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Archive for the ‘未分類’ Category

復活「ウインドシンセサイザー」

24 10月

モバイルパソコンで音楽
  昨日、注文しておいた小型のパソコン(モバイルパソコン)が届いた。ずっと前から手に入れたかったものだ。これは、次の四つの目的で買ったものだ。

 1.どこにいても(旅先でも)ブログが書けること(ネット環境が必要)
 2.外出先(舞台など)などでウインドシンセサイザーが使えること(バンドで使いたい)
 3.どこでも音楽スタジオにできること(歌を吹き込み、CDを作りたい)
 4.いろんな場所でパワーポイントが自由に使えること(人前で話すとき、有効。持ち運びも便利だ)

  特に、二番目のどこでもシンセサイザーが使えることは、熱望していたことだったが、あきらめていたことでもある。パソコンと外部音源を使って音を出す楽器だ。クラリネットやリコーダーのように口で吹くことによっていろんな音を出すことができる。

 エレクトーンはキーボードでいろんな楽器の音を出すことができるが、ウインドシンセは笛のように吹くことによっていろんな楽器の音を出すことができるのだ。とはいえ、一定の技術は必要だ。

何とかバンドで使ってみたいウインドシンセサイザー。

 これを昨年買ったが、ソフトの設定がうまくいかず、バンドで演奏したかったが、それがかなわずにいた。今日、息子の友達のY君が新しいパソコンに設定してくれた。これでパソコンも生かせるし、楽器も生かせる。

  しかし、使いたかった今年の大学軽音楽部OB会の演奏会では使用するのは無理だ。演奏会は、土曜日(明明後日)だからだ。パソコン相手なので、舞台上で何が起こるか分からないし、まだ上手く使いこなせない。上手演奏できない。

   YOUTUBEでデモ演奏を聴くことができます。
             ↓   
http://www.youtube.com/watch?v=jcY3OPJ2QHI&feature=related

(日記 午前中は、里芋掘り。昨日は雨だったの里芋畑はどろどろだった。作業は多少ハードだが、みんなと話しながらの作業は楽しい。里芋掘りは一日仕事だったが、私は半日で勘弁してもらった。しなければならないことがたくさんあるからだ。午後、Y君にモバイルパソコンの設定をしてもらった。待望のウインドシンセサイザーが使えるようになった。半ばあきらめていただけにうれしかった。その後、『かたせ瓦版』づくり。夕方までに、ようやく9割以上作ることができた。明日の午前中で完成させて、午後印刷し配布だ。)

 
 

瓦版の特集記事は……『上丹生』

23 10月

住みよい地区を目指して
  私は月に2度『かたせ瓦版』を発行している。第1木曜日は、A4換算で2ページ、第4木曜日はA4換算で4ページだ。私のように書くことが好きな人間にとっては、いつもページが足りない。しかし、読む人の身になってみるとこれでも多いかもしれない。

  第2木曜日には、何かに的を絞って書きたいと思っている。今回は、「まちづくり」を特集したい。勝山市が、数年前から訪問して交流している滋賀県米原町上丹生について書くつもりで作業を始めた。

  私は、今年たまたま村のTさんから誘われてこの上丹生の『チューリップ祭り』ツアー(勝山市のエコミュージアム協議会主催)に参加した。そして、地域の人たちが一生懸命がんばっている姿を目の当たりにした。

  「チューリップ祭り」だけなら、富山県の砺波の方が遙かに規模も大きく、きれいだ。しかし、この上丹生の取り組みは私たちにまちづくりのヒントを与えてくれている。自分のまちのまちづくりに参考になるところが大きい。

 この上丹生に到着して最初に目に飛び込んできたのは、ネットで囲まれた畑だった。獣害に苦労しておられることがよく分かった。まるで鶏小屋に入って畑仕事をするようなものだった。

  この上丹生は、木彫のまちでもある。村内には至る所に木工所があった。この地区のまちづくりを牽引するのは『プロジェクトK』の皆さんだ。それに広場から見えるツリーハウスは本格的なものだった。

  もう一つ気にとめたことは、この地区が滋賀県立大学と協力して宮城県の南三陸町の田ノ浦地区を支援していることだった。チューリップ祭りの利益も全てこの田ノ浦地区に寄付するとのことだった。

