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Archive for the ‘未分類’ Category

ふるさとを思う気持ち

17 6月

ふるさと賛歌
 ふるさとを離れてふるさとを思うのは、誰もが抱く自然な感情だろうと思う。特に、田舎で生まれた人はその気持ちが強いかも知れない。また、新しく移り住んだ土地が、ふるさとと環境が大きく異なる場合にはなおさらそうかも知れない。

 朝、市内に住むI先生から電話があった。
「北谷出身の高齢者のMさんが作った詩を、同じ北谷出身のGさんが私の所へ持ってきて、曲を付けてほしいというのですが、私にはできないので、作ってあげていただけませんか」
というものであった。

 できた歌をCDにして、地区の行事に使いたいらしい。しかし、一人の思いつきで、勝手に地域の歌を作って、それを地域の行事で使用するということは、よいことであっても、よく思わない人も出てくるはずだ。そうなれば、紹介したGさんも、その話に乗った私も快くは思われないだろう。地区の歌を作るとなるとそう簡単にはいかないと思うのだ。

 たいがい私は、自分ができることであれば、人に頼まれればいやとは言わないようにしている。そこで私はIさんに伝えた。

「今日の話はもう少し詳しく聞かせていただけませんか。それから、詩を見せていただけませんか。」
と伝えた。しばらくすると、I先生とGさんが我が家へやって来た。

「Gさん、せっかくいいことをやっていながら地域の理解を得られないと非難されかねません。一度、区長さんに会わせていただけませんか。本当に地区のみなさんが地区の歌を作るることを望んでおられるのかどうか確かめてみたいのです。」

 地域の人達の願いがそうであれば、私は、可能な限り頑張ってみたいということも申し上げた。この先どうなるかは分からないが、何かを思いついても、理解者がいなければ反発を招くだけだということをこれまで何度も経験してきた。

 ことがうまく進んで、ふるさとを思うMさんの歌詞が歌になることを望みたい。

谷の「お面さん祭り」の夜、道場のいろりの周りでふるさと料理を味わい、思い出話に花を咲かせる。

 

(日記:午前中、来客(北谷の人)。午後、和太鼓の楽譜整理。夕方、長女が二人の子ども連れてやって来る。)

 
 

郷土芸能に関わった一日

16 6月

郷土民謡の振り付け表
  朝、9時半に村岡公民館へ出かけた。勝山の郷土民謡の「振り付け図」の写真を取るためだ。「民謡隊ひらり」のみなさんの協力を得て、4曲の民謡の振り付け写真を撮影した。一人でも多くの人が勝山の民謡の踊り方を知っていただきたいという願いからだ。

 連続した踊りを分解して、一枚一枚撮影することは、モデルになってくれた「ひらり」のみなさんにとっては大変なことだ。撮影する方も、いろいろ考えて苦労した。

 協力してくれたミラ里のみなさんに感謝したい。「

 次は、郷土民謡の「踊り方」のDVDを作りたいと考えている。

二人のアメリカ人に和太鼓指導
 午後、5時から私の事務所で、二人のアメリカ人に和太鼓を指導した。来月アメリカへ帰ると言うが、何とか、勝山でのよい思い出にと和太鼓を教えている。そして、帰国する前に、彼女たちの「ミニコンサート」ができればと思っている。

 二人のうち一人は、アメリカの大学で『三宅太鼓』を練習してきている。太鼓サークルで学んだそうだ。今日はこの曲と私の作った曲を指導した。予想以上に熱心で、上達も早い。後、数回しか練習できないが、彼女たちの日本の土産としたい。

このときのメンバーが駆けつけてくれた。うれしい限りである。

和太鼓チーム復活
 夏祭りの「盆踊り」を計画しているが、この中で「郷土芸能の発表」も考えている。祭りと言えば和太鼓があってもいいと思っている。元のメンバーの一人に声をかけたところ、5人のメンバーが私の事務所へ集まってきた。

