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Archive for the ‘未分類’ Category

政治とセレモニー

18 1月

公正さをいかに確保するか
   国が物事を進める場合には、自分達の都合のよいデータを使い、自分達に都合のよい手順で、特に自分たちの都合のよい委員会(メンバー)で計画し、自分達に都合のよい形で意見を聞き、全ての手順を踏んだつもりで実行することがが多い。

   これら全てが1つのグループをなしているので「・・・村」と呼ばれているのだが、途中で新たなデータが出てきても、不都合な場合にはそれらを発表しない。また、国民に意見を聞く場合には事業を進めるのに適した意見を発表してもらうようにあらかじめ仕組んでおく。

  いわゆる「やらせ」である。もしも、正義感のある専門家(学者)が反対意見を述べようものなら、干されてしまいかねないのである(研究費をカットされてしまう)。俳優なら、番組を降ろされかねないのである。結局まっとうな意見は封殺されることになるのである。

  原子炉の運転期間について「40年」を原則として廃炉にすることにしたものの、例外規定として、「20年を超えない範囲で1回限り延長を認める」ことが盛り込まれた。原発の“寿命”は最長で60年になる。法案は今月召集の通常国会に提出される。

   原発の運転期間がなし崩しに60年に延期されそうである。なぜなら40年を迎えた原発に対して、新たな審査を行い(誰が審査をするかも問題だが)「今までの原発は危険でしたから、廃炉にします」とは言えないだろう。

   なぜなら、「そんな危険な原発を今まで動かしていたのか」ということになり、40年の運転期間さえ危ぶまれるからである。結局、審査も甘くなり、不安の中で運転継続となりかねない。そんな不安の中で東電が電気料金の値上げを計画している。 

    福島の再生はいつになることやら。原子力村の責任は限りなく重い。明らかに人災だ。想定外では済まされない。これまで何度も危険を指摘されていたからだ。

 結局、形式的な仕組みはあるが、それらがセレモニーと化してはいないだろうか。イタリアのクルーズ船の事故も同様であろう。結局避難訓練なども、「実施した」という事実を残すためのセレモニーになっているのではなかろうか。

 これからの危機管理としては、セレモニーではなく、実のあるものにしなければならない。また、公平な意見を述べることのできる仕組みを我が国では早急に作らなければならない。 津波や原発事故から学ぶことは多い。

太鼓(担ぎ桶胴太鼓)を使わないで振りの練習。当日は左義長の襦袢を着て叩く予定。(私の事務所で)

(日記 午前中は、紙芝居の絵描き。全部で23枚のうち、後2枚となった。午後も作業を継続。パソコンのモニターが霞んで見え難くなった。午後3時過ぎから、家内と二人で市民プールへ行った。目休めと体力づくりのためだ。何人かの知り合いと会った。彼らは週3、4回は来ているという。私は週1回がやっとだ。福島県から避難している人も親娘でプールに来ていた。午後7時半より、春駒太鼓の練習。担ぎ桶胴太鼓の振りの練習。曲作りは私の仕事だが、振り付けは彼女たちに任せている。出番の来月(鹿谷雪祭り)までそんなに練習日はない。親子太鼓もあるし、少し気分はせわしくなりそうだ。)

 
 

牛深ハイヤ節

17 1月

ハイヤ系民謡のルーツ
   勝山市の各町には、さわらび会(食生活改善推進員の会)があり、各町の代表(理事)が、市のさわらび会を構成している。その理事さん達が県の新年会に参加し、そこで「余興」をすると言う。

  先日、勝山市の理事さん達は、そこで私の作った『勝ち山ほがらか音頭』を踊ると決めた。そして、今日は初練習だ。皆さんがそれぞれ楽しそうに踊って下さった。実は、一昨日行われた市のさわらび会の新年会では、猪野瀬地区のみなさんが私の作った民謡メドレ-『勝山よいとこ-勝ち山ほがらか音頭』を踊って下さったのだ。

  ここで、私は『勝ち山ほがらか音頭』の中に、『牛深ハイヤ節』を参考にして「鍋ぶたを使った踊り」と「手拭いを使った踊り」を取り入れたのだ。家内の話では好評だったという。

