問題は、これを使いこなせるかだ。これまでの機器もそうだったが、機器の持っている能力の1割も使っていなかった野ではないかと思われる。機器は、どんどん進化していくのに、使う私の能力は機器の進化について行くどころか、退化しているのではと思われる。
Archive for 2月, 2011
音楽制作環境充実のために
大相撲問題から見えてくること
構造上の問題
ニュースなどを見ていると、大相撲の問題が連日放送されている。「八百長はだめだ」という意見が多い。全く同感である。しかしながら、それだけでは永久に八百長はなくならないであろう。素人ながらそう思う。
大相撲の世界が八百長を生む構造になっているからだ。この構造事態にメスを入れない限り、八百長はなくならないと思う。「八百長はだめだ」と言っているだけでは根本的な解決にならない。
たとえばの話だが、苦労してようやく「十両」に昇進した力士がいたとしよう。ようやく、月給がもらえ、関取と言われる身分になったのである。身の回りの世話をする「付け人」も持つことができる。
羽織、袴を着用することができ、曲げも、大銀杏に変わる。世間からも、ふるさとからも、ようやく一人前の力士として認められたのである。しかし、もう若くはない。
結婚して家族を持つようになる。ここで「幕下」へ戻ったのでは、生活が成り立たなくなる。月給がなくなるからだ。なんとしても、「十両」の地位を守らなければならない。せめて8番は勝たねばならないということになる。
すでに勝ち越している相手から、せめて1勝を貸してほしいとなる。そこに、助け合いが生まれる。「八百長」という形での助け合いだ。貸す方もいつかは自分も借りなければならない日が来るだろうと、誘惑に負けて助け合いが始まる。
素人の私が見ていても、普段とは違うこの「1勝」という大切な勝ち星があるように思う。この1勝さえあれば事態が変わるという大切な1勝だ。
「あと1勝で優勝」、「あと1勝で勝ち越し」、「あと1勝で大関に昇進」、「あと1勝で横綱に昇進」、「あと1勝で幕内在位20場所(親方の資格が得られる)」、「あと1勝で十両以上在位三〇場所(親方の資格が得られる)」……という大事な1勝があるように思われる。
この1勝さえあれば陥落しないという1勝もある。あと1勝さえあれば関取から陥落しないという天国と地獄の境目にある1勝もある。十両の下位にある者には地獄の手前のような地位だ。今の家庭を守る1勝だ。
そこに、人情が入り込む余地がある。情が入り込む余地がある。不正が入り込む余地がある。このような相撲界の構造を変えずして「八百長、八百長」と騒ぎ立ててもどうしようもない。八百長問題は、人の弱さに起因する悲しい出来事だ。
相撲界は認めたがらないようだが、これまでも八百長はあったように思う。この問題をどのように解決するのかわからないが、共通する問題は、勝負の世界以外にもあるように思われる。
八百長問題は、決して相撲界だけの問題ではない。あらゆる世界にあるように思われる。教員の採用試験にまつわる不正問題が数年前にあった。多くの県で問題になったのだ。これも八百長のような事件だった。
どのように、相撲界が解決するのかわからないが、構造的な部分にまでメスを入れなければならないであろう。無責任に他人を非難するだけではなく、自分の問題として、見守りたい。
(日記:午前中、オカリナの楽譜作成。午後、北部中学校で和太鼓の指導。その後も、楽譜書き。夜、村岡公民館で、オカリナ教室。3月15日の幼児施設も訪問の練習をした。)
御法事で道場へ
道場で一日過ごす
今日は、御法事の法要と戦没者慰霊の法要が村の道場で行われた。午前9時半より読経が行われ、その後説教が行われた。市内の法勝寺のお寺さんが招かれての説教だ。
途中で、奥さんが描いたという紙芝居も使いながらの説教であった。子供の時代は、娯楽が少なかったせいもあり、何かと道場へ出かけたものである。
昔は、読経の最中は、いろりで子供達が集まって話したり、米ふかしやかち栗を食べたりしながら楽しい時間を過ごしたものである。
説教の時間になると道場の片隅で話を聞いていたりした。この道場は、映画や幻灯を見たり、園芸などをやる文化センターのような役目を持っていたのである。
今日集まった年代をみると、一番多いのが70歳代、続いて60歳代、50歳代となっていた。若者の寺離れが進んでいるように思えた。