 彼女たちが20歳の頃、いっしょに和太鼓をやったメンバーだ(高校時代には部活動でも指導したが)。彼女たちは、今、全員が22歳だ。若いメンバーの力を借りて、新しい『越前勝山春駒太鼓』の「再出発だ。私の息子は、東京へ出てしまって今回は二人いた男子メンバーがいないのでさみしいが、それでも、何とか頑張ってメンバーを増やしたいと思っている。

(日記:午前中、盆踊り写真写真撮影。午後、家庭菜園作業。夕方、外国人女性に和太鼓指導。夜、『越前勝山春駒太鼓』の再結成のためのミーティング。)

 
 

市民大学講座

15 6月

勝山よいとこ
 午前中、市民大学講座に顔を出した。講師の(民謡隊ひらり)方々から頼まれたからだ。高齢者の方が生徒で、民謡グループのみなさんがこれまで教えてくれたのだ。

 実は、今日練習した曲は、私が、一昨年に作った曲だ。去年はかなりたくさんのグループのみなさんが、この踊りを練習してくださった。有り難いことだ。

 実を言うと、この曲は、私が『盆踊り復活』を願って作ったものだ。いわば、分踊り復活運動の“テーマ曲”のようなものだ。普通、盆踊りというと、誰もが簡単に輪の中へ入って踊れる「郡上おどり』系とどちらかというと見せることが中心の「八尾おどり」に大別されるかも知れない。

 郷土民謡が10曲あったとすれば、9曲は「郡上おどり」風である方がいいと思っている。しかし、1曲ぐらいは見ても楽しい「八尾風の盆」のような優雅な踊りがあってもよいだろう。

 そう思って作ったのが、この『勝山よいとこ』だ。

 教育会館のホールでこの踊りの指導を行った、。と言っても、私は踊りの素人だ。でも、自分が作って自分が吹き込んだこの曲は何とか踊り方ぐらい教えられるかも知れないと思って、引き受けたのだ。楽しい時間を過ごすことができた。

(’日記:午前中、市民大学講座。午後、福井の本屋へ出かける。夕方、小松空港へ家内とその両親を迎えに行く。)

『勝山よいとこ』の練習風景。手前は民謡隊ひらりのTさん。(勝山市教育会館)

 
 

三度の食事

14 6月

準備と後始末
 昨日から家内が親孝旅行(2泊三日で九州)にでかけたため、3度の食事は自分で考えなければならない。いざというときのために、カレーだけはたくさん作っておいてくれた。

 しかし、いくらカレーが好きだからといっても三度ともカレーじゃたまらない。朝は、わかめとアゲを使ってみそ汁を作った。それにサラダ、卵、漬け物、ご飯で何とか持たせたが、三日間大丈夫だろうか。

 特に、食事の後の食器洗いが大変だ。洗剤を付けて一つ一つ洗わなければならない。なるべく食器を使わないようにしなければならないと思う。単純な食事でさえ、準備と後始末が結構面倒だ。

 IHにしたために、炎を見ることはなくなった。台所周りも結構すっきりしている。しかし、もし停電になったらどうすればよいのだろうか?いざというときの備えは不可欠だ。食事をしながらよけいなことを考えている。

三度の食事
 これまでは、わが家庭は、分業でやって来た。しかし、四月から外へ働きに行かなくなったので、三度の食事の手伝いを少しはしなければならないと思っている。

  「サラダを担当する」と宣言したが、実際にはほとんどできていない。せいぜい食事の準備を少し手伝うくらいだ。三度の食事に関しては、まだまだ客人だ。 

 できることから少しずつ始めなければと思っている。食事に関しては、まだまだ、家内におんぶにだっこである。
 
 三度の食事は、外で働く仕事に匹敵する大変な仕事であるとこれまでも思っていたが、その通りである。

 昔、職場の同僚(スポーツウーマン)が、「夕方になると食事のことを考えて憂鬱になる。」と言っていたのを今も覚えている。「今晩何を作るか」、「そのためにどんな買い物をする必要があるのか」、「年寄りと若い者の好みの違いをどうするか}など考えることが多いとのことだった。

 当時も今も、「その通りだ」と思う。

(日記:午前中歌作り。午後、和太鼓の楽譜づくり。)

