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Archive for the ‘未分類’ Category

3種類のソフト

08 5月

気分一新
 
退職にあたって、パソコンとスフとだけは新しくしたいと思った。パソコンは、デスクトップを新しくし、画面の大きいノートをすでに注文した。文字が小さいと見難いからだ。そして、私が主に使う3種類のソフトも新しくした。

描画と映像編集ソフト
 私は、パソコンで絵を描くことを趣味としている。絵の輪郭は紙に描くが、それをスキャナーで読み込んで彩色はパソコンでやることにしている。使うソフトは主にアドビ社の「フォトショップ」だ。また、これからは映像の時代だと思うので、映像編集ソフトの「プレミア」も今勉強中だ。

 そこでアドビのこれらのソフトをセットで購入した。我流ではなかなか上達しないので時々周囲のものに教わることにしている。

白山(転法輪の洞窟)で修行中の泰澄大師と弟子達

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
歌作りとCD製作ソフト
 絵を描くことと共に、歌作りも私の趣味の一つだ。これも新しいソフトにすることを決めた。「シンガーソングライター」である。使いこなすには、まだまだ勉強しなければならない。

文章作りソフト
 文章を書いたり、表を作ったりするために私は「一太郎」を使っている。このソフトも新しくした。ここ3年間童話講座を受けている。今年も申し込んだ。今後とも創作活動を続けたいものである。

 創作活動のために、ソフトとパソコンを新しくすることにしたが、これらを使いこなす自信は全くない。なんとか、それぞれのソフトの使い方を学んで、自己満足の世界ではあっても、創作活動を続けたいものである。

 今、産業支援センターの「IT講座」を受講しようと思っている。焦らず、わずかでも上達したいものである。そして、晴耕雨読ならぬ、晴耕雨コン(コンピューター)で、前向きに生きていきたいものである。

(日記:午前中、パソコンのファイル整理。午後、家庭菜園作業。)

 
 

平泉寺の凄さ

07 5月

白山と平泉寺
 午前中は、家の様々な品物の整理。午後は、パソコン内のファイルの整理を行った。今日は特に「平泉寺」関係のファイルの整理を行った。

 平泉寺を語るときに欠かせないのは、「白山」の存在と平泉寺を開いた「泰澄大師」の存在であろう。

 神々しい白山の存在は、昔から現在に至るまで、周辺の人達の生活と大きく関わり、一心に祈りの対象となってきた。そのことは、2000社以上ある白山神社の存在に現れている。

 平泉寺については、いろんな人がいろんな感想を持っているようである。「苔」を始め境内の美しさに関心を持っている人もいるだろうし、平泉寺旧境内の発掘調査に関心を持っている人もいるでしょう。

平泉寺の情報網
 私は、平泉寺の歴史に関心を持っている。平泉寺の歴史は決してローカルなものではない。常に、全国の最強の権威に関わって生き延びてきたように思われる。

 比叡山の傘下に入ったり、「源氏か平家か」、「南朝か北朝か」と時の勢力を読みとり、身の処し方を考えてきたのは、独自の情報網を持っていたからではなかろうか。

 そして、大きな勢力を持ちつづけ繁栄を謳歌してきたのである。その勢力の及ぶところは、福井県内の半分近くにも及んでいたのではないかと思われる。

 県内の強力な勢力だった朝倉氏とも手を組むなど、あの手この手で生き延びようと努力するのである。しかし最後には、内部分裂が起こり、滅びてしまうのである。

 これらを、なんとか子ども達にも分かるようにと、紙芝居化しようとしているが時間がかかりそうである。でも、やりがいはあると思っている。

源氏に味方すべきか、平家につくべきか?

南朝につくべきか、北朝につくべきか?

