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Archive for the ‘教育’ Category

二刀流とオンリーワン

14 4月

東大入学式スピーチに「我が意を得たり」
 ネット記事を見ていたら、『東大入学式のスピーチがSNSで絶賛の嵐』と逢ったので読んでみた。そして、私が常に考えていることと同じだと思ったことと、エンジェルスの大谷君のことを思い出した。

 このスピーチには次のように話されたという。
「一つの分野で世界のナンバーワンになることはとても難しい。ですが、いくつかの重要な分野の経験やスキルを、自分だけにユニークな組み合わせとして持っていて、それらを掛け算して問題解決に使えるのは自分だけという“オンリーワン”には、なることができます」

 この記事を読んで常付け考えていることを思い出した。大谷選手は、投手としては一流だが、同程度の大リーガーは他にもいるだろうし、バッターとしても同様だろう。しかし、それらを一人の人間がなし得るということはプロの世界ではほとんど不可能だった。それを完全に為しているのだから、もうこれは前代未聞の完全な“オンリーワン”だと言える。

 そして両方とも一流だから、それらを掛け合わせれば超一流、または超超一流で,彼の場合は文句なしの「ナンバーワン」だろう。そして人間的にも好感を持てるので、世界中から愛されるのも分かる。私も一ファンで、彼の活躍をよくテレビで見る。

 さて、私たち凡人も、掛け合わせれば“オンリーワン”にはなれるかも知れない。私レベルの漫画を描く人間は世間には数え切れないくらいたくさんいるだろう。私程度の数学教員もそうだろう(自分ではまあまあだと思っていたが)。

 ところが、漫画を描く数学教員となると、ぐっと珍しくなるでしょう。しかも、80歳となると希少価値があるかも知れない、そう思っている。そこで、数学の漫画を描いたり、プログラミングの漫画を描くことで少しでも世間の役に立てないかなあと思ってパソコンに向かっている。 

 こう考えると、二つ、三つあるいは四つ、五つ掛け合わせれば,だれでも“オンリーワン”になれるのではなかろうか。自信を持って頑張っていただきたいと思う。

 
 

『神山まるごと高専』開校

07 4月

消滅可能性都市から日本のシリコンバレーへ 
 徳島県神山町、人口約5,000人、勝山市で言えば北部3町(荒土・北郷・鹿谷の人口5,283人令和3年4月1日)より小さなまちだ。おそらくその道の人しか知らない町だろう。

 令和5年4月2日、四国の山間の町に私立『神山まるごと高等専門学校』。木の香りが漂う真新しい円形講堂には、北は北海道から南は沖縄まで、全国から集まった44人の若者が集まってきた。

 その学校は、昨年8月に設置認可を受けたばかりの新設校。しかも、「デザイン・エンジニアリング学科」だけの単科高専(高等専門学校)。で、ソフトウェアやAI(人工知能)などの情報工学をベースに、デザインや起業家精神について学ぶ学校だ。しかも、寄付金によって授業料はなしだという。

 目指す学生像は「モノをつくる力で、コトを起こす人」。今の時代、新しい製品やサービスを生み出すには、『ITスキル+デザインの力+起業家精神』が必要だという。
 社会を変えるようなプロジェクトを立ち上げるには、技術、デザイン、起業家精神──の3つが不可欠だということだ。

 卒業生の進路は、想定する卒業生の進路は、起業40%、就職30%、大学進学30%だという。

 学習については、4年生、5年生と学年が上がるにつれて授業の余白は増えていく。その余白では、企業との共同研究や卒業研究、学生によってはインターンや起業などに取り組むことになる。

 5年間、大学受験の影響を受けることなく専門的な知識を深めることができるという高専の良さと起業家教育を組み合わせた学校──。それが神山まるごと高専だという。

 倍率9倍。何の実績もない新設校にもかかわらず、全国から399人の若者が受験したのは、「テクノロジー×デザイン×起業家精神」というコンセプトが心に響いたからだろう。

福野泰介氏フェイスブックより
学費の無償化に協力した企業群。一流の企業が名を連ねている。(福野泰介氏フェイスブックより)

 この学校については、ずいぶん前から関心を持ち、メルマガを定期的に受信していた。人間やる気になれば、ゼロからでも学校をつくることができるのだ。しかも、倍率9倍の人気校だ。スポンサーもすごい、過疎の町が日本のシリコンバレーになるのだろうか?

