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オリジナルの良さ……民謡2曲と幼児の歌

05 6月

地元の作詞で歌作り
赤尾の歌
  隣町の平泉寺町赤尾のSさんが、数日前、作詞を持って我が家へやって来た。赤尾地区にも、我が片瀬と同様に「銭太鼓」がずいぶん昔から伝わっているのだ。

  しかし、片瀬と同様に、島根県の「安木節」を使って銭太鼓のバチを振っていたのだ。我が片瀬は一足先に、自前の曲を私が作ってオリジナル化したのだが赤尾はそのままだった。

 そこで、赤尾区の皆さんもそのように感じたのであろう。半年ほど前に、赤尾区のSさんが作詞をもって「曲を作ってほしい」と頼みに来たのだ。

  しかし、詩は全く字数を無視していたので、それらを頭に置いて、曲を先に作り、逆に「この曲に合わせて詩を作って下さい」と言っておいたのだ。それが約2月前。

  そして、数日前に、Sさんは作詞を持って我が家へやって来たというわけだ。できた詞をみるとよくぞここまで字数を合わせて言いたいことを歌にしていると感心した。数日後には、CD化したいと思っている。

鹿谷町の歌「鹿谷ほがらか音頭」
  ところが、今日鹿谷町のTさんが「歌詞」を持ってやって来たのだ。Tさんの方は私がお願いしたのだ。私は、ずいぶん以前に「勝ち山ほがらか音頭」を作詞・作曲したのだが、歌詞の内容は勝山全体を歌ったものだった。

  そこで、遅羽町の皆さんには詩の内容を変えて「三室ほがらか音頭」としたのだ。三室祭りには小学生からお年寄りまでが踊って下さっているのだ。

  そこで、鹿谷のTさんには「“鹿谷ほがらか音頭”の歌詞を作って下さい」と頼んでおいたのだ。それが今日できたというわけだ。Tさんとは、「矢戸口ええとこ音頭」でコンビを組んでいるので、Tさんなら地元の歌の作詞ができると考え、お願いしていたのだ。これも、数日後にはCD化したいと思っている。

子育て支援センターの歌
  もう一曲は子育て支援センターからの依頼だ。子育て支援センターの職員の方々が「子育て支援センターの歌」を作りたいというのだ。ちなみに、子育て支援センターを「カンガルーのお部屋」というのだ。

  作詞は、利用者の保護者がメモ用紙に詩の断片や言いたいことをメモ書きして数枚渡して下さったので、これらを使いながら詩を考えることにした。そして、ようやく完成した。タイトルは、「カン・カン・カンガルー」だ。

  歌の発表は、6月7日に行われる「子育て広場“みんなで遊ぼう”アンパンマンも遊びに来るよ」の中で披露することになっている。曲が完成したのでCD化しようとしたらパソコンの音楽ソフトがうまく作動しない。

  パソコンにはいつも肝心なところで泣かされる。早速、Y君に助けを求めた。2時間かけて回復してくれた。まったく申し訳ない。彼がいなかったら、木曜日には間に合わなかっただろう。感謝、感謝。

  どんなに下手な歌でも、地元の者が作って地元の者が歌ったり踊ったりする歌は最高だと思う。私達の、区でも、「銭太鼓に使う音楽」をオリジナルにしたとたん、いろんな所からお呼びがかかることになった。オリジナル万歳だ。

(日記 午前中、子育て支援センターの歌作り。「カン・カン・カンガルー」とタイトルをつけた。最後のCDに焼く段になってパソコンが機能しなくなった。その後、区長として金の支払いなどに回る。午後は、作詞を持ってきた鹿谷町のTさんとホテルのロビーで会い、作詞について打ち合わせ。その後、一緒に昼食。約時間楽しい時間を持つことができた。その後、帰宅して「オカリナ事業」の補助金申請の書類を書く。午後7時半にパソコンを直すために息子の友人のY君が来てくれた。最後にはCDを焼くことができた。本当にありがたかった。)

 
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他人のために花を植える

04 6月

回り回れば自分のために
  たとえばの話しだが、60戸の村で、それぞれの家が表通りに花を植えたり、飾ったりしたとしよう。村内を歩けば、誰もが59戸の家庭の花を眺めることができるのだ。自分のためにだけ花を植えたとしたら、自分はその植えた花しか眺めることができない。

  しかし、このことを「言うは易く、行う葉難し」である。なかなか理解されないのではなかろうか。分かっていても、他人のために生きることが自分の快適さにつながることを実感できないと、簡単には私のこの運動は広がらない。しかし、私は今この方法で「花のあるまち」を目指している。

