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Archive for the ‘未分類’ Category

想いは歌で伝えたい

04 9月

さわやか大学オープン講座
  高齢者を受講者とする勝山市の『さわやか大学』のオープン講座の講師を仰せつかった。今日は『想いは歌で伝えたい~自作の演歌・民謡でまちづくり』と題して、100名あまりの受講者のみさんの前でトーク&ミュージックによる講座を行った。

さわやか大学の講座風景。

  私は、歌を作る場合、何かをテーマにして歌を作るようにしている。それぞれの歌にそれを作ることになった想いがあるからだ。それらを話しながら、講座を進めた。

その中で、「自分が昔美味しかったと思う食べ物」も発表していただいた。昔懐かしい食べものがいろいろあった。

  歌を作った想いを述べた後、歌謡教室を主催しているAさんに歌っていただくという形で講座を進めた。歌の内容がよく伝わるように、昨日まで三日間を費やして制作したカラオケDVDで歌詞を流しながら歌っていただいた。

  今日、披露した歌は全部で8曲だ。

 『母に捧げる唄』
  ・母の想い、母の苦労などを歌に込め、母への感謝の気持ちを歌にした。

 『歌謡浪曲 龍馬』
 ・混沌とした今の時代、周りを見渡せばいろんな国が迫っていた幕末とどことなく似ている。日本全体よりも藩を大事に下江戸時代、国家よりも個人や党を大事にしているように思われる今の時代、どことなく似ている。これでは駄目だ。出でよ!平成の龍馬!!

皆さんの前で楽しく話すことができた。

 『越前祝太鼓』
 ・子育ては大変であった。しかし、振り返ってみると、感謝すべきはいろいろな思い出を作ってくれた親の私達の方かもしれない。二人で幸せな家庭を築いてほしい。二人の娘に贈るエールでもあります。

 『平成夢追い道中』
・平成の今、若者達は高校を卒業すると都会へ出る場合が多い。一度都会へ出たならばそれぞれ夢を求めて頑張ってほしい。長男へのエールでもある。

 『望郷南部杜氏の唄』
・勝山の老舗の酒蔵で頑張る南部杜氏のF氏(岩手)の活躍を歌にした。単身赴任した地で、蔵を守り、米と水とに命をかける杜氏の姿は私達に様々なメッセージを送ってくれる。

 『片瀬豊年ばやし』
・我が片瀬には百年の伝統を誇る銭太鼓がある。しかし、それは出雲の『安木節』であった。2年前に、それを片瀬オリジナルの民謡『片瀬豊年ばやし』に代えた。この歌は、「農事組合法人かたせ」の主題歌でもあり、まちづくりのシンボルとなる歌でもある。そして、「芋と生姜と旨い米」を特産とする片瀬農業を振興するには、知名度が必要である。「かたせ」をブランド化する戦略の一端を担った郷土芸能でもある。

プロジェクターで映し出されたカラオケDVDに合わせて『母に捧げる唄』を歌うAさん。

 『勝山よいとこ』 (民謡隊ひらりの皆さんの踊り付き)
・勝山の良さを歌によって、伝え、市民が自信を持って生きてほしいと願う、新民謡でもある。小原踊りを意識、魅せる民謡としての位置づけもある。盆踊り復活の主題歌の一つでもある。 

 『勝ち山ほがらか音頭』 (民謡隊ひらりの皆さんの踊り付き)
  これも、盆踊り復活の主題歌の一つでもある。各町ごとに、『○○ほがらか音頭』を作りたいと思っている。現在10町のうち、2つの町でできたところである。今後も、各町の歌を作り、盆踊り復活を目指したい。盆踊りは、郷土芸能であり、健康にもよく、やりようによっては、まちづくりにもつながり、さらに進めば、経済的にも好影響を与えると思っている。

 最後に、受講者全員で『勝ち山ほがらか音頭』を踊った。帰りがけにいろんな方から、「よかったよ」と声をかけていただいた。受講生でなかったが鹿谷町の銭太鼓の皆さんも見に来て下さった。嬉しかった。

(日記 午前8時にさわやか大学のオープン講座の準備のために福祉健康センター「すこやか」へ出かけた。音響などの準備をして午前9時に講座開始。途中10分の休憩を挟んで午前11時10分に講座を終えた。昼食は外食。そして帰宅して昼寝。途中で、祭りの余興のための臼と杵づ

