RSS
 

ハワイアンバンドでフラダンス

27 11月

初めての合同練習
来る日曜日、遅羽公民館で、『ハワイアンバンドでフラダンス』をやることになった。今日初めて、家内がキーボードを弾くことになった。このキーボードは、二人だけでも、演奏できるようにと買ったものだ。

久々の練習だったが、それらしく聞こえる。何とか、フラダンスのバックを務められそうだ。他にも、いろんな音楽で、活用できそうだ。ギター演奏のバックも務められそうだ。

フラダンスの間に演ずるチャッパの演技練習。

フラダンスの間に演ずるチャッパの演技練習。

午後、7時から事務所に集まって、ギターとボーカル担当のOさんと3人で練習した。キーボードには、ベースやドラムも入っているので、それなりに聞こえる。私は、ハワイアンギター担当。O三は、ギターと歌。家内はキーボードと歌だ。

Oさんと家内は弾き語りだ。私は、ハワイアンギターだけだが、殆ど諳譜しなければならないので、少し大変だ。午後、7時半にフラダンスのメンバー(と言っても、和太鼓のメンバーだが)が、集まってきた。

バンドとフラダンスのメンバーが、別の部屋で自主練習。1時間ほどして、合同練習。何とか、様になりそうだ。腕を磨き、メンバーを増やせば、さらに充実した演奏が出来るだろう。3人でも、それなりの演奏が出来る。

みんなでやれば、けっこう楽しい時間を持つことが出来た。日曜日が楽しみだ。今後も、小さなイベントには、出られそうだ。先ずは、施設の慰問にでも出かけたいものだ。

(日記 朝から、晴れている。雪囲いの残りをしなければならないと思う。家の周囲の雪囲いの支柱を立て、低い庭木には、板で囲った。高い庭木には、雪囲いの枠を立てた。まだ未完成だが、半分ぐらいは雪囲いが出来たと思う。午後5時頃から、家内野キーボード練習のため、事務所へ向かった。そして、二人で練習。午後7時から歯、ギターのOさんを加えてバンド練習。午後8時27 雪囲い頃から、フラダンスチームと合同練習。帰宅して、風呂へ入った後、明日発行する『かたせ瓦版』の編集。午前様になった。忙しいが、楽しい1日だった。)

 
 

終日音楽

26 11月

天候が悪ければ悪なりに
私は、雨が降っても、雪が降っても、それに合わせて、落ち着いてすることがある。本当は、早く雪囲いを終えたいのだが、天候が悪くて延期せざるを得ない。

こんな日は、音楽に時間を使うことが出来る。午前中は、バンドの楽譜書きとギターとハワイアンギターの個人練習。家内は、昨日から、姉と両親と温泉に出かけて不在。

午後は、Oさんと二人でハワイアンの練習。午後一杯二人でギターを弾いていた。私もそうだが、Oさんも音楽に対する血が騒いでいるようだ。時間を忘れて、4時間ほどギターと戯れていた。

ギターを生で弾く場合、アンプを通して-場合、エフェクターを通してアンプにつないで演奏する場合と、いろいろあるが、私は、り路あるが、諳譜と.

 
 

楽しいな、久々の数学

25 11月

まだ役に立つのは嬉しい
村の女子高校生が、今日初めて数学を習いにやって来た。小学生の妹が付き添いでやって来た。彼女達のお母さんに頼まれて数学の指導を引き受けることにしたのだ。それにしても、退職してからかなりの年数が経っている私に頼むなんて。

数学の授業をしなくなってから15年目だ。昨日、彼女に借りた三冊の模擬試験の問題を朝から目を通してみた。問題を解いていると15年の歳月が縮まって昨日のように懐かしい。私は退職以来、いや現役時代からいろんなことをやってきたが、やはり私の中心は数学だと思って来た。

それを今日は再認識できた。数学を教えているときが、一番楽しい。相手が少しでも数学を理解してくれたときが一番うれしい。学校帰りの高校生と約一時間半、数学を勉強した。

二十数年前に作った自作のオリジナル参考書。今も十分間に合う。

二十数年前に作った自作のオリジナル参考書。今も十分間に合う。

高校の数学を初めて学ぶ生徒にしてみると、次から次へといろんな分野が出てきて大変だと思う。ベクトルをやったり、指数・対数関数を学んだり、数列を学んだりと、次々と前へと進む。

