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Archive for the ‘教育’ Category

読書感想文

16 8月

子供の考えを生かしながら
横浜の小学4年の孫の宿題もいよいよ終盤戦になってきた。昨晩は家内が一緒に本を読んでいた。今日は、私が読書感想文の相手をする番だ。早速、私は起きるなり、その本を読んでみた。

宿題の感想文は、400字詰めの原稿用紙2枚で書くのだ。私は文章を書くのが大好きだが、私が書くのではないので指導は難しい。幸いその本の終わりには、改めてあらすじが3ページにわたって書いてあったので、孫にもう一度それを読ませて、その「あらすじを短くまとめてみなさい」と指示を出した。その間、私は自分の数学の参考書作り作業。

短くまとめたあらすじを見て、「どこが面白かったか」、「どこが心に残ったか」などを聞き、自分で書いてみなさいと指示を出して再び、自分の作業。そして、「なぜそこが面白かったのか」、「その理由」や、「自分なら

現行の量は予定の倍ほどになった。相談しながら短くさせた。なるべく子供の視点で思い、子供の考えを重視しながら、ゆったりと事を進めた。そして、最後に、提出用の原稿用紙に清書させた。

たった2枚の原稿を仕上げるのに、午前午後と合わせて5時間もかかってしまった。しかし、仕上がった時にはやり終えたということで、お互いに満足できたと思う。机を並べて作業をしたので、私も自分の仕事がかなりはかどった。思い出に残る夏休みの宿題になった。

(日記 今日は、孫の『読書感想文』を書く日。担当は私。孫の考えを生かしながら、相手を務めた。午前午後、合わせて5時間ほどかかった。その間、私は隣で数学の参考書作り。おかげで仕事がはかどった。楽しい作業だった。)

 
 

「歌う」という宿題

11 8月

どうせ歌うなら楽しく
 横浜の小4の孫が、帰省して2週間が過ぎた。いろんな宿題を持ってやって来た。その中に少しだけ私の宿題もある。算数と国語の問題だ。学校の宿題の中には「読み聞かせ」や「歌を歌うこと」が入っている。

 その歌とは、『ゆかいに歩けば』と英語で歌う『エーデルワイス』だ。「エーデルワイス」の発音も「エードゥルワイス」と発言するように習ったらしい。しかし、孫が一人で歌っているだけでは盛り上がらない。

孫を中心に、学校の宿題の『エーデルワイス』や『ゆかいに歩けば』を歌う家内と息子の嫁。みんなで歌えば楽しくなる。

孫を中心に、学校の宿題の『エーデルワイス』や『ゆかいに歩けば』を歌う家内と息子の嫁。みんなで歌えば楽しくなる。

 そこで、家内と,息子の嫁に「歌を宿題と感じないで、楽しいものと感じさせるために、一緒に歌ってくれ」と頼んだ。所々は、孫のソロにし、みんなで大きな声で歌った。

 子どもの宿題だが、「させられるのではなく、楽しんでする」ようにするには、周りの大人達の関わり方である。歌ばかりでなく、漢字の練習でも、周りの大人が、一緒に学べば子どもも気持ちが変わるのではなかろうか。

 国語の読み聞かせの宿題もあるが、真剣に聞いていると、子どもたちも張り合いが出てくるのではなかろうか。そんな気持ちで孫の宿題に関わっていきたいと思う。夏休みも後半戦に入りかけている。勝山でよい思い出をいっぱい持って帰ってほしいと思う。少しでも成長してほしいとも思う。

(日記 午前中、歯医者へ行った。通院に時間を取られるのは悲しいが自業自得だから仕方がない。その後、生け垣の伐採。そして、家内とお墓の掃除をした。午後は、孫の学習を見ながら、数学。夕方は家族で孫の宿題の歌を歌う。あっという間に一日が過ぎた。)

 
 

『何を伝えたかったか』

15 7月

大野高校の『学級日誌』より
最小限の「モノ」しかない部屋にあこがれる。しかし現実には簡単ではない。そこで、先ず、自分が集めてきた様々なものを少しずつ捨てたいと思う。その中の一つに、自分の書いた「モノ」がある。

本棚を整理していたら、大野高校時代の学級日誌が出てきた。冒頭に、自分が書き、その後クラスの生徒たちが自分の思いを書く仕組みだ。「今日、何をしたか」よりも、「今何を考えているか(思っているか)」を書いてほしいと思って始めたものだ。

・・・・・・・大野高校3年E組『学級日誌』より・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「灰色かバラ色か」
君たちが勉強マシーンでないように、僕もティーチングマシーンではない。
しかし、忙しい毎日を送っていると、そういう錯覚に陥りやすい。

