RSS
 

Archive for 9月, 2011

太鼓に明け暮れた一日

10 9月

北部中学校文化祭
  今日は北部中学校の文化祭の初日だ。そして、今日は3年生の選択音楽『和太鼓』の発表に日でもある。4月から初心者が太鼓を初めて約3ヶ月あまりでの発表となるのだ。

  昨日は、指定された練習時間の他、放課後の午後6時から30分ほど練習した。不十分だったからだ。今日は、午前11時半から最後のリハーサルだ。かなりできあがってきたが、曲を頭に入れていない生徒が数名いて全体がそろわないのだ。

午前11時半の最終リハーサル。かなりできあがってきた。あと一息だ。

  そのうちの2名には、本番直前に練習をしようということで別れた。自宅へ昼食をとりに帰っている時間はない。近くのカレー屋で昼食をとり、学校へ戻った。

  指名した生徒が二人待っていた。椅子を太鼓に見立てて素手で何度も練習した。生徒の方もかなり真剣であった。本当のことを言うと後一ヶ月時間がほしいところだった。

  そして、いよいよ本番。それぞれがいい意味で緊張している。緞帳が故障しているのか何度も開いたり閉じたりしていた。そして、いよいよ本番。2曲を演奏し終えた。まあまあの演奏だった。

  私の主義は、本番までは厳しく練習を求め、指導をするが、本番でのミスは一切問わないことにしている。うまくいったかどうかは、本人が一番よく知っているのだから、追い打ちをかけて「あそこがミスだった」、「ここがミスだった」と言っても始まらない。

本番でのステージ発表。最初は7人による「春駒ばやし」。

  それよりも、次に向かってまた頑張ればよいのだ。とにかく終わった。見ていた他の生徒や先生方、そして父兄の皆さんはどう思っただろうか。やった生徒は、どのような感想を持っただろうか。

  帰宅して、しばらくすると次は午後4時から「親子和太鼓教室」だ。いつも熱心に親子が練習に参加している。ようやく、練習曲も終盤にかかってきた。この練習曲をマスターすれば、いよいよ新しい曲を始めることができる

  約1時間近く、子どもも大人も熱心に練習に取り組んだ。1年後にはどうなっているであろうか。子どもは最初は時間がかかるがどんどん上達するのだ。1年後が楽しみだ。

(日記 午前中、「おじさんバンド」の楽譜作り。午前11時半より北部中学校で文化祭の最終リハーサル。午後1時半より本番。初

受講者全員による『九頭竜しぶき』。それなりに迫力はあったように思う。

舞台にしてはまあまあだったと思う。午後4時より「親子和太鼓」教室。太鼓に明け暮れた一日だった。)

 
1 Comment

Posted in 未分類

 

本番直前

09 9月

選択音楽「和太鼓」文化祭で発表
   この4月から新たな3年生が始めた選択音楽『和太鼓』の授業成果を明日の文化祭で発表することになった。明日は2曲発表するのだが、子ども達はまだ曲を覚えていない。

  いや、「覚えていない」というか、「覚える気がない」というか。いずれにしても、このままでは、明日の本番を迎えることはできない。今日は2時から、ステージ練習があった。

  かなりよくなったとはいえ、まだ人前で発表する域には達していない。放課後改めて、練習することにした。いったん帰宅してから午後6時に再び北部中学校へ向かった。

  切羽詰まっているが、生徒達は徒指示を待っているだけのように思う。緊迫感がない。個人練習でカバーするという発想がないのだろうか。それとも、何とかなると思っているのであろうか。

  練習で一度できたら、単純に本番でもできると思っているのだろうか。本番では、照明が入り、見る人がいて、練習とは異なる緊張感がある。練習で一度できたからと言って、本番でもできると思ったら甘い。

  本番でできるようになるには、練習の時に完璧でなければならない。これは、太鼓ばかりではない。「できる」と甘く考えてしまう者が少なくない。

 ◇集団で物事をやるとき◇
 「真剣に練習しない」⇒「自信が持てない」⇒「本番ではたくさんミスをする」⇒「恥をかく」⇒「次に取り組む気持ち沸かない」⇒(トップにもどる)

  これでは上達もしないし、充実感もない悪循環だ。

 ◇集団で物事をやるとき◇
 「真剣に練習する」⇒「自信が持てる」⇒「本番でもうまくいく」⇒「ほめられ自信が持てる」⇒「次に取り組む意欲がわく⇒(トップにもどる)

