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Archive for the ‘まちづくり’ Category

さて、今年は何にチャレンジするか

10 3月

かつての同僚に会って
今日は、終日、区の事務処理をすると決めた。いくつかの会計があり、木曜日に監査があるからだ。途中で、市役所へ出かけた。そして、補助金請求のための書類を提出してきた。

帰り際に、かつての同僚であるM部長と会った。そして、まちづくりなどについていろいろ話し合った。また、今年は市制60周年記念の年にあたるので、記念事業がいろいろあるという。

その中で、一般の者が企画する記念事業を募集しているという。そして、一提案事業に関して30万円を補助するという。「ちょっとやってみようか」「どうしようか」と迷った。

何か事業を行おうとなると、かなりの人の協力を得なければならない。一定の人間は確保できるが、それだけではおもしろくない。時代を担う子供たちを巻き込まなければ事業をする意味がない。

締め切りは4月11日だという。今週一週間は考えてみたい。いろんな人たちの理解を得なければならない。かなりのエネルギーがいるだろう。

まだ、体の中にはいくらかのエネルギーはあると思っているが、いざとなると大変だと思う。私の人脈でどこまでできるか試すにはよい機会だ。

伝統芸能とエコノミーを結びつけた新たなイベントを考えている。最終的には地域の活性化や多くの人たちの絆を深めるものでなければ事業を展開する意味がない。ここが思案のしどころか。

(日記 今日は終日、区の事務処理をすると決め手事務所へ出かけた。先ずは役所へ。その後、会計処理のためにJAへ。事務所へ戻り、午後7時まで作業。かなり作業がはかどった。今週は忙しくなりそうだ。)

 

夢を語る

13 2月

『猪野瀬地区の活性化を考える会』新年会
まちづくりの組織には、二通りあると思う。一つは、充て職で組織を作ろ方法だ。各種団体長などを集めて一つの組織を作るのだ。

このような組織の欠点は、団体長が2、3年ごとに入れ替わるために組織の力が大きくならない欠点がある。いつもスタート地点に戻りかねないのだ。

これに対して、自主的に活動したいメンバーが集まって作った組織だ。組織のメンバーは一定期間入れ替わることがないので、長期的な活動に向くと思っている。

今日集まった『猪野瀬地区の活性化を考える会』は、後者の方だ。自らやめない限り、数年間はこの組織で活動することになるのだ。

今日は、猪野瀬地区の住民(各家庭原則二人)に行ったアンケートの集計の分担を決めることと、会員の親睦を図るために、新年会を行うことだ。

酒を酌み交わしながら、夢を語り合った。いろんな人がいるように、いろんな話が出た。これから会合を重ね、数ヶ月間で計画を練り上げていくのだ。

定められた予算を使い、平成30年までに一つの形を作り上げるのだ。予算も数百万はあるので、大切に使いながら、猪野瀬地区の活性化につなげたいと思う。

私は、個人的には、「文化的なもの」と「経済的なもの」を結びつけて、一つの事業(イベントなど)を行いたいという考えを持っている。

みんなの力を合わせて、何かを作り上げることができればと思う。そして、猪野瀬地区民の生き甲斐や楽しさに繋がればと思う。

「犬のおまわりさん」に使うペープサートのグッズ。果たして幼児が喜ぶか。

「犬のおまわりさん」に使うペープサートのグッズ。果たして幼児が喜ぶか。

(日記 午前中は、『かたせ瓦版』の仕上げ。午後は、明日の子育て支援センターでのグッズ作りと楽譜作り。明日も、ハーモニカを吹きながら、ギターを弾いて歌の伴奏をするつもりだ。上手くいくかなと思うが、何とかなるだろう。1、2歳之幼児相手にどこまで私達夫婦のパフォーマンスが通じるか、試す楽しみがある。午後7時から猪野瀬公民館で『『猪野瀬地区の活性化を考える会』に参加。新年会を兼ねているので夢を語る楽しさもあった。)

 

「まちづくり」とは

07 2月

“まちをつくる”とは
「まちづくり」という言葉をよく聞くが、よく考えてみると簡単ではない。というのは、人によって「まちをつくる」という意味が必ずしも同じではないのではと思う。

「まちづくり」から連想するものとして“住みよいまちをつくる”と考える場合があろうが、住みよさは人によっては個人差があるのではなかろうか。また、年代によっても異なるであろう。