 どこかのまちのように、高校の活性化のために再編した市内唯一の中学校をグラウンドの中に作るようなおかしなことはしないだろう。人のやる気がこうも大きな違いを生むのか。

 
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TIME IS MONEY

15 3月

光陰矢の如し
 この頃、月日の経つのがやけにはやい。この前正月だったのに、もう3月半ば。この調子で時間が過ぎたら何もできないと思う。80歳になった今、やりたいことを少しは絞りたいと思う。時間というのは、誰にも平等で、私たちは、後戻りのできない時間の道を進んでいる。

 こんな貴重な時間を、様々な「モノ」が奪おうとしているように思えなくもない。昔、読んだ本の中に、「ビジネスとは、欲しい人にモノを売るのではなく、欲しくない人にモノを売ることだ」と書かれていたのを今でも覚えている。

 そんなことが、気になって、自費出版した『じいじ達の子供時代』には次のような7・5調の歌を作ったことがあった。

物、物、物の今の世は

 物がなかった 昭和の世
 物がないから 考えた     
 物あり過ぎる 今の世は
 新たな物を 買いたがる

 考える暇(ひま)  ないほどに
 新たな物を 次々と
 作り続けて 買えと言う
 考える暇  与えずに
 物を作って  宣伝し

 あの手この手で 売りまくる
 ローン重なり 四苦八苦  

 物に溺れて  物を買う
 物に流され  物を買う
 物を買うため  働いて
 働いてまた  物を買う

 気がつきゃ「時」が  流れてる
 買えない「時」が  減っていく
 貴重な「時」が  過ぎていく
 後でどんなに 悔やんでも
 月日はただただ 進むだけ

学校の協力により、地元の高校1、2年生全員に調査させていただいた。

時間の使い方もいろいろあるのでは
 実は高校の活性化の一環として、当時の高校の校長先生の協力を得て調査したもので、高校生のゲームやスマホなどの使用時間を問うと共に、プログラミングに興味があるかどうかなども尋ねた。

 こうした文明の機器を使うなとは言いたくない。私も愛用者だからだ。使い方を考えてほしいと思うだけだ。余計なお世話かも知れないが、高校3年間にこうした機器に対して一体どれだけの時間を使うのだろうか。

 それだけの時間があったらもっといろんなことができるのではないかと思ってしまう。貯金と違って時間は貯えておくことができないのだから。その年にしかできないこともあるのではと思ってしまう。

 楽しいこと、身につけたいこと、作ってみたいこと、造ってみたいこと、創ってみたいこと、調べたいこと、鍛えたいこと、体験したいこと、語り合いたいこと、書いてみたいこと、…………いろいろあるではないか。

 スマホに費やす時間の一部でも,こうしたことに時間を使ってほしいと思う。きっと楽しくなるだろう。きっと充実した生活に繫がるだろう。

 大学時代、ある英語の先生がおっしゃった。「趣味の多い人間ほど、人生にもてあそばされることが少ない」と。確かにこのようなことだったように思う。今も、妙に記憶に残っている。そして、80歳になった今も、この言葉が現実味を帯びている。

 
 

トマトのちから

14 3月

10,000個のトマト
 トマトという作物について、強く頭に残ったことは、筑波万博での10,000個のトマトだ。頭上にある棚から真っ赤な無数のトマトが実っている姿は壮観だった。

 この状況に、感銘を受け、トマト栽培に乗り出した人達がいる。そして、それぞれが、一本のトマトから何個のトマトを収穫できるかを競っている。そして、15,000個を超え、20,000個を超えるまでになっている。

 なぜ、一本のトマトから、こんなにたくさんの実が実るのだろうか?それは、トマトにストレスを与えず、伸び伸び育てることだという。そのために、土を使わずに水耕栽培で行う方が根にストレスを与えないのだという。

 そういえば、トマトって不思議な作物だと思う。我が家でも、毎年トマトを育てているが、水耕栽培でなくても、育て方によっては、雪が降るまで実を収穫することができるのだ。

家の基礎の隙間からトマトが
 逆に、一切栄養を与えなくても、どんどん育つこともあるのだ。ある時、家(旧宅)の基礎の5mmほどの隙間から一本のトマトが芽を出したのである。そこで、どうなるか、抜き取らず、成長を観察することにした。

 すると、トマトはどんどん生長していくではないか。トマトが頑張っているのだからと、肥料は与えないが、支柱を取り付けることにした。そのうちに、芽を出し、トマトが実り始めたのだ。

