「伝える」ことによる効果
今日の私の最大の仕事は、「平成25年度コミュニティ助成事業」の助成を受けるために、「申請書」を書くことだ。簡単に言えば、地域の活性化のために宝くじの基金を受けようというものだ。
我が片瀬区は、郷土芸能の備品などを購入し、地域を活性化したいと考えている。大人から子どもへ、上級生から下級生へ「伝えるモノ」を持ちたいからである。伝えるもののある地区は、生き生きしていると思う。
昨今、地域では人と人との結びつきが弱くなっている。農作業を一つとっても、昔行われていた「結い」がなくなり、行事なども簡素化し、区民が一堂に会して何かをする機会が激減したのである。
また、青年団や、婦人会などの組織も弱体化し、形骸化している。遊びや子供会の活動にしても、親の手助けなしには成り立たなくなってしまったのである。子どもは学校や習い事で忙しくなっている。農作業の手伝いなども皆無であろう。
さらに、我が地区でも、跡を継ぐべき者が市外や県外へ出てしまっている場合が少なくない。また、同居している場合でも、「離れ」を建てるなどして別棟に住んでいる家庭もある。
このような状況から、地区に伝わってきた「伝統料理」、「遊び」、「生活の知恵」、「芸能」、「習慣」、「地区の謂われ」などが伝わらなくなってしまった。これはそれらが単に伝わらなくなったばかりでなく、伝える機会、人と人とが接する機会をもなくしてしまったのだ。
これでは、地区の住民は、ただ単に個別に存在するだけで、人と人との「絆」さえもどんどんなくなりつつある。地域を愛する人も少なくなってしまった。つまり、地域に関心を持たない人が多くなってしまったようである。
テレビや携帯電話(スマートフォン)や雑誌などによって情報が氾濫するようになり、個人が退屈せずに勝手に生きられる世の中になったと言ってもよい。しかし、それは必ずしも人々の幸福を約束するものではない。
人生に於いては、非能率的なもの、あまり必要ではないと思われるもの、一見無駄に見えるようなものがあって初めて豊かな生活になるのではなかろうか。そんなことを思いながら、補助金申請書と朝から格闘している。
(日記 午前中、先ずはコンビニで『かたせ瓦版』をコピー。その後,市役所へ出かけて『申請書』をもらい、書き方の説明を受ける。そして、鹿谷のおばさん達(といっても自分の同級生もいる)の『銭太鼓』指導に出かける。帰り際に補助金申請の資料を作るために電気屋に寄り、帰宅。その後は、もっぱら申請書づくり。締め切りは明日。ネットで見積書を取ったり,せわしい一日だった。)
寺田幸彦
2012年11月10日 at 12:00 AM
【手間ひま倶楽部】
上丹生プロジェクトKの活動の一つに「手間ひま倶楽部」という活動があります。
例えば”ご飯を炊く”とします。
普通なら米をス-パーで買ってきて、炊飯器にセットして、スイッチを押せば美味しいご飯が食べられます。
これを手間ひまを掛けてやるとします。
田んぼを耕し苗を植える、途中には除草をしたり水の管理も必要になります。
実った稲を刈り取り、脱穀し精米した米を羽釜を使ってカマドで炊く。
熱源は山から切り出した木を使います。
薪割りをして火をおこす。
火加減を調整しながら、湯気や匂いや音を五感で感じながら炊き上がるタイミングを見極める。
羽釜で炊けたご飯は、おひつに移せば水分も調整され美味しい状態が保てます。
今の時代、お金を出せば殆どの物やサービを手に入れることはできます。
しかし、あえて手間ひまをかけることで、自然の恵み、自然への感謝、人との絆、人への感謝、生活の知恵など、お金では手に入れることのできない、貴重で大切なことに気付くことができます。
毎日カマドでご飯を炊くことは現実的ではありませんが、時々手間ひまを掛けることは必要だと思っています。
現在は”買う生活”が主流です。
買うだけの生活から自分で誂える生活に少し切り替えること新しいことが見えてきます。
Norio Yama
2012年11月16日 at 8:31 PM
「手間ひま倶楽部」とは、すばらしい活動ですね。
昔は、これが当たり前でしたね。手間暇の中には人と人との交流があり、人を育てるのに大いに役立ったのではないでしょうか。
ご飯を炊くようには行かないかもしれませんが、人を育てるにも手間暇かけなければならないのではないでしょうか。
手間暇をかけないということは、努力や工夫をする機会が奪われるということですね。しかし、生活費を稼ぐことだけは簡単にはできない。
その結果、少しでも楽をして、お金を手に入れようとして、いかがわしいことに手を出す人間が増えていくのではないでしょうか。世の中、いつまでも手抜きでは行かないと思います。手間暇かけて分だけ充実感があると言うことではないでしょうか。
幸せへの近道はないということではないでしょうか。同じ時間を使って生きるなら。遠回りの方がむしろ幸せに早く近づくのではないでしょうか。