RSS
 

Archive for the ‘未分類’ Category

道場(寺)へお参りして

23 12月

昔は村の文化センター
  今日は、村の道場で「御正忌」が行われる。浄土真宗の開祖「親鸞聖人」のなくなった日に行う法会のことだ。参加者は、「御燈明料」を持ってお参りするのだ。そして、参加者全員で「正信偈」を唱えるのだ。

  その後、親鸞聖人の一代記を聞かせて頂くのだが、何度聞いても、理解しがたい。少し古いが、日本語で書かれているのに。今日は、道場で貸して頂いた、教本を眺めて文字を追っていたが、それでも理解できなかった。

「御正忌」の参拝者全員で「正信偈」を唱えた(村の道場)。

  そこで、私は、親鸞聖人の紙芝居を作ることを決めたのだが、今はまだ全く描き始めていない。何とか、お参りした者が理解できる程度に紙芝居かしてみたいと思っている。しかし、いつ完成するかは全く分からない。

  二つのお経を聞かせて頂いた後、「ぜんざい」が振る舞われた。おいしい白菜の漬け物とたくあんも出された。参拝した皆さんと話しながら、おいしくいただくことができた。

読経の後、参拝者に「ぜんざい」が振る舞われた。

  昔は、この「御正忌」は、「しちにっつあん」といい、子ども達も、「米ふかし」やみかんや「かち栗(栗を茹でて糸で数珠状につないだもの)」などを持参してお参りしたものだ。子供にとっても楽しみだったのだ。

  この道場だが、私の子供時代には村の文化センターを兼ねていた。また、児童センターのような役割を果たしていたように思う。仏事には、子どもたちも参加し、読経の間は、いろりの周りで雑談したりトランプをしたりしていた。

  そして、説教が始まると後ろの方で来ていたのだ。道場へ行くのは楽しみの一つでもあった。また、「巡回映画」も上映されたし、村の演芸大会なども行われた。

 夏休みには、子どもたちが集まりトランプをしたり、勉強したりしたものだ。今の住職が若い頃、ギターを弾いたりして聞かせてくださった。他にもギターを弾く若い衆がいて、中学生の私もすっかりギターの虜になった。

  ここでの経験が、ギターを始めるきっかけとなった。今、村には集会所があるがこのような役割は果たしていない。道場の果たした役割は大きかった。村の人たちの交流の場であり、楽しみの場であった。

  楽しみが個人的なものになり、テレビやゲームなどが普及して、お寺へお参りする子供は皆無になった。我が家でも、正月だけは、子供も含めて全員でお寺へお参りして一年が始まる。

   しかし、その他の行事には大人の私たちが参加するだけになってしまった。昔行われた様々な行事がなくなり、人と人との交わりがどんどん減ってしまい、代わって、「過疎」、「孤食」、「お一人様」、「孤独死」など、かつてはなかった言葉が生まれてきた。

 道場に集まるのは、かつて道場へ出かけた経験のある人がほとんどだ。道場の暖かさを知っているからだろうか。道場の方も、若い人たちが集まる場として変化を遂げなければならないのかもしれない。

(日記 午前中、道場での「御正忌」に参加。午後は、電気屋でパソコンの付属品を買った。)

 
 

冬休み到来

22 12月

有効使うぞ!時間を
   ここ数ヵ月間、生活に余裕がなかった。自分で勝手に何でもやっているからだ。その中には頼まれたものもあるが、多くは自分勝手にやっていることだ。それにしても、あれこれやり過ぎて、退職者とは思われない生活をしていた。

『ゆめおーれ』で行ったオカリナのクリスマスコンサート。

 最近、「和太鼓」、「地元の郷土芸能(銭太鼓)」、「親父(じいちゃん)バンド」などは冬休み(休止)に入った。今日はオカリナコンサートを行い、これも今日でしばらくお休みだ。「親子太鼓」しばらくはお休みだ。

  ようやく、今晩から退職者らしい余裕が出るだろう。ほとんどが相手のあることなので、その準備は半端ではなかった。編曲、楽譜作り、練習用CD作りなどで多くの時間を割かれた。楽しいが、限りある時間を使うには自分で取捨選択する必要がある。

  私としては、短いかもしれないが、ようやく冬休みが来たという感じだ。この間にしたくてもできなかったことをマイペースでやりたいと思う。その中には創作活動と数学がある。先ずは1月から少しずつ活動を始めたい。いずれも自分一人でできることなのだから。

