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Archive for the ‘未分類’ Category

これからが大切

27 5月
一人ひとりの行動に結びつくか
  今日は、『環境自治体会議』の最終日(三日目)。家内と二人で参加。今日は全体会だ。8時過ぎに家を出た。8時45分からアトラクションとしてミュージカル『この川のほとりで』がドラゴンファミリーによって演じられた。

閉会式のアトラクションで行われたミュージカル『この川のほとりで』の一場面。

  その後、分科会報告があった。続いて、鹿谷学校の児童が「子どもたちからのメッセージ『自分の住んでいる地域が好きですか?』と題して、赤とんぼの調査や環境問題について発表し、大人達に問題を投げかけた。

  その後、日本環境教育学会・立教大学教授・阿部治氏が『日本発:地域・日本・世界を元気にする教育とは?』と題して、記念講演を行った。環境教育の大切さをいろんな観点から話した。

  そして、『かつやま会議宣言採択』、『環境自治体をめざすちっご委員会経過報告』、『環境自治体会議総会報告』、『次期開催地あいさつ(鹿児島県日置市)』、『閉会の挨拶』と続いて全ての日程を終えた。

 参加者の多くは、高揚感を持ってこの会の閉会を迎えたことだろう。しかし、問題はこれからだ。それぞれの分野で、一人一人がどう行動するかだ。帰宅する頃には平常に戻っているかもしれない。

  さて、私達は何から行動を始めるかだ。人と同じことをしていても、同じ効果が出るとは限らない。自分の考えを自分の言葉で語れなければ人を誘ったり、理解してもらうことはできない。

鹿谷小学校の発表『自分の住んでいる地域が好きですか?』の発表。

  環境問題の入り口はいろいろあると思う。赤とんぼから入る人もあれば、有機農業から入る人もある。アレルギーや食育から入る人もあれば、「売れる米」から入る人があるかもしれない。発表を聞いてそう思った。

  今日の環境問題講演で講師が指摘した国内的課題の中にある『孤立化・関係性の希薄化・無縁社会』や『自然体験の減少』、『少子・高齢化、過疎化』、『経済格差の拡大』、『低い食料自給率』などは我が地区でも例外ではない。

  しかし、これだけの問題を一度に解決しようと思っても簡単ではない。村の人達に、いきなりこれだけの難しい問題の解決法を考えましょうと言っても、無理だろう。

  私は、一つの入り口として、『きれいなまちづくり』を目標に、親子や家族による『竹プランター作り』から、始めたいと思っている。この中で、親子のコミュニケーションを図り、地域全体の連帯感、そして、地域をきれいにすることの快適さと重要性を実感してもらえればと思う。

閉会式の記念講演を行った立教大学の阿部治教授。

  一方では地域の世代間交流を図り、それらが地域のつながり、絆につながればと思っている。果たしてどうなることやら。子ども達に大いに期待したいところである。

 もう一つのアプローチは、後継者不足の我が村の建て直しを図って組織された『農業組合法人かたせ』の発展だ。昨年乾燥施設も備えて最終工程も自分の村でできるようになった。

  後継者不足を改善するだけではなく、「売れる米」を作るために、安全で美味しい米を生産することから、環境問題にアプローチできるのではなかろうかと思っている。これまでと同様に大いに提案を続けたいと思っている。

(日記 午前6時より婦人会の公園の草取りに参加。草刈り機で応援した。来週の運動会の会場となる場所だ。午後8時に家を出て、『環境自治体会議かつやま会議』に家内と二人で参加。会議が少し延びて昼を過ぎた。帰宅してすぐ昼食。昼食後、役員の一人に応援してもらって来週の日曜日に行われる区民運動会後に行う『竹プランター』作りの材料となる竹を切って運んだ。

婦人会による早朝の草取り。ご苦労さんでした。

子ども達がどんなプランターを作るかが楽しみだ。午後3時頃から、月に一度の親父バンドの練習。今日は、3曲練習した。三国、春江、大野などから4人が私の事務所へ集まってきた。楽しい時間を過ごすことができた。)

 
 

農業について考えた日

26 5月

『環境自治体会議かつやま会議』に参加して
  環境自治体会議野二日目。私は、平泉寺公民館で行われる第5分科会の『コシヒカリ発祥の地福井から~環境にやさしい農業の発信~』に参加した。出席者は約80人。

雑草管理のために買われているヤギ。

  午前中はフィールドワークということで、午前9時、2台のバスで平泉寺公民館を出発し、最初は『ヤギによる雑草管理放牧の実験』をしている施設を見学、続いて『安全で美味い米作り』をしている地元平泉寺のM作業場や田んぼを見学、最後に『史跡白山平泉寺旧境内』を見学。