君たちも人間らしく生きたいだろうし、僕もそうしたい。
そこでこの雑記帳(学級日誌)には、自分の考えていることを遠慮せず、格好をつけずに書いてほしい・・・・・。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
で、始まっている。そして生徒たちがいろんなことを書き、私がコメントしている。自分の若かりし頃の考えがわかって面白いところもある。当時、何を伝えようとしていたかがよくわかるからだ。

当時の状況は、3年生になり進路に合わせてクラス分けが行われ、生徒たちは、文系、理系のクラスで授業を受けることになったのだ。私は理系の担任。大学進学を目指して生徒たちは、授業のほかに、受験のための課外授業を受け、日曜日には、数多くの模擬試験を受けなればならない忙しい時期だったのだ。

このような時期に自分の考えを書いていたのだ。このような学級日誌を捨ててしまえばよいのか、残しておけばよいのか、迷うところである。今のところ、もうしばらく保管したいと思っている。こんなわけで、写真なども含めてたくさんのものが捨てられずに我が家に存在しているのだ。断捨離はほど遠しという状況である。

(日記 午前中は、保管してある書類の整理。ついつい「ムカシ君」になってしまいそうだ。午後は、パソコンで音楽。夕方、花の植え替えなど。)

 
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エプロンシアター

18 5月
二人でオリジナル紙芝居『かくれんぼ』を演じた。

二人でオリジナル紙芝居『かくれんぼ』を演じた。

子どもたちの輝く目
 大野市の小山公民館からの依頼で、例によって「手遊び歌と紙芝居」をすることになった。約1時間前に自宅を出発して大野市へ向かった。20分ほどで公民館へ着いた。

 会場に入らず、駐車場にワゴン車を止めて家内と二人で紙芝居と手遊び歌のリハーサル。紙芝居と歌の練習をして会場へ入った。親子が会場の大広間に集まっていた。

 集まっている子どもは乳幼児から小学生までとかなり幅があった。一番やりにくいパターンだ。こんなときは、1、2歳児に的を絞った筋書きのない紙芝居『かくれんぼ』と『のぞいてみよう』をすることにしている。

エプロンを舞台に「三匹ヤギのガラガラドン」を演ずる家内。

エプロンを舞台に「三匹ヤギのガラガラドン」を演ずる家内。

 こちらの方は、子どもたちが見つけたキャラクターや動物達を先を争って見つけて発表してくれるので会場は盛り上がる。家内は、自作のエプロンシアターを演じた。

 そして、もう1本は、幼稚園児から小学生に的を絞った恐竜紙芝居『大雨に負けないぞ』を演じることにしている。そのほか、手遊び歌数曲を披露した。あっという間に1時間が終わってしまった。子どもたちの輝く瞳に励まされながらの1時間でもあった。少しだけ、子育てについても話す時間をいただいた。

(日記 午前中は小山公民館で親子に「手遊び歌と紙芝居」を演じた。午後は、親戚の「家見(新築披露)」があった。家内と二人で出向いた。昼食をいただき、家の中を見せていただいた。私たちは、「自分達も家を作りたい」と思って帰ってきた。午後は、オカリナカラオケの編曲とCD作り。今日も忙しい一日だった。)

エプロンシアターを演ずる家内の横で私は、ギターで盛り上げ役。

エプロンシアターを演ずる家内の横で私は、ギターで盛り上げ役。

 

危機管理とマニュアル

02 5月

自分の頭で考えることの大切さ

 事故や災害のとき、どのように対処したらよいだろうか。危機に遭遇したとき、どのように動けばよいか、普段から考えておくために「マニュアル」は必要だ。

 責任のある立場にある者は、普段から災害や事故に起きた場合を想定して「訓練」をやっておかなければならない。被害を最小限に食い止めるため、そして、責任を問われないようにするためだ。

 しかし、本番では往々にして想定通りにはいかない。想定通りでない事故に対してマニュアル通り行動したのでは、被害は避けられない。現場の状況に応じて行動しなければならない。

 いかに臨機応変に対処するかだ。現代人は、「災害は滅多に起こらないだろう」とか「自分は事故に遭わないだろう」と考えている場合が少なくない。従って訓練も臨場感がない。

 想定通りにいかない場合に、いかに自分で考えて、臨機応変に行動するかが今、あらゆる場面で求められている。スポーツでも同様だ。これは学校の勉強でも同じだ。考えなければ勉強ではないと思う。

(日記 一日中、部屋の掃除と整理。なかなか思うように進まない。作業の合間に、時々、編曲作業。最近の事故を見て思うことは、「マニュアル」通りの行動と「自分の頭で考えた臨機応変」の行動のバランスが大切だ。一日があっという間に過ぎてしまった。)