 この『牛深ハイヤ節』だが、実際の踊りは、全国高校総合文化祭で「牛深高校(何度かこの大会で優勝している)」の皆さんが踊ったのを見ているし、家内の姉が牛深へ嫁いでいるのでその長男の結婚式でも見ている。

  私は、この『牛深ハイヤ節』にとても興味を持っている。風待ちやシケ待ちのため牛深に寄港した船乗りたちは、陽気な「ハイヤ節」を肴に酒宴を開き、その思い出を「牛深三度行きゃ三度裸、鍋釜売っても酒盛りゃしてこい」と唄い、次の港へと伝えていったと言われている。

 それが、全国各地40ケ所以上の地方へ伝わり、その土地土地の民謡にハイヤを取り入れた事から「牛深ハイヤ節」は全国各地のハイヤ系民謡のルーツと言われている。

 当時熊本を中心に唄われていた「二上がり甚句」を奄美から伝わった「六調」という南国特有の熱狂的なリズムで味付けをしたものが『牛深ハイヤ』であると言われている。ハイヤという名前の由来は、元々”南風”のことを九州で”ハエの風”と呼んでいることが起因している。

  江戸時代、北前船などの舵取りは眠らないようにするために、一晩中唄うことが義務付けられていたらしい。シケなど時に寄港した港での酒盛りは、船頭たちにとっては唄を仕入れる格好の場となっていたと言われている。その逆もあり、『牛深ハイヤ節』が各地に伝わる場にもなっている。

  私が言いたいのは、民謡は各地のものが相互に影響し合って出来たということだ。私達が各地のよいところを自分の地区の民謡に取り入れることは大いにありだということである。左義長に演奏される『しっちょう目』は三国祭りの屋台囃子としても使われている。

   歌い継がれているうちに、最も安定した形で現在に伝わっているのだろう。勝山伝統の『長柄節』は、長崎の『馬頭節』が能登へ伝わり、勝山へ伝わったのだと町の歴史家から聞いたことがある。

   昔は、楽譜がなかったので、伝わっているうちにどんどん形が変わっていったのだろう。今は、楽譜もあり、レコードやテープやCDなどの電子媒体で保存することが出来るのでどんどん形が変わるなどということはない。

恐竜と葦に化けたタヌキと狐が堤防の決壊を防ぐ場面。

(日記 午前中は、紙芝居の絵描き。途中で、明日の紙芝居実演はインフルエンザのため中止という連絡を受けた。急に作業ペースはダウン。絵はあと3枚なので、毎日描いて早く紙芝居を完成させたい。午後1時半から、福祉健康センター「すこやか」で、さわらび会(食生活改善推進員)の皆さんに『勝ち山ほがらか音頭』の踊りを指導。帰宅して、絵描き作業を継続。夜の作業は今日からやめることにした。)

 
 

「むかし君」と付き合わないでどう過ごすか

16 1月

人間とは悲しき動物
   年をとると周りにたくさんの「見習うべき人」と「反面教師」がいる。そこで、それらの姿を見ながら、自分の軌道を修正して生きていくのだ。そうしたことから学んだことは少なくない。

   聞かれもしないのに昔の自分の体験や自慢話をしない。「あれは俺がやった」「あれは私がした」と自慢話を繰り返す人は少なくない。聞いている者は「勝間さん」ではないが、無駄な時間(浪費的時間)を過ごすことになる。酒の席では特にひどくなる人がいる。そんな人は避けている。

  そんなことをうまく言い当てた演歌がある。作詞/阿久悠、作曲/宇崎竜童で「都はるみ」さんが歌っている『ムカシ』だ。歌詞の一部を紹介すると次のようなものだ。

   ムカシ
 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 君の部屋にオバケが住みついていないかい
 ほんの小さな 掌(てのひら)にのるくらい
 可愛いオバケの名前はムカシという
 こいつにうっかり住みつかれたら
 君も駄目になってしまうぞ
 何故ってそいつはムカシ話で
 いい気持ちにさせるオバケなんだ