分かるか分からないうちに前へ進んでしまうのは、消化できないのに新たな食べ物をどんどん飲み込むようなもので、身につかない。そんなとき、指導者は何が基本なのかをしっかりと指摘できなければならないと思う。

まだ、生徒の前へ立てるというかすかな自信はある。夏に、数学の苦手な者を集めて無料で特訓講座をやってみたいぐらいだ。4月からは、数学ブログを立ち上げたいと思う。すでに、ブログは登録してあるので、年が明けたら試運転を始めたい。

それにしても、今日は楽しかった。まだ、自分の中心となる数学で高校生の役に立つのは嬉しいものだ。しかし、これがいつまで持つのやら。そう思うと、この機会を大切にしたいと思う。

(日記 語彙全中は、亜こたつに入って数学の問題とにらめっこ。午後は、昨日泊まった家内の姉と家内が両親を連れて温泉へ出かけた。午後外へ出てみると、雨が降っていないので、少し雪囲いを始めた。しかし、途中で雨が降ってきたので作業を中断。再び、数学。午後5時、息子の友達のY君がパソコンを直しに来てくれた。同じく午後5時から『爺ちゃん勉強』。午後6時から高校生に数学指導。結構忙しい1日だった。)

 
 

収穫感謝祭

24 11月

農事組合法人の感謝祭
  後継者不足の我が村にあって、組合を組織し、会社として米作りを行っているが、今日は一年の収穫を祝っての感謝祭だ。午前8時から午前11時までは、組合の農舎で里芋や野菜の販売。

  午前11時からは、組合の感謝祭だが、私は、『お楽しみ抽選会』の準備と感謝祭のためのソバづくりの手伝い。最近、下手ではあるが、自力でソバづくりができるようになった。

 子どもたちは、ぜんざいに使う餅つき。女性陣は、煮っ転がしやぜんざいの準備。外では、焼き鳥

午前中行われた農舎での里芋販売会。

午前中行われた農舎での里芋販売会。

の準備。それぞれが持ち場で準備をして、午前11時半、県議と市議を招いての開会式。私も、一言話して乾杯の発声。

  後は、酒を酌み交わしながら、歓談。打ち立ての手打ちソバ、里芋の煮っ転がし、里芋田楽、たこ焼き風の里芋、ぜんざい、焼き鳥、猪の焼き肉、カブラの漬け物、たくわんなどが出された。

 その後、お楽しみ抽選会。景品は、私がホームセンターで2時間かけて選んだものだ。参加者全員に何か一つは当たるように計算して準備した。

 しかし、準備した数よりも参加者が少なかったので、第二ラウンドはビンゴゲームで、再び、全員に何かが当たるように配慮した。和気藹々のうちに、お楽しみ抽選会は終わった。みんな楽しめただろうか。主催は組合だったが、区と一体となった楽しい行事だった。

感謝祭スナップ(1)

収穫感謝祭スナップ(1)

(日記 午前8時より、区の収穫感謝祭の準備。お楽しみ抽選会の準備とソバ打ち。午前11時半より、収穫感謝祭。私も自ら進んで、抽選会の段取りをした。特に景品ついては、ホームセンターで果物、菓子、日用品などを業者任せにせず、一品一品選んで購入したものだ。楽しんでいただけたのではないかと思う。午後、家内の九州の姉がきて泊まる。)

 

 

 

 

収穫感謝祭(2)

 

 

 

 

 

 
収穫感謝祭スナップ(2)

 

 

新穀感謝祭(新嘗祭)

23 11月

一年の恵みに感謝して
毎年、勤労感謝の日には一年の恵みに感謝して、村の神社で、神主さんを招いて神事を行っている。このような神事は、『春祭り』、『秋祭り』、『新穀感謝祭(新嘗祭)』の3回行われる。

各家庭から玄米を一升ずつを集めてそれを神前に供えるのだ。米を作っていない人は、米一升相当のお金を出すことになっている。

深刻感sy祭で玉串を奉奠させていただいた。

深刻感sy祭で玉串を奉奠させていただいた。

最近では、個人で米を栽培することが少なくなった。私も、組合で作っている玄米を袋に入れて出しているが、個人で作っているわけではないので、昔と少し意味合いが違ってきている。