また、竹を選んだ理由は、
 「村内の竹林が荒れていること」
 「竹のプランターは用が済めば自然に帰すことが出来る。」
 「竹の緑に花は似合うこと」
 「加工が簡単である。」
など様々な理由がある。
  そして、村内で入手しやすい竹を多くの人が使っていることで区民の一体感が生まれやすいのではないか。昨日集会所の前に置いた竹プランターに水をやりながら、そんなことを考えていた。

  次のアクションは、先日、九頭竜森林組合の勝山工場で見た木材だ。木材と言っても、製材で柱などを取った残りの木材だ。長さは4mあり、厚さは7cmほどだ。これが一本150円だ。とても安価だ。木の皮が付いた部分もかなりある。

  「花のある町」づくりの第2段は、これらの木材を使って木製のプランターを作り、それに花を植えることだ。農家組合長(村の3役の一人)で大工のY さんが、昨日の竹のプランター作りでも活躍してくれたが、今度も、全面的に協力してくれることになっている。

 子ども達が、一人で1~2個の木製プランターを作り、それらを表通りに並べるのも楽しいことだ。区民の誰もが、「一人はみんなのために、みんなは一人のために」と思って行動していただけたら村も少しは活性化するのではないかと思う。

今は小さな花だが、早く成長して付近の人を楽しませてほしい。

(日記 午前中、区長の事務的な仕事の処理。午後は、家内と二人で、家庭菜園の畑の作物に水をやり、ちゃんと支柱にくくりつけた。エンドウとキュウリが初めて収穫できた。自家製の野菜は特に美味しい。また、家内は道路沿いにある土管型のプランターに花を植えた。信号が赤になった場合は、ここに植えた花は特によく見える位置にあるのだ。午後7時半より『オカリナ教室』だ。秋以降の「オカリナコンサート」の開催について話し合った。)

今年収穫した最初のキュウリ。

 
 

区民運動会、何とか持ちこたえた天候

03 6月

果たして花が咲くか
   今日は区民運動会。昨日から急に天候が気になりだした。どうも予報は昼から雨だという。雨ならば、1時間開始を遅らせて室内で行うことになる。そうすると準備した競技はほとんどできない。 

上左:県議を迎えての開会式。上右:小学生の自己紹介。下左:幼児の飴拾い競争。下右:満杯リレー。

 昨日の役員会では、競技は公園で、バーベキューは屋内でと仮に決めておいた。そして、決定は今日に持ち越した。朝の予報でも昼頃雨だという。しかし、隣の大野市は午後3時から雨だという。それならばということで外で行うことに決めた。

  そして、開会式を始めた。挨拶で言いたかったことを要約すると次の二つになる。

 ・片瀬を子ども達の「ふるさと」にしましょう。「ふるさと」とは私の定義では、「家族以外に関わる人がいること、我が家以外に関わる場所があること」です。子ども達が、この村でいろんな人達と関わって成長してほしいと願います。それと同時に、今ここから見る景色は、田んぼが広がりとてもきれいです。これらをずっと守ってきたのは、お年寄りの皆さんです。お年寄りの皆さんに感謝すると共に、今度は、私達がこの村を守っていく番です。みんなで、子ども達の「ふるさと」を作りましょう。

 ・今日から、「四季折々花のさくまち作り事業」を展開します。区内の道を歩いたとき、いたるところできれいな花が咲いていたら、区民のみなさんだけではなく、訪問者もとても気持ちよく感じるのではないでしょうか。子ども達と一緒に、竹のプランターを作って我が家の周辺に置いて下さい。おじいちゃんおばあちゃん

上:竹げたムカデ競争 下左:消化訓練 下右:消火訓練の説明

と、お父さんお母さんと一緒に竹のプランターを作って区内をきれいに飾りましょう。「あれ、片瀬の村はなんてきれいなんだ」と外部の人が思うようになったら、しめたものです。そんな地区の里芋なら、ショウガなら、米なら、きっと美味しいはずだと思うかもしれません。「農事組合法人かたせ」の農産物を買いたくなる人が出てくるかもしれません。みんなの力で、花のさくまちを作りましょう。

  みんなの力で、片瀬をブランド化したいと思う。一人ではできなくても、みんなの力を合わさればきっと素晴らしいことができるのではないか。そんな願いを込めて話した。果たしてどうなることだろうか。心に花が咲くかが問題だ。

 この後、子ども達の「自己紹介」を行った。地区の子ども達がどこの誰だか分かるように毎年自己紹介を行っているのだ。自己紹介の中に、「頑張っていること」も各自が伝えてくれたので、親しみを持つことができた。

