どうして自分を生かすか?
私の持論だが、「人は誰でも、自分の存在を認められたい」と思っているのではなかろうか。現役時代は、年齢が上がるにつれて、それぞれの職場で重要なポストが与えられ、存在を認められていたのだ。
しかし、いざ退職すると、それまでの経験や、能力、技術などは生かされない場合がほとんどである。もはや部下もなく、せっかく身につけた知恵やノウハウが生かされず、ゴミとなってしまうのだ。
それでも、新たに自分を生かす場を見つけたり、それなりの役割を与えられた者はそれでもよいが、そうでないものはどうして自分の存在を他者にアピールするのだろうか。
私の経験では、そうした人達は、集会などで相手の非を責めたり、自分の考えに固執して持論を相手に強要したりすることが少なくない。敢えて嫌われるような言動を吐き、自分の存在感を示すのだ。
このような態度をとる人は少なくないが、嫌われるだけだ。これでは悲しい。本当なら、高齢者は知恵の宝庫であり、これらを生かす手はないのかを考えてみたい。特に、高齢者の知恵や技術を子ども達に伝えられたら最高である。
高齢者が自分の地域で、何かの先生になるのが私の理想である。そうすれば、無理に自分の存在をアピールする必要がない。高齢者が、子ども達にとって頼りになる先生になり、次世代を育てることに役立つことを自分も含めて期待したい。
私自身は、子ども達に何を伝えることができるかを考えながら、自分でできることをこつこつやっていきたいと考えている。そんな考えから、「子育てマイスター」を引き受けているが、私達夫婦には大きな生きがいになっている。
(日記 午前中は、区の広報誌『かたせ瓦版』作り。午後もしばらく作業を継続。その後、法人から借りているニンニクやタマネギの畑、里芋や生姜の畑を見て回った。タマネギも少し玉になろうとしていた。しばらくして、自分の家庭菜園へ向かった。今日の作業はキュウリや豆の支柱作りだ。家内はサツマイモの苗を植えた。イチゴが少し赤くなった。朝から、午後2時頃までずっとパソコンの前にいたので、外での作業はとても新鮮で気持ちがよかった。)
Norio Yama
2012年5月21日 at 6:58 PM
素晴らしいご意見ありがとうございました。
「無いものねだりをやめて、あるものを活かす」、「ヨソ者の視点の大切さ」には全く同感です。
また、私も、山根一眞さんや「あのねのね」の清水國明さんも参加したまちづくり関係の会で、「地域の資源は人である」と申し上げたことがあります。私の持論は「事を為すのは人である」ですので、私も寺田さんと同様で、地域に最も必要な資源は“人材”であると考えています。人材があるから、地域の文化遺産や歴史遺産や自然遺産が活かされるのだと思っています。
おそらく、上丹生の最大の資源は寺田さんをはじめとする地域の人達ではないのかと思っています。
先日の上丹生の“チューリップ祭り”を見学させていただいたのも、その当たりを知りたかったからです。チューリップ祭りだけだったら、砺波の方が何倍も規模が大きく、観客の数も多いと思います。
しかし、上丹生のチューリップ祭りでは、地域の人達が自ら行動して祭りを盛り上げている姿は、非常に尊く、学ぶことも多かったと思いました。地域の資源である多くの人達が関わっていたからです。
この祭りを見学させていただいて、私達が学ぶべきことはたくさんあると感じました。私も、地域の人材が活かされないのは、本当にもったいないと思います。上丹生を見習って地域の高齢者の知恵を活かしたいものです。
Norio Yama
2012年5月22日 at 8:20 PM
いつも示唆に富んだ話で参考になります。
上丹生は私の集落よりもうんと先を進んでいるように思います。どんなことでもそうですが、活動してみると、始めに予想していたよりも楽しく、いろんな人との出会いがあることに感激します。それを区民の皆さんに分かっていただきたいですね。
県の方から、『住教育』についての研究指定を受けることになりました(県内で4集落)。大学の先生、建築家の方々、大学生などと地区民(子どもからお年寄りまで)が一緒になって「住みよい地区を作るにはどうすればよいか」を考えます。果たしてどうなることやら。
気負わず、できることは何かを考えてみたいと思っています。
またヒントをお願いします。