子供達は、寺へ出かける用事がないだろうし、娯楽の多い今の時代は、子供達にとっては魅力ある場所になっていないように思う。寺で楽しい思いをした世代は、今や50歳代以上である。
午後も、参加した。戦没者慰霊の法要があった。この村から戦争に参加してなくなった人は、20人あまりであった。神社から日の丸を振った村人に送られて戦地へ出かけて行ったそうである。そして、生きて帰れなかった人たちである。
戦争を始める人、負けが濃厚でも止めない人、これは政治家であり軍人であったであろう。一般人は補給も十分でない南方などで相手の攻撃や病気に倒れてしまったのだという。
少しずつ、戦争が風化していくようである。誰もが平和を望んでいるだろうし、誰もが家族の幸せを祈っているのだが、戦争はこの世からいっこうになくならない。
説教を聞きながら、戦没者の名前を聞きながら、若い命を戦争のために失った人たちの無念さを思うとき、やりきれない怒りと悲しみがわいてきた。
(日記:午前9時半から昼をはさんで午後5時道場で過ごした。説教の途中で、他の宗教の話も出た。帰宅後、童謡のCD作り。ようやく、午後10時前にCDだけはできた。楽譜印刷までには至らなかった。明日の練習は楽しみだ。)
終日童謡編曲
幼児施設慰問に向けて
二週間に一度オカリナ教室を開催している。と言っても、私は、オカリナが上手なわけでも何でもない。頼まれてオカリナ教室の世話をしているだけだ。
今や、楽器屋にはたくさんのオカリナ曲の楽譜がある。しかし、その多くは、独奏用のものである。十人近くの者が同じパートを吹いていたのではあまり楽しくない。
やはり、合奏でなければ面白くない。歌でいえば、多数の人間が全員で斉唱しているようなものである。やはり、合唱の方がはるかに楽しいと思う。
同じように、オカリナ演奏についても同じだ。二部合奏、あるいは3部合奏にした方がはるかに楽しい。しかし、思うような楽譜を入手することは困難だ。
そこで、我流ながら自分で編曲することになる。3月中旬に幼児施設を慰問そることになっている。幼児の前で難しい曲を演奏しても、子供達は喜ばないだろう。
そこで、今日は、月曜日の練習のために、童謡の編曲作業を行った。幼児の喜びそうな、手踊り付きの曲やテレビでおなじみの曲を選んだ。
これまでも、子供の喜びそうな曲を演奏してきた。「さんぽ」や「となりのトトロ」だ。今回は、これらに加えてさらに曲目を増やした。
◇あんぱんまんマーチ
◇童謡組曲◇
・むすんでひらいて
・大きな栗の木の下で
・犬のおまわりさん
・かえる(輪唱)
・げんこつやまの
終日編曲したが、伴奏や練習用のCDを作るまでには至らなかった。明日中には終えたい。楽譜とCD作りを完成させたい。
そろそろ歌を作りたくなった。「拉致被害にあっためぐみさんとその家族の無念さ」を歌にできないかと思う。このような理不尽なことが起こることは非常に残念である。
しかしながら、私に何ができるかとなると、全く非力である。せめて、歌で訴えられないかと思う。生身の人間を拉致するなんてあってはならないことであり、許せない行為だ。
しかし、歌にすることは簡単ではなかろう。簡単でなくても、やろうと思わなければ何も始まらない。めぐみさんの両親のことを思うと、何かしなければと本気で思う。
(日記:午前、午後ともオカリナの『童謡組曲』のCD作りに取り組む。肩と目が限界だ。夜は、例によって『てっぱん』を見る。ようやく、録画も1月の半ばになってきた。その後、家内とオカリナ練習。)
連日報道される相撲界の不祥事
八百長はあったのか
連日、相撲界の不祥事が報道されている。携帯による八百長問題だ。パソコンもそうだが、メールを消したつもりでも、かすかに痕跡が残り、プロの手にかかればデータを復活させることができるのだ。
連日報道されるこれらのニュースを聞いていると、そこからいろんなものが読み取れると思う。元力士なる人物が「八百長はあった」と連日証言している。
一部の力士であろうが、これまでも八百長が続いてきたように思われる。「風が吹けば桶屋が儲かる」式の推論が成り立つように思われる。
1.大風で土ぼこりが立つ
2.土ぼこりが目に入って、盲人が増える
3.盲人は三味線を買う(当時の盲人が就ける職に由来)
4.三味線に使う猫皮が必要になりネコが殺される
5.ネコが減ればネズミが増える
6.ネズミは桶を囓る
7.桶の需要が増え桶屋が儲かる
ニュースやコメンテーターの話を聞いていると、「相撲取りになれば八百長をする」式の推論が成り立つように思われてしまう。悲しいことだ。コメンテーターの意見をまとめると次のような流れになってしまう。
