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Archive for the ‘未分類’ Category

竹プランター

04 10月

いかに創造的なプランターができるか
  今日は、県と県建築士会勝山支部共催の『竹プランターづくりワークショップ(10月7日実施)』で使う竹取りの日だ。我が片瀬区は協賛の形を取っている。午前9時半に集会所前へ集まり、かねて伐採許可を得ていた区内のSさんたちの竹藪へ向かった。

  10月7日の参加人数を考えると8本の竹が必要ということになった。建築士会勝山支部の二人、県の職員のSさん、そして私の4人で竹を伐り、2m前後の長さに刻み、枝を取り去って軽トラックで会場となる地場産センターの建物の横まで運んだ。

  7日にはこれらを使って竹プランターを作る予定だ。当日は、30名前後の数が見込まれている。独創的なプランターができるとよいと思う。作業は正午までかかった。午後、Sさんは当日作るプランターの見本を作って帰った。

プランター用の竹取。竹の命をいただくには先端の細い部分も大切にしなければならない。

  このプランターづくりは、7日に終わるのではない。プランターは7日に完成するが、その日に植えた花の世話は花が枯れるであろう来年のゴールデンウイーク過ぎまで続くことになる。私も、3色のナデシコを植えた門松状のプランターを作った。

  また、この花との対話が始まるのだ。集会所前には、家内と二人で植えた10本のビオラと3本のナデシコも待っている。それに春に植えたたくさんのベコニアたちも満開状態である。今年はたくさんの花と友達になった。その友達が、今日またたくさん増えたのだ。

(日記 午前8時半過ぎに家内と二人でコアで作った木製プランターにはベコニアを、竹で作ったプランターにはナデシコを植えた。その後、次の日曜日に使うプランターの材料となる竹取り作業を行った。午後は、しばらく県職のSさんのプランターの見本づくりにつきあった。その後、生姜取り。夜は、猪野瀬地区の文化祭の実行委員会。「祭りの活力は

今年も豊作だった片瀬特産の生姜。今年は「乾燥生姜(ウルトラ生姜)」もかなり作った。

地域の力」という言葉を思い出した。)

 
 

泰澄大師ゆかりの山『大師山』

03 10月

市民登山の山
  我が村の背後には、白山を開いたと言われる泰澄大師ゆかりの山“大師山”がある。かつては、生活の山だった。特に、燃料としての薪を伐採するにはとても大切な山だった。しかし、近年は、市民登山の山として親しまれるようになった。

大師山の入り口に先ず「登り口」を表す標柱を立てた。

 私が作った『片瀬豊年ばやし』の1番は、この山についてのものにした。

   『片瀬豊年ばやし』
1.前歌 村の後ろに ひかえし山は
       越の白山(しらやま)開いた御仁(おかた)
        泰澄ゆかりの大師山 大師山

  本歌 ハア アーアーアー
         春は桜で 秋もみじ
               季節彩る 守り神 守り神
                 「ワラビ ゼンマイ 山の芋   薪に材木 山の幸」
           山の麓にゃ 大仏とだんごまきする 佛母寺(ぶつもんじ)
           山を守るにゃ 道づくり 道づくり ヨホ ホィー

   この山は片瀬の守り神であるばかりでなく、猪野瀬地区の山でもある。今日は、猪野瀬地区のまちづくりとして、この山の麓に案内の標柱を立てることになった。作業をするのは猪野瀬公民館長と4人の区長だ。

2本目は、分岐点に標柱を立てた。

  先ず村の入り口に、標柱を一本、続いて分岐点にもう一本の標柱を立てた。作業中にも、大師山へ登る二人組が「大師山の頂上へへ行くにはどうしたらよいか」と尋ねてきた。案内の標柱は大切であることを実感した。

  山頂に登ると、勝山市内、大野市等が一望できる。そして、白山の山頂がわずかに見えるのだ。山頂を「ふちょうがみ(伏し拝み)」とも言うのは、修行中の泰澄大師が白山を伏し拝んだからだと言われている。

  この大師山を経由して三ツ頭山へ行くことができる。平泉寺から三ツ頭山、法恩寺山を経て白山へ至る道を越前禅定道という。平泉寺から大師山を経由しても、白山へ行くことができるのだ。

  今週末には、『歴史探遊館まほろば』が平泉寺にオープンすることになっている。泰澄が開いた白山への登山道の起点である平泉寺は越前馬場とも言われているが、ここに歴史資料館ができるのだ。平泉寺は、かつては、白山への登拝者で賑わったと言われている地でもある。

