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ふるさとへ戻れない人

24 7月

原発の恐ろしさ
  福島県の浪江町から越前大仏の門前町に避難して来られたWさんの家族がこの25日に福島県へお帰りになるとのことだ。そこで、区と私個人のささやかな餞別をお渡しするために、今朝、滞在先を尋ねた。

  奥さんが出て来られた。しばらく玄関先でお話をさせていただいた。それによると、福島県へ戻ると言っても、、自宅は当分の間、立ち入り禁止なので、仮設住宅へ移るとのことだった。

  仮設住宅では、全く知らない人ばかりが暮らすことになるので、不安だとのことだった。当分は自宅へは帰れないので土地や住宅を買いたいそうだが、買うことのできる物件は全くないとのことだった。

  小さなお子さんもおられるのだが、そのお子さん達は子ども時代を仮設住宅で過ごさなければならない。狭い仮設受託で、どこの誰かもわからない人達と生活を始めなければならないそうだ。

  東京電力は、こうした人達の今後について真剣に考えているのだろうか。原発事故の詳細が明らかになるにつれて「まさか大きな災害が起こることはないだろう」と甘く見ていたことがはっきりしてきている。

  多くの方々が帰りたくても帰れない「ふるさと」、いつまで続くかわからない不安の中でこれから先、生活していかなければならないのだ。先の見通しのつかない中で、働き、子育てをしていかなければならない。

  そのストレスは、私達には想像もつかないだろう。Wさんの話を聞いていて、慰めの言葉も見つからなかった。こうした人達の気持を政治家や東電の関係者は理解しているのだろうか。また、改めて、私に何ができるのかを考えた。

  昨今の日本を見ていると、いつどこでどんな災害が発生するかわからない。今日安全だと思っていても、明日何が起こるかわからない。同時代を居合わせた私達は、他人事と思わないで被災地に対して自分には何ができるか、そして災害に対してどう備えたらいいのかを考えなければならない。

花が取り持つ縁で地域の人との会話が増えた。

(日記 午前中は、資料整理。ほぼ一日かかった。これまで探していて見つからなかったモノが見つかったりした。家内も衣装を整理していた。心を鬼にしなければモノは少なくならないことを実感した。第1次、第2次、第3次……と、断捨離を実行しなければすっきりした気持にはなれないだろう。午後は、「じいちゃんバンド」の編曲作業。同じ曲でも編曲次第では少しは聞けるものになるからだ。夕方、花に水をやっていたら村の高校1年生のK君が近づいてきた。しばらく、高校生活などについて話を聞かせてもらった。授業のこと、部活動のこと、数学のこと、将来の進路などについても聞かせてもらった。村の子と話をできるなんて幸せなことだ。これも、花が取り持つ縁かもしれない。花を植えたり、花に水をやったりしているなかで子ども達や村の人達との接点ができつつある。花のお陰だ。)

 
 

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