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東西政治合戦

28 12月

東京では
   今日は、年末大掃除の一環として、我が家のワゴン車と軽トラックの洗車と室内清掃。その間、ラジオを聴いていたが、定時のニュースになるたびに、民主党議員の離党問題が放送されていた。 「来るべき日が来た」ということで、私は別に驚かなかった。むしろ遅いくらいだろう。政治屋の皆さんは、次の選挙を視野に入れておられることだろう。

  野田首相が目指す消費税増税などに反発する民主党の内山衆院議員ら9人が28日午前、国会内で樽床幹事長代行に離党届を提出したのだ。そして、すでに党除籍(除名)となっている松木衆院議員と新年早々新党結成に向けて連携する意向のようだ。

   野田政権にとって大きな打撃となる。党執行部は離党をとどまるよう慰留に務める方針とのことだが、決意は固そうだ。若手議員たちは来年に衆院選が行われるのを見越して既存の政党にいるよりも、当選の確率が高いとみたのだろう。

 消費税増税にこだわる野田佳彦首相の下よりも生き残る確率は高いと、党を見限ったと言えそうだ。来年には民主党が空中分解する可能性も出てきた。その際、どこと連携するかが一番の問題だ。小沢氏の動向も注目される。

  東京都の石原知事の動きも気に掛かる。東京都知事で一生を終わるのか、それともラストチャンスで再び国政に復帰するのか、全くの夢物語ではなかろう。それにしても、野田政権、並びに民主党の前途は多難だ。

大阪では
   一方、大阪ではダブル選で当選した大阪市の橋下徹市長が、午後、就任後初めてとなる市議会本会議に臨み、施政方針演説を行った。そして、いつもの橋下節を披露した。

   「大阪市民の意向を受け、私は大阪に新しい自治の仕組みを作り、大阪から日本を変えていくことに取り組みます。……。まずは広域行政にあたる大阪府と基礎行政にあたる大阪市の役割分担を明確にします。そして、民間でできることは民間に任せます。」と持論を展開した。

   こちらは、東京都は逆に自信満々の船出である。方や支持率を下げ続けている野田政権、方やダブル選圧勝の橋下大阪維新の会代表。国民の注目は東京と大阪に集まる。特に大阪市議会では傍聴席は満員とのことだった。

 「これまでは市民、府民不在の不毛な縄張り争いで大阪のパワーが分断されてきました。……。アジアとの競争に向かう今、大阪のパワーを分断させてはいけません。これが私の危機感です。私に与えられた使命は大阪を再生させることです。明治、大正、昭和と続いてきた府市100年戦争に松井一郎大阪府知事とともに終止符を打ちます。」

  市民、府民の民意をバックにした橋下氏の方が現時点でははるかに勢いがある。何かをしてくれそうな期待感がある。何かを変えてくれそうな期待感がある。次々と改革を進めている。大阪市役所は御用納めどころではなさそうだ。

  それに対して、米軍普天間飛行場の辺野古移設に向けた環境影響評価書を運送屋に提出させようとした現政権は沖縄県民の怒りを買っている。沖縄県民ならずとも早朝の政府の“奇襲”に怒りは頂点に達しているようだ。

  この先、日本はどこへ向かうのだろうか。私には、政界再編は避けて通れないように思われる。そして、一地方であるはずの橋下大阪市長の動向は国政に大きな影響を与えそうな予感がする。支持率の上昇と下降の差だろうか。

玄関前で除雪機の試運転。あれこれ操作しなければならず、結構難しかった。

(日記 朝一に今年購入した除雪機の試運転。運転は、簡単そうで意外と難しい。前進後退とその速度調整。除雪(回転)部分の角度調整、雪を飛ばす方向と角度調整。これらを常時に設定するのは結構頭を使う。30分ほど動かして少し慣れた。その後、2台の車の洗車と室内清掃。午後2時頃までかかった。遅い昼食をとり、子ども太鼓の楽譜(冊子)を完成させて保護者に渡した。CDと共に使えば親子で自主練習も出来る。帰宅してからは、自作童話の紙芝居作り。また、午後、横浜の孫達に正月の餅などを郵送した。)

 
 

