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Archive for 4月, 2012

法人の仕事は苗運びから

10 4月

米の一貫生産へ
  午前6時起床。午前6時45分に「農事組合法人かたせ」の農舎前へ集合。今日は、酒米の苗運びの日だ。芽出しをした苗を北部中学校横のJAのカントリーから数台の車を使って、法人の農舎横のビニールハウスまで運ぶのだ。

  そして、ビニールハウスの中で2、3週間、水をやりながら成長させて、田植機で田んぼへ植えるのだ。箱に土を入れ、種を播き、芽出しをする(ここまではJAが行う)。その後、この苗をビニールハウスへ運び、温度をかけて田植機で植えられるようになるまで成長させるのは我が区の法人の役割だ。

  田植えの後は、稲を刈り取ると再び、JAのカントリーへ持ち込み、乾燥し、臼すりを行って、玄米にし、それを飯米として受け取るのだ。繊維産業のように、中間だけを請け負うのだ。苗を生長させて田んぼに植え、それを刈り取るまでが、農家の仕事というわけだ。

  前後は、JAが引き受けるが、かなりの出費を伴うことになる。おまけに、我が片瀬で収穫した米も近隣の地域で収穫した米もJAのカントリーでは一緒になってしまうのだ。自分たちの村で作った米を自分たちが食べられるとは限らない。

早朝からの苗運び。田植機で植えられるようにハウスの中で育てるのだ。短時間だが腰の痛い作業だった。

  そこで、昨年から、刈り取った籾を自前で乾燥し、臼すりまでを法人が行うように、農舎に乾燥機などの設備を導入したのだ。これで、最初の籾の芽出しを除いて自前でできるようになった。

  また、少量だが、自前で籾の直播きを始めたので、米作りの作業を全て我が地区でやることもできるようになりつつある。直播きの場合は、かなりの省エネになる。しかし、収量も落ちるので、どちらが経済的かを考える必要があるが。

  そのうちに、福井産コシヒカリであっても、オリジナルな名前を考えて販売できればという夢を持っている。TPPに加盟してもどうにか米作りができる仕組みを今のうちから考えておかなければならないだろう。

 消費者に信頼される米作りのために、美味しい米を作らなければならない。そんなことを考えながら、芽出しした苗箱運びを行った。たくさんの人がいたので、1時間余りの作業だった。

(日記 午前6時45分より芽出しした苗を運んだ。その後、区長の仕事をしながらダルビッシュ投手の初登板をテレビで見た。彼は、かなり緊張していたようで、最初のバッターにストレートのフォアボールを出し2回までに5点も取られてしまった。おまけにイチローに3安打。しかし、身方が11点も取って亜kれは勝利投手になった。相当緊張していたようだが、おそらく試合後のインタビューでは「緊張した」とは言わないだろうと思った。案の定その通りだった。次回の登板に期待したい。午後は、植木や家の北側の雪囲いを外した。午後7時から「第1回猪野瀬区長会」。区長の役割分担や行事計画などを審議した。今年は忙しくなりそうだ。)

 
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新年度がスタート

09 4月

四月はやっぱり忙しい
  完全に退職したのに、四月はやっぱり忙しい。その上、今年は区長を仰せつかったので、その分忙しさが加わった。昨年の今頃何をしていたのか、家内の日記からなすべきことを考えている。

  雪囲いはいつ外したのか、ジャガイモはいつ植えたのか、組合の苗運びはいつだったのか、それらを確認しながらいつ頃何をするかを考えている。今年は、いつまでも寒かったので少し遅れ気味だが。

  今週なすべきことを考えると、区関係の仕事が二つあり、そのうちの一つは資料を作らなければならない。それにオカリナ教室と二つの和太鼓教室、そして、家庭菜園の作業もある。

  今年も、今月と来月、奥越に新たにやって来た中国人の研修生に日本の生活(奥越前中心に)の話をする機会をいただいた。話すときには通訳が付いている。

  アコーディオンを持ち込んで日本の歌を一緒に歌ったり、簡単な盆踊り・ダンスも昨年同様に入れたい。楽しく日本の様子を伝えたいと思う。これも準備は必要だが楽しい企画だ。

