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数楽と音楽

14 12月

楽しくなきゃあ
半日は,全く自分のために、そして半日は、家族のためにと決めている。選挙の後、私は事務所で数学。参考書作り。遅々として進まない。しかし、毎日パワーを信じて、取り組んでいる場すこしは前へ進むだろうと思っている。

目休めに、時々ギターを弾いている。エフェクターを使い、アンプを通すと、おとに変化が出て生ギターとはまた違う響きがする。50年前に弾いたアドリブを思い出しながら、楽しんでいる。

数学も、数楽でなければと思っている。解くことが楽しい、第三者にわかってもらうことが楽しい、この二つが数学の楽しさだろうか。どちらも、考えなければできない。

一方、ギターの方だが、弾いているうちに歌詞とメロディーが浮かんできた。歌作りでは、無理矢理歌詞やメロディーを考える場合と、ギターなどを弾いているときに自然に浮かんでくる場合がある。

今日は、珍しいことだった。家へ帰ってから、久々にパソコンの前で歌づくりを始めた。自分の言いたいことを歌詞にしてみただけだ。やはり、自分の心の中から滲み出てくるものでなければ人に訴えるものはできないと思う。どんな歌になるか楽しみだ。

(日記 午前9時頃選挙に行き、その後、事務所で数学(楽)。時々ギターを弾きながらの作業だった。事務所前の駐車場に融雪装置を設置した。と言っても、川から水中ポンプで水を揚げ、ホースの先につけた穴開きっパイプで散水するだけだが。午後は、自宅の整理・整頓・清掃。年末大掃除というところか。夕食後は、選挙速報を見る。)

 

 
 

「ふるさとづくり大会」に思う

13 12月

「ふるさと」をつくるとは?

上:Aさんの実践発表。中:「ふるさと料理」の試食会。下:アトラクションとして「左義長ばやし」を発表した芳野区の皆さん。

上:Aさんの実践発表。中:「ふるさと料理」の試食会。下:アトラクションとして「左義長ばやし」を発表した芳野区の皆さん。

「まちづくり」や「ふるさとづくり」はよく聞くことばだ。しかし、真剣に考えてみると簡単なことばではない。「まち」をつくるとか、「ふるさと」をつくるということがどういうことか、定義がはっきりしない。

今日は、勝山市の「ふるさとづくり大会」が「福祉健康センター・すこやか」で開催された。まちづくり関係者が出席して、3地区の実践発表と「ふるさと料理」の試食会が行われた。

私は、数日前に「猪野瀬地区の実践発表」をしてくれとたのまれた。Aさんは「猪野瀬地区まちづくり推進協議会」の実践発表、私は「猪野瀬地区活性化委員会」の発表をすることになった。

「ふるさとづくり」とは、「花壇をつくることだろうか」、「体験学習をすることだろうか」、「商品を開発することだろうか」……。こっらのいずれが無関係だとは思わないが、「なぜそれをするのか」をある程度は考えながら実践すべきではなかろうか。

そうすれば、何に留意してそれをやるべきかが明らかになるのではなかろうか。「昨年やったから……」となにも考えないで実践していたのでは、「地方衰退」や「地方消滅」は避けられないのではなかろうか。

(日記 午前9時過ぎに、「すこやか」で行われた「まちづくり大会」でAさんと共に猪野瀬地区の実践発表。終了後、「ふるさと料理」の試食会があった。また、アトラクションとして、芳野地区の「左義長ばやし」の発表があった。午後は、約10日ぶりに数学に熱中。外は、雪が降っていたが、数学ははかどった。楽しかった。)

私も、「猪野瀬地区活性化委員会」の活動について発表。参加者はほとんど知っている人ばかりであった。

私も、「猪野瀬地区活性化委員会」の活動について発表。参加者はほとんど知っている人ばかりであった。

 
 

報恩講

12 12月

子供時代は楽しみだった
「報恩講」とは、浄土真宗の宗祖(開祖)とされる親鸞聖人の命日の前後に、宗祖親鸞に対する報恩謝徳のために営まれる法要のことで、以前には、各家ごとに行っていた。私たちは、「ほんこさん」と呼んでいた。

村の道場で、会員全員が読経。

村の道場で、会員全員が読経。

親戚の家や近所で行われる「ほんこさん」には子ども達も招かれてご馳走を食べ、こたつで遊んだりしたものだった。ご馳走の方は定番で、各家で採れた野菜中心だった。味噌汁は、「呉汁」と言ってゆでた豆を石臼でひいたものが入っているものだった。

