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Archive for 7月, 2011

盆踊り復活アクション

11 7月

公民館回り
  午前五時起床。「ふるさとの踊り大会」の直前に行う「芸能発表」の曲の三味線譜を書く作業から開始。ギターを三味線と同じ音程にしてなるべく弾きやすいように楽譜を書いた。

  昼、「ふるさとの踊り大会」のポスターを持って、社協の事務所へ行く。その後、遅羽公民館へ行く。ポスターを公民館に貼っていただくことと、「盆踊り練習会」を開かせていただくようお願いする。

  「ふるさとの踊り大会」に来ていただくことも大切だが、先ずは、「盆踊り」に興味を持っていただくことが大切だ。そして、それぞれの集落で盆踊りが復活すればと思う。

  これまで、何度も民謡の練習のために遅羽地区へ足を運んでいるので、民謡を楽しむ人が増えているように思う。毎年、「三室祭り」には町民参加で盆踊りが行われるようになっている。昨年は、歌も地元の人が歌っていた。

  今月中に、遅羽地区で、「盆踊り練習会」が開催できればと思う。無理は言えないが、なんとかやっていただけるのではと期待している。

  続いて、私の地元の「猪野瀬公民館」へ向かった。遅羽公民館と同じように、「盆撮り練習会」を開いていただくようお願いした。その場で7月26日に「猪野瀬公民館」で「盆踊り練習会」を開くことを決めた。

  町民の皆さんへの連絡は、市報「広報かつやま」を配る日に、各区の区長さんを通して回覧板で各家庭に回していただくよう館長さんにお願いした。

平泉寺公民館用に作った「盆踊り練習会」用のチラシ。猪野瀬公民館用に新しく作り直したい。

  「食わず嫌い」という言葉があるが、盆踊りも「踊らず嫌い」になっている人の中から、一人でもその面白さを理解していただけたらと思う。

  今週末には、片瀬町の「ふれあい会館」で、7月19日には「平泉寺公民館」で、7月26日には「猪野瀬公民館」で「盆踊り練習会(盆踊り体験会)」を開くことになった。

  今月いっぱいは、本番まで「盆踊り復活」のためのアクションを続けたいと思う。明日も、猪野瀬の回覧板に使う「ちらしづくり」から始めたいと思う。本番に一人でも多くの人が見に来て下さることを祈るばかりだ。

(日記:午前中は三味線の楽譜作り。朝食後、メールで送られてきた親父バンドで演奏するジャスの「ワークソング」のテーマの部分をパソコンに取り込んだ。その後、北部中学校で1学期最後の選択音楽「和太鼓」の授業を行った。午後は、「ふるさとの踊り大会」のポスターを持って、社協の事務所、遅羽公民館、猪野瀬公民館へ出向き、ポスターの掲示と「盆踊り練習会」を開かせていただくようお願いした。午後7時半からオカリナ教室。7月31日の芸能発表の曲を練習した。)

 
 

「野菜作り」と「子育て」

10 7月

「野菜作り勉強会」に参加して
  午前9時から村の集会所で「野菜作り勉強会」が開かれた。講師は、奥越農林総合事務所の若い女性のSさんであった。

  参加者を見ると、女性はそれぞれ現役で野菜を作り、市で野菜を販売するなど前向きに野菜作りに取り組んでいる人達であった。

  一方男性を見ると、70歳を過ぎた人が3人ほど、後は私を含めて、野菜作りではどちらかというと素人に近い者が数人であった。

  講義は、「野菜栽培の基礎知識」と「秋冬野菜の作り方」の二つであった。村の人達もそうであるが、これまでは誰かがこの方法がいいというと誰もが疑いもなく、その方法を取り入れるというようにあなたまかせである場合が多かった。

  しかし、講師の先生の話を聞いていると、誰もがなるほどというように感心することが多かった。連作障害、施肥の多少、施肥の時期、土壌との相性、肥料の3要素の働き、微量要素の働き、発芽と光の関係などであった。