  昨年は、勝山のことを中心に話したが、今年は大野についても触れたいと思う。考えてみると、中国と勝山の関係もかなり深いと思う。そもそも仏教は中国から伝わってきたし、越前大仏のモデルも中国の龍門石窟の大仏だ。中国から伝わったものは日本にはたくさんあることに驚いた。

 区の集まりでは、区民の皆さんに是非とも愛郷心を持ってもらいたいと訴えたい。何かをさせられるのではなく、何かをしてみたいと思ってもらえるかどうかが問題だ。

 昔から、四月は慌ただしい。退職した今も同様だ。しばらくは、落ち着いて創作紙芝居作りができない。今年一番の大作は『親鸞聖人物語』だと思っている。気合いを入れないとできない。

  時間を有効に使って追われるのではなく、楽しみながら取り組みたい。一昨年は、数学にかなりの時間を費やすことができた。昨年は、激減した。今年こそ、数学に時間をとりたい。

(日記 午前中はオカリナの教材作り。「浜辺の歌」の合奏曲と伴奏カラオケを作った。午後は、親父バンドのカラオケづくり。午後3時より整骨院でマッサージ。午後7時半より『オカリナ教室』。「コンドルは飛んでいく」もかなりできるようになった。細かく速い運指だがみんなかなり上達した。)

 
 

家庭菜園事始め

08 4月

減農薬を目指して
   今年も本格的に、家庭菜園のシーズンが始まった。青空が見えるので、外での作業はとても気持ちがよい。今日は、じゃがいもを植えたいので、同じ“ナス科”のトマトやナスを植える区画もいっしょに耕した。

  素人が野菜を作るときに困るのは、病気と虫害だ。特に狭い土地で毎年あれこれと作る場合には“連作障害”が一番問題だ。私は、家庭菜園を先ず四区画に区切り、さらにそれぞれを二区画に区切って毎年場所を変えながら、野菜作りをしている。

  ところが、『農事組合法人かたせ』で借りた畝は、連作障害の心配をする必要がない。というのは、毎年、組合員に貸す場所は移動するからだ。一年ごとに、異なる場所へ移るのだ。私も、昨年は2畝(1畝の長さは20数メートル)、今年は3畝借りることにした。

ミニ耕耘機の使い初め。これを使うと今年も1年が始まったという感じがする。後ろに大仏の五重塔が見える。

  法人の畝は、秋から秋まで1年借りるのだ。昨年は、里芋とショウガとヤーコン等を作った。今年度は、すでに、ニンニクとタマネギ(2種類)が植えてある。もうじき里芋やショウガなどを植えたいと思う。

  今日は、自分の菜園のじゃがいもを植える場所を耕し、借りた畝にあるニンニクとタマネギの追肥を行った。その間、家内はジャガイモを植えた。

  法人の畑には、常に誰かが作業をしている。そうした人達と野菜作りや世間話をするのはとても楽しい。今年は、野菜作りの方法を少しだけ変えたいと思う。

 その方法は、混植によって病気を防ぐ方法だ。昨年買った野菜作りの本によれば、例えばニラとトマトを同じ穴に根が絡まるように植えると病気にならないというのだ。栄養を奪い合うことはないのかと心配になるが、やってみなければわからない。

雪に耐えてすくすく伸びたニンニクに追肥した。遠くに大仏の五重塔が見える。

 ニラの他、ネギや春菊にもこのような働きがあるそうだし、家庭菜園の天敵とも言えるスギナを煎じて50倍くらいに薄めてまくとキュウリなどによく発生するうどん粉病の予防になるという。これも実験してみたい。

 晴れた空の下で、野菜作りができるのは贅沢な趣味かもしれない。農地が無くても、安価で借りることが出来るのだから、興味のある人には是非とも参加してもらいたい。

(日記 朝一番に作り上げたDVDを送るための作業を行い、郵便局へ。その後、夕方まで家庭菜園や組合から借りた畝の農作業。晴れていてとても気持ちがよかった。昨年作った作物も順調に育っていた。たくさん作ったニンニクをどうするか、考えてみたい。毎日食べたいが問題はそのニオイだ。子供の頃は、翌日のスケジュールを考えて食べたものだ。今もそうしている。ニオイを抜く方法があればと思う。)

 
 

原発再稼働・・・結論ありきか?

