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Archive for the ‘生き方’ Category

悲しい「子猫ちゃん」の話

28 9月

安らかに眠れ
 数日前から、我が家の児童館の横にある家庭菜園の堆肥枠の中に子猫がいた。近くに親猫と思われる猫も見えた。最初は4匹いたのだが、その後、一匹だけ残って泣いていた。親が連れて行くだろうとこの数日見守っていたがその気配もない。

 我が家は夫婦で外泊することも多いので、猫を飼うことはできない。親が迎えに来るまで何とかしなければ思っていた。3日ほど前からスポイドで牛乳を与えたが、飲む気配もない。昨日は猫の粉ミルクを買って与えたが、うまくく飲んでくれない。

 今朝も、猫のいる堆肥枠をのぞいてみると、静かに子猫がうずくまっている。そっと取り出してみると、息はしているが声を上げない。相等弱っているようだ。自宅へ連れて帰って粉ミルクを与えたが、飲む力もないようだ。急いで、動物病院へ連れて行ったが、今日は日曜日。運良く、先生がおられたので、特別に診ていただくことができた。「低体温で、ミルクを飲む力もないので危ない。とにかく預かりましょう。」というので緊急入院。「元気になったら連絡します」とのこと。気が気でない。

 昼過ぎに、病院から電話がかかってきた。亡くなったというので、病院へ急いだ。小さな段ボール製の棺に入った子猫が手渡された。涙が出てきた。申し少し早くどうかすればよかったと悔やんだ。わずか数時間だったが、我が家の子猫として扱いたいと自宅へ帰って、棺に子猫の名前を書いた。

 その後、家内と二人で、庭の隅に埋めた。おそらく野良猫が産んだのだろう。そうでなければ誰かが捨てたのか。幼い猫の生命が消えてしまった。申し訳ないという気持ちもあり、悲しい一日となった。子猫ちゃんの冥福を祈りたい。動物を飼う人は野良猫や野良犬を出さないよう気をつけてもらいたい。野良犬や野良猫に対しては、ついつい同情してしまう。私の童話の多くに野良犬や野良猫が登場するのはこのためだ。

(日記 子猫にかかり切りの半日だった。その後、アニメ作り。)

 
 

スクラップ

13 7月

スクラップを使う機会がないかもしれないが
私は、スクラップをすることが大好きだ。雑誌などを買った場合には、そのまま保存すると本棚を占拠してしまうので、資源回収に出さなければならない。しかし、せっかくお金を出して買ったものをそのまま捨てるのは忍びない。

そこで、今後、役立つだろうと思われる記事などを切り抜いてスクラップしているのだ。「まちづくり」、「趣味」、「童話」、「野菜作り」、「教育」、「人物」などについて気に入ったものがあれば、切り抜いてクリアファイルに保存しているのだ。

こうすることによって雑誌本体は、安心して資源回数に出せるのだ。現役時代の様々なものも保存してあるが、だんだん利用価値がなくなりつつある。その多くは、私の子供たちには何の価値もないだろう。

かといって、簡単に捨て去るわけにもいかない。何とか利用価値のある形にして気持ちよく整理したいものだ。これまで、50数年に渡っていろんな場所でいろんなことを書いてきたが、後輩たちのだれか一人にでも役立つ形にしてみたいものだ。

このスクラップをすることは、講演会などでメモすることにも似ている。どうせ後日読まないだろうとはわかっていても、「もしかして何かの役に立つのでは」」と思ってメモしている。そうすることによってその場は安心して過ごせるからだ。今日も、そんなわけで無駄なスクラップに多くの時間を割いてしまった。

(日記 午前7時より老人会の草取り。区の墓地周辺の道路の草取りを行った。私も、草刈り機を持って作業に参加した。その後、雑誌野スクラップ。午後は、久々にパソコンで音楽。歌や楽器演奏のための伴奏用CD作り。午後7時半より集会場で銭太鼓『片瀬豊年ばやし』の練習。27日の出番の練習。疲れた一日だった。)