新民謡『勝山よいとこ』の歌に合わせて踊る「おどり隊ひらり」のみなさん。

くりをしている大工のYさんの作業場へ出かけて材料や臼や杵の大きさなどを確認。午後7時より子ども太鼓の保護者の和太鼓特訓。若いメンバーと一緒に今立で行われる『太鼓魂』に出演するためだ。)

受講者と一緒に最後は『勝ち山ほがらか音頭』を踊りました。

 

子ども太鼓の保護者の特訓。ヤングママは太鼓が好きそうだ。

 
 

ようやくDVD完成

03 9月

それにしても時間がかかった
  明日は『さわやか大学』で話をさせていただく機会を得た。私ごときが2時間近くも話しても聞く人は疲れるだろう。そこで、明日は、ミュージック&トークのつもりで自作の歌を織り交ぜて話したいと思う。また、こちらから一方的に相手に向かって話すのではなく、相手からも聞く時間を設けたい。

 その歌だが、ただ歌ってもらっているだけでは、歌の内容が伝わりにくいだろうと思って、カラオケDVDにし、歌詞を流すと決めた。そして、歌詞を出すタイミングを歌の1秒ほど前にしたいと思ったが、子の作業にはかなりの時間が時間がかかった。絵を出すタイミングも同様である。

  この編集作業を昨日中に完成させるつもりだったが、今日の夕方までかかった。次の工程は、編集したものをDVDに書き出す作業だ。理屈も何もわからず、マニュアル通りに進めた。途中一進一退であった。分厚いマニュアルを読むのはだんだん苦痛になってきた。

  頭の中で、いつ助っ人を頼むべきかと考えた。しかし、なんとか迷いながらも、DVDに焼くことができた。早速このDVDを持って会場となる福祉健康センター『すこやか』へ出かけて、DVDをかけたみた。音響は悲しくなるほど音がこもり、貧弱であった。

  これじゃ、自作の歌も曲も貧弱にしか聞こえないだろう。自前のアンプとスピーカーを使うしかない。早速帰って、自前の音響装置を使うことに決め、接続するコードなどを探したがなかなか見つからなかった。 

今庄の街道に置かれた竹プランター。なかなかいいですね。県庁のSさんが我が家で作られたプランターです。

午後7時半から和太鼓の練習。と言っても、メンバーは子どもではないので、こちらが曲を作れば、自分たちで工夫を凝らしながら、練習してくれるから楽だ。帰宅してから、あり合わせのコードを使ってようやくDVDレコーダーとアンプを接続することができた。歌は自宅にあるカラオケアンプを使うつもりだ。

  やはり、音にはこだわりたい。音にこだわって曲を作っているので、少しでもよい音で再生したいと思う。明日はどうなることだろうか。少し気になるが、こうした機会をいただいたことに感謝したい。

(日記 終日もっぱらDVD編集作業。夕方になって、ようやくDVDに焼くことができた。午後7時半より和太鼓練習。帰宅してからも、DVDをよりよい音質で再生するために自前の機器を使ってあれこれ試してみた。ようやく丸3日間かかったDVD編集作業は終わった。明日が楽しみだ。)

 
 

またもや“あと一日足りない”

02 9月

段取りの悪さ
  明後日、市民大学で話をさせてもらうことになった。ありがたいことだ。タイトルは『想いは歌で伝えたい』としていただいた。私は自分の思いを伝えるために歌を作っているような気がする。

  従って美辞麗句を並べて歌を作るなどということはできない。心を込められないからだ。話3割・歌4割・聞き取り2割・踊り1割という構成だ。なぜ歌にしたのか、その背景などを述べてから、自作の歌のカラオケDVDを流し、生で歌っていただくという趣向だ。

  歌は、私の先輩で「歌謡教室」を開いているAさんだ。先日の「越前馬子唄コンテスト」で優勝した実力の持ち主だ。これまで、自作の民謡の殆どと自作の演歌の半分以上を吹き込んでいただいている私にとってはとても大事な先生だ。

  そして、民謡は踊り隊「ひらり」の皆さんに踊っていただくことになっている。一曲は小原風に見(魅せる)せる民謡で『勝山よいとこ』だ。そしてもう一曲は『勝ち山ほがらか音頭』だ。これは最後に全員で踊りたいと思っている。盆踊り復活のテーマ曲のようなものだ。

