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『じいちゃんの子供時代』

19 1月

先輩に聞き取り
  自分たちの子供時代には何をしてきたのだろうか。ずっと前から何らかの形で記録しておきたいと思っていた。文才があるならば、『じいちゃんの子供時代』というタイトルで本でも書きたいぐらいだ。

  とにかく、本にするしないに関係なく、記録には残しておきたい。今日は、その第一段として、村の2歳年上のTさんに話を聞くことにした。いろいろ接点が多かったからだ。

  集会所で、飯を食べながら、酒を飲みながら、ICレコーダーで聞き取りをした。というよりも、雑談を楽しんだ。考えてみれば、昔は子供ながら工夫をしながらいろんなことをして、楽しむながら、生きてきたことが分かる。

村のTさんと『じいちゃんの子供時代』について3時間あまり対談。楽しかった。 

  それぞれの季節にそれぞれの楽しみがあったように思う。今はもう昔に戻ることができないが、「温故知新」の言葉のごとく、昔から学ぶことはいくらでもあるように思う。

  昔、子どもたちがなぜ生き生きして生活してきたのかというと、その答えは簡単だ。「何もなかったからだ」。その点ではTさんとも話が一致した。何もないから、子どもたちの出番があったのだ。

  何もないということは、“一升瓶の中の水と空気の関係”で水が多ければ空気の部分が少なくなり、水が少なければ空気の部分が多くなるのだ。

  すなわち、子供に与えるものを水にたとえれば、今の子どもたちは、水の中におぼれている。自分で考える機会を大人に奪われていると言っても過言ではない。大人の考えた手っ取り早い遊びが氾濫している。

  私たちの子供(中学)時代のキャンプはシンプルだった。先ず子供だけで計画し実行したのだ。食料はナスとジャガイモと米、そして醤油だけ、後は“わら”を一束と「のこぎり」と「なた」だけを持って裏山(大師山)へ出かけたものだ。

  山へ到着したら、先ず木を切り、草を刈って、泊まるための小屋を作るのだ。屋根は“山茅”と持参した「わら」で葺き、床にも山茅を敷いたのだ。そして、真ん中にはいろりを掘り、夜通し火を焚きながら、あれこれ話し合ったものだ。

  水は頂上にはなかったので、少し下ったところまで汲みに行かなければならなかった。これらは下級生の役目だった。薄暗くなると、山道は怖かった。しかし、それでも、楽しいキャンプだったと思っている。何よりも、子供だけで実行できたことがよかった。

  今日はTさんといろんな話ができた。簡単な文章にしておきたいと思う。スキー場がなくても、村の坂道や山道や土手などでスキーを楽しんだのだ。スキーを持っていなくても、一本のスキーで5、6人が乗って坂を下ったりしたものだ。

  石ころと瓦さえあれば、瓦倒しができたし、字を書ける石と小石があれば“16さし”などのゲームもできたのだ。空き缶一個さえあれば、“缶蹴り”をして暗くなるまで遊んだりもした。テニスボール一個で野球もできた。

  子供だけで、村の山際の斜面でスキー大会まで実行したのだ。ストップウオッチがなかったが、「1、2、3、……」とストックを上げ下げしながらカウントをとり、タイムレースまでしたのだ。そして滑降やクロカンまでやったのだ。今の子供なら考えられないことだ。

 今の時代に 「何もないことのすばらしさ」をどうして実現できるかとなると、簡単ではない。これは、“断捨離”ともどこかで繋がってるのだろうか。そう思った一日だった。

家内と二人でかき餅を麻縄で編んだ。これも昔懐かしい食べ物だ。一連の作業は金では買えない値打ちがある。

(日記 午前中、かき餅を切り、かき餅を縄で編んだ。乾燥したら、そのまま焼いたり、油で揚げたりして食べるととても美味しい。その後、例によって紙芝居の絵を描いた。保存し間違えて、作業が逆戻りしたりもした。午後6時~、むらのTさんと昔の子供の遊びなどについて話し合い、ICレコーダーに録音した。いろいろ思い出すことがあった。)

 
 

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