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Archive for the ‘未分類’ Category

“つくる”ということ

07 7月

無ければ作る
 欲しいものもの、必要なものがない場合には、「買えばいい」、「貰えばいい」という考え方と、「作ればいい」という考え方があります。私はいつでも、後者の立場を取る人間です。

 「今、我がまちで一番必要なものはなにか?」と問われれば、私は迷わずこう答えるでしょう。「若者達が働く場です」と。さて、この働く場ですが、「働く場がない場合にはどうすればよいでしょうか」と、さらに問われれば、今度はどう答えればいいでしょうか?

 多くの人達は、きっとこう答えるだろうと思います。「企業を誘致すればいい」と。私には、消極的な答えに思えてなりません。私なら、こう答えるでしょう。

 「起業するような前向きの人材を育てなければならない」

と。大手のショッピングセンターや電気店、薬局などが出来て、市内の小さな店舗は閉鎖を余儀なくされています。また、比較的大きな企業も悪戦苦闘していると聞いています。

 そのためには、これまで頑張ってこられた企業に代わって新たな企業を作らなければなりません。また、既存企業の活性化を図らなければなりません。既存企業に頑張っていただくこともとても大切になります。その次に考えられるのが、最後に考えられるのが、企業の誘致ではないでしょうか。

 やはり、一番に考えて欲しいのは、起業できるような創造力とやる気のある人材を育てなければなりません。こうした人材を育てるには、子ども時代からの教育が不可欠であると思っています。与えられることに慣れた子どもでは現代のような難局を乗り切ることは出来ません。

 自ら道を開いていく想像力とバイタリティーを兼ね備えた人材は、起業しなくても、組織の中で十分活躍できると信じています。そんなわけで、「無ければ作る」という根性を持った活力ある人材が今一番求められていると思っています。

 福井県は、児童・生徒の学力(狭義の学力)が比較的高いと言われています。もしそうだとするならば、これからは、自ら道を開いていける創造性と活力を持った人材育成を図らなければならないと思っています。

 今、県をあげてそうした人材を育成しようとしているのでしょうか、それとも、狭義の学力を伸ばそうとしているのでしょうか?

 さすが福井県だといわれるように、広義の学力を育てることに全力を尽くしてほしいと願わずにはいられません。そうした取り組みを県内外へ発信してほしいものです。

かつて作った担ぎ桶胴太鼓の創作曲『春馬』演奏中の写真。(今回は同名で全く新しい曲を作った。)

 

(日記:午前中、和太鼓の曲作り。午後も、曲作り。ようやく完成。夕方、外国人に和太鼓指導。夜、7時から10時まで再結成した「春駒太鼓」の練習。創作したばかりの“担ぎ桶胴太鼓”のための曲『春馬(はるんま)』を練習。)

 
 

盆踊りと演歌吹き込み

06 7月

市民大学講座「踊ろう「勝山の民謡」
 今日は市民大学講座「踊ろう勝山の民謡」の最終回だ。指導をしてくれている「民謡隊ひらり」のYさんから電話がかかってきた。「顔を出してほしい」ということだった。

 受講者に配布するCDを持って教育会館へ出かけた。指導する「民謡隊ひらり」のみなさんは5人来てくれていた。いずれも浴衣を着ての参加だった。受講生と指導者が輪になって民謡を踊っていた。楽しそうであった。

 講座が終わってから記念写真を撮ってあげた。また、「夏祭りにはぜひ参加してください」とお願いした。今年の夏まつりでの「ふるさとの踊り大会」は成功するだろうか。少し気がかりである。

 伴奏の尺八グループにもお願いした。三味線隊にもお願いした。歌もお願いした。後は踊りの練習会に市民のみなさんが何人出てきてくださるかだ。退職はしたけれど、盆踊りが終わるまでは旅行にも行けそうにない。何とか成功させたいものだ。

演歌吹き込み
 今日は、知り合いのYさんに演歌を吹き込んで貰う日だ。一曲は「越前恋岬」だ。この歌は、「越前慕情」として、私が一度作詞作曲した歌だが、詩が気に入らないので、ネット作詞家のKさんにお願いして曲にはめ込んでいただいたものだ。