神事の中では、各種団体代表が玉串奉奠を行っている。そして、神事の後は、「なおらい」と称して、参拝者が酒を酌み交わすことになっている。なお、準備は班のロ-テーションで行っている。

残念ながら、神社へ参拝する人の数は最近減っている。思い出せば、自分たちの子どもの頃は神社には親しみがあった。夏休みのラジオ体操は毎日、神社で行われていた。

また、秋の祭りは、今は一晩だけであるが、かつては、若い衆祭り、弓矢、本祭り、後祭りと4、5日はあったし、子ども相撲も行われ、土俵を作ること以外の運営は子どもたちだけで行っていたように思う。

風が吹けば、たき付けのために杉葉を拾い集めたものだ。今は、子どもたちが神社と関わるのは、祭りの準備と祭り当日の二日間ぐらいかも知れない。神社は遠くなりにけりだろう。せめて祭り当日だけでも、神社に関わってほしいものだ。

親子で左義長太鼓の練習。

親子で左義長太鼓の練習。

(日記 午前9時過ぎに神主さんが我が家へやって来る。しばし、歓談して神社へお送りする。新穀感謝祭(新嘗祭)の神事。午後、一時からは、親子太鼓の練習。今日は、主に、左義長太鼓の練習。午後4時より家内の父親の父母(祖父母)の法事。1時間半の読経の後、料亭で食事。その後、再び家内の実家へ戻り午後11時頃まで歓談。)

 
 

金という磁石

22 11月

常識
政治と金の問題は、いつまで政治の世界に存在するのだろう。企業の利益優先体質も同様になくならない。今や、“オリンピック・おもてなし……”が、色あせかけている。悲しいことだ。

今日の、猪野瀬知事の言動はどうだろうか。同氏は、T議員の選挙違反に対して捜査が入ってから、あわててT議員の親から借りた5,000万円を返還したという。そして、借りた金を返しただけだから、何も悪いことはしていないと言い張るその態度に多くの国民は違和感を感じたのではなかろうか。

金まかせの選挙ばかりでなく、食品偽装を表示の間違いと言い張る一流企業や一流料亭の社長。これでは、日本の「おもてなし」が泣く。中国を笑えない。

原発事故に対する東電の対応、とても事故を起こした当事者であるようには思えない。客が分からないからと言って長年にわたり、安価の海老を高価な海老とメニューに書いてばれるまでそれを通す一流ホテルのリーダー達。

ばれた後でも、間違いだったと言い張るその姿勢には誠意のかけらも見えない。どうも今のリーダーの一部は、ばれなければ何をしてもいいという考えているのだろうか。

実は、いくらごまかそうにも、自分はごまかせないはずである。誰も見ていないのではなく、自分が見ているはずである。日本人は、近年、自分を律する力がなくなったように思えてならない。

金は大切であるが、金に引きつけられて自分を見失っているようではリーダーとは言いがたい。金をよりよく使うのではなく、金に使われているリーダーがあまりにも多いように思えてならない。連日、テレビからは、金にまつわる不正な事件が報じられている。

食べていくことは大切だが、あまりに経済優先の“アベノミクス”は、日本をどのような方向に導くのだろうか。いかに経済が大切だとは言え、原発に関しては、小泉前総理の原動にも一理があるように思う。

巨大与党の自民党、勢力にならない野党、政治はこの先どのような方向に向かうのだろうか。日本を真っ当な方向に導いていってほしいと願うのは私ばかりではなかろう。

連日の不正な金や人命軽視のニュースが流れるが、次代を担う子ども達にどのような影響を与えているのだろうか。誰もが真剣に考えなければ、この国の前途は怪しくなる。真っ当に生きる人間がいる一方で、人の上に立つリーダーのリーダ-とも思えぬ言動には怒りを通り越し、悲しくなるのは私ばかりではなかろう。

(日記 午前中は部屋の整理。午後4時から、明後日行われる収穫感謝祭のお楽しみ抽選会の景品を買いに家内と共にホームセンターへでかけた。景品選びにたっぷり2時間かかった。景品を業者に丸投げしてそろえるのでは面白くないので、一つ一つ選んだ。景品を選んでいるだけで疲れた。でも、喜んでもらえれば苦労も報われるだろう。)

