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休養日

24 3月

頭のMRI
世の中、変わったなあと思う。身体の見えないところを見ることができるようになったからだ。この前は、CT、今日はMRIだ。二つの区別がよく分からない。今日は、頭のMRI を撮るというので済生会へ行った。

CT(コンピューター断層撮影)検査は、寝台に寝ている患者にX線を照射しながら身体の周りで機械を回転させ、人体を透過したX線の量をコンピューターで解析して、人体の輪切り像(横断面)を作る装置だという。この装置の進歩は近年著しく、装置の高速化と検出器の飛躍的な進歩によって、より短時間に、より広い範囲を、しかもより細かく撮影できるようになたっという。

一方、MRI(磁気共鳴画像診断)検査は、磁石と電磁波を使って人体のあらゆる断面を撮影する検査だという。CTと比べてX線被曝を受けることなく、あらゆる断面を撮像でき、病変の検出率が高いという。しかし、撮像時間(検査時間)が長いこと、またペースメーカーや体内金属のある患者には検査できないこと、検査時中の音がうるさいという欠点があるという。

昔は、それこそ土管のような細い所に台車で入って検査したものだ。そのため、閉所恐怖症の者は困る。私も、昔の機械では恐怖心を感じた。昔に比べれば今の機械はかなり開放的である。しかし、気持ちのよいものではないし、 音もかなりうるさい。

検査は午後2時半で医師の説明は翌日ということで帰宅した。頭がふらふらしてなにもする気がしなかった。こたつに入って、テレビを見たり本を読んだりしていた。ここ数日は「休養日」と決めてのんびりすることにした。健康の有り難みが分かるここ数日だった。

(日記 午前中は、頭がふらつくのでこたつに入って休養。家内に運転してもらって福井の済生会病院へ行き、午後2時半頃、頭のMRIを撮った。帰宅しても休養。何もしないと決めた。)

 

 
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異動の季節

23 3月

期待と不安の季節
三月は異動シーズンであり、期待と不安の入り混じった季節だ。若いころは、先ず分の異動が気になった。「今度は異動があるのだろうか、ないのだろうか?あるならどこか?」

転勤後の期間が短い場合には、自分の異動はないが、「誰が転出し、だれが転入するのか」が気になったものだ。特に、管理職の異動がありそうだと、また、気になったものだ。

同期に入った者や一緒に働いた仲間の異動にも関心があった。そのうちに、少しずつ立場は、異動に関わる立場になり、本人の希望する地に異動させてあげたいと思っても、すべての願いを実現することができずに苦労した時期もあった。

今は、全く傍観者の立場で、かつても後輩たちの異動を見守っている立場だ。かつての仲間も、次々と退職するようになる。その後、何をしているのだろうかと気になるところもある。

年齢で区切られているために、まだまだ現役以上の働きをすると思われる仲間も後輩に道を譲って退職者としての次の人生を歩んでいるようだ。一部は、私学の講師をしているようだが。

4月は、こうした異動以外にも、進学や就職で、がらりと生活環境が変わる場合がある。また、自分が新しい職場へ移動した場合には、マンネリから抜け出せるチャンスであり、新しい仲間と出会える可能性もあり、不安より期待が大きい場合もあった。とにかく、4月は、期待と不安を持った「旅立ちの季節」」であることは間違いない。

(日記 起床直後、頭を動かすたびに目まいがする。このままでは何もできない。その上、少し頭痛。家内に運転してもらって済生会へ。「目まい」専門の医師に診察を受ける。明日、頭のMRIを撮ってもらうと決めて帰宅。全く何もせず、こたつで過ごす。)

 
 

神社の清掃奉仕に思う

22 3月

いよいよ春本番か
今日は先ず社会奉仕。私の班は林道の整備作業だったが、まだ雪が残っているので、神社の清掃作業。杉葉や欅の葉が神社の境内いっぱいに落ちている。

竹製の熊手で寄せ集めて燃やした。熊手も二種類ある。金属製と竹製の二種類あるが、金属製は今日のような清掃には不向きだ。葉っぱが熊手の針金に引っかかって作業がし難い。昔ながらの、竹製のものが比較にならないぐらい使いやすい。