新聞スクラップ

27 12月

全部揃えた新聞連載小説『親鸞-激動篇』
   私は、今でもスクラップが好きだ。いつかは何かの役に立つだろうといろんな分野でのスクラップをしている。そんな中で、今年1月1日より福井新聞で五木寛之氏の『親鸞-激動篇』の連載が始まった。

  そこで私は、この新聞小説『親鸞-激動篇』をスクラップすることを決めた。このような有名な作家の新聞小説は、後日、単行本になるとは考えたが、新聞のように1回分ごとに挿絵が付くことはないだろうと考えてスクラップを始めた。

   数日まとめて切り取るために、新聞が見当たらない場合もあり苦労した。また、あっという間に数日が経ってしまい、何枚も切り取らなければならなかった。

   休刊日を除く毎日の連載だったが、12月11日336回を持って最終回となった。この小説は、親鸞が流罪先の越後から常陸の国へ移住し、関東で教えを広めていく日々が描かれ、京都に戻ろうと決意するところで終わっている。

   我が家の宗教も浄土真宗で、幼い頃から村にある道場で様々な宗教的活動に参加してきた。また。今から数十年前は、村の道場は宗教の場であり、村の文化センターでもあった。無声の巡回映画もこの道場で上映された。

1月1日から12月11日まで全336回の新聞小説『親鸞-激動篇』。中央左は初回、中央右は最終回の切り抜き。

   そんな中で、親鸞聖人の名は何度となく聞き、その活動の一端は説教などで聴いてきたがなかなか理解しがたいものがあった。

  私は家にいる限り毎朝仏壇にお参りし、同時に先祖への想いを新たにしている。仏間には、早くなくなった両親の写真もあり、毎朝欠かさず挨拶している。

  そんな中での、『親鸞-激動篇』の連載である。迷わずスクラップをすることにした。しかし、こうしたスクラップは私だけではない。インターネットでそのことを知った。

  物質文明が行き詰まり、自分さえよければ、自分の国さえよければという時代は終わりを告げようとしている。今や世界は混沌としている。物欲だけでは満足な人生を送れない事は、みんな知っているはずなのに、相変わらず物や金を追いかけているように思えてならない。

  情報には表裏があり、特に為政者は表の情報しか出さない。原発事故の報告書でもそのことがよく分かる。民主党は分裂気味になってきた。そんな中で、大阪市役所は活気があるように見える。さて、どうなる事やら。

(日記 朝一番に餅つき。その後、餅米を精米するために、ホームセンターへ。そして、年賀状を100枚追加購入。枚数を減らそうとしたが簡単ではない。昨日と今日の二日で年賀状を書き終えた。ミニコメントを付け加えて。夜、今日2回目の餅つき。)

 
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年賀状あれこれ

26 12月

どこで“自分らしさ”を出すか
  年賀状を書く時期になった。と言うよりも、少し遅いぐらいだ。以前は、ガリ版で刷っていたので印刷するだけでも相当の時間がかかった。その上、住所を書くとなると、さらに時間がかかった。年賀状を書くのは、楽しい反面、憂鬱でもあった。

昭和55年の年賀状

  しかし、最近は、パソコンが発達し、写真などもカラーで自由に印刷できるようにあった。その上、住所も一度入力しておけば、宛名まで書いてくれるのだ。しかし、そのまま出すのはさみしいものだ。

  私も、若い頃は干支などの版画を彫り、自分で印刷していたのだ。多少オリジナリティーはあるものの個性はあまりないように思われる。どんなに干支などがきれいに印刷されていてももらう側からすれば個性は感じられない。誰から来たと名前を見なければ分からない。

  私も、昭和50年頃から、自分らしさを出すために手書きのカットを入れガリ版で印刷していた。昭和54年には生後10ヶ月半の長女のカットを、次の昭和55年には長女と生後4ヶ月の長男のカットを入れた。

   その後、昭和60年までは、成長した長女と長男のカットを入れ続けた。そして、昭和61年には生後3ヶ月余りの次女が加わり、3人の子どものカットとなった。

  翌年の62年の年賀状には家族5人のカットを入れた。手描きのカットはここで終わりとなった。その後、昭和63年から平成6年までは、子どもや家族の白黒写真を印刷屋にお願いして年賀状を作った。