  そして、公民館へ戻って昼食。この間、市内で熱心に農業に取り組んでいるH君と同じバスになったために、いろいろ話しをする。彼は、農業について自分なりのビジョンを持っていた。

 多少熱心に農業をしていても、補助金頼みであったり、場当たり的である場合が多く、農業に対してビジョンを持っている者はそんなに多くない。彼は、農業を総合的に捕らえており、今後も話してみたいと思った。

 午後は、6人の発表があった。
 ……福井県越前市産業環境部長 S氏
(農家・行政・JAの三者が協力して高額でも売れる米作りを行っていた。消費者への理解画すすんでいると感じた。)

『ヤギによる雑草管理放牧の実験』
 ……勝山農業公社 S氏
(まさに実験という感じであった。ヤギの持つ癒やし的な部分は何かに使えるのではないかと思った。)

『赤トンぼと共に生きるための水田農業』 ……石川県立大学生物資源環境学部教授 U氏
(赤とんぼの増減と農薬についての考察があった。赤とんぼに悪い農薬が人間によいはずがないのではなかろうか。農薬の種類とその使い方に一考の余地があると思った。)

『安全で美味い米作りを目指して』
 ……(財)自然農法国際研究開発センター M氏
(地元平泉寺のM氏は親子二代にわたって徹底した有機農法で米作りをしているのに感心した。M氏の作る米は口コミで全て売れて自分の飯米もないくらいだという。価格も、1表30,000円ぐらいで普通の倍はするのだが。)

 ……たかしま有機農法研究会会長 U氏
(U氏もかなり徹底した有機農法で米作りをしておられるのだ。生き物全てに気を配り、共生を目指しているのだという。そうした取り組みが、テレビで放映されたのだ。放送直後から電話がかかり、注文が殺到したという。彼が言うには、テレビの威力は絶大だという。テレビも取り上げたくなるような本物作りが大切だということだろう。)

『自然と共存する農業のあり方(鳥獣対策への取り組み)』
 ……福井県奥越農林総合事務所 N氏
(猪や熊屋カモシカなどの被害は江戸時代からあったのだという。鳥獣被害の発生要因にはいろいろあるが、林業の衰退、狩猟人口の減少、過疎化、越冬個体数の増加などが上げられるという。捕獲や捕殺もやむを得ないということであった。共生の難しさを改めて感じた。)

米糠のペレット(粒状)化を実演する有機農業の関係者。

『コウノトリをシンボルとし、生き物と共生するまちづくりと売れる米作りへの挑戦

三つ目の視察の平泉寺。新緑がきれいだった。

『たかしま有機農法研究会の活動について~ふるさと高島よりこころつながるお米、お届けします』

 今日の分科会に参加しての感想だが、その気になれば環境に優しい農業、つまり人に優しい農業があるのではないかと感じた。参加者の中には、動員組もかなりいたようだ。聞いて欲しい人にもっと参加してほしかったと感じた。我が地区の『農事組合法人かたせ』の役員連中には是非とも聞いてほしかった。

平泉寺公民館で開かれた第5分科会。興味ある発表も多かった。

  我が片瀬の米も、独自のブランド化をするためには、いきなり有機は無理でも、せめて“低農薬農法”で頑張ってほしいと思う。「レンゲか水菜の種を播き、それを土にすき込んで化成肥料を少しでも減らすとか、除草剤を少なくするための工夫はある」と理事長には提言しているので、少しでも早く実現してほしい。

  今日の発表した地区の米は、通常よりも5割高、または倍の価格で取引されているようである。確たるビジョンを持ち、それに向かって少しずつでも近づいていってほしいと思う。今日の分科会はとても意義深く、楽しかった。

(日記 午前、午後とも、『環境自治体会議』に参加。いろいろ考えさせられることが多かった。今日も、事を為すのは人であると思った。コメンテーターの大学教授が「補助金がなくてもやっていけますか」と発表者に質問していたが、半々ぐらいだったように思う。農家への個別所得補償がなければ苦しいだろう。やはり、本物を作らなければ今後の農業は厳しいと思った。しかし、やれないことではないとも思った。)

 
 

地に足を着けて何から始めるか

25 5月

上滑りをしていないか?
  滋賀県上丹生の「チューリップ祭り」がご縁で、「プロジェクトK」のTさんとメールを交換させていただくことになった。直接現地でお会いして知り合いになったのではなく、帰宅してしばらくしてからメールをいただいてからだ。

