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クリスマスに思う

24 12月

日本的な行事はないのか
  日本中が、いや世界中がクリスマス、クリスマスと騒いでいるのではなかろうか。子どもたちは、プレゼントがお目当てだろうし、お菓子屋さんは何日も前からケーキ作りに明け暮れているのではなかろうか。

  それから、七面鳥やチキンが食卓に上るだろうし、デパートやショッピングセンターなども、この際とばかりに売り上げを伸ばそうと必死になるだろう。正にクリスマスフィィーバーだ。これらを否定する者ではないが……。

昨晩、家内の誕生日で福井の孫達と「♪ハッピーバースデー……♪」。クリスマスを兼ねたような日だ。

  仏教徒の日本人が、こうも浮かれてばかりでいいのだろうか。家族や友人、地域や世界の人たちのことを思いやり、互いに尊重し合う日になってほしい。自己中心ではなく、周囲のことも考えられる人間になりたいものだ。

  それと同時に、日本発で世界に打って出る精神的なイベントが考えられないのだろうか。仏教徒の多い日本人が考え出した「愛」や「平和」について、家族や地域が自分や周囲の人を思いやり、仲良くする気の利いたイベントができないのだろうか。

 バレンタインーもハローウインパーティーもみんな外国の宗教に起因している行事ではないのだろうか。日本の 「お盆」が「OBON」になるには少し無理な気がする。なければ作るという精神で考え出してもよいのではなかろうか。

(日記 午前中は、奥越の教員OB会の幹事としての事務処理。2年間務めたので次の幹事の大野のHさんに必要なデータを渡した。午後は、100万ボルトでハードディスクやインキやコードを買った。手持ちのデータを整理するためだ。特に、自分の描いた

画像を整理しておけば、自分の描いた4つの紙芝居のキャラクターをいつでも合成できる。「泰澄大師と動物達」

絵をいつでも使えるようにするために整理するためだ。人物や動物や樹木などの背景なども整理しておけばどんな場面にでも使えるからだ。家の整理整頓と共に、パソコンのファイルも使いやすいように整理しておかなければならない。今日は二人だけのクリスマスイブ。福井の孫達も午後帰って行った。二晩私と家内の間に孫(次男)が入り、川の字になって寝た。夜中にけっこう蹴られたけど。)

 
 

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