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年末恒例“まちブラ”

24 12月

何を買おうかな?
毎年、年末には福井へ出かけて本や衣類を買うことにしている。子どもが小さかった頃は、サンタクロースからの贈り物の品定めに子ども達と買い物にでかけたものだが、今はそれもなくなった。

DVD付きドラム教則本『ドラム入門』。

DVD付きドラム教則本『ドラム入門』。

今日は、家内と二人で、福井の百万ボルト、エルパで買い物をし、軽食。そして、映画を視て帰るつもりだったが、映画館を間違えたので今日は諦めることにした。エルパでの待ち合わせは、いつも本屋と決めている。

本屋の隣は、楽器屋だ。ここでは、いつもCDや本を買っている。今日は、“ハウツー本”を買った.DVDが二枚付いたドラム教則本だ。

何冊もドラムの本を持っているのに、ついつい買ってしまった。一度フラダンス付きでハワイアンバンドをやってみたいと思っていたが、これは実現できた。

今度は、バンドでドラムをたたくことだと思って最近練習している。50年前には軽音学部でドラムをやっていたが、もう一度やり直してみたいと思って、今日もDVD付きの教則本を買ったのだ。自分のやることに的を絞らなければと思っているが、そんなことを忘れて今日もまたドラムの本を買ってしまったのだ。ま、いいっか!

(日記 午前9時過ぎに家内とともに、年末恒例のショッピングに福井へ向かった。百万ボルト、エルパで買い物を済ませて午後2時頃帰宅。その後、近くの小児科医院で生まれて初めてインフルエンザの予防注射を打ってもらった。来月我が家のビッグイベントがあるからだ。果たして、効果があるのだろうか。)

 
 

『片瀬豊年ばやし』 この一年

23 12月

今年の反省会
今日は、我が村の創作郷土芸能『片瀬豊年ばやし』保存会の反省会。思えばこの一年、ずいぶんあちこちへ出演させていただいた。まだまだ発展途上の郷土芸能だが、少しずつ地域で認知されるようになった。

猪野瀬公民館にて『片瀬豊年ばやし』の演技。

猪野瀬公民館にて『片瀬豊年ばやし』の演技。

あちこち出させていただいたが、未だ満足できるような演技ができなかったように思う。一つは、演技の内容が毎回少しずつ変化していて練習不足であったこと。これは練習の回数でカバーするしかない。

もう一つは、歌も生演奏するようになって、放送機器との相性が問題だった。歌のマイク3本、三味線と篠笛のマイクがそれぞれ2本の計7本が必要だが、多くの会場はそれだけの本数がなかった。

ない場合には、手持ちのマイク等を持って行ったが、会場の機器とのバランスがとれなかったりして不本意な場面が少なくなかった。しかし、最近ようやく演技も固まりつつある。

早速、新年度も1月18日の「健康の駅」オープンを皮切りに出番がある。何とか、満足のできる演技をしたいものである。今日の、反省会では、みんなそう思ったのではなかろうか。

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◆どなたか、「エコミュージアム全国大会」での私たちの演技をユーチューブにアップした方がおられるのでそれを紹介したい。   「片瀬豊年ばやし」で検索してみて下さい ◆

(日記 午前11時半より近くの居酒屋で「片瀬豊年ばやし」保存会の忘年会。楽しいひとときを過ごした。午後はピアノの楽譜作り。午後7時より『爺ちゃん勉強』。今日は家内の誕生日。スカイプで横浜の孫たちが伴奏つきの「ハッピーバースデー」を歌ってくれた。)

 

 
 

複合副作用

22 12月

少子化を考える
世の中は、いくつかの複合的な要因で思わぬ方向へ進んでいるように思われる。私にもし文才があるならば『複合副作用』なるタイトルで本を書いてみたいのだが。残念ながら、できそうでできない。

テレビが出現したとき、評論家の大宅壮一さんは「一億総白痴化」なる言葉を使われたらしい。大宅氏が指摘しているのは、テレビを次から次へと視ることにより、テレビによって考え方が刷り込まれたり、思考停止に陥ったりする可能性を述べられれたのであろう。

言うまでもなく、テレビのプラス面をたくさんある。しかし、それらにも多くの副作用があるだろう。選択力のない者に取っては、ずるずると時間を費やし(あるいは奪われ)、あげくの果てに何も考えられない人間になっていくことを警告しているのではなかろうか。

今では、テレビ以上にスマホやパソコンの副作用が問題になりつつある。簡単な論文なら何も調べなくても、ネットでコピペ(コピー・アンド・ペースト)すれば簡単にできてしまうであろう。時間が奪われ、考えなくてもよい(考えることができない)人間が増えていくような気がする。