 
 

久しぶり

13 6月

恐竜のまち勝山応援隊
 今日は家内が、姉といっしょに実家の両親を旅行に招待するために、九州へ行ってしまった。そこで、久々にNPO「恐竜のまち勝山応援隊」の理事長であるUさんを自宅に呼んだ。ビールを飲みながら、あれこれ話した。

 彼は、文字通り、「恐竜のまち勝山」の応援隊である。今月も連日「恐竜の森」へ出かけているそうだ。早いときには、4時にはもう公園で仕事をしているとのことであった。

 今年は、県立恐竜博物館ができてから10周年を迎えるために、様々な行事が仕組まれている。正に、勝山の誇る学術的・観光資源である。これを生かさない手はない。

 今年を元年に、恐竜のまちにふさわしいイベントを期待したいものである。それと同時に、私には何ができるのかを考えてみたい。傍観者ではなく、参加者としてまちづくりの一端を担えたらと思っている。

恐竜から何を学ぶか
 恐竜という素材は大きな可能性を秘めている。地球の歴史を紐解くと、ある時期、この地球上で繁栄を謳歌し、そして絶滅していったのである。

 彼等の絶滅から私たちは、学ぶことがないのだろうか?

 環境に適応することは是か非か?

 答えは、「NO」である。確かに環境に適して生きることは大切だ。しかし、適応しすぎると、環境の大きな変化で生き残ることが困難であるからだ。

 恐竜がそうであるように、環境に適して生活していた時期は長いが、環境の激変により、絶滅してしまったのだ。そして、恐竜の全盛期に、細々と生き延びていた動物たちがその後も生き延びて、様々に変化して現在に至っているのである。

 長い地球の歴史の中で、生物の絶滅期は何度も訪れているのである。環境に合わせすぎて、その変化についていけないようでは悲しい。今こそ、自然環境を守り、自然の一部であることを自覚し、暮らしていきたいものである。

(日記:股旅演歌づくり。資料整理。ハワイアンギター練習。夜は語らい。)

 
 

YES WE CAN

12 6月

読んでもらいたい一心で
 今、家の様々なものを整理している。捨てられなくて、保存しておいたものを整理しながら、少しずつ捨てている。

 そんな中から、いろんなものが出てくる。その一つが『福井県高等学校教育研究会・進路指導部会』の会報だ。私は、昭和63年度、平成元年度と進路指導部会の事務局をあずかった。そのために、年度末には「会報」を発刊しなければならない。

 しかし、表紙も中身も文字ばかりのこの会報を誰も読んではくれないだろう。お堅い内容のこの冊子を何とか少しでも読んでもらいたいと考えた。

 そこで、次のようなことを、実行することにした。

・表紙にいきなり「YES WE CAN」と大きく書き、なんだこの冊子はと思わせるようにする。
・それまでなかった対談記事を載せる。
 ◎『県内企業の人事担当者に聞く』として
   ○昭和63年には『新しい感覚で行動するために(』(セーレン株式会社)
   ○平成元年度には『多様化時代への対応をめざして』(三谷主事株式会社)
   今、企業で求められている人材について話を伺い、対談記事を掲載した。
・それまでなかった写真を入れる。(創意工夫を凝らし、安価で自ら編集した。)
・しかし、費用は予算内で行う。

昭和63年度の『福井県高教研・進路指導部会・会報』にでかでかと書かれた「YES WE CAN」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

オバマ大統領の誕生
 オバマ大統領が誕生した。リンカーン大統領、キング牧師の時代を経て、初の黒人大統領オバマ氏が誕生した。リンカーン大統領やキング牧師の夢が叶ったのだ。

 そして、オバマ大統領は「YES WE CAN」と世界にメッセージを発したのだ。

 今から20年あまり前に、「YES WE CAN」と大書したことが懐かしい。

(日記:午前中、平泉寺物語の絵の修正など。午後、収集物の整理。夜、孫達とウェブカム。)

 
 