昭和61年の年賀状

 そして、平成7年からカラー写真を印刷屋で頼み、平成8年は忙しかったのかカットを印刷屋にお願いして年賀状を作った。平成9年からは全て自分で写真をカラー印刷して年賀状を作り、今回に至っている。

  この家族写真スタイルは、少しずつ変化していった。自分の関わった行事などの写真を家族写真と共に掲載し始めた。そして、を平成18年からは孫が年賀状に登場し、家族写真も少しずつ賑やかになっていった。

  我が家では、いつ年賀状の家族写真を撮るかが問題だ。というのも、息子の仕事の関係で、息子の家族が3年前に横浜へ移ってしまったからだ。帰省の際、私達が横浜へ出かけたとき、家族旅行の時などにかろうじて撮影しているといった具合である。

  我が家の年賀状は我が家の歴史でもある。今日から、この楽しくて苦しい年賀状作りの作業が始まった。午前中は、デザインを考え、印刷開始。そして、住所を印刷し、それぞれのはがきに一言コメントを書くのだ。今日の作業は、午後9時半に終えることにした。

平成15年の年賀状

(日記 終日、年賀状作りと年賀状書き。かなり疲れた。明日もう一日頑張らなければならないだろう。昼、かまぼこ状に長くした餅を切った。私は餅が大好きだ。)

平成22年の年賀状

 
 

年金制度とネズミ講

25 12月
   日曜の朝は「新報道2001」とNHK「日曜討論」から
 
日曜日は、特別に用事がない場合には、二つの番組を見ながら一日を始めることが多い。二つの番組とは「新報道2001」とNHKの「日曜討論」だ。今日は、橋下大阪市長も番組に参加していた。その中で、私と同感だと思う発言があった。

   その一つが年金問題についてであった。今の年金制度のもとでは、勤労者が高齢者を“3人で一人を支える騎馬戦”の時代を経て、最後には“一人が一人を支える肩車”の時代に移るという。 

  いくら何でも、一人の勤労者が一人の高齢者を支えることなどできるはずがない。近い将来、今の年金制度は破綻するのだ。それはちょうど「ネズミ講」のようなものだ。今の若者が高齢者になる頃には十分な年金は支給されなくなるのだ。 

 「ネズミ講」とは、加入者がねずみ算式に会員を増やすことにより、加入金額以上の金銭を得る一種の金融組織だが、いずれは破綻するということで昭和53年に制定された「無限連鎖講の防止に関する法律」(通称、ネズミ講防止法)」で禁止された。 

   ネズミ講は、加入者が限りなく増加することが前提となっており、1人が2人ずつ勧誘した場合には、この仕組みを続けようとすると、28代目で日本の人口を超えてしまい、先行した一部の会員を除き、大多数の会員は自ら支出した金額すら回収できず、結局は破綻してしまう為に禁止されたものだ。 

  今の年金制度も、今のままではかけた分の金額はとうてい受け取ることができず、いずれ破綻してしまう。経済が右肩上がりで若年人口が増加していくことが前提となって設計されているからだ。そんなことから、私は、今の年金制度はネズミ講のようなものだとこれまで思っていた。 

  ところが、今日のテレビで橋下市長は「現在の年金制度はまさに“ネズミ講”そのものだ」と番組の中で2度も発言していた。いずれ行き詰まってしまうからだ。先行きも考えず、これまでは杜撰な制度と杜撰な取り扱いで問題を先送りしてきた関係者の猛省を促したい。 

  だからといって短絡的に“増税”と言っても、納得する国民はいないだろう。それでも総理以下与党は、増税路線を歩もうとしている。次の世代(今の若者)を納得させる制度設計を行ってほしい。そうでなければ混乱を極めるだけになってしまう。 

餅つきの後、つきたての餅を味わう。「おろし餅」、「きなこ餅」、「あずき餅」を子どもも大人もたくさん食べた。

(日記 午前中、部屋の整理整頓と子ども太鼓の楽譜書き。午後は、第1回目の餅つき。東京にいる息子の家族に送るためだ。助っ人に、福井から長女の家族がやってきた。いつもとは違うメンバーで餅つき。2回目は、例年通り30日に餅つきを行う予定。お鏡さんや雑煮のための餅つきだ。いよいよ今年も終盤戦になってきた。年賀状も書かなければならないし……。夜、食事の後、ミニクリスマス。そして、長女家族は雪の中を福井へ帰っていった。)

長女家族とクリスマスソングを歌ってミニクリスマス

 
 

借金大国日本の行く先は?