  二人の間に、滋賀県立大学の二人の学生さん(女性)が介在している。というのも、彼女たちは東日本大震災の復興に関わっていたからだ。私も関心があって、ブログのアドレスをメモして渡したのが全ての始まりだ。

  Tさんは理論だけではなく、実践家でおられるので、参考になることが多い。まちづくりなどで、机上の空論を交わすことは簡単だ。しかし、実践家のTさんとのやりとりでは、いつも、何か得るところがある。

  このブログにいただいた最新のメールの中から、私が感心したことをいくつかあげてみると、次のようなものがある。・印はTさんのメールを引用。( )内は私の感想。

 ・夢を叶えるには協力者が必要。所属する「プロジェクトK」のモットーの一つに、「個人の夢を皆で叶える」がある。
 ・個人でかなえられる夢もあるが、個人では叶えられない夢もたくさんある。仲間が集まらないと、どんな素晴らしい夢も夢で終わってしまう。
 ・夢を口に出し、常に前向きな言葉を発していると、それに賛同する協力者が現れる。
 (前向きに生きていれば必ず仲間はできる。私のモットーは、“DREAM & ACTION”。夢も行動を伴わなければ「幻」になってしまう。)

 ・長年の生活の習慣から抜け出せないで閉寒していく地方や田舎がたくさんある。
 ・人は誰かがしてくれるとなると、自分で考えなくなる。
 ・地域の行政は補助金に頼り、住民は同じことを繰り返す暮らしになる。
 ・結局は変えたくない、変えるのがいや、同じようにしていれば考えなくて済むから。
 ・地方と大都市部に様々な差がでるのは、この「考える生活習慣」の違い。
 (“考え泥棒(考えなくてもよいように為すべき事を教える)”は至る所にいる。政治家にも教員にも少なくない。補助金をばらまく行政、それに甘える地域。これでは考える必要もなく、いつまで経っても自立できない。補助金を使いながら、自立していく仕組みを考えなければならない。子どもの勉強でも、解答法を暗記するだけでは社会へ出ても知識が活かされない。「考える癖」は子どものうちから必要だ。補助金のたくさんある自治体では、箱物作りに精を出すのではなく、次の産業を考えておかなければならないと思うが。)

 ・講演会で良い話を聞いても家に帰れば元通り、研修旅行の帰りバスの中で一杯飲み始めたら元通り。よくある話。
(上丹生の帰りのバスの中で、マイクを回して感想を言ってもらおうとしたが、私達夫婦は会員でもなく参加しているので、行きも帰りも進行役は出しゃばりすぎではと思ってやめた。行きのバスでは「マイクをみんなに回して意見や感想を述べる」進行役を務めたが、いろんな意見が聞けて楽しかった。) 

 ・まずはやってみる、やりながら考える、必ず壁に当たる、あきらめないで壁を押し続ける、すると壁を取り払ってくれる応援者が現れる。
・小さな社会、小さな事業では、人とのつながりでしか壁を突破する方法がない。
(人と人との協力で何かができると、楽しさは一人でやるよりも遙かに大きい。成功体験が次への推進力になる。)

 物事をよりよく進めるためには、理論と実践が必要である。そのためには、勉強しなければならない。しかし、実践が伴わなければ勉強したことが活かされない。効果は上がらない。実践しながら、理論との隔たりを少なくしなければと思う。

  理屈だけで何かをやろうとしても、上滑りをして効果が上がらない場合が多い。特に、上から降りてくる事業にそれが多い。自らの頭で考える癖をつけたいものである。形式的に物事をやることを少なくしたい。上滑りに要注意!

 「前途多難。しかし、やり甲斐大いにあり」というのが、今の私の状況だ。「地に足を着けて何から始めるか?」これが今の私の課題だ。長続きのする事を区民の皆さんと一緒にやっていきたい。

子どもや保護者の喜ぶような『子育て支援センターの歌』を作りたい。

(日記 午前中、依頼された歌作り。「子育て支援センター(未就園児とその保護者が集まる)」から「センターの歌」を作ってくれるようにと頼まれた。来月中頃にイベントの中で「制作発表」したいという。作詞は、センター利用の数名の保護者から箇条書きでいただいている。これらを繋ぎ合わせ、補い、校正して歌詞にしなければならない。半日でメロディーはできた。後は、編曲し、カラオケを作ることだ。)

 
 

前向きに生きれば

24 5月

最近できた二人のメル友
   最近二人のメル友ができた。一人は滋賀県米原市のTさん。そして、もう一人は福井のSさん。二人とも前向きの意見を述べて下さるのでとても勉強になり、刺激になる。