上丹生の方々と勝山市の参加者が一緒に記念写真。私のとなりに寺田さんがおられたがこのときは知るよしもない。(寺田さん:前列左側、私は前列中央)

  私もいつの日にか、東日本大震災で被災されたどこかの地区の子ども達のために何かすることはないかと考えていた。自作の紙芝居を制作して続けているのもそのためだ。『チューリップ祭り』では滋賀県立大学の学生が『ホタテ灯り』を販売していた。

 学生達が京都などのお寺で使用されて廃棄されるロウソクを回収し、それを南三陸町田ノ浦地区の女性達がホタテ貝の殻を使った新たのロウソク「ホタテ灯り」としてよみがえらせ、販売しているのだ。少しでも復興のために役立てようとしているのだ。

  上丹生や田浦地区に興味を持って帰宅した私は、大学生と上丹生の『プロジェクトK』の寺田さんからメールをいただいた。そして、たちまち意気投合してメル友になって今日に至っているという次第である。

  メールの話題は、いろんな分野に及び、とても楽しくメール交換をさせていただいている。そのメールのいくつかを紹介しながら、今回は『かたせ瓦版』の特集記事にしたいと思っている。

  私が、学校現場から市教委に入って一番先に書いた原稿に、「事を成すのは人である」と書いたが、上丹生のまちづくりを牽引しているのは紛れもなく『プロジェクトK』のみなさんだ。そして、その中心となって活躍しているのが寺田さんだ。

  瓦版の特集と言ったが、寺田さんのメールの内容はどれも興味深く、貴重なものだが、紙面の都合で十分の一も掲載することができない。後日、瓦版ではなく、冊子か何かにして多くの人に読んでもらいたいと思う。

(日記 午前中、瓦版づくりのために資料と写真の整理。午後も作業を継続。注文しておいた新しいノートパソコンがやって来た。モバイルパソコンだ。画面もそんなに大きくないし、能力もそんなに高くないが、軽量で持ち運びに適したパソコンだ。私は、人前で話したりするときによく「パワーポイント」を使用するが、こうした場合には持ち運びが楽だ。午後7時半過ぎに、Y君が、故障のため修繕してもらっていたノートパソコンを持ってきてくれた。ついでに、新しいパソコンの設定をしてもらった。)

 
 

振り返れば……

22 10月

軸がぶれている……
  どうも最近忙しすぎる。といっても、誰かから何かをさせられたり、引き受けた役柄がたくさんの時間をとっているわけでもない。自分が、手当たり次第にやりたいことをやろうとしているからだ。

  歳を取ったら、間口を狭めなければならないのに、逆に広がっているような感じがする。退職者としての余裕を失うほどだ。これではのんびりと旅にも出かけられない。肝心の創作にも時間を割けない。

  家内に、「何かに的を絞ったら」とよく言われるがその通りだ。自分にとっては厳しい選択だが、ゆとりを回復しなければならない。そうでないと何もかもが中途半端になりそうだ。

  しかし、退職以来、しばらく続けていたが、その後忙しくなって中断したものがある。それは数学だ。退職直後は、産業支援センターへ通い、『ホームページ制作講座』を受講し、数学のホームページを制作していたのだが、忙しくなって一番先に中断してしまった。

  長年、高校数学の教員として生きてきたのに、それをやらなくてあたふたしているのは我ながら情けない。もう一度、2年半前の退職時に考えたように、数学を基軸とし、晴れればほどほどに農作業をし、地域のため、家族のため、自分のために、時間を費やしたいものだ。

公開しながら制作している数学のホームページ『数学は読解だ』の表紙。

  そして、いつの日にか、自作の紙芝居などを持って、東北の子どもたちに喜びを与えてあげることができれば、それがそのまま自分の喜びになるだろうと思う。最近は、時間の中を漂っているような自分だったことを反省したい。

(日記 午前中は、区長としての雑務。区の山林の調査票の書き方が分からないので、奥越農林事務所へ尋ねに行く。午後は、部屋の整理をしながら、時々、静岡で演奏する曲の練習。この頃、譜を読む力が弱くなった。暗記できるよいが、10曲あまりを簡単には暗記できない。結局譜面に頼るが、弾きにくい曲もある。できなければ何度でも練習するしかない。午後7時半より、オカリナ教室。練習の後、お茶を飲みながら、年末のクリスマス演奏会に向けてどうするかを相談する。)