 その後競技が始まった。一つだけ自慢したいことがあった。それは自転車の「車輪転がし」だ。昔取った杵柄で、圧倒的ナンバーワンだった。区内なら、速い人の倍の速さで進んでいけると思った。途中で模範演技も行った。これが「年よりパワー」だよと子ども達に伝えたかった。

  途中で、天候が悪くなり出したので、バーベキュウ開始を少し早めた。ぽつぽつと雨が降ってきたが、小降りになり、止んでくれた。バーベキューの終わり頃から「竹のプランター作り」を行った。

工務店さんにいろいろ切り方をお願いするお母さんと子ども。

 自らノコギリを使う者は少なく、役員の中にいる工務店さんに切って欲しい箇所を示し、竹のプランター作りを進める者が多かった。そして、できたプランターに、あらかじめ用意した花の中から色や種類を選んで、植え込んで、持ち帰った。

 中には、「私は家でこんなプランターを作りたい」という者も出てきた。今日は短時間の作業だったので、プランターのバリエーションは少なかったが、自宅でゆっくりやればまだまだ独創的なプランターができるのではなかろうか。

 サイコロは振られた。後はどんな目(芽)が出るかが問題だ。少なくとも、今日は盛り上がっていたように思う。近々第2段を進めたい。子ども達から80歳以上のお年寄りまでが一緒に取り組んで下さったので、少しは期待できるのではなかろうか。

 終了間際に雨が降ってきたが、今日のスケジュールをこなすことができてよかった。反省をしながら、少しずつよりよい運動会にしていきたいと思う。

できた竹のプランターに土を入れて花を植える区民の皆さん。

(日記 午前5時半起床。今日は区民運動会。無事終了することができた。一つの種を播いたので、その成長を楽しめる。何もしなければ何も期待できないが、何かを始めればどうなるかという期待感は生まれる。それも、一人ではなく、多くの人が取り組むことなので不安も大きいが期待も大きい。福井の孫達も区民運動会に参加した。)

私は電気ドリルでプランターの底に水抜きの穴を空ける役割を引き受けた。

 

永ちゃん(矢沢永吉)も顔負けの孫の弾き語り。思わず写真を撮った。

 
 

頭の回転がよくない

02 6月

オーバーヒート
  今日は公私混同したような一日だった。今日の出番は4つ。最初の出番はフラダンスの初舞台。と言っても、私がフラダンスをするのではない(当然だと笑われそう)。私は、大学時代、軽音楽部に所属していた。素子お手、ドラムを叩いていた。

和太鼓のメンバーのフラダンスもかなり様になったいた。(於:勝山市営プール)

  しかし、その頃、先輩にハワイアンギターの上手な人がいた。当時、「和田弘とマヒナスターズ」や「バッキー白片とアロハハワイアンズ」、「大橋節夫とハニーアイランダース」など、ハワイアン系や演歌系でハワイアンギターを交えたバンドが多かった。

  そこで、バイトをしながら、ハワイアンギターを購入し、ドラムの傍ら練習していたのだ。そして、50年の歳月が過ぎた。ここ数年、一つの夢として、フラダンスの伴奏を生のハワイアンバンドでやってみたいと思うようになった。

  私の主宰する和太鼓(女子)の連中に、フラダンスを持ちかけると大乗り気だった。そこで、YouTubeを見ながら教材を作り上げた。彼女達はそれらを見ながらフラダンスを練習してくれた。

 私は、バンドの方を考えればよかったのだが、バンド仲間が急に入院し、家内(歌)も今日は別のイベントで出演できなくなった。そこで、バンドの方は、家内の声で楽器カラオケ(ハワイアンギターのパート抜けたカラオケ)を作り、それを使って支援プールのイベントに出演した。

フラダンスに合わせて50年前に買ったハワイアンギターを弾いた。気持ちがよかった。

 私も、ハワイで買ったアロハシャツとレイを着けてハワイアンギターを弾いた。彼女たちは、それなりにフラダンスを踊ってくれた。うまくいったかどうかは分からないが、とにかく、発表することができた。こうして夢を実現することができた。

 私は、ここ数年、健康作りに役立つということで「体操」と「踊り」をいろんな人に勧めている。踊りにもいろいろあるのだ。ヒップホップダンスもあれば、フラダンスもあり、盆踊り(民謡)もある。音楽に合わせて身体を動かすことはとてもよいことだと思っている。

 銭太鼓のメンバーが、鹿谷町から、わざわざ見に来てくれた。とても嬉しかった。彼女たちは足を痛めているので、興味があってもフラダンスは無理だと思っている。しかし、「まだ上半身があるではないですか。椅子を使えば無理なく足も動かせますよ。」と言ったのを覚えている。

