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Archive for 12月 26th, 2011

年賀状あれこれ

26 12月

どこで“自分らしさ”を出すか
  年賀状を書く時期になった。と言うよりも、少し遅いぐらいだ。以前は、ガリ版で刷っていたので印刷するだけでも相当の時間がかかった。その上、住所を書くとなると、さらに時間がかかった。年賀状を書くのは、楽しい反面、憂鬱でもあった。

昭和55年の年賀状

  しかし、最近は、パソコンが発達し、写真などもカラーで自由に印刷できるようにあった。その上、住所も一度入力しておけば、宛名まで書いてくれるのだ。しかし、そのまま出すのはさみしいものだ。

  私も、若い頃は干支などの版画を彫り、自分で印刷していたのだ。多少オリジナリティーはあるものの個性はあまりないように思われる。どんなに干支などがきれいに印刷されていてももらう側からすれば個性は感じられない。誰から来たと名前を見なければ分からない。

  私も、昭和50年頃から、自分らしさを出すために手書きのカットを入れガリ版で印刷していた。昭和54年には生後10ヶ月半の長女のカットを、次の昭和55年には長女と生後4ヶ月の長男のカットを入れた。

   その後、昭和60年までは、成長した長女と長男のカットを入れ続けた。そして、昭和61年には生後3ヶ月余りの次女が加わり、3人の子どものカットとなった。

  翌年の62年の年賀状には家族5人のカットを入れた。手描きのカットはここで終わりとなった。その後、昭和63年から平成6年までは、子どもや家族の白黒写真を印刷屋にお願いして年賀状を作った。

昭和61年の年賀状

 そして、平成7年からカラー写真を印刷屋で頼み、平成8年は忙しかったのかカットを印刷屋にお願いして年賀状を作った。平成9年からは全て自分で写真をカラー印刷して年賀状を作り、今回に至っている。

  この家族写真スタイルは、少しずつ変化していった。自分の関わった行事などの写真を家族写真と共に掲載し始めた。そして、を平成18年からは孫が年賀状に登場し、家族写真も少しずつ賑やかになっていった。

  我が家では、いつ年賀状の家族写真を撮るかが問題だ。というのも、息子の仕事の関係で、息子の家族が3年前に横浜へ移ってしまったからだ。帰省の際、私達が横浜へ出かけたとき、家族旅行の時などにかろうじて撮影しているといった具合である。

  我が家の年賀状は我が家の歴史でもある。今日から、この楽しくて苦しい年賀状作りの作業が始まった。午前中は、デザインを考え、印刷開始。そして、住所を印刷し、それぞれのはがきに一言コメントを書くのだ。今日の作業は、午後9時半に終えることにした。

平成15年の年賀状

(日記 終日、年賀状作りと年賀状書き。かなり疲れた。明日もう一日頑張らなければならないだろう。昼、かまぼこ状に長くした餅を切った。私は餅が大好きだ。)

平成22年の年賀状