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増える外人三役力士

07 3月

相撲の国際化が意味するもの
幕内の上位力士を見るとモンゴル始め外国人力士がずらりと並んでいる。特に、白鵬の安定感は抜群だ。日本人力士とは、ハングリーさが違うのだろうか。

今日は午後7時からテレビで『スモウスピリット』と題してエジプト出身力士「大砂嵐」を特集している。彼の相撲に取り組む姿勢は素晴らしい。この姿勢は日本人力士ばかりでなく、私にも勇気を与えてくれる。

彼は、日本の相撲にあこがれて入門を目指したが、7つほどの部屋からすべて断られ、ようやく大嶽部屋に入門できたという。彼のことばをいくつか紹介すると、次のようおなものがある。

「石にかじりついても夢をかなえます」と語る大砂嵐関。応援したくなった。

「石にかじりついても夢をかなえます」と語る大砂嵐関。応援したくなった。

「私は相撲を取るために生まれてきた」
「相撲は大好き。一番大好き」
「相撲(の世界)は一つの特別な国です。力士だけは別世界です」
「まるで24時間で48時間分のことをやらされているようです。」

その後、精進して十両優勝。そして幕内へ。最初の場所は負け越し。

「どんな相手が目の前に来ても乗り越えるべき最大の敵は自分です」
「相撲は人生そのものです。夢は横綱になること それは変わりません。石にかじりついても夢をかなえます。」

このハングリーさと、まじめさ、研究熱心さ。私は大いに感銘を受けた。多分、モンゴルから来た力士もそうだろう。日本人力士も大いに見習ってほしいと思った。

(日記 午前中は、区の事務処理。今月は定期総会があるので事務的には忙しい。午後は、家内と事務所へ。私は、数学、家内は手芸。午後3時から、ちらつく雪の中をウオーキング。防寒対策をして出たので、体はポカポカしていた。事務所へ戻り作業継続。その後、家内と三味線練習。)

 
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それって当たり前?

06 3月

「先入観」で頭が働かず
「それって当たり前?」と疑ってみなければならないことがこのようには多いのではなかろうか。その一つに政治家と国民の関係もあるのではなかろうか?

世の中には、「政策などどうでもいい」と思っている人は多いのではなかろうか。政治家が問題にすべき課題は多いが、国民はその多くの課題の中で「“自分の損得に関わること”さえよければあとはどうでもよい」と思っている人が多いのではなかろうか。

おそらく原発事故が起こるまでは、原発の安全に疑いを持つ人はごく少数しかいなかったのではなかろうか。私たちは、「原発は安全」、「原発はクリーン」、「原発は経済的(もっとも低コスト)」・・・・・と、原発の安全神話を信じてきた。

しかし、いざ、事故が起こってみると「安全神話」は作られていた部分があることが徐々に判明してきた。「政府・企業・電力会社」の強固なトライアングルに学者・マスコミ・規制委員会などが一つの集団を作って国民に安全性を訴えてきたのだ。

私たちは、原発で安くてクリーンな電気が得られると疑いもなく信じてきた。しかし、今回の事故によるそれまでは見えなかった背景が見えてくると私の中の「当たり前」にも疑問符が付くようになってきた。

それと同時に、人間というのはお金に弱い生き物だなあとつくずく思う。かならず、物事の後ろには金が動いているように思えてならない。原発の周囲に作られたバーチャル空間「原子力村」。

価値観のトップが、「金」そして「能率」、「快楽」、「名誉」などの欲望では、人間は劣化の一途をたどるだろう。金を求めるあまり失うものが多くなったのが平成はなかろうか。昭和は遠くなりにけりか。

「経済政策一本やり」で国民にアピールし、国民もそれを望んで現在の政府が誕生したように見える。しかし、現在の与党は、その政策に期待した者と野党(前与党)のふがいなさの合作によるものだと思う。