雪が降るまでどんどん実を付けた家の基礎の隙間で育ったトマト

人間にも通じる無限の可能性
 トマトにも潜在能力があり、ストレスを少なくすれば無限に育つのだ。きっとこれは人間にも通じるはずだ。そう思って、私は、自分の教員生活の経験と自分が見聞きしたトマトの潜在能力から『トマト』と題する小説もどきを書くことにした。

 この、仮称、小説『トマト』を同級生の映画監督のO君に読んでもらった。そして、読後感想をいただいた。かなり厳しい指摘もあった。今度は教育経験者に読んでもらいたいと思っている。

 簡単に言うと、教えない老数学講師の話である。その講師が進学校で働くことになった。受け入れる生徒、受け入れない生徒、そして、……。

 私が考えているのは、今の世の中、次々といいろんなモノを作り出して、子ども達の創造や想像のチャンスを奪っているのではないか。また、大人達は教えすぎて子どもの考えるチャンスを奪っているんではないか、そんな思いから、この『トマト』を書く気になったのだ。

 大人のお節介を排除して、子どもが自らその潜在能力を発揮する世の中こそ、子ども達が楽しく生き甲斐を感じる世の中になるのではないか。この『トマト』でそれを伝えたかったのだが。1本のトマトでさえ、本気になれば2万個以上のトマトを実らせることができるのだ。それなら、人間は……?

小説『トマト』 読むに耐えるかは心配

 

アメリカ・セントラリア高校の今

10 3月

43年前に調べたアメリカの高校の今
 何冊か余っている拙著『アメリカの高校生~セントラリア高校の全て~』を久しぶりに出してみているうちに、今あの高校はどうなっているのだろうかと気になってきた。

 そこで、先ずはグーグルアースで学校を調べてみると、なるほど郊外にある高校だということがよく分かった。そして最近立て替えられたことも。以前は、「アメリカまで行って写真を撮ってきてほしい」と頼まなければ、学校がどのような場所にどのように建っているのか、全く分からなかった。

 ところが、今は違う。地図で頭上から眺めることができるし、まるで道を歩いているかのようにストリートビュウで眺めることもできる。学校のホームページの調べれば、様々な写真もある。今日・明日の行事も、今月の行事も、年間行事も全て知ることができる。

43年前に私が様々なことを調べて本にしたセントラリア高校の現在のホームページ

カフェテリアの今日、明日のメニューも
 日々の連絡も細かく、今日(アメリカでは9日)のことも『2023年3月9日木曜日 今日、カフェテリアはランチにピザを提供しています。 明日(学期末)は朝食にシリアルバーを提供し、正午は下校のため昼食は提供されません。』とある。他にも様々な情報がある。

日々の連絡が事細かに書かれているセントラリア高校のホームページ

過去の卒業アルバムも全ページ掲載 
 驚くことに過去の卒業アルバムも1031年(昭和6年)のものからすべて保存されていて、全ページ閲覧できるようになっている。ただし、色々個人情報を入力してログインしなければならないがそれは当然のことだろう。

 アメリカの卒業アルバムは『イヤーブック(年鑑とも訳す)』と言うだけに、日本とはかなり趣が異なる。例えば、個人写真がずらりと並んではいるが、その下に、自分がスポーツやその他の活動で写っている場所を示すページまで掲載されているのだ。

 そして、なんと懐かしいことに、私が手に入れた1979年の卒業アルバムもアップされているのだ。ここの編集部のカメラマンにお世話になったのだ。彼らは今60歳を超えているはずだ。

 他にも、学年毎の成績優秀者などの氏名や、単位を落としそうななった場合の補習授業のことなど、事細かに掲載されている。また、生徒手帳には服装規定まである。更に、それとは別に、様々な行事での服装も定められている。

 実は、このような事を調べたのは、今の在庫品(新品)をどう処分するかを考えてのことだ。既に、既刊の拙著『じいじ達の子供時代』は上下巻ともエルパの新しい本屋『AKUSYU』に置かせてもらえることになっているので、この本もどうかと考えているからだ。

 かつては、アメリカまでの取材旅行に行かなければ何も分からなかったが、今ならネットでどんなデータでも入手できる。写真も鮮明なカラーで入手できる。

 新入生を迎える校長の挨拶だって読むことができる。そして、それらが、全て英文でも構わない。なぜなら、翻訳ソフトを使えば、瞬時に和訳されて、だいたい何を言っているのかは理解できるからだ。

 私の過去50年とこれからの50年を考えると、その変化は、想像を絶することになっているだろう。もしかしたら、宇宙へ修学旅行なんてことも夢ではなくなっているかも知れない。

