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Archive for 12月, 2011

マニュル理解の困難さ

21 12月

知っている人に学ぶのが一番
パソコンを活用しようとすると、その目的によっていろんなソフトを使いこなさなければならない。誰かに教えて貰うことはいいことかもしれないが、時間、費用、指導者などいろんなことを考えるとなかなか難しい。

そこで、マニュアルで理解しようとするが、これが簡単ではない。どうにかこうにかビデオカメラで自分で撮った映像は、編集できるようになった。

ところが、DVDなどで映像データを貰った場合には、ファイル形式の違いなどがあって、簡単に映像編集ソフトで読み込むことができない。と言うことは、編集もできないことだ。

私のパソコンの先生であるY君。彼のおかげで私はパソコンを楽しむことができるのだ。 

今日、普段から学びたいと思っていることを、いつも世話になっている息子の友達のY君に教えて貰うことができた。とてもありがたかった。

マニュアルでは理解しようとしたがどうしても理解できないことだったからだ。パソコンソフトのマニュアルを理解しようとすると、いろんな専門用語が出てきて大筋を理解することが困難である。

子ども達が、教科書を読んで新たなことを理解しようとするようなものだ。予備知識が乏しいと新しいことはとても理解しがたい。こんな時、教師の出番である。

ところが、パソコンの場合には、それぞれのやることが異なっているので、身近に必要なことをおしえてくれる人を見つけることは困難だ。

私の場合、Y君のおかげで壁に当たる度に教えてもらえるからありがたい。今日もDVDの映像データを私の持っている映像編集ソフトで読み込める形式に変換する方法を学んだ。

一歩一歩“YOU TUBE」へ自作の歌をアップする日が近づいていくようでワクワクする。今年中には、アップしたいなあと思う。後10日しかないが。面白くなってきた。

左義用太鼓の練習。みんなノリノリだった。(於:私の事務所)

(日記 午前中は映像編集の勉強と左義長太鼓のフレーズ研究。午後は、年末の大掃除。と言っても、いろんな書籍や楽譜、DVD屋CD、各種マニュアルなどを整理しただけでそんなに目に見えて部屋は綺麗にならなかったようだ。午後7時半より、春駒太鼓の練習。まず最初に、フラダンスの自主練習。その後、2月の出番に向けて左義長太鼓の練習。みんなも楽しく練習することができたようだ。私は、アドバイスするだけだが、それでも楽しかった。)

 
 

誰が一番力持ち?

20 12月

橋下改革の行方
昨日から橋下氏の市長としての活動が正式に始まった。と言うよりも選挙直後からすでに始まったいると言った方が当たっているかもしれない。

「大阪都構想にはいくつかの壁があり前途多難である」と、評論家やテレビコメンテーターが選挙直後に口をそろえて発言していた。

過半数をとっていない大阪市議会に対する対応、大阪都構想を実現するには国会で地方自治法を改正すること、そのためには国会議員を動かさなければならないこと、そして大阪市民による住民投票をクリアしなければならないことがあるからだという。

しかし、私は評論家が言うほど壁は厚くないと思っている。それは、国会議員などの多くは政治家ではなく政治屋であるからだ。

国民のことを考えるのが政治家で、自分の選挙のことを考えるのが政治屋だそうだ。橋下氏の今日一日の行動を見ると,与野党を問わず橋下氏にラブコールを送っているように思えてならない。

橋下氏の方でも、そのことを理解しているようで協力を得られなければ次期選挙には大阪維新の会から候補者を擁立すると宣言している。政治屋の先生方には強烈なメッセージだ。

ところで大阪都構想とは何か、橋下氏が何を考えているのか、そんなことを知りたくなって、昨日、金沢から帰る途中、松任の本屋で『体制維新-大阪都構想』(橋下徹・境屋太一)を購入した。