 
 

林道ドライブ

06 5月

いつまで続くか、ファイル整理 
 今日は、朝8時半頃から、ファイル整理を始めた。一応整理したつもりでも、たくさんの写真や資料がパソコン内にあり、しかも、もしも失くしたらという不安から、コピーがあちこちにあるために、整理には本当に苦労する。

 すくなくとも、今後はきちんと整理しながら保存しなければならないと思っている。

 また、デジカメで写真を撮る場合には、フイルムの心配がないので、どうしても枚数が多くなる。これらを整理しようと思うとかなり時間がかかるために、整理せずにパソコン内に保存してきたわけであるが、これがさらに整理を困難にしている。

 写真は、時間軸だけでは整理しきれない。項目に分けて、検索と両方で、必要なデータを瞬時に出すようにするにはまだまだ頭を使わなければならない。

新緑の林道を通り「滝巡り」
  午後3時頃、家内と二人でスキージャムを通る林道をドライブした。この道路脇には二つの滝がある。
  一つは「弁が滝」で、もう一つは「御堂(のど)の滝」である。雪解けのために、普段より水量が多く、迫力があった。

   道路脇には、まだ雪が残り、フキノトウなどが顔を出していた。木々の先端にはまだ小さな芽が出ているだけで、今年はいつもより春の訪れが遅いように思われる。途中で、少し山菜を採り、帰宅した。

2段になって落下する御堂の滝

林道から望む弁が滝

 
 

懐かしき一日

05 5月

映画ポスター展
 午前中は、例によって我が家の整理整頓。その後、家内と植木の植え替え作業。

 午後、Aさんを誘って懐かしの「映画ポスター展」へ出かける。大野市の看板屋さんが開いているのだ。会場へはいると、たくさんのポスターが展示されていた。東映映画の時代劇など懐かしのポスターが展示してあるのだ。

 ポスターには主演の俳優の顔が大写しで並んでいる。中村錦之介、大川橋蔵、美空ひばり、市川右ヱ門、片岡知恵蔵、大友龍太朗、小林旭、浅丘ルリ子、宍戸錠、川地民夫、……、とそうそうたる俳優ばかりである。

 外国のポスターもある。ジョンウエインの黄色いリボンなどのものもある。

 心ときめかせて、映画に酔いしれたあの時代が懐かしい。映画はある時期、娯楽の王様だったのだ。

 その他、当時の「平凡」や「明星」の付録まで机の上に並んでいる。

 若き石原裕次郎などの写真もある。あの足の長さと髪型(信太郎刈り)にはみんなが憧れたものである。ヘアースタイルは真似ることができても、あの足の長さだけはどうしようもなかった。正に輝ける大スターであった。

思い出の場所にて
 絵画展や常設展なども見て、商工会議所の野外ステージに座って大野城を眺めながら、お茶を飲み大福を食べた。

 Aさんとは共に、大野城のあった亀山の麓にある大野高校に勤務していた時期があった。大野高校野球部が2回続けて甲子園出場を果たしたことなどが思い出された。久々に様々なことを話し合った。

 爽やかな五月晴れで気持ちのよい一日だった。その語、Aさん宅へ寄り屋外の陶器製の椅子に座りながら、奥さんからコーヒーをいただいた。

 Aさんは今、野菜作りに凝っているという。野菜作りについていろいろ話を聞かせてもらい、自分の想いも語った。帰りがけに、アメリカ産の「アピオス(アメリカホドイモ)」をもらった。食べても植えてもいいという。

 この「アピオス」は、じゃがいもと比べると、カルシウムは30倍、鉄分は約4倍、食物繊維は屋か8倍も含まれているという健康野菜であるらしい。

 Aさんはいつも新しい野菜作りにチャレンジしているのだ。私も「少し植えてみるか」と思った。

 懐かしい場所で、懐かしいものを見たり、いろいろ話し合うことができた。充実した一日だった。

懐かしい中村錦之介のポスター。

 

亀山の上にそびえる大野城を眺めながら思い出話に花を咲かせた。

 
 

久々の肉体労働

04 5月

田植機のピットイン
 『農事法人・かたせ(農業の会社)』から割り当てで作業に出るよう指示が来た。私はつい先日まで、役所務めで農業どころではなかったので、この法人にわずかな田んぼを預けて農作業をお願いしてきたのである。

