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TPPと裏と表

14 11月

政治のレベルは庶民のレベル
   最近TPP論議が盛んだ。賛成派はTPPのメリットばかりを述べ、反対派はTPPのデメリットばかりを述べている。国民は、本当はメリットが何でデメリットは何かが分からない。

  12日、ハワイで野田佳彦首相がオバマ大統領と会談し、TPPの関係各国と本格的な協議に入ることを伝えたという。政府はかなり前向きになっているように見える。

  表向き、総理は経済面でのメリットを強調してTPP加入を目指しているように思える。しかし、沖縄の米軍基地など日米に横たわる問題が背後にありはしないのだろうか。

  これまでの政府の米軍基地問題に対する迷走ぶりにアメリカが日本に対する不信感を増幅させているようだ。そのような状況を中国は見透かしているのではなかろうか。TPPは米中の覇権争いをも含んでいるように思われる。

  防衛面でアメリカにおんぶにだっこの日本が、アメリカの信頼を失ったときにはアジアの軍事バランスが崩れかねない戸心配する者は少なくない。そんなことを想像するとTPP賛成は単なる貿易関税の問題ではなく、もっともっと複雑な問題をはらんでいるように思えてならない。

   こんなことを考えると、私達はTPPに関する確かな情報を得ているのだろうかと心配になる。「賛成派」、「反対派」が、日本の国益を考えて「賛成」、「反対」を声高に叫んでいるように見えるが、族議員のように選挙を頭に置いて、自分または党の利益を考えて「賛成」、「反対」を叫んでいるようにも思えてくる。

  「賛成派」、「反対派」いずれも、それらを支持する学者や評論家の支援を得て、自説の正しさを述べているように思われる。私達庶民は、偏った一方的な意見をもとにして判断しなければならない。時と場合によっては賛否の本当の理由は隠されている場合も少なくない。

   原発問題も、事故が起きて初めて明るみに出たことが多い。「そうだったのか」ということがおまりにも多すぎるのである。原発が推進されてきたのは、国、電力会社がメリットを強調し、地方には経済面でのメリットをより強調して推進してきた経緯がある。

  敦賀市の川瀬市長の発言が福井新聞に掲載されていた。

「敦賀市は原子力と『共存共栄』してきた街です。原発には確かにリスクがある。けど、我々は一定のリスクを背負った分、経済的なメリットを受けるという選択をしています(福井新聞11月13日、風の森オピニオン)。」

というものだが、発言の意味をよく考えてみる必要がある。原発のリスクとメリットをよく考えて誰が判断したのか。福島においても同様のことが言える。物事の裏表をよく知り、多くの判断材料を得て、決断しなければならないが、それらは往々にして一部の意見のみで決められることが少なくない。

  また、TPP以前に、「農業」に関する理解の仕方も気にかかる。農業を経済面だけで語ることは出来ない。一部の学者や政治家が、そのような理解をしているように思われる。農家にとっては、農業は「生活そのもの」であり、経済面でのみ成果を語ることが出来ない。

家内と一緒にハンバーグ作りをする孫達。

   この小さな地球上には70億人の人間が暮らしているが、誰もが幸せになろうとすると、誰もが一定の我慢をしなければならないように思う。それは、必ずしも、不幸とつながるものではない。しかし、現実には自由な競争が行われ、自己中心の世の中に向かっている。利益、能率、効率等が横行し、弱肉強食の世の中になっている。

   そんな中では、日本の農家は厳しい競争に晒されれば衰退を余儀なくされるであろうとの意見が少なくない。農業を多面的に理解しなければ、農業崩壊と共に、農村崩壊、地方の崩壊が始まるように思う。

  農業の本当の価値を知らずに規模拡大、競争に強い農業を目指すことを力説する政治家は少なくない。TPPがどうなろうとも、農業については、私達日本人が真剣に考えなければならない問題であると思う。

   あなた任せにせず、自分の問題として日本の誰もが真剣に考えるべき課題であると思う。TPPのせいにするのではなく、今の農業を、農村をどう守るのか、農業の持つ多面的な価値を理解して、新しい時代の農業のあり方を考えなければならないと思う。

田舎の味である柿を食べながら談笑する孫達。

  今の政治家に不満を持つ者は少なくない。しかし、それは、政治家個人の問題であると共に、それらを選んだ私達国民の問題でもあり、「政治家のレベル」は「私達国民のレベル」でもあるのだ。今こそ、私達は政治に関心を持ち、一面的な意見のみにとらわれず、物事の“裏表”をよく理解し、判断しなければならないと思う。

(日記 就寝中、一緒に寝ていた孫が暴れるので何度か目が覚めた。それでも、一緒に寝ることができて嬉しかった。朝食後、息子達に持たせるために精米をした。その後、法人から借りた畑の後始末をした。最後に残ったヤーコンを掘り起こし、使い終わった黒マルチを持ち帰った。そして、息子達の持たせる野菜を準備した。午後、孫達と柿を取り、一緒に食べた。その後、平泉寺公民館へ自作のCD“想いは歌で伝えたい”のCDを持って行った。帰りに、ソフトクリームへ寄ったところ、そこで「数学の先生でしたね。」といきなり男性から声をかけられた。20年ほど前に大野高校で私に数学を習ったという。夫婦で大野へ帰省しているのだという。しばし歓談した。帰宅して、孫達に先日作った紙芝居を見せた。午後5時頃、米や野菜や柿などを持って孫達は横浜へ向かって帰って行った。別れ際、見せた孫達の涙にジーンとするものがあった。充実した数日であった。)

平泉寺で偶然出会ったKさん(20年前に大野高校卒業)とその奥さん。しばし歓談した。

 
 

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