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Archive for the ‘未分類’ Category

コンサートとマナー

17 7月

私語を慎んでほしい
 今日は、家内の両親と一緒にサンドーム福井へJA主催の『伍代夏子とコロッケ』のコンサートを見に出かけた。私は運転手をつとめた。演歌を作っている私としては、何かと参考になることが多かった。

 特に、コロッケの芸能生活30周年記念曲である『生まれた理由』は、とてもよい曲だった。さだまさしの作った歌だそうだ。物まねをせずに歌っていたが、きっと流行するだろうという予感がした。

 いつもコンサートになると気がかりなことがある。それは私語が多いことだ。歌、語りのいずれの場面でも、隣と延々と会話を交わすのである。気になってしょうがない。やむなく、「静かにしてください。」と優しく言ったが効果はまったくなかった。

 以前に同じサンドームで『ボリショイサーカス』を見たときのことだ。3人の子供を連れた母子が私の前でこのサーカスを見ていた。子供は走り回り、うるさいやら視界をさえぎるやらでサーカスを見るどころではなかった。

 家内は止めたが、私は我慢ならずに「どうにかなりませんか」と言った所、若い母親は食ってかかってきた。他人に迷惑をかけているという気持ちがまったくないのだ。今でもサーカスの中身は忘れたがこのことだけはよく覚えている。

 今日は高齢者が多いのか、私語など当たり前であった。いちいち隣と感想を言い合うなど、周りに気配りできない高齢者が多いなあと思った。

高低差のない席では帽子をとってほしい
 今日もそうであったが、大きなつばのある帽子をかぶって席に座っている人がところどころに見られる。私の隣の人もぼやいていた。「あの帽子のおかげで何も見えない」と。

 これは今年に入ってからのできごとだ。フェニックス福井でのコンサートの時のことだ。私の前に、大きな帽子をかぶった男性が座っていた。指定席券を買ったのだが、この帽子のために舞台が本当に見難かった。家内に「前の人に言うぞ」というと、家内はやめてと言う。サーカスの件を思い出しているのだろうか。

 せっかく高価な指定席券を買ったのに、この帽子のおかげで台無しだ。どう言おうか少し考えた。

 「すみませんが、コンサートが始まったら帽子をとってもらえませんか」とやんわり言った。

 前の席の男性は、即座には帽子をとらず、コンサートが始まってからとってくれた。他人に言われるまでもなく、大きな帽子をかぶっている人は、他人の迷惑になることに気付いてほしいと思った。高低差のある席ならまだしも、フラットな会場ではなおさらだ。

 今日は、隣の席の人が帽子のために見えないので、困っていた。代わりに言ってあげようと思ったが、帽子の人はひとつ隣の席へ移ったために、結局のところ、言わないままになってしまった。

 いかなる場所であろうとも、他人の迷惑にならないようにすべきである。特に、高齢者になると、他人の迷惑になっていることに気付かないでいることが多い。自分も気をつけなければならないと思った次第である。

(日記:午前中はジャガイモをとった後の畑を耕した。暑くて汗で着ているものがずぶぬれになるくらいであった。その後、トマトの支柱を直した。午後は、サンドームへ歌を聴きに出かけた。)

 
 

産みの苦しみ

16 7月

生きることは“つくる”こと

 たとえ「物まね」「人まね」であっても、作ることは楽しいものだ。しかし、そうはいっても、「つくる」ということは簡単なことではない。歌詞を作る、曲を作る、編曲をする、文章を書く、木で何かを作る、絵を描く、本を作る、……と、作ることはたくさんあります。

 もっと範囲を広げれば、システムを作る、地域を作る(まちづくり)、会社を作る、……と、まだまだいろんなものがあります。どれもこれも苦労は多いものだが、それだけにやりがいもある。

 しかし、たとえ演歌一つでも、作るとなると大変なものだ。何を歌にするのか、なぜ歌にするのか、素人だけに自分なりの理由が必要になる。メロディーも少し作ってはパソコンで聴き、少し作ってはパソコンで聴き……の繰り返しだ。これは昔とは違うところだ。