(インターネットで検索すれば全部分かります。)

  さすがは阿久悠さんだ。今を生きよ、前向きに生きよというメッセージだと思う。我が家でも、ムカシのことを言い出すと、家内が「むかし君になっている!」と戒めてくれる。ムカシの自慢話をするということは今を生きていないことなのだ思っている。人から嫌われても好かれはしないだろう。

  私自身は、昔は過ぎ去ったことであってそんなことを人に話すより、自分は今を確かに生きていきたいと思う。前向きに生きていれば、必ず仲間は出来ると確信している。今年は特に、地域に関わる仕事をすることになるので、このことを肝に銘じておきたい。

(日記 終日、紙芝居の絵描き。明日までに完成させなければなたない。明後日、野向保育園で実演したいのだ。肩は、バンバンにこっている。昼頃,北部中学校の選択音楽『和太鼓』の授業に出たが、それ以外は、机に座って絵を描きっぱなし。肩は、バンバンに肩が凝っている。何が何でも明日までに紙芝居を完成させたい。)

 
 

臨時総会

15 1月

役員選挙と講演会
村の臨時総会で役員選挙が行われ、その後、勝山市の環境保全推進コーディネーターの前園泰徳氏の講演が行われた。

演題は、『地域の自然環境の特性・保全』であり、話の内容は「1.身近なものを見直す」「2.勝山の魅力とは?」「3.みなさんへのお願い」であった。

地区の集会所で環境保全の大切さを話す前園氏(勝山市環境保全推進コーディネーター)

その中で、教育の重要性を述べた部分は同感だと思った。特に、次のような部分が印象に残った。
・「ヒト」として生まれても「教育」を受けて「学ぶ」ことがなければ「社会で生きられる人間」になれない。・現在の社会は「持続不可能な社会」である。
・持続可能な社会は「自分や子孫が健康で末永く幸せに暮らせる社会」であり、これが理想的な社会である。
・こうした社会を実現するためには、今の大人の常識を変える教育が必要である。
・子ども達に新しい常識を教える教育が必要である。
・自然も人もみんな幸せになる暮らし方がよい。

講演の後、質疑応答が行われた。環境問題は、自分自身の問題であるとの認識が必要である。何か、自分と無関係であるように思っている人も少なくないように思われた。

(日記 午前10時より地区の集会所で臨時総会が開かれた。最初に役員改選が行われた。そこで区長に推薦された。選挙の後、挨拶することになった。私としては、子供も大人も皆,片瀬区民であるという自覚を持って貰いたいと思う。それぞれが年齢に応じて区のために何ができるかを考えて貰いたいと思う。また、私たち大人は、次世代を育てるための努力が必要である。全ての区民に「片瀬は自分の(誇れる)村である」と自信を持って言えるようになってほしい。そんなことを話した。その後、懇親会が行われ、ここでは乾杯の発声。懇親会では区民の皆さんと色々雑談。その後、旧役員の一部と近くの飲み屋へ。帰宅後、直ちに紙芝居の絵描き。紙芝居上演の水曜日までにできるかどうかの瀬戸際だ。今日は3枚描きたかったが、2枚と少しで終わってしまった。)

 
 

子どもは地域の宝

14 1月

 子ども達に今の世はどう映るか?
   最近の大人達の無責任な言動の多さが気にかかる。このような大人達の言動を見ている子ども達はどのように育っていくのだろうか。大人の背中で子どもは育つと言うが、先行き心配だ。

   はっきりしていることは、10年、20年経ったときには、今よりももっともっと少子高齢化が進んでいくだろう。以前までは、過疎化は山村・漁村部が中心であったが、今は、それらが町の中心部に向かっているように思われる。

   都会では、かつての団地で過疎化が進み、商店街はシャッター通りと化し、町をコンパクト化しなければやっていけない所まで来ている。これらを救える者がいるとすれば、それは今の子ども達だと思う。

