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Archive for 9月, 2010

晴耕雨 I T(セイコウウイット)

30 9月

午前中は土木作業
    今、家庭菜園用の畑と隣地との境界にコンクリートで仕切りを作ってもらっている。畑周辺につる状の雑草が繁茂して困惑しているので、畑の外側はアスファルトをして草が生えないようにしてもらっている。

    家庭菜園というと、困ることが二つある。それは、雑草と病気や虫による食害だ。雑草は、とにかくとらなければどんどん生えてくる。夏などは、とってもとっても生えてくる。そこで、なるべく黒マルチをして雑草が生えないようにしているつもりだが、少し油断をすると雑草だらけになってしまう。

  かといって、除草剤を散布する気にもなれない。健康に悪影響尾を及ぼしそうだからだ。また、虫による食害も被害は大きい。殺虫剤もうかつにまけない。特に、大根の葉や白菜などの菜っ葉類は虫も好むのでいつも虫との戦いとなる。

    野菜の病気も困る。こればかりは素人にはどうしようもない。こればかりは、人体の影響を考えながら、最小限利用せざるを得ない。それに、連作の被害もあるので、野菜によってはとても作りにくい。

  今日はN工業のNさんが重機を動かすので、掘り起こしたところにある“しぶとい鶴のある雑草の根”を拾った。下手をすると、畑中がこの雑草に占拠されるのではという危機感がある。昼近くに雨が振ってきたので午後は作業をやめることにした。

午後はパソコンで学習
    午後は、ホームページ制作ソフトである『Dream weaver』の勉強。DVDを見ながら要点をまとめた。今日のテーマは『Spry~アコーディオンの挿入~』である。アコーディオンのじゃばらのようにクリックするとページが現れるものである。

  数学のホームページで、「ヒント」や関連公式などがクリックすることによって、現れてくるものである。本当にもどかしい。早く、作りたいのだが、表現手段であるホームページの技術がないと、思うように数学講座を展開できないのである。

   野球の投手がいつまでも、ランニングや柔軟体操をやっているようなもので、早くピッチング練習をやりたいのに、身体ができていないとコーチにとめられているようなものだ。

今、数学ブーム
  昨日、公民館のYさんが事務所へ踊りの衣装を返却に来た。そこで少し話した。その中で、Yさんは、「市民大学で数学をやったろどうですか?」と私に提案した。内心、「受講を希望する者ががいるんだろうか」とあまり深く考えなかった。

    帰宅してテレビを見ていると、数学講座についてテレビが放映していた。今、数学ブームだという。学校を卒業した社会人が数学を学び直すのだという。“考えることが楽しい”かららしい。40代、50代の人も興味を持って数学を勉強しているそうだ。ある人は、微分・積分であったり、またある人は、ピタゴラスの定理(三平方の定理)が成り立つことを証明したりと様々である。

 学校では点数を取ることが中心だった数学が、社会人になってからは考える楽しみを味わうことのできる数学として人気があるらしい。私の数学講座も楽しみながら学習できるものにしたいと思う。

   考えることは楽しいことである。考えることによって“できなかったことができるようになる”こともあるし、“無から何かを生み出す”こともできる。“考えることによって達成感を得る”こともできる。そうしたことの基礎に数学があると私は考えている。

よろしかったら聞いてみてください。
http://song.inakamon.net

 
 

「平凡」が最高

29 9月

春美退院
  9月3日に入院した家内の春美が今日退院した。10時過ぎに医大を出て、生活必需品を買うためにワイプラザへ出掛けた。その後、2人で昼食を取り、勝山へ向かった。家内にとっては久々の勝山だ。

 家内には、入院中から気にしていたことがあった。それはショウガの収穫のことだ。取り遅れるとかたくなるからだ。塩漬けにして紅ショウガや酢漬け(ガリ)を作りたいという。帰宅して、作業服に着替え、ショウガを堀った。ド素人にしてはまあまあのできだった。

