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高齢化社会を豊かに過ごすには

29 1月

人と人との結びつき 
  ここ2、3年は遠ざかっているが、私は勝山市の人口データを毎年調べてきた。これは今から十数年前の高校の学校再編あたりからだ。その後も、4月に入ると、4月1日付けの人口データを担当部署にもらってきた。

  毎月の市の広報紙では市全体のデータは示されるが、各集落ごとのデータは分からない。たぶん、市内全域で要し高齢化が進んでいるだろうと思われる。先ずは、現状を分析できなければ、次の手は打てないと思う。

   今日、ラジオを聞きながら作業をしていたら、沖縄のどこかの島のお年寄り達が生き生きと暮らしていることが取り上げられていた。詳しい経緯は知らないが、農家民宿を行い、お年お寄り達が生き生きしている様子が伝わってきた。

  修学旅行に来た子どもたちとの交流がお年寄り達に、元気を与えていることだった。その中で、私が感心したのは、魚を捕ることが上手なお年寄りを子どもたちが「師匠」と呼んでいることだ。

  そのお年寄りは、80歳あまりまで生きてきて、初めて「師匠」と呼ばれたことを非常に喜んでいるとのことだった。人は、いつまでも誰かの役に立つこと、そして他人から存在を認められることが生き甲斐につながっているのだ。

  誰でも、年を取る。どんなに、知恵や経験があっても、それらを生かす機会がなければ、宝の持ち腐れになり、生き甲斐も生まれない。こうした、宝を生かすには、知恵を持った高齢者も、それらを生かそうとする地域の人も、互いに信頼し合い、理解し合わなければならない。

  世は正に核家族時代。子どもたちは、もっぱらゲームや習い事に明け暮れ、肝心の人と人との触れあいを体験しないまま、大きくなる。そして、自己中心に生きていく。ある時期それでよいかもしれないが、いつまでも、いいことばかりが続かない。

 私自身は、積極的に地域の人たちと言葉を交わそうとしているつもりだ。今後は、多くの人たちの交流の輪を広めるよう務めたい。簡単ではないが、自分の周囲から始めなければならないと思っている。

  高齢者と子どもたちの接点をどうしてつくるか、区民同士の交わりをどうして深めるか、地区の行事に少しでも多くの人たちが参加できるようにするにはどうしたらよいか、いろいろ考えてみたい。

鹿に餌を与える女性(紙芝居に使う絵の一部分)。背景は仮置き。

(日記 午前中は、紙芝居制作。一枚仕上げることができなかった。すずめの物語に登場する猿と鹿の絵をそれぞれ一枚描いただけだった。午後は、演歌の編曲作業。昔編曲した曲だが、これを再編曲するのに丸々半日かかってしまった。時間があるおかげで時間を掛けられるが、足腰と目には負担をかけているようだ。)

 
 

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