あらゆる文明の機器の副作用が世の中を変質させているのだと思う。スーパーやホームセンターやドラッグストアやコンビニ(convenience=便利)が、便利さの代わりに、町からの「八百屋」「金物屋」「薬局」「肉屋」……などを廃業に追い込んだり、数を減らしていった。こうして、商店街はシャッター通りになるか、歯抜けになり、地方が過疎化するのは当然であろう。こうしたことが、少子化に繋がっていくのではなかろうか。車社会も副作用は少なくない。これらの副作用が複合的にやってくれば世の中が変質するのは当然ではなかろうか。こうしたことを筋立てて本にできたらと思う。

(日記 終日年賀状書き。途中で、除雪機を使い、家の周囲を除雪。)

 
 

年賀状

21 12月

楽しさと 苦しさのある 賀状書き
年末の恒例行事の一つは年賀状を書くことだ。転勤があるたびに賀状が増え、卒業生を出すたびに、賀状が増えていった。そして、完全に退職して5年目になる今は、だいたい250枚前後で落ち着いている。

元旦に送られてきた年賀状を受け取って目を通すときは、とても楽しい気分になる。みんな頑張っているなあと元気がもらえる。年賀状にも色々あり、「新年の決まり文句だけが印刷してあるもの」、「手刷りの版画などが印刷されているもの」、「家族の写真などが印刷してあるもの」、「自分の近況や考えが書かれているもの」……など、様々である。

受け取って特にうれしいのは,その人らしさのあるものだ。いろいろ刺激になる。担任したことのある生徒だったら活躍が予想されるものなども嬉しい。昨年も「新しい会社を立ち上げました」との年賀状を受け取った。以前に仲人を頼まれた生徒である。

そんなことがあるので、私も、旧年中に経験したことなどの小さな写真を載せることにしている。そして短い文章を付けている。かなり年を取った私が何をしようとしているのかを知ってもらえれば幸いだ。

そんな気持ちで、毎年年賀状を書いている。私の年賀状はパソコンで作るので、なるべく一言でもコメントが書ければと思っている。昔は、住所を書くだけでも数日間かかったものだ。年賀状を書くことは、楽しくて苦しさのある年末恒例の行事だ。

(日記 午前中は年賀状書き。ごごは,事務所で数学。ようやく新しい単元に入ることができた。夕方、親戚のお通夜があり、昔、よくお世話になったKさんといろいろ昔のことや今のことを話し合った。夜、『軍師官兵衛』の最終回を見た。一瞬天下取りを考えた黒田官兵衛が、息子の黒田長政が自分を超えたと感じたその瞬間に、天下取りをあきらめたのだろうか。子は、親を乗り越えるものなのだろう。)

 
 

「精神的自由」と「時間的自由」

20 12月

自由のありがたさと……
現役時代は、「時間的自由」はかなり制約を受けていたように思う。「精神的自由」もそれなりに制約を受けていた。退職し、しばらくして公的な役割もほとんど無くなり、両方ともかなり自由になった。ありがたいと思っている。

この「自由」だが、精神的にも、時間的にも自由になると、人によってはかえって“不自由”になることもあるようだ。あるとき、同じような立場の退職者に会ったことがある。彼曰く。「何もすることがないから暇やろう」と声をかけてきた。彼は退職後はそれなりに仕事をしていたが、今はそれもなくなり毎日どう過ごすか考えているとのことだった。

そう言えば、わがまち付近には人口の割合にはパチンコ店が多い様な気がする。中には、「1円パチンコ」の看板も見える。毎日喫茶店で過ごす人、パチンコ店で過ごす人、図書館で過ごす人、時間の過ごし方はいろいろあろう。しかし、そうした人たちにも本人だけが持っている知識や知恵があるように思うと、それらを生かさな手はないと思う。

数学の合間に弾くギターは格別に気持ちがよい。何もかも忘れられる。覚えてもすぐ忘れるが。まるでザルで水を汲むようだが、あきらめないで楽しんでいる。

数学の合間に弾くギターは格別に気持ちがよい。何もかも忘れられる。覚えてもすぐ忘れるが。まるでザルで水を汲むようだが、あきらめないで楽しんでいる。

農家の人は田畑があって、冬期以外はすることがいっぱいあるようだ。私も、その一人でありがたいと感じている。作物の成長を見ることは楽しみでもある。人は、現役時代のように、為すべき仕事があると、残りの時間は何をしようと負担を感じることは少ないようだ。