 
No Comments

Posted in 政治

 

大衆演芸

21 11月

芦原まで大衆演芸を見に
今日は朝から雨。昼近くに、芦原へ大衆演芸を見に出かけた。ついでに、温泉へ入ることもでき、福井でパソコンソフトを買うという目的もあった。第一部は、演劇で、第二部は舞踊ショウだった。大衆演劇を見ながら、素人で演劇をするのも面白いだろうなと思った。私は、物語を書き、演出をやってみたい気もする。ただし、これは簡単ではないだろう。

大衆演芸の場合、見る人が高齢者や中年以上の女性が多いため、芝居も人情物が多い。途中で、かけ声がかかるばあいもある。舞踊ショウは男性が女装して踊るものが多いが、とても上手だと思った。また、万札を演者の懐へ入れる女性が多かった。

舞踊ショウではいろんな音楽が使われているが、それらを聴くのも楽しい。聞いていると、音楽の中での楽器の使い方など、歌作りに参考になることが多かった。また、歌を作ってみたくなった。

大衆演芸と言えば、思い出すのは、今から50年ほど前だろうか、小舟渡へ来た『三波貴志一座』との交流がある。あるとき、親戚の秋祭りに呼ばれて、神社の境内で演劇を見ているときのことだった。

そこには、小舟渡釜風呂温泉へ来ていた三波貴志一座が出演していたのだ。当時は、福井国体の直前で、私は、勝山の民謡を作ろうとしていた。座長の三波貴志氏は私の歌のイメージにぴったりだと思い、釜風呂温泉へ出向き、私の作った歌を歌って貰うよう頼んだところ、即座にオーケーして下さったのだ。

そして、平泉寺小中学校の音楽室で吹き込みを行い、福井のスタジオでソノシート(簡易レコード盤)を作ることが出来た。それが、今も市民の皆さんが歌い、踊って下さっている『勝山小唄』だ。座長自ら、ノーギャラで吹き込んで下さったのだ。

そんなことを思い出しながら、大衆演芸を見ていた。あのときのように、もう一度、歌を作ってみたい気がしている。そんな機会があるだろうか。これが私の夢の一つでもある。

勉強の後で例によって歌を歌ってくれる孫。これを家内と聴くのが楽しみだ。

勉強の後で例によって歌を歌ってくれる孫。これを家内と聴くのが楽しみだ。

(日記 午前中、区の事務処理。昼頃、芦原温泉で大衆演芸を見る。その後、福井でパソコンのソフトを買って帰宅。午後7時半から、横浜の孫の『爺ちゃん勉強』。)

 
No Comments

Posted in 芸能

 

年末掃除第一弾

20 11月

必要だと思うものが不要に
今日は朝から雨。こんな日は掃除に限ると、自分の部屋の掃除。これまで、必要だと思って保存しておいた各種の資料の中には、今は不要になるものが少なくない。

年齢から考えて、あれこれできないからだ。これからは、的を絞らなければと思いながら、これまでずっと、あれこれ手を出してきた。捨てるのは忍びないが、やむを得ない。

でも、最後まで数学だけは捨てたくない。これは、私の生命線だ。そんなことを考えながら、あれこれ資料を整理していた。思わぬ所から思わぬものが出てきたりして、しばし見とれることもあった。

私の事務所でフラダンスの練習をする和太鼓のメンバー達。

私の事務所でフラダンスの練習をする和太鼓のメンバー達。

(日記 午前中は、部屋の資料整理。午後は映像編集。しばらくやらなかったために、映像編集の方法をすっかり忘れていた。マニュアルを読み直し、少しずつ思い出しながら作業を続けた。そして、フラダンスの教材を作った。午後7時半から太鼓メンバーによるフラダンスの練習。私はスティールギターの練習。実は、12月1日の遅羽でのクリスマスに出演を依頼されているからだ。生バンドでフラダンス。私のやってみたいことの一つだ。しかし、これも余計なことなのだろうか。悩むところだ。)

 
No Comments

Posted in 雑感

 

花の入れ替え

19 11月

選手交代
当区は、勝山市の『四季折々の花の咲く町づくり事業』に参加している。そのため、区民の皆さんには、花を育てていただいている。運動の趣旨は、花を自宅の表通り側に植えることによって、区民や訪問者がその花を楽しむことができるようにすることだ。