そして、今日、済生会病院の待合室で読んでいた。10時頃に病院へ着いて診察が終わったのは、午後2時半過ぎだった。そのため、かなり読むことができた。

橋下氏と境屋氏の対談やそれぞれの考え方、教育改革などについても書かれていてとても興味深かった。帰宅してニュースを見ていると、橋下氏の今日一日の言動がテレビで取り上げられていた。与野党の代表などと会談しているようだった。

大阪市の動向にしばらく注目だ。このように橋下氏に大きな力を与えたのは、大阪市民や大阪府民の一票だ。私達の持っているのは一人一票だ。

しかし、「たかが一票、されど一票」である。集まれば、大きな大きな力となる。もしも、橋下氏が落選していたら、今頃は国民からもマスコミからも忘れ去られていたかもしれない。

しかし、大阪維新の会は、市長選でも知事選で圧勝した。しかも、普段は投票に出かけない若い人達をも投票に向かわせたのだ。変革を求めたのだろう。

考えてみれば、「誰が一番力持ち?」の答えは明白である。今の政治家を選んだのは私達である。私達一般人は国政、県政、市政に関心を持ち「自分に与えられた一票」を有効に生かさなければならない。

村岡小の放課後児童クラブの子ども達の前で、クリスマスソングを演奏。

(日記 先日、ダメージを受けた肋骨が痛い。息をしても、手を動かしても、咳をしても激痛が走る。やりたいことはいっぱいあったが、先ず、済生会病院へ行くと決めた。午前9時に自宅を出たのに、帰宅したのは、午後3時過ぎだった。着替えて、村岡公民館へ。放課後児童クラブの読み聞かせの時間に「5人で絵本を読み、クリスマスソングをオカリナで演奏」するためだ。「オカリナの音が好き」という小学生がいて嬉しくなる。)

 
 

大きな町小さな町

20 12月

近江町市場にて
朝、片山津温泉を出て金沢へ向かう。デパートなどでで買い物をして近江町市場へ向かう。魚や肉から野菜や雑貨などいろんなものがそろっている。所々に食堂などもある。

同じ品物でも店によって多少値段が異なる。一通り回ってから、買い物を始めた。ものによってはかなり安いのではないかと思われる。

月曜日だというのに、かなりの人がいる。金沢市民と共に観光客も買い物をしているようだ。このような市場は、金沢だからできることだろう。

沢山の新鮮な魚介類や野菜などが並ぶ近江町市場で買いもの。

近くに購買人口があるかどうかが大きな問題だ。勝山と福井を比べれば、今やパソコンなどは勝山では購入できない。楽器なども同様だ。書籍なども、福井の方が種類が多い。福井にはあっても勝山にないものが少なくないのだ。

福井と金沢を比べても同じようなことが言えるだろう。福井にないものが金沢にはあるのだ。小さな町では商売にならなくても、大きな町なら商売になるのだ。

町が大きくなれば、近隣からも客を呼ぶことができるのだ。そこに格差が生まれる。こうなると、小さな町だからできることを見つけなければならない。そうでなければ、地方の過疎化は進む一方になる。

夕食は、近江町市場でとった。新鮮な魚の寿司は美味しい。こんな市場が近くにあったらと思う。食生活が豊かになるだろうなと思いながら、金沢を離れた。

途中で、白山市の中心である松任のショッピングセンターに寄った。勝山と比べて人口が多い分、店の数も多く、品数も多かった。大きい町と小さい町の違いは歴然としている。

習い事などの機会も、町の大きさで異なる。町が小さくなると選択肢が少なくなるのだ。しかし、私は、町が小さいからと悲観してはいない。創作活動などは、町の大きさに影響しないと思っているからだ。

それと、インターネットの普及でネット上の学習機会や物品の購入は町の大きさに関係がないからだ。市内の印刷屋さんも、ネットの普及で全国各地からの注文が仕事の8割以上を占めていると聞いた。

