創出
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

後援会発会式での「頑張ろう三唱」。中央最前列が滝波氏。

と書いてあった。これは、是非ともスタンフォード大学について聞いてみようという気持ちが強くなった。そこで、今日はこれらの一部を質問してみた。なるほどと思われるような回答があった。

 いつかもっとゆっくりスタンフォード大学について聞いてみたいと思った。これからの日本を動かすのは彼らのような若い力だ。これまでの候補者にはない若さとビジョンを持っているようだ。今後の活躍に期待したい。

(日記 午前10時より鹿谷町のおばさん達に、銭太鼓の指導に出かけた。かなり上手になった。来月の鹿谷町の敬老会に出演するらしい。午後は、『かたせ瓦版』をコピーし他の配布物と共に班長宅へ配布。午後7時より自民とう参議院議員候補者・滝波氏の後援会発会式に出席。ようやくのんびりできる状況になった。)

 
 

本番に間に合うか

22 5月

防災組織は作ったが
  午後1時半より、教育会館で『勝山市区長連合会総会』が行われた。総会の後、市長、教育長の話があり、質疑応答が行われた。その中で、「防災組織を組織したが、今後どうしたらよいか」との質問があった。

  普段の訓練が本番で生かされるかということだ。これは、簡単なことではない。本番の災害では、想定外のことが起こるからだ。思い出すのは、足羽川周辺に大きな被害をもたらした福井豪雨でのことだ。

  想定した連絡網は全て使うことができなかった。先ず普通電話による連絡網は全て通信不能。携帯電話も全く役に立たなかったという。それならば、車で連絡できるかというと、川の氾濫で道路は交通不能。

 事前に計画しておいた連絡網は全く役立たなかった。その後、我が勝山でも電柱にスピーカーを付けた防災無線を設置することになった。昔、漁村などにあったと思っていた通信網が、今の時代でも役立つと思うからだろう。

『勝山市区町連合会総会』で基調講演をする市長。

 これも、暴風雨の場合、はたして内容を聞き取れるかとなると不安がある。晴れた日には耳を澄ませば聞こえるが、おそらく暴風雨の場合は聞こえないだろう。常に、平時の常識は本番の災害では役立たないこともあることを知っておかなければならないだろう。

 ひとたび事が起こると防災班も殆ど機能しない可能性もある。なぜなら、災害がいつ起こるか分からないのだから、各種団体の長で組織した防災組織が機能する保障はない。福井など遠方の勤務先にいる可能性があるからだ。

 今回の瓦版に、防災について書いておいたが、普段から地震や火災に対してどのように備えればいいのか、どうしたら家族を安全に避難できるか、無事に逃げ出せるのか、防災機器の備えはどうかなど、他人を当てにせず、それぞれ自分自身から考えなければならないと思う。

 「自助」、「共助」、「公助」という言葉があるが、先ずは「自助」をしっかりしておかなければならない。そうでなければ他人を助けるどころではない。

  そのためにも、自ら防災意識を高めておかなければ、いざというときに役立たない。防災については、区民と一緒に考えてみたいと思う。今の世の中、想定外のことが十分起こりうるのだから。

(日記 午前中はバンドのカラオケ作り。『かたせ瓦版』の仕上げ作業。午後1時半から『勝山市区町連合会総会』。午後7時半より、大師山での「自然観察会」でのオカリナ演奏のための練習。慌ただしい一日だった。)