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Archive for the ‘未分類’ Category

東京二日目

21 2月
 
スカイツリーで考える 
   次女のアパートで目を覚まし、朝食後、電車を乗り継いでスカイツリー駅へ。今日は運よく快晴。空を見上げたところ、天に向かって直立するスカイツリーが目に入った。これが第一印象。そして、日本の技術に関心する。  
 

スカイツリーはとにかくでかかった。

 おまけにこのスカイツリーには、昔の建築法が応用されているのだという。それは地震に対する備えだ。五重塔に使われている昔の宮大工の「心柱」がスカイツリーでも設置されているのだという。昔の技術に感服。

 
  早速、入場券を買い求めるために家内と二人で列に並ぶ。切符を買うまでに40分待ちだという。後ろに並んでいる人と人といろいろ話しながら待って、ようやくチケットをてに入れた。さらに、エレベーターに並ぶために、数分ほど待った。 

  そして、ようやく、350m地点の第一展望台へ到着。ここで、さらに第二展望台のチケットを入手するために、列に並ぶこと20分。そして、エレベータの前に並んで、ようやく第二展望台へ到着。  

 ここからようやく自由になった。展望回廊をゆっくりと回りながら東京のまちを眼下に眺めた。全体が俯瞰でき、東京がこういう形になっているのかと納得できた。  

  450m地点からは、動くものといえば、自動車と遠くの飛行機だけ。まるで箱庭の中の大小のマッチ箱のような風景だった。これらの建物の中で、さまざまな人たちが働いているのだろう。  

  一人ひとりは、何千というミツバチの大群の中の一匹の働き蜂のような存在であるようにも思える。私が、眼下を眺めていた時間帯には、私の長男と次女もどこかの建物の中で、働いているのだろう。 

  一人ひとりには、それぞれの人生がある。遠くから見れば、小さな存在であるように思えるが、かけがえのない存在でもあるのだ。それぞれが自分の人生に納得し、向上するために、それぞれのやり方で、前へ進んでほしいと願う。  

地上450mの展望台から眺めた東京。スカイツリーの影も見える。

 スカイツリー見学の後、家内のリクエストにより、浅草寺へ。これ殻も東京へは何度もこれるだろうと思い、次女のアパートへ戻った。  

(日記 スカイツリー見学と浅草の浅草寺参拝。そのご、次女宅へ宿泊。)

家内のリクエストで参拝した浅草寺。

 
 

「さあ、古希だ!」あわてずに

20 2月

招待券をもらって東京へ
  今日は私の70回目の誕生日。世間でいうところの古希だ。さすがに、「思えば遠くへ来たもんだ」という気持ちだ。古希を過ぎた先輩たちも、多方面で頑張っておられる。私も、無理せず、自分のやりたいことを選択し、優先順位をつけて頑張りたいと思う。

展覧会の会場となった「21_21デザインサイト」前で記念撮影。

  今回の東京行のきっかけは、東京で仕事をする長男から六本木の東京ミッドタウン・ガーデンデ内の21_21デザインサイトで行われる『デザインあ』展(主催:21_21DESIGN SIGHT、三宅一生デザイン文化財団、NHKエデュケーショナル 後援:文化庁、経済産業省)の招待券を送ってくれたからだ。

  この展覧会は、NHK教育テレビで放映中の『デザインあ』を、展覧会という形で発展させた企画とのことだ。息子の勤める会社(tha ltd)の社長中村勇吾氏が他の二人と共に展覧会ディレクターを務めていて、同社が作品を展示しているからだ。
 
  それならば、ついでに次女のところへ2泊して、次は横浜の息子のところへ2泊するつもりで勝山を出てきた。都内の山手線などを乗り継ぎ、ようやく会場へたどり着いた。

  会場には、デザインに関する様々な展示がなされていた。入場者と映像が一体となった遊べる作品や、様々な体験が出来る作品などが展示されていて、平日の日中にもかかわらず、子供や若者達でにぎわっていた。