 

自費出版あれこれ(その2)

07 3月

荷造りで嬉しい悲鳴
 全国に一斉に注文ハガキや内容の概要を示すチラシ、推薦文などを入れたダイレクトメールを発送してから数日後。毎日、少しずつ注文のハガキが届き始めた。

 注文を受けたら、その日の夜、仕事から帰ってから荷造りをするのだ。少しでも送料を安くするために、書籍小包にするのだが、段ボールで包装し、書籍であることを示すために小窓を開けなければならなかった。

 ほぼ全てが高校からの注文だ。1冊、3冊、5冊と注文が届くために、段ボールをその大きさに切って箱状にし、小窓をつくるのだが、この作業がなかなか大変だった。

 20人あまりの教職員しかいない沖縄県の高校から14冊の注文が入ったときには感激した。毎日、帰宅したら、家内と二人で包装するのだが、嬉しくもあるがかなりきつい作業で、ピーク時には寝不足になるほどだった。

 段ボールを集めるだけでも大変だった。そうこうしているうちにお金が入ったことを知らせる振替用紙が家に届くことになった。 

少しずつ届いた反響
 本を発送してしばらくすると、本についてのコメントが届くようになった。あるときは、手紙で、あるときは、振替用紙の通信欄に読後の感想が届くようになった。好意的なものが多かった。

 「娘のアメリカ留学の参考になった」とか「アメリカの高校の様子がよく分かった」とか、いろんな行事に関するものなど様々だった。ただ、ここまで来るには相当の苦労があったと感じることも少なくなかった。

 出版社で本を作れば、販売に対しても専門の会社があって、全国の書店に配本してもらえるのだが、全くの自費出版ではそれはかなわない。北海道の人に、沖縄の人に届けるにはダイレクトメールしかない。

 しかし、ダイレクトメールでは不特定多数の人には届けられない。高校が精一杯だった。何とか、一般の人にも読んでいただける方法がないものかと考え始めた。

読者の感想文と書籍を東京の出版社へ
 一人では限界がある。そこで思い立ったのが、特別求めなかったのに、読後の感想を書いて送って下さる方がいたので、これらと一緒に本を出版社へ送ってみようと思い立った。一番多かったのは、振替用紙に書かれた寸評だった。

 どこの出版社がよいか、本屋でここはと思う出版社を見つけて送ることにした。それが東京の三修社だった。外国語系の辞書や教科書や様々な単行本を出版している会社だった。

 「出版しましょう」ということで、ほぼ、修正することなく、出版して下さることになった。表紙デザインは向こうにお任せすることになった。全てお任せなので荷造りの心配も何もない。1年に何度か印税が入るだけになった。

異文化を知る一冊シリーズに
 その後、拙著は三修社によって「異文化を知る一冊」シリーズに加えられた。今度は少し安価な文庫本としても出版して下さることになったのだ。

 その時点では、私はアメリカなどへ行ったことがなく、この『アメリカの高校生~イリノイ州セントラリア高校の全て~』を書いたのだが、雑誌社から原稿を書いてくれとか、引用させてくれという注文まで来ることになった。

 全くの予想外の展開だ。最初から、出版社へ持ち込んだところで見向きもされなかっただろうと思う。読者の皆さんの反響が私の背中を押して下さり、それが出版社の目にとまり、思わぬ展開になったのだ。

 その後、私は文科省の教育視察団となって、約1ヶ月間、海外の高校の教育について学ぶ機会に恵まれた。アメリカでは逆に自分の作った本の通りだろうかと思いながら視察したものだった。

 今、私は次を狙っている。今度は漫画本だ。自費出版を覚悟で、出版して下さるところがないかと思案している。そして、少し光が見えかかっている。何とか、夢が正夢になってほしいと願っている今日この頃である。

中央が自費出版したもの。左が三修社で最初に出版されたもの。右が、文庫本で出版されたもの。
 
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自費出版あれこれ(その1)

06 3月

自費出版の苦しみ
 現役時代、高校生(女子)が1年間の海外留学を終えて帰ってきた。私は、早速,彼女にあれこれアメリカの学校生活について聞いた。彼女は、自分の経験したことは、よく知っていた。

 しかし、高校生活全般、部活動、サークル活動、行事、教育行政などについては分からないことも多かった。それは当然のことであろう。日本の高校生に、2年生になったとき、これらの全てを聞いたところでどれだけ答えられるだろうか。ほとんど答えられないだろう。