  私の持論、「前向きに生きればかならず仲間ができる」の言葉の通り、お互いに引き合うものがあるように思う。メールや会話で意見を交換していると、参考になることが多い。

  それと同時に、自分の考えていることがよりはっきりしてくるのでありがたい。世の中にはいろいろ意見を言う人は少なくない。しかし、行動が伴う人となると、ぐっとその数は減る。

  人は他人の行動(背中)から学ぶことは少なくない。また、行動を伴っている人の言葉は説得力がある。自分の言葉で自分の想いを語ることができるから、相手にしっかりと伝わるのだ。

  ところが、行動を伴わない人の言葉は軽い。官僚の作文を読んでいる某大臣の言葉は国民に全く伝わらず、ただ不安を与えるばかりである。政治家の中で、生きた言葉を駆使できる人はとても少ない。

  今のように混迷の時代には、必ず人材(人財)が生まれるものである。それは時代が人材(人財)を求めるからだ。ここ1、2年、政界から目が離せなくなるのではないか。

  今年前半の日本の様相を言葉で表す言葉は『不信』ではなかろうか。政治家も、電力会社も、国民の信を得ているようには思えない。そんな中で、消費税や電気料をアップできるのだろうか。

  最近、二人のメル友を得たことは私にとってはとてもありがたいことだ。新たな気持ちで物事に取り組めるからだ。特に、滋賀のTさんとは言葉を交わしたこともないのに、何年も知り合いであるかのようだ。Sさんも一度会っただけで友達のようになった。

(日記 午前中、区長の事務。昼頃、事務所でSさんと会う。いろんな話題で意見交換することができた。夕方、市の広報誌や自作の『かたせ瓦版』を班長に配る。区民に配布してもらうためだ。午後7時半から『農地・水保全管理』のための「かたせ農地保全協議会」に出る。)

 
 

地球は誰の者

23 5月

みんな自分勝手
  地球の上にいろんな国がひしめいている。そして、それぞれが勝手に自己主張している。平和になるためと途称して、せっせと新しい武器を作り、それを他国に売りつけたりしている。

  丸い地球の上で、土地を奪い合ったり、資源を奪い合ったりしている。しかし、有限の地球の上で勝手に振る舞っていては、いずれ限界が来るだろう。どのような宗教を信じようとも、結局最後は武器に頼ろうとしている。

山際の田んぼに60歳代の5人が猪よけの電気柵を設置した。

  人間とは、なんと我がままな存在なのだろう。なんと、知恵を使わない生き物なのだろう。奪い取る者と、奪われる者、どんなにあがいても、たかが百年足らずの寿命なのに。

  ところがもっと大きな目で見ると、地球は人間だけのものではないのだ。山も人間だけのものではないはずだ。カモシカも、熊も、猪もこのように生を受けた生き物は、誰でも平等に使う権利があるはずなのに、人間が、一番威張り腐っている。

 狭い地球の上で、人間がいつまでも威張り腐っていると、そのうちに、その災禍はいずれ自分に戻ってくるだろう。だからどうしろというわけではないのだが、もう少し、他者に配慮して生きられないのだろうか。

 猪の侵入を防ぐ『電気柵』を田んぼの周囲に設置しながら、こんなことを考えていた。せめて人間同士が狭い地球上で「自分さえよければ」と勝手に振る舞うのだけはやめてほしいし,やめたいものだ。

区長会で挨拶する市長。

(日記 午前中、『農事組合法人かたせ』の理事長より頼まれて山際の田んぼに猪よけの『電気柵』を設置する仕事を行った。午後は、市の区長連合会の総会があった。総会の後、市長の話と質疑応答があった。帰宅してから、ハワイアンソングの吹き込み。家内に吹き込んでもらった後、編集してCDを作った。午後7時半より、和太鼓の練習と言いたいところだが、今日はフラダンスの練習。全員にCDを配った。自宅で練習するためだ。本番が近くなった。)

先生なしでフラダンスの練習。私は教材作り。本番では「おじさんバンド」でハワイアンを流せたらと思う。

 
 

中国人研修講座

22 5月

「頑張って下さい」
 今年二回目の中国人研修講座に講師として出かけた。午前9時から午前11時半まで男性1名を含む17名の受講生に日本について話すのだ。他の講師は日本での生活や、規則や、日本語について話しているらしい。

 彼らは、約一ヶ月ここで日本語や日本のいろんなことを学んで、各職場へ配属されるのだ。名札には派遣先の会社名が書いてあった。一人一人がいろんな会社で日本人とまじって働くのだ。