村の集会所で開催された「野菜作り勉強会」

 そして、最後に「農薬に頼らないための10箇条」について話があった。特に、その中で、「根が大切である」ことについても話された。

  特に、この部分は、「子育て」にも通じる話であると思った。人間も、知識などを身につける以前の問題として、人間としての根っこの部分、つまり謙虚さやひたむきさ、信頼感、前向きの気持ちなど「人間性」というものが大切ではないかと、思った。

  こうした部分が欠けていては身につけた知識も知恵も活かされないのではないかと思われる。最近の、政治家の言動を見ていると、特にこの部分が欠けているように思えてならない。

  植物も根っこの部分がしっかりしていないと、いざ実をつける段になって肥料を施されても、それらを十分に吸収して実をつけることができないのではなかろうか。

  植物にしても、根を育てるために我慢しなければならない時期があるのではないか。必ずしも、肥料を十分に与えればよいというものではない。

  栄養過多で、肥満になってしまって体力の余りついていない人間がいるように、植物も、肥料過多で幹や葉っぱばかりが成長し、実を十分につけることができない場合が少なくない。

  「子育て」も「野菜作り」も、それぞれが本来持っている能力を十分発揮させるには、与えるものの種類や時期が大切であるという部分は共通しているように思われた。

  そして、子供も作物も、育て方によっては、しっかり育つということ、そして、どちらも、環境が大切であることなど、共通部分が多いと、今日の勉強会で思った次第である。

長女の次男と帰りがけのだっこ。

(日記:午前9時より昼間で「野菜作り勉強会」に参加。午後は、家内と二人で長女の息子達の子守りに出かけた。長女もその夫も二人とも用事があるというので福井まで出かけての子守りだった。途中で長男は、パパと外出。次男だけの子守りとなった。夕方、帰宅する途中に、家庭菜園へ寄って水まきをした。今日の勉強会で学んだように水やりをした。)

 
 

「盆踊り復活」のために

09 7月

片瀬町で「盆踊り体験会」
  片瀬町の区長さんが、先日、我が家へやって来た。「夏祭りを盛り上げるために、何かいいアイディアがありませんか。何かやっていただけませんか」というのが用事だった。

  私は、「それなら盆踊りをやってみませんか」と提案した。そして、「7月9日に役員会があるのでそこで話してもらえませんか」ということになった。 「それなら、班長さん方に体験してもらいましょう。」ということで話がまとまった。

  私としては、新しくできた町だからこそ、老若男女が一つのことにまとまることはとても大切だと思う。次々と、全く知らない人が移り住んでくる町はまとまりが大変だろうなあと思うからだ。

デモンストレーションを行った「おどり隊ひらり」の皆さん。

 子供から大人までが一つの輪になって盆踊りを楽しむことはとても意義のあることだと思う。練習も含めて、地区の人達が先ずは知り合いになることがとても大切だ。

  これまで片瀬町では、夏祭りに和太鼓や奇術などを呼んでいたらしい。金を出して芸人を呼んでもまちづくりの観点からは、そんなにプラスになることではないと思う。

  区民自らが参加し、区民の手で自ら祭りを作り上げることが大切だ。私は、新しい町だからこそ、お金もほとんどかからない「盆踊り」に取り組むことに価値があると思っている。

