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年末は“だいく”

07 12月

年末のイベント
年末と言えば、大掃除。年末を快適に過ごそうとすると、先ずは大掃除だが、あれこれ不足していたり、手直しが必要になる。そうなると、足りないものは作りたくなる。

車庫の空間に戸棚を作った。

車庫の空間に戸棚を作った。

そんなわけで、毎年、年末には“だいく”仕事が始まることになる。年末の「だいく」と言えば、“交響曲第九”が定番だが、私の「だいく」は“大工”だ。共通点は、年末と発音の「だいく」だけだが。

年末と言うことで、車庫の整理を始めたら、モノが多く、空間が無駄になっていることが気になった。そこで、戸棚を作ると決めた。

材料のほとんどは車庫の中にある材木を使うことにして作業を始めた。簡単に図面を描き、作業を始めた。この頃、時々勘違いをして寸法を間違うことがある。今日もそうだった。

しかし、組み立てのほとんどは、ビス留めしているので、間違っていれば、ドライバーで分解して手直しをすればよい。

曲太鼓練習の後は、左義長太鼓の練習。みんな楽しそうだった。子どももママさん達も。

曲太鼓練習の後は、左義長太鼓の練習。みんな楽しそうだった。子どももママさん達も。

一生懸命作業をしたが、途中で、『親子太鼓』の指導があり、夜は区の『12月定例役員会』があるので、作業を中断した。完成は明日だろう。

(日記 朝から午後3時過ぎまで、車庫の戸棚作り。午後4時から、『親子太鼓』の指導。午後7時から、区の『12月定例役員会』。新年度に向けて今から準備しなければならないことが多いので、午後10時過ぎまでかかった。忙しい一日だった。)

 

 

 

 
 

終日事務処理

06 12月

仕事を後回しにすると
やるべきことを後回しにすると、再開した時に、時間は倍以上かかる。そんなことはとっくの昔に分かっているのに、いつもそうしてしまう。

今日は、少したまった区の仕事を処理するために時間を費やした。先ずは、会計処理。3月の総会になって慌てないように、今のうちから、証拠書類を整理しておく。

 その後、補助金申請事務処理。市の建設、福祉の両部へ出向く。そして、金の出し入れのために、JA南支店へ。立て替えた金が少し戻る。

 その後、明日の区の定例役員会の資料作り。午後5時前にようやく終わった。いろんな行事があったが、今年も間もなく暮れようとしている。自分のできることだけはしっかりやっておきたい。

(日記 朝から、区の事務処理。家内は福井の孫の所へ。風邪で休んでいるからだ。夕方までかかってしまった。昨日作ったこたつでのんびりする時間がなかった。)

 
 

椅子とこたつ

05 12月

久々の工作
 冬と言えば「こたつ」だが、こたつに入ると、出たり入ったりするのがおっくうになる。それに、テレビを見ていても腰が痛くなる。

最後の仕上げは家の中で。足をのせたりおろしたりできるところがミソ。

最後の仕上げは家の中で。足をのせたりおろしたりできるところがミソ。

 座椅子を使えばいいが、なかなか満足できる座椅子がない。しばらく使っていると、腰が痛くなったり、猫背になったりする。

 こたつを別に考えれば、オットマン付きで姿勢が自由になる椅子を私たち夫婦は愛用している。この椅子を使ってこたつに入れないだろうかと、なまくらなことを考えた。

 そこで、今日は、そんな椅子はないので、自分で作ることにした。市販の椅子が使える高いこたつでは、ただ、こたつが高いだけで足の置き場がない。

 高ごたつ用の布団は昨年買っておいたが、そのまま放置してあったのだ。車庫の中で午前中から作業を始めた。苦労するのは、高さと足の上げ下ろしが自由にできる作りだ。ようやく夕方完成した。と思ったら寸法を間違っていてやり直し。

