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Archive for the ‘生き方’ Category

高齢化社会に何ができるか

10 3月

「老人会定期総会」に参加して
老人会に入って2度目の総会。しかし、総会は20分ほどで終わった。次の健康講座まで約40分の時間がある。そこで、私は提案した。

「せっかく皆さんが集まっているのだから、テーマを決めて話し合いをしてはどうですか。」と。そして、話し合いが始まった。「高齢化が進んでいるが、私達には何ができるのでしょうか。これからもこの片瀬に子ども達が住み続けるでしょうか」などと。

さっそく新しく片瀬に入って来たMさんが意見を述べた。「勝山には若者が働く場所がない。私も、勝山へ戻ってきたが、仕事を探すのに苦労をした。県内はもちろん、県外にも働きに行きました。」と言うことだった。

他にも、仕事場がないという意見が多く出された。確かに仕事場がない。そのために、若い者は福井まで働きに出なければならない。そのうちの何人かは子どもができて福井で住み始めている。

そんな中で、私達には何がで来るのだろうか。将来の片瀬を支える子ども達とどう関わることができるのだろうか。私はすることがあると思っている。片瀬で、猪野瀬でアクションを起こしたいと考えている。

(日記 午前中は、9時半から「片瀬老人会」の定期総会。その後、健康講座。そして、軽い体操指導。そして昼食を兼ねて懇親会。終了後、ストーブを囲んで雑談。午後3時からワゴン車のリコールと12ヶ月点検。終日雪が降っていた。冬が逆戻りのようだ。夜は録画したビデオ鑑賞。)

 
 

毎日パワー

09 3月

練習の成果
何事においても「継続は力なり」と思う。しかし、子ども達にこの言葉を告げても、印象に残りにくい。そこで、私は子ども達には「毎日パワー」という言葉で説明してきた。

どんなことでも、毎日毎日続ければ大きな力になる。そう言い続けて来た。今続けている数学の参考書作りも、「数Ⅰ」は終わり、間もなく「数A」も完成しようとしている。目標の「数Ⅱ」も「数B」もこわりはお割っている。

毎日毎日続けてきたおかげだ。最近始めた「ウインドシンセ」もそうだ。h本格的に始めたのは、十日ほど前だ。いくつかのフレーズが全く吹けなかったが、最近は、そのいくつかが吹けるようになってきた。

まだまだできないところがたくさんあるが、それでも確実にできる方向に進んでいる。1年後が楽しみだ。これは何も楽器演奏ばかりではない。

文章を書くこと、絵を描くこと、楽器を演奏すること、紙芝居を作ること、身体を鍛えること、……、いろんなことがある。たとえ今できなくても「毎日パワー」で少しずつkあんせいに近づいて行くものだ。そして、その進歩が生き甲斐になるのだ。

(日記 午前中は久々に数学。少しずつ進んでいる。午後は、軽トラックのスノータイヤを普通タイヤに替えた。その後、事務所で楽器練習。ウインドシンセとドラムを練習。少し進んだように思う。午後7時より「爺ちゃん勉強」。3人の孫達はすくすく育っている。逆にこちらは……。)

 
 

昔の映画

02 3月

今日の問題を提起する「山田洋次監督」の映画
BSで最近、山田洋次監督のリバイバル映画がよく放映されている。私が好んで視るのは山田洋次監督の作る映画が今も昔も不変の真理に貫かれているからだ。

先日、テレビで視た映画『故郷』では、瀬戸内海の島の暮らしが描かれている。主人公は、家の後を継ぎ、老朽化した石船で埋め立ての石材を運搬している。弟は、島での生活が成り立たず、島を出て本土でサラリーマンをしている。人を雇うわけにも行かず、妻を機関誌にして夫婦で必死に働いている。

しかし、一生懸命働いても、老朽化した船を買う金もなく、修理する金もなく、最後には、年老いて父親を島に残して尾道の造船所で働く決断をする物語である。老朽船による最後の船上で主人公がいろんあことを回想しながら妻に話しかける。

「何でワシら、一生懸命働いているのに、大きなものには勝てんのかのう。なんでワシは、この石船の仕事をお前と二人で、ワシの好きな海で、この仕事を続けていかれんのかのう……」