  午後7時に、片瀬町のふれあい会館へ出かけた。三々五々、役員が集まってきた。そこで、私は盆踊りをやることの意義を伝えた。

「盆踊り」の体験をする片瀬町の役員の皆さん。皆さん、楽しそうでした。

  そして、私の事務所で待機していた「おどり隊ひらり」の3人に来てもらって「勝山よいとこ」を踊って貰った。区長さんは、初めて見る踊りに感心しておられたようだった。

  その後、区長さんや役員さんに盆踊りを体験していただいた。輪の途中に「おどり隊ひらり」の皆さんに入って貰ったので、練習は順調に行うことができた。

  体験会では、「千本搗」と「勝ち山ほがらか音頭」を踊って貰った。今日の体験を元に、役員さん達がどうするかを話し合うことになっている。

  練習会を終えて、自分の事務所へ戻ったところ、デジカメを忘れたことに気がついた。それで、ふれあい会館へデジカメをとりに行くと、役員会の最中だった。

 その場で、「来週も教えてほしい」と言われた。「わかりました。子供さんにも参加して貰って下さい。」と役員さん達にお願いした。片瀬町の夏祭りで初めての盆踊りが行われるようだ。

 何とか、片瀬町の夏祭りに、盆踊りを取り入れ、地区民の融和を図れたらと思う。大人から子供までが大きな輪になって盆踊りができたらいいなあと思う。

(日記:午前9時に尺八のUさんと「芸能発表の尺八や三味線の編曲」について話し合う。その後、家庭菜園へ行って野菜の手入れをする。野菜作りの本を参考に、「キンカン瓜」と「黒瓜」の摘心を行う。午後は、「おじさんバンド」の編曲作業。午後7時より片瀬町で役員さんの「盆踊り体験会」を行う。終了後、私の事務所で福島県の「相馬盆歌」の練習をする。勝山には、福島県の方々が沢山避難しておられるので「ふるさとの踊り大会」では是非いっしょに踊りたいと思う。)

 
 

音楽の日々

08 7月

結構忙しい毎日
  最近、身の周りが慌ただしくなってきた。特に音楽に関する様々な活動が続いている。気分的には、『ふるさとの踊り大会』を成功させることが一番の課題だ。

  月曜日は、毎週北部中学校の生徒に和太鼓の指導。夜は、隔週だが「オカリナ教室」。水曜日は私の創設した「春駒太鼓」の練習。金曜日は大学の軽音楽同好会OBで始めた「おじさんバンド」の練習と、隔週だが「片瀬豊年ばやし」の練習。

  土曜日は、幼児とその親のための「和太鼓教室」。現在、幼児は3名で大人も3名。子供はまだ増える可能性がある。正式に募集したわけではないが、希望者が多いのはうれしいことだ。

『ふるさとの踊り大会』の会場となる勝山城博物館。この石垣の正面右側に櫓を建てる予定。

  こうした練習の合間に、楽譜を書いたり練習のためのCD作り。おじさんバンドも、まだ楽譜が確定しているのは2曲しかない。自分の技術を顧みずメンバーはかっこいい曲を演奏したいと思うからだ。

  どの部門も、練習が始まるまでは、気が重いこともあるが、練習が始まるといつも「よかった。楽しかった」となるのである。

  これからは、さらに、「ふるさとの踊り大会」や各町内での「盆踊り体験会」での踊り練習や盆踊りの伴奏練習なども加わると音楽に関する活動はもっと多くなるだろう。

  この頃、忙しさは現役時代とおまり変わらなくなった。これでは、当分の間、録画した『江』は見られないだろう。まだ3回ほどしか見てないのだから、録画は溜まる一方だ。朝ドラは録画をかなり見たが、それでも放送にはまだ追いつかない。

勝山城博物館の日本庭園にある「あずまや」。『ふるさとの踊り大会』の休憩場所に使えるかも。

(日記:午前9時より『ふるさとの踊り大会』で「手打ちソバ」の店を出して下さる「むろこそば会」の皆さんと会場となる勝山城博物館の周辺を見て回った。水や電気、排水、出店の場所を決めた。その後、「おじさんバンド」と「民謡」の楽譜とCD作り。午後は、家庭菜園で2番手のキュウリの支柱作り。そして、トマトや瓜に肥料を施す。午後7時より「おじさんバンド」の練習。結構忙しい一日だった。)

 
 