素人にしてはまあまあのできだった我が家のショウガ。私は、2、3日で食べられる「味噌漬け」が一番だ。

  家内は、当分の間はリハビリをしなければならず、運動も十分できない。退院して2,3年は特に気をつけなければならないという。しかし、食事の準備はできるだろう。ようやく、食事の準備からはある程度解放されることになった。重いものを持つこと以外がだいたいできそうだ。

  これからは、家事を2人で分担してやっていきたいと思う。以前は、私は外での仕事が中心であり、家内は家事が中心であった。しかし、退職した今は、私の外での仕事がなくなった。従って、今後は、家事を2人で分担しなければならないと思う。当分は妻の手足になって動くつもりだ。

   この1ヶ月を終えて思うことは、「平凡が最高である」ということだ。平凡な中に、少しでも、変化に富んだことや刺激的なことが混ざったりすればそれでよいのだ。平凡な中に、少し自分のやりたいことがミックスできれば最高だ。

    これから、歌の文句ではないが、お互いに相手の“杖になったり”しながら、生きていきたい。そんな中で、夫婦は、「お互いが一人でできること」、「二人でできること」を持っていることが大切ではなかろうか。

   退職してからは、「二人でできること」といえば、家庭菜園と郷土芸能や音楽関係のことではなかろうか。今後は、これらを利用しながら、ボランティア活動として施設慰問などができればと思う。

    夕食の準備をする食器の音やまな板で食材を切る音は、平和そのもので幸せな響きだ。これからは、私も少しは家事の応援団としてがんばれるのではと思っている。「平凡な一日」こそ何物にも変えられない最高のものかも知れない。

(日記:妻が退院のために福井医科大へ行く。家内といっしょに、福井へ行き買い物をして帰宅。午後は、ショウガの収穫。晴天続きの暑い夏だったが、川から水をあげて育てたので、素人にしては、まあまあのできだった。久々に妻と一緒に夕食を食べた。会話もあり楽しい一日だった。
   午後7時半より遅羽公民館へ踊りの指導に行く。総踊りの『三室ほがらか音頭』を歌う若い衆が練習にやって来た。歌はうまい。ラップ部分を指導した。若者が、民謡を歌ってくれるとはありがたい。三室祭りの盛り上がりを期待したい。「おどり隊ひらりも応援に駆けつけるという。嬉しい限りだ。)

 
 

一人暮らしをしてみて

28 9月

予想通り家事は大きな仕事
  今月の3日に家内が入院して、25日になる。この間、病院にいるとき以外は一切外食をしなかった。一人暮らしをするためには、最低でもしなければならない家事がいくつかある。

   先ず食事を作ることだが、食材の買い出し、菜園での野菜の取り入れ、調理、食後の食器洗い、炊飯器で翌日のご飯を炊く準備、ゴミ出しなど一連の仕事がある。要領よくやらないと、すぐにたまってしまう。

  私は、漬け物が大好きなので、糠漬けを作っているが、食べた分だけ、いつも野菜を補充しておかなければならない。採れ過ぎたキュウリ、黒瓜、ナスは塩漬けにした。次々と塩と共に桶に放り込めばよい。いつか、奈良漬けなどにできる。

  多少は、栄養バランスも考えなければならない。野菜、海草は常に使うようにしてきた。買い物は、衝動買いは禁物だとわかった。冷蔵庫がいっぱいになって、それを使うために常に頭を使わなければならない。特に、一人暮らしの場合は、無駄になることが多い。

  次に、洗濯と掃除。これまでは、手拭いやバスタオルとまるでティッシュペーパーでも使うように使っていたが、使えばそれだけ洗濯物が増えてしまう。そのことを頭に置いて、使わなければならない。
 
 行事があると、早く起きなければ、食事の準備などはできない。地域の付き合いも一人暮らしの場合は大変だ。時間に間に合わせるためには、食事の準備を早めに行動しなければならない。

    以前にも書いたが、私は“外で働くのも、家で家事するのも同じだ”と考えてきた。私の給料の半分は、妻が稼いだものだということを子ども達にも言ってきた。実際、一月近く、自分でやってみて実感した。