私も、ネットで買い物をすることが少なくない。福井でも購入できないものもいくつもあるのだ。今や、若い人達は、ネットでのショッピングをかなり利用しているようだ。

不便を克服しつつ、今この町でできることをたくさんやりたいと思っている。この町の不足や機会のなさを嘆くよりも、この町でできる沢山のことにチャレンジしてみたい。

ケーキのろうそくやイルミネーションの光の中でクリスマスソングを演奏。今年最後のオカリナ教室。

(日記 片山津を出て金沢へ行きショッピング。その後、近江町市場で昼食。さらに、松任で買い物をし、谷峠回りで帰宅した。白峰や北谷では路面にも雪があった。雪の量は市内とは大きな違いだ。午後7時半より、今年最後のオカリナ教室。最後に、クリスマス曲を演奏して教室を締めくくった。)

 
 

二人だけの忘年会

18 12月

お互いに1年間ご苦労さん
現職時代と違って忘年会の数はめっきりと減った。楽しいのもあったが、義理で出るのも少なくなかった。しかし、今は、好きな者同士の忘年会がほとんどだ。

今日は、夫婦二人の忘年会だ。車で片山津温泉へ行くことにした。4時ころ到着。即一風呂浴びて家内とカラオケ。これはストレス解消と体操みたいなもんだ。

その後、夕食。廊下でいろんな人達とすれ違った。家族連れや職場の仲間もいれば、我々のような年配の夫婦連れも少なくない。それぞれの夫婦は何十年間か連れ添ったのだろう。

私達夫婦のこの30数年間の最大のイベントと言えば、3人の子育てだろう。いろんな苦労があった。しかし、過ぎ去ってみると、懐かしく全てが「よい思い出」となっている。

一番困ったことと言えば、やはり子ども達の病気だった。何度か入院もした。また、3人の子ども達の進学問題、就職問題、そして結婚。この30数年の間に本当にいろいろなことがあった。

二人だけの忘年会のために片山津温泉へ行き、柴山潟をバックに記念写真。

そして、それぞれが独立していった。これからは、一番頼りになるのはお互いの「相棒」だ。自分のために相手がいるのではなく、お互いの努力によって相手を支えているのだということを忘れてはいけない。

口に出しては言わないが、家内には感謝の気持ちでいっぱいだ。今日出会ったそれぞれの夫婦も同じ思いだろう。今日は、日頃のせわしなさから解放されて、のんびりと風呂に入り、ストレス解消をしたい。

そして、明日からも“前へ”進む努力をしたい。少し的を絞ってコツコツと積み重ねたい。隣で家内が横になってテレビを見ながら笑っている。私は、いつもの日課のブログを書いている。

書き終えたら二人でカラオケ2時間。食事前の1時間と合わせて合計3時間。歌作りの勉強にもなったし、ストレス解消にもなった。そして、再び入浴。

(日記 一昨日、除雪のための井戸のポンプを設置している際、肋骨を強打した。昨日は息をする度胸が痛んだ。そこで今日は温泉へ行く前に、済生会病院へ行き、診察して貰った。ところが、色々忘れ物をしたのに気がついて勝山へ逆戻り。その後、高速で片山津温泉へ。そして二人だけの忘年会。)

 
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増税の前にすることが

17 12月

政治に信頼感を
   日本の何倍も税金の高い国がある。しかし、そのような国の国民は暴動を起こしたりはしない。それは、政府に信頼感があるからだ。政治家に信頼感があるからだ。

   いつも思うことだが、“元々うまくいかない”のに“うまくいくかのごとく国民にアピール(マニフェストで)”して政権を取った政治家達の言葉の軽さと無責任さはどうしようもない。

   今や政府は増税路線を歩もうとしている。肝心の公務員改革を先送りして増税ができるのだろうか。震災復興のためなら、ある程度の負担はやむを得ないと思うが、税がどのように使われるかを明らかにしてからにしてほしい。

  民主党が始めた「事業仕分け」で朝霞の公務員宿舎の建設が凍結されたはずだが、野田氏が財務大臣時代にこの宿舎の建設を認めて工事が始まってしまった。

 ところがマスコミや国民が大騒ぎして慌てて撤回することになった。もしも、マスコミが騒がなかったらこうはならなかっただろう。与党の民主党、あるいは他の野党の皆さんが未曾有の大震災を考慮に入れて政治の力で阻止できなかったのだろうか。