朝から休まずこの姿勢で映像編集作業。目と腰と指が限界。

 「聞き取り」だが、私のような者が壇上から一方的に話すのではなく、受講者の方々からも話をきかせていただき、みんなで会場を楽しい雰囲気にしたいと思っている。先日の平泉寺の高齢者サロンでも話をしたが、このときもいろいろ話を聞かせていただいた。途中から盛り上がって皆さんがどんどん手を上げて発表してくださった。

  歌も、ただCDに合わせて歌っていただくだけよりも、DVDで作ったカラオケに歌詞と絵や写真を映したほうがより伝わると思うからだ。しかし、.この作業が予想を遙かに超えて時間がかかっている。

 今回もまた、「あと一日あれば」という雰囲気になってきた。我ながら段取りが悪いと思う。次回からは、何事ももうすこし段取りよく進めたいと思う。今日は本当に疲れた一日だった。まもなく新しい日になってしまう。

(日記 終日、カラオケDVDづくり。朝から晩まで映像編集作業。午後8時頃から1時間だけ銭太鼓の練習に出かけたが、後は全て編集作業。腰と指と目が限界だ。もっと早くやっておけばよかったと悔やまれる。)

 
 

前途洋々

01 9月

本当の楽しみをわかってほしいと思うが
  この頃、若者達は、手のかかること、頑張って何かを成し遂げること、力をあわせて何かを完成させることなどから得られる「本当の楽しみ」を味わったことがないのだろうか。ついついそう思ってしまう。

  自分のため以外には何もしないこと、煩わしいことは何もしないこと、他と関わることは極力避けることを選んでいるのだろうかと思ってしまう。高齢者の場合は仕方がないとしても、たっぷりと時間のある若者なら一見無駄と思われるようなこと、実現するかどうかわからないような夢に向かってエネルギーを使ってほしいと思う。

  あまりにも近道で快楽を求めているように思う。しかし、手っ取り早い快楽は満足感も少ないように思う。高い壁があっても、着実に一歩ずつ歩み、それを突破することによって得られる喜びは、壁が高ければ高いほど大きいのではなかろうか。

  地域で何かを成し遂げようとすることは簡単ではない。じっくりと構えて、一人ずつでも理解者を増やすしかない。そう言う意味では前途洋々である。あれやこれやと策を練りながら、地道に前を向いて歩くしかないだろう。焦らず一歩ずつ。  

(日記 午前4時40分起床。朝食を食べて法人の農舎前へ集合。今日の作業は約20人。今日も法人の田んぼの「ヒエ取り」だ。朝の涼しい打ちに作業をするのだ。午前8時頃になると、少しずつ暑くなってきた。午前9時に作業集合。作業は結構厳しいが、いろんな人と話せるのがよい。帰宅してすぐ、シャワー。午前10時から親子太鼓の練習。帰宅して夜の役員会次第をつくる。午後2時半に集会所へ集合して松井県会議員の県政報告会に参加。たくさんの人が集まっていた。帰宅して、和太鼓練習用のCDづくり。午後7時半より、村の役員会。)

 
 

これでは腰が持たない

31 8月

机にへばりつき
  今日は、本当なら法人の「稲刈り補助員」を務める日だった。しかし、晴天続きで順調に稲刈りが行われ、酒米の稲刈りは終わったので、「今日の作業はない」と昨日電話がかかってきた。しかし、今朝電話があって、「明日午前5時半からヒエ取りに来てほしい」と電話があった。

  明日は、朝から晩まで超過密スケジュールが待っている。しかし、今日は稲刈りがなくなって、丸一日時間が使えるので本当に嬉しい。やることは決まっている。午前中は、和太鼓の楽譜書き。朝いっぱい書いたがそれでも終わらなかった。

  午後は、9月4日の市民大学講座『想いは歌で伝えたい』で実演するためのカラオケDVDづくり。私は歌を作るが、それぞれ自分なりの意図があって作っている。今の世の中、あるいは誰かに何かを伝えたくて歌にしている。

  和太鼓の曲作りも歌作りもパソコンを使っての作業。朝から晩まで机にへばりついてパソコンの画面を眺めていた。それでも、作業は半分ずつしか進まなかった。パソコンでの作業は、時間がかかる。