子どもにとっては、ご馳走よりも遊べることのほうがうれしかったことを覚えている。しかし、最近は、家ごとに「ほんこさん」を行うことはほとんどなくなってしまった。

その後、お寺の「ほんこさん」と老人会の「ほんこさん」だけが残っている状態だ。今日は、その老人会の「ほんこさん」だ。道場に集まり、読経の後、会食。料理屋の弁当のほか、役員の作った「ほんこさん料理」も出た。

その後、しばし歓談。昔の「報恩講(ほんこさん)」の話や、身近な話題などでじばし楽しい時間を過ごすことができた。村の人同士の話しをする機会は、めっきり減ってしまった。話すことによってお互いが理解し合うことができるのだ。共同作業やこうした行事には積極的に参加したいと思う。

(日記 午前11時より、老人会の報恩講。午後3時より、福祉健康センター・すこやかで明日の「まちづくり大会」のプロジェクターのリハーサル。帰宅して、明日の資料づくり。)

 
 

まちづくりについて

11 12月

活性化委員会12月定例委員会
午前9時半より、公民館での「活性化委員会」に出席。先の「いのせ文化祭」の反省会、地域力向上事業基金で購入した備品の使用規定について話し合った。

委員の皆さんに訴えたいことは、「どんどん少子高齢化が続くこの地域における“活性化”とは、何をどうするかを考えることが大切」だと思う。何も考えないで例年の行事をこなしていても、時間がもったいない気がする。

かといって、簡単に答えは見つからないが、私見としては、「ふるさとづくり」に尽きるだろうか。私の考える「ふるさと」の定義は次の二つだ。
・家族以外に、地域に関わった人がいる
・自宅以外に、地域に関わった場所がある
子ども達にとって、地域がそんな「ふるさと」になってほしいと願う。

しかし、実際には、自宅と学校の往復、または、自宅と習い事などの場所との往復、また、自宅でテレビを見たりゲームをしたり、漫画を読んだりして時間を費やしているだけでは、いつになってもそうはならないだろう。子どもの自由時間に大人が入り込んでいるようにも思える。

大人の「背中での教育」も、昔と今ではずいぶん変わってしまった。昔は、いろんなことを大人の背中から学んだ気がする。しかし、いまは、大人の背中から得ることが少なくなったのではなかろうか。そんな中での、地域の活性化を考えることは簡単なことではない。地域が、目指す方向を頭に置き、そこからどういうアクションが必要かを考えながら実践していくしか方法はないと思う。例年のイベントを例年のようにおこなっていても、地域は決して活性化しないだろう。「活性化委員会」でもっともっと話し合ってみなければと思う。

(日記 午前9時半より、午後2時まで「猪野瀬地区活性化委員会」。昼休みに、手打ちのソバ、里芋とネギの天ぷら、焼きまんじゅうなどをいただいた。その後、会員と、しばし雑談。帰宅して、まちづくりの資料づくり。)

 
 

高かった授業料

10 12月

除雪機の維持管理
除雪機のバッテリーが上がってしまった。充電すればいいのだろうと簡単に考えていた。そこで、自動車屋へ務めていたTさんに電話で聞いてみた。

除雪機の試運転。授業料は高かったが快調だった。

除雪機の試運転。授業料は高かったが快調だった。

彼は、村の除雪機の維持管理を行っているのだ。彼が言うには、「普段から除雪機を動かしてバッテリーがあがらないようにしなければならない。私は、月に二回、除雪機のエンジンをかけている」とのことだった。

そして、「バッテリーが完全にあがってしまうと、充電しても使えなくなる」とも言っていた。
また、「残っているガソリンが腐ってしまうこともある」とも。そこで仕方なく、購入したW商会へ電話してみてもらうことにした。

そして、今日若い店員がやって来た。即座に、「バッテリーは取り替えましょう」ということだった。バッテリーは2個付いているのだ。一つ1万円以上、取り付け料を含めるとかなりの額になる。

授業料としては、高くついた。きちんと使えば10年以上は使えるとのことだった。さっそく、試運転をしてみた。雪は少ないので、除雪効果はなかったが、除雪機はかいちょうに動いてくれた。これからは、雪がなくても時々はエンジンをかけなければならないと思うと、少し気が重くなった。

(日記 朝から、午後までまちづくりの資料づくり。夕方、バッテリーを新しく取り替えてもらった除雪機の試運転。夜、ビデオに録って置いた映画を見た。)

 

 
 

抵抗力をつけなければ

09 12月

今年二度目の風邪
横浜最終日から、少しずつ風邪気味になってきた。それでも,午前中は、土曜日に行われるまちづくりの資料づくり。鹿谷のおばさん達に銭太鼓の指導。

しかし、風邪は進行しているようだ。そこで、いつも通っている近くの医者へ行くことにした。インフルエンザの検査もしてもらったが、大丈夫だった。

こんなことを繰り返しているうちに、どんどん抵抗力がなくなっていくように思う。今春は、週に何回もウオーキングをしていたが、その後忙しくなり、最近ではほとんどしなくなってしまった。それに比べて、スポーツ選手の日々の鍛錬は、表には出ないが、すごいものがある。

