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いなかもんの性

15 1月

体に染みついた性分
  東京や横浜は大雪(と言っても数センチの積雪らしいが)だというのに、我が勝山は今年はいつものように雪が降らない。それどころか時々晴れ間が見える。こうなると、創作活動をしていても落ち着かない。

 おまけに、いくら好きでもパソコンにしがみついていては、体によくない。それに気分も晴れない。何か、肉体労働しないと落ち着かないのだ。適度に雪があれば除雪や屋根の雪下ろしなどがあるのだが。雪がなくて晴れ間が続くと特に落ち着かない。

 私は、春から秋にかけて一日中全く肉体労働をしないと晩飯がおいしくない。そんなわけで、今日は昨年暮れに森林組合の人に枝打ちしてもらった樫の木の枝をゴミ処理センターへ二度運んだ。

  その帰りに、組合から借りている自分の畝の横を通ったら、来年里芋や生姜を植えるためにかけておいた黒マルチが風で飛ばされていた。田んぼには全く雪がなくおまけに晴れている。このまま春まで放置するわけにはいかない。

軽トラで枝打ちした樫の木の枝をゴミ焼却場へ運んだ。家にはまだまだ樫の枝が残っている。

 家内と二人で、早速風でめくれていた黒マルチを専用の留め具で止め直した。風は冷たく、指は切れるように寒かった。帰りに家内が「外で仕事すると気持ちいいでしょう?また、思い切って好きなことができるし……」と発した。

  自分の好きなことをしているだけではなく、何か農作業や家の仕事をすると充実感があるという意味だ。家内も農家出身だ。特別な日は別として、朝から晩まで遊んでいたり、好きなことをやっていると、“晩飯がおいしくない”というのが二人の体に染みついている。

 晴れれば、外へ出て何か仕事をしたくなる、仕事をしないと気分が悪い、仕事をすれば落ち着く、……こうした気分を私は「いなかもんの性」と称している。決して悪いことではないとも思っている。それにしても、今のところ、雪が少ない。ありがたいことだが……。

(今日は、午前と午後、三時間ほど外での作業。残りの時間はもっぱら紙芝居の絵を描いていた。パソコンの前にばかりいると、

すずめと人間の交流を描いた創作紙芝居の一場面(制作中)。

きっと猫背になるだろうし、目を悪くするだろう。しかし、もう少しだけ、シーズンオフを楽しみたい。春になれば、“半農半パソ”になるのだから。頭のどこかに村の活性化がある。来月から始まる『各種団体との語る会』が大きなポイントになる。区民の皆さんにいかに村に関心を持っていただくかが大きな課題だ。)

 
 

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