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パンを買うとしたら

17 12月

食べたくなくても
もしもの話だが、「食べるものがなくて、パンを食べなければならない」とする。店には、パンが二種類しかないとする。どんなに食べたくなくてもこのパンを買って食べざるを得ない。

選択肢が多ければありがたいが、パンが一種類か二種類しかなかったり、仮に二種類あっても、一種類は明らかにおいしくなさそうな場合には、残りの一種類を買わざるを得ない。

本当は、自分の食べたいパンがあったり、美味しそうなパンがある場合にはよいが、そうでない場合には消費者は選択の余地がなく、悲しい。

何とか、多種類のパン、または、種類が少なくても美味しそうなパンが売られることを望む。さて、これはパンの話だが、もしこれが、パンではない場合はどうだろうか。

アメリカにでは、主に二種類のパンが売られている。売れ筋のほとんどは、民主党と共和党というパンだ。今は民主党パンだが、時々売れ筋が変わる。消費者のほとんどは、この二つのパンを選んでいる。

我が国では、数種類のパンが売られているが、今は、〇〇党パンを買う消費者がほとんどだ。しかし、中にはこの味に飽きた消費者も出始めているようだ。

消費者の願いとしては、店側が売りたいパンよりも、消費者が食べたいパンが売られることを望むが現状では困難だ。パン屋のほとんどは、世襲制だ市、パン屋はフランチャイズ制で、味はほとんど決められている。

こんなパンを作って欲しいという願いがあっても、それは簡単ではない。今は、完全にパン屋主導であり、消費者にはほとんど選択の余地がな区、あり合わせのパンで間に合わせている。

果たしてこれは何の話だろうか。読者の判断に任せたい。選択のない世の中、きっと息苦しい世の中だろうと思う。願わくば、みんなに指示されるパンが売りに出されることを祈る。

(日記 午前中、鹿谷の女性銭太鼓グループの銭太鼓練習用DVD作り。その後、少し数学の教材作り。午後一時半より鹿谷公民館へ銭太鼓の指導に行く。帰宅してから、数学の教材作り。午後7時半より横浜の孫の『爺ちゃん勉強』。最後に、長女の伴奏で次女達の歌を聴く。)

 
 

参考書作り

16 12月
高校数学を理解しやすくするために
私は、かねてから、数学の参考書を作りたいと考えていた。しかし、やろうにも、あれこれ手を出しすぎて忙しく、なかなか落ち着いて取り組むことができなかった。 
制作中の問題集

制作中の問題集

そんなある日、村の高校生の保護者から、「子どもに数学を教えてもらえないだろうか」と電話がかかってきた。二つ返事で引き受けた。 

高校の数学の指導に関われるなんて望むところだ。制作途中になっていた数学の『参考書(基本例題とその解説書)』作りに再び関わることができると思うととてもうれしい。
 
やはり、私の基軸は数学だ。数学があるから、音楽や絵があるのだ。数学をやっているときが一番楽しく落ち着く。高校生の数学理解に少しでも役立てば光栄だ。
 
一歩ずつ着実に積み重ねて春までには4つの科目のうち一つでも完成させたい。それにはモニターになってくれる生徒がほしいと思う。今回、偶然モニターに恵まれたと思っている。
 
(日記 午前中は、数学の参考書作り。昨日コンビニでコピーした問題を裁断するために公民館へでかけた。午後は、それらを製本し、自作の参考書作り。夕方は、高校生と数学の勉強。生徒のおかげで、高校数学に触れることができる。まだ、数学が指導できると思うとありがたいし、楽しい。)
 
 

冬こそ我が自由の季節

15 12月

創作の季節
いよいよ冬到来。雪国の人間にとっては、冬は厳しい。しかし、厳しいばかりではない。冬が厳しい分、春の有り難みが分かるのだ。雪の下から出てきた水菜を食べるのも雪国ならではだ。