   私達は、子ども達に次の時代を託さなければならないのだ。その子ども達を私達は「次世代の担い手」として育てているだろうか。「点数さえとればそれでよい」、「スポーツさえできればそれでよい」と、バランスを欠いた子育てをしてはいないだろうか。

           見ています あなたの姿 子や孫が

  今こそ私達は、自らの背中で次の世代を育てなければならない。しかし、現実には、大人達の見せる背中は無責任や見当外れがとても多い。子ども達には生き生きとした背中を見せたいものだ。

  今日は、総理の出演した番組、県内の国会議員が出演した番組を見た。いずれも言動に説得力はあまりなかったように思う。そして連日起こる、あってはならない種々の殺人事件、「自分さえよければ」という自己中心の詐欺事件、・・・こんな背中を見ていたら、子ども達は大人達を信頼しないであろう。

  地域の宝である子ども達に、私達大人は夢と希望を与えるべく、些細なことからでも行動しなければならないと思う。どんなことで子ども達に夢を与えることができるだろうか。真剣に考えてみたい。

平成24年の親子太鼓の初練習。出番はもうすぐだ。

(日記 午前中、自作童話の紙芝居の絵描き。来週火曜日までに完成したいので急ピッチ。しかし、思うように筆が進まない。 午後も作業を継続。午後四時から親子太鼓教室。今年最初の和太鼓練習。子どもは全員参加。帰宅してから、紙芝居制作業を継続。完成できるkどうか微妙になってきた。)

 
 

「政治主導!?」

13 1月

「増税暴走内閣!」「増税猪突猛進内閣!」との声が聞かれるが
  今日、野田総理は内閣改造を行った。新たに入閣したのは5人。そして、12人が留任した。最優先課題である「社会保障と税の一体改革」を進める副総理兼一体改革担当相には、民主党の岡田克也前幹事長を起用。

  問題の多かった防衛相には、田中真紀子元外相の夫で小沢一郎元代表にも近い田中直紀参院議員を登用。ニュースに寄れば防衛問題については素人のようだ。

  しかし、評論家によれば、増税に批判的な小沢氏の配慮を見せながら、小沢氏と真紀子氏の分断を狙っているのではないかとのことだった。

  いずれにしても、増税へ向けて突進しそうな布陣である。一方、テレビなどでは「公務員制度改革を含む行政改革」をやって、政治家自らも努力している姿勢を見せないで、増税路線を突っ走ろうとしても無理ではなかろうか。

  24日に召集予定の通常国会は、消費税増税をめぐって衆院解散・総選挙含みの厳しい政局が予想される。前途洋々である。

  大臣とは何か?素人目にもそれぞれの省庁を仕切るだけの能力はなさそうである。それは、ここ数年の大臣の発言を見てもよくわかる。官僚のおかげで辛うじて対面を保っているだけの人が少なくない。

・・・・・・・・・・(インターネットより)・・・・・
政権交代後の民主党の目玉事業として注目された行政刷新会議による「事業仕分け」 が行われ、財務省管轄の「国家公務員宿舎」が税金の無駄遣いであるとして 事業仕分けの対象となり、緊急を要する建て替えを除いては「凍結」という結論が出ました。
しかしそこで凍結されていた公務員宿舎建設はいつの間にか凍結解除。埼玉県朝霞の米軍基地跡での公務員宿舎建設は、2011年9月1日にあっさりと着工してしまいました。凍結解除を了承した時の財務大臣は、このたび新しく総理大臣となった野田佳彦氏です。
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  官僚の世話にならなければ、何もできない多くの大臣が「政治主導」を叫んでも、実際には事はそんなに簡単には運ばない例のようです。

・・・・・・・・・・(インターネットより)・・・・・
報道によると、柳田法相は14日に広島市で開いた国政報告会で、こう述べたという。「法相はいいですね。(国会答弁では)二つ覚えておけばいいんですから」具体的に挙げたのは
・「個別の事案についてはお答えを差し控えます」
・「法と証拠に基づいて適切にやっております」
というフレーズ。特に、「個別の事案については…」という言葉については、「これはいい文句ですよ。分からなかったらこれを言う」と話していた。この答弁でだいぶ切り抜けた、とも自慢げに語った。
実際に、柳田法相はこの二つのフレーズを国会答弁で39回も使ってきたことが、自民党議員によって明らかにされている。
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  当然このときも、野党や国民からひんしゅくを買い辞任に追い込まれた。政治指導など夢のまた夢だと思ってしまう。このような状況が続くと、政治家は官僚の手のひらの上で辛うじて踊っているようにしか見えない。