  世界遺産を目指す平泉寺ゆかりの山『大師山』に標柱を作ることは、意義のあることでもあろう。単なる山登り、自然観察等に加えて、歴史について学ぶことは、山登りの楽しさを倍加するのではなかろうか。

  加えて言うならば、「ハワイ」についても常夏の自然豊かな国であるという面と共に、ハワイの歴史(アメリカの50番目の州になった経緯、大戦中の日本との関係など)を知れば、ハワイの見方や楽しみ方も少しは変わるのではなかろうか。

畦の近くには法人の農舎があり、糠は自由にほしいだけ使うことができる。ありがたい。

(日記 午前中、大師山登山口に標柱の取り付け。午後は、来年、法人から借りる畝の農作業。先ず、里芋を植える畝に糠をまき、畝をかまぼこ状にした。数日後には黒マルチを掛け、里芋は来春植える予定。その後、ニンニクと玉ネギを植える場所に六呂師の牛糞堆肥や糠を入れて耕した。そして、最後に黒マルチを掛けた。数日経ったら、保存しておいた自家用のニンニクを植えるつもり。種を買わなくてもよいようになったのはうれしい。集団の野菜畑なのでいろんな人が入れ替わり立ち替わりやって来る。いろんなことを教わることができ、いろいろ話すのはとても楽しい。)

 
 

断舎離……!?

02 10月

捨てることの難しさ
  「モノ」のない部屋って本当に気持ちがいいと思う。しかし、自分に当てはめてみると、次々に増える書籍類、いつかどこかで何かの役にだ立つのではないかと思うと、雑誌以外は簡単に捨てられない。

  今日は、事務所(山児童館)の屋根裏を片付けることにした。ここには、捨てられる直前の楽器類がたくさん保管すてあった。ゴミとして捨てられる直前の楽器を、もしかして何かの役に立つのではないかと思ってもらってきたものだ。

  保管に困って、屋根裏に保管しておいた。しかし、この十年ほど全く使うことはなかった。そこで、今日はこれらを処分することにした。まだまだ使えそうだったが、私自身は使わないだろうと思って、心を鬼にしながら処分場へ持って行った。

  それにしても、まだまだ捨てたいものがある。しかし、簡単には捨てられない。それは、自分が使うかどうかは別として、まだまだ使えるものが多いからだ。そうしたモノの多くは、たぶん自分は使わないだろうと思うのだが。

  使えるモノを捨てるというのは、戦後の物不足の時代を生きた私には、非常に困難なことだ。どうしても「もったいない」という気持ちが働くからだ。

・・・・・・・・・・インターネットより・・・・・・・・・・・
 断捨離とは、ヨガの「断行」、「捨行」、「離行」という考え方を応用して、人生や日常生活に不要なモノを断つ、また捨てることで、モノへの執着から解放され、身軽で快適な人生を手に入れようという考え。
 =入ってくる不要なモノを断つ
 =家にずっとある不要なモノを捨てる
 =モノへの執着から離れる

 従来の「もったいない」「まだ使える」というモノを軸とした考え方ではなく、「このモノは私に相応しいか」と問いかけてみる……つまり、主役はモノではなく「自分」。「モノと自分との関係性」を軸に取捨選択していく技術のこと。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 私は、モノに対して「もったいない」とか「まだ使えるのではないか」と考えている。これではいつになっても断捨離は実行できない。これは、モノに心をとらわれているからだろう。

  「もしかしたらいつか自分に必要になるのではないか」と思っているうちは断捨離は困難だ。もっと、シビアに考えて今の自分に必要かどうかを判断し、不要となれば心を鬼にして実行しなければならない。

  「モノのない部屋に住めたら気分がいいだろう」と思いながら、簡単になモノを捨てられない自分が情けない。それでも、今日のように「今の自分に必要か」と問いかけたとき、必要ではないということで、少しだけだがゴミ処理場へ持って行くことができた。

  しかし、捨てる瞬間、モノに対しては「申し訳ない」という気持ちが心のどこかに湧き上がっていた。断捨離は、私にとっては、まだまだ「言うは易く行うは難し」というところだ。

『農事組合法人かたせ』が栽培するソバの花。(記事とは関係なし)