この神社だが、子どもの頃はラジオ体操の場であり、体操の後は、ソフトボールをして遊んだものだ。また、秋祭りになればりになれば、子どもの頃は、相撲を取ったり太鼓を叩いたりしたものだし、若い頃には、盆踊りやフォークダンス(秋祭りにはどこの祭りにもあった)をしたものだ。

盆取りには、夜空が白む朝まで夜通し踊った経験がある。今でも、「郡上おどり」の郡上八幡や「おわら踊り」の八尾では朝まで盆踊りをしているようだ。また、祭りの期間も3日か4日はあった。

こうしたことも今ではみんな廃れてしまった。神社の境内は昔のままだが、神社への関わりは大きく変わってしまった。その分、故郷への思いも、薄れていくことだろう。時代が進むということは、何もかも捨てて進むことだろうか。人の心は進むことなく、時代は温かさを失っていくように思えてならない。神社の清掃をしながら、時代の変化を感じずにはいられなかった。

(日記 午前8時より区の社会奉仕作業。午前10時半より区の定期総会。その後、懇親会。午後2時過ぎから、事務所でのバンド練習を見に行く。短時間しか練習をみることができなかった。みんがが帰ってから、しばらく楽器(ウインドシンセ)練習。忙しい一日だった。)

 
 

数学教室

21 3月

まだ役に立つなら応援したい
これまで村の高校生から数学を教えてほしいと頼まれ、何度か教えてあげたことがある。今回は、隣の高校生が、春休みに質問してもよいかということだった。

それなら、数学をもう少し分かりたい(数学の少し苦手な)高校3年生を相手に、無料の「数学教室」をやりたいとメールで返事をしておいた。退職してからずっと数学の参考書作りをしているので高校生にモニターになってもらえればという気持ちでいる。

私の参考書が高校生に役立つかどうかを実感してもらいたいからだ。私としては、自信を持っている。野球を例に取れば、キャッチボールが十分でなく、バットもうまく振れなくて、野球のルールも知らない者が練習試合ばかりしていても野球は上手にはならないと思う。

やはり、基礎をしっかりと身に付けておいてほしい。そうすれば、後は考えるだけだからだ。何が基礎か、それは現役時代にずっと記録しておいたので自分は分かっているつもりでいる。最後の奉仕として数学の苦手な生徒の手伝いができればと思っている。問題は、どうして私が手伝いのできる生徒を見つけるかだ。そこの所を考えて実行に移したい。

(日記 頭や身体の節々が痛い。それでも明日の軽音学部OB会の練習のための楽譜作り。一日かかってしまった。楽器も少し練習したが、どうも昨日の転倒が悪影響を及ぼしているようだ。気持ちが晴れない一日だった。昨日採ったフキノトウは美味しかったが。)

 
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不覚

20 3月

ぬかるみに足を取られて
ウオーキングを兼ねて、フキノトウを採ろうと山道を歩いていた。道の両側にはまだ雪が残っている。片方は川、片方は山が迫っている。

道には雪解けの水が流れている。山からの泥も流れ込んでいる。ズックの底から水が染み込み始めた。次の瞬間、アスファルトの上のぬかるみに足を取られて転んでしまった。そして、頭を打った。

次の瞬間、以前に手術をした硬膜化出血を思い出した。5年ほど前だが、慢性だったので手術で血を抜くことができた。激烈な頭痛で命拾いをした。

急性の場合は命が危ないと言う。某タレントは急性の硬膜化出血で命を落としているのだ。なんとかなるだろうと思い、帰宅してシャワーを浴びて寝ていると目が回る。

家内に運転してもらって救急で前回手術をした済生会病院へ。CTを撮ってもらったが、急性ではなさそうだ。頭はふらふらするが帰宅した。まったく不覚であった。帰りにヘルメットを買って帰った。遅かったが……。