 子供が3人いて、弁当を作らなければならなかった十年ほど前のことを考えると家事も大変だっただろう。食事の量も、洗濯物の量も半端ではない。外へ働きに行っている方がよほど楽だったかも知れない。

  そんな一人暮らしも、今日で終わる。家事の大切さと大変さを実感した一月であった。

我が家のショウガ。大部分は、紅ショウガ、ショウガの酢漬け(ガリ)にするが、私が一番好きなのは、ショウガのみそ漬け。一晩でできる。

(日記:午前中、済生会でドッグの再診。午前中いっぱいかかった。昼、医大へ行く。明日から、また二人暮らしが始まると思うと嬉しい。

    帰宅してから事務所でホームページづくり。途中で、来客あり。

    今日も尖閣問題をテレビでやっている。池上さんの論調も、「これまでの政府が尖閣諸島は日本の領土であるときちんと言ってこなかったことが問題だ」ということであった。私も同感である。この難局を乗り切るためにも、与党だ野党だではなく、“オールジャパン”で対処してもらいたい。国内の非難合戦では相手につけ込まれるばかりだ。)  

 
 

「オールジャパンでいけないのか?」

27 9月

吉永さんの発言に同感
  朝、家事をしスーパーモーニングを見ていたら、尖閣問題をやっていた。評論家の皆さんや与党、野党の皆さんが、今回の船長の釈放問題について意見を述べていた。そのとき、コメンテーターの吉永みち子さんが次のように述べた。

  「今は国難の時、与党、野党を問わず、全議員が力を合わせて“オールジャパン”で今回の問題に対処できないのでしょうか?」

  この発言には私も同感である。野党どころか、与党の議員までが今回の政府の言動に異を唱えている。毅然としていれば、音を上げた経済界から声が上がるだろう。勝手に評論するほど簡単な問題ではない。これまでの代々の政府の取り組みも今回の問題に無関係ではない。

  一般大衆が、ああだ、こうだと意見を述べるのならまだしも、国会議員が政府を非難している場合ではない。全議員上げて、知恵を出し合い、この難局を乗り切らなければならないのではないか。相手の弱点を叩いているだけではことは進展しない。内輪もめは、他国からの信頼を失うだろう。

出でよ!平成の龍馬!!
  「薩摩だ、長州だ、土佐だと言っている場合ではない。この日本をどうするかだ。」と薩長同盟を成し遂げた龍馬のような政治家はいないのか?とにかく、相手の弱点ばかりを攻めている今の状況は、外国から見ればまとまりのない烏合の衆に見えるだろう。

  現在の状況は、江戸時代に似ているが、その対処の仕方は、それ以下だと思う。もっと理恵を集めてこの問題に対処できなかったのか?我々の子供時代には、尖閣問題などあったのだろうか。いつからこのように問題になったのだろうか。

    これまでの政府の取り組みに問題はなかったのだろうか。とにかく、吉永さんではないが、“オールジャパン”でこの難局を乗り切ってほしい。中傷合戦や足の引っ張り合いでは、益々事態は悪く思えてならない。

 「出でよ!平成の龍馬!!」と叫びたい。

家庭菜園の工事現場。私は既存の花壇を取り壊した。新しい花壇を作りたい。

(日記:家庭菜園の工事現場で作業。午後、北部中学校で和太鼓指導。その後、家内の入院している医大へ行く。帰宅して、夕食を作って食べ、遅羽公民館へ行く。遅羽公民館で『勝山よいとこ』と『勝山小唄』の踊りの指導。結構忙しい一日だった。)

『三室まつり』に向けて踊りの練習をする遅羽町婦人会の皆さん。

 
 

「今日のスケジュールは?」

26 9月

前日または早朝に一日の計画
  サンデー毎日の身は、他人から見ればひまそうに見えるだろうが、当人は全くひまではない。一日にやりたいことは、24時間を超える。ただ、できなければ「明日があるさ」と考えられるところが退職者の特権か。

  朝、「今日は先ず家庭菜園の作業方始めよう」と決めた。畑の境界部分をコンクリートにする作業を行っているので、作業のじゃまになるさつまいもを掘らなければならないのだ。狭いところに沢山の苗を植えたが、我々夫婦では食べきれないくらいの芋を収穫することができた。