 ところが、退職と同時に、田植えの手伝いに出るよう割り当てされたのである。そして今日が初めての農作業の日だ。朝8時に法人の事務所前に集合。今日の農作業の内容を聞き、早速作業開始。

 といっても、ろくな仕事ができるわけではないので、大型田植機を扱うオペレーターが順調に作業できるようその準備をするというのが私達手伝い人の務めである。

 具体的に言うと、まず苗をハウスから出して軽トラックで運び、田植機に補充するのが主な仕事である。その他、苗に殺虫剤をまくこと、機械に肥料や除草剤を積み込むこと等もしなければならないのである。

 仕事のイメージとしては、F1レースなどで、レーシングカーがピットインすると、猛スピードでタイヤを交換したり燃料を補給するようなものであろうか。

 田植機が苗を植えながら、大きな田んぼを1往復し、道路脇に止まると(ピットインすると)、直ちに苗を補充し、肥料や除草剤などを補給するのである。

 田植えは、この機械の能力にかかっているのである。従って、作業の効率を上げるには、手伝う我々が少しでも速くこれらの補充しなければならないのである。

心地よい疲労感
 夏日の中で、一日中作業をするのは容易ではない。しかし、新緑の山々が田んぼの水面に映る初夏の太陽の下で作業をするのはとても気分のよいものだ。

 終日、このような肉体労働をしたのは、ずいぶん昔のことで、最近では経験がない。疲れはしたが、事務的な仕事では経験できない充実した気分を味わうことができた。

 百姓のDNAが目を覚ましたのだろうか。青空の下で汗を流すことは、とても気分のよいものだということを再認識することができた。毎日では耐えられないだろうが、時々はこうした気分を味わうのも気分のよいものである。夜のアルコールはとても美味しかった。

苗が植えられた田圃の向こうに見える新緑の山と越前大仏

 

法人の倉庫(左上)と田植え風景(右上写真の左端が私、その隣は中村理事長)

 
 

明けても暮れても

03 5月

ファイル整理
 ここ最近、外での作業が続いてかなりばててしまったので、今日は、午前中だけパソコンのファイル整理をしようと思っていたが、結局午後6時過ぎまでかかってしまった。 

 ファイルが膨大になり、散乱する理由の一つに同じファイルをいくつも作るからだ。 

    たとえば、何か新しい歌を作るとする。途中までできあがった曲を大胆に変える場合、「もしも新しい発想が気に入らなければ元へ戻らなければならない」ということで、途中までの曲を保存しておいて、新しいファイルを作って作業を続行することになる。 

 このようなことを繰り返すと、一つの曲にいくつでもファイルができてしまう。編曲となると専門家ではないので、次から次へと新しいファイルを作りながら、進めていくことになる。 

 それに、もしも何かの都合でファイルがなくならないようにと、2カ所以上に保存することになる。 

 特に、歌を吹き込む場合には、せっかくの歌がどこかへいってしまわないようにと、これも2カ所以上に保存することになる。 

  文章を書く場合も同様である。デスクトップパソコンで書いたり、ノートパソコンで書いたりと同じものがあちこちに存在することになる。 

 保存する場合にも、持ち運びの大容量ハードディスクを使うからなおさら同じものがあちこちに散乱することにある。 

 ファイルの整理をしないまま、退職に至ってしまった。今はそのつけが回ってきて、仕事を退いて1ヶ月が過ぎたというのに、整理終了のめどが立っていない。困惑している毎日である。 

難しい写真の整理
    写真の整理も大変である。時間軸だけで整理しても、うまくいかないように思う。家族の写真といっても、我々夫婦のものもあれば、息子や娘の家族のものもある。4人の孫の誰が中心に写っている写真か、親戚はどうか……と考えると頭が痛くなる。 

 勝山市内の写真といっても、移り変わる自然、観光地、イベント、……いろいろある。旅行したときの写真、学校勤務時代の写真、先祖の写真、……あげればきりがない。 

 突然、東京あたりの勝山出身者から「ネットで見たあの写真のデータをほしい」と言われると大騒動である。(今月号の文芸春秋の中で私の写真が使われるらしい。たいした写真ではないが) 