こたつの中に入って本職の数学の参考書作りをするもよい、歌作りを楽しむのもよし、絵を描くのもよし、ため込んだ録画を見るのもよし。今は高ごたつで、アリスの歌を聴きながら、このブログを書いている。

音は、特別に増幅してベース音を聞かせながら聴いている。そして、もちろん録画をしている。いつでも聴けるように。番組に合わせてテレビを見ると言うよりも、こちらの自由時間に合わせて見るためである。

今の時代は、9時から始まる番組みを9時15分から「追いかけ見」をすることも出来る。冬は、外での仕事がない分、全く自分のペースで過ごすことが出来る。

もしも、冬、全く雪が降らなかったとしたら、田舎の人達は落ち着かないだろう。田舎者の性で田畑へ出て何かをするだろう。しかし、雪が降るとあきらめがつきて、自分のペースで自由に過ごすことが出来るのだ。

冬のいやな部分だけに、目を奪われるのではなく、冬の良さに目を向けながら暮らしたいものである。そして、雪の解けた春には、思い切って外へ出て、自然を楽しむのだ。この冬にも何か形のあるものを残したいものだ。

(日記 朝一に、私のワゴン車のスノータイヤ装着。その後、車庫の整理。いつでも自由に除雪機が出せるようにした。午後は、数学の参考書作り。長時間パソコンをにらんでいるので、目が疲れるのが悲しい。目を休めながらの作業だった。)

 
 

汗をかき恥をかく

14 12月

段階パワーを活用せよ!
「さて何を書こうかな」と考えながら、こたつでブログを書き始めた。例によって、録画しておいたビデオを見ながらだ。ビデオのタイトルはNHKクローズアップ現代『団塊パワーを活用せよ』だ。

ブログを書いているうちに、書く内容を変更することにした。内容は取り立てて、新しいでものはない。私にとっては、再確認することだった。それらのいくつかを箇条書きにすると、次のようなものだった。(三菱総合研究所 主任研究員 松田智生氏の発言を中心に)

・リタイヤしたシニアに大事なのは教養と教育。
・リタイアした後、劇的に少なくなるのは「ありがとう」と「おかげさま」と言われること。
・昔の裃が脱げない。肩書きや序列を気にする。

シニアのコミュニティーで
・人気のあるのは、「今何かに夢中になっている人」、「今汗をかいて、恥をかく人」。
・人気のないのは、「過去の自慢をする人」。

大事なのは、今!
・アクティブシニアは、過去を語らず今を語る。
・あるシニアのコミュニティでは、「過去を語ってはいけない」というルールを作っている。

シニア活用で成功している柏市の例
・いきなりシニアを活用しないで、助走期間を設け、講座を開いていること。
・他人から必要とされ、「ありがとう」とか「おかげさまで」と言われるような「承認される」仕組みがあること。
・地域の課題を解決する場がシニアには沢山ある。(地域に必要な貢献ができる仕組みがある。)

・若い人のワーク&ライフのバランスがとれない時間帯にシニアにお願いする。(子育てとか教育などで)
・シニアには、早朝とか若い人が働く時間とか、土日に時間を取ることが可能である。
・結果的に、シニアのおかげで他の世代もハッピーになる。

・高齢化社会は、他の世代にも役立つ。
・地域が、シニアの活躍の場を作る事が出来るかどうかが大切になる。それが地域全体の幸せにつながる。

・高齢者の持っている知識や技能を企業でも活用する模索が始まっている。
・地域はシニアの活躍の宝庫である。
・一歩踏み出す決断力があれば、活躍の場は広がる。

・年賀状に書きたくなるような活躍の場をみつける。名刺を持てるようにする。制度設計も必要である。

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高齢者、退職者は宝の持ち主だと思っている。これを生かす仕組みのある地域と、そうでない地域ではこれから大きく差ができていくと思う。度量の小さい人が占める地域ではおそらく高齢者の知恵や知識を活用できないだろうと思う。