かつて、大相撲の出羽ノ海部屋の朝稽古をみたことがあるが、薄暗い時間から下位力士が練習をしている。そして、明るくなって入ってきた白い練習まわしの関取が入念に四股や鉄砲を始めた。四股を踏むたびに、近くに地響きが伝わるような迫力があった。

数日前、テレビで、80歳を超えた医者が毎朝欠かさず体操をしている姿が映されていた。さすがだと思う。風邪をひいて、今度こそ、いや、今日からでも、なんらかの運動をしなければと痛感した一日だった。

(日記 朝は、まちづくりの資料づくり。午後は、鹿谷公民館で、銭太鼓の指導。午後5時過ぎに、医者へ行く。風邪のため、やる気が鈍る。)

 
 

6日間の横浜滞在を終えて

08 12月

地域の長短のよく分かった旅

小学校へ行く孫と玄関先でしばしの別れ

小学校へ行く孫と玄関先でしばしの別れ

今日は、勝山へ帰る日。5泊6日の横浜滞在だった。元々、今回横浜へ向かったのは「孫から発表会に来てほしい」と頼まれたことから始まったのだ。ついでに、入学祝いの学習机を買いこともできた。

また、東京へ出て次女と会うこともできた。孫の結婚相手のO君と長男家族が会っていっしょに食事をとることができたのもよかった。東京の町中の移動も少しずつ慣れてきた。

この6日間、テレビでは雪のニュース。鹿児島やと徳島にまで雪が降ったという。しかし、横浜は抜けるような青空。対照的であった。「トンネルを抜けるとそこは雪国であった」から「新幹線から北陸線に乗り換えると、そこは雪国であった」というところか。

雪は困るが、もしも勝山が連日雪も降らずに晴天だったら、農家の者は落ち着かないだろうと思う。また、春を迎える気分はずいぶん違うだろうと思う。

上:今日もまた抜けるような青空 中:歩道には落葉の絨毯 下:同じ日の勝山(えち鉄の車窓から)

上:今日もまた抜けるような青空 中:歩道には落葉の絨毯 下:同じ日の勝山(えち鉄の車窓から)

勝山へ戻って感じた一番大きい差は、やはり寒さだ。外が寒いのはいっこうにかまわないが、家の中の寒さは行動を鈍らせる。暑さ、寒さに強い家にしなければと思う。

(日記 長女(孫)が学校へ行くのを見送り、次女が幼稚園へ行くのを見送って、私達も勝山へ帰ることにした。二つの電車、新幹線、北陸線、えち鉄、タクシーを乗り継いで帰宅した。楽しい旅でもあったし、考えさせられた旅でもあった。)

 
 

住宅地を散策して思うこと

07 12月

都会の土地の利用
横浜へ来て、いささか運動不足なので、息子宅の周辺を歩いてみた。この辺りは、丘陵地だ。上り下りがかなりあり、自転車は電動アシスト機能がなければ無理かもしれない。

風は冷たいが今日も澄み切った青空。

風は冷たいが今日も澄み切った青空。

多くの住宅は傾斜地をうまくし利用して建ててある。駐車場は傾斜地をそのまま利用しているところも少なくない。雪が降らないからだろうか、駐車場には屋根はほとんどみられない。玄関まで長い階段の続く家も少なくない。

いろんな形の家が、ぎっしりと並んでいる。テレビのニュースでは雪の状況が絶えず放送されている。しかし、こちらは、雲を探さなければわからないような澄み切った青空が広がっている。

田舎では、大きな敷地に家が立っている場合も少なくない。立派な家でも、空き家になっている場合が少なくない。家を少し離れれば田圃や畑が広がっている。

一方、都会では、かなり大きな公園はあるが、それ以外の土地の多くは、ギッジリと住宅が詰まっている。都心の周囲である埼玉、千葉、神奈川県では住宅地がかなり広がっている。鉄道網が発達していて、そのスピードが速いことと、本数が多いので、通勤圏はどんどん広がっていくことだろう。

しかし、田舎の方では、人口減と車の増加により、鉄道やバスの採算は合わず、どんどん間引きされたり廃線になったりしている。そのために、高齢者になっても車を手放せない。一方、都会では、若者のクルマ離れが進んでいるらしい。アベノミクスで恩恵を受けている自動車会社は、その恩恵をほとんど受けない人たちに支えられていると言えなくもない。おかしな世の中だ。そんなことを考えながら、iPhoneでラジオを聞きながら、音楽を聞きながら横浜の街を散策していた。