  家内が帰ってくれば“スイートポテト”を作ってくれるだろう。その後、第3番手の大根の種を播いた。最初に植えた大根はすぐり菜にできるくらいに大きくなった。マルチの穴に最初は5粒ずつ種を播いたが、途中で選って3本立てにし、最後に一本だけ残す予定である。

一つの穴に5粒ずつ播いた大根の種から芽が出た(9月17日)。今はもっと大きくなっている。

  選った大根菜は油揚げといっしょにみそ煮にして食べるのがヘルシーで美味しいと思っている。スーパーで大根菜を買ってすでに数回みそ煮にして食べた。最後に、秋ギュウリや秋なすに油かすの腐熟液を20倍ぐらいに薄めてかけた。採れた秋キュウリとナスは全て塩漬けにすることにしている。

    午後も、家庭菜園の作業を少しやった。帰宅してシャワーをして小休憩。

  午後、5時から祭りの後始末のために神社へ行った。宮番(神社の当番)、青年団、中年会、壮年会の会員が集まって秋祭りの後始末を行った。今日も結構忙しかった。個人的なことはあまりできなかった。明日があるさ!

  その明日だが、北部中学校の選択音楽での和太鼓指導が始まる。それに、昨日、丸岡中学校のALTから「和太鼓を教えてください」と連絡があった。一区切りついたと思えば、次のスケジュールが待っている。

  この他、明日と水曜日は遅羽公民館で『三室祭り』のための踊りの練習がある。いつの間にか指導者になってしまった。数学のホームページづくりを進めたいし、歌作りも再開したい。今度は、津軽系の演歌を作りたいと思っている。

  来週の水曜日には家内が退院して帰ってくる。そして、リハビリが始まる。プールやウオーキングには私も楽しんで付き合いたい。2人で、「明日のスケジュールは?」と話し合う生活が再会する。

 
 

終わったー!

25 9月

祭り盛り上げプロジェクト
  秋祭りを盛り上げたいという区長らの願いに応えて、いろいろな取り組みをしてきた。特に私は、村の伝統の銭太鼓を村独自のものにすべくかなり努力してきた。先ずは、曲作り。どのような音楽が銭太鼓にふさわしいのかを研究するために、三味線グループの会でいろんな民謡を聴かせていただいたりした。

   そして、先ず音楽ができた。音楽に合わせて銭太鼓の振り付けを考えた。自分で銭太鼓のバチを振りながらあれこれ考えた。そして、実際にメンバーに試してもらいいくつかを変更した。その後、歌のない音楽だけのCDをつくった。これで男性の練習だけはできるようになった。

  毎日、CDを聴きながら歌詞を考えた、なかなかことばが出てこなかった。本当に苦しかった。ようやく歌詞を作り、『片瀬豊年ばやし』として歌が出来上がった。次が吹き込みである。前歌は、他にも適任者はいたが、わざわざ我が家まで足を運んでもらうわけにも行かないので、医大の主治医にお願いして入院中の家内に吹き込んでもらった。

  本歌は、親しくしている大野の旭さんに吹き込んでもらった。旭さんは安心して任せられる私の歌作りのよき協力者だ。こうして歌の入ったCDがようやく出来上がった。そして、最後が女踊りだ。女踊りの振り付けもかなり苦労した。それは銭太鼓とある程度は調子が合わなければならないからだ。

  そして、今日は本番の片瀬の祭りであった。午前中は子供御輿もあった。娘夫婦が祭りにやってきた。しかし、午後7時半には食事中の娘の家族を自宅に残して集会所へ行き、最後の練習をした。しばらく練習して片瀬の白山神社へ移動。

『浦安の舞』の指導に当たられた福井木田神社関係の方々、平泉寺の武内さんなども最前列で見てくださった。

かがり火の中で演じられた中学生による『浦安の舞』

  中学生の『浦安の舞』は感動的であった。次が、いよいよ『片瀬豊年ばやし』の初披露である。神様に一礼して本番が始まった。私は、締太鼓を受け持った。あっという間に終わってしまった。