四つの壁面に映された映像と音楽のコラボ作品。

  デザインの重要性を改めて確認した次第である。どんなものにも、デザインは必要である。デザインは、ファッションや広告などばかりでなく、日常品から、機械、自動車、食品、衣類、・・・・・など、世の中にあるすべてのものに深くかかわっている。

  そのことを強く感じた。息子は会社に勤めているというよりも、中村勇吾氏(NHKプロフェッショナルに登場)に弟子入りして修行をしているという感じだ。奥の深い道だが、ただただ成長を祈るばかりだ。

  東京へ出てきたついでに、『ビックロ』の入口にある「動くポスター(私は勝手に呼んでいる)」を見るために新宿へ向かった。これも息子が制作にかかわったというので、この目で見ておかなければと思って出かけたものだ。

  この「ポスター」の前で次女と待ち合わせをした。その後、外食をし、娘の下宿先へ向かった。今晩と明日はここをベースにして都内を見学するつもりだ。

身体の動きに合わせて「あ」の字がいろいろ変形する作品で「100点ゲット!」。

  私が若いころ憧れていた東京で、長男と次女が働いている。私は、子供たちが健康で東京で頑張ることを祈るばかりである。家内は風気味でいつものようには元気がなかった。それでも次女に会えてうれしそうだった。

(日記 午前9時に自宅を出て東京へ向かう。東京・六本木の東京ミッドタウンで、息子たちの会社が出品する『デザインあ』展を見学。続いて新宿の『ビックロ』入口の「動くポスター」を見る。ここで次女と合流し、食事をとって、娘の下宿先へ向かう。ミニミニケーキで私の70歳の誕生日を祝う。長嶋監督は、今日、盛大に誕生日を祝っていることでしょう。)

ビックロ前で次女と再会。

ビックロのポスターの前で動いてみると、映像の中に映り込んだ自分も一緒に動いた。

 
 

暖冬に思う

19 2月

このまま春になるのか
  二月も下旬になった。本当に雪の少ない冬だった。かといって、スキー場には雪がなかったわけではない。今年は、これまで一度も雪下ろしのために屋根に上がることがなかった。勝山には珍しいことだ。

  毎年こんな冬なら、勝山に住む者にはありがたい。しかし、商売をしている人たちにとっては、明暗が分かれたようだ。先日ホームセンターへ行ったら、スコップやスノッパーなど雪を扱う器具があまり売れなかったという。

  除雪を請け負っている人たち、雪下ろしを請け負っている人たちもあまり仕事がなかったのではなかろうか。先日、市長にうかがったところ除雪費が例年に比べて少なくて済んでいるとのことだった。

 いよいよ来週は勝山の左義長。勝山の人間には左義長までが冬だという感覚がある。左義長は春を呼ぶ奇祭だと誰もが信じている。あと一週間でその左義長だ。いつもなら、この時期は、ブルが寄せ集めた雪の山を崩してダンプで河原などに雪を運んでいる時期だが今年はその必要もない。

  今年は、「勝山水菜」を育てている人たちにとっても、楽な冬ではなかったか。水菜の畝の雪を取り除いてビニールがけをするのだが、今年は、除雪の手間が省けたのではなかろうか。

 そろそろ農家の人たちにとっては落ち着かない春が来るのだ。することがいっぱいある。私の方は、まだしばらくのんびりと過ごすことができる。今のうちに、創作活動を進めたい。贅沢な悩みだが、やっぱり冬はほどほどに雪が降ってほしい。