 実は、最近のプロの歌作りは、ほとんどが曲が先に出来ていて詩を後から合わせる「曲先」がほとんどだそうだ。詩が先にあると詩ののサビの部分と曲のサビの部分が一致しない可能性が大きいので、素人の私には難しい作業である。

 そんなわけで、セミプロの作詞家Kさんに詩を書いていただいたものだ。この曲は、一度はAさんに吹き込んでいただいたものだが、歌い手が変わるとどうなるのかということで、今日は改めてYさんに吹き込んでいただいたものだ。

 もう一曲は、これも先日Aさんに吹き込んでいただいた「平成夢追道中」だ。股旅演歌のつもりで作ったものだ。

 吹き込みは、私の部屋で行った。今では、パソコンを使い、デジタル録音をするのだ。何度か歌っていただいて、一番よい部分もつなぎ合わせればよいのだ。エコーやボリュームなども吹き込んだ後で、自由に調整できるのだ。編曲だって吹き込んだ後で変えることができるのだ。テープレコーダーではほとんど考えられないぐらい、便利だ。

 若い頃にこのような機器があったら、もっともっといろんな歌を作ることができただろうにと思うと、少し残念ではある。

ヘッドフォンから流れる伴奏を聴きながら歌だけを別チャンネルで吹き込むのだ。(私の部屋で吹き込み中の“勝山の五木ひろし”ことYさん)

(日記:午前中、和太鼓の曲作り。その後、市民大学講座へ顔を出す。午後、演歌の吹き込み。その後、家の周りの木の枝を切る。それから、家庭菜園へ出かけて、カボチャ、ニガウリなどの支柱を直す。)

 
 

不覚

05 7月

左の人差し指ばかり
 今日は、アメリカのお姉さん達に和太鼓を教えてあげる日だ。そう思って午後5時過ぎに事務所へ出かけた。玄関を入ったところに置いてあった新しい和太鼓の包装を解こうとして、カッターナイフでビニールテープを切っていたときのことだ。

 誤って、左の人差し指をカッターナイフでえぐり取ってしまった。ティッシュペーパーで押さえたが血が止まらない。隣の電気屋さんでリバーテープをもらいテーピングのテープでぐるぐる巻きにして止血し、勝山病院へ出かけた。

 救急のため裏口で受付をし、当番の医師に診ていただいた。「押さえれていれば血は止まるはずだ」と医者はおっしゃるが、なかなか血は止まらなかった。傷口近くの指の根本に麻酔の注射を打って強く押さえたがそれでも血は止まらない。

 傷口がえぐれているので縫い合わせることも出来ない。最後の手段として、焼いて血を止めるということで、電気で傷口を焼いた。ようやく血は止まった。麻酔が切れたら傷むだろう。

 全く不覚であった。残念無念。今後は十分気をつけなければならない。

同じ人差し指が
 数年前の日曜日、のこぎりで同じ人差し指を切ってしまった。のこぎりで指を切ったために傷口が傷んでいて簡単に血は止まらない。結局縫い合わせることになった。

 今考えてみると、無理な体勢でのこぎりを使っていたのだ。全く不覚であった。今もかすかに傷跡が残っている。

 今度こそ気をつけなければならないと思っている。自分では気がつかないけれど、運動神経は鈍っているのかも知れない。今まで以上に気をつけなければならない。

(日記:午前中、北部中学校の生徒達のために和太鼓練習用CDを作った。その後、区長のTさんがやってきて村祭りについて話し合う。午後(5限目)、北部中学校の選択音楽で和太鼓を指導。その後、家庭菜園で作業。夕方、和太鼓指導に出かけて怪我。勝山病院で治療する。全く不覚であった。)

 
 

林道の草刈り

04 7月

一斉作業
 田舎に住んでいると年に何回かは地区総出の作業がある。午前7時に集会所へ集合。そのために、午前5時半起床。6時朝食。草刈り機のエンジンがかかるかどうかを確認。一年ぶりに使う草刈り機だが、軽やかにエンジンがかかった。スコップ、セイバも持って集会場へ向かった。