高齢者の皆さんには(私もその一人だろうが)、切実な問題として生きるために必要な買い物(特に食料品)と医療機関の問題があげられよう。そして、次が移動手段である交通問題があげられるかもしれない。

高齢になればなるほどこれらが充実していることを望むのではなかろうか。それと同時に気楽に話し合うことのできる仲間も必要ではなかろうか。投資では、一人暮らし、二人暮らしの家庭が増えているのだから。

しかし、20代、30代の若者となると、健康には不安がないだろうし、買い物も車さえあればどこへでも出かけていけるだるから、高齢者が問題視するようなことは問題にはならないだろう。むしろ、豊富な商品を揃えた種々の店舗や娯楽施設、運動施設を望むであろう。

子育て世代なら、日々の仕事と子育ての両立は簡単ではなかろう。特に、核家族で共稼ぎとなると、子育ては切実な問題だろう。子育てに関する施設の充実、子どもの可能性を伸ばす種々の選択肢も時には望むであろう。

都会にいれば簡単に選択できる種々の機会もいなかにいたら苦労するであろう。先日、長野の高校生、二山さんがローザンヌ国際バレエコンクール最優秀に選ばれた。

テレビの報道によれば地元には彼は、自宅のある松本市から長野市まで出かけて行って、午後6時から練習を始め、翌日午前2時ごろまで続ける日もあったとのことだ。

そして、学園の建物にある応接室のソファで仮眠して同6時に起床し、松本市内の高校に登校する。夕食や翌朝のおにぎりは学園の講師らの手作りだったという。

東京などの大都市なら、このような機会はいくらでもある。多くの子ども達は、二山君のようにはいかず、選択の機会を失っていくのではなかろうか。自分を生かす道を探すのには苦労するであろう。それらの逆境に負けず頑張る者も少なくなかろうが。

私もこれまで「まちづくり」と安易に使っているが、時々は何をすることなのかを考えなければならないであろう。若い頃とはまちづくりに対する考え方も少しずつ変わっていくのだから。

(日記 午前中は、朝一に歯医者へ行く。帰宅して数学の参考書作り。午後1時半から区長会の理事会。三時半から「市長と語る会」。その後、午後5時半から料理屋で区長会の新年会。久々に市長から直に話を聞かせていただく。)

 

収穫感謝祭

24 11月

農事組合法人の感謝祭
  後継者不足の我が村にあって、組合を組織し、会社として米作りを行っているが、今日は一年の収穫を祝っての感謝祭だ。午前8時から午前11時までは、組合の農舎で里芋や野菜の販売。

  午前11時からは、組合の感謝祭だが、私は、『お楽しみ抽選会』の準備と感謝祭のためのソバづくりの手伝い。最近、下手ではあるが、自力でソバづくりができるようになった。

 子どもたちは、ぜんざいに使う餅つき。女性陣は、煮っ転がしやぜんざいの準備。外では、焼き鳥

午前中行われた農舎での里芋販売会。

午前中行われた農舎での里芋販売会。

の準備。それぞれが持ち場で準備をして、午前11時半、県議と市議を招いての開会式。私も、一言話して乾杯の発声。

  後は、酒を酌み交わしながら、歓談。打ち立ての手打ちソバ、里芋の煮っ転がし、里芋田楽、たこ焼き風の里芋、ぜんざい、焼き鳥、猪の焼き肉、カブラの漬け物、たくわんなどが出された。

 その後、お楽しみ抽選会。景品は、私がホームセンターで2時間かけて選んだものだ。参加者全員に何か一つは当たるように計算して準備した。

 しかし、準備した数よりも参加者が少なかったので、第二ラウンドはビンゴゲームで、再び、全員に何かが当たるように配慮した。和気藹々のうちに、お楽しみ抽選会は終わった。みんな楽しめただろうか。主催は組合だったが、区と一体となった楽しい行事だった。

感謝祭スナップ(1)

収穫感謝祭スナップ(1)

(日記 午前8時より、区の収穫感謝祭の準備。お楽しみ抽選会の準備とソバ打ち。午前11時半より、収穫感謝祭。私も自ら進んで、抽選会の段取りをした。特に景品ついては、ホームセンターで果物、菓子、日用品などを業者任せにせず、一品一品選んで購入したものだ。楽しんでいただけたのではないかと思う。午後、家内の九州の姉がきて泊まる。)