  これでは、「大阪維新の会」が躍進するのも無理はない。“増税に関しては、政治が信頼を取り戻したときにやって貰いたい。それができないうちは、増税なんてとんでもない。”

  最近のテレビや国民の論調はこのようなものではなかろうか。

人助けをするトリケラトプス(狸のタン吉)

(日記 終日、紙芝居の絵を描いていた。肩と目と腰がおかしくなったので家内と二人で市営プールへ。少し、凝りがほぐれたようだ。途中で、一度描いた絵を消してしまい、泣く泣く書き直した。おかげで今日のノルマの3枚は不可能になってしまった。)

 
 

おもちゃを持った大人達

12 1月

おもちゃを持って歩く大人達
最近の携帯は、ある種“おもちゃ”になっているように思う。メールによってコミュニケーション能力は 保たれていると思っているかもしれないが、実際には人と人とが顔を合わせて対話をする能力は確実に衰えていると思う。

こんなおかしな話がある。下校途中の高校生男女。一緒にいると会話が進まないので、「あとでメールで話をしよう」ということでその場は別れたという。目の前では言いたいことも言えないのだ。メールの方が楽だというのだ。

生身の人間同士のコミュニケーションで、人は人として成長するのだが、こうした文明の利器によってそれが阻害されているのは大きな問題だ。

こうした傾向は、いろんな弊害を招いているように思われる。草食系男子の増加も無関係ではないように思われる。

メールと実際の会話は大きく異なる。双方向で意見が交わされているように思うが、実際には一方向の積み重ねにしかなっていない。

この頃、携帯はスマートフォンに変わりつつある。そして、これを所持するものが増えている。しかし、46時中、これをいじくっている者は少なくない。さながら、おもちゃを持った大人だ。

パソコンにしろ、携帯にしろ、実用に使う以上の機能を持ち、おもちゃと化しているが、この傾向は今後ますます進んでいくのではなかろうか。

青年期に、身につけておくべき地道なことがおろそかになり、快楽主義、刹那主義、利己主義がはびこり、自己中心的な人間がどんどん増えていく。

地域では、自分を生かす術を見つけられず、とにかく都会へ出たがる。そして、地域は過疎化の一途を辿る。

おもちゃでは味わえない本当の楽しさを若い人達に味わって貰いたいと思う。それには、自ら何かを仕掛けない限り、本当の生き甲斐が見つけられないのではなかろうか。

願わくば、おもちゃ(デジタル)と実生活(アナログ)のバランスをとって貰いたいものだ。昔へ戻ることはできないのだから。

人助けをしようと大きな恐竜(ブラキオサウルス)に化けたが、役に立たずに慌てる狸のタン吉。

(日記 今日は終日、自作童話の紙芝居化のための絵を描き続けた。目は痛くなり、腰も痛くなった。できることなら、この一週間で完成させたい。と言うのも、来週の半ばに保育園で子育てマイスターとして手遊びや紙芝居(自作童話)をやりたいからだ。それには1日3枚の絵を描かなければならない。これはかなりハードなノルマだ。可能性は少ないが、とにかく頑張ってみたい。)

 
 

高齢化と雪

11 1月

雪と共に生きるには
先日、久々にプールへ行った際にサウナの中で旧知のHさんと会って話したことはこのブログにも書いた。その時、実はもう一人サウナの中にHさんの知人がいたのだ。

彼は、高校まで奥越で育ち、その後東京の大学へ出てそのまま東京で就職して生活していたらしい。数年前に、父親がなくなり実家の家を守るために帰って来たというのだ。

その彼が言うには、雪は耐えられないものだという。早い時期から屋根には油による融雪装置を付けているそうだが、家が大きいため1ジーズン20数万円油を使い、その上人夫を雇い雪かきをしなければならなそうだ。