 作ったものは、他人に聞いてもらうために、CDにする必要がある。しかし、CDを作ったからといって聞いてもらえるものではない。手っ取り早いのはインターネットだ。

 こう考えると、作ることはなかなかたいへんな作業をともなう。それでも私は、常に何かを作り続けたいと思っている。それが生きている証になるからだ。

我が家の庭で、育つ「玉子瓜」。グラフ用紙のような支柱のために生育状況がよく分かる。

 

作物を育てることも“つくること”
 最近の我が家の食卓を見ると、動物性タンパク質を除けば、我が家の菜園で採れたものが並ぶ。じゃがいも、モロッコ(豆)、インゲン、種々のトマト、なす(米なす・長なす・丸なす……)、キュウリ、ニガウリ等が連日食卓に並ぶ。オクラも採れ始めた。

 これらの作物の成長を見ることはとても楽しいものだ。小さな家庭菜園でも、野菜作りの楽しみがある。家の庭の一部に、友達からもらった「玉子瓜」やトマトがなどが育っている。

 庭に野菜の苗を植えたのは今年が初めだ。連作の関係から、やむをえず植えたものだ。毎朝ラジオ体操をしていいるが、野菜の成長を見るのはとても楽しい。

(日記:午前中、手の怪我を診てもらうために病院へ行く。ついでに、整形外科で首と肩を診てもらう。どうも、パソコンの使いすぎらしい。待ち時間がとても長いので、Ipodでマライアキャリーの歌を聴きまくる。音楽のシャワーだ。アメリカ人のために歌を作ろうとしているが、忙しくて時間が取れない。午後は、家庭菜園で作業。夜は、7時から10時まで我がチームの和太鼓練習。みんな本気になってきたようだ。新曲に多くの時間を割いた。)

 
 

宝の山

15 7月

 携帯電話は世界一の金鉱脈
 何時の時代も、人々は「金」を探し求めてきた歴史がある。アメリカのゴールドラッシュ、佐渡の金山、……「金」は貨幣として、装飾品として、人々を魅惑し続けてきた。金鉱山を持つ国は、それだけでとても経済的に有利だった。

 「金」は、貨幣や宝石としての価値ばかりではなく、現代の文明の利器と言われる携帯電話やパソコンなどにも使われて、価値を維持し続けている。ところが、この「金」を携帯電話などから取り出している企業がある。

 都市の中から、「金」を見つけ出すということである。こうした電子機器から、「金」を取り出すことができるということは、都市もまた一つの鉱山であると考えられる。特に日本では、使用済みの携帯電話から「金」を取り出す事業を軌道に乗せたことでとても有名である。

 この「金」だが、世界最大の金産出国である南アフリカの優れた金鉱山でも、鉱石1トンから取り出せる「金」は5~8グラムだという。ところが、1トンの携帯電話からは、驚くことにその30倍の150グラムの金が採れるのである。しかも、「金」だけではなく、「銀」や「パラジウム」など貴重な金属もたくさん採れるのである。

 役目を終え、廃棄される運命にあったパソコンや携帯電話だけではなく、メッキの廃液、歯科の材料、壊れた宝石などからも非常に有用な金属を採集することができるとのことだ。

リタイア人材は宝の山
 役目を終えた電子機器と人間を比較することには抵抗があるが、リタイア人材にも同じようなことが言えると思う。教職員や研究員、役所の職員、技術者、熟練工、銀行員などのうち、定年で第一線を退いた人達は、正に宝の山である。

 社会に役立つからといって、こうした人達が何時までも社会の第一線で働き、活躍し続けることは、後進の育成という観点からは必ずしも好ましいことではない。しかしながら、こうした人達の長年の経験や技術、アイディア、能力を眠らせてしまうこと、社会の大きな損失であるとも考えられる。

 長年働いてきた人達に、さらに働くよう促すということは酷なことではあるが、後進を指導するという立場、後進と共に働くという立場、様々な意見を述べるという立場などいろんな立場でその能力を発揮してもらうことは、社会にとって大いに有用であるように思われる。

 こうした人達だけで、新たに起業することも考えられる。効率や経済性、対費用高価等を重視するのではなく、社会貢献、生き甲斐などを重視した働き方があるはずである。前向きに、夢を追いながら、新たな人生を送ることは、後進に対して大きな励ましになるのではなかろうか。子ども達にも、高齢者が生き生きと活躍する姿は好ましい影響を与えるだろうと思われる。