  それとも、官僚の皆さんの圧力に屈したのでしょうか。官僚の皆さんも政治家の皆さんも国民の血税で生きていることを考えれば、第一に国民のためになっているかを考えてを行動していただきたい。ところが、それぞれが、族議員であったり、誰かの後押しで議員になったとすれば、国民よりも、そちらに目が向くことになってしまう。

  結局、国民は置き去りにされ、政治に翻弄されることになる。今や既存の政党では、この国の難局を乗り切れないのではないかと思ってしまう。「大阪維新の会」の躍進はそれらに対する国民の怒りのように思えてならない。大阪の動向に注目したい。

(日記 終日、編曲作業。途中で、午後4時より親子太鼓のために事務所へ行く。保護者の方はかなり上達してきた。子ども達は保育園児と小学1年生なので、和太鼓を始めるにしては少し時期が早いような気がする。何とか、楽しめるように教室を進めたいものだ。午後10時頃、ようやくオカリナのCDが完成した。この間、NHKの税の問題(テレビ)を聞きながらの作業だった。)

 
 

遠くなる我が子の幼児期

16 12月

いつの間にか子供は大きくなる
今日は、子育てマイスターのSさんの応援のために、福祉健康センター「すこやか」へ出かけた。幼児検診の後の時間を使って、乳幼児とそのお母さん達の前でクリスマスバージョンのオカリナを演奏したりした。

平日のために、参加できたオカリナ隊のメンバーは6人。そのうち二人は私達夫婦であった。若いお母さん達が乳幼児と共に参加していた。これからが2歳、3歳と大きくなり当分の間は子育ての大変な時期が続くことになる。

乳幼児とそのお母さん達の前でオカリナ演奏。(於:福祉健康センター)

子供が小さいこの時期は、子育てを楽しむ余裕などなく、ただ慌ただしく過ごしたように思う。なんと言っても一番大変だったのは家内の方ではなかっただろうか。私は、仕事へ行けば子育てから離れられたからだ。

しかし、過ぎ去ってみると、あの「せわしさ」も捨てたものではない、そう思えてくるから不思議だ。子ども達と過ごしたどの時期も過ぎ去ってみると懐かしく、「あの頃は充実していたなあ」と思えるのだ。

また、自分の子育ての時期は、精神的な余裕がなかったが、孫となると気持ちにも余裕ができ、ゆったりと孫達に接することができるのだ。

そんなことを考えながら、乳幼児とそのお母さん達を眺めていた。オカリナの後、短時間だが、私達夫婦で手遊び歌を披露した。私がアコーディオンで伴奏し、家内が歌いながら手遊びを行った。

家内と二人で手遊び歌。会場のお母さん達もいっしょに手遊び歌を楽しんでくれたようだ。

乳幼児は言葉もわからず、何も理解できないように見えるが、実は身体全体でいろんなことを感じているのだ。人間として大切なことを身につけている時期なのだ。

3歳までに人間としての基本ができあがるとさえ言われている。今日来たお母さん達も、大変だろうが、愛情を持って子育てに当たっていただきたいものだ。言葉よりもハートで。

(日記 午前中、今日の出番のCD作り。そして、1月、2月に向けてオカリナ教室の教材作り。楽譜や個人練習用のCDを作るのだ。午後1時に家内と二人で、子育てマイスターのSさんの活動に協力するために「すこやか」へ行き、オカリナを吹く。手遊び歌も行う。帰宅してから、残ったナメコの種駒を2本の原木に打ち込む。雪が降ってきたので、家の井戸に融雪のためのポンプを設置する。自動的に、1時間に約3回、約5分ずつ坂道に井戸水が流れるのだ。これによって家の前にある車庫から道路までの除雪を行っているのだ。いよいよ本格的な冬か。一応備えはできた。)