健康器具あれこれ

11 6月

通販と訪問販売健康器具
 「これまで私はどれだけ健康器具を買っただろうか?」と考えてみると、結構ある。
 ・振動型マッサージ器具 ・腹筋器具 ・ボート漕ぎ器具
 ・ウオーキングマシーン(プログラム可能) ・全身マッサージ器具
 ・子どものためと称して「ウイースポーツ」……、
 まだまだあるように思う。

 しかし、ウオーキングマシーンと全身マッサージ器具以外は、ほとんど使わないで粗大ゴミと化している。

 もう二度と買わないでおこう、そう思っていた。きっと使わないだろうから。

テレビショッピングで腹筋マシーン
 そう思っていたが、数日前の昼食時間に家内と二人でテレビを見ていた。そこで、腹筋マシーンの宣伝が繰り返されていた。

 私は、ひと頃より引っ込んだとはいえ、下腹が出ている。家内も、下腹が出始めている。腹筋というと、これまで何度も挫折してきた経験がある。

 何度も見ているうちに、だんだんほしくなってきた。しかし、家内は、私の性格をよく知っている。
「買わなくていい。また使わないんだから。」
と言う。

 そう言われると返す言葉がない。今まで、そうだったのだから。しかし、“今回ばかりは引き下がれない”という気持ちになってきた。

 そのうちに家内も迷い始めた。今だとばかりに、電話で注文してしまった。

 そして、二日ほどして、宅急便で品物が送られてきた。箱を見た瞬間、家内はがっかりしている。箱を開けると私もびっくりしてしまった。「これは、高い!」と思ってしまった。値段の割に器具があまりにもシンプルだからだ。

 しかし、使ってみるとまあまあだ。何も使わずに腹筋運動をやろうとすると、かなりハードだが、この器具は、バネがアシストしてくれる。アシストレベルは3段階である。

 昨日から、一日百回を目標にして腹筋運動を始めた。今のところ続けていけそうだと思っている。半年後にどうなるか楽しみだが、それまで腹筋運動を続けているかどうかが問題だ。

 他の運動と共に、『かつやま健康スタンプラリー』の中に組み込んで何とか頑張りたいと思っている。秋が楽しみだ。

(日記:午前中、泰澄大師物語制作。午後、家の整理。夕方、家庭菜園作業。)

 
 

グライダー人間と飛行機人間

10 6月

20数年前の新聞の切り抜き
 昭和62年4月10日発行の『代々木ゼミ新聞』に、代ゼミ理事長の高宮行男氏が、同年慶応大学(法学部)入試の論述力テストで、外山滋比古氏の『思考の整理学』から出題され、「グライダー人間」と「飛行機人間」という面白い対比がなされていると紹介している。

 そして、「両者は一人の人間の中に同居している。グライダー能力をまったく欠いていては、基本的知識すら習得できない。何も知らないで独力で飛ぼうとすれば、どんな事故になるかわからない」と書かれている。

 どちらも重要であるとしている。

 この記事を読んだ瞬間に、私は切り抜いて保存しておいたのではあるが、どこへ保存しておいたのか分からなくなっていた。

 そして、今日、物置を整理していて、この切り抜きを見つけたという次第である。

高校在職中に切り抜いて保存にしてあった『代々木ゼミ新聞』(昭和62年4月10日発行)

代ゼミ新聞の一部

 

東大・京大で一番読まれた本 
 昨年暮れに、およそ20年前(1986年)に出版された外山氏のこの『思考の整理学』が、東大・京大で一番読まれた本になっていると新聞で読んだ。第63刷が発行され、100万部を突破しているという。

 他人に導かれて学ぶ「グライダー」的な部分と、自ら学び想像する「飛行機的」名部分のどちらもが必要であろう。

 しかし、これまで自分の周囲を見渡すと、グライダー的な人間のなんと多いことか。20数年前に新聞を切り抜き、自分もそのように生きねばと考えてきたことが、今も私の生活の基本にはある。

 退職した今、これまでの知識や知恵を使って、自ら大空を飛びたいものである。

(日記:終日物置の整理。いろんなものが出てきて、その都度整理がストップしている。)

 
 

どんな盆踊り大会にしたらよいか?