 
 

町民運動会

21 10月

区民の総力で
  今日は猪野瀬地区町民運動会。朝9時に役員は集会所前へ集合。テント三張りを軽トラに積み込んで運動会の会場となる南部中学校グラウンドへ行く。役員がテントを立て、ブルーシートを敷き、その上にさらにゴザを敷いて区民の観覧席を作った。

我が地区のテント。

  午前九時に開会式。そして競技開始。3名の体育委員は、事前にお菓子やお茶、子どもの袋詰め菓子などを準備し、今日は選手繰り出し係。3人のおかげでどの競技にもうまく選手を出すことができた。

  近年、我が地区の総合成績は低迷している。とにかく、今日は下位からの脱出を目標としたが、順位は昨年とは変わらなかった。以前には優勝の常連であったわが地区の低迷ぶりは少し悲しい。

  それは、運動会が多少地区のまとまりに関係しているからだ。ちょうど「祭りの活気は地域の活気」と言われるように、地区の元気のなさを多少なりとも反映しているからだ。

  それでも、終日、テントの中で区民が楽しく一日を過ごせたことは運動会の大きな成果だ。多くの人が、普段は話すことできない人たちと、十分に時間を取って話すことができたのではないか。

対戦中の我が地区の綱引き選手達。

  私もいろんな人たちと話すことができてよかった。今後の課題は、区民の誰もが、運動だけではなく、自分の住む地区に関心を持ってくれることだ。これは簡単そうで難しい。

  区の存在が区民の日常生活につながりを持っているように感じられないからだろう。しかし、区民の誰かが、集会所の掃除をし、公園をきれいにし、運動会にはテントを準備し、山道の草刈りを行い、防災のための組織を作り、祭りの準備をし、地区の先祖を供養を行っているのだ。

  何か事故が起こったり、災害が発生すれば、区民が協力しなければどうにもならないだろう。何もない平和なときには、区への関心も薄らぐのだろうか。やはり、こうした状況を少しでも改善するには、区民が日頃から言葉を交わすことから始めなければならないのではなかろうか。

  総合優勝や綱引き、総力リレーなどの種目別の上位入賞もならなかった。これには少し寂しい気がした。というのは、子どもた

運動会の反省会。いろんな話題で盛り上がった。(於:片瀬集会所)

ちに申し訳ないと思ったからだ。子どもたちに、「僕らの地区は何をしてもダメなんだ」とは思われたくない。

  3時半過ぎから、5時半頃まで区の集会所で反省会が行われた。来年は、今年より少し進歩すればと思う。私の仕事は、区民の皆さんに区への関心を持っていただくことから、何事も始めなければと思う。先ずは大人の私たちから始めなければならないだろう。

(日記 午前7時から運動会の準備。午後3時半過ぎから反省会。午後6時から、いつもCD吹き込みでお世話になっている旭義明氏の『27周年リサイタル』の反省会に出席。旭氏のおかげで自作の歌を作る元気をいただいている。感謝すべきは私の方だが、今日は反省会にお招きくださった。盛会だった。歌を歌う方はもちろんのこと、三味線、尺八、日本舞踊など様々な分野の人たちが集まり、とても賑やかであった。私もいろんな人と話す

大野市で行われた旭義明歌謡教室の『27周年記念リサイタル』の打ち上げ会。非常に盛り上がった。

ことができてとても楽しかった。今日は長い一日でもあった。)

 
 

音楽に縁のある一日

20 10月

慌ただしい一日
  今日はかなりスケジュールが立て込んでいる。朝一に家内とリハーサル。先ず朝一の出番は子育てマイスターとして、「子育て支援センター」で手遊び、紙芝居(幼児用と保護者用)や子育てに関する話しをする日だ。

  午前10時からは、『じいちゃんバンド』の最後の練習日だ。事務所の鍵を開けて、その足で子育て支援センターへ出向いた。午前10時半から「子育てマイスター」としての活動の本番。

子育て支援センターでの手遊び歌の実演。家内が歌で私は伴奏。

  先日、保護者の詩を編集して子育て支援センターの歌を作ったので、先ずその歌『カン・カン・カンガル』から始めた。私はアコーディオンで伴奏。家内が歌ってくれた。このアコーディオンは、退職グッズの一つとして買ったもの。