  椅子に座っていれば足に負荷をかけずにフラダンスはできると思っている。一番悪いのは、身体の一部が不都合だからといって使えるところまで使わないことだ。いつか、基本だけでも一緒にやってみたい。

こうして彼女たちと並ぶと私もかなり年をとったようだ。でも、今春のハワイ旅行で買ったアロハとレイを使えてよかったと思う。

  フラダンスが終わったら、すぐに、次の準備をし、大師山の頂上へ向かった。今日は、大師山の自然観察会があり、百人以上が参加するのだ。スタッフも数十名はいる。

  家内は、大師山の頂上で食生活改善推進員として豚汁を振る舞うことになっているのだ。午前7時に家を出て山頂へ向かったのだ。山頂に鍋やガスを持ち込み、調理をするためだ。

  そこで、私達は「オカリナ演奏」を披露することになっているのだ。山頂ではオカリナの音がかなり遠くまで伝わるようだ。私は、今日はいつものオカリナでではなく、ギターで伴奏した。とても気持ちがよかった。

  このあたりで、体力的にもかなりばてが来ていた。ここまでで今日のスケジュールの半分しかこなせていない。特に、ハワイアンギターは、かなり暗譜をしなければうまく弾けない。ところが、昨日までの諸準備でかなり疲れてしまって頭がうまく回転しない。

大師山山頂でのオカリナ演奏。私は、ギターで伴奏をした。オカリナの音色が谷間に響いていたようだ。

 頭の回転をyくする為には適度な休養や気分転換が必要なのかもしれない。自分を分析すると、演算装置の能力のないパソコンに無理な作業をさせているような状態かもしれない。

(日記 午前中、市営プールのフェスティバルに、ハワイアンギターでフラダンスのバックを務めた。その後、大師山で行われた自然観察会のアトラクションとして、山頂で行うオカリナ演奏の伴奏をギターで行った。午後2時から観察会の反省会。午後4時から『親子和太鼓教室』。午後7時半から村の役員会。終わったのは午後10時半。今日は、何となく頭の回転がよくない一日だった。完全に容量オーバーだ。気分転換を図らなければならないのかもしれない。そんなことを考えながら、今日のスケジュールをこなした。しかし、どれもこれも興味のあるものばかりだった。ただ、年齢の割には過密なスケジュールだったということだろう。)

 
 

自分の「物差し」で生きる

01 6月

地域固有の生き方を
  近年、あちことへ出かけると画一化した家並み、コンビニ、スーパーなどがあって、地域の個性が薄らぎつつあるように思う。そんな中で、敢えて地域固有のものを見つけて売り出すことはできないのだろうか。

  それには、知恵を絞らなければならないと思う。「よそがやっているから自分たちも……」では“二番煎じ”になってしまう。今のような混沌とした時代には、「本物」でなければ人に伝わらない。

  所で、「本物」とは何だろうか。地域が長年伝えてきたもの、またはそれらの発展形、あるいは、創造(想像)したもの、時間をかけたもの(スローフードなども)、……いろいろあるのではなかろうか。

 「食」を例に取れば、地域独自の食材を使い、地域が長年伝えてきたもの、時間をかけて作ったもの、味に独特の個性があるもの、……、そして作り手が美味しいと思えるもの、作り手が自信を持って薦められるもの、そういうものがあるのではなかろうか。

 本物ならば、価格は多少上がっても、アピールできるのではなかろうか。安価な食品、ファーストフード、画一的な味にならされすぎてはいないか。私達は、大量生産によって価格の安いものに飛びついているうちに、どんどん本物を失っていってるように思う。

 ここは一つ、他のモノマネではなく、独自のものを生み出す努力をしなければならないのではないか。画一的な価値観でものを見るのではなく、自分の目でちゃんと見て、自分で評価しなければならないと思う。

 押しつけられた価値観でものを見ているうちに、自分自信がが見えなくなり、自分の住む地域が見えなくなル。そして、路頭に迷い、とにかく都会へ脱出するという考えの人が少なくないが、それではどこへ行っても安住の地は見つからないだろう。

  私は、自分の物差しで、自分が納得するように生きていきたいと思っている。都会は遊びに行くときだけでよい。地域で気持ちよく生きていくには、「過去を生きず、」現在を生きる」ことが大切だと思っている。

 人とのつながりを大切に生きるには、変なプライドを捨てなければならない。知らないことは、自ら頭を下げて相手に聞くことも大切だと思う。これからも、今まで以上に幼児からお年寄りまで気軽にコミュニケーションをとれる人間になりたいと思う。

 ここ1,2年、職場から開放されて時間ができたお陰で、いろんな人達と対話をする時間がぐっと増えた。対話をする場合、村では、私はだいたい「聞き役」だ。地域の昔のこと、作物の作り方、いろんなことについて教えていただいている。そして、これが楽しいのだ。