 私の講義は、ある程度自分に任されているので気楽だ。大きく分けると次の三つだ。『社会人として必要なこと』、『日本の四季・日本の農業・奥越の観光地などについて』、そして、『歌と踊り』だ。

私の伴奏と家内の歌に合わせて、みんなで『ふるさと』を歌いました。(於:大野市の中国研修センター)

   講義開始に先立って、自己紹介から始めた。名前は、日本流の読み方だ。これは日本と中国の関係で、中国では日本人の名前を中国流に読みで、日本では中国人の名前を日本流の読み方で呼ぶのだ。 

 どちらも本人の名前とは別の言い方だ。本当の読み方ではない。両国とも頑固だ。韓国とはそうではない。自国で呼んでいるように発音するのだ。アメリカで日本をジャパンといい、日本でアメリカを米国というようなものだ。

 彼らは、教えられたとおりに日本流の呼び方で紹介してくれた。「趣味」も付け加えるよう求めた。彼らは自己紹介の時に、自分の家族も紹介してくれた。そこで分かったことだが、既婚者が半分以上だった。

 既婚者は、6歳ぐらいまでの我が子を中国に残して日本へ来ているのだ。相当の覚悟がないと、そんなことはできないだろう。毎回思うことだが、本気になって日本へ来ていることがよく分かる。

 何か話すたびに、書き留めているのだ。堅い話の続く講義の中では、私の講義は息抜きのできる柔らかいものかもしれない。しかし、私としても、何か一つか二つは、いつまでも心に留めておいてほしいと思う。

 どんない苦しいときでも、夢や希望があれば乗り越えられる。自分がそうであった。無ければ作ればよいのだ。知恵は無限にあるのだから。彼らのひたむきな姿勢は、きっと同僚の日本人にも好影響を与えるだろうと思った。

  彼らに、期待しながら、話を続けた。途中の歌の時間だけ、家内の応援を頼んだ。毎回そうだが、『ふるさと』と『四季の歌』を教材にしている。通訳におおよその歌の意味を伝えてもらい、後は元気に歌ってもらえればそれでよいいと思っている。

畑のイチゴと収穫したイチゴ。初物は先ずお仏壇へ。私達方画食べるのはその後だ。とても甘かった。

 おそらく彼らと一生会うことはないだろう。それでも、彼らに、何かを伝えたいと、私の方もいろいろ気を遣う。最後に、みんなで踊りを踊って別れた。通訳の先生は、私とは初めてのコンビだが、真面目でとても穏やかな方であった。

  講義を終えるに当たって、「彼らの前途に幸多かれ」と祈らずにはいられなかった。まもなく、日本の会社で、研修生として働くのだ。身体に気をつけて、何かをつかんで帰国してほしい。彼らの素朴な笑顔が心に残った。

(日記 午前中、中国人研修センターで研修生17人に日本文化や仕事に取り組む姿勢などを語った。私にとっても楽しく充実した時間だった。午後は、村の広報誌『かたせ瓦版』を仕上げた。区民が読んでくれる瓦版にするために、自分では工夫したつもりだ。今日から、我が家のイチゴが食卓に上るようになった。おそらく二人では食べきれないだろうから、ジャムにしなければならない。そうすれば、子どもや孫達、そして知り合いにプレゼントすることができるから。) 

 

 
 

ボールは国民に

21 5月

石原氏「政治塾」立ち上げ
  朝テレビを見ていたら、石原東京都知事が「立ち上がれ日本」の政治塾を拡大する形で「東京維新の会」と立ち上げるというニュースが入った。「やっぱり」と私は驚かない。

  二年ほど前だったと思うが、「退職公務員の会」の総会の後、政治評論家のT氏の講演があった。T氏は、政界の表話、裏話の他、誰が総理になるかなども聞かせて下さった。その後、質疑が行われた。

  比較的気楽な講演会だったので、私も一つだけ質問をした。「石原(都知事)氏が頂点を狙うことはありますか?」と。しかし、「それはないでしょう」という返答だったように思う。

  何故、そのような質問をしたのかというと、石原氏は国政に出てが不完全燃焼だったのではないかと思っていたからだ。チャンスがあれば、国政に復活する機会をうかがっているのではないかという気がしたからだ。

  今日の放送では、すでに期待する声の方が多いそうだ。また、「大阪維新の会」の橋下氏もエールを送っているとのことだった。そして、石原氏は、「東京、大阪全体で連携することで『日本維新の会』を作っていきたい」と述べたのだという。

 国政は混迷の度を深めているように思われる。政策を進めようとしているのか、与野党の権力争いをしているのか。いつまでも続く与党の内紛。物事を決めるのに時間のかかる現政権に対して、国民のストレスはかなりたまっているようだ。