1.相撲取りになったからには、いずれは家族を食べさせなければならない。
2.家族を食べさせるには月給を受け取れる「関取(十両以上)」にならなければならない。
3.猛練習をして関取になったからにはその地位を守らなければならない。
※ 「関取」といわれる「十両」以上と、それより下位の「幕下」以下では雲泥の差だ。
※ 十両(関取)には一〇〇万円あまりの月給が支給されるが、幕下は、
場所ごとにわずかな手当があるだけだ。
※ あるコメンテーターによれば、人間と動物ほどの違いがあるという。
待遇ばかりでなく、着るものから髪型(ちょんまげ)に至るまで大きな差がある。
※ 関取には身の回りの世話をする「付け人」が付くが、幕下以下は付け人になるだけ
である。
4.その地位を守るには、常に勝ち越さなければならない。
※ 新たな若手が出て来て勝ち続けることは簡単ではない。
※ 将来を約束される親方になるにも、幕内なら20場所、十両なら30場所以上
勤めなければならない。しかも、親方株は非常に高価である。
5.そこで、関取の地位を守るために、互いに助け合って星の貸し借り(八百長)を行う。
という構図ができるのだろうか。八百長は悪であって許されることではない。相撲界の仕組みそのものを改めなければ同じようなことが繰り返されることになりかねない。
一部の公務員が、自分達の将来を考えて、自分たちの天下り先を懸命に確保しようとしているのに似ていなくもない。どうこの事件の幕を引くのかわからないが、悲しい事件である。
(日記:午前中、歯医者へ行く。その後、側溝に排雪をしながら『数学のホームページ』作り。午後は、ホームセンターで一輪車を買ってきて、車庫の前の凍った雪を側溝へ捨てる。作業の合間に、オカリナ教室のために幼児の歌を編曲。夜は、例によって家内と『てっぱん』を見る。かなり身体を動かした一日だった。)
ようやく平常ペース
平常ペースに戻る
今日は青空が見えて、春が一歩近づいた感じだ。ここ一週間ほどは、自宅の除雪作業が忙しくて、事務所の駐車場の除雪をする時間がなかった。
そのために、事務所に用事があるときは、歩いて出かけた。しかし、昨日から、急に天候がよくなったので、今日は先ず事務所の駐車所の除雪を行った。何とか、一台は駐車できるスペースを確保した。
その後、久々に事務所のパソコンの前に座って、『数学のホームページ』作りを再開した。時々、水路へ雪を投げ込みながらの作業だった。
退職者にとっては、生活のペースを確立することが大切だと思う。毎日毎日出たとこ勝負では不安定だ。やはり、一日に一定時間は『数学のホームページ』作りをやりながら、いろんなことに取り組みたい。
しかしながら、昨年はあまりにも、ホームページ作りに時間をかけすぎたと思っている。今年は、二日、『数学ホームページ』作りに取り組んだら、一日は創作活動に時間を使いたいと思う。
高校数学の授業に出なくなってから、12年が過ぎた。しかし、その後数年間は、末娘の大学進学につきあったり、知り合いの高校生に数学を教えたりして、何とか数学の勘は維持できたが、ここ数年は全く数学の指導から離れている。
退職を機会に再び数学に関わるようになった。ただ、今日まで、福井へ出れば必ず本屋へ寄り、数学の参考書などを購入してきたので、完全なブランクはなかったと思っている。
何よりも、数学に関わっていることは楽しい。これからも、数学をコンパスの中心にして、種々の活動に取り組みたいと思う。ようやく、平常ペースに戻って、落ち着いた一日になった。
(日記:午前中、事務所の除雪をしながら『数学のホームページ』作り。午後も作業を継続。夜は、節分で恵方巻きの太巻きを食べる日だ。幸福を祈って、南南東を向きながら家内と二人で無言で太巻きを食べ、鰯を食べた。少しずつ、春が近づいてくるようだ。
恵方巻きとは、巻き寿司である理由は“福を巻き込む”からで、切らずに1本まるごとかぶりつくのは“縁を切らない”という意味が込められているそうだ。また恵方とはその年の干支に基づいて決められる縁起の良い方角のことで、今年2011年は南南東(丙)だった。)まずはスタンダードな恵方巻きの作り方です。)
書くこと
久々に原稿依頼
私は、書くことが大好きだ。役所時代のここ9年間は、いろんなものを書く機会が多かった。年度末になれば、機関誌から各種冊子の原稿、巻頭言など10近くの文章を書くことがあった。