「余は満足じゃ。」といったところか。テレビに対するこたつの角度は45度。二人が共に見やすい角度だ。

「余は満足じゃ。」といったところか。テレビに対するこたつの角度は45度。二人が共に見やすい角度だ。

 やり直しは新たに作るよりも時間がかかる。それは、一度壊さなければならないからだ。全く時間の無駄だった。

 ようやく、午後9時頃に完成した。まあまあの満足できるデキだ。自作のこたつは、足をのせる台がこたつの中にあることだ。足をのせたくなければのせなくてもよい。

 これで、ゆったりとテレビを見たり、音楽を聴いたりすることができる。久々の工作で少し疲れたが、充実した一日でもあった。

(日記 自作のこたつ作り。朝から、午後9時頃までかかった。途中の、午後7時半から、横浜の孫の『じいちゃん勉強』。最後に、家内と二人でのんびりとできあがった“椅子型こたつ”に入って朝ドラの録画を見る。)

 
 

地域サロン

04 12月

新作初演
昭和町の「地域サロン」に紙芝居と話をするよう、依頼されていた。会場は、温泉センター水芭蕉だ。参加者は、60歳以上の高齢者の方々。「地域サロン」は、参加者が、話を聞いたり、ゲームをしたり、風呂に入ったり、カラオケで歌ったり……と1日楽しく過ごす会なのだ。

水芭蕉で行われた「地域サロン」で話をさせていただいた。

水芭蕉で行われた「地域サロン」で話をさせていただいた。

私達夫婦に与えられた時間は1時間。先ず少し話をさせていただいた後、紙芝居をするつもりだったが、会場が広く、人も多いので、パワーポイントで演ずることにした。

今日演じたのは、祖父と孫と小雀が登場する創作紙芝居『ボク逃げないよ』だった。いつもと異なるのは、雀が登場する場面では、鳥笛(竹製)で「ピーピー」と音を出すこと、それと雀を呼ぶ合図としてオカリナを使ったことだ。この紙芝居は今日が初演だ。

とても楽しく演ずることができた。紙芝居(パワーポイント)の後、オカリナで家内と『浜辺の歌』を合奏した。その後、短時間だが、参加した皆さんに「昭和時代に食べたものの中で、一番美味しかった物は何ですか」とおたずねした。

家内と二人で創作紙芝居(パワーポイント)『ボク逃げないよ』を演じた。

家内と二人で創作紙芝居(パワーポイント)『ボク逃げないよ』を演じた。

私が一方的に話をするのではなく、参加者の皆さんから聞かせていただくことも、大切だと思っているからだ。「戦後、白米のおにぎりを食べたこと」、「母の作った、“ぞろ(菜っぱなどを刻んだ中に米を入れて炊いたもの。雑炊)”が美味しかったので、最近作ってみました。」等と話して下さった。

参加者の中に、私が歌を作ってCDを作るときに応援してくれるYさんも参加していた。そこで、最後に、Yさんのリードで参加者全員が『ふるさと』を歌った。伴奏をアコーディオンでした。そして、私の出番を終えた。楽しいひとときであった。

(日記 午前9時に温泉センター水芭蕉で行われていた「地域サロン」で、『紙芝居(今日はパワーポイント)』と話と演奏をさせていただいた。帰宅して少し休憩。午後5時から8時半過ぎまで高校生2年生の期末試験勉強に付き合った。少し疲れたが数学を指導しているときが一番楽しい。)

紙芝居の後、二人でオカリナを合奏。

紙芝居の後、二人でオカリナを合奏。

 
 

追われる毎日

03 12月

意外とせわしい毎日
最近毎日忙しい。自分で何かをすると言うよりも、せざるを得ないことが多い状況だ。しかし、することがあることは、ある意味では幸せなことかもしれない。

しかし、したいことよりも、やらざるを得ないことが多いのは、気分的に、苦しい。せわしくなるほどあれこれしたくなるものが出てくることだ。この頃、歌を作りたくても、歌を作っている精神的なゆとりがない。

来年は、このブログを少し簡単にして、その代わりに「数学ブログ」を書いてみたいと思っている。ブログを書き始めてから、もうすぐ4年になろうとしている。この間、1日も欠かさずにこのブログを書いてきた。

ブログを書くのに、毎日、小一時間はかかる。夕食後の1時間は、とても貴重な時間だが、その時間に毎日ブログを書いている。自分を見直すのにはよいことだが、もっとシンプルで伝えることのあるブログにしたいと思う。

