想定を超える災害規模
次々と地震や津波に関する情報が明らかになる。地震・津波・原発と重大な天災や事故が重なって日本はまさに危機的な状況にある。
これらに対処するのは簡単ではなかろう。多くの人の命が失われ、町も破壊された。戦争中と同じような悲惨さである。現地に出向いての支援もあるだろうが、しばらくの間、ライフラインのしっかりした安全な地へ迎え入れることも必要ではなかろうか。
家をなくした人、身寄りをなくした人、避難場で不自由な人たちの状況をテレビで見ていると、 我が家でも、一家族や二家族、または、子ども達を迎え入れても良いと思うが、これも簡単ではなかろう。
不便な地域で生活支援をするよりも、戦時中のように疎開することが必要ではなかろうか。町そのものが破壊してしまって住宅も田畑も道路も病院も商店もなくなってしまっているのだから。
今のままでは、人々が健康を損なう可能性は十分になる。今こそ、政治が前例のない方法で国民を守る番だ。協力者はいくらでもいると思う。
緊急事態が発生すると、本当にほしいときに、必要なモノが手に入らない。皮肉なことだ。先ずは、情報を伝達する大切な機器である電話や携帯は全く役に立たない。
普段は自由に会話のできる携帯電話も命が危機にさらされている重大な場面では、通話不能になる。または、電源がなくて使用不能になるのだ。
災害が発生した時にこそ必要なモノがことごとく役に立たないのだ。この地震でなくなった人たちの無念さを考えるとやりきれない気持ちになる。
決してこの人たちの命を無駄にしてはいけないと思う。次の世代に向けて、今回の地震や津波から得た教訓を伝えなければならない。
町のあり方も、根本的に考える必要がある。従来の考え方ではない、安全で安心できる町を作るために、国民の知恵を結集するときだ。
(日記:午前中『数学のホームページ』作り。11時頃、Yさんが、11時半頃U君が事務所へ遊びに来る。2時過ぎまで、昼食もとらずに話し込んだ。楽しい時間であった。午後も、3時頃から作業を継続。夜は、オカリナ教室。新曲と共に、明日、子育て支援センターで演奏する曲の練習をする。帰宅すると、ニュースは地震関係ばかり。自分に何ができるのか、考えたい。)