 今日のクリスマスコンサートだが、終わってみるとまあまあのコンサートではなかっただろうか。聞いている方々がどう思われたのだろうか。演奏した者は、誰もがそれなりの満足感を得られたのではなかろうか。

『オカリナサークルてんとうむし』の演奏風景。

  小さな会場だったので、アットホームな感じのコンサートだった。音楽にはいろんな種類がある。そして、人によって、それぞれ好みがある。演奏する方の好みと聞く方の好みがある程度マッチすると楽しいコンサートになるのだろう。

  童謡・唱歌、ジャズ、演歌、ポップス、ラテン、ジャズ、ウェスターン、ハワイアン、民謡、スクリーンミュージック、タンゴ、クラシック……などいろんな音楽がある。そんな中で、私はあれこれ興味がある。一つに定まっていない。

  いよいよやって来た私の冬休み。最短でも1~2ヶ月はあると思う。今私の気持ちは、夏休みを迎える小・中学生の気持ちだ。あれもやってみたい、これもやってみたいという気持ちでいっぱいだ。計画的に過ごさないと時間はあっという間に過ぎ去ってしまう。

 何をするにも、「プログラム」を」作り、段取りよくやっていきたい。私がいつも心掛けている「毎日パワー」に期待したい。とにかく、一歩ずつ前へ進むことだと思う。「何かはするぞ!私の冬休みの間に!」

オカリナとフルートのコラボで「コーヒールンバ」を演奏。フルートのアドリブはよかったと思う。

(日記 午前9時にオカリナのクリスマスコンサート会場となる『はたや記念館・ゆめおーれ勝山』で会場の準備を行った。その後、もっぱら練習。昼にみんなで昼食を取り、最終の「練習。そして最終準備。午後2時からオカリナコンサート開始。今日のプログラムは、1部 オカリナアンサンブル、2部 楽しいオカリナ(オカリナとそれ以外の楽器のコラボ)、3部 オカリナ体験教室、4部 クリスマスソングだった。来場者にはクッキーとドリンクで持てなした。終了後、会場でお茶を飲んで解散した。帰宅すると福井の孫達がやって来た。いろいろ歌を歌ってくれた。ここ1~2年後には孫達と一緒にコンサートをやれたらと思う。)

演奏会終了後に記念撮影。ご苦労さんでした。

 
 

地球は動いている

21 12月

地震は起こるのが当たり前
  私達は、動く地球の上に乗っていることを時々忘れそうだ。ハワイのある太平洋プレートは1年数センチずつ日本の方へ向かって動いているそうだ。動きが速いか遅いかは人によって感じ方が異なるだろうが、50年100年と時間が経過すればかなりの距離になるだろう。

  そして、そのプレートは日本の近くへ来て下へもぐり込むのだ。小松左京さんの「日本沈没」にもあるように長いスパンで見れば日本は少しずつ沈没していくように思えなくもない。

  こう考えると、日本では「地震は起こって当たり前」と考えておいた方がよさそうだ。しかし、誰もが、今日や明日にはそんなに大きな地震が起こらないだろうと思って毎日生活をしているようだ。

  それでも、次世代の子どもや孫のことを考えると、やはり地震に対して備えはしておくべきではなかろうか。効率、能率、経済性ばかりに気を取られて、安全がおろそかになってはいけないだろう。

  これから日本で家を建てる場合には、相当発想の転換を図り、安全性を重視しなければならないだろう。同様に、原発もまた経済性ばかりが優先されるのではなく、安全を第一に考えてもらいたいと思う。

 ところが、原子力規制委員会の調査団が昨日、東北電力東通原発(青森・東通村)敷地内の断層は活断層の可能性が高いとの見解をだした。ところが、東北電力はが逆の考えを持っているようだ。

  果たして、新しい内閣はどのような判定を下すだろうか。いつも思うが、安全と経済性を天秤にかけることは止めてほしいと思う。安全かどうかは、経済性に惑わされることなくは、学術的に可能な限り調査して結論を出してもらいたい。

  犠牲者を出してからでは遅いのだが、現実には橋もトンネルも全てのものが犠牲者が出るまで安全性がおろそかになっているように思う。悲しいことだが、今後もそのような傾向が続くのではなかろうか。「政治のレベルは国民のレベル」と言われるそうだが、残念ながら当たっているようだ。

  人ごとではなく、私も、安全に関して、我が家では何を見直すべきか、我が地区では何を見直すべきかを考えてみたい。動く地球に乗っている限り、地震は起こって当たり前なのだから。