 
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ナメコ栽培に初挑戦

15 12月

1年後の豊作を夢見て
   私はかねてからナメコや椎茸を栽培したいと思っていた。しかし、原木を手に入れることは簡単ではないと思い込み、これまで諦めていた。

  しかし、隣のKさんが、河川敷の樹木を伐採した手頃な原木を10本持ってきてくれた。そこで、昨日、ホームセンターで500個と250個入ったナメコの種駒を購入し、それに合わせた直径8.5mmのドリルの刃先も購入した。

  今日は先ず原木にドリルで穴を開けてナメコの種駒を一個ずつ木槌で叩いて打ち込んだ。一本にだいたい60個から70個の種駒を打ち込んだ。

  収穫は、来年の秋から数年に及ぶという。来年の秋が楽しみだ。毎日大きく育つのを見るのは、どんな野菜であれ嬉しいものだ。イチジクやキウイにしてもそうだ。わくわくする。

車庫でナメコの種駒打ち。来年秋の収穫が楽しみだ。

   野菜作りで楽しいのは次々と先に向けて仕掛けていくことだ。どれをとっても短期に収穫できるものではない。そこで、いくつも仕掛けておくことだ。そうすればいつでもいろんなものの収穫を期待できるからだ。

  来春、雪が解けると、先ず「勝山水菜」が収穫できる。少しでも早く育てるためには、雪を割ってビニールをかければ通常よりも早く育つのだ。4月末頃まで収穫できるのではなかろうか。それから、わざと残しておいた大根や蕪も収穫できるはずだ。

 そして、エンドウ、そら豆、タマネギ、ニンニク、さらにイチゴ……と次々と実りが期待できる。これらはすでに畑で春を待っているのだから。春になったら、これらを収穫しながら、ジャガイモを筆頭に初夏から秋にかけて収穫できる野菜を順次植え付けていくのだ。

  野菜作り以外でも、次々に何かを仕掛ければ(取り組めば)それだけ人生は豊かになるのではなかろうか。是非とも、今の子ども達にもこうした「実り」のサイクルを体験してほしいと思う。

 何事もお金で即座に解決できる今の時代にあって、自然を相手に長い期間をかけて「もの」を育てる体験は子ども達の血となり肉となるはずだ。退職して、いろんな作物野栽培にチャレンジできるのはありがたい。そして、楽しい。

(日記 図書館へ行き、紙芝居の資料となる動物や恐竜の図鑑などを借りた。私にとっては一つの「仕込み」だ。その後、冬用の米を精米し、正月のために餅米も精米した。午後は、1時頃から5時頃までもらった原木10本にナメコの種駒を打ち込んだ。その後、明日から雪が降る可能性もあるので2台目の車(ワゴン車)にもスノータイヤを入れた。)

 
 

パソコン(UPU)と脳

14 12月

定期検診に思う
    私は、2月に1度、定期検診を受けるために、済生会病院へ出かけている。今日がその日だ。今日は、脳外科へも寄った。時々頭痛などがするためだ。運良く、3年前に手術をしていただいたY医師に診てもらうことができた。

  救急で夜中に済生会病院へ入った日に診て下さったのも、手術して下さったのもこのY医師だった。柔和でてきぱきしていてとても素晴らしい先生だと思う。信頼感、安心感の持てる先生だ。

  診察とCT検査の結果、どこも悪くはなかったが、その時、先生がおっしゃった言葉に思い当たることがたくさんあった。

   私「いつもパソコンをしているのですが・・・。」
Y医師「1時間に1回ぐらいは休みなさい。肩も凝り固まるでしょうし、血の巡りが悪くなりますよ。」
  私「肩も凝りますし、目も疲れます。時間を忘れてパソコンに没頭しますから。」
Y医師「脳の処理能力を超えているんじゃないですか。そんなときふらふらっときますよ。」

  この言葉に、私はパソコンを思い出した。パソコンは、処理能力を超える負荷を与えるとと、スピードがガクンと落ちたりフリーズしてしまう。そうかもしれない。

  Y医師は、 「気持ちはいつまでも若いでしょうが、身体はそれなりに老化していくものですよ。無理をしないで下さい。また具合が悪かったらいつでも来て下さい。」と柔和な顔でおっしゃった。