 こんな時期に登場した料維新の会。今こそ私達は、目を見開いて来たるべき選挙で、この国を託せるのは誰かを見極めなければならない。私達の一票が日本の将来を決めるのだから。

  ボールは、私達国民に投げられている。私達は、政治に関心を持ち、しっかりとそのボールを投げ返さなければならない。選んだ者にも大きな責任はあるのだから。

金環日食
  朝起きたら、妻が急に「せっかく、何百年ぶりに金環日食が見られるのに準備してないの?」と嘆く。この地区は部分日食だが。時計を見ると午前7時を回っている。太陽が出ている。昨日までに準備をしておけばよかった。

 晴れてはいるが、いつもより少しくらい。とても、気が焦る。何かいい物はないかとあれこれ探すが見つからない。午前7時20分を回る。益々気が焦る。そのとき目に入ったのが、A4の写真用紙が入っているビニール袋。一部が黒っぽいデザインになっている。

 蛍光灯の明かりを見ると、かすかに明るいが形は見えない。蛍光灯の形が見えるようでは目を痛めるというが、これなら大丈夫だろうと思った。「これだ」と思ってビニールファイルに入れて太陽を見ると、くっきりと太陽の欠けているのが見えた。家内に渡した。「見える、見える」と喜んでくれた。

 ほっとした。二人で何度か見たが、誰かに見せてあげたいと思って近くを見渡すと、隣のMさん夫婦がいた。二人とも見ようと思っても見えないという。家内がビニールファイルを貸してあげた。
 
 他にも誰かに見せてあげたいと思ったが、近くでは見つからなかった。完全な円形ではなかったが、しっかりと見えた。刻々とその形が変わっていった。二人で世紀の天体ショウの一部を見ることができたことに満足した。晴れてよかった。

林道の縁にたくさんの蕗が生えていた。

(日記 午前中、家の周囲の清掃と庭木の剪定。午前11時半におにぎりとカップラーメン、漬け物、お茶と熱湯などを持って山菜(蕗)採りに出かける。午後4時までに帰宅しなければならないので、昼食を取っている時間も惜しい。そこで、車中でおにぎり1個、到着してすぐ残りを食べ、蕗採り開始。少し時期が早いため、蕗は小さいが、水々しい。3時までみっちり蕗採りをして帰宅。来月に猪野瀬地区の消防演習が当区を会場として行われる。今日は、現場で区長として消防署員の説明を受ける。夜は、早速、採ってきたばかりの蕗とニシンの煮物を食べた。とても美味しい。山菜、サイコー!)

日(2012年5月)に行った記者会見で、「既存の議員を集めて第3極を作るのは全然興味がない。小沢一郎(民主党元代表)と俺が手を組むことは全くない」と言い切った後で、「東京と大阪が連携して新しい人材を政界に送り込む。向こうが『大阪維新の会』なら『東京維新の会』。全体で連携することで『日本維新の会』を作っていきたい」とぶち上げた。

採ってきたばかりの蕗。

これを受けて、さっそく橋下徹・大阪維新の会代表(大阪市長)が「すごいことになりそうですね。ワクワクします」とエールを送った。

蕗採りの途中で寄った秘話が残る『弁が瀧』。涼しげに水が落ちていた。

ニシンを入れた蕗の煮物。

 
 

生かしてほしい高齢者の能力

20 5月

どうして自分を生かすか?
  私の持論だが、「人は誰でも、自分の存在を認められたい」と思っているのではなかろうか。現役時代は、年齢が上がるにつれて、それぞれの職場で重要なポストが与えられ、存在を認められていたのだ。

  しかし、いざ退職すると、それまでの経験や、能力、技術などは生かされない場合がほとんどである。もはや部下もなく、せっかく身につけた知恵やノウハウが生かされず、ゴミとなってしまうのだ。

  それでも、新たに自分を生かす場を見つけたり、それなりの役割を与えられた者はそれでもよいが、そうでないものはどうして自分の存在を他者にアピールするのだろうか。

  私の経験では、そうした人達は、集会などで相手の非を責めたり、自分の考えに固執して持論を相手に強要したりすることが少なくない。敢えて嫌われるような言動を吐き、自分の存在感を示すのだ。

 このような態度をとる人は少なくないが、嫌われるだけだ。これでは悲しい。本当なら、高齢者は知恵の宝庫であり、これらを生かす手はないのかを考えてみたい。特に、高齢者の知恵や技術を子ども達に伝えられたら最高である。