  これからも、自分の物差しで、考え、判断し、楽しく、「晴耕雨パソ」で納得した生活を送れたらと思っている。そんな中で、少しの創作活動も加えて。

笑いの絶えなかった“竹げたムカデ競争”の試運転。先頭は家内、真ん中はMさん、一番後ろで笑っているのがMさんの小2のお孫さん。

(日記 午前中、明日の楽譜作り。明日は、ハワイアンギターを弾くことと、山頂のオカリナグループの伴奏をするからだ。家内が、「明日娘が孫を連れて来るので蕗の煮物を食べさせてやりたい」と言い出した。そこで、二人で、蕗を取りにでかけた。山を下りてから、運動会に使う竹をもう一本もらってきた。午後も、楽譜を作り、ハワイアンギターで練習。この楽器の演奏するときには、あまり楽譜を見ることはできない。よそ見をすると手元が狂うからだ。暗譜した方がよいのだが、簡単にはできない。ギターの方は、楽譜を見ながら弾くことができるので安心だ。夕方、明日のために、市営プールへ出かけてアンプの調整をしてきた。帰宅すると、Mさんとそのお孫さんが用事で来ていたので、家内と一緒に運動会の「竹げたムカデ競争」の試運転をしてもらった。小2のお孫さんが終始楽しそうに笑っていたので安心した。楽しかったのだろう。)

 
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どこもかしこも後継者不足

31 5月

生産森林組合連絡協議会に参加して
  区長になると、充て職でいろんな役割が回ってくる。今日は、片瀬の生産森林組合長として『勝山市生産森林組合連絡協議会』に出席した。決算と予算の承認は短時間で終わった。

  その他のところで、林業を取り巻くいろんな問題を担当者から聞くことができた。今や、林業では食べていけない時代になってしまったようだ。それぞれの地区や個人が山を持っていて、立木を伐採し、売却し、さらに、植林するとなるとほとんど金にならないようだ。

  従って、農業と同じように後継者が育たなくなり、山を守ることができない状態になりつつあるようだ。以前は、木を伐採し、それらを売り、新たに植林をし、しばらくは下草刈りをしなければならず、山には種々の仕事があって、活気づいていたのだ。

  しかし、外国の安い木材に押されて、国産材をあまり売れなくなったというのだ。また、最近では安くて強度のある集成材も出回り、高価な木材は売れないということだ。補助金でどうにかなり立っている状況ではなかろうか。

 「売っても経済的に合わない→林業に携わる者が少なくなる→後継者が育たないの」という循環によって、今に日本の山は荒れるにまかせる時代が来るのでないかとのことだった。

  考えてみれば、これは林業の問題だけではない。農業もまったく同じなのだ。若者が継ぐだけの収入がなければ、仕事のある都会へ出てサラリーマンになるのを止めることはできない。

勝山市森林組合連絡協議会に参加した皆さん。

  そうなると、昨日の話ではないが、集落や、地方の都市さえ持続不可能になるのだ。そして、「限界集落」というありがたくない呼び名で呼ばれることになる。

  人口が減少すれば、医療機関も、ショッピングセンターも、貧弱なものになり、近隣の都市へ出かけなければならなくなる。若い人達は通勤だけのまちに魅力を感じるだろうか。

  林業に関係した話をしているうちに、そんな話まで出てきた。悲観ばかりしていても始まらない。それでは、次世代は益々悲観的になるからだ。それに、自分自身も情けない。

 こうなると、私達年配者の務めは、今住んでいるところで“納得した生き方”、“充実した生き方”をすることしかないのではないか。そんなことを思いながら、みんなの話を聞き、自分も話したりした。

  今、私達は,ライフスタイル全体を見つめ直し、幸せとは何かを自分自身に問わなければならないのではなかろうか。ブータンの生き方は、遅れているようで、案外先を進んでいるのかもしれない。学ぶ必要がある。

(日記 午前中、昨日に続いて竹スキー作り。その後、フラダンスのためのバンドカラオケ作り。午後は、『勝山市生産森林組合連絡協議会』に出席。いろんな話を聞けてよかった。村の山林の権利についても聞くことができた。また、今日会議があった九頭竜森林組合の勝山工場には、製材から出た半端な木材がたくさん積まれていた。4mの長さで1本150円とのことであった。雪囲い以外にもいろんな事に役立つような木材がたくさんあった。近いうちに買い求めたいと思った。夕方、明後日のフラダンスの会場となる市営プールで音響について打ち合わせをした。)