  これまでできなかったことがたくさんできるかわりに、時間もかなりかかる。指は限界を超え、曲がったままになっている。目も疲れた。立ち上がると腰が伸びないくらいだった。明らかに、自分の容量を超えたことをやっている。退職しても忙しさは変わらない。

  何とかしなければ、しかし何とかできないだろう。どれもやりたく手やっているのだから。創作の楽しみは捨てきれない。何かを生み出すのは本当に楽しく、やり甲斐がある。身体と相談しなければならない年齢になってきたようだ。

(日記 今日は最後のラジオ体操。子ども達を見ていると、挨拶のできない子がかなりいる。子供会の役員と協力して、気持ちよく挨拶のできる子どもにしたい。挨拶のできる子とは、話し合うこともできる。交流ができるのだ。午前中は、和太鼓の楽譜書き。午後は、自作の歌のカラオケDVDづくり。夜、CDを歌っていただく大野市のAさんのところへ届けた。机にしがみついていた一日だった。)

 
 

産み出す力

30 8月

無から有へ
  何かを産み出す場合、その元手となるもの(原料)が必要な場合と、そうでない場合がある。原料が必要な場合でも、アイデアによってその量があまり必要でなかったり、全く必要でない場合もある。しかし、このアイディアの重要性があまり認識されていないように思う。

  先人の考え出したこと、先人の得た知識などを次世代が学ぶことは大切だが、そこでとどまっているのは悲しいことだ。常に「考える姿勢」、何かを生み出そうとする姿勢」を子供の頃から身につけさせたいものだ。

  しかし、そうしたことは、現時点ではテストなどに役立たないと考えてか、あまり重視されない。しかし、小学生、中学生の頃から、考える癖をつけることはとても重要なことだと思う。考える楽しみは、何かを生み出す楽しみにつながり、生き甲斐にもつながると思う。

  「何もすることがない」と嘆く必要は全くない。私は、出かけるときには、紙と鉛筆を忘れないようにしている。身体は忙しくても、頭の中は暇な場合がある。そんなとき、いろいろやってみたいことを考えたり、創作のテーマを考えたり、改善点を見つけたりして、頭の中で遊ぶことができる。

  最低食べることが保証されていれば、楽しみは自分で考え出すことができる。無理矢理ゲームなどのおもちゃを持たなくても、遊べる子どもになってほしいと思う。

 スマートフォンを持っている大人も、別の見方をすれば「おもちゃを持った子ども」に見えてしまう。何かを生み出すことにつながればそうでもないが、あてもなくあれこれいじっているのは時間の無駄に見えてしまう。

 「なければ作る」は私のモットーだ。子ども達も、それぞれの時期にしかできないことに時間を作ってほしい。大人になっても得きるような暇つぶし的な時間の使いかを改めて、考える楽しさを味わってほしい。そして、無から何かを生み出してほしい。

(日記 午前中、親父バンドの編曲作業。午前10時から鹿谷公民館でおばさん達の銭太鼓の練習につきあう。以下に、曲のリズムに乗ってバチを操るかが問題だ。午後、三国から親父バンドのメンバーの一人が個人練習のためにやって来た。私は、彼のためにトランペットソロ(アドリブ)を考えた。これも考えれば世界に一つしかないメロディーだ。産みの苦しみを味わうが、完成したときの喜びは格別のものだ。)

 
 

人の心にも花を

29 8月

竹プランターづくり
  午前9時、まちづくり関係の職員が二人が、我が家へやって来た。竹プランターを作り、今庄のまちづくりイベントに使うということだ。先ず、軽トラックで神社の裏山にある竹林へ向かった。昨日までに竹を2、3本いただくことを山の持ち主に許可を得ていた。

上左:竹林で竹を切る。 上右:竹を切り、穴を開けてプランターを作る。 下左:完成したプランターの底にドリルで水抜きの穴を開ける。 下右:できあがったプランターと制作した二人。 

  竹林では3本の竹を伐ってた。それらを軽トラックに載せ、自宅へ運ぶまでに2時間近くを要した。汗びっしょりであった。自宅へ帰ったからは、彼らは10個のプランターを作りたいということで作業を始めた。

  結局、10個のプランターとそれを載せる台を作り終えたのは、午後6時過ぎだった。かなりハードな作業だった。それでもできあがった10個のプランターを並べてみると壮観であった。