花は、プランターの中でまだ咲いていたが、土ごと畑へ運んで処理した。

花は、プランターの中でまだ咲いていたが、土ごと畑へ運んで処理した。

この運動に賛同して下さる区民の皆さんには、竹やコア(製材の端材)でプランターを作っていただき、そこへ配布した花を植えて育てていただいた。村のあちこちには、きれいな花が飾られていて、多くの人たちの目を楽しませてくれている。

私個人は、この事業以前からこうした趣旨で花を育てている。そして、今は、自宅周辺と、集会場近辺で花を育てている。春には、ベコニア、マリーゴールド、日々草、サルビアなどを片瀨オリジナルのプランターで育ててきた。

初夏から初秋には、一日に二回水やりを欠かさなかった。おかげで、花達はそれに応えてきれいな花を咲かせ続けて区民の目を楽しませてくれた。

今日は、それらの花々の入れ替えを行った。今日まで遅れたのは、春に植えた花がいつまでも咲き続けてくれているからだ。入れ替えは、先ず、プランターごと家庭菜園へ運び、古い花のカブや土を畑へ捨てることから始めた。

軽トラの上で花の植え替え作業

軽トラの上で花の植え替え作業

まだ咲いている花もあって、かわいそうだと思ったが、ここで選手交代だ。次に、購入した土に自分で作った燻炭や春に六呂師高原牧場から購入した土を混ぜ合わせて。プランターの土を作った。

そこへ、晩秋から春まで咲くパンジーやシクラメンなどを、片瀨オリジナルのコアプランターや竹プランター等に植えた。集会場の周りは、急に華やかになった。人の心も同様に美しく、明るくなることを願う。

(日記 午前中は、居間を清掃し、こたつを設置した。部屋は冬バージョンに変えた。午後は、先ず、エンドウを植えるな場所を耕した。今年同様、たっぷり、エンドウが食べられることを願いながらの作業だった。その後、集会場の花を、春夏の花から秋冬新春の花に植え替えた。午前、午後と、全くパソコンには触れずに過ごした。パソコンはこのブログを書くときだけ使用した。充実した一日だった。)

集会場の前のプランターに植え替えられた花。急に辺りが明るくなった。

集会場の前のプランターに植え替えられた花。急に辺りが明るくなった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

エンドウを植える場所を耕す。少し遅いが、「来年もたくさんのエンドウが実りますように」と願いを込めて。

エンドウを植える場所を耕す。少し遅いが、「来年もたくさんのエンドウが実りますように」と願いを込めて。

 

のんびりと籾殻燻炭づくり

18 11月

小雨の中で
朝から、天気が悪く、小雨が降っている。こんな日は燻炭づくりに最適だ。先ず、竹製のプランターの使い古したものを割ってたき火の材料とする。杉葉に火をつけて竹を燃やす。

そこへ、煙突をかぶせ、周囲に籾殻を置く。しばらくして、籾殻が炭化を始める。区の事務処理をしながら、時々、燃え具合をみる。

煙が出るので隣の人に燻炭を作っていることを告げる。洗濯物に匂いがつくと申し訳ないからだ。昼頃できあがる。できあがった籾殻燻炭に水を撒いて完成。

炭化を終えてもみ殻燻炭に水をかけたところ。何度も水をかけないと、炭化が継続し、火がつくことがあるので要注意。

炭化を終えてもみ殻燻炭に水をかけたところ。何度も水をかけないと、炭化が継続し、火がつくことがあるので要注意。

水をかけても油断はできない。火が消えているとは限らない。再び、火がつくことが少なくないので、一晩は屋内へ入れることはできない。

私は、燻炭などの炭は、生物の成育によい微生物の住処になると信じている。そんなわけで、今年も、これで二回の燻炭づくりを終えた。もう一回できればと思う。

昨日までとは違ってのんびりした一日だった。燻炭は、来年の家庭菜園にふんだんに使えるかと思うとうれしくなる。それに、燻炭は消毒にもよいような気がする。

(日記 午前中は籾殻燻炭作り。午後は、花いっぱい運動の花の購入に家内と二人でホームセンターへ行く。花と土を買ってきた。今日は寒いので植えるのは明日にしたい。)