  今の私は、退職したのに以前と同じような忙しさである。だだ、以前と異なるのはやっていることのほとんどに締め切りがないために、作ろうと思えばいつでも自由な時間が作れるのだが。

  しかし、時には限度を超えていることもある。気持ちが先走って身体がついてこないと思うことも少なくない。身体のことも考えながら、行動しなければならないのではないか。Y先生の話を聞きながら、そんなことを考えた。

  パソコンと運動の「バランス」をとらなければならない。これから冬になると、パソコンは自由に出来るが身体を動かす機会はめっきり少なくなる。冬こそ運動が必要なのだ。Y先生の話を聞いて、明日から「気持ちはゆったりとしなければならない」と思った。

パソコンでDVDを再生しながらフラダンスの練習。今日は、足や下半身の動きの練習。(於:私の事務所)

(日記 午前中、福井の済生会病院へ出かけ、内科で定期検診を受けた。さらに、脳外科でも診てもらった。いろいろ勉強になった一日だった。帰宅してから、映像編集を再開した。午後7時頃、ようやく「楽しいフラ教室」のDVDが完成した。ビデオ撮影から編集、DVDに焼き付けるところまで自力でできた。まだまだ、いろんな技術があるが、とにかく、最低限の技術だけはようやく身につけることができた。バンザーイである。今日は和太鼓の練習日。午後7時半に事務所へ行く。最初にできたてのDVDを使って「フラダンス」の練習会。その後、左義長太鼓の練習。みんなで左義長ばやしを楽しむことができた。)

左義長太鼓の練習。雪祭りに披露する予定。

 
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一つの壁を乗り越えられそう

13 12月

映像編集に没頭
   昨日のブログにも書いたが、「バランス」は大切だ。特に、パソコンの好きな私は、「デジタル」と「アナログ」のバランスが必要だと思っている。今日のパソコン作業は映像編集だ。パソコンでの映像編集と、楽器演奏や踊りはデジタルとアナログだ。

  私の夢の一つは、ハワイアンバンドとフラダンスのコラボだ。私は、今年の春からハワイアンギターの練習をしている。50年ほど前に買ったハワイアンギターが壊れたが、修繕して再び使えるようにしてもらったので練習が楽しみだ。

  家内と、二人でハワイアンバンドの練習もしている。今、一緒に和太鼓をやっている連中(若者)が、フラダンスをしてくれそうである。フラダンスを学ぶには、指導者が必要だが、今回はみんなが力を合わせて自力でマスターしようと話し合っている。

  そのためには教材が必要だ。従って、動画編集が必要になるのだ。目的があると必死になる。なかなか前へ進まなくて、これまでは壁に突き当たると少し頑張ってみるが簡単にあきらめていた。そのために、いつまで経っても、マスターできなかったのだ。

キウイの剪定作業。実の付いた枝を切るのはキウイに対して申し訳ない気持ちだ。しかし、3分の1ぐらいの枝を切り落とした。

  今回は、あきらめるわけにはいかない。粘りに粘って少しずつ壁を乗り越えることができつつある。何とか、最低ラインは越えられそうである。自分でビデオを使って撮影し、それを編集して音(または音楽)を入れ、最終的にはDVDに書き出すのだ。

  最初はフラダンスの教材作りだ。これさえあれば、若い彼女たちなら、自力でフラダンスをマスターし、人前で披露できるようなレベルになると確信している。問題は、私のハワイアンギターだ。目標があれば簡単にあきらめることは出来ない。練習あるのみ。