私も退職直前には、「全く自由になると、果たして前向きに生きていけるだろうか」と、少し気になっていた。することはいっぱいあると思っていたが、有り余り自由の中で“やる気が起こるか”ということだけが心配であった。しかし、今のところ、やる気は持続している。私の日常は、義務的なこともあれば、自ら進んでやってみたいこともある。気分転換でテレビを見ることもある。しかし、農家に生まれた者の性(さが)として、何か地域や家族のためになることをやらないとその日の晩ご飯が美味しくないという気持ちだけは今も健在だ。

(日記 午前中は年賀状の図案を考えた。と言っても、キープしてある写真の中からいくつかを選んで組み写真にし、その下に自分の近況を簡単に書いただけだが。年頭に当たって、わずかでも自分らしさを発信したいと思うからだ。午後は、事務所で数学。合間に、ギター練習。自作のカラオケで練習している。新たなメロディーを覚えようと思うと、とても時間がかかる。昔と比べると、数倍は時間がかかるように思う。それは、覚えたと思っても忘れてしまってなかなか定着しないからだ。脳の体操だと思って、諦めずに楽しみながら、やっている。)

 
 

時間の使い方

19 12月

「生産的時間」と「消費的時間」
どうも、最近、我ながら時間の使い方がまずいように思う。日中は別に寝ているわけではないが、有効に時間を使っていないように思う。

忙しい現役時代のときの方が、上手く時間を使っていたように思う。わずかな暇を見つけて自分のやりたいことをやっていた。今は、朝の始動0が一定していないように思う。

午前中の半日は家のこと,午後の半日は主に数学の参考書作りをやっている。そして、夕方は、だいたい午後6時に終わることにしている。

夜は、のんびり過ごすことにしている。時々ビデオを見ている。ドラマは奇想天外な作り物はあまり好まない。一方、実話に基づくドラマは迫力があったり、訴えるものが多いと思っている。
テレビの朝ドラ『マッサン』もそういう意味では興味深い。

年末になると何となく、気ぜわしくなる。改めて勝間和代さんの言っておられた「生産的時間」と「消費的時間」が思い出される。単なる“暇つぶし的”な会合や付き合いは少なくして、「面白いこと」や「有意義な活動」、「健康作り」など“生産的な活動”に時間を使いたいものだ。

(日記 朝から午後3時過ぎまでピアノの楽譜作りをしていた。午後は、事務所で数学。時々、駐車場の除雪。少し動くと身体が熱くなる。家内は福井へ。一日があっという間に終わってしまった。)

 
 

ネットで楽譜を買う

18 12月

時代は変わった
私は、自分でカラオケを作ることがよくある。自分で作った曲でない場合にはやはり楽譜がほしい。できればコード(和音)が付いていた方がありがたい。昔は、テープレコーダーで楽譜を起こしたこともあった。

バンドの場合、かっこいいアドリブなどがあると、テープがすり切れるぐらいに何度も聴いて楽譜にしたものだ。

しかし、今は便利な世の中になった。パソコンで楽譜を購入することができる。例えば,ピアノ曲ならば、レベルは初級か、中級か、上級か、ソロの譜か、伴奏譜か、いろいろ選択することができるのだ。

今日も、ピアノ伴奏譜を1曲買った。以前にも何度か購入したことがある。支払いはiPhonenの支払いと同じにできる。支払い方法も決めて「購入する」をクリックした。

すると、暗証番号が送られ、それを入力すると我が家のプリンターで楽譜が印刷できるのだ。この間、わずかな時間だ。自宅に居ながら、好きな楽譜を入手できる。便利な世の中になったものだ。しかし、問題はこの楽譜をどう生かすかだ。

(日記 午前中は、除雪機で家の周辺を除雪。その後、資料整理。何度も整理しているので、かなり限界にきている。ここから先は、思い切って捨てるかどうかだ。午後は、事務所で数学。時々ギター。いつもと同じパターンだが、少しずつ前へ進んでいる。)

 
 

「できること」と「できないこと」

17 12月

「経験」の素晴らしさ
以前に、講演で聞いたことで今も頭に残っていることがある。年を重ねると、平たくい言えば年をとると、「~が劣る」、「~が弱る」、「~が悪くなる」、「~が鈍くなる」と“マイナス”のオンパレードになるとのことだ。聞いていて情けなくなった。その通りかもしれないとも思った。走るのも遅くなった。物覚えも悪くなった。指先の動きも悪くなった。

今日も、事務所で数学をしながら、時々ギターを弾いている。昔、といっても約50年前には簡単に弾けたギターのアドリブがうまく弾けない。弾き方はわかるが指先が音楽のスピードについていけないのだ。他にも、若いころに比べて劣ることがたくさんある。さて、先ほどの講演だが、聴いている人がガッカリしたころ、講師はことばを続けた。「年をとるとほとんどのことは劣っていくが、ひとつだけ劣らないものがあります。それは“経験”です」と言われた。