09 6月

市民のみなさんに楽しんでいただくには
 今年も夏祭りの『ふるさとの踊り大会(盆踊り)』を仲間と企画することになった。どうしたら、みなさんに楽しんでいただけるかが最大の課題である。

 私達の青年時代は、娯楽も少なかったせいか、盆踊り(または夏・秋祭りなどの民謡大会)は、とても楽しいものであった。

 田んぼで農作業を手伝っていても、どこかの集落から民謡が聞こえてくると「今日はどこの祭りだろう」と落ちつかなくなったものだ。

 今、勝山市で、「盆踊り」というと、これに反応する世代は60歳以上ではなかろうか。若者達は、「それ何?」といった雰囲気である。

 ここ数年“盆踊り復活”を掲げてアクションを起こしているが、なかなか大変である。先ずは、勝山の民謡を探すこと、昔から伝わっていると言われているものは、少ない。『長柄節』や『千本搗』は貴重で素晴らしい郷土の民謡だ。

 そこで、福井国体開催の時期に合わせて40数年前に作った『勝山小唄』、数年前に作った『勝ち山ほがらか音頭』、そして、見て楽しむ民謡になればと思って作った『勝山よいとこ』も、勝山の伝統ある民謡に加えさせてもらっている。

平成20年度の「盆踊り復活」のためのアクション

 

ふるさとの味『手打ちソバ』を食べて盆踊り
 さて、今年の夏祭りの民謡(盆踊り)を、盛り上げるには、どうしたらよいか、仲間と思案中である。勝山産のそば粉を使った手打ちそばを、民謡大会会場で出していただけないかと考えた。

 午後7時半に“アマチュアソバ打ち(実力はプロ以上)のリーダーであるNさんを訪ねて意見を伺った。「前向きに検討しよう」と言って下さった。

 実現すれば「手打ちそばを食べて盆踊り!」ができるかも知れない。

 また、盆踊りの開始直前と休憩時間に何か郷土芸能を発表できないかとも考えている。

 7月に入ったら、盆踊り大会のためのお囃子(笛・尺八・三味線など)と歌の練習会、それから踊りの練習会も始まる。

 お盆が終わるまで、何となく大変な日が続きそうだ。それでも、現職時代に比べれば自由時間が多いので、なんとか充実した『盆踊り』になるよう仲間と共に頑張りたいと考えている今日この頃出会う。

(日記:午前の前半、家庭菜園の手入れ。その後、パソコンの盆踊り写真整理。午後、家の整理。和太鼓関係の衣装などを事務所へ運ぶ。午後5時過ぎから外人講師に和太鼓指導。夜、そば打ちのNさんと懇談。)

 
 

あと5mm

08 6月

物置整理作戦
 我が家では、一階と二階の八畳を洋服ダンスや整理ダンス、棚などのある物置にしている。しかし、ものがどんどん増えて、収納に限界が来ている。

 今日は半日、この物置整理大作戦。そこで、二階にある「布団入れ」を階下へ運ぼうとしたら、階段の幅があと5mm足りなくて困惑。

 諦めるか、それとも業者を頼むか、それとも二階の窓から階下へ運ぶか、迷いに迷った。しかし、最終結論は、家内と二人で、二階の窓から運び出すことにした。

 ハシゴと木材でスロープをつくり、ロープをかけて下ろすことにした。ところが、アルミサッシの網戸がはずれなくて、作業ストップ。力任せにたたいたらようやくはずれた。

 そして、おそるおそる二階の窓から屋根づたいに、二つの布団収納箱を地上に降ろすことができた。怪我もなく作業を終えることができて、とてもよかったと思っている。家内もこのアイディアには感心したようだ。

 一時は、業者を頼もうかと思っていたけど、いくらかかるのかなあと考えているうちに、決断できなくて、自分でやってみようと決心した次第。

屋根の上からスチール製の「布団入れ」をそろりそろりと降ろす。無事降ろすことができて本当によかった。

 

(日記:午前~午後3時まで物置整理。午後4時より夏まつりの「盆踊り」の打ち合わせ。夜、精米。)