 区長の挨拶の後、二台の軽トラックに分乗して定められた場所へ出かけ、道の両端の雑草を刈り取った。今年は、砂防堰堤の工事のためにダンプが行き来して、道の草はあまり生えていなかったので有り難かった。

 予想以上に早く、終わった。その後、林道脇にある通称「横掛け」と呼んでいる清水の清掃をした。昔は、歩いて山へ登り、その行き来には必ずこの清水の水を飲んだものだ。また、大師山の頂上でキャンプしても、炊事のためにはこの清水のあるところまで下って、米をかしいだり、飲料水を汲んだものだ。

 昔は一日に一回は大師山の裏側まで、出かけ薪を背中に担いで家まで運んだものだ。こうした作業は当時の小中学生なら当たり前であった。おかげで結構足腰が強くなったと思うが、今のこどもたちはこうした仕事から全く解放されている。

 体力のないのは当たり前であろう。昔に返ることは出来ないが、昔は、大人も子どもも生きるためには一生懸命働いたものだ。一生懸命働く親の背中を見ていたら、さぼりたいとは考えてもみなかった。時代は変わったものである。

(日記:午前中、林道の草刈り。その後、午前11時頃から夜の10時頃まで、ほとんど休まず、算数・数学や理科に興味を持つためのアイディアづくりに励んだ。オリジナルなアイディアをえ出すのに本当に苦労した。何かの約意に立てばいいのだが。)

大師山林道の草刈り

 
 

平成夢追道中

03 7月
股旅演歌を作りたい

 私は、歌を作るのが趣味だ。特に、これまでは演歌を中心に作ってきた。若い頃は、中学生が歌うような歌も作ったりしたものだ。合唱曲にして中学生に歌ってもらったこともある

  最近は、特に演歌を作ることが多い。理由は単純だ。私の知り合いに演歌を歌う人が多いからだ。歌は、詩と曲と歌い手で決まるが、私のような素人が作る場合には、歌い手の実力も歌の善し悪しに影響する。

 曲を作り、カラオケを作ったら、それなりに歌える人に吹き込みをお願いしている。今は、主に、男性二人にお願いしている。

 今日の午後、一度作ってみたいと思っていた股旅演歌を吹き込んだ。歌は歌謡教室を開いているAさんにお願いした。午後、3時半から、2時間かけて吹き込んだ。

 股旅演歌といっても、現代とはかけ離れたテーマなので自分流に解釈して詩を作った。夢を求めてふるさとを出た若者が、ふるさとを思いながら、頑張って生きていく姿を歌にしたものである。

 都会で頑張るのも、長い人生の道の一部分であると考えて、「道中」とした。平成の今、夢を追いながら、都会を旅している(頑張っている)という設定だ。

 この歌は、私に手を離れたら演歌好きの人に自由に歌って貰いたいと思っている。

 途中で、セリフを入れた。

「お控ぇなすって、お控ぇなすって。手前ぇ生国と発しまするは越前の国……」

 初めてこの歌を聴いた人はどう思うだろうか。時代遅れだと思うだろうか。私は、若い人への応援歌だと思って作っている。また、都会へ出た私の息子へのエールでもある。

 この歌の吹き込みの後、民謡も同時に吹き込んだ。市内のある地区の人から歌詞を貰って作曲を頼まれたものだ。

 メロディーを作り、編曲(どこにどんな楽器をどのように使うか。また、より歌いやすくするためにいろんなメロディーを追加したりする)し、歌い手に吹き込んで貰う一連の仕事は、パソコンで行うのだ。昔と違ってパソコンで録音するために、失敗した部分は入れ替えるなど、自由に編集できるのが嬉しい。若い頃にパソコンがあったら、もっといろんな歌を作れたのにと思うときがある。

山口百恵さん始め数々の歌手の作曲を手がけヒットを飛ばしたあの宇崎竜堂さんでさえディレクターの指示でメロディーを変えることがあるのだ(ジェロさんのデビュー曲“海雪”のサビの部分)。このたたみかけるような早口の部分を私も今度の演歌に取り入れてみた。もちろんメロディーは異なるが。