 6月以来の長い一連の取り組みが終わった。心地よい疲労感と共に一日が終わった。

感動的だった『浦安の舞』

新民謡『片瀬豊年ばやし』による銭太鼓と女踊り。『片瀬豊年ばやし』を演じた中年会・壮年会・婦人会有志。前列左端が私(締太鼓を担当した)。

 
 

歌の力

24 9月

矢戸口ええとこ音頭
  私は、いくつか、自己流で地域の民謡を作ってきた。そうしたことを知っておられる方も市内には少なくない。昨年のいつごろだったでしょうか、鹿谷町矢戸口の田部さんが、歌詞を持って訪ねて来られた。

「民謡を作りたいんですが、曲を付けてもらえませんでしょうか」
ということだった。私は、頼まれたことは心易く引き受けることにしている。自分のできることなら断ったことがない。

 いつまでという期限がなかったので、気軽に考えていた。そして、今年になって、田部さんが受講していた市民大学講座の講師である旭さんに歌唱をお願いして、CDにすることができた。そして、田部さんにお渡しした。

  その後、この歌のことはまったく忘れていた。ところが、今朝起きて福井新聞を見ると、この歌のことが出ていた。地元の人達が振り付けして今週末の日曜日(後祭り)にみんなで踊ると書いてあった。歌を作った者としてはとても嬉しい。

今朝の福井新聞に載った『矢戸口ええとこ音頭』に関する記事

ふるさとを見直す歌の力
 作詞の内容を見ていると、矢戸口区のすばらしいところ、例えば、薄墨桜などが書かれている。ふるさとの素晴らしさに溢れている。さすがは地元の方が作った詞だと感心した。

  「矢戸口はすばらしい」と言葉で述べることは簡単ではない。何度も何度も同じことを言うわけにはいかない。しかし、歌にすれば、何度も何度も聴くことができる。しかも、話し言葉とは違って簡潔で、メロディーがついているので繰り返されても、不愉快ではない。

  歌なら百回聴いてもおかしくはないが、同じ話を百回聴くことはできない。10回すら聴くことはできないだろう。まして、「私の町はすばらしい」と話し言葉では何度も話すことはできない。歌なら、踊りも振り付けられるし、何度でも聴いて楽しむことができる。

  歌に踊りを振り付けをすれば、多数の人間が同時に楽しむことができる。踊りの練習に区民が集うことができるし、コミュニケージョンの輪が広まる。子供から高齢者までこの歌のもとに集うことができ、世代間交流も深まる。健康にもよい。いろんな場面に利用できる。歌にはいろんな力がある。

 子ども達にふるさとの良さを伝えることもできる。歌にして歌えば、楽しいだろうし、地域の魅力を再認識することができる。時には、話し言葉よりも何倍も大きな力を持っている。これからも歌作りを続けていきたいと思う。

矢戸口ええとこ音頭』です。容量の関係で2番までですが、聴いてみてください。
矢戸口エエトコ音頭 歌2人 2番 ブログ用

(日記:午前中、定期検診のために福井の病院へ行く。午後、家内の入院している医大へ。帰宅後、民謡の振り付け用紙を作り直す。午後7時より銭太鼓の練習。今日も結構忙しい一日だった。)

 
 

神社でリハーサル

23 9月

あと一息
  いよいよ片瀬の秋祭りも近づいてきた。今年は、祭りを盛り上げようということで二つの試みがなされている。一つは、中学生女子による『浦安の舞』の奉納。そして、もう一つは、片瀬伝統の銭太鼓を片瀬固有の者にする取り組みである。

  今年は、各種団体に任せるのではなく、有志による出演ということになった。というのも、各種団体に任せると、負担が多くなり、会長あたりが苦労して「止めてほしいと悲鳴を上げかねないからである。従って、今年の活動は全て試行である。

かがり火を焚いて本番さながらの雰囲気の中で舞う『浦安の舞』(於:片瀬白山神社拝殿)