 
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10年前、そして10年後

30 5月

我が村は持続可能か
  自分経験から言えば、10年や20年はあっという間に過ぎてしまう。我が家を例にとれば、10年前は、高校生、大学生、社会人の3人の子どもがいた。20年前となると、小学生が2人、中学生一人と私達夫婦の5人だった。

  しかし、今は、それぞれが就職して、私達夫婦の二人だけになってしまった。10年後、20年ごとなるとまったく想像できない。私達の村では、一人、2人、あるいは3人暮らしの家庭が約3分の1ある。

 それこそ、10年後には村の総戸数は減少するだろうと思う。また、今は、小さな子どもが何人かいても、10年も経てば事態は一変する。20年も経てば、想像もできないような状況になる可能性がある。

 そうなると、村そのものが持続可能かどうかが問題になる。となると、村の過疎化は、今、子どもがいるかどうかではなく。根本的に、住みたくなる村、戻りたくなる村にしなければならない。地域の子どもを地域が育てる気持ちでなければ地域は「ふるさと」になり得ないであろう。

 何か、行事をやるにしても、心を込めて取り組まなければならないだろう。誰もが参加したくなり、楽しめるように努めるべきではなかろうか。ただ、こなしているだけでは、どうしようもない。

 次の日曜日は、私達の地区の運動会だ。昼食はバーベキュー。田植えも終わり、一日のんびりと楽しもうというわけで、毎年5月の末か、6月初めに行っている。

 私には、「たかが運動会、されど運動会」だ。これを機会に、区民が楽しい一日を過ごすことができるように準備する者は考えなければならない。たとえ種目を考えるにしても、適当に考えるのではなく、少しでも楽しいものにできないかを考えるべきだ。

『竹げたムカデ競争』につかうスキー場の竹げた作り。

  このようなことを関係者にお願いしておいた。私も、何か子どもが喜びそうな種目をやろうと思って、図書館へ出かけ、「竹げたムカデ競争」をやってみることにした。この種目だけは、全て私が段取りをすることにした。

 竹を割り、スキーのようにして、一度に3人が足を入れて息を合わせて前進するのだ。これを小学生にやってもらうことにした。果たして、楽しい競技になるだろうか。子ども達の楽しい思い出になれば、いつか大人になった時、今度は次の世代を楽しませてくれるのではなかろうか。

  また、バーベキュー直後に、竹のプランター作りを行う予定だ。親子で、あるいは祖父母と孫が力を合わせて、独自のプランターを作り、家に持ち帰ってもらえればと思う。そしてそれらを各家庭で飾ってもらうのだ。できれば道路に面した部分に飾ってもらいたいと思う。

  村の中を歩いたとき。あちこちできれいな花を見ることができるのは、楽しいだろうし、自分の住む地区に、愛着が持てるのではなかろうか。楽しい一日を過ごしながら、次につながる何かをスタートさせることができればと思っている。

 こうして、ふるさとに愛着を持ってもらうことで、持続可能なまちづくりができればと思う。こんなことを考えていると、私自身も運動会が待ち遠しくなる。村の3役の一人が大工さんであるので、当日は、子ども達の応援団として活躍してもらうことになっている。る。

衣装とレイを着けてのフラダンスの練習。誰にも習わず、パソコンでYouTubeを見ながらの練習だった。

(日記 午前中、区の仕事。金の出し入れなどで、JAへ行き、記帳してもらったりした。その後、「竹げたムカデ競争」に使う竹げた作りなどを行った。続いて、フラダンス用のCD作り。午後7時半より太鼓のメンバーで『フラダンス』の練習。2曲覚えた。次の土曜日に初めての発表があるのだ。今日はTシャツの上からではあるが、衣装を着けて練習した。少し様になったようだ。私は、ハワイアンギターの練習。)

 
 

身体によくないこと

29 5月

好きなことでもストレス
  若い頃は「ストレス」というと、何か自分に不都合なことや好ましくないことが起こった場合に心身に感じる不都合さを想定していたが、60歳を過ぎると好きとか嫌いとか関係なく、良いこととか悪いこととか関係なく、ストレスになるように感じる。

  特に、パソコンで何かをする場合に、やり直しがきくだけに、とことんやろうとする。何度も、何度も、繰り返すのだ。そんな中で、私にとって一番苦労するのは、音楽だ。ああでもない、こうでもないと考えているうちに、一日があっという間に終わってしまう。

  今日もそうだ。自分で好きなこと、やりたいことをやっているとは言え、食事とトイレ以外はパソコンの画面を見ている状態が続くと身体にはかなりストレスになるようだ。

  「適当にやっておこう」と思うが、作品となると少しでもよくしようと手をかけるために、どんどん時間が経ってしまう。これからの生き方として、適当に手抜きすることを考えなければ身体は持たないだろう。若い頃は一週間ぐらい午前様でも身体は持ったのだがこの頃はそうはいかない。

