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「わかる」ということ

10 10月

現役の高校教員と語る
   今日、現役時代に一緒に勤務した高校教員のNさんが私の事務所へ訪ねてきた。学校の活性化や学習指導やコース編成などについて話した。楽しい充実した時間を持つことができた。

   今も思うことは、生徒達にそれぞれの教科を理解してもらう方法はまだまだたくさんあると思った。今も、生徒達を分からせる方法はまだまだあるはずだし、教員自身がもっともっと勉強しなければならないと思っている。

   「わかる」とはどういうことだろうか?分からせるにはどうすればいいのだろうか。
   「何のために学ぶのか?」を大人達は子ども達にはっきりと説明できるだろうか。
  「させられる勉強」から「する勉強」にどうすれば転換できるだろうか。
  「考えることのできる生徒を育てるためにはどうすればよいか」“考え方”をどうすれば教えることができるか?
  「学校の取り組みをいかにして地域の人たちに情報発信できるか?
  「学校の信頼を得るために学校は何をどうすればよいか?」

  こんなことを考えている時間はとても楽しい。午前9時に始まって午後1時頃まで話し込んだ。現役時代の反省も込めて、自分の考えていることを述べ、相手の考えていることを聞いた。

   私が信じていることは、言葉で直接指導できることと、言葉ではなく態度で示した方がよいことがあると言うこと。例えば、子ども達が夢を持つことを望むならば、「夢を持て」と話すより、.自分が夢を持ち、その夢を語った方が伝わるのではないか。

  直接的な指導と、間接的な指導法があるはずだ。後者は、「背中での指導」と言い換えてもいいかもしれない。教師は、両方がなければならないと思っている。しかしながら、夢を語れる教員はそんなに多くないと思っている。

   いつになっても夢を持っている者は若くいられると思う。逆に、昔を振り返るばかりの者は、相手に伝えるものは少ないと思う。過去を生きるよりも、今を生きたいと思う。

   そういう意味では、大学の軽音楽同好会のOB会が今週末、浜松で開かれるが、「昔バンドをやっていた」ではなく、再び楽器を持ち、OB会で演奏会が開かれることは素晴らしいと思う。私も久々に真剣に練習した。昔の何倍も苦労するが、それでも楽しい。

(日記 午前中、級友のNさんと教育について昼過ぎまで語り合う。午後、1時より、「おじさんバンド」の最後の練習会があった。今日も、名古屋や石川県からメンバーが私の事務所へやって来た。午後7時まで練習した。私も、ハワイアンギター、エレキギター、クラシックギター、ドラムを演奏することになった。特にロック調のドラムは、速すぎて手がスピードについて行けない。苦労した。覚えも悪くなった。これを少しでも克服するには練習しかないと思った。でも、みんな音楽が好きだ。みんなで演奏することは本当に楽しい。今日で練習会は終わった。後は本番で頑張るしかない。)

 
 

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