  この循環だと、どんどん上手くなり、楽しくなる。
 上の悪循環をよい循環に変えるには、一生懸命練習させることだ。

  生徒達には、「やってよかった」と思ってもらいたい。そのために、今週は毎日練習に通っている。今日は2度も練習時間を持った。いよいよ明日は本番だ。うまくいくかどうかは一人一人の意識にかかっている。

(日記 今日も午前6時から朝飯前の家庭菜園作業。雨が降りそうだったので、第1彈の大根の種をまいた。黒マルチに穴を開けて、その穴の中にバランスよく5粒の種をまいた。先ず三本に、そして2本、1本と選っていくのだ。帰宅後、ネットで「ウインド・シンセサイザー」のマニュアル研究。午後、2時より北部中学校で和太鼓指導。まだ未完成なので、午後6時に再び北部中学校へ行き、和太鼓の練習をした。午後7時半過ぎから、村の集会所で『片瀬豊年ばやし』の練習。今月の祭りに合わせて練習中だ。)

 
 

朝飯前!?

08 9月

時間の有効な使い方
  朝5時過ぎに家内が畑へ行くという。早朝に夏取り野菜の枯れた茎や葉を燃やしに行くという。私も、心配になって6時前に畑へ向かった。今日のスケジュール考えると、朝食を食べに帰ると時間ももったいない。

  そこで、家内におにぎりを持ってきてもらうことにして、畑作業を始めた。早朝は涼しくて気持ちがよい。先ず、キュウリの支柱を取り外し、大根などの秋野菜を植える場所を作った。

  そして最後に石灰をまいておいた。その後、すでに石灰をまいておいた畝に肥料を入れた。この畝はいつでも大根の種をまくことができる。途中で、朝食のおにぎりを食べ、10時半まで作業を継続した。

  6時前から10時半まで家庭菜園作業をした。ほぼ4時間半、畑で作業をすることができた。帰宅してからシャワーをして、パソコンに向かった。朝飯前の清々しい時間帯に作業ができたので、その後の時間は自由に使えることになる。

  普段は午前9時から作業を始めるが、それだと午後に食い込み、自由時間が少なかった。朝飯前から始めれば早く終わって後は自由になる。半日作業をすれば後は何をしていても、気がとがめない。

  「朝飯前」の時間を有効に使うのもいいなあと思った一日だった。特に夏場は、朝の涼しい時間を有効に使うことは、能率から言っても健康面から考えても、意味のあることだ。

(日記 午前5時半過ぎに家庭菜園へ行く。午前10時半まで作業。午後2時から、北部中学校で「文化祭」の舞台稽古。帰宅してから、おじさんバンドの楽譜作り。午後4時半から、児童館のスタジオでバンド練習。今日は名古屋から、後輩がトランペットを持って練習にやってきた。彼は、2曲のジャスにトランペットで参加するのだ。しかし、まだ「OB会」で演奏する曲は十分練習ができていない。後1ヶ月あまりで本番だ。しっかりしないと、本番に間に合わないことになる。次回の練習は休日の午後1時からと決めた。今日も、福井市、坂井市、白山市、大野市、名古屋市から練習に集まった。皆大学の軽音楽クラブのOBだ。そういう意味では共通点がある。お互いに年を取ったものだ。おじさんバンドと言うよりも、じいちゃんバンドと言った方がよいかもしれない。)

 
 

秋野菜の始まり

07 9月

秋野菜のシーズン開幕
  あれこれ忙しくて秋野菜の準備が遅れていた。夏野菜の収穫が続いていたが少しずつ枯れ始めた。キュウリやキンカン瓜は完全に終わってしまったが、かわりに黒瓜が健闘している。ナスはまだまだ持ちそうだ。オクラやニガウリは今でもも毎日収穫できる。

  たぶんほとんどの人は大根を植えたかもしれない。今日は、六呂師から軽トラック1パイ購入した堆肥と石灰を入れ手大根などの秋野菜を植える場所を耕した。大根は、3段階に植えるつもりだ。

   明日は、その第1回目を植えるつもりだ。一つの穴に5粒ずつ種を植え、最初は3株を残し、次に2株、そして最後に1株にするのだ。その「すぐり菜」は私の大好物だ。熱湯に通し、アゲと一緒に味噌煮にするのだ。グリーンが残っているのがよい。

  菜っ葉と言えば、他に、「野沢菜」、「しゃくし菜」なども毎年植えている。白菜やキャベツは作らないことにしている。ひらひらとチョウチョが飛んできて卵を産み付けるのだ。青虫が生まれて菜っ葉をかじるのだ。そこで、消毒は欠かせない。