  大きな可能性を持っている幼児の健やかな成長を祈りながら、保育がらみの紙芝居『ことばのちから』を演じた。でも子育て支援センターでの活動は本当に難しい。

  なぜなら、幼児がいて保育園児がいて、その保護者がいるのだ。どこかへ焦点を合わせても、誰かには焦点が合わないのだ。例えば、全員小学校一年生とか、幼稚園児であるとか、保護者のみの集いの場合には、対象がはっきりしているの何を演じればよいか、何を話せばよいのかがはっきりする。

 約一時間で、私たちのプログラムは終わった。その後、私は事務所へ出向き、バンドの練習。12時を回っていたが、私がドラムを叩く『ウオーターメロンマン』のみを練習して、全員ソバ屋で昼食。

私たちが得意とする創作紙芝居。子どもたちが夢中になってくれたのがうれしい。

  午後も、バンド練習。午後6時頃まで練習した。音響には苦労した。自分の望む音色で大きな音を出すのはとても難しい。何度も練習しているうちに、バンドとしてうまくいく曲とうまくいかない曲がはっきりしてきた。

  今日で静岡での演奏会の全体練習は終わりだ。全員に、練習用のCDを渡してあるので、楽譜を見ながら自主練習してもらうしかない。とにかく、去年からの一年間があっという間に過ぎた。

  午後6時過ぎギターを持って大野市へ向かった。明日は、私がいつもお世話になっている歌謡教室主宰の旭義明さんのコンサートだ。旭さんに頼まれて私の作った1曲だけギターで伴奏することになっている。

  そのリハーサルが大野市の文化会館で行われているのだ。早速ステージで小型のアンプを設置し、ギターを演奏し、旭さんの伴奏を務めた。3回繰り返してリハーサルは終わった。長い一日だったが、楽しく充実した一日でもあった。

『じいちゃんバンド』の最後の全体練習。来週の土曜日は静岡のホテルで大学軽音楽部のOB会演奏会だ。

(日記 午前10時より「じいちゃんバンド」の練習。しかし、私は子育て支援センターで「子育てマイスター」として保育講話や紙芝居や手遊びなどを妻と一緒に実演する日だ。終了後、私の事務所で午後6時頃までバンド練習。午後6時半頃、大野市の文化会館へ向かった。明日、歌謡教室主宰の旭さんのコンサートにギターで伴奏するよう頼まれたので今日はそのリハーサル。3回繰り返して終わった。帰宅してからギターの練習。)

 
 

『母に捧げる歌』

19 10月

舞台でギター伴奏
  私はいろいろ演歌や民謡を作ってきたが、CD化に当たっては80%、民謡は100%、歌謡教室主宰の旭義明さんに吹き込みをお願いしてきた。まさに、旭さんは私の歌作りのよきパートナーであり、恩人だ。

  その旭さんの『歌謡コンサート』が次の日曜日に行われるのだ。ありがたいことに、私の作詞、作曲した曲を2曲も歌って下さるのだ。一つはフォーク演歌『母に捧げる歌』でもう1曲は歌謡浪曲『龍馬』だ。

  前者は私の亡き母に捧げる歌で、母の三十三回忌に合わせて作った歌でもある。早く夫(私の父)をなくした母親の生き様を見ていると申し訳ないと思うと同時に、「母は何のために生きてきたのだろうか」と考えてしまう。私の自伝的な歌でもある。

 http://song.inakamon.net/s_haha.html ←フォーク演歌『母に捧げる歌』が聴けます。

 後者は、リーダー待望論の歌だ。今の世相を見ていると、誰か真のリーダーが生まれないのかと思ってしまう。今の時代にもピッタリするが、この歌を作ったのは実は10年ほど前のことだ。「出でよ!平成のリーダー!(「出でよ平成の龍馬!)」と言う意味を込めて歌謡浪曲に発挑戦したものだ。

http://song.inakamon.net/s_ryouma_kayouroukyoku.html ←歌謡浪曲『龍馬』が聞けます。

  この2曲を旭さんが歌って下さるということだ。誠にありがたい。特に『母に捧げる歌』については、旭さんから「ギターで伴奏してほしい」と頼まれている。ギター一本では盛り上がりに欠けるだろうと考え、チェロとフォークギターなどを使ったカラオケを作った。