 次世代育成という観点からも大いに意義のあることではなかろうか。

 リタイア人材は宝の山であり、これを活かさない手はないと思う。これを活かすことのできるまちこそ、さらに発展を続けることができるのではなかろうか。私もまだまだ何かはできると感じているし、そう思っている者が周りには沢山いると思っている。

(日記:午前中、資料整理。盆踊りで三味線をお願いする人と打ち合わせ。午後、外人女性に和太鼓特訓。玉の汗をかきながら、和太鼓の練習をする。その後、篠笛の楽譜書き。)

 
 

映像編集

14 7月

退職グッズ
 退職したら手に入れたいと思うものを1年前から考えていた。パソコンはデスクトップ(少しでも速いもの)とノート(できるだけディスプレイの大きなもの)、そして、なるべく最新の「絵を描いたり映像を編集するためのソフト」、「歌作りのための音楽ソフト」、「文章を書くためのソフト」を手に入れた。

 残りはハイビジョン撮影可能なビデオカメラだ。そう思って決めかねているうちに、手持ちのデジカメが壊れてしまった。修繕するには最低15,000円以上はかかるという。諦めてデジカメを買わなければならないはめになってしまった。

 と言っても、一眼レフのデジカメは持っているので、気軽に持ち運べる機種を手に入れたいと思っている。考えてみれば、今までかなりの種類のデジカメを買ったことになる。「フジ」、「コダック」、「カシオ」、「キャノン(一眼レフ)」、「キャノン(小型)」といろいろ手に入れた。最も愛用していた小型のデジカメ(キャノン)が壊れてしまったのだ。

 先日、大野までデジカメを買いに出かけた。少し迷ったが、後継機(キャノン)を買った。これまでの機種と異なるところは、ハイビジョンで動画撮影ができるというところだ。タッチパネル式で、被写体の好きな部分にピントを合わせる機能もついている。

 しばらくは、ハイビジョン撮影可能なビデオを買わなくてもすむのだろうか。このデジカメの映像で動画編集を練習したいと思っている。

YouTubeで動画発信
 時々YouTubeで動画を見ることがあるが、ただ見ているだけではなく、投稿したいと思っている。以前に少しだけ、動画編集をかじったことがあるが、もう少し真剣に動画編集を勉強してみたいと思っている。

 そして、自作の歌に映像を付けて編集し、情報発信したいと思っている。例えば、勝山の映像なども、自作の音楽に乗せて紹介したいと思っている。

 アドビ社の動画編集ソフト「プレミアCS4」を手に入れたが、まだ勉強中だ。家内に「的を絞ったら」と言われるが、絵を描きたい、動画や静止画を編集したい、歌を作りたい、文集を書きたい。この3つより少なくは的を絞れないので困っている。

 これからは、動画の時代だろうし、3Dも普及してくるだろう。何とか、動画編集の入り口には、到達したいと思っている。 ただ残念なことには、いったん覚えても、忘れてしまうことである。毎日少しでもかじっていないと、忘れてしまうということである。

 若い頃は、二つ三つ同時に事を運ぶことができたが、今は一つがやっとだ。

 せめて、YouTubeに動画を投稿できるまでにはがんばりたい。

担ぎ桶胴太鼓の振り付けや隊形を考える春駒太鼓のメンバー(山児童館スタジオにて)

 

(日記:午前中は資料の整理。途中でパソコンショップへ行く。新しいデジカメの電池を注文してあったのでそれを取りに大野へ行く。午後も自宅で資料整理。午後5時より外国人の和太鼓指導。彼女たちは、今月下旬にはアメリカへ帰国する。そこで、最後に「ミニコンサートをしたら」と提案したら彼女たちも乗り気であった。7月21日午後7時より遅羽公民館で行うことになった。午後7時より、今度は我がチームの和太鼓練習。7時頃にメンバーが集まってきた。来週の日曜日の「越前大仏夏祭り」にも出演するので、今は週二回、それぞれ3時間ずつ練習している。)

 
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仲間作り

13 7月

事に当たって必要なものは
 何か新しいことを始めようとするとき、一人でできることもあるが、一人ではできないことも多い。また、一人でできることでも、仲間とやった方が楽しかったり、よりよいものができる場合も多い。

 私の場合、趣味にパソコンを使うが、技術的なサポートとなると、いろんな人の助けを借りなければならない。もちろん、マニュアルで勉強はするが、それだけでは十分ではない。また、マニュアルだけで勉強しようと思うと、時間がかかりすぎる。