  虫と言えば、大根にも虫が付く。何本かは犠牲になるが、それでも、たくさん植えるので全滅することはない。消毒しなくても最後に大きな大根が育つのだ。来年に向けては、エンドウ、イチゴ、ニンニクなども晩秋には植えなければならない。することはいっぱいある。

試しに掘ったサツマイモ。一株から大きなサツマイモが3個収穫できた。焼いたり、煮たり、揚げたり、スイートポテトにしたりといろいろ楽しめる。

   今春、たくさんのニンニクを収穫したので味噌漬け、醤油漬けで保存してあるが、時々ニンニクの天ぷらをすることがある。匂いもあまり気にならず、ホロホロしていてとても美味しい。

  今日は、さつまいもの試し掘りをした。狭い畝にぎゅうぎゅう詰めに植えたが、堆肥のおかげか大きなサツマイモを収穫することができた。まさに家庭菜園様々である。先へ先へと準備することによって実りを迎えることができるのだ。

  そういえば、イチジクも毎日数個は収穫できる。果物もそんなに買わなくてすむ。晩秋にはキウイも収穫できてリンゴと一緒にしておけば甘くなって毎日食べられる。家庭菜園でも、二人では食べきれないほどの野菜が収穫できる。ありがたいことだ。

(日記 午前中、大根などを植える場所を耕した。いよいよ我が家では遅ればせながら秋野菜のシーズン開幕だ。サツマイモの試し掘り。午後は、楽譜作り。午後4時より、親子太鼓に遅れて参加してきた1年生二人の特訓を行った。他のメンバーよりも一月あまり遅れて練習に参加したので、みんなに追いつくための練習だ。二人とも、親が引率してくれた。午後7時半より「春駒太鼓」の練習。今日は新曲に向けての新しいリズムの練習を行った。「農業祭」に向けての準備だ。最初はどうなるかと思ったが、練習しているうちに、かなりリズムを身につけてくれたようだった。)

 
 

ウインド・シンセサイザー

06 9月

70歳目前の手習い
  ここ10年ほど前から、ずっとほしいとは思ってはいたが手に入れることができなかったウインドシンセサイザー「EWIUSB」を購入した。退職グッズとしては、優先順位が低かったので、ネットで眺めているだけだった。

   今回購入したのは、OB会でジャズをやるのだが、管楽器はトローンボーンしかない。そこで、この楽器でトランペットやサックスの音を出してハモったりアドリブが吹けたら楽しいだろうなと思って購入に踏み切ったというわけだ。

  この「EWIUSB」はクラリネットの形をしている。そしてこの楽器をパソコンに接続するのだ。すると、パソコンに入っているソフトのおかげで、いろんな種類の音が出るのだ。キーボード型のシンセサイザーや電子オルガンのようにいろんな音が出るのだ。

居間でウインドシンセサイザー「EWIUSB」の練習。うまく吹けたらいいな。

  どちらも入力端末が異なるだけで機能はよく似たものだ。一方は笛の形をしていて、他方はピアノのように鍵盤の形をしているだけの違いだ。私自身はピアノを習ったことがないので、入力は笛の形をしている方がやりやすい。

  この楽器で、サックスやトランペットやクラリネットやバイオリンなどの音を出すことができるのだ。と言ってもうまく弾けたらの話しだが。それと、素人の私にはこの笛型の方が自分の思いを表現できそうな気がするのだ。

  さて、この楽器を購入したのはよいが、今日までパソコンの設定がうまくできないので、全く音を出すことができなかった。おまけにマニュアルは数ケ国語で書かれているが、日本語のものはないのだ。そのため音を出すことができなかった。

  今日は何が何でも音を出したいと気合いを入れて、ネットを探したところ、日本語のマニュアルが見つかった。そして、ついに音を出すことができたのだ。このときはうれしかった。

  夢中になってならしてみた。笛の形をしているが、空気の通りが悪いので、口の両側から息を出しながら吹くようにとマニュアルには書いてあるが、そう簡単にいくものではない。

  一ヶ月後に迫ったOB会でこの笛を使えるかどうかが問題だ。せっかく買ったのだから、1曲ぐらいはこの笛でやってみたいと思う。それにしても、この頃指の動きは悪くなった。他のメンバーもそうだという。これからは、おじさんバンドも年齢と戦いながらやるのだろうか。