 

 

 

 

収穫感謝祭(2)

 

 

 

 

 

 
収穫感謝祭スナップ(2)

 

 

「芋」と「ショウガ」と「旨い米」

13 10月

「せんいまつり」に参加して
今日は、「ゆめおーれ勝山」で「せんいまつり」が開催され、我が片瀬の銭太鼓保存会もアトラクションに招かれた。

歌のキャッチフレーズである「芋とショウガと旨い米」にちなんで、緑の葉っぱの付いた「里芋」と同じく葉っぱの付いたショウガと歌のタイトル『片瀬豊年ばやし』の名前の付いた米を持参することにした。

自分の育てた里芋を示しながら終わりの挨拶。隣は、片瀬特産のショウガと福井産コシヒカリ『豊年囃子』を持っている。

自分の育てた里芋を示しながら終わりの挨拶。隣は、片瀬特産のショウガと福井産コシヒカリ『豊年囃子』を持っている。

私は、自分の畑で収穫した葉っぱの付いた里芋を準備した。ショウガと米は他のメンバーが持ってくることになった。

午前9時頃、自宅を出発。開会式の後、幼稚園の園児のアトラクション。そして、いよいよ銭太鼓の出番。

いつもは狭いステージが多かったが、今日は広い野外ステージ。秋晴れの空のもと気持ちよく演技をすることができた。

演技の中と、演技の終了後、餅まきをした。全てが終わった後、片瀬の特産の芋とショウガと銭太鼓の曲でもある『豊年ばやし』と名付けた米袋(3kg)を示しながら挨拶をした。

銭の入ったバチを振るメンバー(上)と歌い手(下)。

銭の入ったバチを振るメンバー(上)と歌い手(下)。

願いはもちろん、「かたせ」のブランド化である。「市民の皆さんが「かたせ」と聞いたとき、これらのうちどれか一つでも思いだして下さればと思う。

(日記 午前7時半過ぎに、アトラクションに使う里芋一株を取りに、畑へ行った。その後、午前9時頃自宅を出発して『ゆめおーれ』へ。銭太鼓『片瀬豊年ばやし』を実演。おおむね好評ではなかっただろうか。午後、寺より報恩講参り。3時半過ぎから、家内とニンニクの種を植えた。夕食後、ウオーキング。)

 

書類づくり

09 10月

慣れない仕事
いろんな補助金を申請しようとすると、先ず申請のために書類を作らなければならない。その後、事業が終われば終わったで実績報告書を提出しなければならない。

そうした一連の作業が苦手な人は、申請することもできないのではなかろうか。私は、面倒なことでも必要とあらば、やる方だと自分では思っている。

今日は、宝くじの補助金を申請して物品を購入したので、その後の処理をするために時間を費やした。写真を揃え、領収書や納品書などをそろえた。

そして、市役所の担当部署の所へ出向いた。しかし、一部不備があったので、業者の所へ出向いて資料を揃えた。

物事を始めるとき、補助金などで物品を揃えてから始めるか、事を始めながら不足する物品を補助金などで補うかのどちらかだろう。

私はあくまでも後者の方だ。不便を覚悟で事を始めてみる。どうしても不足するものがあれば、補助金等を活用するタイプだ。

モノが揃わなければ何事も始められないようでは情けない。やる気が最初に必要で、先ず始めてみることだと思う。

宝くじの補助金で購入した物品の一部。有効に活用したいものだ。

宝くじの補助金で購入した物品の一部。有効に活用したいものだ。

金がないから何もできない。モノがないから何もできない。人がいないから何もできない。こんな事を考えていたら、モノがあろうが金があろうと人がいようと何もできないと思う。

(日記 午前中は、補助金の書類作成作業。午後は、紙芝居の描画作業。夜は、和太鼓の仲間と来たるべき出演に備えて選曲と練習。仲間との雑談も楽しい。)

 

市長と語る会

08 10月

区の要望
午後7時より猪野瀬公民館で『市長と語る会』が開催された。市内全町で開催される『市長と語る会』は、当猪野瀬地区を皮切りに開催されるらしい。
この会では、5月末に提出した地区からの要望事項の回答が関係部署の部長から述べられることになっている。

