全ての者に責任がある
未曾有の大災害が起こった。その上、原発事故という予想もしない大災害が加わった。原発事故も自然災害で発生したのだから仕方がないとばかりは言っていられないように思う。
最近、原発事故について責任問題が出ている。「誰が悪いのか」と責任者を探し出そうとしている。先般の福井新聞でY氏が話していたように、全ての国民にあるのではないか。
欲望のままに電気による生活を謳歌している国民、大量の電気を使い続ける企業、原発政策をすすめた政治家、受け入れた地域、安全性を言い過ぎた学者、電力会社、それらの全てに責任があるのではないか。
先ずは、原発事故の終息を全世界の英知を集めて成し遂げなければならない。他人に責任を転嫁している場合ではないと私は思う。
今や、私たち一人一人がエネルギーや資源は無限にあるものではないということを肝に銘じて生活すべきではなかろうか。
物質的な欲望や、深夜まで真昼のごとく明るさを保つ生活を少しはセーブしなければならないのではなかろうか。物質的な生活を多少セーブしても、生活の豊かさや質は落ちないのではなかろうか。
その分、人と人との交わりが深くなるのではなかろうか。物質的に豊かになればなるほど人と人との関係が希薄になるように思われる。
物質的に恵まれなかった時代には、「無縁社会」などという言葉はなかった。「孤独死」や「限界集落」などという言葉もなかった。
今回の大震災や原発事故を契機に、私は自分自身の生活を振り返りたいと思う。 それにしても、被災地に、普通の生活が一日も早く戻ることを祈りたい。
(日記:昨日まで、かなり家庭菜園や里芋植えなど屋外の仕事が続いた。今日は天候もよくなさそうなので、事務所で「数学のホームページ」作り。午後も、作業を継続。時々、目休めに事務所横の菜園を見ると、エンドウ、ニンニク、そして、最近植えた小松菜などの芽を見ていると、気分がほっとする。畑の小石拾いもした。午後7時少し前まで、ホームページを続けた。しばらく、離れていた演歌作りの気分が満ちてきたような気がする。)