私が編集長で彼女は記者のようなもの
 そこで、彼女に、「春休みに、もう一度アメリカへ行って取材してきてくれないか?」と頼むことにした。すると、彼女は「嬉しい、もう一度アメリカへ行ける。ホームステイした家族と会える」ということで、私の申し出を快諾してくれた。

 彼女は、100以上の質問(取材項目)と私のカメラを持ってアメリカへ向かった。彼女がアメリカにいる間中、ずっと無事だろうかと案ずることになった。ほどなくして、彼女は取材を終えて、無事帰国してくれた。

 そんな中で、一番の収穫は、アメリカの『イヤーブック(日本で言う卒業アルバム)』の編集部からカメラのネガをもらってきたことだ。これは、編集部の写真担当の生徒10名あまりが一年間かかって写した写真のネガだから、とても貴重なものだった。 

 個人が一年間アメリカへ留学したからと言って、写せる量と種類ではない。一級の貴重品だ。ナイターのフットボールや野球の試合などもあるのだ。インタビューの録音テープもある。

膨大な英語資料をどうするか
 今と違って、翻訳ソフトもない時代だ。膨大な英語の資料を訳さなければ原稿など書けない。そこで、わら半紙にハガキ大の英文を張り付け、1枚200円で訳してもらう作戦に出た。

 日本人が必死になっても分からない部分がある。それは、アメリカ独特の行事などだ。例えば、「ホームカミングウイーク」など何のことだろうと思うかも知れない。

 そんなときは、当時、福井県にただ一人の外人英語講師が毎週木曜日の午後には教育研究所におられるということで尋ねていって質問させていただいた。幸いその時期は定時制勤務だったので、上司の許可を得て出かけることができた。

 原稿の校正は、1年先輩のY先生に我が家で泊まっていただいて、ウイスキーを飲んでいただきながら作業をお願いした。あるときなど、食事の後、蛍を捕ったりして遊んだ後、ウイスキーを飲んでいたら、その日は眠くなって作業なしということもあった。

 こうして1年がかりで要約原稿ができあがった。印刷は行きつけの印刷屋さんだ。予算もないのに、印刷して下さった。あるときに払えば良いという寛大なものだった。そして、3,000冊の本ができあがった。

どうして注文を取るか
 玄関に積まれた3、000冊の『アメリカの高校生~イリノイ州セントラリア高校の全て~』を前に呆然とした。これをどうして売りさばくか。地元や福井の本屋へ置いてもらったところで知れているだろう。

 全国の書店へ送るルートは個人にはない。ダイレクトメールで全国の5,000の高校の英語科と図書館へ送ることにした。と言っても、A2版の宣伝のチラシを郵送するのだ。

 10,000通の手紙の切手代が70円×10,000通=700,000円だ。三色刷のチラシ印刷代も馬鹿にはならない。それに、10,000通の宛名を家庭で書けるずがない。

 チラシを封筒に入れるためには相当折り曲げなければならず、それに、推薦状や振替用紙なども入れなければならない。高校生数人を弁当付きのアルバイトで雇い、必死に宛名を書いてもらった。郵便番号がない時代なので大変だった。

  結局、1、000,000円ほど、ダイレクトメールのために費やすことになった。お金が羽を生やして飛んでいく。これで本が売れなければ、大変な赤字だ。果たして注文は来るだろうか。  (その1 終わり)

 結局、1、000,000円ほど、ダイレクトメールのために費やすことになった。お金が羽を生やして飛んでいく。これで本が売れなければ、大変な赤字だ。果たして注文は来るだろうか。  (その1 終わり)

自費出版した『アメリカの高校生』(表紙に使った写真は全て卒業アルバム制作スタッフが撮影したもの)

 
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再び「人間信頼の感情を育てる」

02 2月

古くならない恩師の言葉
 今から48年前、私は教員3年目で、N校長の下で働くことになった。小学校時代にも、このN先生はおられた。授業を受けたことはないが、「先生を描く写生大会」があって、私はN先生を描いたことを覚えている。

『爺ちゃん勉強』の後の孫達との語らい。楽しいひとときだ。

『爺ちゃん勉強』の後の孫達との語らい。楽しいひとときだ。

このN校長は学校目標として「人間信頼の感情を育てる」を掲げられたのだ。N先生の指導法は、直接あれこれせよということはほとんどなかった。私達、若い教員(当時私は24歳)に対しても指示や命令をされることはほとんどなかった。