 I T の一番のサポート役は息子であったが、昨年の8月より東京へ出てしまっているので、以前のようには教えてもらえない。開発のために、夜遅くまで働いているようなのでなおさらだ。時には、土日の出勤もあって今は以前のようにはなんでも頼めない。

 代わりに、息子の友達のY君にはかなりお世話になっているし、他にも映像編集に関しては教えてくれる仲間が二人がいる。さらに勉強したければ産業支援センターがある。8月上旬にも、朝の9時から5時まで3日間みっちり講習を受けるつもりだ。

 また、趣味で歌作りをしているが、作詞を応援してくれる人、歌を歌ってくれる人なども周りにいてサポートしてもらっている。おかげで拙い曲でも、CDにすることができる。こうした人達のおかげだ。

 歌と言えば、今太鼓を教えているALTは歌がとても上手い。帰国するまでには、何とか歌を作りたいと思っている。彼女たちとは来週でお別れだ。急がなければと思う。

 ここ数年、盆踊り復活に力を入れている。この中から踊り隊が生まれた。彼女たちは盆踊り復活に大きな力を貸してくれている。また、食生活改善員の皆さんも協力してくれている。他にも、歌、尺八、三味線などで協力してくれる人達がいる。

 こうした人達のおかげで盆踊り復活の運動が何とか続けられている。今や、とても頼りになる私の協力者だ。

 今春の退職によって、職場のつながりとしての人間関係は、ご破算にしたつもりだ。職場とは全く無関係にできている人間関係は今も変わらない。

仲間づくり
 前向きに生きていれば必ず仲間はできると確信している。退職した仲間内の中で最も苦手な人間は、昔の自分を自慢するタイプだ。「自分はあれもした、これもした」と自慢するのを聞いているのは時間の無駄だ。全く消費的時間だ。多少はいいだろうが、昔のことばかり話すのを聞いているのは本当に時間の無駄だ。 

  また、『退職○○会』というような会もあまり好まない。特に、役職の付いた名前の会はなおさらだ。退職てまで昔の役職を引きずっているのは世間の人からしたら奇異に感ずるだろう。退職したら、全くフラットな立場で、話したり、酒を飲んだりしたいものだ。

 勝間和代さんの話に「生産的な時間」と「消費的な時間」という話が出てくるが、同じ時間を使うなら、生産的な時間の使い方をしたいものだ。

 とにかく、前を向き、今を生き生きと生きている人は話していてもとても楽しい。自分にも勇気がもらえる。こうした時間は「生産的な時間」に入ると思っている。

 これからも、前向きに生きていきたいと思う。

(日記:午前中、教育会館で夏祭りのための盆踊り指導。午後は、村岡の「踊り隊ひらり」のメンバーに『勝山よいとこ』の男踊りを教えた。女性ばかりのグループなので、一番背の高いTさんに男踊りをマスターしてもらいたいと思っている。直線的な男踊りと、曲線的な女踊りを同時に踊ればどちらも引き立つはずだ。夕方は、外国人のALTに和太鼓を指導した。彼女たちの友達も丸岡から見に来た。 )

 
 

「守ること」と「攻めること」

12 7月

「攻めること」の気楽さ
 参議院議員の選挙の結果が出た。「オウンゴールで民主党が、敗北しただけで必ずしも野党が勝ったとは言えない」というマスコミの論調もよく聞かれた。
 
 考えてみれば他人の弱点を攻めることは容易だ。政治の世界では、与党の欠点を攻めるのは比較的楽だ。元与党以外は攻められることがない。ただ、攻め続けていればそれでよいのだから気楽だ。

 税の問題(財源の問題)、防衛の問題(普天間の問題)、教育・介護・福祉の問題、年金の問題、そして、疲弊する地方の問題、地方分権、景気の問題(経済の問題)、公務員制度改革、……、各政党が、特に野党がこれらに対してどのような考え方を持っていたのか、私も含めてほとんどの国民は理解しないまま、投票したのではないだろうか。

 攻める側は、もっぱら相手の弱点を攻め続けていればそれでよいのだ。野党でいる間は、何をどう言おうと、自由だ。しかし、与党になったとたんに、ありとあらゆる問題の解決が迫られ、至る所で未熟さが露呈することになる。