  高齢者が自分の地域で、何かの先生になるのが私の理想である。そうすれば、無理に自分の存在をアピールする必要がない。高齢者が、子ども達にとって頼りになる先生になり、次世代を育てることに役立つことを自分も含めて期待したい。

  私自身は、子ども達に何を伝えることができるかを考えながら、自分でできることをこつこつやっていきたいと考えている。そんな考えから、「子育てマイスター」を引き受けているが、私達夫婦には大きな生きがいになっている。

少し赤くなり始めたイチゴ。明後日から毎日収獲できるだろう。

(日記 午前中は、区の広報誌『かたせ瓦版』作り。午後もしばらく作業を継続。その後、法人から借りているニンニクやタマネギの畑、里芋や生姜の畑を見て回った。タマネギも少し玉になろうとしていた。しばらくして、自分の家庭菜園へ向かった。今日の作業はキュウリや豆の支柱作りだ。家内はサツマイモの苗を植えた。イチゴが少し赤くなった。朝から、午後2時頃までずっとパソコンの前にいたので、外での作業はとても新鮮で気持ちがよかった。)

 

 
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戦争を考えた日

19 5月

戦艦ミズーリに体当たりしようとするゼロ戦。

戦没者慰霊祭に出席
   勝山・猪野瀬両地区の区長や戦没者の遺族の方々が、長山公園にある招魂社へ集合。慰霊祭の準備は昨日しておいたが、テントを張ったり、清掃したりして、9時半に式典が始まった。

 私は、式典後の閉会の辞を述べた。先の大戦で、勝山市からもかなりの戦没者を出したのだ。私の同級生のNさんもその一人だったし、村の同級生のOさんもそうだった。

 戦没者の方々の無念を思うと、胸が痛む。残った私達はその想いを引き継ぎ、微力ながらも地域の発展のために尽くさなければならないとの思いを強くした。

ハワイで知った戦争秘話
 この三月に家内と二人でハワイ旅行を行った。ハワイというと、どちらかというと、南の楽園というイメージが強く、平和そのものであるように感じる。しかし、戦争により傷跡が今もそのまま

ゼロ戦の飛行士のアメリカ兵による水葬。右下は米兵が急ごしらえしたという日本海軍旗に包まれた日本兵の遺体。

残されている。

 それは、真珠湾攻撃により撃沈した戦艦アリゾナが、今も多くの乗組員を乗せたまま沈んでいるのだ。そして、戦艦をまたぐように戦艦アリゾナ記念館が作られているのだ。

 そして、その博物館から海を見ると、戦艦の大部分は海底に沈んでいるが、一部はさびたまま海面上に顔を出しているのだ。船体からは、今も油が流れている。

 この真珠湾に接岸している戦艦ミズーリも見学したが、ここにも悲しい戦争の秘話が残されていた。ガイドの案内とネットの情報を合わせると以下のようになる。
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  1945年4月11日午後、日本近海で戦闘中の戦艦ミズーリに対して日本の特攻機(爆装零戦)が攻撃を仕掛けたが、そのほとんどはミズーリの砲火を浴びて墜落したのだ。

後に判明したゼロ戦の石野節雄飛行士。右下の飛行機を持っている幼児が同飛行士。

 しかし、この中の一機が砲火をかいくぐり、低空飛行で右舷甲板に突入した。突入機の右翼は第3副砲塔上にぶつかり、燃料に引火した。艦は表面に損傷を受けたが、速やかに鎮火した。(この攻撃の跡は現在も船体に残っている。)

  その後、この突入機の飛行士の遺体の一部が艦上で回収されたのだ。ミズーリの乗組員から見れば、自分たちの命を狙った憎き敵兵日本人であり、間一髪危機を逃れたのだ。

 しかし、ミズーリのウィリアム・キャラハン艦長は、乗組員からの反対もあったが、この日本の飛行士を海軍式の水葬で弔うことを決定した。そして、翌日、艦長の命により水葬が執り行われたのだ。ミズーリで行われた葬儀はこの1回のみであったという。

 艦長が、敵兵を丁重に扱ったのは、「この日本兵が名誉を持って自らの任務を全うした」というのがその理由だったそうだ。この飛行士の官姓名は長らく不詳であったが、ミズーリ記念館の調査の結果、鹿屋航空基地を出撃した第五建武隊の石野節雄二

甲板で石野飛行士の話をするガイド(戦艦ミズーリにて)。

等兵曹の機であったと判明した。

  その後、飛行士の遺族と、ミズーリーの艦長の子孫が再会したという。この件について簡単に論評することはできない。しかし、心を打たれる話しだ。二度と戦争を起こしてほしくないという気持ちを強くした。