島の人たちの多くは、一生懸命働いて段々畑の連なる島を離れ仕事を求めて生まれた「故郷」を出て行く。昔も今も、凄まじいスピードで時代は変わっていく。そして、今、政治はあわてて地域の崩壊に目を向け、あの手この手を尽くそうとしているが、それがまた、「大きなもの」を生み、格差を大きくしなければよいがと思うばかりである。

(日記 午前中は数学。午後は、家内と市街地周辺を約1時間、ウオーキング。古い家、空き家やつぶれた工場、そして、新しい家などが混在している。帰宅して、楽器練習。夜は「爺ちゃん勉強」。その後、山田洋次監督の映画「故郷」のビデオを視る。考えさせられる映画だった。)

 

 
 

今、考えてみれば

27 2月

親からもらったもの

親からもらったもの
家や田畑、そしてこの命
他には何をもらっただろうか

少し気が短かった父からは、一生懸命働くことと
貧しかったが 生活の中の精神的なゆとり

二人がこたつに入れば
お互いの手は見えなくても
自然と始まる太鼓のリズム
片方が地打ちをすれば(リズムをとれば)
もう一方が打ち込みをする
言葉はいらない
私の和太鼓の原点だ

大人同士の会話ができる年齢に達する前に
父は病に倒れて帰らぬ人に
現金収入のなくなった我が家を襲う生活苦

しかし子どものために身を粉にして働く母親がいた
父兄参観日には必ず来てくれた母
貧しさの中で身体を張って
父の分まで働いて私達子どもを育ててくれた母
しかし結婚せぬうちに母も父のもとへ

親からもらったもの
家や田畑、そしてこの命
他には何をもらっただろうか
いろんなものをもらったと思うけれど
私にとって最も役に立っている「贈り物」
それは「貧しさ」ではなかっただろうか
これが私の出発点になっている

・・・・・吉野弘さんの詩集を買って読んだら、私も書いてみたくなった。私の書いたものは「詩」とは言えないだろうが・・・・・

(日記 午前中、先ず歯医者。2時間ほどかかってしまった。帰宅して数学。午後は、家内とプールへ。歩き、泳ぎ、ジャグジー風呂、サウナを繰り返した。知らない人とも、話をするようになった。帰宅してふたたび数学。そして、楽器練習。)

 
 

ワーク・アンド・ライフ・バランス

20 2月

ライフがあるのか?
 最近、「ワーク・アンド・ライフ・バランス」という言葉がよく聞かれる。それは、「仕事と生活の調和」と訳され、「国民の誰もが生き甲斐を実感しながら働き、仕事上の責任を果たすとともに、家庭や地域生活などにおいても、それぞれの年齢に応じて多様な生き方が選択・実現する」ことを指しているように思う。

しかし、周囲を見渡すと「ライフ」がどうかなと思う場合がある。私が67歳で完全に退職したとき、町中で出会った数人から「暇やろ。何もすることないやろ」とよく言われたものだ。

私は、退職してから5年が経ったが、暇で何もすることがないと思ったことはない。ただし、自由時間がないというわけではない。なぜなら、やりたいことはたくさんあるが、それらを先送りすることができるからだ。

ところで、今から100年ほど前の人達の、「ワーク・アンド・ライフ・バランス」はどうだったのだろうか。調べようもないが、当時の地区の行事を調べてみると農作業とは別にずいぶんたくさんの行事があったことが分かる。