   今は、とにかく寸暇を惜しんで練習するしかない。音楽の練習と言うよりも、脳の運動には良さそうである。できないことを何とかやろうとするのだが、脳にはそうとう負荷がかかるだろう。それは脳にとってはよいことだろう。この楽器の演奏は楽しみである苦しみでもある。

(日記 ウインドシンセサイザーのマニュアル研究。音が出てうれしかった。せっかく買ったのに音が出なくてもてあましていたのだ。午後2時より北部中学校で文化祭のための和太鼓練習。帰宅後、音の出た楽器の基本練習。楽しかった。)

 
 

再び「あかおやま」

05 9月

太鼓で教える
   私はこれまで、あちこちで和太鼓を教えてきた。しかし、いつも心にとめてきたことは、和太鼓よりももっと大切なものがあるということだ。それをいつでも思い出せるように、その頭の文字を連ねて「あかおやま」としてきた。

  「あかおやま」とは、次の5つの項目だ。
 あ……挨拶
 か……感謝
 お……思いやり
 や……約束
 ま……マナー

  最初は、高校で和太鼓を教える場合には、先ずこのことを強調してきた。心から「挨拶する」ことを身につけた生徒はそんなに多くない。いかなる場合であろうと挨拶は欠かすべきではないと思う。挨拶はコミュニケーションの入り口だ。

  また、他人に対して感謝する気持ちも非常に少ない。何事に対しても「してもらえることが当たり前である」かのごとく振る舞う生徒のなんと多いことか。また、他人の立場に立って考えることのできない「自己中(心的な人間)」がどんどん増えている。

  さらに、約束を守れない者も少なくない。よりよいマナーも身についていない。こんなことでは和太鼓どころではないと、常に高校生達に「あかおやま」を言い続けてきたのだ。

  中学生にも週一回和太鼓を教えているが、一部の男子だが、ふざけることによって仲間と一体感を持とうとしているかのようにふざけることが多い。何かとこちらの指示に対して文句を言う。一人だと、大人しいのに仲間になると突然ふざけてしまう。

  このままでは、文化祭どころではない。ここは一つ、気合いを入れなければならないと思って、大きな声でしかりつけた。このクラスにも何度も「あかおやま」について話しているが、「あかおやま」が何を意味しているのかが理解できない者もいる。

  中学生は、「真面目でいることがかっこわるい」と思う時期かもしれないが、「モノ」を学ぶにはやはり謙虚でなければならないと思う。集中できないので、何度も同じ指示を出さなければならない。

  そういえば、現役時代に進路指導部に所属し、企業の方々と話す機会があった。そこで出た話だが、「新しく入社して者に対して戸惑うことがあるが、それは「こちらの指示を一度では理解してもらえない」というものだった。

  高校生や中学生の中には、集中して他人の意見を聞き、自分の言葉で語れる者はそんなに多くない。「あかおやま」の大切さを理解して和太鼓を通して少しでも人間力をつけられたらと思う。

  そういえば、テレビで「新総理は自分の言葉で挨拶していた」とのコメントがあった。自分の言葉で語ることが大切だ。大臣も、官僚の原稿を棒読みするのではなく、自分の言葉で国民に語ってほしいものだ。

  強く叱ったので後は少し授業が引き締まったようだ。自分のハンドルを自分で取るように仕向けるには、「何故そのことをするのか」を十分理解させなければならない。これはどんなことにも当てはまることだ。趣旨を理解しないで物事に取り組んでも効果は期待できない。

(日記 今日も楽譜作り。よく晴れたら田畑へ出かけたいと思いながら、パソコンに向かう。午後7時よりオカリナ教室。家内は、長女の家へ孫の世話に出かけた。近くに住む夫の家族が留守になるからだ。一人暮らしはあまりいいものではない。)

 
 

「あなたに家庭があるか?」と問われたら

04 9月

「日本には家庭がない」
  『日本には家庭がない』という本を以前に買った。読んでみると、なるほど「日本には家庭がない」と言われても仕方のないことかもしれない。家庭とは「独立国」であるというイメージだそうだ。

   「独立国」でない場合には、どこかに従属しているか、国家としてのまとまりがなく、人が群れているだけとなってしまう。主体的ではないということになる。リーダーもいなければ、憲法もない。リビアのようにリーダーだけで憲法も議会も何もないというのも真の独立国とは言えないであろう。