(日記 近所のNさんの葬儀に参加。夜は、七日と四十九日のお逮夜。その後会食。一部だが、区民の皆さんと語る機会が多かった。)

 
 

明暗

02 12月

一律には事は運ばない
時代はどんどん変わっていく。しかし、どう考えても進歩とは言いがたい。『アベノミクス』のおかげで経済は好調だという。しかし、それは、輸出関連企業とその下請け関係やそこから派生する一部の企業や商店だけではなかろうか。

輸入して仕事をしている者には『アベノミクス』の経済効果は回ってこない。親戚に漁業関係者がいるが、燃料が高騰している割りには、魚の価格は上がらないと嘆いていた。

消費税が上がるということで駆け込み需要が一部の業種ではありそうだが、消費税が上がってしまうと、また消費は冷え込むかもしれない。増税で年金生活者も厳しくなりそうだ。

政治家に、こうした庶民の痛みが分かるのだろうか。世の中、理論通りに行かないことを理解しているのだろうか。どうも、本当には分かっていないように思えてならない。

政治家になりたい人だけが出てくるのではなく、なっていただきたい人を推薦できる制度ができないものかと思ってしまう。今のようなネット時代には、可能な気がする。あまりにも、庶民とかけ離れたところで政治が行われているように思えてならない。

(日記 午前中は区の事務処理。その途中に、歯医者へ行ってきたら、半日が終わってしまった。午後も、区の事務処理。夕方は、隣家の手伝い。)

 
 

ハワイアンバンドでフラダンス

01 12月

50年前を思い出して
今日は、遅羽地区婦人会主催のクリスマスコンサートが開催され、私達にも出演依頼があった。私としては、生バンドでフラダンスをしたいとの思いがあった。そのため、今日まで少しずつ、練習してきた。

遅羽公民館で生バンドでフラダンス。楽しかった。

遅羽公民館で生バンドでフラダンス。楽しかった。

今日は、午後1時に遅羽公民館へ出向き、先ずは事務所で練習。今日の演し物は、『バルーンアート』、『マリンバ演奏』、そして私達の『生バンドでフラダンス』。午後3時半頃、私達の出番。フラダンス3曲、メンバーによる『チャッパで遊ぼう』、演奏一曲は『ジングルベル』、そして、最後にみんなで『きよしこの夜』を合唱。

フラダンスを踊ってくれる太鼓メンバーに感謝。楽しい一日だった。今回は、バンドにギターのOさんが参加してくれたのがありがたかった。バンド活動は頭の体操にも最高だと思った。

また、若いメンバーといっしょに一つのことが出来ることも、楽しい。50年前に購入したスティールギターが今に生きていることを思うと感慨深い。もうしばらく、彼女たちとフラダンスを楽しみたいし、新しい分野にも挑戦したいと思う。

(日記 午前10時より2時間、地区の高校生と数学の期末試験勉強。1時より、遅羽公民館へ行き、生バンドでフラダンスを行う。クリスマスの雰囲気の中で、とても楽しかった。帰宅して、午後5時から3時間連続して数学の指導。変化に富んだ1日だった。)

アロハシャツを着てレイを首から掛けて、3人でバンド演奏。

アロハシャツを着てレイを首から掛けて、3人でバンド演奏。

和太鼓のメンバーらしく『チャッパで遊ぼう』。好評だったようだ。

和太鼓のメンバーらしく『チャッパで遊ぼう』。好評だったようだ。

 
 

談笑の1日

01 12月

区長会研修
今日は、区長会の研修日。まず最初に、泰澄大師が修行したと言われる越知山大谷寺へ向かった。到着後、住職から、大谷寺のいわれや泰澄大師にまつわる話を聞かせていただいた。

かつて創作紙芝居『平泉寺物語』や簡易アニメ『泰澄大師物語』を作っていたので、話には非常に興味があった。それと同時に、泰澄大師についても、いろんな説があり、それぞれが自説を主張しておられるようだ。

聞いている私にとっては、それらの中から、自分の信じるものを見つけ出さねばならない。過去の偉大な人物には、共通の伝説もあるようだ。特に、その中には、夢が重要な位置を占めている。