(日記 朝は先ず区の会計処理。続いて『かたせ瓦版』の編集作業。こつこつ続けているうちに4月以来第23号になった。作業中、ずっと、「参議院予算委員会質疑」を聞いていた。攻守交代して野党は勢いづき、与党は静かになった。常に前政権の取り組みが話題になっていた。今日もTPPが問題になり、「農業が自動車の犠牲になるのか」と質問する議員もいた。ところで、パソコンは指を酷使する。そこで、どうしようか迷っていたが、「音声入力ソフト」を買うことに決めて注文した。これまでも、購入したことがあるが、実用的ではなかった。今度こそ、上手く使えることを期待したい。ソフトの性能とこちらの使う能力が必要だが、話すだけで、文章が作れるとしたら、そんな素晴らしいことはない。)

 
 

いつまでも諦めないで

18 2月

銭太鼓指導に思う
  私は今、鹿谷町の銭太鼓グループ(メンバー5人は全て女性)の指導に関わっている。メンバーの一人と市営プールで会ったのがきっかけだ。昨年までは月1回の指導だったが、最近は月2回に回数が増えている。出番が近いからだ。

  このグループはずっと銭太鼓を続けているのだ。メンバーの年齢は、70歳代が3人、69歳が一人、66歳が一人だ。そのうち3人は膝などに持病を抱えている。しかし、主に上半身を使う銭太鼓にチャレンジし続けている。

  先ず、このことに頭が下がる。足(膝)が悪かったりすると、出歩くのがおっくうになるが、かの女達は毎週欠かさず練習に励んでいる。そのため、銭太鼓のバチのさばきは勝山では一番上手いと思う。

演技を終えてポーズが決まったところ!(いいぞ!おばちゃん達)

  なぜそのような上手な人たちに、私が関わっているのかというと、音楽のリズムに乗りきれない部分があるので、それを直してあげるためだ。リズム感が悪いという意味ではない。歌の入りが、必ずしも小節の頭から入っていないので、リズムに乗り切れないのだ。

  ある部分は、小節の頭から、ある部分は半拍休んで、ある部分は一拍休んで、ある部分は一拍半休んで、そして、別の部分は2拍休んで……というように、それぞれ歌の入りが異なるのだ。そのため、歌を聴いてばちを振ると、リズムに乗れないのだ。

 そこで、こうした部分を毎回指導させてもらっている。約半年間通って、3曲をマスターしつつある。最初の出番は、来週の月曜日、そして、次の出番が来月の7日だ。練習の合間にお茶を飲み、健康について話すことが多い。

 今日は、「半分主義」について話した。彼女たちの休憩のおやつは、大きなシュークリームであったり、大きなプリンであったりする。膝に負担をかけないようにするには、体重をコントロールしなければならない。

 そのために、「大きいものは半分しか食べない」か、「半分ぐらいの大きさのシュークリームやプリンを買ったら……」などと話した。これは、おばさん達へのメッセージであると同時に、私自身が心掛けなければならないことでもある。

 70歳前後のおばさん達には体のどこかが悪いからといって諦めないで、大丈夫な部分を使っていろんなことにチャレンジしてもらいたい。それは、私自身の気持ちでもある。従って、どんなに忙しくても、彼女たちの指導には喜んで出かけることにしている。がんばれ、おば(あ)さん達!

(日記 午前10時より鹿谷公民館で銭太鼓グループ『すいせん会』を指導。出番1週間前となった。人前で演技しても十分見られるレベルに達した。すごい。練習後、創作民謡『鹿谷ほがらか音頭』の踊りの振り付けを教えてあげた。帰宅して遅い昼食。午後から、夜の十時半過ぎまで総会に向けての区の会計処理。かなり忙しい一日だった。紙芝居どころではなかった。)

 
 

TPPと農事組合法人の総会

17 2月

持続可能か「日本農業
  午前6時、山中温泉で起床。風呂に入って朝食をとり、午前7時35分峠越えで勝山へ向かう。昨日の降雪と凍結で路面は真っ白。しかも山越え。少し心配だったので安全運転で帰ってきた。そして、9時から始まる『農事組合法人かたせ』の総会だ。

