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産み出す力

30 8月

無から有へ
  何かを産み出す場合、その元手となるもの(原料)が必要な場合と、そうでない場合がある。原料が必要な場合でも、アイデアによってその量があまり必要でなかったり、全く必要でない場合もある。しかし、このアイディアの重要性があまり認識されていないように思う。

  先人の考え出したこと、先人の得た知識などを次世代が学ぶことは大切だが、そこでとどまっているのは悲しいことだ。常に「考える姿勢」、何かを生み出そうとする姿勢」を子供の頃から身につけさせたいものだ。

  しかし、そうしたことは、現時点ではテストなどに役立たないと考えてか、あまり重視されない。しかし、小学生、中学生の頃から、考える癖をつけることはとても重要なことだと思う。考える楽しみは、何かを生み出す楽しみにつながり、生き甲斐にもつながると思う。

  「何もすることがない」と嘆く必要は全くない。私は、出かけるときには、紙と鉛筆を忘れないようにしている。身体は忙しくても、頭の中は暇な場合がある。そんなとき、いろいろやってみたいことを考えたり、創作のテーマを考えたり、改善点を見つけたりして、頭の中で遊ぶことができる。

  最低食べることが保証されていれば、楽しみは自分で考え出すことができる。無理矢理ゲームなどのおもちゃを持たなくても、遊べる子どもになってほしいと思う。

 スマートフォンを持っている大人も、別の見方をすれば「おもちゃを持った子ども」に見えてしまう。何かを生み出すことにつながればそうでもないが、あてもなくあれこれいじっているのは時間の無駄に見えてしまう。

 「なければ作る」は私のモットーだ。子ども達も、それぞれの時期にしかできないことに時間を作ってほしい。大人になっても得きるような暇つぶし的な時間の使いかを改めて、考える楽しさを味わってほしい。そして、無から何かを生み出してほしい。

(日記 午前中、親父バンドの編曲作業。午前10時から鹿谷公民館でおばさん達の銭太鼓の練習につきあう。以下に、曲のリズムに乗ってバチを操るかが問題だ。午後、三国から親父バンドのメンバーの一人が個人練習のためにやって来た。私は、彼のためにトランペットソロ(アドリブ)を考えた。これも考えれば世界に一つしかないメロディーだ。産みの苦しみを味わうが、完成したときの喜びは格別のものだ。)

 
 

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