 野党時代にかなり無責任に与党を攻めていたことが、いざ与党になってみるとそう簡単に物事が進まないことに気がついて、前言取り消しとなる。自己矛盾が当たり前となる。国民から見れば、政治不信以外のなにものでもない。

「参議院」の役割とは
 世の中、多様な考えがあるのは当たり前だ。一つの政党が一枚岩であろうとすると無理が通ることになる。多様な考えがあって当たり前なのだ。かつての「郵政選挙」のように、考えの違うものを追い出した上で、刺客までおくる陰湿さだ。

 いろいろ議論を尽くして最も国民の幸福に繋がる政治を行ってもらいたいものだ。何でもかんでも相手の言うことを反対するのでは、外野席としての支持は受けても、いつまでたっても与党とはなり得ないのではないか。

 参議院の役割は、自ずと衆議院とは異なるはずだ。薩摩だ長州だ、幕府だと行っている江戸末期に、各藩の下級武士達は藩を越えて手をつなぎ、日本の将来を憂いて国をまとめたではないか。

 「出でよ!平成の龍馬!」と言いたい。意見が異なるのは、同じ政党にあっても当たり前だ。まして異なる政党では意見の異なるのは当たり前だ。しかし、政党が異なっても、日本のために手を握れる場面も多いはずだ。

 参議院の役割を自覚して、日本の舵取りをしてもらいたい。勝った負けたと言っている場合じゃない。与党になるだけの支持を得て日本の政治を長期にわたって安定させる力を持つまでは、勝者ではないと思う。

(日記:午前中パソコンを」使って画像整理。午後、北部中学校の選択音楽で和太鼓指導。帰宅してからも、パソコンで画像整理。時々テレビをつけると、勝った負けた、責任問題など選挙の話題で持ちきり。日本の国をどうするか等の前向きに話題は少ない。このようなレベルの問題ばかりで、情けない。ニュースには事欠かないと思った。)

 
 

政治に対する信頼

11 7月

ボーナスを何に使うのか?
 参議院議員選挙が行われた。国民の審判が下ることになる。

 先日ボーナスの使い道についてのアンケート結果がテレビで放映されていた。使い道の第1位は「貯蓄」であった。外国人のキャスターが「信じられない」というようなコメントをしていた。

 私見だが、国家、すなわち政治に対する不信感から、多くの国民は「貯蓄をしなければ自分の将来が危うい」と感じているのではなかろうか。従って、消費意欲は持てず、結局、簡単には景気はよくならないのではないだろうか。

 国家に対する信頼感がある国では、安心してボーナスを消費にまわすことができる。巡り巡って景気もよくなり、福祉や教育にまわす財源が確保できるということになる。

世界の消費税は
 世界の消費税を見ると、日本と比較できないほど高い。しかし、国民はそれらを支持しているようである。北欧のスウェーデン、デンマーク、ノルウェーなどは25パーセントの高率である。ヨーロッパのほとんどの国も20パーセントである。日本と比べればかなりの高率である。

 私もノルウェーへ行ったことがあるが、オーバーに言えば、所得の半分近くを税金として治めなければならない国である。しかしながら、小学校から、大学まで学費は無料であり、医療にも無料である。福祉も進んでいる。

 私が訪問した10数年前には、週末にはかなりの人達が、ヨットを持ち生活を楽しんでいたのである。国家に対する信頼感は大きいために、このような税制を支持しているのではなかろうか。

 どうも最近の我が国では、国民の政治に対する不信感が強いのではなかろうか。どの政党に任せたら、国民がある程度納得する方向に日本を持って行ってくれるのだろうか。

 明確なビジョンを示して、それを実行し、国民に対する信頼感を取り戻してほしい。そうすれば、多少の負担を国民は受け入れるだろうと思う。国家に対する信頼感があれば、安心して日々の生活を送ることができ、余裕のお金を貯蓄にまわすだけではなく、生活の豊かさのために使うことができるのではなかろうか。

 景気浮揚はその先にあるような気がしてならない。国民の政治に対する信頼感のなさが今回の結果に表れたり、投票率の低さに表れているのではなかろうか。

(日記:終日、物置の整理。ないと思ったものが出てきたり、どこに置いたのか忘れていたもののありかが分かったりして、疲れはしたが充実した一日であった。思いでの写真もいろいろ出てきた。)