07 4月

何を優先するのか
   原発再稼働問題が、連日テレビや新聞で報道されている。関西電力・大飯原発3号機と4号機の再稼働に向けて、政府は3回目の閣僚会合を開き、新たな安全基準を決めたという。

  枝野経産大臣は、「原発再稼働については、4人の閣僚が3回にわたり、安全性について徹底的に議論した。」という。しかし、信用を失った政治家の言うことを国民あるいは県民がどれだけ信ずるだろうか。

  素人目にも、「初めに再稼働ありき」と思ってしまう。政府は、関西電力に対して安全基準の実施計画、いわゆる工程表の提出を指示したという。来週中にも提出される工程表を受け、4閣僚による会合で再稼働の可否を判断するというのだ。

 果たして、4閣僚で安全性を審査し、再稼働の可否を科学的に決められるのだろうか。専門家でさえも判断できない放射能の危険性や原発の安全性を判断できるのだろうか。

 テレビなどで原発立地地区の人や近隣の人、近県の人達の意見は、それぞれ大きく異なる。それは、何を優先するかが違うからだ。原発立地地区の人達は、先ず経済的な問題を第一に考えて早期に再稼働すべきだという。

  安全性を優先させる人達は、拙速だという。安全性を確保するための計画書を出すことと、安全性を確保するためにハード面などの整備を終えることとは別だ。「(今後)安全対策を施す」と「(すでに)安全策を講じた」では大きな違いがある。

  私個人は、安易に再稼働しない方がよいと思う。一日も早く、日本にあったエネルギーに対する考え方を明らかにし、新エネルギーを生み出す研究をすべきだと思う。その間、私達は、ある程度は不足に対して我慢しなければならないと思う。

  メタンハイドレードが日本を救うエネルギーになると言われているが、国の総力を挙げて研究できないのか。それとも、原発ムラの者がブレーキをかけているのか。金や人材を投入して一日も早くこの難局を乗り切って欲しい。

  それまでは我々も多少は我慢すべきであろう。しかし、真夜中でも最もエネルギーを使う国は日本ではなかろうか。宇宙飛行士の話したことを新聞で読んだことがあるが、真夜中の日本列島は煌々と輝いていたという。エネルギーは、まだまだ節約できるように思う。

  西川一誠知事は昨年4月から国に対して安全基準を示すよう求めた。一貫して「福島第1原発事故の知見を踏まえた暫定的な安全基準の策定」の必要性を訴え続けたのだ。

 ようやく、新たな暫定基準が示された。地元への一定の配慮を示した形だが、原発稼働ゼロを回避するためのつじつま合わせに終われば、国民の一層の不信を招くことになる。

  これで安全かどうかを誰も判断することができない。そもそも原発は完結した技術ではないように思う。便宜上エネルギーを使ってはいるが、トータル的にはまだ発展途上のエネルギーであるように思えてならない。

 「トイレのないマンション」と言われる所以である。信頼感を失った者の言動は誰も信じない。今、政治家や学者など専門家の信頼感が失われている。こんな中での、増税を急ぐ総理も与党も野党も国民のや厳しい審判を受けることになるだろう。

  それにしても、若い人達は、今の状況をどのように感じているのだろうか。江戸時代の末期に似てはしないだろうか。それとも、大戦前後の状況か。何にしても閉塞感の漂う時代であることには間違いない。

(日記 午前中、映像編集。一進一退だが、わずかに進んでいるように思う。はっきりしていることはあれこれやってみることだ。午後も、作業を継続。目標の8割まで来ただろうか。午後4時より、『親子太鼓教室』。みんな結構うまくなった。保育園児もとうとう小学校へ入学した。小学校1、2年生は私にとっては孫のような年齢だ。私を見つけると遠くから手を振ってくれる子もいる。太鼓も確実に上達している。1、2年後が楽しみだ。)