(日記 朝一に、区の会計事務処理のため区内の数件を訪問。その後、自作の問題集(兼参考書)の編集作業。午後6時近くまでかかった。何とか仕上げたいともう。きっと高校生に役立つと思っている。ずっとパソコンを見ていたので、目は相当疲れた。)

 
 

第二の人生に音楽を

13 12月

軽音楽部OB会
午後7時から、福井県・石川県出身の大学軽音楽部OBが福井駅近くの居酒屋ヘ集まった。我々OBの合い言葉は、“第二の人生に音楽を”だ。

 

一緒にバンドを組んだ仲間と談笑。

一緒にバンドを組んだ仲間と談笑。

今日集まったメンバーは、石川県2名を含む13名。まだ現役の60歳から70歳の私まで年齢に幅がある。この軽音楽部は、昭和37年頃に始まり、約12年ほどで廃部となったらしい。

全員が集まったところで、それぞれが自己紹介。プロでバンドをやった者もあれば、バンドの経験を生かしてテレビ会社へ入社した者もいるなど様々である。私のようにあれこれ楽器をいじった者もあれば、中学時代から60歳過ぎの今まで同じ楽器で通した者もいる。

私も、自分自身を反省すると、「あれもやりたい」、「これもやりたい」で“まと”の絞れなかった人間である。従って、どれもこれも中途半端である。それに比べて、一つ楽器を貫き通した者はかなりの技術があり、うらやましい限りである。

多くの者が、音楽のおかげで、第二の人生を楽しく過ごしていようだ。ほとんどの者が、卒業以来、ある期間は楽器演奏を全く止めていたようである。そして、途中で楽器演奏を再開した者、一昨年のOB会演奏会を機会に再開した者、楽器演奏は全く止めてしまった者などいろいろである。

参加者全員で記念写真。

参加者全員で記念写真。

私にしてみると、今日のメンバーで大学時代、辛うじて知っていたのは3歳年下のK君ただ一人。後は、全くどこの誰だかさっぱり分からないのである。しかし、一昨年からは、まるで同級生か1、2歳年下であるかのように付き合っている。

これも、同じ軽音楽部に所属していたからであろう。これからも、OB会のモットーである“第二の人生に音楽を”を忘れずに、音楽を楽しみ、仲間と付き合っていきたいものである。

(日記 午前中は、区の事務処理。地区内の企業などを回り、最後はJAへ。午後は、数学の基本例題集(セオリー集)の編集作業。高校数学の新課程への変更に合わせて過去に作ったものを編集し直す作業だ。午後5時過ぎ、えち鉄で福井駅前の居酒屋で行われる『福井大学軽音楽部OB会(福井・石川県出身者の集まり)』に向かう。楽しい時間を過ごした。そして、午後11時半過ぎに帰宅。)

 
 

老人会

12 12月

報恩講に思う
老人会に入会して数ヶ月が過ぎた。まだ、会員である自覚があまりない。しかし、今日のように、老人会の会員が道場に集まって読経をしたり食事をしたりして、周囲の会員の様子を眺めていると、とうとう自分も歳をとったなあと思う。

確かに、鏡を見ても風貌は若くはない。しかし、自分の年齢と気分は必ずしも一致しない。まだまだ身体のどこかには若い血が流れているように思う。

一昨日、楽器屋へ行ったが、そこに並んでいる楽器を見ていると、あれもほしい、これも欲しいと思ってしまう。電子ドラムを見れば、50年前の自分に戻ってスティックで叩いてみたくなる。

ドラムの夢は私の身体からは、完全に抜けきっていない。私の机の上には、ドラムのワイアブラシ(ドラムスティック)が置いてある。パソコンの上には、“テイクファイブ”の基本リズムの楽譜が張ってある。四分の五拍子だ。YOUTUBEで見つけたものだ。