なるほどと一同納得した。経験、特に体験したことについては、若い者に劣るとは限らないかもしれない。大卒の保母さんがいくらがん張っても、子どもを産み育てたお母さんにはかなわないように。聞いた話ではなく、体験したことに理論が加わればさらに強くなるかもしれない。

選挙が終わったが、政治の経験も、実社会の経験も全くない候補者が親の「地盤」、「看板」、「かばん」を引き継いで政治家になってもその力は知れているだろう。経験を積み、勉強して、国民のために頑張ってもらいたい。そうでないと某総理の娘さんや某副総理の息子さんのように国民から見放されてしまうだろうから。

世の中には、いろんな経験を持った人達がたくさんおられる。しかし、その経験がほとんど活かされていないのは悲しいし、地域にとっても、国にとっても大きな損失であろう。

(日記 午前中は、年末に向けて資料などの整理。午後は、事務所で数学。時々、アンプで音を大きくしてギター演奏。腕の衰えを実感しているが、歌ができそうな予感がする。)

 
 

「ながら族」

16 12月

ラジオは友達
私は、作業をしているときは、ほとんどラジオを聴いている。主にNHKだ。番組の途中で視聴者のメールやファックスが紹介される。同感だと思われることも多い。

また、番組の途中で音楽も入る。いろんなジャンルの音楽を聴くこともできる。普段は自分からは聴くことのない音楽も聴けて楽しい。車の運転中も、ラジオを聴いている。

これまで作業中は、ほとんど、小型のラジオをポケットに入れていた。この場合は、モノラル放送でイヤホンも片耳だけに入れていた。周りの人とも会話ができるように音量もほどほどにして聞いている。 番組の途中でよく「ネットラジオ」が紹介されていた。

そこで、最近、手持ちの携帯にラジオを聴けるアプリを入れた。なぜか、ネットでは聴けない時間帯がもあるのが残念だが、聴ける時間帯は、とてもきれいに入るので楽しい。

いつもは、ラジオを聴いているが、自分からラジオ放送ができたらなあと真剣に考えた時期もある。地域の問題を数人で話したり、いろんな人を取材して紹介したりすれば楽しいだろうなと思う。地域の身近な問題について討論するのもいいだろう。地域の人達に「まちづくり」について考えてもらえる機会になるかもしれない。しかし、簡単そうで簡単ではないかもしれない。とにかく、私はラジオファンで、「ながら族」だ。

(日記 午前中は、最後の一台となるワゴン車にスノータイヤを入れた。昼過ぎに、そのワゴン車で定期検診のために福井へ向かった。楽器屋へ寄り、あちこち用事をして、済生会病院へ。検診の結果の数字は横這い。まあまあとしなければならない。最近歌作りに飢えている。かなり、やる気がたまってきたと思っている。)

 
 

選挙は終わった

15 12月

これからがほんとうの勝負
日が変わるまで選挙開票速報を見ていた。今回の衆議院選挙は自民党を中心とする与党の圧勝に終わった。野党には勝ったが、国民に勝ったのではない。一時、任されたに過ぎない。国民に対しては、これからが、本当の勝負かもしれない。

与党が自信を持って言い切った「アベノミクスの成果」がこれから本当に地方に及ぶのか。アベノミクスが本当に成功しているのか。これから消費税を10%にあげる時までにその成果が出るかどうかが問われる。

難しいのは経済の問題ばかりではない。様々な問題が山積している。その取り組みによっては、国民から見放されかねない。だからといって、支持が野党に行くとも限らない。

これから、一番怖いのは政治不信ではなかろうか。若者達の多くが、支持する政党がなくて、路頭に迷っているのでなければよいがと思ってしまう。

政治家全体に問われているのは、「信」の一字ではなかろうか。信頼さえあれば、多少の増税はやむを得ないと思える。先進国の中にも、まだまだ重税の国がある。しかし、政治家に信頼感があり、国民同士が支え合っていると思えればそんなに不満は出ないと思う。与党の船出に当たり拍手を送ると共に、今日からは、ノーサイドで国民のために頑張ってもらいたい。

(日記 午前中は部屋と資料のの整理。その後、楽譜作り。午後は、事務所で数学。そして、時々アンプを通してギターを弾く。毎日、同じ事の繰り返しだが、少しずつは進んでいるように思う。そして、それなりに楽しい。午後7時半から『じいちゃん勉強』。)