 
 

適度な負荷をかけること

06 4月

体力増強から体力維持へ
  退職してから2年が過ぎた。まだ、生活のリズムは確立していないが、退職直後よりは、ある程度の規則性ができたと思っている。いつでもできると思うと、簡単にはできないことも分かった。

  時間がないときには必死でやったが、時間があると朝の始動から少しずつ遅れ気味になる。そんなとき、急にリズムが変わると、前の日から落ち着かない。今日は、久々の交通安全の街頭指導の日だ。

 午前7時にはニューホテル横の交差点に行かなければならない。いつもより、1時間ほど始動が早い。それでも時間前には、行くことができた。

  話は変わって、人生には適度な負荷がかからないと、鍛えられないと思う。ボディービル等で身体を鍛えるのも、身体に、普段以上の負荷をかけるために、身体の方がそれに対応して筋肉を増強するのだろう。

  マラソンの耕地トレーニングもよく似た理屈だろう。高地では心臓や肺にかなりの負荷がかかるだろう。しかし、そのことによってアスリート達は心肺機能を高めるのだ。負荷に耐えるように身体が、対応するのだ。

  ある程度の精神的な負荷は、精神力を鍛えるためにも役立つと思う。某会社の若社長のように、特別な苦労もなく金が手に入ると、苦労をする必要がない。歯を食いしばって頑張ることもなく育つと精神力も、忍耐力も、社会的な常識喪身につかない。

  ちやほやされて、一晩に何億者金を使い、それでも足りなければ関連会社から莫大な金を借りて、最後には行き詰まってしまたtのだ。人生には苦労という負荷をかけなければならないが、今時の親は、子どもからその苦労を除こう、除こうとしているように見える。

  別な言い方をすれば、苦労するチャンス、負荷をかけるチャンスを奪っているのだ。子どもの登下校に親が来るまで送迎するのも同じようなものだろう。逆に言えば、大人になった大事な局面で苦労を背負うことになる。

  さて、私の方だが、退職してから、自ら身体を鍛えたり、やった方がよいことから、逃れていたところがある。年よりはどんどん筋力が衰えるのだ。ここ2年は、農作業でしか筋力を鍛えていない。農閑期は全く筋力が鍛えられないことになる。せいぜいが雪下ろし程度だ。

  最近自分を甘やかせている。これでは、先々苦労することになる。そんなことを考えながら、プールの中を歩いていた。適度な負荷は心身を鍛えるのに大いに役立つと思う。鍛えるのは無理でも、体力維持には努めたい。明日から、また出直しだ。

Sちゃん、小学校入学おめでとう。じいちゃんばあちゃんとママと一緒に記念写真。太鼓も一緒に頑張ろうね。

(日記 午前7時よりニューホテルの交差点で交通安全の街頭指導。中学生は、かなり挨拶をしてくれた。小学生はまだまだだ。帰りに、Wさんの家へ寄り、和太鼓のDVDを借りた。和太鼓をしているお子さんが小学校の入学式だ。写真を撮ってあげた。帰宅してそのDVDの編集に取りかかった。なかなか難しい。ハイビジョンで撮影したビデオの編集作業をなんとかマスターしたいと思う。午後、突風でめくれたイチゴのマルチを直し、その後、久々に市営プールへ出かけ、歩いたり泳いだりした。帰宅後も、ビデオ編集作業。少し明かりが見えてきた。)

 
 

「できること」と「できないこと」

05 4月

以前に聞いたある講演から
  以前に教育会館である講演会が行われた。講師も演題も忘れたが、その講演の中の一部分だけはっきりと今も覚えている。それは次のようなものであった。

 年をとると「記憶力は悪くなる」、「視力は悪くなる」、「スタミナはなくなる」、「脚力は衰える」、「身体は硬くなる」、「内蔵も悪くなる」……と、衰えていくものが多い。講師の先生は高齢化したときのマイナス面をどんどん列挙した。