  帰路、ずっと『報道2001』を聞いていた。今日は、TPPがテーマだった。TPP反対は、自民党の中谷議員(元防衛庁長官)のみで、後は自民党の議員もコメンテーターもほとんどTPP加盟賛成の意見を持っているようだった。

  中谷議員は、TPP反対の最大の理由は、農業にとっての影響が限りなく大きいとのことだった。賛成派は、農業の改革を唱え、農業も規制緩和をして一般企業が農業に参入することを盛んに話していた。

  「地域では、農業はどのような役割を果たしているのか」を賛成派の議員屋コメンテーターは知っているのだろうか。効率を追い求め過ぎて、異常に規模拡大を図ったり、経費節減を求めすぎると、日本人は農業から追い出され、地域はますます崩壊するのではなかろうか。

  また、TPPの問題は、農業ばかりではないと思う。マスコミも、本当のことをあまり分かっていないのではなかろうか。影響は、農業以外にも出てきそうである。保険、医療、食品、投資等様々な分野で影響を及ぼしそうである。

『農事組合法人かたせ』の総会。活発な質疑が行われた。

  そして、日本がルールに従わなければ、訴訟に持ち込まれる可能性も大なのだ。まだまだ、情報が十分ではないのだ。「情報が不足している」というと、賛成派の政治家は交渉に入らなければ情報は手に入らないという。

  先の衆院選の自民党の政治公約は、「聖域なき関税撤廃ならTPP加盟反対」というものだった。しかし、選挙カーからは「TPP反対!」のみがよく聞こえてきた。果たして、安倍総理のアメリカ訪問でTPPは問題になるのだろうか。それとも、7月までは表沙汰にしないでくれとでも言うのだろうか。

  自民党は、政権公約を実行しなければ、「うそつき」と言われて、先の衆院選の揺り戻しがあるのではなかろうか。さて、我が片瀬の組合だが、少しでも品質の良い米を作って、米購入の常連を作り、多少安い外国産が入ってきても、その影響をあまり受けないようにしなければならない。

  日本の動きと、小さな集落の農業が多少は関連しているように思われる。少なくとも、我が地区にとっては、農業は地域作りと深く関わっている。農業には、効率や経済面だけでは測りきれないものがたくさんあるように思う。

(日記 新雪が降り、凍結した路面をゆっくり走りながら、山中温泉から帰宅し、午前9時から始まる『農事組合法人かたせ』の定期総会に出席。いろんな意見が出た。この法人を継続する建設的な意見がもっとほしいと思った。今日は、道場で『永代経」』が行われた。午後2時より道場へお参りする。読経の後、説教があり、説教の後、珍しく質疑が行われた。何人かが質問した。私も、自分なりには調べてあったが、親鸞聖人の『悪人正機説』について説明を求めた。しかし残念ながら説明はあまり理解できなかった。)

 
 

区切りの年に当たって

16 2月

長女家族と温泉で誕生パーティー
  私の年齢はまもなく大台に達する。これからは一日一日をありがたく感謝しながら過ごさなければならないと思う。父親は40歳と少しで、母親は50歳少しでこの世を去った。いずれも、残念だったに違いない。 

 気持ちは、若い頃とはあまり変わらないが、やはり体力や記憶力はかなり劣ってきたように思う。楽器などを演奏しようと思うと、指の動きが若い頃に比べて鈍くなったり、暗譜が苦手になったりしている。 

温泉で中央3人の誕生祝い。私は古希。

 

 しかし、今のところ、創作意欲はそんなに衰えていないと思う。しかし、体でも壊せばたちまちそうした気力も萎えてしまうであろう。これからは、体に無理をかけないで、特に、内蔵にも無理をかけないで、栄養、運動、休養のバランスを取りながら、楽しんで創作活動を続けたい。 

 特に、自分の活動の基軸となる「数学」に関しても何らかのアクションを起こしたい。また、自分のできる範囲でまちづくりにも、関わりたいと思っている。幸いなことに、時間には現役時代よりは余裕があるので、選択と集中に気を配りながら、元気で過ごしたい。 