しかし、いざ巨大与党が出来上がると、比較的成果を上げているといわれる(地方ではまだまだアベノミクスの効果は限定的)経済政策を含めて様々な問題が噴出している。

私個人は、健全与党があって政治は安定するのだと思う。数十年前、未来学者といわれるs氏の講演を聞いたことがあるが、与党は圧勝したら必ず崩壊するという意味の言葉を聞いたように思う。一定の健全な野党の必要性を説いておられてように思う。

私達は今、あらゆる分野で「それって当たり前?」と考え直してみる必要があるように思う。それが、与党にも野党にも必要だと思っている。

おかしなことを何とも思わない感覚では日本は私たちの望まない方向へ向かうのではなかろうか。今は、政治的には、非常に不安定な状況にあるように思う。かく言う私は、左でもなければ右でもないと思っている。あえて言うならば、「上」か「下」ではなかろうか。

与党であろうと、野党であろうと、上方から眺めて「よいものはよい」、「悪いものは悪い」と思っている。一つ間違うと、左右のどちらかでは色眼鏡で見られてしまうのは情けない。

(日記 午前中は、パソコンのファイルコピーと整理。その後、部屋の整理。午後は、事務所で数学。一日があっという間に終わってしまった。)

 
 

信頼に足るか

05 3月

国会討論から
私は、いろんな作業をしながらラジオで「国会討論」を聞くのが大好きだ。しかし、その中身たるやストレスが貯まる。与党の持ち上げ、野党に対する理事者側の答弁。

果たして、これらの答弁を聞いて国民はまっとうな討論が行われていると思うだろうか。私はどうもそうは思えない。最近では、「責任野党」という言葉までできている。

与党に同調する党を「責任野党」というのだろうか。そうだとしたら、与党の意見に異を唱える党は「無責任野党」ということになるのだろうか。

与党たる者は堂々と野党の意見に耳を傾け、「よいものはよい」、「悪いものは悪い」と堂々と意見を述べてもらいたいと思う。何でも反対、何でも賛成の政治家では、いずれは国民の支持を失うのではなかろうか。

総理以下与党が、教育委員会制度の改革に異常な執念を持っているのも気にかかる。教委の「責任を取らない体質」を盛んに問題にしている。

責任問題を問うというのなら、原発事故の責任をだれがとったというのだろうか。数限りない人がいまだに避難生活を余儀なくされているというのに。

円安で好調な企業がある一方で、何もかもが値上がりして苦しんでいる多くの企業や一般人がたくさんいることもわすれてほしくない。政治家の言動があまりにも庶民とかけ離れているように思えてならない。

国民が政治家を信頼していれば、消費税が上がろうが、多少物価が上がろうが、我慢をするだろうが、今の状況は必ずしもそうではないようだ。終わりの始まりにならないよう、国民の意見に耳を傾けてもらいたいものだ。

(日記 午前中は、区の事務処理。その後、次期区長のTさん宅でしばし歓談。区の運営などについて意見交換。午後は、事務所で数学。充実した時間であった。夜は加藤寛さんの『日本再生最終勧告』を読む。)

 
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定期検診

04 3月

一喜一憂
今日は定期検診。前回までは2か月に一度の検診だったが、前回の検診で数字がよくなかったので、主治医にお願いして一月に一度にしてもらった。

それが今日だ。いつも、検診の結果は気になる。数字が悪い時はがっかりする。よい時はほっとする。今日は少し数字がよかったのでほっとした。でも目標にはまだ遠い。

最近テレビで面白いことを知った。それは、「空腹が人間を若く保つ」というものだった。いつも遅く寝るので、床に就く前には空腹になってしまう。

しかし、考え直さなければならない。「空腹」の時こそ健康によいのだということを。そういえば、村の90歳過ぎの高齢者の方が、今でも元気にしておられる。

昨年、村の歴史についてインタビューさせていただいたが、「健康のためには、寝る前には胃を休めなければならない」と語っておられたことを思い出す。

この言葉をかみしめて、空腹は健康によいのだということを再認識しなければならない。特に寝る前には。寝る前にものを腹に入れれば寝ている間も胃は働かなければならず、休まらないからだ。