  それを聞いていて、当時は高齢化することは大変なことだとぼんやり考えていた。何もかもが衰え、意欲さえも減退するかもしれないのだ。どこかの年齢をピークに何もかも減っていくのか、衰えていくのか。

 そして、講師は続けた。「年をとると大概のものは衰える。しかし、年をとることによって伸びていくものがあります。」とここで言葉を切った。一瞬なんだろうと思った。「それは、知恵や経験です。」と続けた。

  時々、このことを思い出すと同時に、第3者に対してもこのことを話させていただくことがある。知恵や経験は衰えるのではなく、益々身についていくのだ。増えていくものだ。

 そう思うと、人生は楽しくなる。若い者には経験や知恵は少ない。まさに知恵は無限にあり年と共に増やしていけるのだ。最近作った私の造語は『知恵無限』である。知り合いの書道の先生に書いていただいた『知恵無限』の色紙は今も私の事務所に飾ってある。

 経験は、多少意識しないと積み重なるものではないかもしれない。毎日、テレビの前に居座り続けたり、ゲームにばかり熱中していては将来に生きる経験は積み重なってはいかないだろう。

 今日久しぶりに事務所で仕事をした。その合間にスタジオにあるドラムを叩いてみた。ドラムは両手両足を使うために、そのコントロールが難しい。若い頃は音楽に乗って楽しくドラムを叩き演奏会などにも出ていたが、今は思うようには手足が動かない。だからといって、練習しなければもっと悪くなる。

  運動だと思って、20分ほど叩いてみた。確実に20歳の頃とは運動神経が違う。素人のソフトボールでも私は3塁を守ることが多かった。バッターからはピッチャーと同じくらいの距離で守ることが多かった。素人レベルだが瞬間的に手が出たものだ。そうした反射神経は完全に衰えてしまった。

  王選手や長島選手でも、引退したのはそうした理由からだろう。なくす物あれば、得るものありだ。問題は、社会や家族、自分のためにそれまで得た経験や知恵を使うかどうかだ。ドラムを叩きながらこんなことを考えていた。

ドラムを叩いていた大学時代は、手足が動きにくいなんてことは考えてもみなかった。

(日記 午前中、先ず整骨院へ。ストレッチの必要性を感じた。身体は硬くなる一方だから。帰宅してから、映像編集を行った。といっても、自分が使っている映像編集ソフト『プレミアプロ』にDVDのデータを取り込んだが、思うように再生したり編集したりできないのだ。ここで行き詰まってしまった。午後は事務所で、作業を続けたが、うまくいかなかった。ハイビジョンレベルのDVDに書かれた映像の編集はできたりできなかったりする。自分で映したビデオなら編集できるのだが。ここで諦めたら、二度とできないだろう。)

 
 

マニュアルは欠かせない

04 4月

「忘れること」との闘い
  私は年の割にはいろんな事をやり過ぎていると自分で反省している。パソコンは大好きだが、パソコン一つとっても、あれこれやりたいことが多すぎて、頭がついていかない。この頃は、人の名前を忘れるように、しばらくやらないとできたこともできなくなる。

  正月以来、フォトショップで絵を描くことが多かった。今日久しぶりに映像編集をしようとしたが、なかなかうまくできない。久しぶりにやるとできると思ったことができなくなるのだ。今後は、自分のための「マニュアル」が必要になる。

  映像編集にはいろんな段階がある。元になる映像を、編集ソフトに呼び込まなければならないが、これが私には簡単ではない。元の映像が、DVDになっている場合や自分で撮ったビデオのハードディスクにある場合などいろんな場合があるのだ。

   今日も、自分で撮った映像をDVDに役までを復習してみた。市販のマニュアルを見ながら、どうにかこうにかDVDに焼くことができた。途中経過は、かなり偶然にできたところもある。確実にできるようにするには、自分で自分のマニュアルを作っておかなければならない。そう思って、マニュアル作りを始めた。