  動画編集に、少し見通しがついた。創作活動に弾みがつきそうだ。発表の場が格段に増える。最初の狙いは「YOU TUBE」だ。正月を目指して,何かはアップしてみたい。

まもなく雪が降りそうなので、最後の大根の収穫作業をする家内。

(日記 パソコンの動画や写真の整理。その後、2階の整理・整頓・清掃。そして、畑でキウイの剪定。今でもたくさんの実がなっている。大きくはなれなかったが、数は数えられないくらいに実った。来年はおそらく不作であろう。イチジクも同様だ。今でも実を付いている。今年は、柿も含めて大豊作だった。おそらく、来年は木の方も疲れて不作の年になるだろう。午後1時過ぎに作業を終えて、昼食。午後は、映像編集作業。予定の半分まで作業が進んだ。先が見えて楽しみが増えそうだ。)

 
 

懐かしき友来る

12 12月

笑い声の絶えない雑談
   昔、大野高校で受け持った二人の女性が私の事務所へやって来た。私は、“教え子”という言葉が好きではない。特に、教師の側からこの言葉を使うことは特に避けたいと思っている。

  “教え子”というの言葉の中には、「教えてやった」というニュアンスが含まれているように思うからだ。一方、生徒の側から、“教え子”という言葉を使う場合には、「教えていただいた」というニュアンスがあるように思う。

  二人は、大野高校在職中、二度目に受け持った子ども達だった。彼女たちが在学中に、大野高校は、野球で二度甲子園に出場しているのだ。二人とも2児の母親だ。子育ては、別の意味で難しい時期に入るのだ。

  二人ともとても明るく、笑顔が絶えない楽しい時間を持つことができた。二人と私の関係は、20年前のあの頃と、少しも変わっていなかった。互いに素の自分を出すことができ、雑談や真面目な話に夢中になることができた。

大野高校を卒業してから20年ほど経過している二人。気持ちと間柄はあの頃と少しも変わらない。

  私が思うことは、仕事や子育てに夢中になっていれば安心できる時期かもしれないが、それ以外に自分が生き甲斐を持てるものを何か持ってほしいと願う。退職したり、子どもが手から離れたときに空しくならないようにとのも気持ちからだ。

  また、雑談の中で、私は「バランスを取ることの大切さ」について話し合った。これは、毎週月曜日に和太鼓を教えに行っている北部中学校の子ども達にも話したことだが。

  「体育的なこと」と「文化的なこと」、「肉体的なこと」と「精神的なこと」のバランスが必要だと思う。スポーツ選手も文化的なことを大切にしてほしいし、文化芸術に取り組んでいる人も体育的なこと、運動的なことも大切にしてほしいと思う。

  「デジタル」と「アナログ」、「個人的なこと」と「社会的なこと」、これらのバランスはよりよい社会人になるためには必要なことだと思う。どちらかに偏っていては、人間の幅ができない。最近、デジタルに傾きすぎるきらいがあり非人間的になっていくようだ。

 子どもなら、「一人で遊べること」と「仲間で遊べること」のバランスも必要だ。どちらかに偏っていては、将来健全に育たないように思う。仲間でしか遊べない子どもは少なくない。家にいられないので常に、仲間といなければ落ち着かないようでは困る。

  食べ物も「肉」と「野菜」のバランスが必要だろうし、「乗り物に乗ること」と「自分の足で歩くこと」のバランスも必要だ。脳の使い方もそうだろう。「左脳」と「右脳」のバランスが必要だ。どちらかに偏ることは健康的にも、よくないだろう。

  彼女たちは、子どもが学校から帰ってくると言うことで4時過ぎに帰って行った。「また来るから」と言う言葉を残して。昨日、家内が、「昔の生徒さんが尋ねてくるなんて幸せなことだと思わなきゃ」と私に行ったが、その通りかもしれない。

クリスマスのための練習をするオカリナの仲間達。

(日記 午前中、短時間、事務所の掃除。午後11時過ぎに北部中学校の「和太鼓」の授業に出かける。今年最後の授業だ。子ども達と楽しく過ごすことができた。10月の半ばから始めて1曲をマスターすることができた。発表の機会がほしいところだ。午後1時半頃、大野高校時代に受け持った二人の女性がやってきた。いろんな話しをしてとても楽しい時間を持つことができた。午後7時半からオカリナ教室。クリスマス曲の練習。今シーズン後2回の出番の練習をした。)

 
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