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冬近し、されど……

22 11月

冬への想い“今昔”
   北陸地区に住む人間にとって冬は格別の季節だ。まずは、冬を迎えるために、かつては、いろんな備えをしなければならなかった。まずは、雪囲い。家を雪から守るために、家の周り、特に窓のある場所を囲っておかなければならない。

   これは、上から降る雪に備えるというよりも、雪下ろしで屋根の上から落とした大きな雪の塊が窓を直撃するからだ。昔は、アルミサッシなどがなかったために、すきま風が吹き込み、雪囲いは防寒のためにも有効であった。しかし、今は、隙間風が入り込むことはない。

  それから、樹木が雪の重みで折れるのを防ぐためにも、樹木にも雪囲いをしなければならない。我が家でそんな雪囲いをしなければならないような立派な庭木がないので、樹木の雪囲いで苦労することは少ない。

   昔は、冬に備えて、野菜などを藁で作った天然の冷蔵庫である“つぐら”に保存しておいたものだ。そして、必要に応じて雪の中にある“つぐら”の中から取り出して冬の間の野菜として使ったのだ。今は、スーパーなどもあり、昔ほどたくさん野菜を保存しておく必要はない。

今年も始まった雪囲い作業。晴れてよかった。

  また、昔は、米を米俵に入れて農協へ供出したのだ。そのため、農家の者は、冬は俵を編んだり、生活に使うわら細工をするなど藁仕事をしなければならなかったのだ。冬も、かなり仕事があったのだ。それに、米俵には60kg強の米が入っているため輸送にはかなりの力が必要だった。

   今は、米は袋に入れるようになり、米を入れる俵を編んだり、縄をなう必要はない。米袋には、昔の半分の30kgの米を入れるが、それでも60歳を過ぎるとかなり重く感じる。とにかく、生活様式も変わり、藁仕事は激減した。

   昔は、道路の除雪にも苦労した。子ども達の通学路を確保するために、村の大人達が、当番で、新雪をかきわけ、踏み固めて学校までの道路を歩きやすくしたのだ。私達の子ども時代は、自家用車などはなく、せいぜい一家に一台の自転車があるだけだったので、大人も子どもも冬はひたすら歩くだけだった。

  子ども達は、村の大人達への感謝の気持ちを持つことができた。また、冬は、自作のソリを作ったり、こたつで友達と遊んだりするなど冬ならではの遊びも多かった。

   冬は大人にも子どもにも時間はゆったりと流れていたように思う。そして、雪が溶け始めると、人も動植物も活動を始めたのだ。冬が、長ければ、冬が寒ければ、冬が厳しければ、それだけ、春を待つ気持ちが強くなったように思う。

   今も、私は冬も悪くないと思っている。雪害は困るが、静かで長い夜は、創作活動にはもってこいなのだ。なんでもできそうな気がする。そんな楽しみのある時期だ。

  また、冬の途中で新年が始まるのもよい。寒さの中で新年が始まると、気分が引き締まる。今年は何をしようか考える機会が与えられる。そんな冬がまもなくやってくる。今年も、創作活動に時間をたくさん使いたい。

(日記 久々の晴れで、朝から晩まで雪囲い作業。家の周囲の雪囲いは完了した。あと少し庭木野雪囲いと、家庭菜園の後始末をしたら、冬への備えはかなり出来たことになる。)

 
 

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