  春以来、我が片瀬区は、市の『四季折々の花の咲くまちづくり事業』に参加し、竹でプランターを作ったり、製材した後の周辺材である「こあ」でプランターを作ったりしてきた。そして、村のあちこちに花を並べていただいている。

  自分の家だけでなく、できるだけ屋敷の表通りにプランターを並べることをお願いしている。毎日、近隣の花を眺めていると、やはりそれらを育てている人の気持も伝わってくるようだ。花は、プランターの中で育てるだけでなく、人の心の中にも育つと考えている。

 花も生き物だ。水や栄養(肥料)がほしいと思う。手をかければそれに応えてくれるようだ。しかし、どの花が土の程度水をほしがっているのか、まだ理解できなくている。それぞれ個性があって、水を特に必要としているもの、そんなに必要でないもの等いろいろあるだろう。

私も竹運びを手伝った。竹を自宅へ運ぶまでにかなり疲れた。

 つい水をやるのが少なくて、夕方ぐったりしている花もあった。しかし、たっぷりと水をやると翌日には元気になっている。そして、きれいな花を咲かせてくれる。人も花も生き物であることには変わりない。応えてくれるのだ。

  この事業を通して、区民の皆さんの心にもきれいな花が咲くといいなあと思う。また、きれいな花を見て、心地よくなる子ども達が育ってほしいと思う。子ども達には、命を育てることの大変さと楽しさを学んでほしい。

(日記 午前9時から、二人の職員がやって来て竹プランターづくり。山から竹を切り出し、足の付いた竹プランターにするまでにかなりの時間がかかった。全部作業を終えたのは午後6時過ぎであった。私は、作業手順を少し話しただけで、二人は黙々と作業を続けていた。私は、時々、夜練習する和太鼓曲の楽譜を書いたりしていた。午後7時半より和太鼓の練習。今日はみんな気合いが入っていた。出番まで後20日ほどだ。来週から週3回練習するとメンバーが決めた。メンバーのやる気は嬉しい。)

和太鼓に挿入するチャッパ芸の千手観音。

 
 

晴天続き

28 8月

河川の恵み
  連日、炎天下が続いている。しかし、我が片瀬の田んぼの多くは、九頭竜川と平泉寺から流れる浄川のおかげで水不足に陥ることはない。テレビを見ていると、ため池の水を利用している地域は水不足で苦労しているようだ。

  野菜が水不足で、枯れたり成長不足で農家の人達は非常に苦労している。我が村の多くが利用する新「勝山大用水」は、私の子ども時代にできたのだ。工事の様子を今も覚えている。川を掘り、もっこやトロッコで土を運び出していたのを思い出す。

  それ以前には水不足で苦労していたことも覚えている。誰かが自分の田んぼへ水を引き込むのを見届けると、しばらくしてそれを止めて自分の田んぼへ水を引き込むのだ。この繰り返しだった。表だった喧嘩はなかったようだが、その裏では常に水の取り合いが行われていた。

片瀬の田んぼの命綱の一つである浄川の取水口付近の砂利とり作業(春の共同作業)。

  しかし、九頭竜川から水を取り込むことができる勝山新大用水ができてから、水争いはなくなった。この大用水よりも高い位置に田畑があってもエンジンつきのポンプで水を上げることができる。

 ただ、冬の間だけは、融雪のための水争いは市街地では続いているように思う。誰もが冬も水を必要としているが、この水をうまく配分できないでいる。今後、少子高齢化が進むと、雪は生活の大きな障害となる。融雪がスムースにできる水路の見直しが今求められている。

(日記 午前中は和太鼓曲の編曲作業。午後も作業を継続。夕方、家の周囲の生け垣などを整える。雑草は夏の暑さにも負けないでどんどん成長する。作物の方がこの暑さには弱い。竹プランターの花々もこの暑さの中で検討している。晴天が続くので朝晩2回の水やりは欠かせない。頑張れと花に語りながら。)

 
 

持続する農業を目指して

27 8月

稲刈り補助員
  午前8時に,稲刈り補助員として『農事組合法人かたせ』の農舎前へ集合。今日は酒米の稲刈り。今日のオペレーターは71歳のMさん、45歳のHさん、補助員は69歳の私、68歳のNさん、67歳のKさん、56歳のNさんであった。