 
 

ものの少ない生活

05 7月

行動範囲を取捨選択
 最近、我が家の行事の関係もあって、少しずつ家を片付けている。ものが少なくなった部屋は落ち着く。ものは、いつか何かに間に合うのではと思っているとなかなか片付かない。

 本とは、書籍なら、図書館があり、ネットがある。知識的なものならそんなに要らないはずである。しかし、自分が作ったり、記録してきたものは、捨てたらそれで永久にこの世から消えてしまう。

 だからといって、そんなに価値のあることをしているのだろうか。40数年間、教育に関わり、悪戦苦闘したり、書いたり、考えたりしたことだけは、簡単には捨てたくない。誰の役にも立たないだろうけれども。

 そんなことを考えているうちに、家の中には捨てられないものがたまっていくのだ。写真にしても、残したところで誰も見たりはしないあろう。ごく、少し残せばよいだけだ。しかし、たくさんのアルバムがあり、たくさんの思い出が詰まっている。

 こんなことを考えると、残さないでもよいものを、残しているようにも思える。しかし、こうしたことを繰り返しているうちに、少しずつ、ものが減っているのは間違いがない。ああ、いつになったら、家の中がスッキリするのだろうか。全ては、自分の気持ちにかかっているだけだ。

(日記 朝は、部屋の整理。午後、家内は外出。私は数学。果たして、こんなことをしていて価値があるのだろうかと時々思うが、また、勇気を出してやり続けているという感じだ。周囲の、高校生や昔の教え子達に励まされて。)

 
 

久々の断捨離

13 6月

思い出を断ち切る
数日間かけて、物置を整理をすることにした。これまで、まだ使えると思っていろんなものを保存していたが、時間的にもなかなか使うことはないだろうと思って捨てることにした。

午後、まずはまだ使えるだろうと思って保存していたファンヒーターなどを数台捨てることにした。それぞれに思い出があるが、新しいものもあるので涙を呑んで捨てることにした。

同じように、客用の座布団や古いドラムいセットの一部も捨てることにした。青春時代が遠ざかっていくような気がしないでもないが、後ろを振り勝ってもどうしようもない。

おそらく、まだ使えるだろうと思っていりんな物を保管しているのは、私ばかりではなかろう。比較的家に余裕のある田舎ではいろんなものが捨てられずにあるのではなかろうか。

軽トラに積んで、大野市のごみ処理場まで捨てに行った。物置の空間が広がることはとてもうれしい。ここ数日間は心を鬼にして、捨て続けたいと思う。しかし、書籍類だけは、心を鬼にしても捨てきれないでいる。これもいずれは処分しなければならないだろう。モノへの執着をた断って、清々しい気分になり、前へ向かって進みたい。

(日記 午前中は、事務所で数学。問題を作るのに苦労した。午後は、断捨離。心を鬼にしながら思い出の品々を整理した。午後4時過ぎに軽トラでファンヒーターなどを持って大野のごみ処理場へ出かけた。空間が広くなった分、気持ちも軽くなった。)

 

雨もまたよし

21 5月

久々の雨
 百姓育ちの人間にとっては、雨の日はホッとする。今日は朝から雨。こんなときは、事務所で自分のやりたいことを心置きなくやれる。先ずは、数学。とにかく、毎日少しずつ形にしていくことだ。今日で一区切りができた。

 1時間ほど集中しては目休め。お茶やコーヒーを飲んで作業開始。この間、しばらくはテレビ(の音声)を聴きながら、その後はラジオを聞きながらの作業だ。

 退職してからは、ラジオファンになった。ラジオは作業をしながらでも聞くことができるからだ。そして、結構自分のため(勉強)になることも多い。

 時々、目を休めるために、家庭菜園を除くのは楽しみだ。今は、イチゴが盛りだ。来週くらいからはエンドウもふんだんに食べられるだろう。そして、ジャガイモ、キュウリなどが続くだろう。