そのうち2月の行事のいくつかを紹介すると次のようなものだ

◇二月◇・・・・・・。(『片瀬誌』より)・・・・・・・・・・
・旧の正月(二月一日二日三日は休業。朝食に雑煮、夕食は数の子、煮豆、鯖の寿司を食べ、酒を飲む。正月の三日間は深夜神社へお参りし、続いて道場へお参りする。素晴らしい風習なので今後も続けた方がよい。)
・書き初め(二月二日。小学生などは短冊を書き、左義長まで庭の前に立てておいた。)
・使い初め(二月四日。仕事始め。青年会では三日の夜を仕事始めとし、四日は休む者があった。)
・初寄り合い(二月四日。区民の総集会。行政に関する種々の協議をする。)
・延年・七草節句(二月七日。他区、他町村の親戚を招いてもてなす。七草節句としては、七菜五穀をあわせてお粥を作った。)
・左義長(二月十四日。藁を集め、広畑で門松にかけ、夜、これを燃やした。この際、書き初めを生竹に吊して持ち集まった。また、年中仏壇に供えた花を持ってくる者もあった。)
・例年法会(二月十五日。宗祖見眞大師の御忌日にあたり法会を行う。)※親鸞聖人は、明治九年に明治天皇より「見眞大師」の諡号(しごう:おくり名)を追贈されている。
・十八粥(二月十八日。朝食に小豆粥を作り、これを柿の木の幹に鉈(なた)で傷を付け、切れ目に挟み込む。)
・御宮酒(二月二十日。春祭りと称し、氏神様に祈祷を行い、お供酒のお下がりをいただく。そして、老若男女は重詰めのご馳走を持ち寄り、宮番の家で酒宴を開く。この日は、田舎芝居があったり、各自が得意の芸を披露する。氏子にとっては、一年のうちで最も楽しい日。)
・天神講(二月二十五日。昼食に小豆飯を作る。また、正月以来床の間にかけておいた天神様を片付ける。)
・紀元節(二月十一日。三大節の一つで休業日とする。)
※三大節とは、旧制の三大祝祭日。すなわち四方拝・紀元節・天長節の総称。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

このように、たくさんの行事を家庭や地区でこなしたのかと思うと、頭の下がる思いがする。厳しい農作業の合間にもこのようにたくさんの行事をこなしたと思うと尊敬に値する。

(日記 午前中は数学。このごろ結構作業がはかどっている。衆院予算委員会の実況を聞きながらの作業だった。総理も正月前後は、連日、映画、観劇、ゴルフ、フイットネスクラブと正に「ワーク・アンド・ライフ・バランス」を実施していられたようだ。もっとも、危機管理上の問題で責められてはいたが。そう言えば、今日は私の72回目の誕生日。年齢は異なるが長島監督も今日が誕生日だ。ジャンパーのプレゼントがあり、孫達から手紙をもらった。)

 
 

PDCAでいいのか?

19 2月

「現状分析」を加えたい
物事を実施する場合に、「PDCAサイクル」いうのがある。しかし、私はこれだけでは不十分だとかねてから考えている。

先ず、この、「PDCAサイクル」だが、次のように言われている。
1.PLAN(計画):従来の実績や将来の予測などをもとにして業務計画を作成する
2.DO(実施・実行):計画に沿って業務を行う
3.CHECK(点検・評価):業務の実施が計画に沿っているかどうかを確認する
4.ACT(行動・処置・改善):実施が計画に沿っていない部分を調べて処置をする

いろんな場面で、このサイクルの甘さを見てきた。多くの場合、計画以前に「現状分析」を十分に行わなければと考えている。計画が甘すぎた場合が多いのだ。

原発を例にとっても、現状分析を十分に行わないまま、計画され、実施されたのではないかと思われるふしがある。可能な限り、予測される危険や問題点を把握し、可能な限り対策を研究して計画しなければならなかったのではなかろうか。

核廃棄物の処理法も処理場所も、(いずれ老朽化するはずだから)その廃炉の方法も全て未定のまま、計画が先行し、問題が発生しているのではなかろうか。原発の賛否を述べる以前の問題だ。事前の十分な現状分析を行わないまま事に当たれば尊い人命が失われることを私達はよく勉強して事に当たらなければならないのではなかろうか。

少子化や地域の崩壊に対する対応も、なぜそうなったのかなど現状を十分に分析して対応しなければ改善には結びつかないのではないかと思われる。

(日記 午前中は数学。午後1時過ぎから家内と市営プールへ行き、水中ウオーキングとサウナ。たっぷりと汗をかいた。午後6時から「爺ちゃん勉強」。小学4年生の問題集に方程式を解くような問題が出ていて教えるのに苦労した。夜はビデオ鑑賞。)

 
 

人と人とのつながり

15 2月

自分勝手に生きられそうな時代
私達子どもの頃と比べると、地域での人と人とのつながりはずいぶん変わってしまった。今は、自分勝手に生活し、楽しめる時代になったからだろうか。災害などがなければ、個人が勝手に自由気ままに生きられる時代になったのだろうか。