 私の年齢の前後が、パソコンなどをやり続けられるか、諦めるかの境目であるように思う。私は辛うじてIT機器に遅れまいとつかまっている状況だ。ここで諦めたら永久にパソコンから離れなければならないだろう。

  これからは、覚えたことを忘れながら、行きつ戻りつしていくのだろうか。音楽ソフトを使って歌を作り、フォトショップで絵を描き、プレミアで映像を編集する。どれかを諦めなければならないのだろうか。それとも、忘れないように、自分のための「マニュアル」を作って、必要最低限の技術を維持するこに努めなければならないのだろうか。

  今の私は、後者の方を選ぼうとしている。若いうちに、将来楽しめるように最低限のIT技術を身につけておいた方がよいかもしれない。少し難しくなったら、周囲の人に教えを請うことで今日までは最低限の技術を維持してきた。今日も、電話でY君に尋ね、Sさんには仕事の帰りに家へ寄ってもらった。

  こうした人達のお陰で今日まで来たが、時々一度習ったことを再び質問することがある。これでは相手に迷惑だ。何とか、今できることでも、マニュアルにしておかなければと思う今日この頃である。

太鼓の練習の後、フラダンスの練習をする太鼓のメンバー。今日は1曲の振り付けの4分の1の練習をした。

(日記 午前中、映像編集の練習。フラダンスの練習ビデオを作成。午後も作業を継続。夕方、仕事帰りのSさんに少し教えてもらった。午後7時半から、和太鼓の練習。出番は、今月の22日だ。メンバーは、その日に練習する曲を練習した。最後に、メンバーがフラダンスの練習。先生はいない。YouTube等を見ながらの練習だ。今年中には、生のハワイアンバンドと彼女たちのフラダンスをコラボしてみたい。これは一つの夢だ。今日はメンバーの一人、Sさんの誕生日だ。練習の後、メンバーが彼女のささやかな誕生パーティーをした。)

メンバーの一人、Sさんの誕生日。練習の後、メンバーで誕生日を祝う。

 
 

災害列島

03 4月

続発する災害
  最近は、年よりも災害が続くように思う。先ず地震が多い。あまりの多さに、テレビ速報の地震のニュースも見慣れてきたように思う。本当は大変なことなのに。そこへ、ゲリラ豪雨。台風または、台風並みの強風。

  そのたびに、どこかの地区で大きな災害が発生する。元々地球は生きているのだ。なんと言っても、回転する火の玉なのだ。そして、私達はその上に生きているのだ。地球の表面は今でも動いているのだ。

地球誕生の頃。火の玉の地球には生物は全くいなかった。

  地球の表面は、プレートという大きな岩板でおおわれている。そしてプレートは、たがいにぶつかりあったり、地球の中にもぐりこんだりして動いている。そして、地震を引き起こすことになる。いつどこでどの程度の大きさで地震が起こるかは簡単には予測できない。今回が想定外というように。

 プレート同士がぶつかり、動くのは、プレートのさらに下にあるどろどろに溶けたマントルの流れが関係しているようだ。どろどろに溶けたマントルの上でプレートが動いていることになる。ハワイも載っている太平洋プレートは1年間に10cmの速さで動いている。このままでは、いずれはハワイ諸島は日本海溝に沈み込んでしまうのだろうか。

 そして、地表でも、人間の営みが温暖化を招き、南極や北極の氷河が溶け始めている。それらの動きは、低地を水没させるだけではなく、気候の変動を招き、動植物の生態系にも大きな影響を与えようとしている。

  地球は生きている。生きているから何が起こるか分からないのだ。そうした事実を私達は忘れがちである。科学万能であるかのごとく、次から次へと新たなものを生み出し、それらが、地球の怒りを買い、災害となって私達を襲って来ているのではないのか。

水の惑星と言われる現在の地球。しかし、内部は火の玉、表面は動いている。いつでも地震を起こす可能性はあるのだ。

  自然と共生することを大前提とすべきだろう。あまりにも快適さ便利さばかりを求めず、精神的な豊かさに目を向けるべきではなかろうか。幸せは必ずしも物質的な豊かさから来るものではないのだから。