(日記 午前10時より市民会館で家内と映画『我が母の記』を見る。その後、福井へ寄り、長女の家族と合流し、温泉へ向かう。長女の誕生日が2月17日、長女の長男が18日、私が20日と3人の誕生日が近いので、一緒に誕生祝いを行った。ちなみに長男の長女の誕生日が23日。全く関係がないが、巨人の長嶋監督は私と同じ2月20日だ。夜は、丸々2時間長女家族と合わせて6人でカラオケを楽しん 

6人全員が歌好き。みんなの歌を聴きながら、演歌以外の曲も作りたいと思った。

 

だ。来週は、横浜に住む長男家族、そして東京に勤める次女とも会うつもりだ。これからも、子どもたちに刺激を受けながら、自分なりに頑張りたいと思う。)

 
 

初めに結論ありき

15 2月

どう理由づけするか
  最近世の中の動きを見ていると、何かを始める場合に、「最初に結論」を置き、それにいろいろ理由づけをしているように思われる。公正に考えて実施できるかどうかを十分検討するというよりも、結論を先に定めて専門家と言われる「ムラ」の住人に、正当性を追認してもらうという印象が強い。

 このような進め方をすれば、我々凡人は簡単に引っかかってしまう。しかし、今後はそうはいかないかもしれない。今、テレビでは、原発の再稼働について放映されている。

 日本原電は原子力の直下に活断層はないと言う。一方、規制委員会は、活断層の疑いがあるという。両者がそれぞれ、自分の都合の良い論陣を張るのではなく、公平に調査し、結論を出してほしいと思うが、実際には、電力会社は再稼働を前面に出している。

 これは、何も原子力の問題だけではない。世の中で問題になっていることの多くが、このように結論を先に置き、それに都合の良い専門家がその正当性を証明しているように思う。何もなければそれでよいが、ひとたび事故が起きると、一般人が大きなダメージを受けることになる。

  今回の原子力発電所の崩壊は、津波のみの影響を受けたのか、それとも、地震の影響を受けたのか、まだはっきりしていないのではないか。というよりも、地震の影響を受けてはいないと言いたい電力会社側は、「現場は暗い」などと理由を付けて政府の調査委員会にも立ち入り検査を許していないと報道されている。

  これも同様の考え方だ。先に地震の影響は受けていないという結論を置き、それに都合の悪いことは極力隠したり、触れたくないようだ。こんな事が、衆院の予算委員会で問題になっている。政治不信は、ますます大きくなっていくように思われる。

  TPPに関しては、与党内でも、結論が分かれている。日本の国益を考えるよりも、自分の選挙を優先したり、党の次回の選挙のことばかり考えているように思われる。特に、地方を地盤とする議員と都会の議員の対立があるように思うが。

  これではいつになっても、政治の信頼は回復しないのではなかろうか。TPPに関しては、一般人に対してあまりにも説明不足になっているのではなかろうか。結局、国民が痛い目に遭い、誰も責任を取らないという状況がこれからも繰り返されるのだろうか。

花の植えつけ作業。春が待ち遠しい。

(日記 今日は、朝からずっと、区の総会のための資料作り。数ページの資料を作らなければならない。金の出し入れとその証拠書類の整理も必要だ。午前、午後と作業を続けたが、まだ終わらない。特に、市との関係があるので、資料作りはかなり複雑だ。夕方、『四季折々の花の咲くまちづくり事業』の一環として、最後の花植え作業。今、各家庭や地区の集会所には花々が寒さの中で静かに春を待っている。春を待つのは人も花も同じではなかろうか。)

村のあちこちのプランターの中で春を持つパンジー達。

 
 