(日記 午前中、部屋の整理。途中から明日のオカリナコンサートのクリスマス曲を編曲。ほとんどの曲はできあがっているが、あと1曲不十分な曲があるからだ。昼近くから始めて5時過ぎまでかかった。その後、明日のコンサートの会場準備のために、はたや記念館「ゆめおーれ勝山」へ準備に出かけた。楽器やアンプ、マイクなどを運び込んだ。帰宅後、再びオカリナの編曲作業。明日は楽しいコンサートにしたい。) 

 
 

NPO法人『今庄旅籠塾』傍聴記

20 12月

まちづくりに燃える熱き人達
 かねてから、まちづくり(住教育)でお世話になっている県土木部のSさんに、NPO法人『今庄旅籠塾』の例会を傍聴させてほしいとお願いしていたが、今日それが実現することになった。

  Sさんと、午後4時過ぎに今庄経向かった。午後6時に理事長のT さんとお会いした。非常に落ち着いた人格者であるとお見受けした。早速、夕食を共にすることにしてて、食堂へ入った。

 そこで、色々お話をすることができた。穏やかな人であるが、しっかりとした考えを持ておられる人だと感心した。このような人でなければこの宿場町の保存に関われないだろうなと感じた。

 午後7時から、NPO法人が借り受けている江戸時代の純粋な旅籠である「若狭屋」で会合が始まった。最初に、役場の職員が来年行われる「地域づくり団体全国研修交流会福井大会分科会」の運営等についての説明があった。今庄では分科会が行われるからである。

 その後、『今庄旅籠塾』の例会が行われた。連絡事項の後、
1.斉藤三郎家について
2.板取宿の管理業務関係について
3.「若狭屋」でのカフェ試行に浮いて
4.年末年始関係について
などの協議事項について、熱心に話し合いが行われた。 

江戸時代の旅籠『若狭屋』で行われたNPO法人『今庄旅籠塾』の例会に参加させていただいた。左端が私。

  非常に興味のある話が多かった。私も途中で2、3意見を述べさせていただいた。この今庄の宿場町は街道筋に1km程続いているが、雪も多く、道幅も狭くて生活には不便なことが多そうだが、別の見方をすれば、貴重な夢の舞台であるとも言える。

  不便を前面に出して廃れるのを待つか、それとも、貴重な財産であるとの観点から、いかに今の時代に生かすか、そして、現代の生活から失われた豊かさを取り戻すかが問われているようにも思う。

  私にとっては、夢の舞台であり、今庄宿とか旅籠とか北国街道とかいう言葉を耳にすると何となく、ロマンチックに感じる。ドイツの「ロマンチック街道」のように。

  会議の後、ぜんざいをいただいて今庄を後にした。高速を通って、Tさんに送っていただいて自宅へ着いたのは、午後11時半を回っていた。

 とても有意義なひとときだった。理事長の穏やかながらも凜とした態度に見習うことは多い。ぜひとも再会したいと思う。理事長のTさんの「夢を共有できる仲間がいることが、成功の鍵である」との言葉にも感銘を受けた。

(日記 午前中、役所へ寄り、午前9時半から鹿谷公民館でおばさん達の銭太鼓の指導。ずいぶん上手になったように思う。帰宅して、しばらくパソコンのファイル整理。午後4時過ぎに『今庄旅籠塾』の例会を傍聴させていただいた。

 
 

久々にのんびりした生活

19 12月

さて、次は何をするか
  朝は寝坊してしまった。いつもは時間がもったいなくて寝ていられないのだが、今日は気がついたら午前9時になった。昨日は睡眠一時間だから、これで少しはバランスがとれたかもしれない。

 「さて、次は何をするか?」と思ったが、それよりも、「これからは何を止めるか?」を考えなければならないことに気がついた。どれおこれも止めたくないが、それではもっとやりたいことができなくなる。悩ましいところだ。

  切羽詰まっていることに時間をかけるので、本当にやりたいことがほとんどできないでいる。ここ2年ちかく全くできないでいるのが『数学』だ。数学が私の本職だがこれが全くできずに後回しになっている。

  数学で何をするか、一つは『高校数学のホームページ作り』だ。公開しながら途中まで作りかけて、現在作業が中断している。これをもう一度作り直しながら、内容を追加していきたい。