「すること」と「させられること」

07 7月

気持ちの持ちよう
  朝5時起床。多少睡眠不足だが、いざとなったら昼寝をすればよいと思うと、気が楽だ。最初に、『ふるさとの踊り大会』に使う民謡などの三味線の楽譜を書いた。

  これは私が演奏するものではなく、頼まれたものだ。なるべく弾きやすいようにしなければならない。ギターの弦を三味線と同じように張って、弾きやすさを確認しながら楽譜を書いた。

  今日のスケジュールは、ショウガに油かすと化成肥料を施し、その上に切った麦わらを乗せ、さらに土をかぶせるのだ。雨が降らないつもりで作業を始めた。

  麦わらと化成肥料を取りに事務所横の小屋へ出かけた頃から、ぽつりぽつりと雨が降り出した。肥料を撒き、麦わらを切って畝にばらまくまでは、雨が降ってもできない作業ではない。

  雨はどんどん降り続いたが、くわで畝の間の土をすくい、麦わらの上へ順次乗せていった。晴れるつもりでいたが、雨が止まず、田んぼはどろどろで身体は水浸し。

  作業ができる状態ではなかったが、無理矢理作業を続けた。もしもこの作業が誰かにやれと言われたら、できない理由を並べてやらなかっただろう。

  しかし、自分で決めたことなので、作業を続けるのも、止めるのも自分次第だ。そうなると、どうせやるべき仕事なら、雨が降ろうがやってしまった方が二度手間にならない。

降りしきる雨の中、鍬を片手に「はいポーズ」。迎えに来た家内が車の中からパチリ。身体はべたべた、衣服はどろどろ。後ろは法人の里芋畑。この中に、私の里芋の畝もある。

  どろどろの土を鍬ですくい、次々とショウガの畝に乗せていった。どうせ身体が濡れたのだからと、里芋の余分な茎を切ったり、草を取ったりと、雨の中でやりたいことは全てやった。

  子供の勉強でも、習い事でも、やらされているのと、やっているのでは大きな違いが出てくる。どうすれば自らやるようになるかが問題だが。

  家庭にあっては、子供といえども、「分担(割り当て)」と「手伝い」の区別はつけておいた方がよいと思う。手伝いは、他人の仕事を応援しているものであり、「割り当て」は家族の一員として自分がすべきことを受け持つことであろう。

  いずれにしろ、「やらされる」より「やった」方が、気持ちも前向きになり、能率も上がると思う。退職後の人生においては、なるべく自らいろんなことをやっていきたいと思う。

(日記:早朝より、楽譜書き。その後、ショウガに肥料を撒き、その上から麦わらを切って撒き、土をかぶせる作業、私の地区では「土をする」というのだが、それをやった。雨の中、泥だらけになった。午後は、区長がやってきた。「片瀬豊年ばやし」の今後のあり方と衣装について話し合った。その後、勝山城博物館へ出かけ、祭りの会場に下見をした。帰宅後、楽譜を書き続け、カラオケを作り、CDにして、楽譜と共に、Uさん宅へ届けた。雨が激しく降るので、植木鉢のイチジクに傘をかぶせたり、植木鉢の柿の木を軒下に入れたりした。それにしてもよく雨が降る一日だ。)

 
 

想定外の大震災に対しての対応

06 7月
発想の大転換が必要では
 今回の東日本震災は、まさに想定外の出来事であった。したがって、その対応もこれまでの常識にとらわれていては、いつまでたっても復興は実現しないように思われる。

    それこそ、日本の英知を結集して事に当たらなければ、復興にはそれこそ想定外の時間がかかってしまいそうだある。そんな中での、「復興担当大臣」の発言は、それこそ想定外の出来事であったのではないか。 