我が片瀬区からの要望は、「片瀬第二公園にゲートボール場を設置してほしい」というものだ。現在、当区のゲートボール愛好者は、公園のグラウンド部分で行っている。

しかし、ゲートボールのラインが子どもの足に引っかかるために非常に危険である。そこで、公園の中であまり使われていない部分に移設してほしいというものだ。

私自身は、ゲートボールをほとんどやらない。年に一度、地区のゲートボール大会に誘われて数日間するぐらいだ。ゲートボールよりも、区民が集まることに意義を感じている。

また、普段あまりスポーツをしない女性にもストレス解消や雑談の場としてゲートボール場を新設して活用してほしいと願うがある。

市の、建設部長の返答は「経費があまりかからないように地元と協議させていただきたい」というものだった。少なくとも「できない」という返事ではないと信じている。

できないものには、「できない」とか「前向きに検討させていただきたい」という返答があるはずだが、そうではなかったからだ。

猪野瀬町民からは、あまり質問などがなかった。私も、2回だけ質問させていただいた。質問がなくなり1時間半弱で『市長と語る会』は終わった。せっかくの機会に早く終わったのは少し残念だった。

(日記 午前9時より猪野瀬公民館で、『猪野瀬地区の活性化を考える会』のアンケートの袋詰め作業。全町民に、一世帯二通のアンケートをするのだ。もちろん一人暮らしの場合は、一世帯一通だが。帰宅してからは、木曜日に発行する『かたせ瓦版』の編集作業。午後1時半からは、鹿谷公民館で銭太鼓の指導。新人二人が入会したため全員で基本から練習した。帰宅してから、瓦版の編集作業継続。夕方、里芋とショウガを収穫する。午後7時から猪野瀬公民館で『市長と語る会』。当区の要望事項が実現することを望む。)

 

特産品作りとSさんとの再会(6日目)

16 4月

梅栗植えてハワイへ行こう“梅栗植えてハワイへ行こう”を合い言葉に、梅を中心に特産品作りで成功している日田市大山町(※)の道の駅「水辺の郷おおやま」を訪ねた。店内には野菜やたくさんの加工食品が並び、食堂では地元野菜によるバイキングもあった。

上左:道の駅「水辺の郷おおやま」  上右:梅の加工食品  下左:野菜販売  下右:山菜バイキング

店員に店の況を尋ねたところ、事業部部長のK氏を紹介された。k氏から大山町の取り組みについていろいろ聞かせていただいた。とても参考になった。

上:響きの郷  下左:梅林  下右:梅加工所の案内看板

その後「響きの里」を紹介していただいた。途中の道路の両側は梅の木がたくさん植わっていた。しばらくして、「響きの里」に到着した。温泉あり、宿舎あり、食堂ありの憩いの場であった。

画家佐藤さんを訪ねて
  次に、勝山出身で日田市天瀬町に嫁ぎ、画家をしておられる佐藤さんを訪ねた。そして、色々お話を聞かせていただいた。佐藤さんは、中国でも個展を開催するなど日中友好にも大いに貢献しておられる地元の名士であった。嫁ぎ先は浄土信州の寺院であり、佐藤さん自身も布教活動をしておられるとのことであった。

今日は勉強になった一日だった。

(※) 大山町  大山町では、政府がまだ米の増産を推進していた1961年に、米作には不適な山地の地理的特性を生かして、作業負担が小さく収益性の高いウメやクリを栽培し、さらに梅干し等に加工して付加価値を高めるNPC(New Plum and Chestnut)運動を開始した。「梅栗植えてハワイに行こう!」というユニークなキャッチフレーズで知られるこの運動は、農家の収益の向上に寄与し、大山町は全国で最も住民のパスポート所持率が高い町になった。この運動は、後の一村一品運動の原点としても知られている。

勝山出身の画家・佐藤るりさん

(日記:長崎を9時過ぎに出て、日田市へ。大山町と天瀬町に立ち寄り、別府へ到着。)

 