今回、生涯学習課を通して、市の機関誌『文協かつやま』の原稿依頼を受けた。原稿用紙5枚に自由に書いてよいということだった。書くことの大好きな私にはこの依頼はとてもうれしかった。
文章を書くに当たって、一番気をつけていることは、「自分らしさが出ているか」どうかである。誰が書いても同じようなものなら、敢えて私が書く必要がないからだ。自分の言葉で書いておるかどうかも大切である。
役所時代の9年間には挨拶する機会がとても多かった。そんなときにも、「何を語るか?」、「自分らしさが出ているか?」「自分の言葉で語っているか?」に気をつけたものである。
日記とブログ
平成9年の4月1日から、私は日記を書き始めた。「いつどこで何をしたか」と共に、「挨拶では何を話したか」もすべて書き留めた。また、いろんな機関誌などで、何を書いたかも、日記とは別に保存してきた。
思えば、中学校3年間は毎日日記を書いた。この当時は生徒全員が日記を書くように指示されていたのだが、必ずしも全員が毎日書いてはいなかったようだ。毎日日記を書いた生徒には、次の年は無料で日記帳が与えられたように記憶している。
一般に子供達は、作文が苦手のようだ。そのため、「書く」ための指導を受けることになるが、大切なことは、文章の書き方ではなく、「書くに足る何かを子供が持っている」かどうかであろう。
書かずにはいられない何かを持った子どもを育てることは、簡単ではないだろう。一人一人の子ども達に子供らしい生活を送らせることが大切であり、大人達が何もかも与え過ぎることに注意しなければならない。
日々、自分で考える習慣をつけさせることが重要になる。生活習慣という言葉があるが、子ども達には思考習慣を身につかさせることが望まれる。知恵は無限にあるのだから。
(日記:午前中、依頼を受けた原稿を書く。午後は推敲し、メールで役所へ送る。その後、久々にのんびりと過ごす。時々、雪を水路に入れながら。夜は、例によって、『てっぱん』を見る。家族愛がうまく描かれているようである。)
(
創造と想像、そして……
養いたい創造力
今は、全国的に大学や短大、専門学校、そして高校や中学校の入学試験のシーズンだ。様々な形で入学試験が行われてるが、その多くは従来からある筆記試験だろう。ある意味では公平であるが、社会人になったとき、それらが活かされるかははなはだ疑問だ。
また、この試験で、どれだけ創造性や想像力を試す試験が行われているだろうか。従来型の筆記試験を否定はしないが、多様な人材を育てなければこれからの社会には対応できないのではないかと思われる。
従来型の学力を重視することは必要だが、それと同時に創造性や想像力を育てなければならないと思う。両者は、車の両輪だと思うが、学校教育では、やや前者に重きを置きすぎているように感ずる。
日本の子供達の学力が低下したということから、ゆとり教育の見直しが行われ、今年から授業時間が増え、教科書の内容も増える。単純に狭義の学力だけを重視するのではなく、創造する力や知識を活かす力を同時に重視してほしい。
近年の職場で見る若者達に、若さが感じられるだろうか。ファッションや遊び、ゲームやアニメに対する関する興味や関心はありそうだが、行動力や考え方、アイディアや創造性に若さを感じることは非常に少ないと私は思っている。
あまりにもすべての「モノ」がそろっていて、創造性を発揮する場面が非常に少なくなってきているのではなかろうか。そういう意味では、物質的には豊かであるが、自分の能力を発揮する場面は非常に少なくなってきているように思う。人と人との関わりが少なく、孤立している人があらゆる階層に増えているようである。
損得を考えず、自分の夢に向かって、自分なりの道筋を立て、行動する馬力を若者が増えることを期待したい。自分の言葉で語り、自分の足で歩く若者が増えることを期待したい。
(日記:午前中、屋根に登らず、車庫と事務所の屋根の先端の雪をトンボ(グラウンドをならすT型の道具)のような道具で引き落とした。午後は、市民大学で書いた童話の清書。推敲するのは楽しいが難しい作業だ。完成したので妻に読んでもらって、聞いていておかしな部分を改めた。午後4時頃生涯学習課へ提出した。その後、オカリナの童謡曲を編曲。童謡メドレーCDを作るつもり。今日は、あまり雪が降らなかったので助かった。このまま、春になるのだろうか。夜、例によって『てっぱん』を4つ見る。)