  そう思いたい。もしも、これまでこうした発言がまかり通っていたとすれば、「政治家の品格はこの程度か」と思われてしまう。それほど信じられない言動であった。 

  今ほど、政治不信の時代はないように思われる。数百人の国会議員、数多くの官僚、そして地方自治体の職員、これらが力を合わせなければ復興は遅々として進まないであろう。 

  従来の発想を捨て、与野党という島国根性を捨て、「オールジャパン」でベクトルを合わせなければ復興はいつまで経っても実現しないであろう。 

  となると、今、一番必要なのものは「真のリーダー」ではなかろうか。一人の人間として知性と品格を備え、決断力のある政治家はいないのだろうか。 

  政治家は、次代の政治家を育てるというよりも、「足の引っ張り合い」で相手の欠点ばかりを責め続けることに熱心であるように思われる。人のよさを伸ばすと言うよりも、相手の欠点を暴き出し、相手をおとしめているようにしか思えない。 

  国会答弁をテレビで見ていると、よくもそのような言葉で、いやしくも一国の総理や大臣に罵声を浴びされるものだとあきれてしまう。質問している人に「あなたはそれほどの人間か」と尋ねたくもなる。 

 こんんあじょうきょうを見ている国民はあきれかえっているであろう。しかしこうした人達を選んだのも、わた私たちである。 

家庭菜園でのメークイーンの収穫。

  私たち国民がしっかりしなければ、政治不信はますます大きくなるであろう。被災者の皆さんが、今回の復興担当大臣の発言以降、「もう誰がなっても同じです。関心もありません。」と発言していたが、その通りであろう。 

  総理の任命責任もああるが、与党の人材不足にも、あきれかえる。未曾有の大震災に対して、旧態依然の与野党の言動では、膨大時間がかかるだろう。 

  次の世代を担う子ども達の教育ばかりは、停滞があってはならない。大人達は、今こそその背中(言動)で次世代を育て、オールジャパンでこの難局を乗り切ってほしい。 

ハート型のメークイーンの小芋。「なにかいいことあるといいなあ」

(日記:午前中は、家庭菜園作業。先ず、トウモロコシにネットを張り、続いてトマトにもネットを張った。カラスなどの鳥による被害を防ぐためだ。その後、カボチャの棚を作った。カボチャを畑で這わせると大きな面積を占領するので、棚を作って伸ばそうとするためだ。家内はジャガイモ(メークイーン)を掘りネギを植えていた。午後は、元職のOB会の幹事になっているので、その事務作業を行った。午後7時半より和太鼓の練習。今月末の「ふるさとの踊り大会」における芸能発表のための練習だ。今日も半分はイメージトレーニング、半分は太鼓を使っての練習を行った。)

 
 

久々の家庭菜園作業

05 7月

抜糸で手が少し自由に
  腱鞘炎で両手の手術をしてからちょうど一週間が経った。この間、指先しか使えず、水を使うこともできず不便だった。もちろんギターも弾けなかった。家内のおかげでどうやらこの1週間を過ごすことができた。

  今日は、リハビリと抜糸、そして、かねてからしびれている左手人差し指の検査を行った。ようやく、包帯がとれた。まだ傷口が痛むが、包帯がとれたので水を使うことができる。

  午後、早速、家庭菜園へ出かけて先ず、先日の突風で倒れたトウモロコシを起こす作業から始めた。倒れる前に支柱をしておくべきだった。全てのトウモロコシが倒れてしまった。

  その後、ゴーヤの支柱を作ったり、新たに植えたキュウリの支柱を作ったりした。最近、キュウリは家内と二人では食べきれないくらい収穫できる。

  家内は、それらを「キューチャン漬け」にしている。おかげで年がら年中我が家のキュウリで作った「キューチャン漬け」を楽しむことができる。

  漬け物がないと、ご飯を食べた気がしない私にとっては、ありがたいことだ。 我が家の息子達も家内の作った「キューチャン漬け」が好きだ。

  今は、家庭菜園へ行けば、キュウリ、ナス、インゲン、ジャガイモ、シシトウ、青じそ、そして今日からオクラなども収穫することができる。動物性のタンパク質である肉や魚さえ買えば、自家製の野菜で三度の食事をすることができる。