  もちろんギターは舞台上で生演奏するので、カラオケには入れてはいない。果たしてうまくいくかどうか分からないが、いつもお世話になっている旭さんのために、少しでもよい歌伴奏にしたいと思っている。

 

里芋収穫中。収穫した里芋が夜の食卓に上った。おいしかった。

 演奏もさることながら、お世話になった母親に孫(私の子ども)の顔を見せることもなく、別れてしまったことが悲しい。申し訳ないという気持ちでいっぱいだ。懺悔の気持ちで作ったのがこの歌だ。

  この歌が、いろんな人に愛されているのがうれしい。素人の私が作った歌ではあるが、これからもこの歌を演奏したりして歌い継いでいきたいし、いろんな人に歌い継いでいってもらいたいと思う。

  私の一日は、毎朝、仏間にかかる父母の写真に挨拶して始めるのだ。母に感謝すると同時に、恥ずかしくない生き方をしなければと思う。「親孝行 したいときには 親はなし」……誠に悲しい。

(日記 午前中、歌謡教室を主宰する旭さんの演奏会のために『母に捧げる歌』の演奏会用伴奏をCD化した。本番では、このCDに生のギター演奏を加えて旭さんの伴奏をするつもりだ。午後3時頃から里芋の収穫作業。お寺へ供出するため

実りの秋の写真ではありません。一度刈り取った稲の株から生長した稲が再び実ったものです。これを収穫できたらいいですね。

に家内と二人で里芋掘りをした。その後、家内と二人で、来年の里芋と生姜を植える場所に黒マルチをかけた。帰宅後、新米の精米にホームセンターへ出かけた。それにしても里芋はおいしい。)

 

 
 

男の料理教室

18 10月

家内にすすめられて
  午前9時より、福祉健康センター『すこやか』で、勝山市食生活改善推進印協議会主催の『男性料理教室』が開催された。メタボ予防が主なテーマであるようだ。

  最初に、「メタボ予防」について、食生活改善員が資料をそれぞれを説明して下さった。以前は私も完全にメタボだった。しかし、今は二十歳以前のスリムな体に戻った。参加者の体格はいろいろであった。

  次に、タオルを使った運動を行った。そして、全員が調理室へ移動して調理実習を行った。食生活改善推進員も含めて1グループ6人で、役割を分担しながら、『焼き鯖の南蛮漬け』、『筑前煮』、『きのこと京水菜の和え物』の3種類を作った。

  できあがった後、ご飯と一緒に試食した。味は薄めだと言うが、私はすでに薄味になれているので、何とも思わなかったが、薄すぎると思った参加者もいたようだ。

  家内には申し訳ないが、普段はほとんど料理をしていない。だからといって全く料理をしないのかというとそうでもない。というのは、家内が入院したり、息子の嫁の出産などで長期に家を空けたときには、自分で三度の食事を作った。

家内が写してくれた調理中の私。私の前にいるのは昔の職場仲間。

  外食はほとんどしなかった。ご飯を炊き、味噌汁を作り、おかずも作って生活した経験がある。作るのも大切だが、食後の食器洗いや翌日のための炊飯器の準備など、三度の食事にかなりの時間を割いたものだ。

  今日の『男性料理教室』に参加して、改めて考えた。健康を維持するには、「食事」、「運動」、「休養」の三つが大切だと思う。特に、食事は毎日のことなので、十分気をつけないと、いろんな病気になりかねない。

  病気は、遺伝などの要素もあるが、半分以上は自分の不摂生が招くものではないかと思う。前記の三つに気をつけて、健康な生活が送れるよう気をつけたい。

  そのうちに、食事の準備の一端でも担えたらと思う。嫌いではないが、今のところ、やることが多すぎて時間を使えないというところか。家内には申し訳ないと思う。退職して二年半。そろそろ潮時か。

(日記 午前9時から12時まで『男性料理教室』に参加。午後は、ギターの練習。夕方、太鼓のメンバーのSさんが、ビデオレターの撮影に我が家へやって来た。高校時代、一緒に太鼓を叩いた I さんが結婚するからだ。)

 
 