  そうこうしているうちに、祭りまであと二日となった。今日は神社の拝殿で、奉納する二つの演目のリハーサルを行った。先ずは、中学生の浦安の舞であるが、かがり火の中で厳かに舞い、感動的であった。彼女たちが主役になる日ももうすぐである。

   次に、新作民謡『片瀬豊年ばやし』に合わせて、銭太鼓と女踊りが行われた。まだ練習不足である。しかし、何度も何度も練習した。帰り際にはかなりできるようになった。今後、練習を積めばさらによくなるであろう。

(日記:午前中は数学のホームページづくり。主に問題入力を行った。午後は、ホームページについての勉強。まだまだ、自分の想いをホームページで表現できない。
 午後7時半から、村の白山神社の拝殿で秋祭りのリハーサルを行った。かがり火を焚き、照明も考えての本格的なリハーサルであった。)

衣装を付けて新作民謡『片瀬豊年ばやし』を舞う中年会と婦人会の有志(於:片瀬白山神社拝殿)

 
 

今日は数学漬け

22 9月

時間がかかる数学の問題入力
  私は、ホームページで数学講座を展開しようとしているが、問題や解答の入力が本当に難しい。全て、画像として処理している。普通の文章のように入力できたらどんなに楽だろうにと思う。今は、数列の基本問題を入力している。

   雨が降るので、朝からずっと事務所で問題と解答を入力していた。しかし、大切なのはこれからだ。これらの問題をいかに楽しくためになるように解説するかだ。例題を解くのではなく、例題で考えてほしいのだ。数学を強くするだけではなく、数学で考える力を養ってほしいのだ。

  世の中へ出たら、正解のない問題ばかりだから、よく考えて少しでも世の中をよくしてほしい。数学を通して、考えることの楽しさを学んでほしい。考えることは、実は楽しいことなんだと思う。無から何かを生み出すことは生きがいにもつながる。たとえ粗末なものでも、創作することは楽しい。私には、何かを考え出すことは生きていることと同義語だ。い。

  若い人たちには、ぜひとも考える楽しさを味わってほしい。

本番を前に試着してみた衣装。『片瀬豊年ばやし』にふさわしい。

(日記:午前と午後、事務所でホームページ作り。今日は、我が『春駒太鼓』の練習日だ。うれしいことにメンバーが一人増えた。小学生時代に和太鼓を教え、高校になっても和太鼓を教えたIさんだ。一人でも増えることはうれしい。また、片瀬の銭太鼓の練習も行った。女性も衣装を着けて踊ってみた。まだ、踊りを覚えている最中だ。土曜日のは本番にはどうなるだろうか。男子もまだ、振り付けを覚えきっていないので心配だ。)

 
 

“片瀬”のブランド化は可能か?

21 9月

一人ひとりが異なるように
  世の中へ出たら答えのない問題がいっぱいある。それらに対して、知恵を出し、想像し、創造しながらよりよい解決策を見出す努力をすべきである。世の中に数え切れないくらいの人がいるが、それぞれ異なる人である。

 そうした人達が、それぞれの立場で考え、知恵を出し合えば、よりよい社会を築くことができるように思う。しかし、こうしたことは、口で言うのは簡単であるが、実際には簡単にできるものではない。

  世の中が便利になった分、自ら考える必要がないのでる。ものが溢れ、多くのものはそれらを追い掛けているだけである。子供の遊び一つとってみても、与えられてものを使って遊ぶだけで、使い方に工夫はあっても、一から考える必要などないのである。

  こうした時代の子ども達に対して、大人達は何ができるだろうか。少なくとも私は、自ら創造し、創造しなければならないと思っている。それは難しい使命感からではなく、楽しいからである。大人が前向きに生きれば、創造的に生きれば、その背中を見て次の世代もそのように生きると思う。

『片瀬豊年ばやし』が目指すもの……“片瀬”のブランド化
  単に昔の銭太鼓を、形を変えて復活させようというものではない。この伝統芸能を通していろいろな方面へ発展させることができると考えている。少なくとも村の活性化には貢献できると思っている。