『ティラノサウルス』スタイル

14 2月

朝礼直後にティラノサウルス出現
  パソコンはずいぶん職場に普及した。私が学校から市役所に移った頃は、パソコンと言えば、ほとんど個人持ちであった。そのうちに、グループ毎にパソコンが2~3台ずつ配置され、最後には一人一台となった。

   全員に行き渡った頃には、最初の機種は古くなり、入れ替えなければならなくなった。今もこうした状況は続いていることだろう。それは、ハードもソフトも常に進化しているからだ。ネット環境も格段に進歩した。

  パソコンで事務効率が上がったかは、簡単に言えないところがある。会議などの資料の枚数が多くなり、それらを作成するために、多くの時間を必要としている。会議では、資料を理解するために、多くの時間を要することになる。

  会社によっては、「会議の資料はA4で1枚に納めよ」というところもあるらしい。それまでなら、手書きの原稿をさっとコピーして用を足していたものが、字体や体裁を整えているうちにかなりの時間を使ってしまうことになる。

 かつての職場では、朝礼が終わると職員が一斉にパソコンに向かう。その姿は、「ティラノサウルス」に似ていなくもない。各人が前屈みになって両手でキーボードに向かう姿がどことなく「ティラノサウルス」の格好に似ているのだ。

  パソコンと言っても、その利用形態は、「ワープロ」か「計算機」か「辞書(ネット利用)」として使うのがほとんどではなかろうか。何のために、パソコンを使うのか、使わねばならないのか、……。これは今も昔も、私に課せられた課題である。

平泉寺方面へのウオーキング。歩道に雪が全くない冬も珍しい。(後ろは平泉寺の『菩提林』の入り口)

(日記 今日は、 『かたせ瓦版』の発刊日。午前中は、瓦版作り。私は、自宅のパソコンで編集し、それをきれいに印刷して、外でコピーしている。毎月第2、第4の夜はいつもほっとする。区民の中には、おそらく全く読まない人もいるだろうが、「楽しみにしている」という人もいるので、何とか発刊を続けている。その後、区の会計事務を行い、図書館へも立ち寄った。現在制作中の紙芝居『親鸞聖人物語』制作のために、親鸞関係の本を7冊、『絵本のしくみを考える』など絵本関係の本を3冊借りた。親鸞聖人の生涯を理解するのは非常にむずかしい。今日は青空が見える。午後、各班長宅に市の広報誌や『かたせ瓦版』を配った後、家内と二人で平泉寺方面へウオーキングに出かけた。今年は、屋根の雪下ろしをしなくてもよい程度の雪しかないので、晴れた日にはズックでウオーキングができる。去年、一昨年とはずいぶん違う冬だ。)

 
 

各種団体との語る会

13 2月

老人会の皆さんとの語る会
  午後1時より、区の老人会の皆さんと役員との“語る会”を実施した。私としては、各種団体に対して、このような会合を開くねらいは、区民の皆さんに区に対して関心を持ってもらいたいと思うからだ。

  この頃、多くの地区ではそうだと思うが、「面倒くさいことには関わりたくない。」と思う若い人が増えていることだ。そのため、団体活動は低調になり、会そのものも解散したりしている。

  そして、区内と人と人との関係が薄らいえいる。一方では、区の3割強が1人、または高齢者の2人暮らしである。5年後、10年後にはこの区はどうなっているのだろうか。誰もがあまり気がついていないのではなかろうか。

  今日集まった高齢者の家庭を見ると、約半数は高齢者の2人暮らしであった。これからますます人と人との温かいつながりが必要になるのだ。そんなことを思いながら、老人会の会長の進行のもと、次のようなテーマで話し合った。

・区の行事に対して
・生活改善について
・区民が互いに気をつけなければならないこと
・その他区民が必要とする問題

について、意見や提案、問題点を述べてもらった。最初の行事に対しても、いろんな意見が出た。行事の見直しから、廃止まで様々な意見が出た。前例を踏襲しなければならない部分と前例を改善しなければならない部分がいろいろある。