  家庭菜園のおかげで、野菜の生長を見ることも楽しいし、それらを味わうことも楽しい。外で作業をすることは、健康にもよい。家庭菜園なくして退職後の生活は考えられない。

  家庭菜園での作業があるから、趣味などに時間を割くことができるのだ。ただ、遊んでいるだけでは、満足できない。土に親しむことに生き甲斐を感じることができるのは、農家育ちのせいだろう。

芽が出始めた私のショウガ。里芋は、右側が私の畝で左側は農事組合法人のもの。向こうに勝山城博物館が見える。

  作業の帰りに、法人に借りている畑に寄ってみた。村の特産である里芋とショウガが順調に育っているようだ。しかし、いつ、病気やモグラや害虫などによるダメージを受けるか分からない。

  とにかく、久々の家庭菜園で充実した一日になった。手が完全に直ったら、家庭菜園の合間に、思い切ってギターを弾いたり、ドラムを叩いてみたいものだ。

(日記:午前中、抜糸とリハビリのために、福井のY整形外科へ行く。家内もリハビリをする。午後は、久々の家庭菜園作業。時間を忘れて作業に没頭した。手が完全に回復するまではまだまだ時間がかかろうが、それでも両手の包帯がとれたので水を自由に使えるのはありがたい。)

 
 

本音と建て前

04 7月

官僚の生き方
   最近、毎日リハビリや消毒のために、医者へ通っている。そして、待合の時間には、週刊誌を読んだり、テレビを見ながら過ごしている。

  週刊誌は、毎号、震災・津波・原発関連の記事を載せ、それらに関する政界の動きを特集している。また、官僚についての記事もあった。それらを読んでいると、腹立たしいことも少なくない。

 例えば、対談で現役官僚の記事が載っていた。志を抱いて入省しても、最後には、自己中心になり、省益を優先するようになると書かれていた。本音と建て前が著しく異なるのだ。

  ネットの次の記事と合わせて読むとよく理解できる。

「・文科省は職員が2192名の小さい省だが、天下り中のOBが2980人。職員数より天下りのほうが 多い省庁は他にない。
・天下り団体に多額の国費が投じられている。同省の年間予算は年6兆円で、その半分の30兆円近くが所管の936団体に流れる。
・キャリア官僚は50代で大学の理事や美術館や博物館の館長に天下り、いくつか渡り歩いて数億円を稼ぐ。」

  改革によって天下り先が減るとなると、官僚は国民のための改革よりも、天下り先を温存する方を優先すると。こうした内容がたくさん書かれていた。とても腹立たしくなる。

  これが、難関大学に合格し、官僚になった人たちの言動だろうか。政治家も、中央、地方を問わず、国家や国民よりもよりも個人(自分)や党を優先して行動しているように思える。

  今回の震災や原発の復興はほど遠いのではなかろうか。これからも、政党間の足の引っ張り合いが続き、何人も総理が交代し、やるべきことは遅々として進まないのではなかろうか。

  以前にも書いたが、この国では真のリーダーは育ちにくいと思われる。常に出る杭を打つと言おうか、時間の大半を足の引っ張り合いに費やすような国でいては、この厳しい国際環境の中で、日本の進路を誤らせるように思えてならない。

  「出よ!真のリーダー」と」叫ばずにはいられない。

北部中学校での和太鼓の授業。生徒達はかなり上手になった。左端は私。

(日記:午前中、春江町からSさんと「中庄小三郎音頭」の振り付けを行った方が事務所へ来られた。音楽とのバランスを考えて一部振り付けを修正していただくようお願いした。修正した結果すっきりした振り付けになったと思う。その後、平泉寺公民館へ「盆踊り体験会」のポスター等のデータを持って行った。そして、北部中学校へ和太鼓の指導に出かけた。かなり上手になったように思う。帰宅してすぐに、家内と二人で福井のY整形外科へ私はリハビリと消毒に、家内は診察に出かけた。)