(日記:午前中、和太鼓の楽譜づくり。午後、大学のOB会(勝山支部)。そして、演歌と民謡の吹き込み。)

 
 

連作を避けるには

02 7月

野菜作りは虫と病気との戦い
 退職してから、私は家庭菜園で野菜を育てることに喜びを感じている。といっても、猫の額のような小さな畑で日常食べる野菜を育てているだけである。

 そして、少し多く取れたときには、イチゴはジャムに、キュウリはキューチャン漬けに、トウモロコシやインゲンなどは冷凍に、そして生姜は梅といっしょに漬けたりガリ(酢漬け)にしているだけである。

 といっても、保存食品は全て家内の仕事ではある。いちごジャムやキューチャン漬けは身内や友達の評判がよいので、妻は全てプレゼントし喜んでいるのである。

 この家庭菜園での野菜作りで、一番苦労するのが病気や虫害である。そして一番気配りしなければならないのは連作である。突然作物が枯れたり、収穫が十分でないからである。

 例えば、トマト、じゃがいも、ナスは同じ仲間なので、よほど考えないと連作になってしまう。他にも同類はたくさんあって、連作になることが多いから厄介である。おまけに、5年以上同じ場所で作ってはいけないというものもある。

 また、同じ苗でも「接ぎ木」の苗は病気に強いということがあるので、やむを得ない場合には、高価であっても、買わないわけにはいかない。家庭菜園といっても、結構苦労はするものである。

 収穫を終えて畑が空いているからといって何でも植えていると次の年にはどうしても連作になることが多いのである。私も退職したので、来年からは狭い畑を計画的に使わなければならないと考えている。

緊急避難で庭に瓜とトマトを
 知り合いから、トマトや瓜の苗をもらった。すでに畑に植えてあって、植えるところがない。、空いている所はあるが、簡単にそこへ植えるわけにはいかない。そこで、今年は、緊急避難で、もらったトマトや瓜は、自宅の庭に植えることに決めた。

 妻は盛んに「家の庭で野菜作りなんてハズイ!(恥ずかしい)」というのであるが、来年以降のことを考えると、せっかくいただいた苗であるだけに、やむを得ない処置である。

 今日は、なるべく庭にマッチするように貰ったトマトと瓜の苗を植え、支柱も立てた。本来ならビニール紐で支柱の竹をくくりつけるのに、今日はシュロ縄を使った。

 明日から、畑と違って家の庭にあるので、成長を見られることが嬉しい。途中で枯れてしまって、来訪者に無様な醜態を見せることはないようにしたいものである。しかし、いちいち問われて説明するハメになるだろうから、それだけは覚悟しなければならない。

庭の生け垣の内側に作った瓜とトマトの支柱

(日記:家の庭で家庭菜園づくり。午後も、3時頃まで続く。その後、担ぎ桶胴太鼓のための曲作り。その後、新曲の股旅演歌の吹き込みについてYさんと打ち合わせ。)

 
 

一日一汗

01 7月

目標は汗をかく生活
 現役時代は、医者から勧められてダイエットしようとしていたがどうしても出来なかった。いつも標準体重を5~6kgほどオーバーしたまま上下を繰り返していた。

 少しぐらい運動しても、体重は変わらず、せめて一日に1回ぐらいは汗をかきたいものだと思っていた。仕事柄、冷や汗はかくことがあっても、自然な汗をかくことほとんどなかった。

 暑いときには、クーラーの効いた部屋にいたのでなおさらであった。「一日一汗」は当時の願望であった。

自然にダイエット
 退職してからは、家庭菜園や庭の手入れ、家の整理などで、一日一回は汗をかくことになった。その都度、シャワーを浴びるので、下着は一日に最低2回、多ければ3回以上替えなければならない生活が続いている。

 背広は滅多に着ないので、カッターシャツやネクタイなども要らず、普段着の着替えがとても多くなった。このような生活を続けていたので、自然に体重は減り始めた。無理にダイエットしたわけでもないのに体重は標準体重に近づいてきた。そして、腰周りも少しずつ減り始めた。