 
 

中国人研修生の皆さんと

25 4月

日本で頑張って下さい

中国人研修生に対する2時間の講座。

中国人研修生に対する2時間の講座。

中国から来た 研修生
大野で研修 するたびに

お呼びがかかる 幸せよ
今度は何を 話そうか

政治の世界と また別で
家族を国に 置いてくる

中国庶民の ひたむきな
態度に接し 身が締まる

どうか身体に 気をつけて
家族のために 働いて

3時間目の前半は,家内と共に日本の歌の指導。みんな大きな声で歌ってくれた。

3時間目の前半は,家内と共に日本の歌の指導。みんな大きな声で歌ってくれた。

ほんとの日本を よく知って
意義ある日々に してほしい

(日記 午前9時より大野市の研修センターで、中国から日本へやって来て研修を受けている25名の皆さんに講話をすることになった。研修生のほとんどが既婚者で夫と子どもを中国に残しての日本での研修だ。このセンターから、ここ数年私に声をかけて下さるのでとてもありがたい。この年齢になっても、誰かの役に立つことは私にとってはとても嬉しいことだ。今日は、研修生からもう一度来てほしいとリクエストがあった。毎回、講座は一回3時間と決めているが、今回はボランティアでもう一回寄せてもらうことになった。正午に講座は終わった。いつも11時からの歌唱指導と踊りには家内も参加して二人でやっている。研修生の皆さん方の思想だとこちらも楽し

三時間目の後半は、踊り。皆さん楽しそうに踊ってくれた。座学の後の踊りはみんなリラックスできる。

三時間目の後半は、踊り。皆さん楽しそうに踊ってくれた。座学の後の踊りはみんなリラックスできる。

くなる。帰り際に二人で外食。午後は、二人で家庭菜園作業。午後いっぱい農作業をすると決めた。 今日は、六呂師で購入した牛糞堆肥をたっぷり入れてトマトを植える場所を作った。その後、トマトは雨に弱いので雨よけのビニールをかけた。結構面倒な作業だが、夕方いっぱいまでかかって終えた。午後7時半からスカイプによる横浜の孫の『爺ちゃん勉強』。変化に富んだ一日だった。)

 

 

 

 

 

苗はまだ植えてないが、トマトのビニールかけ作業。

苗はまだ植えてないが、トマトのビニールかけ作業。

 
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幼児に向けて

30 1月

2、3歳児を楽しませるには
時々、「幼児の前で何か面白いこと、楽しいことをやってくれませんか」、「幼児の保護者の前で何か話してくれませんか」と頼まれること事がある。

手遊びや紙芝居などで対応してきたが、いつも同じことをやっているのでは、マンネリ化する。そこで、今回は紙芝居に一手間加えること、それから、幼児達も参加できる何かができないかと考えた。

図書館で本を借りてきてそれらをアレンジして対応することにした。出番は来月の上旬・中旬にそれぞれ一回ずつあるので、それまでには何か考えてみたい。

午後は、早速作業に取りかかった。そして、楽器を持った5匹の動物の絵を完成させた。これを使って果たして子ども達を乗せることができるか。鍵は、子ども達の参加にかかっている。

(午前中は、もっぱら数学の参考書作り。午後は、幼児の遊び教材作り。一日があっという間に過ぎてしまった。)

 

 

複合副作用

22 1月

+・-の影響
物事には裏表がある。薬でも効能と共に副作用もあるだろう。どんなものにも長所と短所がある。それを一方の面だけを強調するのはフェアではない。

円高一つとってもそうだ。好影響を受けて笑いが止まらない者もいれば、その逆に外国からの資材を輸入して成り立つ企業は逆であろう。ガソリンもどんどん上がる。

これから物価はどんどん上がるだろう。おまけに消費税も上がる。消費税はその性格上どんどん上がっていくと、導入時に懸念を示されていたが、その通りだ。10%になれば、さらに15%、20%とと上昇していくだろう。

私個人は上がることを問題にしているのではなく、それらを決定する人間に信頼感があるかどうかということだ。少なくとも、北欧ではもっともっと高い税率であるが、国民は日本よりは政治家を信頼しているように思われる。

携帯電話も文明の利器だ。しかし、成長過程の子どもたちには経費も含めて必ずしもプラス面ばかりではなかろう。今や、大人も子どもも、通信機器と言うよりも、おもちゃを手にした子どものように振る舞っている部分が見られる。