班別学習で手製の小黒板を使いながら「図形の証明」をする平泉寺中学校の生徒たち(昭和46年頃)

 
 

後戻りの出来ない時間の道

10 7月

夢中に生きたあの頃
 今日は一日、自宅にある諸々の収集物の整理をした。自分の高校時代の写真、大学時代の写真、社会人になった4つの学校の写真などが、次々出てきた。 

 夢中になって生きていたあの頃の自分が愛おしい。 

 考えてみれば、「人生とは、後戻りの出来ない時間の道を進んでいる」ようなものだ。ただひたすらに前へ進むだけである。そしてとうとうこの年になってしまった。 

 あちこちで出会う高齢者の方々も、それぞれに青春時代があり、壮年時代があったのだ。ある意味では、時間の道は残酷なものである。後戻りが出来ないのだから。 

 しかし、時間の進み具合は、全ての人にとって全く同じである。全ての人にとって平等であるとも言える。 

 この後戻りの出来ない時間の道を歩まなければならないのなら、それぞれの場所でゆっくり周囲を見ながら進みたいものである。 

高校時代に描いた漫画『石松君』のワンカット

写真を見ると鮮やかに蘇るあの頃
 いろんな収集物を整理していたら、高校時代に描いた漫画が出てきた。私は本当に漫画家になりたかったのだ。漫画を描くためにlかなり学校を休んでしまった。 

 高校時代には、大黒柱の父親がなくなり、現金収入が途絶えて、家庭は、超貧乏だったのだ。そのために、賞金を稼ぎたくて漫画を描いていたのだ。しかし、世の中そんなに甘いものではない。結局一円も稼ぐことはできなかった。 

 奨学資金でやっと高校へ通うことができたぐらいの貧しさであった。そんな高校時代の写真などが、たくさん出てきた。そんな中で、当時描いた漫画もいくつか出てきた。 

 もうあの頃へ戻ることはできない。ひたすら時間の道を前へ進むだけである。しかし、まだ私にはいくらかの時間が残っていると思っている。これからも、創造的に生きて生きたいものである。 

 当時の写真などを見ながらの整理であるために、遅々として進まないが、これはこれでいいと思っている。 

                                                      生きるということは 

                                                                    生きるということは 歩むこと
                                                                    後戻りのできない 時間の道を
                                                                    時には 遠くの山々を
                                                                    時には 道端の草や花々を 見つめながら
                                                                    友と語らい 季節を感じながら 歩みたい 
                                                                   生きるということは 自分を語ること
                                                                   生きるということは 自分の言葉で語ること
                                                                   いつか届くはず 私のメッセージ
                                                                   いつか届くはず 君の胸に
                                                                  生きるということは 夢を持つこと
                                                                  生きるということは 行動すること
                                                                   たとえ嵐が来ても 耐えられるはず
                                                                  生きてる証(あかし) 得られるはず
                                                                  情熱はいつか 周りの人に伝わるはず
                                                                                                        (以下略)  

(日記:一日、物置の整理。夜、横浜に住む息子の家族とウェブカムを楽しむ。家内は、孫とあやとりを見せ合っている。)

 
 

「春馬(はるんま)みたいに行儀が悪い!!」

09 7月

春駒太鼓の“春駒”とは?
 私は、「片瀬地区(私の集落)に日本一大きな大仏ができる」と聞いて、まず最初に考えたことは、子ども達のために何か郷土芸能をつくるということでした。そして、和太鼓グループを創設しました。今から約25年ほど前のことです。

 チームの名前を「越前勝山春駒太鼓」と決めた。「春駒」とは、「春の馬」の意味である。

 私の子どもの頃は、落ち着きがなかったり、行儀が悪いときには、決まって祖母から「こら!春馬(はるんま)みたいに!」と叱られたものである。家で飼われていた農耕馬は、冬の間は約4畳半ほどの小さな馬火屋の中で過ごします。

 そんな農耕馬が、春になり外へ出すと、暴れ回ってしばらくは仕事に使えないほどのものでした。外へ出たために、嬉しくて飛び跳ねているようでした。そんな姿を見て、祖母達は「春馬みたいに行儀が悪い!」と私達を叱ったものでした。