24 12月

 42兆円の税収で94兆円の新年度予算
   2012年度の予算案が今日決定。新年度の一般会計の歳出規模は90兆円余となり、税収の42兆円では足りないため新たな借金である新規国債を44兆円余発行するという。

   このほかに、東日本大震災の復興費用を一般会計とは別に3兆7700億円計上しているのである。一般会計と復興会計を合わせると新年度の当初予算の規模は約94兆円となるのである。

  個人の家庭にたとえると、年収420万円の家庭が、新年度900万円余りを使うために、足りない部分は借金と言うことになるのである。それが、毎年続くのだから、借金は増える一方である。家庭なら、民間ならこんなことは許されないだろう。

  そこで、増税ということになるのである。それが国家であるから許されるのだろうか。それとも、選挙前のパフォーマンスで曖昧になり、さらに借金を積み重ねて行くのだろうか。破綻するまで。

  国を治めるということは簡単ではないとは思う。ただ、はっきりしていることは少子高齢化はますます進み、財政状況は悪化の一途をたどることになる。こんな時、政治家、いや政治屋はどこを見て政治を行うのだろうか。

  少なくとも、国民全体のことを考えているようには思えない。特定の団体、自分の選挙、自分の党を支援してくれる組織に向けて行動するのではなかろうか。

   大衆迎合のポピュリズム(政治に関して理性的に判断する知的な市民より も、情緒や感情によって態度を決める大衆を重視し、その支持を求める手法あるいは そうした大衆の基盤に立つ運動)に走るのだろうか。

   財政再建はいつまでも果たされず、借金は雪だるま式に増え、最終的な「つけ」は国民に回されるのではなかろうか。そんなときでも、官僚の皆さんは既得権益をしっかりと守っていくであろう。「公」と「民間」の大きな違いであろう。電力会社もまた一つの「公」として振る舞っていくのだろうか。

今年最後の太鼓練習を終えてミニクリスマス。クリスマスケーキの上に立てられたろうそくの炎を見つめる子ども達。

(日記 午前中は部屋の整理。と言っても、主にこれまで整理した「モノ」の再整理。パソコンのソフト屋付属品、各種の筆記用具(マジック、色鉛筆、.サインペン、鉛筆……)、カセット類、ビデオテープ類、楽譜(演歌・ジャズ、ハワイアン、映画音楽、民謡、和太鼓、自作曲、……)などを整理し直し、箱に名前を書いて入れた。午後は、子ども太鼓の自習用CD製作。冬休みに練習してもらうためのものだ。午後4時より今年最後の“親子太鼓”の練習会。10分ほど早く練習を終え、ミニクリスマス。ケーキにろうそくを立て、チカチカ光るイルミネーションを点け「きよしこの夜」と「ジングルベル」を歌った。この太鼓を初めて約8ヶ月。今年も子ども達やその保護者とは身内のような関係になってきた。来年2月の出番までには今練習している曲をマスターしたい。そのために、子ども達に練習用CDを配ったのだ。帰宅してクリスマスバージョンの夕食。)

 
 

「のまりんのかみしばい」を見て

23 12月

「のまさん」の表情の豊かさに感服
   午後1時半過ぎに、市立図書館で行われた「のまりんのかみしばい」を見るために、家内と二人で出かけた。幼児や小学校低学年とその保護者が集まっていた。

  ユーモアたっぷりの前置きがあって、紙芝居が始まった。参加者が幼児から大人までいる中で、紙芝居の演目選びは難しかったのではなかろうか。簡単なものから民話風のもの、童話風のものまでを軽妙な語り口で参加者を引きつけていた。

  さすがは年間200数十回紙芝居を10年余り演じているだけに、素晴らしく、私達夫婦には大いに参考になった。私が感心したのは、次のような点だった。

表情豊かな「のまりんのまみしばい」。子どもも大人もすっかり紙芝居に引き込まれてしまった。大いに参考になった。

・紙芝居の選択と組み合わせ。
・声の抑揚、演者の表情の豊かさ。
・間の取り方、紙を引き抜くスピード。
・聴衆を引きつける声、歌のうまさ。
・何気ない会話でのユーモア精神。
・聴衆に与えるわくわく感。
・手遊びのジェスチャーとおもしろさ。

