RSS
 

“片瀬”のブランド化は可能か?

21 9月

一人ひとりが異なるように
  世の中へ出たら答えのない問題がいっぱいある。それらに対して、知恵を出し、想像し、創造しながらよりよい解決策を見出す努力をすべきである。世の中に数え切れないくらいの人がいるが、それぞれ異なる人である。

 そうした人達が、それぞれの立場で考え、知恵を出し合えば、よりよい社会を築くことができるように思う。しかし、こうしたことは、口で言うのは簡単であるが、実際には簡単にできるものではない。

  世の中が便利になった分、自ら考える必要がないのでる。ものが溢れ、多くのものはそれらを追い掛けているだけである。子供の遊び一つとってみても、与えられてものを使って遊ぶだけで、使い方に工夫はあっても、一から考える必要などないのである。

  こうした時代の子ども達に対して、大人達は何ができるだろうか。少なくとも私は、自ら創造し、創造しなければならないと思っている。それは難しい使命感からではなく、楽しいからである。大人が前向きに生きれば、創造的に生きれば、その背中を見て次の世代もそのように生きると思う。

『片瀬豊年ばやし』が目指すもの……“片瀬”のブランド化
  単に昔の銭太鼓を、形を変えて復活させようというものではない。この伝統芸能を通していろいろな方面へ発展させることができると考えている。少なくとも村の活性化には貢献できると思っている。

出西ショウガの産地(島根県斐川町 ’09.8.28)

 我が片瀬では、農業の後継者不足解消を目指して、『農事法人かたせ』を作って、会社形式で農業をやっている。そして、今、法人の農舎を増築している。将来は、米の乾燥も自前でやれるような建物の構造になっている。

  現在は、JAのカントリーへ籾を運んで乾燥し、臼スリ(籾の皮をむき玄米にする)を行っているのである。定められた日に猪野瀬の各集落、平泉寺の各集落などの米が混ざり合ってしまうのである。

  これでは、ブランド化しにくい。片瀬の米は、片瀬で育て、稲刈りをし、乾燥し、玄米にし、精米して消費者に販売できるようにすべきであろう。どこの誰が作った米かわからない今の状態よりも、米作りに対して、意欲が湧くのではなかろうか。

  『片瀬豊年ばやし』は、“片瀬”をブランド化する一つの方法であると思っている。片瀬固有の郷土芸能にするために、もっともっと工夫して、各地で披露しながら、“片瀬”という名前を広めることができればと願っている。

出西ショウガ組合長の永富さん宅(’09.8.28)

  今回は、各種団体ではなく、有志によって『銭太鼓』の練習をしているが、毎日同じメンバーが集まるので、一種の連帯感ができている。時には農業の話が出ることもある。

  歌詞に書いておいたが、かつて“里芋とショウガ”は片瀬の代名詞であった。現在の私営体育館でNHKの「のど自慢大会」が行われたときには、片瀬の“里芋とショウガ”が全国に紹介された。昔の「NHKのど自慢」では、それぞれの土地の特産物が番組の冒頭で紹介されたのである。

  今は、どちらも片瀬の特産物と言えるほどの知名度はない。ショウガは特産物とする価値があると思っている。私は、昨年、家内と2人で島根県の『出西ショウガ』の産地まで出掛けて、出西ショウガ組合長の永富さんご夫妻にお会いし、畑を見せていただき、いろいろ話を聞かせていただいたのである。

   ショウガ出荷の倉庫には、あのタレントのベッキーやKABAちゃんやお笑いタレントのサイン色紙が沢山並んでいるのである。そして、毎日この出西ショウガがクール宅急便で全国に出荷されているのである。

  出西ショウガの初出荷日には、テレビカメラが入るとのことであった。それと、物語性もあるのである。神話の國、出雲方面から流れ来る霧がショウガの生育に独特の効果をもたらしているという話も聞いた。

  因みに、片瀬は白山を開いた泰澄大師ゆかりの山、大師山に抱かれているのである。そんなわけで、このことは『片瀬豊年ばやし』の1番に書いておいた。片瀬のショウガは、世界遺産を目指す“霊峰白山”から流れ出る水で育っているのである。

   ショウガの薬効には目を見張るものがある。 低体温になりやすい現代人にはショウガの薬効はすばらしい。こうした宣伝と共に、“片瀬ショウガ”を売り出すことだって不可能はないのである。

  かつては、高齢者が、北は大野市はもちろんのこと上庄、美山地区まで、南は勝山市は当然のこと、上志比、永平寺、松岡辺りまで売り歩いたのである。私の祖母も、背中にショウガを担いで勝山市内はもとより、大野市まで売り歩いて、貴重の現金収入を得ていたのである。

 “片瀬”をブランド化する一助になればと考え、拙い『片瀬豊年ばやし』を作っているのである。そうでなければ、ド素人の私が歌を作り銭太鼓と女踊りの振り付けを考える必要など全くないのである。

(日記:午前中、数学のホームページ制作。昼近くに産業支援センターへ出かけて本を返却し、DVDを3本と本(『農業で創業』)を借りる。その後、家内の入院している医大へ行く。毎日リハビリで筋肉痛とのこと。早くいっしょに旅行をしたいものだ。4時から河間先生に『津軽じょんから節(三味線)』の個人指導を受ける。結構変化に富んでいる一日だった。昼は偉大で外食だったが、後は、自分で作って食べた。少しはなれたが、毎日かなりの時間がとられる。)

 
 

Leave a Reply