  家庭を国家にたとえると、そこには国民がいて憲法がある。国民には国民としての義務がある。勤労(する)義務、納税(する)義務、教育(を子女に受けさせる)義務ですね。

  先ほどの本に寄れば、家庭にも独立国としての「きまり(憲法)」や「義務」があると言うことだ。そして、家庭として進むべき道を家族の話し合いによって考えなければならない。何をやりたいかがはっきりしない内閣も困りものだ。

  ただ家族が集まっているだけでは、下宿屋と何ら変わらない。家族は、年齢如何に関わらず、家族の一員として尊重されねばならない。また、そうなるように育てなければならない。家庭にはなすべきことがたくさんあり、家族は互いに助け合い、それらを分担しなければならない。

  ただ、ご飯を食べてねるだけの場所になっている家族は少なくないであろう。これでは家庭とは言えない。家庭ならば、尊重されるべきことがいくつかあるはずである。特に大人は、家庭の一員としての義務を果たさず、安易に他人に依存しているのでは家庭を守っているとは言えない。国民としての義務である「教育の義務」は家庭にもあるのだ。

  しかし、最近は、福祉的な施設が充実してきているために、家庭が子育て(教育)の義務を果たさず、それらの施設に丸投げしている場合が少なくない。子ども達にとって家庭とは何であろうか。居場所があるのだろうか。

  こんなことを考えながら、長女夫婦と久しぶりにまじめな話をした。家庭を国家と対比してみると、家庭がないと言われて仕方ののない場合が少なくない。もしかしたら、今の国家の状態は、逆に家庭がなくて、ただ家族だけが集団で生活しているだけのように見えてしまう。新内閣に期待したい。

(日記 終日、親父バンドン編曲、楽譜作り、CD作り。晴れたらしたい畑仕事がたくさんある。秋野菜の植え付けが始まる。夕方、長女夫婦と少し話した。先月は、WEBカムで長男夫婦にも話した。余計なお世話だったかもしれないが。)

 
 

親子太鼓から思うこと

03 9月

継続するには「子どもの力」は必要
   物事が続くかどうかは子どもによるところが大きい。最初二人の方から、「太鼓教えてもらえるんでしょうか」と尋ねられた。よく聞いてみると、保育園の子ども(5歳児)だという。

   少し早いなあとは思ったが、引き受けることにした。私は、人に何かを頼まれた場合には、よほどのことがない限り断らないことにしている。そうこうしているうちに、最近はかなり忙しくなってきている。

   太鼓の方は、原則として、毎週土曜日の午後4時から始めることにしている。親子太鼓なので子どもが一人増えると太鼓を学ぶ人の数は一気に増えていく。今日の練習には、5家族とその保護者が集まった。両親が来ている家庭もあったし、太鼓を習う子どもの兄弟も来ていて私のスタジオは芋の子を洗うようであった。

  どんなことでもそうだが、長い間継続しようと思ったら、子どもが取り組まなければならない。我が太鼓も、今若者達が活動しているが結婚などで先がどうなるか分からない。そんなとき、子どもが取り組んでいれば、その後を継ぐことができるのだ。

   これはまちづくりでも同じことだろう。年寄りだけで何かを頑張っていても、先は見えてしまう。そんなことを考えると、地域の存続の鍵は、子ども達が握っていると言っても過言ではない。子ども達が地域に残るかどうかにかかっているのだ。

   ということは、子ども達が地域の一員であると自覚できるように、私たちは子ども達を育てているだろうか。必ずしもそうはしていない。子ども達にとっては、地域に我が家があるだけで、地域に所属しているとの認識を持っているとは思えない。

   そのことを、私たちは、しっかり自覚していなければならないと思う。子ども達は、幼くても、劣ってはいないのだから、長い年月をかけて地域の一員であると自覚できるように育てなければならない。地域のいろんな行事においても、こどもたちを「お客さん」として扱うだけではなく、地域の一員として育てなければならない。

  二十数年前に私が始めた「春駒太鼓」も、存続するかどうかは、子ども達が和太鼓に取り組んでくれるかどうかにかかっている。そう考えると、今太鼓を学んでいる子ども達は、私にとっては大切な存在である。親子で、是非とも太鼓の楽しさを味わってもらいたいとものだ。

   11月の農業祭にデビューできればと思う。それまでに、子どもも保護者も舞台に立てるように指導していきたい。今後2ヶ月でどこまで上達させることができるかだ。

(日記 終日、「親父バンド」の楽譜書き。ドラムやベースなどのために楽譜を書くのだ。それと同時に練習用のCDを作るのだ。そうすれば各メンバーが独習できるからだ。一日中頑張ったが完成しなかった。それでも、めどは立った。夜、長女夫婦が子ども(孫)をつれてやってきた。一緒に夕食を食べた。)