 今の子ども達にも、春馬みたいに“何かをしたくてうずうずしている”そんな元気な子どもになってほしいとの願いから、当時、幼児や小学校低学年の子ども達で作ったこの和太鼓グループに迷わず「春駒=春の馬」と名づけたのでした。

 多少行儀が悪くても“何かをしたくてうずうずしている”、そんな行動力のある前向きの子どもになってほしいという願いからでした。

再結成した春駒太鼓の演技

 

新曲「春馬」とは
 ここ一週間ばかり、“産みの苦しみ”を味わいました。再結成した和太鼓グループのために新曲「春馬」を作っていたからです。太鼓のリズムを作るために、10日間、篠笛のためのメロディーを考えるためにここ二日間考え抜きました。

 そして、今日の午後、ようやく出来上がりました。メンバーが自宅で練習できるようにとCDも作りました。全員若者ですが、働いているために、十分練習時間が取れないからです。

 この新曲に「春馬(春馬)」と名付けたのも、若者達が春の馬のように、元気いっぱいに生きてほしいとの願いからです。この新曲は、まず軽快であること、そしてメンバーの掛け合いが多いこと、楽しそうなことを頭に置きながら、作りました。固定した太鼓ではなく、持ち運びの出来る桶胴太鼓を担ぎながら、いろんな隊列を作って太鼓を叩くのです。

 できばえはまあまあだと思っています。振り付けについては、子ども達に任せています。きっと楽しい振り付けにしてくれるだろうと思っています。出番は、7月25日の「越前大仏夏祭り」と、8月15日の「勝山市の夏祭り」です。

 ここで、春馬のように元気はつらつとしたメンバーの姿を市民のみなさんに見ていただきたいと思っています。

(日記:午前中、祭りのポスターづくり。その後、勝山病院の形成外科へ。そして、午後3時まで新曲“春馬”のためのメロディーづくり。そして、和太鼓練習用のCDづくり。午後、7時から10時まで和太鼓練習。)

 
 

盆踊り復活を目指して

08 7月

お祭り広場をつくりたい
 今年も夏祭りがやってくる。私はここ数年、盆踊り復活を目指して様々なアクションを続けている。しかし、思うようには成果は上がっていない。でも、諦めずに今年も続けている。

 今年の夏祭りの盆踊りは、8月15日である。午後7時から9時頃までがその時間帯である。とても、郡上踊りや風の盆の八尾踊りのようにはいかないが、少しでも多くの人に集まってほしいと願っている。

 昔と違って、ただ盆踊りをやっていれば人が集まるという訳にはいかない。何とか、市民のみなさんに集まっていただくために、盆踊りを盛り上げる企画を考えている。まず、食べ物がなければならないだろうということで、勝山のアマチュアそばの会連合会の代表であるNさんの所へ行って「当日そばを出していただけないでしょうか」とお願いしてきた。

 Nさんは快く協力してくださることになった。有り難いことである。お祭り広場で手打ちそばを味わうことが出来るとなると、帰省しているみなさんに喜んでいただくことが出来る。そう思った。

 また、盆踊りに先だって「芸能発表」を企画することにした。祭りには太鼓も必要であろうということで、今「春駒太鼓」が練習を始めている。20数年前に、創設した和太鼓チームである。若い娘達が頑張っている。

 さらに、民謡隊ひらりのみなさんにも地元民謡で踊りを披露していいただくことになった。後は子ども達が楽しめる企画だが、これは簡単ではない。私は、これまで越前大仏の夏祭りなどで、駄菓子屋やゲームをやったlことがあるが今回はそんな閑がない。踊りが立つように裏方を務めなければならないからだ。どなたか、応援してくださる人がいると有り難いのだが。

 こんな訳で、今日、私は北郷地区のリズムダンスのみなさんの所へ民謡を指導するために出かけた。会員の一人から頼まれたからだ。昨年は50数回あちこちへ民謡の指導に出かけたが、今年も、声がかかれば出かけていきたいと考えている。

 そして、勝山に盆踊りが復活することを密かに願っている。

今製作中の今年の夏祭りのポスター

 

(日記:午前中、歯医者へ。その後パソコンショップへ出かけ、帰宅してから祭りのポスターを考えた。午後は、北郷地区へ民謡の指導に出かけ、帰宅してから、家庭菜園のじゃが芋を収穫した。)