上左:法人の農舎 上右:稲刈り 下左:コンバインから軽トラへ籾を送る。 下右:コンバインを台車に乗せて帰る準備。

  2グループに分かれて作業を行った。私のグループのオペレーターは若手のHさんで補助員は69歳と68歳の二人だ。私達補助員は、籾をカントリーへ運搬することと、コンバインが刈りにくい田んぼの隅の稲を刈ることだった。

 作業開始が遅いので、いきなりの炎天下。最初は野球帽で作業を始めたが、首筋がとても熱くなった。そこで、家内に連絡して麦わら帽子を買って作業現場まで持ってきてもらった。

 今日は暑い一日だが、麦わら帽子のお陰で首筋が熱くなることはなかった。カントリーで知り合いと会ったが、「なんや、百姓のおっさんみたいな格好をして」と冷やかされた。私もこれまで麦わら帽子で作業をしたことがなかった。いつもは、野球帽が殆どだった。でも今日は、麦わら帽子のありがたみがわかった。

  昼1時間休憩して、午後も作業を継続。区切りのつくところまでということで午後6時まで作業を行った。午前午後とも、よくお茶を飲んだ。私達補助員は、息子のような年頃のH君の助手を務めたが、頼もしく思えた。。

 こうした、若い者が作業に出てくれることはとてもありがたい。村の若い者が夏期休暇を取って作業をしてくれる姿を見て、彼らの意思を尊重し、彼らがやる気を出すようにバックアップしなければならないと思った。

稲刈り補助員スタイルの私。今日は麦わら帽子に感謝。炎天下では頭だけでなく首回りも直射日光から守ってくれた。

(日記 午前8時から午後6時まで、法人の酒米の刈り取り作業の補助員を務めた。炎天下の中での肉体労働だったが、心地よい疲れが出た。地域の役に立つことは自分としては嬉しい。)

 
 

地域の力

26 8月

意識しなければつけられないのか
  最近「地域の力」について考えることがある。そして、地域の力はどんどんなくなっていくように思う。豊かになればなるほど、地域の力はなくなっていくような気がする。「地域の力」とは「社会の力」と言い換えてもいいかもしれない。

  ちょうど、一升瓶の中の水が入っているとすると、水が多ければ空気の部分は少なくなる。水が少なければ空気の部分が多くなる。経済的に豊かになればなるほど、大切なものが失われ、「家庭の力」も失われ、「地域の力も失われていくような気がする。

  創意工夫する力は、ものがなかった時代の子どもの方がはるかにあったように思う。今でも発展途上国の子ども達の方が、創造性や想像する力を持っているように思う。何か工作的なことをやろうとすると、今の若者の多くは、面倒くさく思ってしまうような気がする。

  ラジオ体操に出ているとよくわかる。挨拶する心地よさを理解している子どもは3分の1ぐらいだろうか。声を掛けると渋々挨拶する子、こちらが挨拶してもあいさつを返せない子もいる。以前は、大きくなったら、仕事をしている人には「ご苦労さんです」と声かけをするのが当たり前であった。

  今は、他人のやっかいにならなくても自分で生きていけると思っているのだろうか。昔は協力しあわなければ生活できなかったとも言える。自然に隣近所の付き合いがあり、隣の子どもとの接し方も、我が子に近い部分があったように思う。

 村には、がみがみ親父もいたのだ。また親切に何でも教えてくれたり、話しかけてくれる大人もいたのだ。風呂ひとつにしても「もらい風呂」と言って、お互いに行き来したものだ。今のようにブルドーザーや除雪機がなかったので、大人達が交代で通学路の除雪をしてくれたのだ。

  楽しみが少なかった分、祭りなどは盛り上がった。今やどこの祭りでも、レクレーション大会でも、文化祭でも、抽選会で人を集めている始末だ。農作業も助け合ってすることは少なくなった。結果的に、地域の力はどんどんなくなっていくように思う。

 このままではよくない。地域の人達に今の状況を気づいてもらいたいと思う。「絆」という言葉があるが、どんどんなくなっていく。何かことが起きたら大変だと思う。一人暮らしが増え、孤独死、孤立死が増えていきそうである。人と人が交わることの楽しさを味わってもらいたいと思う。慌てず、自分なりに行動を続けたいと思う。

(日記 今日は、創作活動に専念。明日は稲刈り補助員なので、その分今日はパソコンに記録しながら和太鼓の新曲を考えた。一ヶ月足らずで発表するからだ。それにしても毎日暑い。やがてゲリラ豪雨が来るのではないかと心配になる。)