いつも検診の後には、次回こそはと思うが、自分に負けて食事に気を付けなかったり、運動不足になったりしている。

健康維持は自分との闘いかもしれない。自分の欲望に負けているようでは情けない。そんなことを考えながら病院を後にした。

具体的な計画はないが、社会勉強のつもりで『家の森』を見学。

具体的な計画はないが、社会勉強のつもりで『家の森』を見学。

(日記 午前9時過ぎに家を出て『家の森』へ。4棟見学。なかなか面白かった。その後、昼食、少し早く済生会病院へ着いたので、家内と二人で病院周辺をウオーキング。そして済生会病院で定期検診。わずかに数字は改善。ほっとした。その後、家内とショッピング。午後7時から、『猪瀬の活性化を考える会』に出席。まちづくりについてみんなでいろいろ考えた。楽しい時間だった。)

 
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ウオーキング

03 3月

ウオーキングで昔の先輩と会う
この頃、週に2、3回は家内とウオーキングをしている。いろんな健康に関する番組を見ているが、「健康にはウオーキングがよい」と結論付ける場合が多い。

歩くコースは主に4通りだ。
・自宅周辺を1時間ほど歩くコース
・事務所周辺を歩くコース
・車で出向いて歩く勝山市街コース
・車で出向いて歩く大野コース

普段車で通るときは、目的地に向かって大きな道路を使うが、ウオーキングではなるべく普段は車で通らない所を歩くことにしている。そのため、いつも新鮮な発見がある。

「こんなところにこんな建物があったのか」とか「こんなところにこんな店があったのか」と思うことがよくある。車が入り込めない細い路地も歩くことができるし、時には、田んぼ道でも歩くことができる。

最近かなり歩いたので、少し足に筋肉がついたようにも思う。それに、いろんなことを話すことができるので夫婦間のコミュニケーションを図ることもできる。

ウオーキングは、今の私にとっては「歩くミーティング」だと思っている。今はまだ風が冷たいので風の通らないジャンパーを着て、帽子、耳あて、手袋をつけて歩いている。

季節が春に向かうにつれて少しずつ身につけるものが軽くなるだろう。これからも楽しみながら、いろんな街を歩きたいと思っている。

(日記 事務所で区の事務処理。午後は、事務所で昼食。その後、数学の問題集作り。午後3時から大野市のホームセンターで区の和室用椅子を注文。その後、ホームセンター周辺を家内とウオーキング。かつての先輩の家が近くにあるので家内と二人で訪問。しばし歓談。そして家の一部を見せていただいた。帰宅して録画したビデオを鑑賞。)

 
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御法事

02 3月

一日道場で過ごす
今日は村の『御法事』と『戦没者法要』。村の各班が持ち回りで登板を務め、世話をするのだ。午前中は、読経の後、説教。

終日、村の道場で過ごす。自分を見つめるよい機会となった。

終日、村の道場で過ごす。自分を見つめるよい機会となった。

浄土真宗の教えを身近な話を織り交ぜながら、ユーモアたっぷりに僧侶が説教してくださるのだ。子供時代から、説教は聞きなれている。話を聞いていると、自分を見つめ直すよい機会になる。

寺にお参りするのは、当番のほかは主に高齢者だ。昔は、道場いっぱいに区民が集まったのだが、最近は随分お参りが少なくなった。

この調子ではこれからもこの傾向は強まるだろう。宗教は、時には世の中を危うくするが、一般には世の中をよくするために役立つことが多い。

命を大切にしたり、人と好ましく交わったり、争いを避けたり、自分自身に目を向けて自分を律するなど様々な生きる知恵が働いていると思う。宗教が軽視されると、世の中自体が危うくなるのではないかと気にかかることも少なくない。