 庭の片隅にある3本のイチジクの木も果実をつけている。キウイも花盛りだ。そのうちに摘果しなければならないだろう。菜っ葉はいつでもおひたしにして食べられる。家庭菜園は、趣味と実益には最高の取り組みだ。

(日記 半日は数学。途中で、家内とオカリナ練習。午後も作業を継続。そして、自宅へ帰りCD作り。午後8時頃から食生活改善推進員『さわらび会』の皆さんに余興の踊りの指導。雨の日も結構忙しく充実していた。)

 
 

危機管理とマニュアル

02 5月

自分の頭で考えることの大切さ

 事故や災害のとき、どのように対処したらよいだろうか。危機に遭遇したとき、どのように動けばよいか、普段から考えておくために「マニュアル」は必要だ。

 責任のある立場にある者は、普段から災害や事故に起きた場合を想定して「訓練」をやっておかなければならない。被害を最小限に食い止めるため、そして、責任を問われないようにするためだ。

 しかし、本番では往々にして想定通りにはいかない。想定通りでない事故に対してマニュアル通り行動したのでは、被害は避けられない。現場の状況に応じて行動しなければならない。

 いかに臨機応変に対処するかだ。現代人は、「災害は滅多に起こらないだろう」とか「自分は事故に遭わないだろう」と考えている場合が少なくない。従って訓練も臨場感がない。

 想定通りにいかない場合に、いかに自分で考えて、臨機応変に行動するかが今、あらゆる場面で求められている。スポーツでも同様だ。これは学校の勉強でも同じだ。考えなければ勉強ではないと思う。

(日記 一日中、部屋の掃除と整理。なかなか思うように進まない。作業の合間に、時々、編曲作業。最近の事故を見て思うことは、「マニュアル」通りの行動と「自分の頭で考えた臨機応変」の行動のバランスが大切だ。一日があっという間に過ぎてしまった。)

 
 

マイペース

11 4月

再出発

冬を越して今年もきれいに咲いてくれた事務所の前のパンジーとチューリップ。通行する人たちのために植えた花壇。そのうちに、後ろのエンドウが大きくなるだろう。

冬を越して今年もきれいに咲いてくれた事務所の前のパンジーとチューリップ。通行する人たちのために植えた花壇。そのうちに、後ろのエンドウが大きくなるだろう。

四月に入り 生活に
ゆとりができた はずなのに

まだまだ乗れない そのペース
早く決めたい マイペース

やりたいことは 数あれど
間口広げりゃ 進めない

自分の力 考えりゃ
取捨選択が 第一だ

一に数学 二は創作
三四がなくて 五に健康

いやいやこれは 間違いだ
一に健康 これからは

(日記 朝食を食べながら一日のスケジュールを家内と相談。まず最初に、精米をし、横浜の長男家族に送ること。その後は、事務所の整理整頓。事務所が少し乱雑になっている。これからは、数学の参考書作りはこの部屋ですると決めた。ホームセンターでの精米のついでに日曜大工のための木材やベニヤ、キャスター用車輪などの材料を買い込んだ。その後、本屋へ行き、数学の参考書などを買い事務所へ戻った。まずは、本棚の整理。古い本は捨てることにした。午後、同級生の弟が訪ねてきた。彼は、ギターや歌をやっているという。少し話した後、再び事務所へ。木材を電動ノコギリでカット。その後、部屋の整理をしながら、あれこれ工作物の図面を考えた。一日があっという間に過ぎてしまった。実りの少ない一日であった。明日は、もっと密度を濃くしなければと思った。)

 
 

