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舞台は準備できたが

19 8月

北谷地区から舞台を譲り受け
  昨年あたりから、北谷町から「組み立て式の舞台」を譲ってもらうという話ができていた。二ヶ月ほど前に、大工で農家組合長のYさんと下見をしておいた。その後役員会でいつ運搬するかを決めた。その日が今日だった。

上左:トラックで舞台を搬入 上右:組み立て方を指導する北谷町の貴重K氏(右) 下左:仮組立中の舞台 下右:礎石を置くために水を見る(水平を調べる)

 午前7時に役員全員が集会所前へ集合。早速北谷公民館へ出かけた。そして、区長のKさんの立ち会いのもと、分解してある舞台をトラックに積み込んだ。この舞台は高さ三尺(90cm)、縦2間(3.6m)、横4間(7.2m)の大きさだ。

 北谷の区長のKさんが、片瀬の神社まで来て下さり、組み立て方を指導して下さった。一度習えば、今後は片瀬区民で組み立てることができることがわかった。というのは、きちんとわかりやすい記号が付いていたからだ。

  昨年までは、拝殿の側面に特設舞台を設置したが、今年は設置の容易な広場に設置することに決めた。先ず、大工のYさんが、水を見て水平を決め、基礎となるブロックを埋め込む作業をした。

 そして、一部仮組み立てを行い、解体して、舞台の部品を倉庫にしまい込んだ。正午にようやく作業が終わった。

 貴重な舞台を北谷地区からいただいた。かつて、北谷町では夏祭りとして「北谷恐竜祭り」を開催していたが、過疎化が一段と進み、夏祭りも中止になり、舞台も何年も使わずにいたのだ。

 私も、20数年前に、この舞台で小学生だった息子達と和太鼓を叩いたことがある。思い出のある懐かしい舞台だ。貴重な舞台をいただいたが、この舞台で何をするかだ。小中学生女子による「浦安の舞」と銭太鼓「片瀬豊年ばやし」はこの舞台でかがり火を焚きながら演ずることは決まっている。

水平になるように考えながら神社の広場に15個の礎石を設置した。高くなったり低くなったりと悪戦苦闘だった。

 他にどんな芸能をこの舞台を使って発表できるかだ。特に今年は、この舞台を初めて使うのだ。何とかこの記念の年に、思い出に残る発表を区民の人がして下さることを期待する。

(日記 午前7時から正午まで、役員全員により北谷地区からいただいた舞台の設置作業。午後は、ばてて少し昼寝。その後、『かたせ瓦版』作成のため、対談のテープ起こし作業。夕方、家庭菜園作業。息子が孫達を迎えに来たが、息子の嫁や孫達は風邪で帰ることが出来ず、息子一人が車で横浜へ帰って行った。もうしばらく孫達と過ごせそうだ。)

 
 

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