しかし、私達は、先生の背中(言動)から多くのことを学ぶことができた。そして、私にとっては、恩師の一番に上げることができ、尊敬できる先生だ。私生活でも父親のごとく、お世話になった。

今の世の中、経済や効率。自国の利益や自分の利益を求め過ぎて、おかしくなっているように思う。人間信頼の逆を進んでいるように思えてならない。そして、国と国との格差、国の中での格差が広がるばかりのような気がする。

ピケティー教授の本が売れるのも、わかるような気がする。結局、世の中、人間同士の信頼感が失われ、暴力や武力に頼らざるを得ない状況になっているように思えてならない。この調子では、平和は遠のくばかりのような気がする。改めて、私達は、「人間信頼の感情」を育てることに力を入れなければならないのではなかろうか。

(日記 朝から、終日、幼児紙芝居の絵を描き続けた。午後7時から横浜の孫の『爺ちゃん勉強』。)

 
 

変わる研修生

06 11月

今日はインドネシアからも

大野の研修センターでの講義。やりがいがあった。

大野の研修センターでの講義。やりがいがあった。

 今日は、大野の研修センターで外国人研修生に講義をする日だ。ここ数年の研修生はほとんど中国人であったが、前回からは、中国以外からも、大野市にある研修センターへやって来るようになった。

 今日は、中国人は3名だけで、ミャンマーとインドネシア乃研修生がそれぞれ10名以上であった。特に、インドネシアの研修生は初めてであった。前回までは、既婚者が多かったが、今回からは若い人が多かった。

 日本では、若い女性がどんどん地方から消えていくというのに、ミャンマーなどにはたくさんの若い人がいて日本へやって来るのだろうか。自己紹介の容姿から判断すると、インドネシアもミャンマーも兄弟が多いように思われた。五人兄弟という研修生もかなりいた。

みんなで楽しくダンス。一番盛り上がる時間だ。

みんなで楽しくダンス。一番盛り上がる時間だ。

 9時から1時間目、10時から2時間目、11時から3時間目と3つに区切って講義を進めた。1限目は、日本で「よき社会人となるためのアドバイス」など、2限目は「日本の四季」について、パワーポイントで写真を示しながら話を続けた。

 3限目は、前半が歌で後半がダンスを行った。3限目から家内が応援に来てくれた。私のアコーデオン伴奏で歌を歌った。後半は、ダンスであった。いつものことだが、笑い声が絶えなかった。楽しい研修会であった。

(日記 午前9時から12時まで、大野の国際研修センターで中国・ミャンマー・インドネシアからの研修生に講義。そして、外食。帰宅してから、例によって私は数学の問題集作り。家内は「いのせ文化祭」の作品作り。午後7時半から横浜の孫の『爺ちゃん勉強』。12月に横浜で会えるのが楽しみだ。今日

玄関へ出てきたミャンマーの研修生と記念写真。

玄関へ出てきたインドネシアの研修生と記念写真。

一日、充実していたように思う。)

 
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懐かしき先輩・後輩と

29 8月

大野で『奥越春秋会』
 『奥越春秋会』、それは、奥越地区で高校校長を務めたOBの集まりだ。私の年齢71歳は、会員のちょうど真ん中ぐらいだ。先輩半分、後輩半分というところだろうか。

それぞれ近況を話し合い、楽しい時間を過ごすことができた『奥越春秋会』。

それぞれ近況を話し合い、楽しい時間を過ごすことができた『奥越春秋会』。

 奥越の人間なので、大半は、大野高校で勤めた経験を持つ。少しでも、生徒達の学力をつけようとして、亀山のふもとで頑張った時代を思い出す。

    大野高校は、手狭になったことと老朽化したことなどから、場所を変えて新築するというのだ。新築のための準備には私も少しは関わったのだが、いざ移転というときに、私は勝山高校へ転勤になった。

 大野高校在職8年の間に、大野高校野球部は、夏と選抜の甲子園へ出場することになった。そんな思い出のある高校教員時代を共に過ごした先輩後輩の皆さんと1年ぶりの再会だ。

 いつも思うことだが、健康には気をつけなければならないということだ。健康維持のためにできることは、まだまだあるが、私はそれらを十分にやっていない。皆さんの現況を聞いていい意味でいろんな刺激を受けた一日だった。

(日記 大根を植える場所を耕した。夏野菜もそろそろ終盤戦。秋から来年へ向けての準備が始まる。夜は、大野市の料理屋で『奥越春秋会』。充実した時間を過ごすことができた。)

 
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