一度も叩いたことのないリズムである。とても難しいリズムだ。両手両足がバラバラになりそうだ。しかし、この基本リズムをマスターできないかと思ってしまう。

昨年は、この調子で、とてもたたけないと思った「ウオーターメロンマン」のリズムを軽音学部のOB会の演奏会でどうにかたたくことができた。

また、ウインドシンセで『テイクファイブ』のメロディーやアドリブを吹いてみたくもなる。ジャズメンになったつもりで。しかし、身体や頭の反応は若い頃にはかなわない。

だからと言って「オレには無理だ」と諦めきれないでいる。楽器屋へ行けば必ず何かを買ってしまう。楽譜であったり、楽器小物であったり……。

名実共に、老人会のメンバーになれるのは、身体の自由がきかなくなったときだろうか。意欲を失ったときだろうか。老人会の中にも前向きの人はいるので、私も、まだまだ前向きで生きていきたい。

(日記 朝起きると雪が降っている。朝食後、2台の軽自動車にスノータイヤを装着した。その後、『かたせ瓦版』をコピー。午前11時から『老人会の報恩講』のために道場へ行く。みんなで二つのお経を読む。その後、全員で会食。午後一時半過ぎから、鹿谷公民館へ行く。銭太鼓の新しいメンバーのために、練習用DVDを作るためだ。四曲収録した。新しいメンバーが自宅で自主練習できるように、DVD教材を作りたい。映像編集にはあまり自信はない。帰宅して、各班長に市の配布物と自作の『かたせ瓦版』を配った。午後7時半から『爺ちゃん勉強』。最後に、次女の歌で締めくくった。)

 
 

朝から瓦版作り

11 12月

A42ページに四苦八苦
明日は瓦版発行日。しかし、いろいろ用事があるので今日中に瓦版を編集しなければならない。一日で作るものは、できがよくない。

この頃時間に追われている。次から次へといろんな用事が迫ってくる。のんびり旅行しているどころではない。何とか、追われるのではなく、こちらから追いかけるように行動しなければと思う。

パソコンの画面を見続けているので、目がおかしくなってきた。のんびりとこたつに入ってギターでも弾いていたいが、簡単にはそうはならない。

午後10時頃になってようやくできあがった。満足なできではないが続けることも大切だと思っている。次回こそ、もう少し余裕のある編集をしたいものだ。

(日記 午前中、知人が訪ねてきた。まちづくりや郷土芸能やいろんなことを話し合った。午前10時半過ぎから、『かたせ瓦版』の編集開始。午後も作業を継続。夕方になって、区の事務処理(会計)。そして夕食。その後再び編集作業。午後10時頃ようやく完成。ずっとパソコンの画面を見ていたので、目が疲れた。)

 
 

都会と田舎の逆転

10 12月

「歩くこと」と「野菜を育てること」
横浜に住む孫とは、一週間に二度『爺ちゃん勉強』で顔を合わせる。今日も勉強の後、話をすると、今はカブを育てているという。夏野菜としてはナスやオクラを育てていた。横浜の孫の通う学校では土に親しむ活動に力を入れている。

10 あんな田舎の子ども達はどうだろうか。周囲に畑があり、土に親しめる環境にあるために、かえってこうした活動から遠ざかっているのではなかろうか。逆に、土から離れた都会の方がこうした活動に熱心であるように思われる。

歩くことについてもそうだ。公共交通の発達していない田舎の方が、車を使い、歩く機会が少ない。逆に、公共交通が発達している都会では、車を持たないために、乗り換えや、駅から学校や職場まで歩かざるを得ないので歩く機会は田舎よりもはるかに多い。

いろんな場面で、このような現象が見られる。皮肉なことだ。もっと、地元の環境や特性を生かした教育や体験がなされなければならないように思う。孫との何気ない会話から、このようなことを思わざるを得ない。

そういえば、横浜の孫が勝山へやってくると、虫やトカゲに興味を持ち、目を輝かせている。この夏も、トカゲを捕まえ、虫かごに入れて観察していたのは横浜の孫だった。私もさすがにトカゲを捕まえたことはない。地元の子ども達は、こうしたものに全く無関心である。こんな事が沢山ある。これでいいのだろうかと思う。