(日記 午前9時頃から、事務所の屋根裏の楽器類を整理し、軽トラックでゴミ処理場へ運んだ。その後、事務所の台所なども整理。昼前に、生姜を10株以上取ってきた。そして、家内と二人で1mmぐらいの厚さにスライスし、並べて乾燥した。生姜の粉末を作るからだ。午後も、断捨離実行。しかし、思うほどの成果が上がらなかった。まだまだ、モノに対する執着心がある。もう一押し、二押ししなければならない。)

 
 

オカリナあれこれ

01 10月

オカリナアンサンブル
  私は特別オカリナが吹けるわけではない。しかし、頼まれてオカリナ教室に関わっている。そして、2年が過ぎようとしている。オカリナは、焼き物で創った小さな楽器だ。音域は、通常は低い「ラ」から高い「ファ」でしか出ない。

  そこで、楽器の音域を広げるために、同じ、C管(ドを押すとドの音が出る)でも、ソプラノ、アルト、テナーの3種類がある。演奏した場合には、これだけではうまく音がつながらないので、F管(ドを押すとファの音が出る)があり、ソプラノをアルトの2種類がある。

オカリナ教室の練習風景。新しい楽器が手に入ったので、演奏の幅が出てきた。

  他に、G管(ドを押すとソの音が出る)もある。我々のグループには、これまでのアルトのC管に加えて、ソプラノとアルトのF管が加わった。そこで、音域がぐーんと広くなった。

  午後楽譜を準備し、練習用のCDを作った。午後7時半ののオカリナ教室で演奏してみると、音域が広くなったので、演奏にも幅を出せるようになった。問題は、編曲だ。楽器の特性と音域を生かし、楽しい編曲を心掛けたい。

  今後のスケジュールとしては、はたや記念館「ゆめおーれ」での演奏会や、文化祭、そして、第一回目のクリスマス演奏会(某財団の補助金を受けている)がある。オカリナの楽しさを市民の皆さんに知っていただきたい。

  このグループでの私の役割は、皆さんが気持ちよく演奏できるようにするために、よりよい編曲を心掛けることだと思う。そして、一人でも多くの市民の皆さんにオカリナの楽しさを伝えたいと思う。

(日記 午前中は、録り貯めたDVDを整理しラベル印刷を行った。午前中いっぱいかかった。他に、区長として会計などの雑務をこなした。午後はオカリナ教室の教材づくり。練習用のカラオケづくり。午後7時半より「オカリナ教室」。注文しておいたアルトのF管が入手できたので、演奏にかなり幅が出てきたように思う。)

 
 

SIXTIES

30 9月

バンド名は“SIXTIES”
  大学OB会の演奏会まであと27日となった。今日は、『じいちゃんバンド』の練習会。午前10時にメンバーが集まってきた。本番までの練習会は今日を入れても3回だ。今日は、午前・午後とも練習することになった。

  みんな大学時代からかなりのブランクがある。何度も練習しているとできることも、次の練習会にはその一部が忘れてしまっている。長年のブランクは大きい。そんなとき、がっかりするよりも私は次のように話してメンバーを励ますことにしている。

 「今、頭がフル回転している。目で楽譜を読み、それを脳が読み取り、手足に命令を出すのだ。しかし、ただ手足を動かせばよいと言うものではない。音楽に合わせてリズムよく動かすのだ。これは高度な動きだ。脳はいい運動をしているよ。」と。

昨年の静岡でのOB会。

 実際その通りだ。私もドラムはほとんど50年ぶりだ。両手両足が異なる動きをするというのは、今の私には簡単なようで難しい。かなりの瞬発力もいるのだ。ドラムソロの場合、頭で作ったリズムをどのドラムやシンバルを叩いて表現するかも問題だ。

  今日は、バンド名や演奏曲を知らせなければならない。昼食時に、そばを食べながら、相談した。バンド名は私が提案した。全員60歳代なので“SIXTIES”とした。ただし私は、今年度中(来年2月)に、70歳になる。

  SIXTIESでいられるのは、来年2月までだ。まだ、詩も曲もないのにウェスターン調の新曲“SIXTIES”もプログラムに書き込んでもらった。地域のため、家族のため、

昨年のOB会でのにわかドラマー。腕前はまだまだだ。

自分のために何かをやりながら、人生を楽しみたい。そんなメッセージを歌にしてみたい。

(日記 午前10時から午後3時半まで私の事務所のミニスタジオでバンド練習。みんな苦労しながらも、楽しそうだった。次回練習は、10月6日。今日は雨天のために、心置きなく練習することができた。帰宅してからはパソコンのファイル整理。不要なファイルや写真がかなりある。これらを削除するには膨大な時間がかかりそうだ。)