 また、同じイベントでも、各年度で少しずつ異なる。写真が何かで必要なとき、どうしてもうまく引き出せない。それこそ家捜しならぬパソコン内の大捜索である。 

 今、いくつかの分類項目を作って整理しているが、これもうまくいく保証はない。自分の整理の能力以上の情報を抱えて困惑している毎日である。 

 しかしながら、あれこれ整理する中で、思わぬ情報を見つけてしばしそれに見とれたり、聞き惚れたりしてい楽しんでいる毎日である。 

 半年はかかるだろうと、のんびり構えながら、作業の途中で、老化防止のためにオカリナを吹いたりギターを弾いたり、家庭菜園に関わったりしながら楽しんでいる毎日でもある。 

 簡易アニメ『泰澄大師物語』のエンディングテーマ曲「白い山」を載せておきます。お聴き下されば幸いです。(曲の長さは約52秒です。)  

白い山(泰澄大師テーマ) 

泰澄大師が天へ帰って行く(遷化する)場面です。挿入のテーマ曲はこの場面で使いました。

 
 

プログラムという発想

02 5月

千里の道も……
 何かことを成し遂げたい場合に、人はどのような態度で臨むのだろうか?目標や夢が大きすぎたり、現実離れしている場合には、簡単に諦めてしまう場合が多いのではないか。

 誰でも素晴らしいアイディアを思いつくことがある。しかしながら、これらを実現しようとすると、あまりにも時間がかかったり、費用がかかったり、仲間が必要であったり、規制があったりして、それらの前で立ちすくみ、せっかくのアイディアを生かせずに終わってしまう場合が多い。

 また、十分考えもせずにスタートするために、途中で挫折することも多い。しかし、こうした状況を乗り越えて実現する人間もいないわけではない。“千里の道も一歩から”のことわざの通り、いかなる道も最初の一歩があるはずである。

 これらを実現するには、プログラムという発想が必要ではないだろうか?実現するための手順である。

丸投げでは……
  行政の場合には、最初から逃げ腰で専門家と称するプロ、コンサルタントなどに依頼する場合が少なくない。こうしたプロに依頼する前に、自前でどこまで考えられるかを私たちは問題にすべきだと、近年痛感している。

  また、「プロ」といわれる人も万全ではない。自分たちの周囲を見渡せばそのような例はいくつでも列挙することができる。
 
   なぜなら、プロと言われる人たちでも、地域の実情、つまり、地域の人の考え方、地域の人材の有無、天候、風俗習慣、ライフスタイルなどを十分把握せずに、全国一律に同じ発想で計画立案することが少なくないからである。

  また、何年かに一度やって来る風、雨、雪等災害の状況を無視したアイディアでは地域になじまない場合も多い。

  逆に、滅多に使わない機能を過大視する場合もある。そのために、日常のもっとも必要とする部分が十分でない場合も多い。

まずは自らの頭で考える 
  私たちは、先ず、事を為すに当たって、自らの頭で考える習慣をつけるべきである。現状をよく分析し、何を改め何を生かすか、つまり、前例を改善する勇気を持つべきである。また、形式的にならないこと、つまり内容重視で、実行に当たっての道筋(プログラム)を考えなければならない。

  どのような理由(考え方:哲学)で、何から、どのような組織をつくり、どのような手順で行動するのかを十分考えて、第一歩を歩み出さなければならない。そして、進む勇気と共に、改め、後退する勇気も併せて持たなければならないと考えている。
  退職してから、すでに1ヶ月あまりが過ぎた。ここ、2、3ヶ月ぐらいは充電期間だと考えている。やりたいことはいくつもあるが、毎日が目の回るように忙しくて、今は、何からすべきかを考えている。

   これまで放置してきたことがあまりにも多く、今は身の回り(家の周り)の整理整頓に追われているからである。

 しかしながら、頭の中では、退職プロジェクトの実現に向けて、何から始めるかと考えているところである。

(日記:朝から午後3時まで生け垣の支柱を直すなど庭木の手入れ。ほとんど外で作業をしているためにだいぶ日焼けがして、いなかもんらしくなってきた。夕方、事務所の整理整頓。)

紙芝居と絵本にしたい「平泉寺物語」(絵は準備完了)

 
 

当たり前か?