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 以前にも述べたが、ハワイというと南の楽園というイメージだが、ハワイが王国からアメリカの50番目の州にになったいきさつ、そして、真珠湾攻撃など様々な歴史もあることに思いを致し、そうした面にも多少の関心を持って欲しいものだと思う。

(日記 午前中、戦没者慰霊祭に参加。午後は、民謡の振り付けを考える。午後4時より、子ども鼓。そして、午後7時より『さわらび会(職制買う改善推進員)』の皆さんに民謡を指導する。)

 
 

想いは歌で伝えたい

18 5月

歌の力
  世の中には歌が溢れている。そんな中で私にとっては、次のようなタイプに分けることができる。
   ・メッセージが伝わってくる(歌詞が理解できる)もの
     ・メロディーの美しいもの
   ・歌っている歌手に興味があるもの
   ・内容は全く理解できないが、何となく興味があるもの
等、様々である。

  しかし、素人の私の場合には、明らかに、「伝えたいことがあるから歌をつくるのだ」と思っている。美辞麗句が並んでいるだけでは私のような素人はメッセージを伝えることができない。

 そんなわけで、昨年の平泉寺の文化祭には、“想いは歌で伝えたい”の演題で話をし、実演をすることができた。歌は、主に歌謡教室の講師の旭さんに歌っていただいた。歌謡浪曲も歌っていただいた。

  今年も、平泉寺から8月に発表してほしいと言われた。その日までに何とか、新曲を作れればと思っている。また、勝山市の市民大学講座でも、同様のタイトル“想いは歌で伝えたい”で9月に話と実演を交えて発表することになっている。

メロディーの美しさ、リズムのおもしろさだけで演奏。昨年の静岡でのOB演奏会。演奏なのでメッセージなど気にならなかった。でも、歌はそうはいかないだろう。

  この市民大学でも、数年前に同様のタイトルで発表を経験している。そういえば、そのときに「母に捧げる唄」を旭さんに歌っていただいたが、涙が出て止まらなかったことを思い出した。

  ところで悲しいと思うのは、英語の歌だ。詞の内容が分からないまま聞いている場合が多い。歌の歌い方、楽器の使い方、全体の雰囲気などで曲の善し悪しを選んでいる場合が少なくない。

  しかし、英語の歌詞が理解できたら、もっともっと歌のメッセージが伝わるだろうなと思う。一度、ビートルズなどが何をテーマに歌を作っているかを訳詞で勉強したいと思う。

  いずれにしろ、歌にはその時々いろんな思い出を持っている。そして、その歌を聴くと、その当時の自分がよみがえってくるように思う。何をテーマに歌を作るかは今の私の課題だ。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・インターネットより・・・・・・・・・・・・・・・・・・

    レット・イット・ビー Let it be。

                     作詞・作曲 ポール・マッカートニー
                     日本語訳 壺齋散人

                Let it be とは、「あるがままにあらしめよ」という意味。

  困ったときにはいつでも マリア様が現れて
  知恵の言葉をささやく レット・イット・ビー
  つらいときにはかならず ぼくの前に立って
  知恵の言葉をささやく レット・イット・ビー

  レット・イット・ビー レット・イット・ビー 
  ささやくのは知恵の言葉 レット・イット・ビー

  世界中の打ちひしがれた人々に等しく
  ささやきかける言葉 レット・イット・ビー
  どんなに離れ離れになってもきっとまたあえると
  ささやきかける言葉 レット・イット・ビー

  レット・イット・ビー レット・イット・ビー・・・・

  暗い夜にも一筋の光が頭上にさして
  ほのかに光る レット・イット・ビー
  音楽に目が覚めると マリア様が現れて
  知恵の言葉をささやく レット・イット・ビー

  レット・イット・ビー レット・イット・ビー

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(日記 午前中、毎月発行するつもりの『かたせ瓦版』の編集を始めた。先ずは今年1年続けなければと思う。見て下さる区民の皆さんのためにも。午後1時半より明日の戦没慰霊祭の準備のために長山公園へ出かけた。勝山(旧町)地区と私の住む猪瀬地区の区長や遺族の方々がそれぞれ役割を決めて掃除をし、絨毯をひいたり、椅子を並べたり、幕を張ったりした。準備は1時間余りで終わった。帰宅後も、『かたせ瓦版』の編集を継続した。先日訪れた滋賀県米原市上丹生のTさんとはメル友になった。今日はその返事を書いた。これで数回メールをやりとりしていることになる。また、県の土木部のSさんもメル友になりそうだ。)