  学ぶことがたくさんあった。私も、今後の活動の一つとして紙芝居を考えている。「のまさん」と同じ道を行くのではなく、「のまさん」の良さを学びながら、私達のオリジナリティーを大切にしたい。

  できれば、紙芝居は“オリジナル”なものにしたい。内容は次のようなものが考えられる。
・教育的なもの、例えば、子育ての参考になるもの
・オリジナル童話や民話など
・歴史的なもの,例えば「白山平泉寺物語」や「泰澄大師物語」
・クイズ的なもの(「かくれんぼ」シリーズ)

  対象も、乳幼児、幼児、児童・生徒、大人……を考えて創作したい。「白山平泉寺物語」はすでに、大人や子ども相手に演じたことがあるので、すでに絵を描き終わっている「泰澄大師物語」も、早く脚本を完成させたい。

  また、既存の「手遊び」に加えて「オリジナル手遊び」も考えてみたい。私もすでに紙芝居路線を歩み始めているが、今日の「のまさん」の紙芝居は参考にすることが多かった。大いに勉強になった。

横浜の孫達とウェブカム。パソコンのお陰で一緒にいるような気持ちになれた。テストを見せる姉。キーボードを弾いてくれた妹。

(日記 午前中、事務所で自作の童話の資料整理。午後2時より「のまりんのかみしばい」を見るために家内と二人で市立図書館へ。さすがはプロ。参考になることが多かった。午後7時より家内と二人で横浜の孫達と「ウェブカム」。会って一緒に遊びたい。今日は家内の誕生日。明日クリスマスと一緒に祝いたい。)

今日は家内の誕生日。子ども達から送られた服を着て喜ぶ家内。

 
 

大掃除とビデオの整理(デジタル化)

22 12月

遅々として進まず
   部屋の掃除や整理をしながら、長年撮りためたビデオテープをデジタル化する作業を始めた。作業を始めて見ると今が限度だと思った。テープが劣化していて時々切れてしまうのだ。

  早くDVDに焼いておかないと全てが無駄になってしまうところだ。ビデオテープにも二通りあった。大きいビデオテープと小さいビデオテープだ。それぞれテレビに映しながらの作業だった。

  今日デジタル化したものは、約20年前のものが多かった。子ども達は、長女が中学生、長男が小学生、次女が保育園だった。映像を見ていると、私達親がとても若いこと、そして、3人の子どもの子育てに夢中だった。

  しかし、苦労よりも楽しさや喜びを感じることが多かった。まだこの時期は子ども達が将来どうなるかというようなことを考える心のゆとりがなかった。その日その日を一生懸命生きてきたという感じだ。

  はっきり言えることは、子ども達のお陰で、あちこちへ出かけることが出来たのだ。動物園、遊園地、幼・小・中の運動会、保育園のクリスマス、……。家内も、運動会では走ったり踊ったりとそれなりに楽しそうに参加していた。

  自分の現職時代の映像も出てきた。別人であった。年月は進んでいる。年は確実にとっているのだ。一日一日は自分の変化を見つけられないが、10年、20年、30年、……前と今を比べるとその違いは明らかだ。自分も周りの者も。

ビデオテープをデジタル化して、ラベル印刷をしているところ。

  こうなると一日一日を大切にしなければと思ってしまう。退職してから1年と9ヶ月が過ぎようとしている。今の自分の反省点は、間口が広すぎるということだろうか。もう少し焦点を絞って、力を入れるところ、軽く流すところを区別しなければと思ってしまう。

  手薄になっているところは、数学や創作活動だろうか。時間がたくさんあると思うと、ついつい時間を無駄にしてしまう。今年を総括して新年度に向けて何を優先するかを考えてみたい。楽しいビデオテープのDVDである。

(日記 朝から部屋の掃除とビデ-テープの整理。子ども達のいろんな映像を見ることが出来た。自分の昔の姿に月日の経過を感じた。月日は全ての人に平等に流れている。流れに乗るか。流れに流されるか。時には流れに身をマカさえ、時には、流れに逆らってでも自力で泳ぎたいものだ。)

 
 