今の時代、「結(ゆい)」という言葉はほとんど死語になってしまった。金さえ出せばほとんどのことができる時代になったからだ。かつては、種々の作業において、地域住民同士の助け合いがなければ成り立たなかったのだ。

「結」による屋根の葺き替え作業。(写真提供:朝日印刷)

「結」による屋根の葺き替え作業。(写真提供:朝日印刷)

お互いの助け合いは、米作りを中心とする農作業では不可欠であった。全てを人力に頼った時代だったから、隣近所の助け合いで作業を進めなければできなかったのだ。

藁葺き屋根の多い時代であったから、この屋根の葺き替え工事も「結」でこなしてきたのだ。屋根に上がる者、萱を運ぶ者などに別れて手際よくさ業を進めたのだ。こればかりは金を出してもできる作業ではなかったのだ。

隣の大野市は、このような助け合いである「結」を全面的に打ち出して「結の郷」を名乗っている。今の時代、大概のことは家庭で完結するが、防災やまちづくりにおいてはやはりこの「結」の心は残していかなければと思う今日この頃である。人生に“いいとこ取り”はないのだから、多少煩わしくても、隣近所の付き合いはどこかで人生を豊かにすると思う。

・・・(「昭和の子ども達」より)・・・・・・・・・・・・・・・
「御裾分け」

結婚式だ ご馳走だ
おっとどっこい  ちょっと待て
隣近所へ  御裾分け
せっかく貰った ご馳走が
羽を生やして  逃げていく
回り回って  お返しが
忘れた頃に  やってくる

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

(日記 午前中は数学。ソフトの誤作動によって失われたファイルの復元作業。午後は、パソコンでカラオケ作り。あっという間に、一日が過ぎてしまった。)

 
 

経済、経済と言うけれど

10 2月

昭和と今の違い

至る所で経済、経済という言葉があふれている。確かに食べるためにはやむを得ないであろう。しかし、今は必ずしも食べるためにのみ働いているのでもなかろう。日々の贅沢な生活を維持するために働かざるを得ないのではなかろうか。

一部の部分であるが、平成の今と昭和の20、30年代を比べてみるとその違いはよくわかろう。

●平成・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・昭和・・・・・・・・・・・・・・

(大人の人数にほぼ一台強)・・・・・・・自転車(一家に1台)
テレビ(部屋の数以上=数台)・・・・・・・ラジオ(家庭に1台)
風呂(電気またはガス)・・・・・・・・・・・・・風呂(薪)
電気調理器(炊飯器など数台)・・・・・・・羽釜(薪でご飯を炊き、囲炉裏で煮炊き)
洗濯機・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・なし(川でせんたく)
上下水道(あり)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・なし(手動式ポンプ・汲み取り式便所)
●冷蔵庫(1台以上)・・・・・・・・・・・・・・・なし
電話(家庭の電話+携帯複数台)・・・・・・・・・・・なし
エアコン(部屋に1台=数台)・・・・・・・・・・・なし(暖房は炭)
パソコン(家に複数台)・・・・・・・・・・・・なし
●・・・・・・(以下略)

昭和の祭りスナップ。偶然左上写真の左側に私が写っている。右下は神明神社での盆踊り風景。 

昭和の祭りスナップ。偶然左上写真の左側に私が写っている。右下は神明神社での盆踊り風景。

平成の今、これだけのものを維持しようと思ったら,その費用は半端ではなかろう。習い事などは、「ソロバン学校」があったくらいで学習塾や通信教育はほとんどなかった。

普段は現金を持たなくても、十分生活ができたのだ。昭和時代は物質的には豊かではなかったかも知れないが、貧しくはなかったと思う。市内を走るバスや電車には車掌がついていた。バス路線ももっと多かった。

村の祭りも、若い衆祭り、弓矢(前夜祭)、本祭り、後祭りと数日間行われたし、結婚式等も数回にわたって宴会が行われた。その他、季節ごとの行事が数多くあった。そのため、人の出会いも多かった。今は、経済、経済と追い立てられて、多くの者が気忙しく毎日を過ごしているように思えてならない。大切なのは、ほどほどの経済的な豊かさと精神的な豊かさのバランスではなかろうか。