(日記 午前中、区長の資料を調べる。午後1時より、集会所で「子ども見守り隊」の会合。子どもの下校を見守ろうと申し合わせた。また、子ども達と挨拶から始めて一声かけようと言うことになった。どんな小さな事でも何か一言子ども達と話すことができたらと思う。)

 
 

また一つ勝山の灯が・・・

02 4月

最後の楽器店閉店に思う
  勝山から次々といろんな店が消えていく。先月をもって、サンプラザに隣接する楽器店が閉鎖した。昔は2店舗あった楽器店も、とうとうなくなってしまった。1楽器店が勝山からなくなったというよりも、このような傾向が今後も続く可能性があることの方がさみしい。

  今では、勝山ではパソコンも買えなくなってしまった。隣の大野市には二つの家電量販店があるのでさほど不便は感じないが、これからもいろんな店がどんどんなくなっていくだろう。昔は、いろんな専門店があり、まちはそれなりの賑わいを見せていた。

 私も、最近では、ネットによって買い物をするようになった。しかし、次々と専門店はなくなり、買い物の楽しみがなくなるだけではなく、勝山の経済の活性化にも悪影響を及ぼすようになってきたのはさみしい限りだ。少子高齢化と共に、人口が減り続ければこの傾向は続くだろう。

  そのうちに、保育園や学校も統廃合が進むだろう。勝山にあった公的あるいは民間の出先機関もどんどんなくなっている。大野市とのわずかの人口の差が、大きな影響を与えている。大野市、勝山市にあったもののほとんどは大野市に統合されてしまった。

 この傾向もまた今後続いていくだろう。問題はここからだ。無いものをうらやむ前に、「あるものを楽しむ」という生き方、「なければ作る」という精神で頑張っていきたいと思う。

  「知恵無限」である。勝山らしい生き方、心豊かな生き方を目指し、人と人の結びつき(絆)があるまちをつくれないだろうか。誰かから指示されるのではなく、地域自ら美しいまち・住みよいまちをつくることができないのだろうか。

大相撲巡業がやって来た頃の勝山神明神社。横綱吉葉山の土俵入り。この頃は活気があった。

  住んでよかったと言えるまちをつくることができないのだろうか。そうしたまちを作る第一歩は、ハードではなくソフトから始めることができるように思う。金をかける前に、知恵を働かせ、心温まるまちをつくることから始められないだろうか。

  今こそ、ブータンの「国民総幸福度(GNH:Gross National Happiness)」について勉強してみる必要があるのではなかろうか。GNHとは、物質的な豊かさだけでなく、精神的な豊かさも尺度に入れた「幸福度」を表すものだ。

  ブータン前国王が国民総生産(GNP) に代わる概念として提唱しものであり、先日来日した現国王も、GNHの増大を国の開発政策の理念として打ち出しているとのことだ。まだまだ勝山にも可能性があると私は確信している。

(日記 午前中、区長としての義務的な手続きなどを行った。午後は、大屋根と下屋の雪止めの瓦に引っかかっている杉葉を取り除いた。年々高いところが苦手になってきた。その後、整骨院で治療を受けた。午後4時過ぎから役所の方と意見交換を行った。久々に夫婦二人きりの生活に戻った。)

 
 

それって“当たり前”?

01 4月

活字に対する弱さ
  私たちは、新聞や様々な書籍など活字になった情報に対しては、それが真実であるかの如く受け取りやすい。しかし、新聞を二紙以上購読してみると、必ずしもそうでないことがよく分かる。

  A紙では重大であると捉えている問題でも、B紙では取り上げもしなかったり、小さな記事で済ませている場合が多い。新聞社の立場で記事の取り上げ方が全く違うからである。

  市教委勤務時代は、強烈なセールスマンのせいで、常に2紙以上の新聞をとらざるをえなかった(半分は気の毒に思って購読したが)。私は、活字が大好きだ。そこで、2紙以上を読み比べて見ると、ニュースの扱いに大きな差があることがよく分かった。