マニュル理解の困難さ

21 12月

知っている人に学ぶのが一番
パソコンを活用しようとすると、その目的によっていろんなソフトを使いこなさなければならない。誰かに教えて貰うことはいいことかもしれないが、時間、費用、指導者などいろんなことを考えるとなかなか難しい。

そこで、マニュアルで理解しようとするが、これが簡単ではない。どうにかこうにかビデオカメラで自分で撮った映像は、編集できるようになった。

ところが、DVDなどで映像データを貰った場合には、ファイル形式の違いなどがあって、簡単に映像編集ソフトで読み込むことができない。と言うことは、編集もできないことだ。

私のパソコンの先生であるY君。彼のおかげで私はパソコンを楽しむことができるのだ。 

今日、普段から学びたいと思っていることを、いつも世話になっている息子の友達のY君に教えて貰うことができた。とてもありがたかった。

マニュアルでは理解しようとしたがどうしても理解できないことだったからだ。パソコンソフトのマニュアルを理解しようとすると、いろんな専門用語が出てきて大筋を理解することが困難である。

子ども達が、教科書を読んで新たなことを理解しようとするようなものだ。予備知識が乏しいと新しいことはとても理解しがたい。こんな時、教師の出番である。

ところが、パソコンの場合には、それぞれのやることが異なっているので、身近に必要なことをおしえてくれる人を見つけることは困難だ。

私の場合、Y君のおかげで壁に当たる度に教えてもらえるからありがたい。今日もDVDの映像データを私の持っている映像編集ソフトで読み込める形式に変換する方法を学んだ。

一歩一歩“YOU TUBE」へ自作の歌をアップする日が近づいていくようでワクワクする。今年中には、アップしたいなあと思う。後10日しかないが。面白くなってきた。

左義用太鼓の練習。みんなノリノリだった。(於:私の事務所)

(日記 午前中は映像編集の勉強と左義長太鼓のフレーズ研究。午後は、年末の大掃除。と言っても、いろんな書籍や楽譜、DVD屋CD、各種マニュアルなどを整理しただけでそんなに目に見えて部屋は綺麗にならなかったようだ。午後7時半より、春駒太鼓の練習。まず最初に、フラダンスの自主練習。その後、2月の出番に向けて左義長太鼓の練習。みんなも楽しく練習することができたようだ。私は、アドバイスするだけだが、それでも楽しかった。)

 
 

誰が一番力持ち?

20 12月

橋下改革の行方
昨日から橋下氏の市長としての活動が正式に始まった。と言うよりも選挙直後からすでに始まったいると言った方が当たっているかもしれない。

「大阪都構想にはいくつかの壁があり前途多難である」と、評論家やテレビコメンテーターが選挙直後に口をそろえて発言していた。

過半数をとっていない大阪市議会に対する対応、大阪都構想を実現するには国会で地方自治法を改正すること、そのためには国会議員を動かさなければならないこと、そして大阪市民による住民投票をクリアしなければならないことがあるからだという。

しかし、私は評論家が言うほど壁は厚くないと思っている。それは、国会議員などの多くは政治家ではなく政治屋であるからだ。

国民のことを考えるのが政治家で、自分の選挙のことを考えるのが政治屋だそうだ。橋下氏の今日一日の行動を見ると,与野党を問わず橋下氏にラブコールを送っているように思えてならない。

橋下氏の方でも、そのことを理解しているようで協力を得られなければ次期選挙には大阪維新の会から候補者を擁立すると宣言している。政治屋の先生方には強烈なメッセージだ。

ところで大阪都構想とは何か、橋下氏が何を考えているのか、そんなことを知りたくなって、昨日、金沢から帰る途中、松任の本屋で『体制維新-大阪都構想』(橋下徹・境屋太一)を購入した。

そして、今日、済生会病院の待合室で読んでいた。10時頃に病院へ着いて診察が終わったのは、午後2時半過ぎだった。そのため、かなり読むことができた。

橋下氏と境屋氏の対談やそれぞれの考え方、教育改革などについても書かれていてとても興味深かった。帰宅してニュースを見ていると、橋下氏の今日一日の言動がテレビで取り上げられていた。与野党の代表などと会談しているようだった。