  次が、ネット上での『数学講座』開設だ。小・中・高校生と算数・数学を軸に交流でたらと思う。毎日少しでもいいから作業を再開していきたいと思う。もしかしたら、紙芝居とつながりを持てるかもしれない。

  いずれにしても、創作系の作業は止めたくない。童話・紙芝居・文章(小説とは言言いたくても言えない)・歌作りだ。バンド関係は少しペースを落とさなければと思う。

  ちょうど、野球にシーズンがあるように、季節に合わせて力を入れたり抜いたりする必要がありそうだ。この冬は、音楽系の活動(団体でするもの)は、活動休止の予定したいと思う。個人的な活動は好きな時間にできるのだから。

 新年に向けて、年末までには「来年の時間の使い方」について自分なりの方針を立てたいと思う。少なくとも、精神的なゆとりだけは持ちたい。そのためには何にでも興味を持ちすぎないようにしなければならない。

(日記 午前中は、自分の部屋の整理整頓。そして、区の会計や申請事業などの事務処理。意外と時間がかかった。午後も作業を継続。夕方、正月用の餅米と玄米を精米した。雑用だけでかなりの時間が取られてしまった。時は金なりを実感。)

 
 

久々の徹夜

18 12月

やっぱり後一日ほしかった
  昨日、午後11時頃から、A3の厚紙に紙芝居を印刷しようと思ったが、インクが厚紙にはじいてきれいに絵が出ないので、紙芝居の印刷は残念ながら諦めることにした。そこで、パワーポイントを使って映像で流すと決めた。

園児と一緒に手遊び歌の実演。

 そして、パワーポイント用に映像を編集してできあがったのが夜中の2時過ぎ。その後、なぜインクがはじくのかをネットなどで見ているうちに、黒インクのせいでないのかとの考えに至り、フォトブラックをマットブラックに替えて印刷してみた。

 すると、うまく印刷することができた。しかし、詳細印刷では1枚印刷するのに10数分かかり、1時間に5枚前後しか印刷できないことが分かった。この時点で止めるか、それとも朝まで印刷紙続けるかのどちらかだ。

  保育園の子どもたちのためにも、映像よりも紙芝居の方が親しみを持って見てもらえるだろうとの考えから印刷することに決めた。結局、印刷し終わったのが、午前7時半だった。外は明るくなっていた。この年でよくも朝までもったものだ。

  午前10時前に野向保育園へむかった。出番があったおかげで、また一つ新たな紙芝居を作ることができた。この調子で、これからも、創作紙芝居を作る続けたい。全部で6つほど創作紙芝居が完成した。目標は10作品だ。

アコーデオンに合わせて手遊び歌。退職グッズの一つ「アコーディオン」が辛うじて生きている。

  子どもたちの真剣な眼差しを見ていたら、作ってよかったと思った。今回は、「あと一日足りなかった分を徹夜で補った」ことになる。今後はそうはいかないだろう。何事も、締め切りの二日前には完成させたいものだ。

(日記 徹夜して午前7時半過ぎまで起きて紙芝居の印刷をしていた。その後、1時間だけ寝て野向保育園へ出かけ、手遊びや新作紙芝居『のら犬物語~勇気を出して~』を演じた。帰宅して昼寝。少し元気が戻った。充実した一ヶ月間だった。)

創作紙芝居『のら犬物語~勇気を出して~』の初演。

創作紙芝居『のら犬物語~勇気を出して~』の表紙。

紙芝居の一場面。保育園児たちはどんな気持ちで見てくれただろうか。

 
 

あと一日あれば

17 12月

いつも一日足りない
  どうも私は時間の使い方が下手なようだ。別に言い方をすれば、「段取り八分」というのに、段取りが下手なのかもしれない。いつ何をやっても、「あと一日あれば」と思ってしまう。

  何とか締め切りに間に合うのだが、「あと一日あればもっと余裕を持ってやれたのに」と思ってしまう。明日は野向保育園の行事で「紙芝居」や「手遊び」をすることになった。

  毎年出かけているので、ここではいつも新作を発表すると決めている。おかげで、私の紙芝居作品が増えるのでありがたいが、いつもぎりぎりにしかできない。

  明日、本番だというのに、ようやく午前中「脚本(要校正)」ができあがり、午後6時半にパソコン上で全ての絵ができあがった。しかし、夕食を食べ、オカリナの楽譜を作り直し、午後7時半からオカリナの最終練習。終わったのが午後10時半過ぎ。