  そういえば、大リーグで頑張っているダルビッシュ投手も、先発の場合、手抜き(力を抜く)しながら、長いイニングを投げるのだということを聞いたことがある。ダルビッシュ投手と比べること自体が相手に失礼になる話だが、私としてはやることの間口を狭めなければならない。

  今日は完全に身体の限界を超えているように感じた。夜は完全休養といきたい。ところで今日やったことは、区長の仕事と、音楽の編曲作業だ。特に、後者に膨大な時間を要した。これからは、適当にやることを考えたい。そして、ここぞと言うときに力を出せるように体力の貯金をしておきたい。

(日記 終日、パソコンで創作作業。晴れていれば外へ行くつもりだったが、天気も悪いのでついついパソコンにかじりついていた。不健康な一日だった。原点に返って“晴耕雨パソ”でいきたい。) 

 
 

労働と農薬

28 5月

能率を追い求めた農業
  かつての米作りにはとてつもなくたくさんの手間がかかっていた。米という字を「八十八」と読むとき、米作りにはたくさんの(八十八の)工程があったと言われてきたものだ。

馬による農耕作業。(写真提供:朝日印刷)

  そのかなりの部分に子ども達も関わってきた。馬で田んぼを耕すとき、時には馬の口を引いたりしたものだ。その馬の餌を作るのもほとんどが子どもの仕事だった。我が家では私の仕事だった。

 田んぼの肥料と言えば、堆肥だった。それは馬小屋に敷かれた藁と馬の糞尿で重く湿り気を持った堆積物で作るのだ。これを荷車で田んぼまで運んで堆肥枠で高く積み上げ、保存しておいて使ったのだ。それより以前は、山の草なども田んぼの肥料として使ったらしい。

  田植えや苗運び、田植えにも子ども達がかり出された。これら全てが農家の子どもなら誰もがする当然の仕事だった。田植えが終わると、除草機を回すのは子どもの仕事だった。大人達(特に女性)は、素手で田んぼの草を取ったものだ。

素手による除草作業。腰の痛い重労働だった。腰にはカンコが下がっている。(写真提供:朝日印刷)

  大人達は、稲の葉先で目を痛めないように、野球のキャッチャーのように細かい網の面を顔につけていた。また、田んぼにいるブト(ブヨ)に身体を刺されないように腰にはカンコ(ぼろ切れを細縄などで縛り、それに草などを巻き付けて火をつけ、腰にぶらさげて作業をしたのだ。

 実りの秋には、イナゴが稲に群がっていたが、それらを素手で取って一升瓶に詰めるのも子どもの仕事だった。とったイナゴは自宅で飼育しているニワトリの餌にしたり、食用にしたものだ。ヒエ取りももちろん人の手だ。

  稲を乾燥させるのは、「はさ」と言われる、竹と丸太で作ったものにつるしたものだ。その後の、脱穀も最初は足踏み式の脱穀機、その後、動力式に変わったのだ。

  また、脱穀した籾は、むしろの上に広げて乾燥させた。籾から出る埃は細かく、身体につくととても痒かったのを覚えている。乾燥も一度や二度ではなく、何度も行った。雨が降れば慌てて小屋の中へ籾を仕舞わなければならなかった。

「はさ」による稲の乾燥。手渡しで稲束を上の人に渡すのだ。(写真提供:朝日印刷)

  また、脱穀した後の藁は馬の餌や藁製品の素材となった。米を農協に供出するときには、米俵に入れたために、俵を編むのもこれらの藁を使ったが、農家にとってはかなり大切な仕事だった。

 かつては、イナゴもいたが蛍もたくさん飛び交っていた。ツバメもたくさんいたし、赤とんぼも空を埋めるくらいにたくさん飛んでいた。

 こうして振り返ると、私の子ども時代には、現在使われている農機具や肥料、農薬はほとんどなかった。かつては、全てが農家の手間暇かけた努力で為されてきたのだ。

  ところが、こうした農業では能率が上がらず、重労働であるために、手作業が機械に、堆肥などの有機肥料が化学肥料に、手で行っていた虫などの駆除には農薬が使われるようになっていった。

 その結果、いろんな弊害が出てくるようになった。それらを農家のせいにするのは簡単だが、それは酷な話しだ。こうした社会になった背景をよく理解し、今後どうすればよいかを全ての人間が考えなければならない。

足踏み式の脱穀機。(写真提供:朝日印刷)

  利益を追求し、能率や効率を重視する今の社会の仕組みがこうした結果をもたらしたのだ。このような流れはまだまだ続くだろう。果てしない欲望が原発を生んだと考えられなくもない。私達は、どこへどう流れていくのだろうか。考えてみるときだ。