彼にとっては、奥越地区は雪のせいで「最悪の場所」になっているという。奥越地区は住むには最悪の場所だと何度も繰り返していた。

家内と二人でこの話を聞いていたが、多少腹立たしくもあり、気の毒にも思った。私は、この地区は「住めば都」だと思っているからだ。

確かに、雪には苦労する。しかし、対処の仕方がないわけではない。私も地面の雪をあちこちへ動かすのは大変な年齢になったので、昨年、春のうちに除雪機を注文しておいた。除雪はずいぶん楽になった。

苦労するのは屋根の雪下ろしだ。昨春、雪下ろしのタイミングが多少遅れてもよいように大屋根の垂木を倍にした。単純に強度は倍になったことになる。

時間をかけてゆっくり雪下ろしをやればよい。通常は2回、大雪の時は3回、豪雪の時は4回雪下ろしをすればすむことだ。今年はまだ一度もしていないが、これから先どうなることやら。

都会に何十年も住んでいて、家を守らなければならない人には、我々が想像する以上に雪には苦労するのかもしれない。

そんな話の最中に、Hさんが話したことを思い出した。「最近、まちの中にも空き家が増えている。私の近所にも、4軒はある。」とのことだった。それも、新たにできた旭町でのことだ。田舎は言うまでもないかもしれない。

高齢者が二人で暮らしているうちはまだ我慢ができるかもしれないが、連れあいが亡くなると、家を守ることができずに、息子や娘の住む特会へ出ざるを得ないとのことだった。

狸のタン吉の化けたフクイ竜に乗って災害の町へ急げ!

(日記 午前中は、紙芝居の絵描き。その後、事務所の駐車場の除雪しようと思ったが、除雪機を運転して事務所まで行くのは時間的にも燃料的にもあまりよいことではない。そこで、軽トラックに積んで運ぶためのアルミブリッジを購入した。そして、軽トラックに除雪機を積んで事務所の除雪をした。午後も、紙芝居の絵描き。午後7時半より今年最初の「春駒太鼓」練習。創作曲や左義長囃子を練習した。当面の目標は鹿谷雪祭りの出演だ。)

 
 

65歳になったら

10 1月

健康維持も大きな仕事
   久々にプールへ行った。2歳年下のHさんとサウナの中で会った。そこで聞いたことだが、Hさんは毎日プールへ来ているのだという。そして、トレーニング室のランニングマシンで走り、プールで泳ぐのだという。その他、時々はスキーにも行くとのことだった。

   とても真似のできないことだが、それも大切なことだと思った。退職した者にとっては、少しでも長い間、健康でいることは、本人はもとより家族など周囲の人にとってもありがたいことだ。退職した後に無理をしすぎて健康を害する人は少なくない。また、無理をして肩や腰を痛める人も少なくない。

   そうなる前に、健康に気をつけることは私のこれからの人生においても大切なことだ。とても、毎日プールへ行くことは出来ないが、せめて週に2回はプールへ行こうと家内と話した。

  プールでは、水中ウオーキング、水泳、ジャグジー風呂、サウナを2回繰り返して帰宅した。これからは元気が一番なんだ。無理は駄目だと分かっているが、ついつい無理をしてしまう。

避難所にいる人たちを少しでも慰めたいと、得意の魔法を使って校庭を花畑に変えた狐のコン子。

  ここ数日はパソコンで紙芝居用の絵を描いているが、これは指と腰と目に負担をかけている。医師からも、「休みながらやりなさい」と言われているが、 いざ始めると夢中になって途中で休憩を取ることもできない。

  知り合いのHさんのようにはいかないが、65歳を過ぎたら(私はとっくに過ぎているが)、健康に留意しながらいろんな事に取り組むべきだとプールへ行って再認識した。わずかなことでも、毎日続けることは本当に難しい。一日一日を無駄にしないで過ごしたい。