出西ショウガの産地(島根県斐川町 ’09.8.28)

 我が片瀬では、農業の後継者不足解消を目指して、『農事法人かたせ』を作って、会社形式で農業をやっている。そして、今、法人の農舎を増築している。将来は、米の乾燥も自前でやれるような建物の構造になっている。

  現在は、JAのカントリーへ籾を運んで乾燥し、臼スリ(籾の皮をむき玄米にする)を行っているのである。定められた日に猪野瀬の各集落、平泉寺の各集落などの米が混ざり合ってしまうのである。

  これでは、ブランド化しにくい。片瀬の米は、片瀬で育て、稲刈りをし、乾燥し、玄米にし、精米して消費者に販売できるようにすべきであろう。どこの誰が作った米かわからない今の状態よりも、米作りに対して、意欲が湧くのではなかろうか。

  『片瀬豊年ばやし』は、“片瀬”をブランド化する一つの方法であると思っている。片瀬固有の郷土芸能にするために、もっともっと工夫して、各地で披露しながら、“片瀬”という名前を広めることができればと願っている。

出西ショウガ組合長の永富さん宅(’09.8.28)

  今回は、各種団体ではなく、有志によって『銭太鼓』の練習をしているが、毎日同じメンバーが集まるので、一種の連帯感ができている。時には農業の話が出ることもある。

  歌詞に書いておいたが、かつて“里芋とショウガ”は片瀬の代名詞であった。現在の私営体育館でNHKの「のど自慢大会」が行われたときには、片瀬の“里芋とショウガ”が全国に紹介された。昔の「NHKのど自慢」では、それぞれの土地の特産物が番組の冒頭で紹介されたのである。

  今は、どちらも片瀬の特産物と言えるほどの知名度はない。ショウガは特産物とする価値があると思っている。私は、昨年、家内と2人で島根県の『出西ショウガ』の産地まで出掛けて、出西ショウガ組合長の永富さんご夫妻にお会いし、畑を見せていただき、いろいろ話を聞かせていただいたのである。

   ショウガ出荷の倉庫には、あのタレントのベッキーやKABAちゃんやお笑いタレントのサイン色紙が沢山並んでいるのである。そして、毎日この出西ショウガがクール宅急便で全国に出荷されているのである。

  出西ショウガの初出荷日には、テレビカメラが入るとのことであった。それと、物語性もあるのである。神話の國、出雲方面から流れ来る霧がショウガの生育に独特の効果をもたらしているという話も聞いた。

  因みに、片瀬は白山を開いた泰澄大師ゆかりの山、大師山に抱かれているのである。そんなわけで、このことは『片瀬豊年ばやし』の1番に書いておいた。片瀬のショウガは、世界遺産を目指す“霊峰白山”から流れ出る水で育っているのである。

   ショウガの薬効には目を見張るものがある。 低体温になりやすい現代人にはショウガの薬効はすばらしい。こうした宣伝と共に、“片瀬ショウガ”を売り出すことだって不可能はないのである。

  かつては、高齢者が、北は大野市はもちろんのこと上庄、美山地区まで、南は勝山市は当然のこと、上志比、永平寺、松岡辺りまで売り歩いたのである。私の祖母も、背中にショウガを担いで勝山市内はもとより、大野市まで売り歩いて、貴重の現金収入を得ていたのである。

 “片瀬”をブランド化する一助になればと考え、拙い『片瀬豊年ばやし』を作っているのである。そうでなければ、ド素人の私が歌を作り銭太鼓と女踊りの振り付けを考える必要など全くないのである。

(日記:午前中、数学のホームページ制作。昼近くに産業支援センターへ出かけて本を返却し、DVDを3本と本(『農業で創業』)を借りる。その後、家内の入院している医大へ行く。毎日リハビリで筋肉痛とのこと。早くいっしょに旅行をしたいものだ。4時から河間先生に『津軽じょんから節(三味線)』の個人指導を受ける。結構変化に富んでいる一日だった。昼は偉大で外食だったが、後は、自分で作って食べた。少しはなれたが、毎日かなりの時間がとられる。)