   ここからいよいよ印刷開始だ。A3ノビの厚紙に詳細印刷をするので1枚に20分ほどかかってしまう。昨日は午前1時半過ぎまで作業をしていた。今日は寝不足だ。ついついあと一日あればと思ってしまう。

  それでも、毎日1枚1枚描いているうちに20枚あまりの紙芝居になった。正に「毎日パワー」のおかげで作品の完成まで漕ぎつけることができた。出番があるおかげだ。10作品ができたら、東北の子どもたちの所へ出かけ、紙芝居をしたいと思う。

  やはり本当に一日足りなかった。うまく印刷ができない。紙との相性が悪いのか。明日は、この前のようにパワーポイントでやるしかない。紙芝居の素朴な感じを出したいと思っていたが、印刷できない。途中で、パワーポイントに変更せざるを得ない。

   やっぱり本当に一日足りなかった。こうなることも少しは予想されていた。これからは、何とか二日前に完成させたいと思う。「あと一日あれば」はしばらくはお蔵入りとしたい。

(日記 午前中はもっぱら紙芝居の絵描き。昼少し前に、専門家に枝打ちしてもらった樫の木の枝の片づけ。午後も、紙芝居の絵描き。午後6時半にようやく完成。午後7時半よりオカリナ教室。帰宅して紙芝居を印刷するつもりが、プリンターと厚紙の相性の悪さで印刷できず。途中でパワーポイントで上演することに切り替え、画像編集。)

 
 

安全マニュアル

16 12月

机上のマニュアルと実際との乖離
   マニュアルは犠牲者を出した後にしか改善できないのだろうか。山梨県の中央自動車道上り線の笹子トンネル内で天井が崩落する大惨事が起こった。事故後の、危険箇所の発見は驚くばかりだ。

  トンネルの安全点検は形式的だったことが暴露した。トンネルの天井が崩落したから、トンネルの総点検、そしてぼろぼろ出てくる危険箇所。原発が大事故を起こしたから原発を停止しての総点検。

  今後も、橋が落ちたら、高速道路が崩れたら、鉄橋が壊れたら、……と、いろんな災害が発生するのだろうか。そして、そのたびに、あやふやな安全点検箇所が発見されるのだろうか。

  原発のように安全性の見極めにくいものに対しては、専門家と称する学者が安全性を代弁してきたのである。そして専門家が「想定外」と発言するほどの大惨事。今も、原発の安全に関しては迷走している感じがするのは私だけだろううか。

  今、至る所に安全に関するマニュアルが存在する。しかし、実際には間に合わない、対応しきれないマニュアルが多いのではなかろうか。専門家と言われる人は、一般人の及ばない事を先読みして、国民の安全・安心のために力を発揮してもらいたい。

  今もいろんなところで安全点検が行われているだろうが、間違っても「人災」と言われないようにしてもらいたいものだ。東北大震災、福島の原発事故で被災した人達のことを忘れているのではなかろうか。

  最近気になるのは、「安全」と「経済」が天秤にかかっていることだ。安全は、安全でしっかり見極めてもらいたい。衆院選の開票が始まった。自公の大勝利に終わりそうな様相だ。今こそ、国民のための政治を行ってもらいたい。

今日の一枚。背景は借り置き。

(日記 明後日本番の紙芝居を今作っている。楽しい作業だが、段取りが悪くていつも一日足りない状況だ。今日は久々に人間を描いたが、一人完成させるのに一時間ほどかかった。4、5人の絵を描こうと思ったら半日以上かかるペースだ。手抜きをしたくないのでどうしても時間がかかる。それでも、毎日コツコツやってきたのでもうすぐ完成しそうだ。 選挙開票ニュースを見ながら作業をしている。今年は、世界の主な国のリーダーの選挙が行われている。難しい時代に新しいリーダーが選ばれる。うまく舵取りしてもらいたいものだ。今晩もまだまだ絵を描く作業が続きそうだ。選挙開票速報を見ながら……。)

 
 

『親子太鼓』練習納め

15 12月

出番間近
  親子太鼓を始めて1年半が過ぎた。最初は保育園の年長児と小学一年生の計5人とその保護者で出発した。保育園児には少し早過ぎるかなと思っていたが、週1回の練習でもかなり上達したように思う。

「♪ きーよし、この夜……♪」。親子太鼓のクリスマス。

  いよいよ来年からは、このグループだけでも市内のイベントに出演できるのではなかろうか。昨年秋のJA祭り、今春の鹿谷の雪祭りにも出演したが、それは大人の太鼓と一緒の出演だった。