(日記 午前中、エンドウとイチジクのネット張り。午後も作業を継続。その後、観葉植物の植え替え作業。帰宅して、オカリナの伴奏のためのギターの楽譜を作る。午後7時半より、オカリナの練習。今度の日曜日の自然観察会では、大師山山頂でオカリナを演奏するのだ。私は、オカリナではなく、今回はギターで伴奏するのだ。晴れれば気持ちがよいだろうなと思う。)

大師山山頂で演奏するためのオカリナの練習。今回、私はギターで伴奏するつもりだ。

 
 

これからが大切

27 5月
一人ひとりの行動に結びつくか
  今日は、『環境自治体会議』の最終日(三日目)。家内と二人で参加。今日は全体会だ。8時過ぎに家を出た。8時45分からアトラクションとしてミュージカル『この川のほとりで』がドラゴンファミリーによって演じられた。

閉会式のアトラクションで行われたミュージカル『この川のほとりで』の一場面。

  その後、分科会報告があった。続いて、鹿谷学校の児童が「子どもたちからのメッセージ『自分の住んでいる地域が好きですか?』と題して、赤とんぼの調査や環境問題について発表し、大人達に問題を投げかけた。

  その後、日本環境教育学会・立教大学教授・阿部治氏が『日本発:地域・日本・世界を元気にする教育とは?』と題して、記念講演を行った。環境教育の大切さをいろんな観点から話した。

  そして、『かつやま会議宣言採択』、『環境自治体をめざすちっご委員会経過報告』、『環境自治体会議総会報告』、『次期開催地あいさつ(鹿児島県日置市)』、『閉会の挨拶』と続いて全ての日程を終えた。

 参加者の多くは、高揚感を持ってこの会の閉会を迎えたことだろう。しかし、問題はこれからだ。それぞれの分野で、一人一人がどう行動するかだ。帰宅する頃には平常に戻っているかもしれない。

  さて、私達は何から行動を始めるかだ。人と同じことをしていても、同じ効果が出るとは限らない。自分の考えを自分の言葉で語れなければ人を誘ったり、理解してもらうことはできない。

鹿谷小学校の発表『自分の住んでいる地域が好きですか?』の発表。

  環境問題の入り口はいろいろあると思う。赤とんぼから入る人もあれば、有機農業から入る人もある。アレルギーや食育から入る人もあれば、「売れる米」から入る人があるかもしれない。発表を聞いてそう思った。

  今日の環境問題講演で講師が指摘した国内的課題の中にある『孤立化・関係性の希薄化・無縁社会』や『自然体験の減少』、『少子・高齢化、過疎化』、『経済格差の拡大』、『低い食料自給率』などは我が地区でも例外ではない。

  しかし、これだけの問題を一度に解決しようと思っても簡単ではない。村の人達に、いきなりこれだけの難しい問題の解決法を考えましょうと言っても、無理だろう。

  私は、一つの入り口として、『きれいなまちづくり』を目標に、親子や家族による『竹プランター作り』から、始めたいと思っている。この中で、親子のコミュニケーションを図り、地域全体の連帯感、そして、地域をきれいにすることの快適さと重要性を実感してもらえればと思う。

閉会式の記念講演を行った立教大学の阿部治教授。

  一方では地域の世代間交流を図り、それらが地域のつながり、絆につながればと思っている。果たしてどうなることやら。子ども達に大いに期待したいところである。

 もう一つのアプローチは、後継者不足の我が村の建て直しを図って組織された『農業組合法人かたせ』の発展だ。昨年乾燥施設も備えて最終工程も自分の村でできるようになった。

  後継者不足を改善するだけではなく、「売れる米」を作るために、安全で美味しい米を生産することから、環境問題にアプローチできるのではなかろうかと思っている。これまでと同様に大いに提案を続けたいと思っている。

(日記 午前6時より婦人会の公園の草取りに参加。草刈り機で応援した。来週の運動会の会場となる場所だ。午後8時に家を出て、『環境自治体会議かつやま会議』に家内と二人で参加。会議が少し延びて昼を過ぎた。帰宅してすぐ昼食。昼食後、役員の一人に応援してもらって来週の日曜日に行われる区民運動会後に行う『竹プランター』作りの材料となる竹を切って運んだ。

婦人会による早朝の草取り。ご苦労さんでした。

子ども達がどんなプランターを作るかが楽しみだ。午後3時頃から、月に一度の親父バンドの練習。今日は、3曲練習した。三国、春江、大野などから4人が私の事務所へ集まってきた。楽しい時間を過ごすことができた。)