  1紙だと、新聞に書いてあることが事実であるかのような錯覚に陥る。一般には、読者は皆活字に弱いのだ。活字によっていつの間にか洗脳されてしまう危険がある。読んだ後、自分の頭で考えなければならない。

  行政の政策を一つとっても当事者として考えるのか、傍観者として考えるのかによってずいぶん異なる。どこから見ても非の打ち所のない施策などありはしないだろう。傍観者はただただ批判さえしていればよいのだから気楽なものである。

 やはり、一定の年齢になったら、浮き草のように立場をはっきりさせずに批判ばかりしていないで、自分の立場をはっきりさせて論評してほしいものである。そうでなければ人の信頼は得られないだろう。
 
    いつも野党の「立ち位置」が気になる。ただ、反対のための反対をしている場合が少なくないように思う。これって当たり前だろうか。自分の立ち位置をはっきりさせ、反対なら対案を示して議論を深めてもらいたい。他人を非難することは簡単だ。当事者意識を持ってもらいたい。

  映像についてもそうである。“百聞は一見に如かず”ということわざもあるように、私たちは映像には全く弱い。しかし、映像といえども全体の一部を切り取っているに過ぎず、よくよくその裏側や見えない部分を考えないと、判断を誤ることになる。

  少人数しか集まらない集会でも、全体を映さなければ、たくさん集まっているような錯覚を起こさせることは簡単である。マスコミがよく使う手だ。何万の大軍が合戦しているシーンも百人余りで十分表現できるように。

  マスコミは、表面的な取材しか行っていない場合が多い。「専門家」の意見も、怪しい。以前は、専門家というとその言動をそれなりに信用していたが、近年、特に原発事故以後は、専門家とは「何もせんもん(者)」のことで、オウムのように誰かのメッセージを述べていると考えたくもなる。

 視聴率を上げるためになりふり構わず興味半分に報道するマスコミの姿勢もこれでよいのだろうか?表現の自由のためと言ってしまえば、誰もこれを止められそうにない。見る者が悪いと言ってしまえばそれまでである。そのうちに、これが当たり前だと思ってしまうことになるだろう。

 今こそ、「当たり前」を疑問に思う力を子どもたちを育てなければならないのではなかろうか。そうでなければ、世の中は知らないうちに、とんでもない方向へ行ってしまうことになるだろう。TPPもよく情報を開示して、国民的な議論を行い、結論を導いてほしい。

  政治家に任せることを当たり前と思い、近視眼的に人を選ぶことを当たり前に思い、今の世の中の理不尽さを当たり前と思い、マスコミの報道を真実だと当たり前に思い、専門家の言動を真実だと当たり前に思うのは、そろそろやめて自分の頭で考え、「それって当たり前?」と疑ってみてはどうだろうか。

同窓会ということで写真を探してみた。あれから40数年。夏の林間学校で一本松へ。堰堤で泳いだときの記念写真。

(日記 午前中、平泉寺小中学校校歌の伴奏カラオケのCD作りを行った。今年度中に60歳になる平泉寺中学校卒業生の『還暦記念同窓会』が行われ、そこで校歌を歌うためだ。当時の平泉寺中学校には、音楽教師がいなくて、大学で軽音楽同好会に属していた私が音楽担当を命じられてのだ。今年還暦を迎える連中のbん音楽の授業を私が受け持っていたのだ。バイエルのバの字もできない私が、ピアノを弾いて音楽をん教えていたのだ。彼らは、もう一曲、40数年前に私が作った『明日になれば』も歌うというので、それもCDにした。午後になって完成したので、幹事のO君に電話をかけて取りに来てもらった。私の部屋でO君と雑談をした。とても楽しかった。午前10時過ぎに、息子の家族が3人の子どもを連れて横浜へ帰って行った。息子は、先週家族を連れて車で帰省し、翌日には仕事のために孫達を勝山に残して横浜へ帰って行った。そして、昨日新幹線で帰ってきて、今日はもう家族を乗せて車で横浜へ帰るのだ。孫達は、1週間我が家で過ごした。少しずつ、大人になっていくようだ。)