 
 

盆踊り復活アクション

03 7月

片瀬町夏祭りの盆踊り
  先日、片瀬町の区長のSさんが我が家へ来られた。「夏祭りに何かしてもらえないか」ということだった。お金を出して、何か芸能発表をしてもらうのも悪くはなかろうが、何か物足りない。

  猪野瀬公民館祭には、以前は各集落ごとに、演し物を出してステージを盛り上げていた。その後、演し物を出すのが苦痛な地区が出てきて前期のようにお金を出して第三者に何かをしてもらうようになった。

昭和30年代の神明神社での盆踊り風景。まさに、人、人、人であった。八尾や郡上八幡は今でもこのような賑わいを続けている。うらやましい限りである。

  その結果、公民館祭は盛り上がりに欠けるようになった。最近、再び地区ごとに演し物を出すようにしている。演し物を出すにはそれなりの練習が必要である。

  その練習が、普段は会って話すことの少ない地区民にとっては貴重な交流の場になっている。我が村の場合には、練習の後に、ビールが出て雑談に花が咲く。

  片瀬町の区長さんには、「盆踊りをやったらいかがでしょうか?」と提案した。区長さんは、区民の皆さんに賛同してもらえるかどうかが、心配しておられた。

  「ボランティアでやりますし、集まりが少なくてもかまいません。協力させてください。」とお願いして、片瀬町でも「盆踊り復活」のためのアクションを展開することになった。

片瀬町での『盆踊り体験会』のポスター。人が集まることを願うばかりだ。

  実演と指導には、村岡町の「おどり隊ひらり」のメンバーに協力してもらうことになった。今日はその簡単なポスター作りをして区長さんに渡した。

  盆踊りの楽しさを理解していただくことは容易なことではない。でも、一人でも二人でも、その楽しさを理解して下さる方がいる限り、「盆踊り復活」のアクションは続けていきたいと考えている。

(日記:午前中は、春江町の『中庄小三郎音頭』の振り付け表を作っていた。簡単そうでむずかしい。時間がかかる作業だった。午後は、片瀬町と平泉寺の『盆踊り体験会』のポスターを作離、印刷した。午後5時過ぎに長女夫婦がやってきた。いっしょに夕食を食べ、風呂へ入って帰って行った。また、南部中学校のY校長から電話がかかってきた。『ふるさとの踊り大会』に東北の物販を行うが南部中学校の福祉部の生徒達が応援してくれるとのことであった。 )

 
 

盆踊りの振り付け表

02 7月

盆踊りマニュアルの作成
  午後、病院から戻って、春江町の『中庄小三郎音頭』の振り付け表作りを始めた。歌の1拍ずつ写真をはめ込んでいくのだ。結構時間のかかる作業だ。

  踊りのビデオと分解写真はあるが、それらを1拍ずつの写真にするために、1枚ずつ、トリミングをし、画像解像度を変え、画質を調整した行くのだ。

  必要な写真がない場合には、2枚の写真を合成して1枚の写真にするのだ。親子太鼓のために、一時作業を中断し、夕食後再び作業を始めた。今日一日ではとうてい終わるような作業ではない。でも、この土日には作業を終えたい。

  春江町中庄地区の皆さんが一人でも多く、この写真入りの振り付け表を見て、盆踊りを覚え、踊りを楽しむことができればと願う。

最近始めた親子太鼓。親が一生懸命太鼓を叩くと子供も同じように頑張ります。

(日記:午前中は、リハビリと消毒のために、福井のY整形外科へ行く。午後は、春江町の『中庄小三郎音頭』の写真入り振り付け表作成作業。午後4時から親子太鼓を指導。メンバーが増えていきそうな気配がある。夜も、振り付け表作成作業。)