(日記 午前中はバンドの楽譜作りと楽器練習。午後は、ウオーキングを兼ねてフキノトウ採りに。転んで頭を強打。福井の病院へ行った。ついてなかった。)

 
 

地域の活性化を目指して

19 3月

今年度最後の定例委員会
午前9時より、今年度最後の「猪野瀬地区活性化委員会」の定例委員会。テーマは、地区の活性化を目指してお盆の前あたりに、何かイベントを実施できないかということあった。

ただし、このイベントは、運動会や文化祭のように、猪野瀬地区の各種団体に義務的に関わってもらうのではなく、協力していただける者を募って実施できないかということだ。個人であれ、団体であれ自ら楽しんで参加してみたいという者で実施できないかというものだ。

内容は、地区の人たちが地区の素材で作ったスイーツや加工食品等の販売、地区特産の野菜などの販売、それから「地域力向上基金」」で購入したフライヤー、鉄板、綿菓子機、ポップコーン等の機器を使った屋台、焼き鳥、フリーマーケット等々の模擬店。

そして、午後は、各種の芸能等の舞台発表。そして、夜は盆踊り。一番の狙いは、地区の人たちの「生き甲斐ビジネス」」を行うことと、出会いの場の提供だ。

こうした中で、猪野瀬地区の特産物が生まれることを期待したい。地域のブランドを育てることができればと思う。「若猪野のメロン」、「北市の水菜」、「片瀬のショウガ」・・・、そして地域の食材を使った加工食品、・・・。約2時間半、楽しい時間を持つことができた。まだ案の案だが、実施に向けて少しずつ前進したい。

(日記 午前9時半より猪瀬公民館で「活性化委員会」。午後は、約2時間、久々に数学。その後事務所で楽器(ウインドシンセとドラム)練習。あっという間に一日が終わってしまった。)

 

繰り返すこと

18 3月

繰り返すことに感謝
つい先日、雪囲いをしたと思ったのにもう3月中旬。あちこちで春の足音が聞こえる。今日は気温も高くなるというので、雪囲いを外すことに決めた。

ただ、庭木だけはもう少し今のままにしておきたいと思う。雪が降らないとも限らないからだ。午前中に、家の前後の雪囲いを外した。

毎日もそうだが、1年も繰り返している。繰り返しを感ずるのは、家庭菜園などの農作業、雪囲い、そして、種々の地域の行事だろう。

毎年、種々の行事や日々の暮らしを繰り返しているが、これらを繰り返していられることを喜ばなければならないと思う。繰り返されなくなったら、大変だ。

平凡な日々の繰り返しの中で、「毎日パワー」を信じて、いくつかのことにチャレンジしているが、それらの進み具合や出来具合が単調な日々の暮らしに変化を与えていてくれる。退屈しないでいられるのはこれらがあるからだ。これからも、自分の能力に合わせて、小さなことから積み重ねていきたい。

(日記 午前中は、雪囲い外し。例によってラジオを聴きながらの作業だった。午後は、バンドの編曲作業。各自の演奏能力もあるので楽譜作りは難しい。)

 
 

銭太鼓と紙芝居

17 3月

ボランティア団体の会合に参加して
四十数年間、県内外で餅つき等のボランティア活動を行っている鹿谷の「志愛クラブ」の会合に、いつも練習を見ている会員がアトラクションとして銭太鼓を演ずるというので伴奏係として同行することになった。