大阪市の動向にしばらく注目だ。このように橋下氏に大きな力を与えたのは、大阪市民や大阪府民の一票だ。私達の持っているのは一人一票だ。

しかし、「たかが一票、されど一票」である。集まれば、大きな大きな力となる。もしも、橋下氏が落選していたら、今頃は国民からもマスコミからも忘れ去られていたかもしれない。

しかし、大阪維新の会は、市長選でも知事選で圧勝した。しかも、普段は投票に出かけない若い人達をも投票に向かわせたのだ。変革を求めたのだろう。

考えてみれば、「誰が一番力持ち?」の答えは明白である。今の政治家を選んだのは私達である。私達一般人は国政、県政、市政に関心を持ち「自分に与えられた一票」を有効に生かさなければならない。

村岡小の放課後児童クラブの子ども達の前で、クリスマスソングを演奏。

(日記 先日、ダメージを受けた肋骨が痛い。息をしても、手を動かしても、咳をしても激痛が走る。やりたいことはいっぱいあったが、先ず、済生会病院へ行くと決めた。午前9時に自宅を出たのに、帰宅したのは、午後3時過ぎだった。着替えて、村岡公民館へ。放課後児童クラブの読み聞かせの時間に「5人で絵本を読み、クリスマスソングをオカリナで演奏」するためだ。「オカリナの音が好き」という小学生がいて嬉しくなる。)

 
 

大きな町小さな町

20 12月

近江町市場にて
朝、片山津温泉を出て金沢へ向かう。デパートなどでで買い物をして近江町市場へ向かう。魚や肉から野菜や雑貨などいろんなものがそろっている。所々に食堂などもある。

同じ品物でも店によって多少値段が異なる。一通り回ってから、買い物を始めた。ものによってはかなり安いのではないかと思われる。

月曜日だというのに、かなりの人がいる。金沢市民と共に観光客も買い物をしているようだ。このような市場は、金沢だからできることだろう。

沢山の新鮮な魚介類や野菜などが並ぶ近江町市場で買いもの。

近くに購買人口があるかどうかが大きな問題だ。勝山と福井を比べれば、今やパソコンなどは勝山では購入できない。楽器なども同様だ。書籍なども、福井の方が種類が多い。福井にはあっても勝山にないものが少なくないのだ。

福井と金沢を比べても同じようなことが言えるだろう。福井にないものが金沢にはあるのだ。小さな町では商売にならなくても、大きな町なら商売になるのだ。

町が大きくなれば、近隣からも客を呼ぶことができるのだ。そこに格差が生まれる。こうなると、小さな町だからできることを見つけなければならない。そうでなければ、地方の過疎化は進む一方になる。

夕食は、近江町市場でとった。新鮮な魚の寿司は美味しい。こんな市場が近くにあったらと思う。食生活が豊かになるだろうなと思いながら、金沢を離れた。

途中で、白山市の中心である松任のショッピングセンターに寄った。勝山と比べて人口が多い分、店の数も多く、品数も多かった。大きい町と小さい町の違いは歴然としている。

習い事などの機会も、町の大きさで異なる。町が小さくなると選択肢が少なくなるのだ。しかし、私は、町が小さいからと悲観してはいない。創作活動などは、町の大きさに影響しないと思っているからだ。

それと、インターネットの普及でネット上の学習機会や物品の購入は町の大きさに関係がないからだ。市内の印刷屋さんも、ネットの普及で全国各地からの注文が仕事の8割以上を占めていると聞いた。

私も、ネットで買い物をすることが少なくない。福井でも購入できないものもいくつもあるのだ。今や、若い人達は、ネットでのショッピングをかなり利用しているようだ。

不便を克服しつつ、今この町でできることをたくさんやりたいと思っている。この町の不足や機会のなさを嘆くよりも、この町でできる沢山のことにチャレンジしてみたい。

ケーキのろうそくやイルミネーションの光の中でクリスマスソングを演奏。今年最後のオカリナ教室。

(日記 片山津を出て金沢へ行きショッピング。その後、近江町市場で昼食。さらに、松任で買い物をし、谷峠回りで帰宅した。白峰や北谷では路面にも雪があった。雪の量は市内とは大きな違いだ。午後7時半より、今年最後のオカリナ教室。最後に、クリスマス曲を演奏して教室を締めくくった。)