久々のウェブカム。孫達に元気をもらう。

久々のウェブカム。孫達に元気をもらう。

(日記 今日は、村の『御法事』。午前、午後と村の道場で過ごす。自分を見つめなおすよい機会となった。夜、孫達と久々にウェブカム。楽しい時間をもつことができた。)

 
 

時代の流れ

01 3月


時代は確実に変化している。私たちの子供時代と今の子供の生活は大きく異なる。一番大きいのは、物質的な変化だ。それが、子供の生活に大きな変化をもたらしている。

一口で言えば、今は子供たちをビジネスの対象にしていることではなかろうか。子供をもうけの対象にしているのだ。それだけなら、まだ我慢もできるが、子供たちの貴重な時間を奪っているように思えてならない。

ゲームに時間を取られている子供はどれだけいるだろうか。携帯もまた同様である。携帯自身がゲーム機と化しているように思う。

時間を持て余す退職者ならまだしも、成長期にある子供たちには実体験でいろいろ身に着けてもらいたいものがあるというのに、こうした機器に時間を取られている。

そのうちに、現実社会と非現実的な社会が混同しないかと心配である。ゲームの多くは、戦う場面が多いのも気になる。ゲームの世界で相手を殺傷するところが成長期の子供に悪影響を与えないかも心配である。

これからは、人と機器との結びつきが強くなり、人と人との結びつきがどんどん弱くなっていくのではなかろうか。これが時代の変化というものだろうか。

(日記 朝一に法人から頼まれて、ぬかるんだ道路の砂利撒き。トラックで運んできた砂利を道路のへこんだ部分に5人で敷き詰めた。午後は、区の定例役員会の資料作り。午後7時から区の『3月定例役員会』。新年度に向けての予算編成方針決定や課題の整理、最後の事業決定などを行った。)

 
 

ライフスタイル

28 2月

これからのライフスタイルを考える
私は、一応67歳までフルタイムで働いてきた。そして、急に自由になった。といっても、地域の仕事などがあって、伊アマのところは全くの自由人ではないが、現役時代に比べればかなり自由になった。

今後、どんな生き方が理想だろうかと思う。勝手に好きなことをしているだけでは充実感はない。やはり、だれかの役に立たなければ、だれかから必要とされなければ生活に張りがないだろう。

そうなると、私にはいったい何ができるのだろうか。そんなことを考えて至った自分の生き方は、長年、数学教師としてやってきたので、これを生かすことが第一だと思っている。

次が、次世代、特に子供たちのために何ができるかを考えること。そして、地域に貢献することだろうか。

退職するときの最後のあいさつに「これからは、地域のため、家族のため、自分のために時間を使いたい」といったことに重なる。

まだまだ夢は捨てきれない。今は、時間が足りない。一日があっという間に過ぎてしまう。創作活動もやりたいがなかなか時間が取れない。春になったら少しは時間が作れるだろうと思う。

いくら時間がなくてもウオーキングの時間だけは確保したいと思う。ウオーキングか気分転換になるし、足を鍛えるのにも目を休めるのにも大切な“生産的時間”だと思う。

(日記 今日は朝から、区の事務処理をすると決めた。特に『四季折々の花の咲くまちづくり事業』の実績報告書などを作った。そして市役所へ出向き、提出。ついでに総務課へ出かけ、不明な点を質問。午後は事務所で作業。その後、家内と二人でウオーキング。事務所周辺を1時間歩き回った。帰宅して、数学。途中で、三味線練習。)

 
 

パソコンのエラー

28 2月

素人にはお手上げ
パソコンも消耗品だとつくづく思う。私の使い方が悪いのだろうか。最近調子が悪い。しかし、素人の私にはどうしようもない。

例によってパソコンドクターのY君に助けてもらうしか方法はない。他の人は、こんな場合どうしているのだろうか。

仕事の後駆けつけてくれたY君。彼のおかげで私のパソコンライフは辛うじて成り立っている。

仕事の後駆けつけてくれたY君。彼のおかげで私のパソコンライフは辛うじて成り立っている。

一番メインのパソコンが上手く動作しないので、大概の資料は事務所で作ることにしている。しかし、プリンターは自宅にあるので、データを持ち帰って印刷することにしている。