(日記 午前9時半頃、定期検診のため福井へ。午前中は膝を見てもらい、午後は定期検診。その後、楽器屋や2、3の店へ寄り、帰宅したのは、午後5時過ぎ。かなり疲れた。午後7時半から孫の『爺ちゃん勉強』。その後は、録画しておいた歌を聴く。)

 
 

白山

09 12月
鹿谷の発坂駅付近から見た白山。

鹿谷の発坂駅付近から見た白山。

地域と共にある山
鹿谷で銭太鼓を指導した帰りに、前方を見ると、白山がくっきりと見えた。勝山では、平地で白山が見える場所、高いところへ登ると見える場所等色々ある。鹿谷方面では白山はくっきり見える。

白山が最も白山らしく見えるのは、今の季節かも知れない。白山そのものが、すっかりと雪に覆われ、手前に見える山がまだ十分に雪に覆われていない今の時期だ。

このような神々しい白山を日常見える地区がうらやましい。しかし、白山神社となると、勝山はもちろんのこと、全国に3000社以上あるのだ。

世界遺産になったあの富士山でも富士に関する神社は比較にならないほど少ない。また、勝山には白山を開いたと言われる泰澄大師ゆかりの平泉寺がある。

数年前に、何十年ぶりかで白山に登ったが、その時の山頂で見た御来光は今も脳裏に残っている。そして、白山を見るたびに、当時のことを思い出す。

息子達の白山プロジェクトの応援団として、白山について調べたり、平泉寺について調べた頃のことを思い出す。曇り空だったが、思わずカメラを向けた。やはり白山は魅力ある山だ。

(日記 午前中は、区の事務処理で市役所や福祉健康センター『すこやか』へ行く。その後、自動車学校へ行く。70歳になると、免許更新の前に自動車学校で3時間の講習を受けなければならないのだ。その後、携帯の不具合を直してもらおうと、大野市のソフトバンクへ行く。結局直らなかった。午後1時半より、鹿谷の銭太鼓指導。3時過ぎに帰宅して、数学の教材作り。午後7時より、高校生に数学指導。ごご9時過ぎにY君がパソコンを直しに来てくれた。)

 
 

雪に備えて

08 12月

雪対策完了
午前中は、車庫の棚作り作業継続。昼頃完成。午後は、事務所周辺のイチジクなどの雪釣り作業。振り返ってみれば、今年は、このイチジクによくお世話になった。

昨年末に枝を切りすぎたので、果実が熟し始めたのは、いつもの年より遅く夏頃だった。しかし、一旦果実が熟し始めると、大粒の実を毎日収穫することができた。

畑でのおやつはイチジクだ。スイーツと言ってもよい。甘い大粒の果実は、とてもおいしい。2、3年前に購入したイチジクは小粒だが、とても甘い。今年から、本格的に実をつけ始めた。

今年たくさんの実を付けてくれたイチジクの雪釣り作業。

今年たくさんの実を付けてくれたイチジクの雪釣り作業。

とても、家族二人では食べ切れず、近隣の人や親戚などに配ったりした。いくら、イチジク好きの私で、食べきれず、誰かにもらってもらうのに苦労をした。

そこで、家内が「イチジクジャム」を作ることにした。こうすると、どんなに実が熟しても、大丈夫だ。ジャムにすれば、パンにつけたり、プレーンヨーグルトに混ぜ手食べることができる。しかも、とてもおいしい。

ようやく、果実の実り過ぎが気にならなくなった。一年お世話になった「イチジク」の木だ。雪で枝が折れないように、雪吊りをした。

一頃は、実り過ぎて処分に困ったイチジクだが、今となると、なつかしい。来年のイチジクのシーズンが待ち遠しい。今我が家の冷凍庫には、いちごと、イチジクと、キウイのジャムが眠っている。

(日記 午前中は、車庫の棚作り。午後は、畑の後片付け。堆肥枠を片付けたり、イチジクの雪釣り作業。これで、いつ雪が降っても大丈夫だ。後は、スノータイヤだけだ。)