  今後は、この親子太鼓だけでも独立して行動できる。最近は曲太鼓と共に『左義長太鼓』を練習しているがもう一息だ。何事もそうだが、続けることが大切だと思う。

  「この曲は無理ではないか」と思うこともあるが、練習しているうちに、子ども達はできるようになっていくのだ。子どもたちには無限の可能性がある。周りの大人達が子どもの何を伸ばすかをよく考える必要があるように思う。

  「一つのことを徹底的にやる」というのも一つの方法だが、いろんなことを楽しめるレベルに達するまでやってみるのもまた一つの方法ではなかろうか。

  一つのことを徹底的に伸ばして一流の選手や芸術家になるのも意味のあることだろうが誰もが簡単になれるものではない。楽しめるレベルに達するまでいろんなことに打ち込むのもまた意義のあることではなかろうか。

  身に付けたものは、間接的にいろんなことに役立つのではないかと思う。また、間口が広い分、人生に彩りを与えてくれるのではなかろうか。若い頃真剣に取り組んだことは形を変えていろんなことに役立つと思う。少なくとも私はそう思っている。

練習納めにみんなでクリスマスケーキを食べた。

  友達と一緒に何かを練習し、人前で演ずることは協調性を養うのに役立つだろうし、単調な日々の生活に潤いを与え、いい意味での緊張感を与えてくれるのではないかと思う。

 今日は練習の後、ミニクリスマスを行って、平成24年の練習納めとした。来年は親子太鼓の飛躍の年としたい。子どもたちはますます元気に、上手になっていくだろうが、私の方は逆に進んでいくようだ。

  子どもたちとの出会いを楽しみ、子ども達の成長を喜びたい。そして、若いパワーを受けながら、私も楽しく過ごせたらと思う。そういう意味では来年は親子太鼓のデビューの年としたい。

(日記 今日も、午前中は紙芝居作り。家内は福井の孫の発表会を見るために福井へ出かけた。午後は、除雪機で事務所の除雪作業。午後4時より「親子太鼓」の練習。その後、練習納めのミニクリスマス。ケー

紙芝居の一場面。背景は借り置き。

キを食べ、ビンゴゲーム。夕食後、再び紙芝居の絵描き作業。あと二日で仕上げなければならない。)

 
 

人生は旅

14 12月
どう歩むか
 今日、午後7時より福井の駅前の居酒屋で『大学軽音楽部OB会』の忘年会が行われた。この会は、今年の10月末に静岡で行われたOB会演奏会の反省会でもある。
 一番若いOBは59歳、一番年上は69歳の私だ。今回は初めて忘年会に女性3名も参加した。OBの多くは、定年退職した後も、働いている。しかし、何人かは、仕事をやめている。

  みんなと話し合っているうちに、多くの人が言うように「人生は旅」という言葉が頭をよぎった。時間という道を歩む旅かもしれない。

  定年を過ぎても、朝から晩まで働く人は、旅にたとえれば、脇見をせずにひたすら歩いて旅する人かも知れない。道路脇にどんな景色があろうと、どんな観どころがあろうとひたすら歩む生き方だと思えなくもない。

 一方、全く働かない生き方は、道路脇の土手に座っているように思えなくもない。それでも時間は過ぎる。しかし、周りの景色はいつも同じだ。季節毎に変わりはするが。

  65歳を過ぎたら、周りの景色を楽しみ、時には脇道に入っていろんなものを見聞きし、再び旅を続けるという生き方が私にとっては理想に思える。

福井の居酒屋で行われた『大学軽音楽部OB会』の忘年会。

 「ひまで何もすることがない」と言う人もいるが、旅にたとえれば、同じ所に立ち止まっているだけのようにも思える。やはり、ほどほどに働き、地域のため、家族のため、自分のために時間を費やす生き方を目指したいものだと改めて思った。

(日記 午前9時より、午後5時まで、食事の時間を除いてもっぱら紙芝居の絵描き。クライマックで10匹の野良犬出てくる場面があるのだが、一匹の犬を描くのに、1時間かかった。今日は、沢山の時間を使ったが、紙芝居としては、1場面しか描けなかった。午後6時少し前に電車で福井へ向かった。福井県周辺に住んでいる大学軽音楽部OB会の忘年会に参加するためだ。石川県からの参加者もあった。楽しい時間を過ごすことができた。音楽で結ばれた愉快な仲間たちだ。このOB会のモットーは「第二人生に音楽を」だ。)