研修で最初に訪れた越知山大谷寺。勝山ゆかりの寺を見学できてとても有意義であった。

研修で最初に訪れた越知山大谷寺。勝山ゆかりの寺を見学できてとても有意義であった。

いつもとは異なる話を聞かせていただいたので、とても新鮮であった。いろんな見方ができるものだと感心した。また、寺の中にはいろんな仏像が、安置されていた。普段は見ることの出来ない異色の神社であった。

行き帰りの車の中で、いろんな話をすることが出来た。また、昼食・休憩した場所でも、いろんな話をすることが出来た。顔を見合わせていろんな話をすること楽しく、有意義な1日であった。

(日記 午前8時半から午後5時頃まで、猪野瀬地区区長会の研修旅行。午後、7時からは農家組合の組織についての集会を持った。農家組合の組織についていろんな話を聞かせていただくためだ。それにしても、意見を言うというよりも、個人攻撃をするような発言をする出席者もいて、悲しい思いをした。それにしても、忙しい1日だった。)

 
 

雪囲い

29 11月

みぞれが降っても
昨晩は少し雪が降ったが、朝起きると雪が降っていない。村の後ろにある大師山の上半分は真っ白だった。雪が迫っている。雪囲いをしなければと思って、朝食後、家内と二人で、雪囲いを始めた。

順調に作業が進んでいたが、途中で雨が降ってきた。しかし、ここで止めると、またいつかしなければならない。そこで、雨の中でも雪囲いをすると決めた。そのうちに、ミゾレになった。

それでも、作業を続けた。寒くて手はかじかみ、水ばなが出たが、とにかく今日中に仕上げようと作業を続けた。そして、午後2時にようやく終わった。遅い昼食を食べて、こたつへ。

昨年も思った。暖かいうちに雪囲いをしなければと思ったが、今年も遅れてしまった。毎年、同じ事の繰り返しだ。来年こそは暖かいうちに、雪囲いを終えたいものだ。

(日記 朝から、午後2時頃まで雪囲い。途中から雨が降って寒かったが、それでも作業を終えるまで頑張った。これでいつ雪が降っても大丈夫だ。遅い昼食を食べ、家内と二人で事務所へ行き、バンド練習。途中でメンバーのOさんに電話をする。3人で、2時間ほどバンド練習。とても楽しかった。出番の日曜日が楽しみだ。)

 
 

瓦版作り

28 11月

第二、第四木曜の午後はホッ!
今日中に、瓦版を発行しなければならない。朝から、編集作業。2面は、写真を多用したが、これが予想外に時間がかかった。1面は、先日(26日)に政府が決めた『生産調整(減反)』廃止について書くことにした。

これまでは、政府が減反面積を決め、それを守った者には補助金を出してきた。10㌃当たり15,000円の補助金が、来年は7,500円になり、5年後には廃止されるのだ。

生産調整がなくなり、自由に米が作れるとなると、米価は安くなる可能性がある。高品質の米を作って価格を維持する方法がないわけではない。しかし、これは簡単ではない。出来るだけ、低コストで米を作らないと米作りは採算がとれないことになる。

一方では、飼料米などを作れば、補助金はこれまで以上に拡充するとのことだ。農家は選択を迫られる。今後米作りはどういう方向へ進むのだろうか。とにかく、今後は、米の生産調整が行われなくなったのだ。

これまでは政府の方針に従って生産調整(減反)をしていれば補助金がもらえたのだ。しかし、今後は農家自らが米作りについて考えなければならなくなるのだ。何をどう作るかの選択を迫られるのだ。農家の情報収集能力と、経営力が求めれらる時代になったのだ。

少し堅いが、『かたせ瓦版』の一面にはこんなことを書いたのだ。読む人は少ないかもしれない。予定通り、3時に編集が終わった。コピーして、市の配布物と共に班長に配ってようやく自由になった。ホッとする瞬間だった。瓦版作りは、今回も、楽しくも苦しい作業であった。

(日記 朝から、午後3時まで、『かたせ瓦版』の編集作業。その後ぼんやり。夕食後、最近忙しくて見られなかった朝ドラを久々に見る。前半忙しくて、後半のんびりの1日だった。)