健康維持とまちづくり

09 4月

定期検診
 2ヶ月に一度、福井の病院で定期検診を受けている。約二ヶ月間の身体の状態が分かる血液検査もある。まるで学生時代に通知票をもらうような心境だ。

病院では思わぬ人に出会う。考えてみれば、病気は自分自身がつくる場合が多いように思う。食事や運動など日頃の生活習慣が病気を引き起こしているのだと思う。

しかしながら、若いうちは少しぐらいの無理が続いても、即病気になることは少ない。しかしながら、何十年と身体に良くないことを続けていれば、身体といえども機械のような部分があって、痛みや故障が出てくるのは当然のことであろう。

この年になって、食事に気をつけなければならないことや適度な運動が必要であることを痛感している。

楽しんでまちづくり
  だからといって、入院しているような生活では味気ない。健康を維持するためには、次の三つが大切であると思う。

(1)食事(伝統色や健康食)
(2)運動(身体を動かすこと:スポーツや踊りなど)
(3)休養(充分な睡眠とストレス解消)

これらは、いずれも楽しんで取り組むことができ、まちづくりにもつながると考えている。

(1)は、それぞれの地域に伝わる伝統食や健康食があり、それらの中には現代人にも魅力あるものが少なくないと考えている。

「B級グルメ」という言葉があるが、私は地域ならではの料理や食事を「F級グルメ」として売り出したらどうかと考えている。Fはファミリーの頭文字である。
例えば、山村に伝わる報恩講料理や漁師の料理など地域に密着した料理は、ファーストフード全盛の時代にきっと現代人にも受けると思っている。

(2)は、とにかく身体を動かすことであり、スポーツはいうまでもなく、踊り(ダンス)もこれに当たると思う。年齢に応じたいろんな踊り(ダンス)がある。ヒップホップダンス、エアロビクスダンス、ジャズダンス、ハワイアンダンス、日本舞踊、民謡、剣舞など様々なものがあり、これらは仲間作りと健康作りとまちづくりにもつながっていくように思う。私は今、盆踊りが復活することを願っている。

(3)は、生活そのものをゆったりとさっせることであり、選択と集中でライフスタイルを多少見直すことが必要であるように思われる。「モノ」を手に入れるために、働き続けなければならないが、「モノ」が必要以上になくとも、豊かな生活になることを知らなければならないように思う。
若いうちは、ストレスと感じなかったことも、年齢と共にストレスになる場合があるように思う。ということで、これからは、スローライフを心がけたいものである(しかしながら、言うは易く行うか難しである)。

(日記:午前中通院。午後コンピュータ店へ。夕方、家の回りの清掃。はがき書き。)

 

過疎化と過密化

07 4月

過密化
 息子の横浜の家で過ごす4日目。朝7時前に起きて、散歩に出かける。犬を連れて散歩する高齢者とたくさん出会った。この人達は日中何をしているのだろうか?

また、次から次へとやって来る電車に乗って多くの人達が動いている。この人達は何を考え職場に急ぐなのだろうか?沢山の人が集まる都会は、確かにいろんなことをする機会があり、いろんなものが溢れ、いろんな人が集まっている。
夢を求めて都会へ集まる人達は、それぞれ満足できる居場所を見つけることができるのだろうか?大きな組織の歯車になってはいないのだろうか?

電車で移動中、窓から見える横浜や東京の景色の中に、高層マンションやアパートがよく目に付いた。若いうちは、仕事にも脂がのっていて便利な都会で過ごすことに大いに意味があるだろうが、歳をとったときや、リタイヤした後はどうなるのだろうか?マンションの一室で何を考えどう過ごすのだろうか?

過疎化
 高校を卒業すると、多くの者が、進学のために、就職のために、地域を離れる。地域には働く場が少ないのだからやむを得ないことであるが、どこか悲しい。豊かな自然があり、綺麗な水と空気があり、美味しい食べ物がありながら、若者の多くはふるさとを離れていく。働く場がなければ、地域に留まることは困難であろう。

それならば、100人のうち1人でも、都会へ出て腕に力をつけてから、地元に戻って働く場を作ってほしいものだ。若者の起業を期待したい。きっと、豊かな自然の中でできる仕事があるはずだ。

吉幾三の「おら東京さ行くだ」ではないが、「おら田舎へ戻るだ」と言える人材の出現を待っている。きっとあるはずだ。田舎でもできる仕事が。

(日記:午前10時に新横浜を発つ。午後3時前に自宅へ到着。午後6時頃、歓送迎会あり。)