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『北谷町文化祭』に初出演して

11 11月
『組み立て舞台』譲渡のお礼に

  今日は『北谷町文化祭』。私たち銭太鼓保存会に出演依頼があった。私たちは快諾した。というのは、北谷町から『組み立て舞台』を無償で頂いたのだ(もちろん区としてささやかなお礼をしたが)。 

『片瀬豊年ばやし』の演技。ステージが狭いので踊りは舞台の下で。

  おかげで今年の秋祭りには、この舞台を使って小・中学生女子による『浦安の舞』、和太鼓の『野良打ち』、『獅子舞』、そして銭太鼓『片瀬豊年ばやし』を演じることができた。 

  『組み立て舞台』を頂いたのはありがたいが、その理由は過疎化により外での夏祭り(恐竜祭り)を開催しなくなったからだという。そこで、この舞台は長年公民館の倉庫にしまい込んであったというのだ。 

  北谷町の人口は明治の頃には3,000人あまりであったのだが、近年は100人あまりに激減してしまったのだ。かつては、炭焼きなどの山仕事があり、たくさんの人が食べていけたのだ。

  それが、炭や薪などを使わなくなり、働く場がなくなってしまったのだ。また、市全体を考えても、魅力ある働き場がなく、大学進学や就職で市外、県外へ出た者がふるさとへ戻ることはほとんどなくなってしまったのだ。

 

歌に合わせて挿入芸「餅つき」を演じる女性メンバー。男がみんな餅つきに失敗した後の逆転の演技だ。

  少子高齢化による過疎化は、我が勝山市だけの問題ではない。また、勝山市の中でも過疎化しているのは山間部だけではない。役所まで車で5分あまりでいける我が集落でもそうだし、市役所や本町界隈の中心市街地でも同様だ。 

  「持続可能」という言葉は、現代社会の一つのキーワードだ。この問題を解決すべき重要課題の一つは、働く場の確保ではなかろうか。そのためには、「既存産業の充実」、「企業誘致」、そして、「起業」が必要だろう。 

   私は、最後の、「起業」に最も興味を持っている。かつて、NHKテレビで、シリコンバレーの特集をやっていた。この地が、I T の先進地になったのは、ヒューレット・アンド・パッカードの二人が先駆者として会社(HP)を起こしてかららしい。 

  テレビを見た当時は、グーグルなどの発展期であった。その頃のシリコンバレーには、約5,000社があり、毎年1,000社が廃業するらしいが、毎年1,000社が新しく生まれるとのことだった。この新陳代謝がまちを、国を活性化させているのだ。 

芸に挿入した「餅まき」。今朝(業者が)ついたばかりの軟らかい餅を播いた。

  「なければつくる」の精神で我がまちでも活気を産み出してほしいと思う。それには、他人に期待するのではなく、誰もがそのような気持ちで前向きに生きて行くことが重要ではなかろうか。 

  私たち銭太鼓保存会一行は、午前11時に北谷公民館へ向かった。控え室で簡単におにぎりや豚汁を頂いて、着替え。正午から、舞台で銭太鼓『片瀬豊年ばやし』を演じた。 

  今日は餅つきバージョン入りだったが、演技に合わせて餅まきも行った。いつかは、舞台で音楽に合わせながら、本物の餅をつき、それをまきたいと思う。20年ほど前には、結婚式の和太鼓アトラクションで実際に舞台で餅をついたこともあるのだから。 

  北谷地区の、超過疎化の問題は、順を追って他の集落にも広がってくるのは間違いがない。都会へ出てしまうのではなく、暮らし方を変え、豊かな生活を送る方策を考えてみたい。かつての「出づくり」は参考になるかもしれない。 

演技の後、北谷町の皆さんに私(右端)から感謝のお礼。

(日記 午前中は、招待されていた『越前大仏シンポジウム』に参加し、住職である山川宗玄老大師の講演「基」を聞いた。その後、『北谷町文化祭』で銭太鼓『片瀬豊年ばやし』を演じた。帰宅後、大野市まで足を伸ばして「パンジーの苗」30本を購入。その後、再び、越前大仏へ戻り、スリランカ出身のウィッキーさんの講演を聴いた。とても面白かった。午後疲れて少し昼寝。午後7時より横浜に住む長男家族とウェブカム(テレビ電話)。二人の孫達のダンスに感激。今春生まれた3番目の孫もだんだん成長してきた。) 

越前大仏シンポジウム。住職山川宗玄老大師(左)の講演とウイッキーさん(右)の講演。

 

ウェブカムで本を読んで聴かせてくれた横浜の孫。

 
 

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