大相撲の横綱の土俵入り(上左:千代の山。上右:吉葉山)。下は神明神社の素人相撲。

大相撲の横綱の土俵入り(上左:千代の山。上右:吉葉山)。下は神明神社の素人相撲。

(日記 午前中は数学。午後2時から4時まで市営プール。サウナ、プール、ジャグジー風呂、風呂と繰り返して帰宅。その後、少し数学。夜はビデオを見る。)

【写真提供:朝日印刷】

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

上左:繊維会社の野球チーム。下左:会社の慰安会でフォークダンスを楽しむ。右:夏祭りの仮装行列。

上左:繊維会社の野球チーム。下左:会社の慰安会でフォークダンスを楽しむ。右:夏祭りの仮装行列。

 

 

 
 

バランス

08 2月

バランスを失っていないか
最近、いろんなことが起こる。国内では、次々に起こる生命を軽視したさまざまな事件。そして、種々の詐欺事件。国外では相変わらず戦闘事件が頻発しかけがえのない命が失われている。

自然災害もまた同様に頻発している。全くの自然災害もあれば、自然や生命を軽視した開発等に起因するものも少なくない。「経済優先」を叫ぶ場合、一方ではそこから発生する副次的な作用についても事前にも配慮しなければならないと思う。

大野市の研修センターでミャンマーとインドネシア、そして中国の研修生に日本の文化や生活について講義(1、2限目)。最後にみんなで楽しくダンス(下段)。彼らの日本における生活が意義深いものになることを祈るばかりである。私にとって充実した時間になっている。

大野市の研修センターでミャンマーとインドネシア、そして中国の研修生に日本の文化や生活について講義(1、2限目)。最後にみんなで楽しくダンス(下段)。彼らの日本における生活が意義深いものになることを祈るばかりである。私にとって充実した時間になっている。

また、自由な経済活動は、どうしても勝者と敗者を生む可能性がある。経済活動が活発になれば、職種によっては人材不足が起こることになる。移民を受け入れなければならなくなる。自国と他国の労働者の間に差別を生まないようにするためには十分な配慮が望まれる。経済的な格差だけではなく、権利等における格差もなくするようにしなければならない。

経済的な豊かさと精神的な豊かさのバランスが何よりも大切である。開発においても経済効率と安全や自然保護とのバランス、都市と地方のバランス、男性と女性の働き方のバランス、権利と義務のバランス、文科系と理科系のバランス、……、これらが崩れたとき、予期せぬ不幸が私達を襲うのではなかろうか。

円高によって、儲かる企業とそうでない企業がある。これらの不平等バランスを取るのは政治の責任ではなかろうか。また、国を守ることと相手を理解し信頼することのバランスを取らなければ永久に平和は訪れないである。今は自己中心的な人が増えているのではなかろうか。この世の中、「良いとこ取り」はないと思う。

(日記 午前中は、自宅で数学。午前11時頃から午後4時頃まで、大学軽音学部OBのバンド練習に付き合う。夜は、ビデオを見る。)

 
 

時に流されそう

22 10月

光陰矢のごとし
 ほんの少し前に正月だったと思ったのに、3月が過ぎ、半年が過ぎ、今年も、残すところ、後2ヶ月あまりとなってしまった。梅雨の時期がなかったわけでも、海水浴に行かなかったわけでもない。

 何となく、あれこれ追いかけているうちに、気がつくと今年も終盤戦になっている。よほど、やることを取捨選択していないと、何もしないうちに、時間ばかりが過ぎていくことになる。

 午前中、たまたまテレビを見ながら、資料の整理をしていたら、「定年後の生活」について、放映していた。いろんな人がいろんな過ごし方をしているようだった。

 「趣味だけでは生きていけない」、「世の中に必要とされていた現役時代がよかった」、「自宅も落ち着かないし、どこへも行くところがないので、図書館通いをしている」など、いろんな意見が聞かれた。

 予想通りの回答だと思う。私も退職時に挨拶で述べた「社会のため、家族のため、自分のために行動したい」は,今でもそうだと思っている。この三つのバランスを取りながら、目標を持って歩んでいくしかない。「毎日パワー」を信じて。

(日記 午前中は資料整理。捨てたくても捨てられないモノの多いことに愕然。午後は、数学参考書作り。時々自信がぐらつく。家内は、子守りのため、午後3時過ぎに福井へ。夕食は一人。)