(日記 午前中、少し絵を描き、10時から市民プール(相互プール)へ出かけた。午後も、自作童話を紙芝居にするための絵を描いた。雪が降らないのでありがたい。)

 
 

民謡事始め

09 1月

誰もが簡単に参加できる盆踊り
  ここ数年、盆踊り復活をまちづくりの一つとして取り組んでいる。頼まれれば、どこへでも民謡の楽しさを伝えるために、出向くことにしている。昨年は、遅羽地区、片瀬町、地元の猪野瀬地区、旧勝山地区婦人会、そして初めて平泉寺地区にも出かけた。

  特に、平泉寺地区は初めてであった。公民館で、民謡教室を開催し、地区の人たちに民謡の楽しさを伝えようと試みた。その後、平泉寺町平泉寺地区から「秋祭りに民謡をやりたいので手伝ってほしい」と依頼された。

  そのため、平泉寺の集落センターで2回講習会を行い、本番でもそれぞれの民謡の1回目には簡単な指導を行った。そして、.久々に平泉寺地区の祭りで盆踊りを復活することが出来た。その後、平泉寺町民運動会にも指導を頼まれて出かけた。

猪野瀬さわらび会(食生活改善推進員)の新年会のための演し物練習。(於:猪野瀬公民館)

  特に、平泉寺小学校の子ども達の子ども達の指導に際しては、先生方も積極的に参加して下さった。本番の平泉寺町民運動会では、昼休みに小学生とその保護者、そして町民の皆さんが参加して下さり、指導に出向いた私も大いに満足することができた。

  ここでも、一回目だけは私がマイクを持って簡単に指導し、その後はみんなで大きな踊りの輪を作って盆踊りを楽しむことが出きた。平泉寺地区は、私が今年初めて出向いた地区だったが、踊りに興味を持って下さる人もできた。今年も盆踊りに向けて地区の皆さんと頑張りたいと思う。

  さて、今日はさわらび会(食生活改善推進員)の皆さんの盆踊り練習会だ。さわらび会の新年会の余興として私の作った創作民謡を踊って下さることになり、練習を見てほしいということで猪野瀬公民館へ出かけた。

   この「さわらび会」の皆さんが、数年前、新年会の余興で私の創作民謡「勝山よいとこ」を一生懸命練習して踊って下さった。それを見ていた人達がこの民謡を踊りたいということでどんどん広がって行った。さわらび会のみなさんの取り組みが、今日までこの民謡が勝山で歌い踊られている最大の理由だと思っている。

横浜へ帰る息子たちと玄関先でパチリ。

  今年も、私の創作民謡メドレー『勝山よいとこ-勝ち山ほがらか音頭』を踊って下さることになっている。余興ではあるが、真剣に取り組んでくださることで他の人たちにそれなりの感動を与え、次々と出演依頼があるのだと思っている。

  それにしても、さわらび会の皆さんは、五〇歳代、六〇歳代、70歳代の人たちだ。さわらび会の皆さんの体力作り、脳のトレーニング、仲間作り、楽しみ作りの面で、盆踊りは大いに貢献していると思っている。

  今後も、機会あるごとに、盆踊りの復活を目指して様々なアクションを展開したいと思っている。さほどの準備も必要なく、年齢も男女も関係なく、誰もが気軽に楽しめる盆踊りの普及は私のライフワークの一つかもしれない。人と人との絆を築くためにも、地域の活性化のためにも価値ある取り組みだと思っている。

(日記 午前中、除雪機による除雪作業。午前11時頃、息子の家族は車で横浜へ向かって帰って行った。孫達は暮れの30日にやってきて今日まで勝山で過ごしたのだ。いろいろ触れ合うことができてとても楽しかった。何度も抱き合って別れを惜しんだ。孫の目には涙が光っていた。午後も、紙芝居制作作業。午後7時頃から、猪野瀬さわらび会(食生活改善推

木の葉を頭に乗せて「ヘンシーン!」

進員)の新年会の演し物の練習会に出向いた。衣装をつけての練習だった。私の創作民踊を踊って下さるのだ。ありがたいことだ。)