せっかく銭太鼓の伴奏に行くのなら、ついでに何かしましょうということで家内と創作紙芝居を演ずるえんずることになった。

久々の好天で会場は非常に明るく、ほどほどに人数もいるのでパワーポイントで紙芝居を演ずることにしたが、映像が明瞭ではなかった。絵を描いた者としては残念であった。

しかし,喜んで下さる人達もおられて少し安心した。その後、昼食を挟んでぜに銭太鼓の演技が行われた。家内は歌で、私は鳴り物(長胴太鼓・締太鼓)で伴奏を務めた。

ここ数日、紙芝居の手直しには相当の時間を費やした。しかしながら、自分の満足するレベルに達するまでにはまだまだ時間がかかると思われた。今後は、東日本大震災が風化しないようにするためにも、現場で聞き取りをしながら創作紙芝居が作れたらと思う。

勉強を終えての語らいは楽し。

勉強を終えての語らいは楽し。

(日記 午前中は、ボランティア団体の会合で創作紙芝居と銭太鼓を演ずる。ここ数日、このためにかなりの時間を費やしたと思う。帰宅して、自分の車のスノータイヤを入れ替えた。今日は非常によい天気。いよいよ春も本番だ。夜は、孫の「爺ちゃん勉強」。)

 

 
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事前練習

16 3月

銭太鼓と紙芝居発表
明日は、ボランティア団体の会合で「鹿谷すいせんサークル(銭太鼓)」が
銭太鼓の発表することになっている。私と家内は、唄と鳴り物(長胴太鼓・締太鼓)で応援することになっている。

今日の午後、鹿谷公民館で合同練習をした。ストリートアンプと太鼓を持って鹿谷公民館へ出かけた。鹿谷の皆さんはメンバーの入れ替えを繰り返しながら銭太鼓を今日まで続けている。

半分以上のメンバーが足や腰が悪いがそれでも練習を続けている。その熱意にほだされて私は練習を見ている。音楽に合わせて何かをするということは、脳にとっては高度な作業だと思う。

やめる理由はたくさんあっても、続けている熱心さに私も見習うところが多い。明日は、銭太鼓の他に私達夫婦は、創作紙芝居『親鸞聖人物語』を演ずることになっている。

銭太鼓の帰りに明日の会場となる温泉センター「水芭蕉」の大広間を見に出かけた。明日はパワーポイントを使うために会場の明るさを調べたかったからだ。残念ながらに薄手のレースのカーテンがあったが、会場は非常に明るく、プロジェクターを使うには不向きにはあった。せっかくの紙芝居の絵が生きないのでは心配になった。

(日記 午前中は紙芝居の仕上げ作業。午後は鹿谷公民館で銭太鼓のグループとの合同練習。その後、会場に下見。夜も紙芝居の仕上げ作業と紙芝居の読み合わせ練習。ここ数日かなり忙しかった。)

 
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永代経

15 3月

子どものことから寺(道場)に親しんだ世代
私達、70歳前後より上の世代は寺(道場)に親しんだ世代であると思う。というのも、私達が子どもの頃は、道場が宗教活動の場であるばかりではなく、集会場として各種の会合が行われたり、文化会館として巡回映画や芸能発表を行った場所である。

また、夏休みにはトランプなどをして遊んだ場所であり、ソロバンを習ったり勉強をした場所である。村の大人や子どものたまり場だったのだ。

今は、ほとんど宗教関係の場となった。今日は『永代経』だ。「永代経」は「先祖への永代の追善供養」という意味もあるが、浄土真宗における「永代経」は、「先達・先祖を御縁として私が経(教)を頂き未来永代に伝える」という意味もあるとのことだ。

言い換えれば先祖のおかげでこうした村のみんなが集まることができ、私達がお経を聴くことができたとも言える。最初は文字通りお経をあげられたが、その後はほかのお寺から招いた住職による「説教」だ。

自分を見直すよい機会にはなった。両親が早くなくなったので、お寺へ顔を出す機会は他の人たちよりも多いかも知れない。今日は家内と一緒だったが、自分にとってはよい機会だったと思う。

(日記 午前9時半より道場での『永代経』に出る。途中で説教を聞く。午後は、紙芝居の絵を描く。作業は夜まで続いた。)