自己コントロールの未熟な成長過程の子どもたちが、こうした機器に莫大な時間を費やすことは大問題だと私は思う。ゲームも漫画も雑誌も同様である。

そうしたものの副作用が重なるとどういうことになるのだろうか。人間としての成長が阻害されて大人になった子ども達は将来どんな社会人になり、どんな社会を築くのだろうか。

実体験から学ぶことの大切さ、為政者はものの副作用を十分考慮に入れて政治を行っていただきたい。今の世の中、複合汚染されているように思えてならない。その結果、命がどんどん軽んじられていくように思えてならない。

(日記 午前中は、もっぱら『かたせ瓦版』作り。午後、できあがったものをコピーした。その後、久しぶりに市営プールへ行った。歩きを中心に、風呂、サウナ、ジャグジー風呂と繰り返し帰宅。久々に自由な時間がやって来た。)

 
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「セオリー!」

04 1月

学年同窓会
私が勝山高校で最後にクラス担任をした学年の同窓会が、勝山ニューホテルで行われた。6クラス合同の同窓会だ。なつかしい顔が並んでいてとてもなつかしく楽しかった。

幹事が、受付でアンケートをしたそうだ。「ミス〇〇」、「ミスター〇〇」的なアンケートの他、「高校時代、印象に残っている先生の言葉は?」という部門で私の発していた「セオリー」がトップだった。

マイクを向けられてその説明をしたが、それよりも、「セオリーは自分の子どもにも教えて欲しい」とか、「「あのセオリーのおかげで私は数学が得意になった」とか、「あのセオリーを入れた問題集を作れば絶対売れる!」と力を入れて励ましてくれる者もいた。

最後は大きな輪になって「勝高校歌」斉唱。

最後は大きな輪になって「勝高校歌」斉唱。

セオリーとは、高校生に数学を教えているときに、生徒達が何度も同じ過ちをしないように標語的に述べたものだ。最初は、本当に標語的だったが、後にはこれを5・7・5調にしたのだが、生徒に受けたのではなかろうか。

高校時代の授業が今も印象に残っているとはありがたいことだ。私も、ちょうど今年は数学に力を入れたいと思っていたところだ。背中を押された同窓会であった。

(日記 午前中、孫に書き初めの相手をする。最後に2枚清書した。午後6時から『勝山高校学年同窓会』。当時年長で学年主任だったので、開会の挨拶を仰せつかった。かつての生徒達は皆立派になっていた。いろいろ話すことができて幸せだった。)

 
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潜在能力

14 11月

トマトの力
家の基礎とコンクリートの土間の隙間に1本のトマトが植えもしないのに生えてきた。日常生活の邪魔にもならないので、支柱をしてそのままにしておくことにした。

畑で育てた、トマトが収穫を終えた今も、このトマトは枯れもせず、青々としていてたくさんの実を付けている。家内と二人で、その真っ赤なトマトを食べてみると、とても甘かった。

基礎の石垣の間から伸びたトマトが真っ赤な実を付けた。

基礎の石垣の間から伸びたトマトが真っ赤な実を付けた。

畑のトマトは全て枯れてしまって跡形もないこの時期に、わずか1cmの隙間で成長を続け、11月の半ばを過ぎても全く枯れる気配がない。

畑を耕し、肥料をやり、水やりをして丁寧に育てたトマトと、過酷な条件で育ったこのトマトとは何が違うのだろうか。トマトにも、本来成長する力を持っているのだろう。

しかし、私たちは、育てるつもりで不必要な手を加えているのではないか。今になっても枯れる気配のないこのトマトは他のトマトとはどう違うのだろうか。

これはトマトに限ったことではなかろう。人間でも同じことが言えるのではないか。大人の作った環境が、一見快適そうに見えても、子どもたちにとっては必ずしもそうではないのではなかろうか。

今は、モノの与え過ぎで、子どもたちの活動の範囲を狭めているように思えてならない。「何もない」ことのすばらしさ、他から何も手を加えないことのよさを再認識すべきではなかろうか。

それぞれのものが持つ潜在能力を信じなければならない。私たちは、人に対しては、望まぬ方向に引き伸ばそうとしているのではなかろうか。今一度、潜在能力とはなにか、それを引き出すにはどうしたらよいかを考えるべきではなかろうか。

今や人間の背丈を遙かに超える大きさに育ったトマト。石垣の隙間で育っているのだ。

(日記 朝から、パソコンに向かって音楽活動。途中で、エンドウを植えるために、畑を耕そうとして耕耘機を動かそうとしたが、クラッチが作動せず、耕すことができなかった。そこで、家内と二人で人力で耕すことにした。時間がかかりながら十分な作業ができなかった。機械の有り難みを感じた一日だった。)

 
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