じいじの部活動

17 10月

7時間近くのバンド練習
  静岡での軽音楽部OB会の演奏会まで、あと10日となった。私たち福井バンドは、ハワイアンとジャズの2バンドで出ることになっている。今日はハワイアンバンドの特訓日。しかし、メンバーの一人が病気で欠席。

  午前10時から午後6時前まで、7時間ほど私の事務所で練習。一人は石川県から来ているN君だ。とても楽しいが、かなり疲れた。まるで部活動だ。いつも思うが、出きるようになるまで若い頃の5~10倍は時間がかかると思っている。

  一つは、思うように手が動かないこと。一つは、なかなか覚えられないこと。今日はハワイアンギターとクラシックギターを使ったが、若い頃とは手の動きが悪くなった。それは当たり前かもしれない。

  しかし、音楽を楽しむ気持ちは全く変わっていない。いつまでこんなことを続けられるか分からないが、できる限り仲間とのハーモニーを楽しみたい。年を取っても影響しないものの一つに歌を作る作業がある。

  今回、2曲のオリジナルを演奏するつもりだ。1曲はフォーク演歌で『足羽川慕情』だ。日本各地から福井大学へ集まってきた仲間達の共通の想い出の場所の一つに「足羽川」があると思っている。足羽川の堤防を歩いたものは少なくないだろう。

  もう1曲は、『SIXTIES』だ。♪おれたちゃ sixty(60歳)、sixty ……」で始まるウェスタン調のオリジナル曲だ。当日集まるメンバーのほとんどは、60歳代だ。初代のメンバーのみが70歳になっているのだ。ちなみに私は2代目。70歳まで時間の問題だ。

  60歳代のメンバーにエールを送りたいと思って作ったものだ。今日初めて練習した。私にとっては、音楽は表現活動の一つだと思っている。

  他人の作ったものを自分流に解釈して演奏したり、ジャズのアドリブのように自分でメロディーを作るのも面白いが、初めから自分の言いたいことを歌にするのも、また楽しいことだと思っている。

去年の浜松での軽音楽部OB会演奏会で演奏する福井バンドのメンバー。

  問題は聞いている人に何かが伝わるかどうかだ。とにかく、当日は、午後1時過ぎから午後5時過ぎまでいろんなバンドがいろんな曲を演奏するのだ。この午後の演奏会が終わるまでのんびりくつろぐことはできない。しかし、夜の懇親会はいろんな話題が出て楽しい。

  この年になって、まさか、昔の仲間とバンド活動をするとは夢にも思わなかった。オカリナバンドに属し、若い子達と和太鼓をやっているが、私はどちらかというと、今ではそうした中で、編曲したり、創作したりする方でこれからも関わっていきたいと思う。

  とにかく、今日は部活動のごとく、音楽に取り組んだ。「曲のメロディーとコード(和音)とべースの音がかみ合うととても気持ちがいい。」石川県から来たN君の言葉だがその通りだ。今日は私の頭のコンピューター(脳)はフル回転だっただろう。

(日記 朝起きるなり、バンドのCDづくり。午前10時から,午後6時近くまでバンド練習。途中で、そば屋で昼食。疲れたが楽しい一日だった。雨が降っていたので、心置きなく練習することができた。)

 
 

つながり

16 10月

何が何につながっていくのか?
  私「片瀬」では、地区の伝統として銭太鼓をやっている。完全に他県のもの(島根県の『安来節』で銭太鼓をする)を伝えてきただけだが、それでも、百年ほど続いてきた。それを一昨年全く新しいものにした。

  さて、この銭太鼓だが、真剣に取り組めば、地区の活性化から、農業振興につながっていくと私は信じている。そう思って、歌詞から法被のデザインや襟に入っている文字まで吟味してきたのだ。

  片瀬をブランド化する一つの手段になるとも思っている。それに、一緒に練習することによって人間関係が深まり、普段は会うこともなく、会っても車の中から頭を下げるだけの存在だった人が一緒に練習をすることによってかなり親しい関係になったと思う。

  平泉寺地区では、運動会に町民総踊りとして、民踊を踊るという。小学生から、その保護者、そして、地域の人たちが一緒に一つの踊りの輪を作るという。

  私は、こうした踊りは、健康につながり、人と人との関係をより親密にし、さらに発展すれば地域の活性化、そして、地域の経済にも好影響が出てくるように思う。いざというときのためにもなると思う。人はいつどこで、誰に助けられるか分からない存在だ。