パソコンで絵を描くようになってからは、手を汚すことも部屋を汚すこともなくなった。しかも、いつでも修正がきく。紙芝居などでは、背景も自由に変えることができる。

誰がこんな便利な機械を考えたのだろうかと思うくらい、いろんなことができる。しかし、ひとたび、不具合が出るとデジタル的なものは素人には直しようがない。

それに、わざわざウイルスを作り出す人間もいる。それを防ぐためにウイルス防御のためのソフトを作る人。監視する人。おかしな世界でもある。

夕方、Y君がパソコンの調子を見に来てくれた。一日も早く快適にパソコンが動くことを願う。どうにか、最小限の仕事はできるようになった。

(日記 午前中、『かたせ瓦版』コピー。他の配布物と一緒に班長宅へ配って一件落着。午後は、事務所で数学。途中で家内と三味線練習。といっても、家内は三味線は初心者。これから、毎日少しずつ、一緒に練習したいと思う。午後6時過ぎにY君がパソコンを見に来てくれた。わがパソコンは少し重症の感じだ。)

 
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『花の咲くまち』を目指して

26 2月

花とつながる水やり
勝山市の『四季折々の花の咲くまちづくり事業』に参加し、集会場やそれぞれの自宅の通りに面した道路に花を植え続けて2年になる。どうせ花を植えるなら、片瀬オリジナルでやりたい。

そう思って、ここ2年いろいろ試みてきた。先ず花を植えるプランターだが、市販のものをそのまま使うのではなく、独自のものをということでまず区民の皆さんと竹プランターを作りこれに植えていただいた。

その後、コア(製材端材)を使って木製のプランターも作ってみた。そして、前記、後期、それぞれの季節にふさわしい花を植えてきた。

前期は、春から夏、秋にかけて咲く花を植えてきたが、一番大変なものは真夏の水やりだった。一日2回の水やりは、消極的な気持で取り組むと負担になる。楽しむことが肝心だと思って始めた。

夕方水やりを忘れると、小さな竹プランターの花は、翌朝ぐったりとしていた。「かわいそうに」と思って朝たっぷり水をやると、花々は夕方には元気な姿を見せてくれた。

そんなことを繰り返していると、花と友情関係が芽生えたと思っている。花も自分も生き物である。元気な姿はお互いを生き生きさせると思うようになってきた。

枯らしては気の毒だと思うようになってきた。春の花はきちんと世話をすると秋になってもしっかり咲いていてくれる。翌春の花に植え替えようとするが、多少くたびれているがそれでも咲いているので、簡単に引き抜いて捨てることはできない。

春の花も同様だ。夏、秋の花に植え替えようとしてもしっかり咲いているので、そっと引き抜いて土のある所に置いて水やりを続けた。

やはり、花といえども生き物だ。生きているものを扱うにはいろいろ気を遣うことも少なくない。花とつきあうことによっていろいろ学ぶことも多かった。そして、今日は春の花を植えた。

まだ2月。急激な温度変化だけは気をつけなければならない。天気予報に注意しなければならない。0°C以下になるようなら、屋外に並べた花を室内に入れなければならない。早く、気温の変化が気にならない春になってほしいものだ。

(日記 午前中は、事務所で『かたせ瓦版』の編集作業。事務所で昼食後、家内と二人でウオーキング。PM2.5の注意報が出ていたので短時間で切り上げた。そして、春の花の苗を買い込み、集会場にある空いたプランターに植えた。集会場には、昨秋植えた花が冬を越して咲いている。2月はじめには少しでも日光に当てたいと思って南向きの屋根の下に並べて置いた。4月になったら今日植えた花と一緒にきれいに咲いてくれるだろう。その後、瓦版づくり作業を継続。夜10時前に完成した。)