(日記 毎日で歩いているので、今日はどこへも出かけず、孫達と家で過ごすことにした。午前中、周辺を散策。いつもはパソコンでやる孫との“爺ちゃん勉強”は孫の机の横で直接指導することができた。2回分をやったので2時間近くかかったが、楽しくやれたので、そんなに時間がかかったとは思わなかった。国語の部首の勉強は、こちらも役に立った。「集」、「者」、「願」などの部首は簡単には言えない。午後も、周囲を散歩。明日は、孫達と別れなければならない。正月には会えるが。)

 

 
 

六本木で再会

06 12月

グローカルに生きる

六本木で、次女達と息子の家族とで記念写真。

六本木で、次女達と息子の家族とで記念写真。

息子の家族と、次女の結婚相手であるOさんの顔合わせのために、六本木ヘ向かった。地下鉄を乗り継ぎ、六本木のミッドタウンへ。それにしても地下鉄はずいぶん深いところを走るのだと感心する。

地震でも起きたら大丈夫なのかと不安になってしまう。高層ビルが並ぶ中、多くの人達が行き交っている。ビルの中にも、通りにも、駅にも沢山の人がいる。しかし、知っている人いは誰もいない。

田舎なら、これだけ沢山の人と出会ったら、ずいぶん沢山の知っている人と出会ういだろう。レストランで待ち合わせをした。しばらくして、次女が現れた。食事をしながら、しばし歓談。

午後5時に点灯したイルミネーション。沢山の人が集まっていた。

午後5時に点灯したイルミネーション。沢山の人が集まっていた。

午後5時になると、イルミネーションガ点灯した。多くの人達が、歩道橋の上や周囲でイルミネーションを楽しんでいた。そして、次女達と別れて地下鉄をいくつか乗り継ぎ、横浜の息子宅へ戻った。

私達には、都会のでの生活は無理だなあと思う。田舎で育ち、大人になった者には、都会は時々遊びに来る場所であって、生活する場ではないと思ってしまう。人波に自分が埋没してしまうように思う。それが楽な人もいるだろうが、私は田舎で自分のペースで過ごしたいと思う。そして“グローカル”に生きていきたいと思う。田舎に暮らしながらも、気持ちは世界に向けて自分のペースで生活したい。

(日記 午前中はのんびりと過ごす。テレビでは北陸は大雪だと言っているが、こちらはほとんど雲のない澄み切った青空。気持ちが良いので、息子宅の周囲を散策。中学生がグランドでテニスやサッカー

待ち合わせをした六本木のミッドタウンで。

待ち合わせをした六本木のミッドタウンで。北陸は雪だというのにこちらは紅葉。

をしている。昼ごろ、息子の家族と一緒に六本木へ出向き、次女とその婚約者に会う。ミッドタウンで一緒に食事をし、しばし歓談。イルミネーションを見たあと、別れて息子宅へ戻る。)

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孫の入学を祝って

05 12月

学習机を見に行く

お気に入りの机の椅子に座ってにっこり笑顔の孫。

お気に入りの机の椅子に座ってにっこり笑顔の孫。

今回の旅行の具体的な目標は三つあった。息子の次女の発表会を見ること。これが孫からの要望だ。もう一つは、この孫の入学祝いの学習机を買うこと。そして、来年結婚する次女に会うことだ。

午前11時過ぎに、車で家具屋へ向かった。息子たち親が奨めたい机と、孫の要望とは少し違う。最後は、みんなで孫の要望に従うことにした。いつもならら親の言に従う次女だが、今日ははっきりと好みを口にした。

周りの我々大人たちは孫の成長を感じて頼もしく思った。幼子も日々その成長を実感できないが、何かの拍子にそれを感じることができるのだ。

子や孫が成長する分、私たちは、少しずつ年老いていくことになるのだ。日々、自分の合点のいくように生きなければと思う。孫の成長を感じながらも、時は確実に少し実進んでいるのだ。

地区センターの体育館の半分を使っての新体操の練習。

地区センターの体育館の半分を使っての新体操の練習。

日々の時間の大切さを改めて実感した瞬間でもあった。乳飲み子が、幼児になり、少女へと変化していくのだ。我が子が通過していったように、孫たちも確実に成長していっているのだ。

(日記 朝はのんびり過ごした午前11時過ぎに、来春、小学校へ入学する孫(長男の次女)の学習机を買うために、家具屋へ行った。孫の望みの机を決めて帰宅した。その後はのんびり過ごした。午後5時半過ぎに長女の新体操の練習を見に「若草台地区センター」へ行く。小学3年生から中1までが集団で練習していた。)