 併せて毎日欠かさず朝食前には、ラジオ体操、股上げ100回、スクワット100回、腹筋運動は一日100回を目標に実行している。こうした運動と「一日一汗」によってダイエットが自然に行われているのだろうか。

 ようやく、多少の運動と「一日一汗」が習慣化したようである。

(日記:午前、セールスマンの話を聞く。創作活動。午後は、家庭菜園の手入れ。)

 
 

守備的か、攻撃的か……サッカーワールドカップから

30 6月

遠いゴール
 日本の試合は、全部見た。特に、昨日から今朝の深夜にかけてのパラグアイ戦はなかなか見どころがあった。サッカーって本当に点の取りにくいスポーツだと思う。

 正にチームが一丸とならなければならない競技だ。そして、相手が強ければ強いほど守備陣のに活躍が目につく競技だ。

 ディフェンダーの闘莉王選手や中沢選手の身体を張った活躍には胸が熱くなった。又、ゴールキーパーの川島選手の活躍も素晴らしかった。守備陣はゴール前で決定的なミスをすれば、即、点数を失うことになる。重要な役目だ。

 それに比べれば、攻撃陣はミスを犯しても点数を取れないだけで、即、失点ということにはならない。又、点数を取ればヒーローになりやすい。

 どちらも大事だが、強いチームと対戦するときには、特に、守備陣の活躍が目についた。

 勝ち進むためには、守備も攻撃も大切だということだ。両者のバランスが取れて始めて勝ち進むことが出来るのだ。これを、サッカー以外のチームに当てはめてみると面白いかも知れない。

守備か攻撃か
   会社であれ、役所であれ、守備的な部分と攻撃的な部分があるように思う。足元を固めず、身の丈に合わないことをやり続ければ、どこかで破綻を来してしまうだろう。かといって、地味に足元を固めているだけでは、時代に乗り遅れない友限らないし、夢も描けない。

 サッカーから学ぶことはいろいろあると思う。しかし、学ぼうとしなければ何も学べないだろう。学ぶべき対象は身の回りに転がっているように思う。問題はそれが見えるかどうかだ。

  今は選挙たけなわだが、攻撃的か守備的かという見方も出来る。足下を固めずに、高速道路無料化を掲げたりして、子ども手当を配るという一見前向きではあるが、すぐにほころびが出るマニフェストを掲げるのはどうしてだろう。

 人は、何のためにお金を払って高速道路を利用するのか、少し考えれば分かるはずである。本当に、子どもの親が望んでいるものは何か、考えて子ども手当を現金で支給することを考えたのだろうか。

 財政をどうするかという足下をよく考えて、マニフェストを出してもらいたい。攻撃的な部分と守備的な部分のバランスを取りながら国民のためになる施策を展開してほしい。

(日記:午前中、CDづくり。午後も同様にCDづくり。ALTやメンバーが自主練習できるようにCDと楽譜づくりに集中した。夕方、ALTに和太鼓指導。夜、春駒太鼓の練習。)

 
 

優先順位

29 6月

我がまちの優先順位
 午後7時より「市長となんでも語ろう会」が教育会館で開かれた。第5次総合計画の話が中心ではあるが、特に、学校の統廃合問題と総合体育館の建設問題が話の中心であった。

 いずれも、少子高齢化が進み、過疎化する当市においては、避けて通らなければならない問題ではあるが、最優先課題であろうか?人によって考え方は異なる。優先課題ではあっても、最優先課題であろうか?

 学校が統廃合されることによって、効率的な市の運営はできても、まちが活性化すること、過疎化を食い止めることは果たして出来るだろうか?