ストーブを囲んで老人会の会員と区の役員の語る会(集会所で)。

 また、アンケートの項目で、地区の雰囲気を問う設問があったが、「閉鎖的である」と答えた人も何人かいた。こうした雰囲気を少しでも明るいものにしなければ、地域の明日はないと思う。年を取るにつれて、自己中心的になることだけは避けなければならない。

  行事に関しては、“選択と集中”が必要だと思う。この語る会は、これからも続く。区民の本音を出してもらいたいと思う。そして、その中から、お互いに、区をよくするために何をすべきかを区民みんなで考えてみたい。

(日記 午前中は、『アンケート』を印刷。午後1時から3時過ぎまで、集会所で老人会と『役員会の語る会』を開催。いろんな意見をいただき、最後に、『生活アンケート』を実施した。区の役員会で図り、総会に提案しなければならないこともいくつかあった。) 

 
 

遊びと仕事

12 2月

年齢にとって重要度が変わる
  「遊び」と「仕事」は一見対極にあるように思うが、実は表裏一体のものだと思う。「遊んでばかりいて……」という叱り方があると思う。しかし、両方とも大切だと思う。年齢によって両者のウェイトは変わると思うが。

  子供時代、「遊び」は生きる力そのものだと思う。遊べない者は、成長しても、どこかで力が発揮できないように思う。ちょうど、ビタミン不足のように、「遊び欠乏症」がどこかで現れると思う。それほど子供にとっては、「遊び」は必要不可欠なものだ。

  子供時代、遊べない猿は一人前になれないと聞いたことがある。子供時代、十分に「遊べなかった人」はどこか人間味に欠けているように思われる。

  今日、遊びをテーマにしたのは、用事である店へ出かけた。ここの主人は、かつてはいろいろ関わりのあった人だったが、その奥さんが「近頃、認知症が出て……」と話された。しばし、健康について、立ち話をした。

  青年、壮年期においても、遊びは大切だが、やはり仕事の方がウェイトが大きいだろう。しかし、楽しみながら、仕事に楽しみを見つけて働くことは大切だろう。

  そして、高齢者になったら、遊びと仕事の区別が少なくなってもよいのではないか。楽しみながら仕事をすることが大切ではなかろうか。無理は禁物だ。遊びが脳を活性化するのだから、認知症予防にもよいはずだ。

  高齢者になったら、遊びもまた仕事なんだと思う。そして、高齢者の心身の健康であることは、その家族にとっても非常に喜ばしいことだと思う。高齢者には、遊びもまた仕事だと言っても過言ではない。仕事が、遊びに感ずる人は幸せだと思う。

  私見だが、体操とは、心身の両面に必要であり、体を動かす体操と共に、脳を働かせる体操もあるのではないかと思う。いわゆる「脳トレ」である。しかし、「脳トレ」とは、必ずしも、クイズ的なもの、学習的なものばかりでないと思う。

  脳は、左右、前後、全てをバランスよく使うことが大切だと思う。好きなことをやったり、きれいなものを鑑賞したり、外へ出かけて人と交わることも必要だと思う。脳にとってよいことは、いつまでも人間らしく過ごすことではなかろうか。

  「遊び」は、自動車のハンドルの「あそび」のごとく、豊かに生きるための、必要不可欠なものであることを、いつまでも忘れてはいけない、そんなことを、雑談の中で話した。認知症は人ごとではないとも思った。

(日記 午前中は、紙芝居の印刷作業。といっても、「A3ノビ」の厚紙に印刷するので、かなり時間がかかる。絵を調整しながらやっているので思ったよりも、時間がかかった。午後、プリンターのインキと、紙芝居用の厚紙を買うために外出した。作業中、衆議院予算委員会の質疑を聞きながらの作業だった。北朝鮮の核実験のニュースが一日中、マスコミを賑わしていた。北朝鮮の行動は、だだっ子のようなアクションに思う。)