  普段から、気楽に話せる関係を作っておくことは、防災上も極めて有効だと思う。「祭りの活力は地域の活力」という言葉を聞いたことがある。全くその通りだと思う。人と人との関係が希薄な地域では祭りなど簡単には盛り上がらないだろう。

  祭りの意義を見いだせないのだろう。だから、今では、多くの地区では、抽選会でもしないと人が集まらないのだ。ものにつられてしか、人は集まらないとは悲しいことだ。

  どんなことでも、真剣に取り組めば、まだまだ予期せぬ方向に発展していく可能性がある。そこのところを理解できる人が増えないと、祭りなどは活性化しないだろうなと思う。一つの鍵を握るのは時代を託す子ども達だ。子どもたちが参加するイベントは将来につながる可能性が大きいと思う。

 

平泉寺公民館での踊りの練習。私も一緒に踊りを楽しんだ。

(日記 午前中、田んぼの畦の草刈り。稲刈り前に刈ったが、それでも畦の草がかなり伸びていた。考えてみれば、農業は、草と病気と害虫(人間から見れば)との戦いかもしれない。人間は、草も、病気も害虫も、全て農薬で片付けようとしている。しかし、その影響はいつか人間に帰ってくるかもしれない。午後も3時まで畦草借りを行った。その後は、ハワイアンギターの練習。そして夜は平泉寺公民館で民謡の練習。運動会で、町民が踊るための練習だ。去年もやったので、練習に来なくても踊れる人は少なくないだろう。今年は平泉寺のグランドでどれくらいの大きさの踊りの輪ができるか楽しみだ。)

 
 

盆踊り復活アクション

15 10月

今年も平泉寺地区で
  平泉寺町の関係者から「今年も運動会で民謡を踊りたいので指導してください。」と依頼された。去年は初年度というので、小学校と公民館で指導し、さらに本番の運動会でもグランドの真ん中でマイクを持って指導した。

  しかし、「今年は、本番は自分達地元のものでやります」ということで、小学校と公民館のみで指導することになった。私は、盆踊り復活を自分のライフワークの一つとしている。老若男女が一つのことに取り組める盆取りは取り組む価値があると思っている。

  今の世の中、どこ野地区でも、住民の一人一人がばらばらになりかねない状況にある。テレビがあり、雑誌があり、車があり、集団で何かをする機会が激減している。こうした楽しさを味わうことなく成長して子ども達が成長して大人になったら、どんな世の中ができるだろうか。

  今なら、仕事や冠婚葬祭で協力し合った経験者が60歳以上の人の中にはかなりいると思う。もしかしたら、各階各層が一つのことに取り組むことができるラストチャンスかもしれない(少し大袈裟か)。

平泉寺小学校での盆踊り練習会。先生方も、地区の人たちも参加して楽しく踊ることができた。

  今日は平泉寺小学校で、盆踊りを指導する日だ。午後3時から、体育館には、校長、教頭以下全職員と全校児童、そして地域の一部の人や公民館主事が集まった。指導する曲目は、2つ。

  1曲は私の作った『勝ち山ほがらか音頭』で、もう1曲は民謡ではないが、氷川きよしの『ときめきのルンバ』だ。2曲目は、若者や子どもたちを意識している。昨年やっているので、約1時間内に全員が何とか踊れるようになった。

  本番でも大きな輪になることを期待したい。少しずつだが、この輪を勝山全地区に広げられたらというのが、私の願いだ。簡単そうで難しいテーマだ。この輪が大きくなったら、エコノミーにもつながるだろうと信じている。

(日記 朝からずっと、『じいちゃんバンド』の楽譜書きとCDづくり。昨日まではオカリナだったが、今日は私たちのバンドの練習用のCDづくりと編曲だ。午後3時から平泉寺小学校で町民運動会のための踊りの練習。大きな輪になることを期待したい。平泉寺本村では、昨年から秋祭りに盆踊りが復活したのだ。そして、同じく昨年から町民運動会では町民が踊ることも決めたのだ。すばらしいことだ。平泉寺の数年後に期待したい。帰ってからも、もっぱら歌作り。)