 かつて、北谷地区には3,000人以上の人達が住んでいた。今、は超高齢化が進み、100数十人しか住んでいない。理由はいろいろあろうが、その最たるものは、働く場がなくなったことではなかろうか。

 働く場を作ることは容易ではない。企業誘致だけではなく、既存企業の活性化、そして、起業することの出来る人材を育てることのいずれも大切ではなかろうか。すでに確たる働く場を持っている役所の職員(公務員)に働く場を考えてほしいと望むのは酷なことだろうか。

 税金を使って事業を進めることの出来る役所の職員こそ、働く場を獲得する必要も、給料が大幅減額になったり、雇用打ち切りになることもないのだから、腰を据えて、「今、我がまちで一番力を入れるべきことは何なのか(優先すべきことは何か)」をよく考えて行動してもらいたい。役所の外へ出てみてそのことを強く思う。

政治不信
 参議院選挙で各党、各個人に審判が下されようとしている。国会議員だけではなく、官僚というべき多くの人材がいるのだから、もう少し政治家らしい識見を持ち、政策を実行してほしい。

 まるで、中学校の生徒会レベルではないかと思われるような言動が目立つ。今国家が最優先すべき課題は何なのか。個人の金の問題ばかりに多くの時間を割いたり、有名人を担ぎ出して票を獲得しようとする人達にこの国を任せられるのだろうか。一体全体この国をどうしようとしているのだろうか。

 今のままでは、政治不信は深まるばかりである。仕事をして金を得ているものは、政治家でなくても、全てプロである。もう少しプロ意識を持って仕事に取り組んでもらいたい。少なくとも、勉強はしてもらいたいと望む次第である。

(日記:午前中、楽譜作成。セールスマンの話を聞く。午後、楽譜を書く。夜、「市長と何でも語ろう会」に参加。)

 
 

マニュアル型人間

28 6月

臨機応変
 社会の仕組みが複雑になったり、機械や機器の操作、コンピュータソフトの性能が高度になってきている。こうした時代をより快適に、より安全に過ごすには、“マニュアル(機器・装置類の使用説明の小冊子、または使用法)”は不可欠である。

 この他、事故や天災などが発生した場合でも被害を最小限に押さえるためのマニュアルもある。これらは理論と経験則に基づいて作られているのであろう。

 事故が起きた後に、学者や評論家の方々があれこれと分析することは、次の事故を防ぐ上では大切であるが、それだけでは十分でないように思われる。出来ることなら、事故が起こる前にいろいろ発言してほしいものだ。

 人の命の重さは何ものにも勝るという基本的な考えが、マニュアルによっておろそかにされてはいないか心配である。それと同時に、臨機応変に対応でできる能力が今求められているように思う。

危機を感じる能力
 人間には、危機を感ずる能力がある。「このままでは大変なことになる」という感覚である。そこへ、マニュアルが入り込んだり、経済性が優先されたり、上司の強い指導は加わると、人はこうした感覚を無視して行動することになる。それでも大事故に繋がらなければよいが、いつも事故を回避できるとは限らない。

 かつて、とてつもない列車事故が発生した。個人の乗り物ならば、車体が浮くようなスピードが出て、列車が横転しそうになったら、減速か運転を停止するであろう。でも組織の一員であったばかりにそれが出来なかったのだ。そして、多くのかけがいのない多くの命が失われたのだ。

 また、個人の建物ならば、地震で簡単に倒壊しそうな設計はしないであろう。しかし、実際には、評論家の言を待つまでもなく、ド素人でも判断できそうな危険なことが平然と行われて来たのである。

 私たち自身も、数分、数秒が待てないような気ぜわしい人間、機械に合わせたような生活を見直さなければならない。世界一、時間に正確な日本の鉄道が、常に命の危険になさられているのでは自慢にならない。

 また、身の危険を感じた場合には、どう対処すべきか、人間の感覚をもっと尊重すべきではなかろうか。私たちは機械や機器に操られているのではなく、機械や機器を操っているのだから。マニュアルも大切ではあるが、同時に人間としての感覚も磨かなければならないと思う。

 しかし、現実にはいつの間にか、機械が優先される世の中になりつつあり、人間の感覚そのものが鈍感になったり、無視されつつあることが心配である。マニュアルでしか行動できない人間が増えてきたら、世の中は発展しないであろうし、危険も回避できないように思われる。

家族を楽しませる家の花々

 

(日記:午前中、セールスマンの話を聞く。その後、和太鼓の楽譜を書く。午後、北部中学校の選択音楽で和太鼓指導。その後、家庭菜園のトマトとイチジクに鳥防止のためのネットをかける。夕方、事務所=山児童館でALTに和太鼓指導。)

 
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