 
 

種を播く

29 9月

楽しみを仕掛ける
  私の考えだが、楽しみを期待しようとするならば、何かを仕掛けなければならないと思っている。何もしないで待っていても、そんなに楽しみは得られないだろう。

  今日、午前7時より、『農事組合法人かたせ』から畝を借りる者が集まって、畝の順番を決める抽選会が行われた。抽選は、里芋を植える場所と野菜を植える場所の二種類あった。

  私は、来年に向けて、里芋を植える場所を2列、野菜畑を1列借りることにした。今年も同じだった。里芋の畝には、里芋1列半、生姜を半列作った。野菜畑には、ニンニク半列、タマネギ半列を作った。

  そして、ニンニクとタマネギを収穫した後、そこに初栽培の秋ジャガイモを植えた。どのような味かは分からないが、秋にジャガイモがとれるとなると、春ジャガイモは来年まで保存する必要がないのでありがたい。

  今年もしばらくしたら、来年に向けてニンニクやタマネギ、その後イチゴや水菜、エンドウなどを植えて来年の収穫に期待したい。野菜収穫の楽しみを冬を越えて来春につながっているのだ。

  同じように、何かのコンクールに作品を応募したり、3ヶ月、あるいは半年後に完成することを目指して毎日少しずつ何かを作り始めるとか、今までできなかったをこつこつと継続するとか、体を鍛えるとか、いろんなことがあると思う。

  いずれにしても、何もしないで成果を期待するのは厚かましすぎるというものだ。私も、近い将来の楽しみのために、無理をせずいろんなことを始めたいと思う。

 楽しみの種を播いておくということだ。種を播く行為自体が楽しい。現役時代に比べて時間はあるのだから、何かに的を絞っていろんな種を播いておきたい。結果も大切だが、種を播くこと自体が大きな喜びがあり、結果を待つ楽しみもあるのだ。

進歩を続ける親子太鼓の皆さん。

(日記 午前中は来年借りる畝の抽選会。その後、里芋の一部を収穫。そして、来年のイチゴを植える場所を作った。収穫までには8ヶ月ほどかかる。8ヶ月後に収穫できることを期待して準備を始めるのだ。畝には、今日も、牛糞堆肥をたくさん入れて耕した。作業は昼までかかった。午後は、少しドラムの練習。親子太鼓の掲示用楽譜書き。午後4時より親子太鼓。今日は新曲を始めた。以前に比べて子供達はマスターするのが早い。見学者も一人いた。親子太鼓の教室は非常に楽しい。子供達の半年後、1年後が楽しみだ。これも種の1つかもしれない。)

 
 

血が騒ぐ

28 9月

技術は衰えたが
  来月の最終日曜日に、大学軽音楽部のOB会演奏会が静岡である。私は『福井バンド』の一員として、後輩達とバンドを組んで演奏するのだ。お隣の石川県のN君もメンバーだ。福井バンドは、JAZバンドとハワイアンバンドで2ステージを受け持つことになっている。

  私は、大学時代はドラムだったが、後輩にドラム担当がいるので、そちらに譲ることにしている。しかし、一曲だけはドラムを叩くつもりだ。今日初めてドラムを使って練習した。

ヘッドフォンでボリュームを上げて、プロのバンドの音楽を聴きながら叩くドラムは最高。ドラムソロもやりたい。青春時代がよみがえる。

  ジャスロック系の『ウオーターメロンマン』だ。ジャズのスタンダードナンバーと言ってもよいだろう。この一曲だけはドラムを担当するつもりでいる。

  私は事務所のミニスタジオで、練習した。音楽は、ヘッドフォンを使い、音楽に合わせてドラムを叩いた。やっているうちに。50年前のことが思い出された。

  当時、石原裕次郎の『嵐を呼ぶ男』を見てドラムにあこがれたのだ。ドラムの基礎はフィルハーモニーに3ヶ月ほど在籍していたので,そこで学んだ。特に、スネアドラムの叩き方を先輩から学んだ。

     その後、創立したばかりの軽音楽部に入部した。担当はドラムだった。卒業後、自分がドラムを叩くことはほとんどなかった。近所の者とバンドを始めたときも、生徒達がバンドを始めてときも、常に、ドラムを教える立場をとってきた。そして今回も。