 
 

「和太鼓(?)教える」

02 9月

北中選択音楽「和太鼓」再開
  今朝、北部中学校のS先生から電話がかかってきた。「来週、文化祭です。今日から練習があるので時間があったら来てもらえませんか」というものだった。

北部中学校での和太鼓の授業風景(1学期の練習風景)

   午後、2時から一斉に文化祭の練習があるからだ。今日は、1学期以来久々の和太鼓だった。ここ一週間で1学期に練習したことを復習しながら、新たなことも練習に加えた。

   私としては、何とかそれなりの舞台にしたいと思う。しかし、生徒達はのんびりしているように思う。時々集中力を欠いた態度が見られる。ふざける者もいる。しかし、あまり強く叱るわけにもいかない。

「片瀬豊年ばやし」の練習風景(以前の写真)。

  こんなとき、私は話をして分かってもらうようにしている。今日は生徒達に質問した。私は皆さんに「和太鼓( )を教えている。この( )の中にひらがなを1文字入れるとするとどんな文字が入るか?」

  多くのものは( )の中に「を」が入るという。「和太鼓を教えている」となるからだ。間違い9ではないが、正解でもない。ある生徒が( )の中に「で」が入ると言う。「和太鼓で教える」が私に採っての正解だ。

  和太鼓を教えることによって、集中力、チームワーク、思考力、思いやりなど様々な教育的なことを教えているのだ。「君たちの今のような集中力では、これから先きっと十分な成果は得られないだろう」と話した。

  来週から生徒達と一緒に文化祭に向けて頑張りたい。ステージを終えたとき、「成し遂げた」という満足感を生徒達も私も得られるかどうかが全てだ。期待もあるが不安もある。

(日記 午前中、おじさんバンドの編曲作業。午後2時から北部中学校で和太鼓の指導。帰宅後も、編曲作業。午後7時半より今月末に行われる秋祭りのために「片瀬豊年ばやし」の練習をした。祭りの一週間後にも「三室祭り」での出番があるので、こちらも新しい要素を入れて頑張りたい。)

 
 

「おじさんバンド」前途多難

01 9月

昔の勘が戻らない
   来月の中旬に「大学の軽音楽同好会」のOB会があり、その日の午後は演奏会、夜は懇親会ということになった。その演奏会のために、にわか「おじさんバンド」を結成したが、腕の方はいっこうに昔に戻らない。

  勝山、福井、大野、春江2人、松任(白山市)から私の事務所へやってくるのだ。昔は何らかの楽器をしていたが、それは約50年近く前のこと。なかなか若い頃の勘が戻らない。音楽をやりたい気持ちはあるが、指の方がついて行かないのだ。

みんな60歳代半ばだ。私は70歳目前。軽音楽同好会のOBといっても同じ時期に在学していた者は一人しかいない。福井近辺の者でバンドを組んだからだ。私がいっしょにバンドをやった連中は日本中に散らばっている。

  それに記憶力の方も怪しい。なかなか覚えられないのだ。それでも、音楽をやる楽しさだけはある。午後4時半に家を出て児童館のスタジオでろくに晩飯も食べずに、夜の10時半まで練習した。

  若い頃なら午前様になっても平気だったが、今ではそうはいかない。さすがに疲れてくる。おまけに私は、午前中は稲刈りでカントリーまで籾運びをしたのだ。今日は本当に疲れた。

  この年になって新しい楽器を購入し、今日届いた。「ウインドシンセサイザー」だ。普通シンセサイザーは、ピアノと同じ鍵盤でいろんな音を出すのだが、この楽器は笛と同じように口で息を吹き込んで音を出すのだ。

  そして、トランペットやトロンボーンやフルートなどいろんな音を出すことができるのだ。はたして使いこなせるかどうかだ。来月のOB会での演奏会で使えたらいいと思うが、たぶんマスターできないだろう。

  今日、ようやくOB会で演奏する我ら「おじさんバンド」の曲目が決まった。しかし、まだまだバンドらしくない。前途多難である。後、1ヶ月ちょっとで人前で演奏できるようになるのだろうか。心配ではある。

(日記 午前中は「農事組合法人かたせ」の稲刈りで、私はカントリーまで軽トラックで籾運び。昼の12時半に終わった。午後は、おじさんバンドの楽譜書き。午後4時半から午後10時までおじさんバンドの練習。疲れた一日だった。)