01 5月

私達は活字には弱い
 私たちは、新聞や様々な書籍など活字になった情報に対しては、それが全て真実であるかの如く受け取りやすい。
 しかし、新聞を二紙以上購読してみると、よく分かる。A紙では重大であると捉えている問題でも、B紙では取り上げもしなかったり、小さな記事で済ませている場合が多い。

 新聞社の立場で記事の取り上げ方が全く違うからである。読み比べて、自分の頭で考えないといつの間にか洗脳されてしまう危険がある。

 また、物事を考える場合でも当事者として考えるのか、傍観者として考えるのかによってずいぶん異なる。

 米軍基地問題もそうである。沖縄県人の立場、与党の立場、野党の立場、沖縄以外の国民の立場、アメリカの立場、それぞれの立場によって考えは異なる。

 従って、今月中にこれらを一つにまとめるのは至難の業である。傍観者になって、マスコミの報道の導くままに、無責任にただ批判しているだけの言動は慎みたいものである。

 やはり、一定の年齢になったら、浮き草のように自分の立場をはっきりさせずに批判ばかりしている人間にはなりたくない。これでは、人の信頼は得られないだろう。

 「事業仕分け」を見ていると、「これは当たり前ではない」と思う場面が多いと感ずる。

私達は映像にも弱い
 映像についてもそうである。“百聞は一見に如かず”ということわざもあるように、私たちは映像には全く弱い。

    しかし、映像といえども全体の一部を切り取っているに過ぎず、よくよくその裏側や見えない部分を考えないと、判断を誤ることになる。

    少人数しか集まらない集会でも、全体を映さなければ、たくさん集まっているような錯覚を起こさせることは簡単である。何万の大軍が合戦しているシーンも百人余りで十分表現できるように。

 それにつけても、最近のテレビは長期間にわたって政治と金の問題ばかり扱っている。国民が、政治とはこのようなものかと思ってしまっては大変である。

 これは、当たり前ではない。本来審議すべきことはたくさんあるはずである。

 しかしテレビ局は、視聴率を上げるためになりふりかまわず構わず興味半分に報道する。政治とはこのようなものだと思ってしまっては大変である。

 マスコミの姿勢もこれでよいのだろうか?表現の自由のためには誰もこれを止めることはできない。見る者が悪いと言ってしまえばそれまでである。そのうちに、これが当たり前だと思ってしまうことになるだろう。

 私達は、常に、「これは当たり前か?」を考えながら生活しなければならない。子どもたちにも自分の頭で考える習慣をつけなければならないのではないだろうか。

 そうでなければ、世の中は知らないうちに、とんでもない方向へ行ってしまうことになるだろう。

(日記:今日は終日、野菜の苗を植える準備をし、トマト、キュウリ、シシトウ・ピーマンなどの苗を植え、豆やほうれん草の種播きをした。夜はファイル整理。)

 
 

地域の誇り「F級グルメ」

30 4月

A級グルメとB級グルメ
  近年、「B級グルメ」という言葉をよく聞きます。また、B級グルメコンテストなども開催されているようです。これは、A級に対して使われる言葉でしょう。私が理解している「A級グルメ」、「B級グルメ」はおおむね次のようなものだと考えています。

   A級グルメ : 洗練された美しさや上品な味を売り物にする、宮廷料理や高級料理店の料理のような一流という定評がある料理

     B級グルメ : 値段は安いが美味しい料理のこと。外食チェーン店や大衆食堂などに見られるような料理。ファーストフード、丼物、惣菜などが含まれる。

  「B級グルメ」を持ち寄ってグランプリを競った「Bー1グランプリ」と呼ばれる大会も開かれている。20066年に青森県八戸市で第1回大会が開催され、以後毎年1回開催されている。