新年度始まる

01 4月

立したい生活リズム

いよいよ今日から、新年度
しかし、私にゃ 何もない

「何もない」のが  新年度

何もないから らくちんと
ぼんやりしてたら 毎日が 
あっという間に 進むだろう

人は誰でも 歩いている
戻れぬ時間の 長い道

振り返れても 戻れない
ただただ前へ 進むだけ

思えばずいぶん 遠くまで
来たもんだなと 振り返る

たとえ歩みは 遅くとも
なすべき事を 持ちながら
日々を楽しみ 歩みたい
悔いなく日々を 過ごしたい

「消費時間」を 少なくし
「生産(的)時間」を 増やしつつ
生活リズムを 確立し
我が人生を 一歩ずつ

(日記 午前中で雪囲いの片づけ完了。午後は数学。4時から隣の高校生に数学指導。新年度が静かに始まった。)

 

 
 

ラストスパート

25 3月

もうすぐ自由がやってくる
この2年間、区長を仰せつかり、自分なりにいろいろやろうとはしてきた。結果が出たかどうかは、区民の皆さんが判断することで、多少の自己満足をしている。

先ず第一は、普段ならできないようなことを経験できたと思う。自分でやってみようと思うことの一端はできたと思う。役所を退職してから2年間は役所へ顔を出すことはなかったが、この2年間は何度となく役所へ出かける機会があった。

おかげで、以前の仲間といろいろ話すこともできた。アドバイスを受けることもできた。力を貸してもらうこともできた。人と人とのつながりの大切さを再認識できた2年間でもあった。

そして、先日は区の総会も終えることができた。後は、残務整理と最後の行事『涅槃団子まき』を残すのみとなった。最後まで務めは全うしなければならないが、あと数日を残すのみとなった

再び私に自由という“春”がやってくる。自分で求める忙しさはあろうが、他から求められる忙しさや義務感からは解放されるだろう。そういう意味ではワクワクしている。

今度こそ的を絞って、取り組んでみたい。選択と集中が大切だ。その第一は、数学の参考書作り。そして、創作活動だ。童話や子供用の話(小説もどき)を書いてみたいと思う。

後は、自然の中で家庭菜園作業。勝間和代さん風に言えば、『生産的時間』を増やし、『消費的時間』を少なくしたいと思う。もちろん、私にとっては“ウオーキング”は生産的時間だ。春は近い。ワクワクする。

(日記 区の残務処理。午後4時半から高校生に数学指導。午後6時から家内と二人で風に飛ばされた里芋の黒マルチの張り替え作業。黒マルチが風で飛ばされてしまったからだ。農作業もボチボチ始まろうちしている。)

 
 

本格的な春来る

24 3月

久々の日中シャワー
午後、家内と二人で雪囲いを外すことにした。つい、先日二人で雪囲いをしたと思ったのに、もう雪囲いを外す春が来たのだ。

木の雪囲い外し。

木の雪囲い外し。

今日は、特に暖かかった。作業をしていると汗が出るくらいの陽気だった。こんなに暖かいのは久々だ。来ているものを次々と脱いだがそれでも作業をしていると汗が出た。

家の玄関周辺と樹木の雪囲いを外した。ようやく長い冬が明けたと実感することができた。これからは、山々には山菜が芽吹き、桜が咲き、木々が新緑に代わる。

そのうちに、トラクターの運転音が田んぼに響き渡るだろう。そんな春はもうすぐだ。とにかく今日は暖かかった。たっぷり汗をかいた。

久々にシャワーをした。それは、隣の高校生が数学の勉強をしに来るからだ。4時前には、家の前の雪囲いをすっかり取り払われた。木々も喜んでいるようだった。

家の雪囲いを外すと春だ。

家の雪囲いを外すと春だ。

(日記 午前中は、業者が私のパソコンのグラフィックボードを取り換えに来てくれた。私のメインのパソコンがうまく作動しないので創作意欲もわかない。午後は、家内と二人で雪囲い外し。午後4時から、隣の高校生と数学の勉強。数学を教えているときが一番楽しい。相手が理解してくれたらなおうれしい。午後8時45分過ぎの仕事帰りに私のパソコンドクターのY君が立ち寄ってくれた。そして、私の困っている部分を解決してくれた。きっと、明日から快適なパソコンライフが始まるだろう。)