  しかし、昨年のOB会では少しだけドラムを叩いた。今年も昨年に続いて一曲だけドラムを叩くつもりでいる。ヘッドフォンのボリュームを上げてドラムを叩いているうちに、若かりしあの頃を思い出した。

約50年ほど前の写真。ドラムは私。ずいぶん時間が経ったものだ。技術はこの頃の方が上だろう。

  あの頃は、気持ちよくドラムを叩くことができた。しかし、今は、かなり苦労する。運動神経や長年のブランクがそうさせているのだろう。でも、楽しさと気分だけは若い頃と同じだ。血が騒ぐと言ったら少しオーバーだろうか。

(日記 午前中、パソコンで資料整理。残念ながら、新しいパソコンの音楽ソフトがうまく作動しなかった。昼前に、ドラム練習のために、事務所へ行く。1時間あまりドラムを叩いて、気持ちはすかっとした。午後2時より、県職のSさん、市の建築士会の会長さんとニューホテルロビーで、片瀬での『竹プランターワークショップ』について打ち合わせを行った。その後、家庭菜園作業。イチゴを植える場所を耕した。
そして、六呂師高原牧場の牛糞堆肥をたっぷり入れ、油かすや自作の籾殻燻炭も入れた。家庭菜園では、すでに来春の準備をしている。夜、Yくんが仕事帰りにパソコンを直しに来てくれた。おかげで、性能のよい方のパソコンでほとんどの仕事ができるようになった。感謝感激。)

 
 

健康維持のための体操

27 9月

二通りの体操
  私は月1回、鹿谷町の年配の方々に銭太鼓を教えている。というよりも、リズムに乗れるよう指導していると言った方が当たっているかもしれない。音楽は、リズムがあってその上にメロディーが乗っている。

  銭太鼓のようなリズミカルな芸は、きちんとリズムに乗っていなければ観る人が心地よく感じられない。ところが、曲のリズムではなく、歌詞を追い過ぎるとリズムが不正確になりがちだ。その部分を月一回指導しているというわけだ。

  ところが、振り付けが複雑で、音楽が速い曲になると銭太鼓の演技はあやふやになり、リズムに乗りきれないのだ。そこのところを私は指導しているに過ぎない。

   銭太鼓を練習をしているメンバーがよく言うのは、「間違う」、「覚えられない」、「忘れる」などだ。そんなとき私は答える。「今、最も脳が働いている時間ですよ。」と。

  実際のその通りだと思っている。先ず音楽を聴き、それに合わせて銭入りのバチを様々な方法(振り付け)で振るのだ。その際、必ずリズムに乗っていなければいけない。速過ぎても遅過ぎてもいけない。

  かなりの動作を一度にしなければならず、脳としては大忙しだろう。だから、脳の体操になっていると思っている。ちょうど「音読」が脳によいように「銭太鼓」も脳にとってはとてもよい体操だと思っている。

  年をとると、身体の「体操」と共に、脳の「体操」も重要だと思う。いつもこんなことを言いながら、おばさん達(失礼!同年代だ)と楽しく銭太鼓を練習している。

 「難しい」とか「できない」とか嘆くのではなく、今、頭の体操をしているのだと思えば気持ちも軽くなるといういものだ。心の持ちようで腹も立たず、前向きになれる。

猪野瀬公民館で行われた『市長と語る会』で挨拶する山岸市長。

(日記 午前中は、鹿谷公民館で銭太鼓の指導。かなり完成度が上がってきた。帰り際に、いろんな雑用を済ませた。午後は、広報誌『かたせ瓦番』の校正。完成したが、写真ページがきれいにできなかったのでやり直し。かなり時間がかかったが、予定の午後5時までには完成した。市からの配布物と共に班長に配った。午後7時より猪野瀬公民館で『市長と語る会』。私も、1つの質問と1つの要望を述べた。善処を望みたい。終了後、『猪野瀬区長会』。)

 
 

定期検診

26 9月

成績発表時の生徒の心境
  私は、二ヶ月に一度、定期検診を受けるために、福井の病院へ通っている。病院へ到着するなり、血液と尿の検査を受け、約一時間待って診察となる。

  先生の前で、パソコンに映し出されたデータを見るのだが、この瞬間はつらいものがある。二ヶ月間の摂生・不摂生が明らかになるからだ。努力したにもかかわらず、数値が改善しない場合にはがっかりする。

  あまり努力しないのに、数値が改善している場合にはうれしくなる。この状況は、テストの成績が渡される瞬間の生徒の心境だ。振り返って自分が教員であったときにはどうであっただろうか。生徒の気持ちを思いやっただろうか。反省!