 B級グルメは、全国共通のメニューでありながら、易くて美味しく、地域の個性が出ている料理のように思われます。焼きそばやラーメンなどが代表的なものではないでしょうか。

F級グルメとは
 地域には地域独特の美味しい料理があるように思います。地域の人は誰でも知っているが、その土地以外のものは誰も知らないというような地域独特の料理も、これからの時代には脚光を浴びるのではないでしょうか。

 そこで、こうした料理を「F級グルメ」と定義することを提唱します。

 「F級グルメ」の「F」は“ふるさと(FURUSATO)”のFです。「F級グルメ」は、「ふるさと料理」といってもいいのですが、特に美味しくて、安価なものを敢えて「グルメ」をつけて地域以外の人にアピールしようというものです。

 この「F級グルメ」は、名前を聞いただけでは、最初はほとんどの人がどんな料理か分からないような「地域の個性たっぷりの食べ物」なのです。A、B、C……と来て、Fになるのではなく、最初から「ふるさと」に誇りを持って「F」を使っているのです。

 そして、これを味わうには、その土地へ出かけていくか、特別取り寄せなければ味わえないような仕組みを作れば、地域の発展にも役立つのではないでしょうか。

 「F級グルメ」は、全国共通、あるいは世界共通の「ファーストフード」の対極に位置していると考えています。

 いつの日にか、「F-1フェスティバル」でも開催されれば面白いのではないでしょうか?競い合うのではなく、地域の個性を食べ比べるのです。

 きっと同じ食材でもこのような食べ方があるのかと驚くような「F級グルメ」が存在していると思っています。

(日記:野菜苗・果物苗、花苗を購入。その後、JAへ籾殻堆肥を貰いに出かける(無料)。午後はナスの苗を植え、キウイのオス・メスの苗を植える。キュウリやピーマン等の苗翌日植え付けの予定。)

摘果しなかったためになり過ぎた我が家のキウイ(昨年)

 
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整理整頓

29 4月

パソコンの中は
 
家の中だったら、ものが整理されているかどうかは一目瞭然である。しかしながら、パソコンの中だったら、外からは見えないのでどうなっているかは簡単には分からない。はっきりしていることは、整理されていないということだ。

 せっかく集めた資料や以前に撮った写真、これまでに保存しておいた種々の資料、そしてこれまで作った自分の創作物……、一体全体どこにあるのかさっぱり分からなくなってきている。

 いざ探し出そうとすると、大変時間がかかる。時間がかかっても見つけられればいいが、それでも見つからない場合はがっかりする。

 せっかく保存しておいても、必要なときに見つからなければ、保存していないのと全く同じである。そこで、ここ数日、写真や資料の整理に明け暮れている。

 ほしいときに、すぐに見つけられるよう、分類しながらやっている。どこに保存したかを忘れた場合でも、検索できるように自分流の分類を行っている。整理を終わるまでには、もう少し時間がかかりそうだ。

“整理”に関する本
 これまで何冊か、整理のための本も買った。いくつかは実践しているが、忙しくて場当たり的になることが多い。部屋でいえば、本を乱雑に積んであるような状態で今日まで来てしまったのだ。

 これではダメだ、今度こそはとの思いで毎日パソコンの中を整理している。2,3ヶ月はかかりそうだ。

 作業中、これまで忘れていたいろんな写真に出会った。これらパソコンの中を整理しつつ、一方では、物置や車庫など目に見えるいろんな場所の整理も始めている。捨てるに捨てられないガラクタがたくさんあって整理には本当に苦労する。

 モノのない部屋って本当に気持ちがいい。自分もそうしたいが、簡単に捨てきれない。整理が一段落したら、充電期間を終えて、いよいよ活動を始めたいと思う。

平泉寺中卒業式の謝恩会でエレキギターを弾く(生徒が卒業するまでと思って元旦よりこの日まで髭を伸ばしていた。龍馬にも憧れていた。昭和45年3月)

 

(日記:家の整理。パソコンのファイルの出入り。畑の階段づくり。友人に来てもらってパソコン注文。)