  試験の成績が運などではなく勉強したかどうかで決まるように、定期検診の結果も2ヶ月間摂生したかどうかで決まるのだが、変な期待をしてしまう。ろくに摂生しないのに結果が悪くありませんようにと思ってしまう。

  いつかも書いたが、病気になるかどうかは、自分の日常生活にかかっているのだ。体のことをあまり考えずに、本能のままに飲み食いし、運動不足になればいつかは病気が襲ってくるだろう。これは偶然ではなく必然だ。私の40歳代までの状況だ。

  病気は自分が作るものだと思った方がよいだろう。修行僧のようにはなれないが、生活習慣病には気をつけなければならないと思って毎回病院を出るのだが。今度こそ運動を取り入れたい。ちなみに、今日の検査結果は横ばい。

北谷町から譲り受けた舞台を組み立てる中年会・壮年会の皆さん。これからも、この舞台をどう生かすかが課題だ。

(日記 午前中は、村の広報誌『かたせ瓦版』の編集作業。午前11時に昼食をとり、病院へ。予約は午後1時半だったが、診察を受けたのは午後2時過ぎだった。その後、楽器屋、薬局、ガソリンスタンド、猪野瀬公民館へ寄り帰宅。午後も、瓦番編集。夕食後も作業を継続。発刊日は明日。9時過ぎにようやく完成した。今回はみんなの力で祭りが成り立っていることを紹介したかったので、特集は秋祭りとした。)

 
 

パソコンの入れ替え

25 9月

慣れるのに少し苦労するが
  今年はとても忙しい。退職してから今春までの2年間は、比較的余裕があったように思う。なぜなら、事務所へ出かけて私の本職である数学のホームページづくりなどに多くの時間を割くことができたからだ。

  今年は、そんな時間がほとんどない。寂しいことだ。私の活動の一番中心に、数学があるべきだと思っているからだ。退職時にかなりパワーのあるパソコンを購入し、事務所においたのだ。

  その後、自宅のパソコンが壊れてしまったために、自宅にも新しいパソコンを買わなければならなくなった。自宅のパソコンは、事務所にあるパソコンと比べると、かなり力は弱い。

  しかし、今年の使用頻度は、事務所のパソコンの使用頻度1に対して、自宅のパソコンの使用頻度は20ぐらいだろうか。パワーのあるパソコンを放置しておいて、ほとんどの仕事は、非力なパソコンでこなしている。おかしなことだ。

  当分の間、忙しさは変わりそうにないので、パソコンを入れ替えることにした。よく使う方にパワーのあるパソコンを置くのは当然のことだが、忙しすぎて今までそんなことを考える暇もなかった。

  今日、Y君が来てパソコンを入れ替えてくれた。当然、ソフトのインストールやデータの移動などが伴い、かなりの時間を要した。しかし、最終的には、パソコンを入れ替えることができた。

  私はパソコン中毒かもしれない。と言っても、パソコンはほとんど、創作のツールとして使っている。「半農半パソ」だ。晴れれば家庭菜園や法人から借りた畝での生姜や里芋作り。雨が降れば、パソコンでの創作作業。

  パソコンが入れ替わったので、気分的に快適な作業環境が整ったように思う。少し重い描画や音楽が軽快にできそうでうれしい。それにしても、昔はなかったパソコンなるものが、多くの人に様々な影響を与えている。私には、創作ツールとして欠かせない存在だ。

昨年の平泉寺地区運動会で民踊を踊る平泉寺地区の人たち。猪野瀬地区もこうなってほしいが。

(日記 午前中は、NHKためしてガッテンで見た「ウルトラ生姜」作り。ウルトラ生姜とは、乾燥生姜のことだ。生の生姜よりも乾燥生姜の方が遙かに薬効があると言うことだ。その後、村の広報誌『かたせ瓦版』づくり。午後は、パソコンの入れ替え作業。夜は、民謡指導。町民運動会に踊ってほしいからだ。となりの平泉寺町は、昨年から町民運動会で小学生からお年寄りまでが民踊を踊った。今年も、平泉寺小学校へ出かけて児童や教職員に民謡を指導することになっている。また、地域の人には公民館で民謡を指導することになっている。今年は、私の地元の猪野瀬でも民踊が踊られることを願う。)